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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ノルマンディー作戦80年で式典
2024-06-07 Fri 06:29
 第二次大戦中の1944年6月6日、ナチス・ドイツ占領下のフランス北部で連合軍が行った“ノルマンディー上陸作戦”から80年に当たるきのう(6日)、仏北部沿岸のコルヴィル=シュル=メール等で記念式典が行われ、バイデン米大統領、チャールズ英国王、マクロン仏大統領らが出席し、作戦に参加した退役軍人も参集しました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      仏領赤道アフリカ・ノルマンディー(1946)

 これは、ノルマンディー上陸作戦から2周年に当たる1946年6月6日、当時の仏領各地でオムニバス形式で発行された“チャドからラインまで”の切手のうち、ノルマンディー上陸作戦を取り上げた1枚です。どの地域の切手を取り上げても良かったのですが、“チャドからラインまで”とあるので、チャドを含む仏領赤道アフリカの切手を選んでみました。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 6月7日(金) 10:00~ ニッポンジャーナル
 インターネット番組「ニッポンジャーナル」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。皆様、よろしくお願いします。

 6月14日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。

 謀略の世界史 原則毎月第1土曜日 13:00~14:30
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 大河企画の「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」、引き続き開講中です。詳細はこちらをご覧ください。 

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 対岸の大爆発
2012-03-06 Tue 17:05
 アフリカ中部のコンゴ共和国の首都ブラザヴィルで、現地時間の4日、武器庫の爆発があり、当局の発表で123人が死亡、2000人以上が負傷したそうです。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ブラザヴィル=パリFFC(事故便)

 これは、1930年3月、ブラザヴィルからアルジェ経由でパリ・ブリュッセル宛の航空便で運ばれるはずだったカバーで、貼られている切手は仏領赤道アフリカ時代のモノです。ただし、実際には、この時の航空便は飛ばず、アルジェまでは陸路で運ばれ、アルジェ=マルセイユ間を海路で、マルセイユから先は陸路で運ばれました。

 19世紀のアフリカ分割の過程で、ベルギーは探検家スタンレーをコンゴに派遣し、多数の基地を設けて現地勢力の長たちと様々な取り決めを結んでいました。これに対して、以前から沿岸部の権益拡大を進めていたポルトガルが反発し、1882年にはコンゴ川河口地域における主権を宣言。イギリスはポルトガルを支持しましたが、フランスはベルギーを支持する一方で、自ら探検家ピエール・ド・ブラザをアフリカ内陸部に派遣。ドイツもポルトガル支持を見送りました。このように、各国の思惑が錯綜する中で問題解決のためのベルリン会議が1884年11月15日から1885年2月26日まで開催され、コンゴ盆地はベルギー国家でなくベルギー王の私財となり、フランスが権益を築いたコンゴ盆地北西端は中央コンゴとしてフランス領とされました。

 その後、1910年にフランスは、現在のガボン、コンゴ共和国、ウバンギ・シャリ(現・中央アフリカ)をまとめて仏領赤道アフリカを形成し、コンゴ川に面したブラザヴィルにその植民地政府を置きました。その後、仏領赤道アフリカには、1920年、チャドも追加され、1958年まで存続します。ちなみに、ベルギー領コンゴの首都レオポルドヴィルは、コンゴ川を挟んでブラザヴィルの対岸に建設され、独立後の1966年、現在の地名であるキンシャサと改称されました。

 ちなみに、今回ご紹介のカバーでは、封筒の左上にブラザヴィル=レオポルドヴィル(現キンシャサ)=パリ=ブリュッセルの航空郵便開通を意味する文字が印刷されていますが、現在でも、キンシャサ(ヌジリ国際空港)=ブラザヴィル(マヤマヤ空港)間には、コンゴ民主共和国(旧ザイール)のヘワ・ボラ航空の路線がちゃんと運航しています。まぁ、キンシャサから各地へ行く途中でブラザヴィルにも立ち寄るというのが実態だろうとは思いますが…。

 さて、今回の爆発事故は、ブラザヴィルの武器庫で火災が発生し、保管されていた戦車の砲弾が数度にわたって爆発したものとみられていますが、今回の爆発現場から隣国コンゴ民主共和国(旧ザイール)のキンシャサまではわずか5キロ。大爆発による爆風で窓ガラスが割れるなどの被害が出たこともあって、コンゴ民主共和国(旧ザイール)は、当初、首都に対する攻撃があったと誤解し、戦車や軍部隊を市中および国境を隔てるコンゴ川沿いに展開させたのだとか。対岸の火事ならぬ対岸の大爆発のすさまじさが伝わってくるようなエピソードです。


 ★★★ 内藤陽介、カルチャーセンターに登場 ★★★
   
 3月下旬から、下記の通り、首都圏各地のよみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)で一般向けの教養講座を担当します。詳細につきましては、各講座名(青色)をクリックしてご覧いただけると幸いです。皆様のご参加を心よりお待ちしております。(掲載は開催日順)

よみうりカルチャー柏
 3月23日(金)13:00-15:00(公開講座)
 「ご成婚切手の誕生秘話――切手でたどる昭和史」
 *柏センター移転、新装オープン記念講座です。

 4月24日、5月22日、6月26日、7月24日、8月28日、9月25日
 (毎月第4火曜日)13:30~15:30

 切手でたどる昭和史


・よみうりカルチャー荻窪
 3月27日(火) 13:30~15:30(公開講座)
 「ご成婚切手の誕生秘話——切手でたどる昭和史」

 4月10日、5月8日、6月12日、7月10日、8月7日、9月11日
 (毎月第2火曜日)13:30~15:30

 切手でたどる昭和史


・よみうりカルチャー錦糸町 
 3月31日(土) 12:30-14:30(公開講座)
 皇室切手のモノ語り

 4月7日、6月2日、7月7日、8月4日、9月1日
 (毎月第1土曜日) 12:30~14:30

 郵便学者・切手博士と学ぶ切手のお話 
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 コンゴ共和国独立50年
2010-08-15 Sun 23:43
 1960年8月15日にコンゴ共和国がフランスから独立して、きょうでちょうど50年です。というわけで、きょうは終戦記念日でもありますし、第二次大戦にも絡めて、こんなモノをもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      仏領コンゴ・ドゴール絵葉書
      仏領コンゴ・ドゴール絵葉書(裏面)

 これは、第二次大戦中の仏領コンゴで発行されたドゴール到着記念の絵葉書とその裏面です。葉書は官製のモノですが、印面はついていません。ただし、現在残されているものは、僕が確認した限り、ドゴールのブラザヴィル(仏領コンゴおよび現コンゴ共和国の首都)到着の日付である“1940年10月24日”の加刷がある仏領赤道アフリカの切手が貼られているケースがほとんどです。なお、葉書の印刷は、南アフリカ共和国のケープタウンで行われました。

 19世紀のアフリカ分割の過程で、ベルギーは探検家スタンレーをコンゴに派遣し、多数の基地を設けて現地勢力の長たちと様々な取り決めを結んでいました。これに対して、以前から沿岸部の権益拡大を進めていたポルトガルが反発し、1882年にはコンゴ川河口地域における主権を宣言。イギリスはポルトガルを支持しましたが、フランスはベルギーを支持する一方で、自ら探検家ピエール・ド・ブラザをアフリカ内陸部に派遣。ドイツもポルトガル支持を見送りました。このように、各国の思惑が錯綜する中で問題解決のためのベルリン会議が1884年11月15日から1885年2月26日まで開催され、コンゴ盆地はベルギー国家でなくベルギー王の私財となり、フランスが権益を築いたコンゴ盆地北西端は中央コンゴとしてフランス領とされました。

 1910年、フランスは、現在のガボン、コンゴ共和国、ウバンギ・シャリ(現・中央アフリカ)チャドをまとめて仏領赤道アフリカを形成しますが、その植民地政府はブラザヴィルに置かれました。

 第二次大戦中の1940年6月、フランスはドイツに降伏して占領され、親独ヴィシー政府とドゴールの自由フランスに分裂しますが、ブラザヴィルには1940年10月にドゴールが入城し(今回ご紹介の葉書は、この時の様子を撮影したものです)、仏領赤道アフリカは自由フランス軍の拠点となります。そして、1944年6月、ブラザヴィルでアフリカのフランス植民地と自由フランスとの間で会議が持たれ、アフリカのフランス植民地は戦争協力と引き換えに、戦後の自治権拡大を約束するブラザヴィル宣言が発せられたのを受け、戦後、仏領中央コンゴはフランス議会に議席を獲得。1958年には自治共和国を宣言し、1960年の完全独立となりました。

 アフリカのフランス植民地は、第二次大戦中、自由フランスの戦争に協力することによって、すなわち、自由フランスとともに血を流すことによって、政治的な発言権を獲得し、最終的に独立を獲得したわけです。戦前の大日本帝国も、1944年に朝鮮での徴兵制を実施し、その対価として終戦直前の1945年4月に朝鮮(同時に樺太・台湾にも)で男子住民に対する選挙権を与えたわけですが、残念ながら、選挙が行われる前に終戦となってしまいました。あの戦争が長引けばよかったとは思いませんが、仮に、日本の敗戦以前に朝鮮でも選挙が行われていれば、いずれ“朝鮮”(日本統治下の正式名称は朝鮮です)が独立したにせよ、その後の日本との関係も現在とはだいぶ違っていたでしょうね。
 

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