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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 端午節
2024-06-10 Mon 03:42
 きょう(10日)は旧暦5月5日の“端午節”です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      台湾・ドラゴンボート(1966)

 これは、1966年6月23日、台湾が発行した民族シリーズの切手のうち、端午節のドラゴンボート・レースを描いた1枚です。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。

 
★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 6月10日(金) 10:00~ ニッポンジャーナル
 インターネット番組「ニッポンジャーナル」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。皆様、よろしくお願いします。

 6月14日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 7月4日(木) 19:00~ 日本ウイグル協会・追悼集会
 東京・四谷のTKPスター貸会議室 四谷2にて開催の緊急特別講演会「7.5ウルムチ虐殺から15年、中国のウイグル政策がどこへ向かうのか」(日本ウイグル協会主催)にて、「ウルムチ虐殺以降の中国のウイグル政策がどこに向かっているのか」と題して、内藤がお話します。参加無料。お申し込みなどの詳細はこちらをご覧ください。

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。

 謀略の世界史 原則毎月第1土曜日 13:00~14:30
 MI6、CIA、モサドなど各国の情報機関のあらましや、現代史の中で彼らが実際に関与した事件などを幅広くご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。

 武蔵野大学のWeb講座 
 大河企画の「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」、引き続き開講中です。詳細はこちらをご覧ください。 

 「龍の文化史」、絶賛配信中です。龍/ドラゴンにまつわる神話や伝説は世界各地でみられますが、想像上の動物であるがゆえに、それぞれの物語には地域や時代の特性が色濃く反映されています。世界の龍について興味深いエピソードなどを切手の画像とともにご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。

 ★ 『切手もの知り図鑑 一番切手50のエピソード』 好評発売中!★

      切手もの知り図鑑 一番切手50のエピソード

 「動物と植物」「科学技術」「社会と文化」「神話/伝説と宗教」の4章立てで、犬、猫、宇宙開発、飛行機、クリスマスといったテーマで、初めて描かれた切手図案にまつわる秘話、思いがけない発行に至る背景に加え、シーラカンスやテレビ、警察官、タトゥー、髑髏といった、あっと驚く意外なテーマの一番切手も登場します!

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


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 虫の日
2023-06-04 Sun 07:06
 きょう(4日)は、6(む)・4(し)の語呂合わせで“虫の日”です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      台湾の花と昆虫(1958)

 これは、1958年3月20日に台湾が発行した“台湾の昆虫”の切手のうち、ナガサキアゲハを描いた1枚です。ちなみに、この切手は日本の大蔵省印刷局が製造しました。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。なお、内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。

 また、日本の大蔵省印刷局が台湾の切手を製造するようになった経緯などについては、拙著『現代日中関係史 第1部 1945-1972』でもご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 6月9日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。
 
 武蔵野大学のWeb講座 
 「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」と「日本郵便150年の歴史」の2種類の講座をやっています。詳細はこちらをご覧ください。 

★ 『現代日中関係史 第2部 1972-2022』 好評発売中!★

      現代日中関係史2

 2022年11月に刊行された「第1部1945-1972」の続編で、日中国交”正常化”以降の1972年から2022年までの半世紀の、さまざまな思惑が絡まり合う日中関係の諸問題を、切手とともに紐解いていきます。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 勤労感謝の日
2022-11-23 Wed 08:57
 きょう(23日)は勤労感謝の日(もともとは収穫を祝い、翌年の豊穣を祈願する新嘗祭の日)です。というわけで、農家の方々に感謝して、農村を題材にした切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      台湾・反飢餓運動(1963)

 これは、1963年3月21日に台湾が発行した“免飢饉之自由運動(飢餓救済キャンペーン)”の切手で、台湾の農村で収穫した稲束を抱える女性と、飢餓に苦しむ大陸の”同胞”に対して空から援助物資を投下する台湾機を組み合わせたデザインになっています。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。なお、内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。

 なお、1972年の日台断交以前の台湾については、拙著『現代日中関係史 第一部 1945-1972』でもいろいろ書いておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 11月25日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 12月24日(土) 13:00~  大英帝国のクリスマス
 英国は、1840年に世界で最初に郵便切手を発行した国で、かつて”日の沈まぬ国”と呼ばれたその広大な領土では、ヴィクトリア女王からエリザベス女王に至るまで、歴代の国王の切手を貼った郵便物が縦横無尽に往来していました。今回は、クリスマスに関する切手・郵便物をピックアップし、それぞれの時代の英国・英領の歴史や社会を読み解きます。お申込などの詳細はこちらをご覧ください。

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。

 武蔵野大学のWeb講座 
 「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」と「日本郵便150年の歴史」の2種類の講座をやっています。詳細はこちらをご覧ください。 


★ 『現代日中関係史 第1部 1945-1972』 好評発売中! ★

      現代日中関係史表_第1部

 日本郵趣出版の新レーベル「郵便×歴史シリーズ」の第一弾の企画として、切手という切り口から第二次大戦後の日中関係を読み解く『現代日中関係史』。その第1巻となる本書は、第二次大戦後、わが国が中華人民共和国と国交を樹立(いわゆる国交正常化)する1972年9月以前を取り扱っています。なお、1972年の国交”正常化”以降については、2023年3月に刊行予定の第2巻でまとめる予定です。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページのリンクがあるほか、主要書店の店頭在庫も確認できます。また、販売元の郵趣サービス社のサイト、スタマガネットの特設サイトサイトでは、本書の内容見本をご覧いただけます。 

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 国連デー
2022-10-24 Mon 06:22
 きょう(24日)は、1945年10月24日に国際連合(以下、国連)憲章が発効して国連が正式に成立したことにちなむ“国連デー”です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      台湾・国連25年

 これは、1970年9月19日、台湾の国民政府が発行した“国連25周年”の記念切手で、国連旗と中華民国国旗の下に、和平・進歩・正義の文言が入っています。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。なお、内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。

 さて、11月20日付で日本郵趣出版から拙著『現代日中関係史 第1部 1945-1972』(税込み定価2530円)を刊行の予定です。刊行日に先立ち、11月5日には、東京・浅草の都立産業貿易センター台東館にて開催の全国切手展<JAPEX 2022>会場内にて同書の刊行記念トークイベントも計画しておりますので、よろしくお願いします。(切手展の詳細は主催者サイトをご覧ください。)


★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 全国切手展<JAPEX 2022> 於・都立産業貿易センター台東館
 11月5日(土) 11:00~ 「日中国交正常化50年とは何だったのか」
 * 11月20日付で日本郵趣出版から刊行予定の拙著『現代日中関係史:切手・郵便に秘められた軌跡 第1部 1945-1972』の刊行記念イベントです。

 イベントそのものは事前予約不要・参加費無料ですが、会場の切手展へは入場料が必要です。切手展の詳細は主催者サイトをご覧ください。

 11月11日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。

 武蔵野大学のWeb講座 
 「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」と「日本郵便150年の歴史」の2種類の講座をやっています。詳細はこちらをご覧ください。 


★ 『本当は恐ろしい! こわい切手』 好評発売中!★

      『本当は恐ろしい! こわい切手』

 怨霊、ゾンビ、鬼、そして人間の闇 … 古今東西の奇妙な切手を集めた一冊。
 それぞれの切手には、いずれも世に出るだけの理由が必ずある。
 その理由を求めて、描かれた題材の歴史的・文化的・社会的背景を探っていくと、そこからさまざまなドラマが浮かび上がってくる。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


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 スポーツの日
2022-10-10 Mon 07:52
 きょう(10日)は“スポーツの日”です。1911年に辛亥革命が発生したことにちなむ中華民国の開国記念日“双十節”でもありますので、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      台湾・東京五輪1964(吊り輪)

 これは、1964年10月10日、東京五輪(1964年)の開会式にあわせて台湾が発行した同大会の記念切手で、吊り輪の選手が描かれています。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。なお、内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。

 また、現在、11月に日本郵趣出版から拙著『現代日中関係史 1945-1972(仮)』を刊行すべく作業を進めております。現在、編集作業は最終段階に差し掛かっており、近々、正式な定価・発売日などをご案内する予定です。また、11月5日には、東京・浅草の都立産業貿易センター台東館にて開催の全国切手展<JAPEX 2022>会場内にて同書の刊行記念トークイベントも計画しておりますので、よろしくお願いします。(切手展の詳細は主催者サイトをご覧ください。)
 

★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 10月14日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 全国切手展<JAPEX 2022> 於・都立産業貿易センター台東館
 11月5日(土) 11:00~ 「日中国交正常化50年とは何だったのか」
 * 11月に日本郵趣出版から刊行予定の拙著『現代日中関係史 1945-1972(仮)』の刊行記念イベントです。

 イベントそのものは事前予約不要・参加費無料ですが、会場の切手展へは入場料が必要です。切手展の詳細は主催者サイトをご覧ください。

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。

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★ 『本当は恐ろしい! こわい切手』 好評発売中!★

      『本当は恐ろしい! こわい切手』

 怨霊、ゾンビ、鬼、そして人間の闇 … 古今東西の奇妙な切手を集めた一冊。
 それぞれの切手には、いずれも世に出るだけの理由が必ずある。
 その理由を求めて、描かれた題材の歴史的・文化的・社会的背景を探っていくと、そこからさまざまなドラマが浮かび上がってくる。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


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 パ・リーグもバファローズが連覇
2022-10-03 Mon 03:23
 プロ野球のパシフィック・リーグは、きのう(2日)、オリックス・バファローズが昨年に続き、2年連続で優勝しました。というわけで、バファロー(水牛)を描いた切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      台湾・中国農村復興連合委員会10周年(1958)

 これは、1958年10月1日に台湾が発行した”中国農村復興連合委員会10周年”の記念切手で、水牛を使った農耕風景が描かれています。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。なお、内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。

 また、現在、11月に日本郵趣出版から拙著『現代日中関係史 1945-1972(仮)』を刊行すべく作業を進めております。現在、編集作業は最終段階に差し掛かっており、近々、正式な定価・発売日などをご案内する予定です。また、11月5日には、東京・浅草の都立産業貿易センター台東館にて開催の全国切手展<JAPEX 2022>会場内にて同書の刊行記念トークイベントも計画しておりますので、よろしくお願いします。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 10月14日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 全国切手展<JAPEX 2022> 於・都立産業貿易センター台東館
 11月5日(土) 11:00~ 「日中国交正常化50年とは何だったのか」
 * 11月に日本郵趣出版から刊行予定の拙著『現代日中関係史 1945-1972(仮)』の刊行記念イベントです。

 イベントそのものは事前予約不要・参加費無料ですが、会場の切手展へは入場料が必要です。切手展の詳細は主催者サイトをご覧ください。

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。

 武蔵野大学のWeb講座 
 「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」と「日本郵便150年の歴史」の2種類の講座をやっています。詳細はこちらをご覧ください。 


★ 『本当は恐ろしい! こわい切手』 好評発売中!★

      『本当は恐ろしい! こわい切手』

 怨霊、ゾンビ、鬼、そして人間の闇 … 古今東西の奇妙な切手を集めた一冊。
 それぞれの切手には、いずれも世に出るだけの理由が必ずある。
 その理由を求めて、描かれた題材の歴史的・文化的・社会的背景を探っていくと、そこからさまざまなドラマが浮かび上がってくる。

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 台湾・金門砲戦慰霊祭に米駐台代表参列
2020-08-24 Mon 01:15
 台湾の金門島で、昨日(23日)、1958年の“金門砲戦”の戦没者慰霊祭が行われ、蔡英文総統のほか、米国の対台湾窓口機関、米国在台協会(AIT)台北事務所のクリステンセン所長(駐台大使に相当)が参加しました。AIT所長の式典参加は初めてです。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      台湾・莒光楼(1959)

 これは、金門砲戦の翌年にあたる1959年に台湾が発行した“莒光楼”の普通切手です。

 金門島は、中国大陸・福建省の対岸に位置する台湾の離島で、1895年に台湾が日本に割譲された後も清朝の領土に留まり、辛亥革命後の1914年は中華民国の思明県に編入されましたが、翌1915年には、大金門島、小金門島および大胆島(別称・大担島)や二胆島など12の島で構成される“金門県”が新設されます。

 1937年の支那事変(日中戦争)勃発後は日本軍の占領下に置かれましたが、1945年の終戦に伴い中華民国が回収しました。

 国共内戦末期の1949年10月17日、厦門を占領した人民解放軍は、同25日、対岸の金門島にも攻撃を仕掛けましたが、国府側は同27日までにこれを撃退。福建省沿岸の金門島・馬祖島ならびに浙江省沿岸の大陳列島を確保することによって、かろうじて台湾省に限定されない“中国政府”としての体面を保ち、台湾を拠点に“大陸反攻”を呼号していくことになります。

 今回ご紹介の切手に取り上げられた莒光楼は、これを記念して1952年に大金門島の金城莒光湖近くに建立された中華風の建造物で、「毋忘在莒 光復大陸」との蒋介石の言葉が命名の由来です。

 朝鮮戦争休戦後の1955年、台湾派は米国と米華相互防衛条約を結び、台湾には在華米軍が駐留し、核弾頭を搭載可能なマタドール巡航ミサイルが配備されます。

 一方、1956年2月、ソ連共産党書記長のニキータ・フルシチョフは、スターリン批判を展開し、西側との平和共存に向けて一歩を踏み出しました。これに対して、3年前まで朝鮮で米国と戦っていた中国の認識では、隣国の北朝鮮や北ヴェトナムが米軍と対峙している中での対米宥和は弱腰外交以外のなにものでもなく、1957年11月18日、モスクワで行われた共産党・労働者党代表者会議に参加した毛沢東は、「東風は西風を圧す」「米帝国主義は張子の虎」と演説。米国との核戦争を恐れるべきではないと主張し、フルシチョフの平和共存路線に異議を唱えます。

 こうした状況の中で、1958年に大躍進政策を発動した毛沢東は、対外的な緊張をつくりだすことで国内の統制を強化するとともに、米華相互防衛条約の範囲が、中国沿岸の金門島に及ぶか否かを確認するため、同年8月23日、金門島への大規模な砲撃を開始。これに対して、米国のジョン・フォスター・ダレス国務長官は、「金馬地区を奪取することは平和に対する脅威である」と警告を発し、米国の支援を受けた台湾軍は反撃し、厦門の大嶝、二嶝の中国人民解放軍砲兵陣地に大きなダメージを与えます。

 このため、10月5日、中国の国防部長・彭徳懐が「人道的な見地より金門への砲撃を7日間停止し中華民国軍船舶による補給を許可する」、「ただし米国がその護衛を行わないことが条件である。これは中国の国内問題であり米国が関与することは内政干渉である」と一方的に宣言。その後も、中国側は形式的に金門島への砲撃を継続しましたが、金門砲戦は実質的に台湾の勝利で終わりました。今回ご紹介の切手は、これを受けて1959年に発行されたものです。

 さて、今回の慰霊祭へのAIT所長の参列は、中国軍が台湾海峡付近で軍事演習を繰り返すなかで、米国のトランプ政権があらためて台湾支持の姿勢を示すもので、式典後、蔡総統はフェイスブックに「主権、民主主義と自由を守る台湾の決意を世界に見せることは私の責任だ」とのコメントを書き込んでいます。


★ 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★

 8月28日(金)05:00~  文化放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。


★★ Web講座のご案内 ★★

 武蔵野大学の生涯学習講座で、「切手と仏像」と題して4回に分けてお話しします。配信期間は8月26日から10月6日まで。お申し込みなどの詳細はこちらをご覧ください。皆様、よろしくお願いします。

 
★ 内藤陽介の最新刊 『みんな大好き陰謀論』 ★

      みんな大好き陰謀論(帯なし表紙) 本体1500円+税

 出版社からのコメント
 【騙されやすい人のためのリテラシー入門】
 あなたは大丈夫?賢い人ほどダマされる!
 無自覚で拡散される負の連鎖を断ち切ろう
 まずは定番、ユダヤの陰謀論を叱る! !

 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 

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 台湾・高雄市長のリコール成立
2020-06-07 Sun 03:58
 台湾で、きのう(6日)、韓国瑜・高雄市長に対するリコール(解職請求)の賛否を問う住民投票が実施され、賛成票が90万票を超えてリコールが成立しました。台湾の市長がリコールで罷免されるのは韓氏が初めてです。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      台湾・左営蓮池(1961)

 これは、1961年に台湾が発行した観光宣伝切手のうち、高雄のランドマークである左営区の蓮池潭を取り上げた1枚です。

 蓮池潭はもともと“蓮潭”と呼ばれていた湖で、72ヘクタールの広さがありましたが、清代の1686年に池の一部を埋め立てて湖畔に孔子廟を建立し、池を廟宇の泮水として蓮を植えたため、現在のように“蓮池潭”と呼ばれるようになりました。なお、その後も、環潭道路の建設のために埋め立てられため、現在の池の面積は42ヘクタールになっています。

 切手の左側に見えるのは、1953年に建てられた4階建ての二つの楼閣、春秋閣(春閣と秋閣、それぞれ4階建て)で、“武聖關公(関羽)”が祀られています。また、画面中央には、半分は急な斜面、半分は緩やかな斜面という独特の形をした“半屏山”が描かれています。

 なお、現在、蓮池潭には、高雄のランドマークとなっている龍虎塔(1974年建立)や、高さ72メートルの玄天上帝像(1995年建立)などがありますが、いずれも、今回ご紹介の切手が発行された時点では存在しておらず、切手にも描かれていません。参考までに、2008年に現地を訪れた際に撮影した龍虎塔と玄天上帝像の写真も下に貼っておきます。

      高雄・龍虎塔
      高雄・玄天上帝像

 さて、今回のリコールが成立した韓市長は、1957年、台北県(現新北市)中和区生まれ。台北農産運銷公司総経理(台北市青果市場社長)、台北県議員、立法委員(国会議員)などを歴任した後、2018年11月、民進党の牙城と目されていた南部・高雄市の市長選に出馬し初当選を果たしました。国民党の親中派として知られ、2019年3月18日には、中国製品の加工貿易を念頭に、国民党が立法院に提出した「自由貿易経済特区条例」草案を支持する声明を他の国民党系県市長と共同で発表しています。

 ところで、韓市長は、就任当初、2020年の次期総統選には不出馬せず、市長としての任期を全うすると公約していましたが、熱心な支持者に押されるかたちで、当選からわずか半年後の2019年6月8日、国民党の公認候補を決める予備選挙への立候補を正式に表明。7月15日の予備選挙では“庶民総統”を掲げ、国民党の候補指名を獲得しました。

 この間、6月9日には、高雄市内で端午節のイベントに出席後、香港で発生した反送中デモに対する見解を求められた際に「よく知らない」と答えたことで批判を浴びたほか、6月30日にデング熱発症者が市内で確認された際にも市政府の初動の遅れが批判を受けていました。

 さらに、多発する市内の豪雨水害の発生直後に20時間ほど消息不明となったことで『神隠少女(日本のアニメ映画:千と千尋の神隠し)』と揶揄されるなど、市民からは、総統選不出馬の公約違反や失政の責任を問う声が上がるようになり、昨年6月末以降、一部では罷免のための署名運動が行われていました。

 こうした状況の下、2019年9月24日、市議会で定時閉会が可決されます。高雄市以外にも議会の定時閉会を定めている自治体はありますが、その場合でも、質疑順序についての抽選は実施するものの、質疑の人数を制限することは行われていません。ところが、高雄市では、市議会の定時(18時)閉会を目指す一環として、定数66に対して質疑に参加できる議員を2割以下の12人に限定したため、議会が猛反発。翌25日には、議員の権益を侵害しているとして行政法院への提訴に踏み切っています。

 このほかにも、国籍や性別をめぐる差別的な失言を繰り返していたこともあり、1月の総統選挙では再選を目指す蔡英文総統に惨敗。その後、市長に復職していましたが、香港問題やウイルス問題などの反中世論の高まりの中で、今回のリコール成立となりました。

 今後、台湾の公職人員選挙罷免法に基づき、正式な結果は投票終了後7日以内に選挙委員会によって公表されることになっており、韓氏は遅くとも12日までには市長職を解かれる見通しです。また、市長の“補欠選挙”は9月12日までに実施され、市長が決まるまでは行政院(内閣)から派遣される人が市長代理を務めることになっています。

 ちなみに、高雄の地名は、平埔族マカタオ族の言語で“竹林”を意味する集落“タアカウ社”がその起源で、もともと、漢字では“打狗(台湾語の発音はTáⁿ-káu, ターカウ)”と表記されていました。しかし、日本統治時代の1895年、“打狗”という文字が卑俗であるとして、台湾総督府が、内地の地名の中から、発音の近い“高雄”を選んで改称したという経緯があります。今回は、その原点に帰って、“中国の狗”とみなされた市長が打ちのめされたということになるんでしょうかね。
 

★★ 『みんな大好き陰謀論』 7月4日刊行! ★★

 7月4日付で、ビジネス社より、新作『みんな大好き陰謀論』が刊行の予定です。表紙デザインは現在制作中ですが、すでに、版元ドットコムのページもできているほか、アマゾンでの予約も始まりましたので、よろしくお願いします。


★★  内藤陽介の最新刊 『日韓基本条約』 ★★

      日韓基本条約・表紙 本体2000円+税

 出版社からのコメント
 混迷する日韓関係、その原点をあらためて読み直す!
 丁寧に読むといろいろ々発見があります。

 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 

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 WHO年次総会、台湾は参加できず
2020-05-19 Tue 01:31
 世界保健機関(WHO)の年次総会が、日本時間のきのう(18日)午後7時、オンライン会議形式で始まりましたが、新型コロナ対策で目覚ましい成果を上げている台湾のオブザーバー参加は、世界各国の要望にもかかわらず、認められませんでした。というわけで、台湾で発行されたWHO関連の切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      台湾・全球抗瘧

 これは、1962年4月7日、台湾が発行した“全球抗瘧(世界マラリア撲滅運動。瘧はマラリアの意)”の切手で、WHOの反マラリア運動のシンボルマークが描かれています。

 1948年に発足した世界保健機構(WHO)は、1955年から、世界各地でDDT散布を行うなど、大規模な“マラリア撲滅キャンペーン”を行っていました。それが一定の成果を上げたことから、WHOはさらなる啓発活動の一環として、加盟各国に対して、1962年4月7日(WHOの創立記念日)にキャンペーン切手を発行することを提唱。これを受けて、主として、熱帯・亜熱帯のマラリア被害の深刻な国地域でマラリア関係の切手が一斉に発行されました。今回ご紹介の切手もその1枚です。

 嘉義県付近を北回帰線が通ってる台湾は北部が亜熱帯、南部が熱帯に属しており、かつては深刻なマラリア被害に悩まされていました。

 1895年に日本の台湾統治が始まった当初、台湾総督府が衛生問題で最優先していたのは腺ペスト対策でしたが、海港検疫制度の整備により衛生事業が制度化され、1910年頃までには腺ペストの抑制に成功、これを受けて、以後、本格的なマラリア対策が始まりました。

 船舶を通した感染病の腺ペストの対策として港湾での検疫が重視されたのに対して、マラリア対策は、台北医専、台北帝国大学、中央研究所を拠点として、農村部や山間部での衛生事業が展開されました。なお、台湾でのマラリア対策から得られた知見は、1920年代には八重山のマラリア対策に導入されています。

 第二次大戦後は、日本時代の蓄積の上に、建物の壁に殺虫剤を散布する方式が普及。これにより、人を刺した蚊が殺虫剤のまかれた壁にとまって死ぬことが一般化し、1965年には、台湾はWHOからマラリアを根絶した国としての正式な認証を受けました。台湾は、この経験を活かして防疫外交を展開し、途上国のマラリア対策への協力で大きな成果を上げています。
 
 さて、今回の新型コロナウイルス問題では、台湾は早くから検疫強化やマスクの増産など、独自の新型コロナ対策を展開し、5月15日現在で感染者を計440人、死者7人に抑え込み、その取り組みは世界からも注目されています。したがって、本来であれば、WHOの年次総会では台湾の経験を各国が共有すべきなのが当然なのですが、中国は蔡英文政権を敵視し、2017年以降、「台湾は自国の領土」という理由で総会へのオブザーバー参加を認めないよう、WHO事務局に圧力をかけ続けてきました。

 特に、現在のWHO事務局長テドロス・アダノム・ゲブレイェソスは中国から巨額の支援を受けているエチオピアの出身で、2016年、中国の支持を受けて事務局長に当選。事務局長就任後も中国に“格別の配慮”を示してきました。今回の新型コロナウイルスを巡る対応でも、テドロスは中国への配慮や擁護を繰り返す発言を行い、結果としてウイルスの世界的な拡散を招いたとして世界中から批判されており、オンライン上の署名サイト Change.org ではテドロスの即時解任署名キャンペーンが1月31日から開始され、100万筆を超える署名が全世界から寄せられています。今回ご紹介の切手になぞらえるなら、“全球抗瘧”ならぬ“全球抗譚(テドロスの中国語表記は譚德塞)”ということになりましょうか。

 今回、台湾がWHOの年次総会に参加できなかったことについて、台湾の呉釗燮外交部長(外相)は、きのう午後の記者会見で「WHO事務局が中国の圧力に屈服し、2300万の台湾人の健康と人権を無視したことは極めて遺憾であり不満だ」と強く反発する一方、「台湾の友人、例えば、英国、フランス、ドイツ、その他の国々、特に日本は、台湾がWHOに参加できるように一生懸命努力してくれている」とも語っています。

 そろそろ、全世界は台湾の思いに応える時期が来ているのは誰の目にも明らかでしょう。


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 台湾から香港へのヘルメット提供、1000個超
2019-07-30 Tue 01:48
 中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正案をめぐる抗議活動が続いている香港のデモ参加者にヘルメットを届けようと、台湾で学ぶ香港人留学生が高雄市内で不要なヘルメットの提供を募っていた活動で、きのう(29日)までに、目標としていた500個の2倍以上となる1000個超のヘルメットが集まったそうです。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      台湾・限時専送

 これは、1960年に台湾で発行された“限時専送”用の切手で、夜間にバイクで郵便物を運ぶ配達員が描かれています。今回の台湾の人たちの素早い反応は、まさに、配達員が自分のヘルメットをそのまま寄付してきたというような感じにも思われたので、この切手を取り上げてみました。

 台湾では1949年以前から日本の速達郵便に相当する“快逓”のサービスが行われていましたが、1956年8月1日から、よりスピードアップした“限時専送”の制度が全国規模で導入されました。

 限時専送では、宜蘭を含む台湾本島西部の主要都市(臺北市基隆市、新北市板橋區、新北市三重區、桃園市、新竹市、竹北市、苗栗市、臺中市豐原區、臺中市、彰化市、南投市、斗六市、嘉義市、太保市、臺南市新營區、臺南市、高雄市、高雄市鳳山區、屏東市)間では翌日の14時までに、その他の地域では翌日中に、宜蘭を含む台湾本島西部=台湾島東部の花東地区(花蓮県と台東県)間、台湾本島=離島間では、11時までに差し出された分については翌日中、11時以降に差し出された分については翌々日中に郵便物が配達されるのが原則となっています。また、日中に不在で受け取ることができない書留郵便物などについては、限時郵件としての追加料金を支払うことで、当日22時以降の再配達が可能となっています。なお、台湾では通常の郵便物用の緑色のポストの隣に、限時郵件や外国郵便用の赤ポストが並べて置かれている光景がよく見られます。

 今回ご紹介の切手は、この制度の普及をはかるべく、1960年に発行されたもので、より早く宛先に郵便物を届けるため、配達員の背後に時計を描き、夜間22時を過ぎても配達業務が行われていることを強調しています。

 さて、高雄でのヘルメット募集は、香港でのデモ参加者が警察に頭部を殴打される姿に心を痛めた香港人留学生の林沛晞さんらが、第一線で抗議する人たちをどうにか助けたいと思い、今月27日にインターネット上で呼び掛けたもので、 同様の活動は、25日と28日に台北市内でも行われました。ヘルメットの募集が呼びかけられた背景には、バイクが交通手段として定着している台湾と異なり、香港ではバイクに乗る人が少なく、ヘルメットを売っている店も多くはないという事情があったとか。

 林さんらの呼びかけに対して、高雄メトロ(MRT)中央公園駅前には、多くのヘルメットが集まったほか、10万台湾元(約35万円)を超える現金の寄付も寄せられ、林さんらは高雄市民の熱意と気遣いに感謝するとともに、「きょうの香港は、あすの台湾」として、より多くの台湾人に香港のデモを支持してほしいとも訴えたそうです。


★ 8月2日(金) 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★

 8月2日(金)05:00~  文化放送で放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


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 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。

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 烏來觀光台車、運転再開
2017-08-27 Sun 11:40
 2015年の蘇迪勒台風(平成27年台風第13号)以来運休が続いていた、台湾・新北市の烏來觀光台車(烏來観光トロッコ)の試験運転が、きのう(26日)から再開されました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      台湾・烏來瀑布

 これは、1961年に台湾が発行した烏來瀑布の切手です。

 烏來は、台湾の先住民、タイヤル人の言葉で“沸騰の水”を意味する“ウライ”が地名の由来で、台北市中心部から1時間余りで行ける温泉地として知られています。ながらく台北県の管轄でしたが、2010年12月25日に台北県が新北市に改編されたことに伴い、現在は新北市烏来区に改編されています。

 烏來觀光台車は、烏来=瀑布の2駅間、約1.6 km の区間を運行する観光用の軽便鉄道で、日本統治時代の1928年、三井合名株式会社によって敷設され、当初は、木材の運搬を主とする人車軌道として運営されていました。木材運搬の他、温泉地への観光客の送迎も兼ねていましたが、1963年に観光用トロッコに転換され、翌1964年には複線化されました。今回ご紹介の切手に描かれた烏來瀑布は台湾最大級の滝で、落差は82m。烏來觀光台車の瀑布駅は、その名の通り、滝の正面にあり、そこからロープウェイで滝の上に上ることも可能です。

 さて、2015年の蘇迪勒台風は、8月8日早朝に台湾東部の花蓮県秀林郷に上陸したのち、台湾中部を横断。宜蘭県では総雨量が1200ミリ以上となるなどして、各地で洪水や土石流が発生し、死者5名、行方不明者5名、負傷者は少なくとも185名を数えるなど、甚大な被害をもたらし、烏來觀光台車も壊滅的な打撃を受けました。烏來觀光台車の復旧工事は、ことし6月にようやく完了し、関連の確認・整備作業などを経て、今回の試験運転再開となりました。

 地元では、運転再開が観光振興につながるとの期待も大きく、9月末までの試験運転期間中は、30NTドル(約110 円)の割引運賃で乗車できるそうです。


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  ★★★ 

 8月24日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第7回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、9月7日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、24日放送分につきましては、8月31日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。


 ★★★ トークイベントのご案内  ★★★ 

      タウンミーティング in 福山

  2017年9月17日(日) 14:00~、広島県立ふくやま産業交流館で開催の「日本のこころタウンミ-ティング in 福山」に憲政史家の倉山満さんとトークイベントをやります。お近くの方は、ぜひ、ご参加ください。なお、イベントそのものの詳細は、こちらをご覧ください。
      
 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 <PHILATAIPEI 2016>終了
2016-10-26 Wed 17:36
 早いもので、21日に始まった世界切手展<PHILATAIPEI 2016>は、さきほど無事に終了しました。明朝の日本航空(JAL)で台北を発ち、東京に戻る予定です。というわけで、無事の帰国を願って、毎度恒例、2都市間のエアメールの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      台北・羽田FFC

 これは、1959年8月1日、台北から羽田宛のJALの初飛行カバー(FFC)で、8月1日の午前9時に台北を出発し、午後4-6時に羽田に到着しています。

 第二次大戦後のJALの国際線は、1953年11月、羽田=ホノルル=サンフランシスコ線の運航から始まります。東京=台北線に関しては、1959年7月30日、DC-6B型機で東京を出発したのが第一便で、今回ご紹介のカバーは、台北からの復路に搭載されていたモノということになります。

 なお、JALの東京=台北線は、1972年9月の日本と中華人民共和国との国交樹立に伴って結ばれた日中航空協定に、「中華人民共和国に乗り入れする航空会社は中華民国に乗り入れてはならない」との規定があったため、1974年4月にいったん廃止されてしまいます。しかし、現実の問題として日台間の航空路線を廃止してしまうことはできないので、1975年8月、別会社の日本アジア航空が設立され、同年9月からは同社に移管されたダグラスDC-8-53により運航が開始されました。

 その後、2007年に、日本側の対台湾の窓口である財団法人交流協会と、台湾側の亜東関係協会が、日本=台湾路線の直接運航を認めることを確認。これを受けて、2008年4月、日本アジア航空は日本航空インターナショナルと統合され、現在に至っています。

 さて、今回の切手展では、コミッショナーの岩崎善太さん、アシスタント・コミッショナーの藤井堂太さん、審査員の佐藤浩一さん、大原敏正さんをはじめ、多くの方々にいろいろとお世話になりました。おかげさまで、いろいろと実りの多い滞在となりました。その成果につきましては、追々、皆様にもご報告して参りますが、まずは、現地滞在中、お世話になった全ての方々に、この場をお借りしてお礼申し上げます。

 なお、あすの昼過ぎには羽田に到着の予定です。無事に帰国しましたら、すぐにそのまま、平常通り仕事をするつもりですので、内藤の不在によりご不便・ご迷惑をおかけしている皆様におかれましては、今しばらくお待ちくださいますよう、伏してお願い申し上げます。


★★★ イヴェントのご案内 ★★★

 10月29日(土) 13:45-15:15 ヴィジュアルメディアから歴史を読み解く

 本とアートの産直市@高円寺フェス2016内・会場イヴェントスペースにて、長谷川怜・広中一成両氏と3人で、トークイヴェントをやります。入場無料ですので、よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。(本とアートの産直市@高円寺については、主催者HPをご覧ください)


★★★ 講座のご案内 ★★★

 11月17日(木) 10:30-12:00、東京・竹橋の毎日文化センターにてユダヤとアメリカと題する一日講座を行います。詳細は講座名をクリックしてご覧ください。ぜひ、よろしくお願いします。 
 

★★★ ブラジル大使館推薦! 内藤陽介の『リオデジャネイロ歴史紀行』  ★★★ 

       リオデジャネイロ歴史紀行(書影) 2700円+税

 【出版元より】
 オリンピック開催地の意外な深さをじっくり紹介
 リオデジャネイロの複雑な歴史や街並みを、切手や葉書、写真等でわかりやすく解説。
 美しい景色とウンチク満載の異色の歴史紀行!
 発売元の特設サイトはこちらです。

 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

       リオデジャネイロ歴史紀行(東京新聞)


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 三合会のボス
2014-10-13 Mon 23:38
 香港で、きょう(13日)、金鐘(アドミラルティ)地区を占拠していた民主派のデモ隊に対してマスクをした数十人の集団が突進。デモ隊側ともみ合いになり、香港警察は集団のうち2人を取り押さえる騒ぎがありました。 香港の民主派デモでは先日、旺角(モンコック)地区のデモ会場が“三合会”の総称で知られる犯罪組織の構成員らから襲撃される騒ぎが起きており、今回のマスク集団も三合会の関与が疑われています。というわけで、三合会といえば、この人でしょうか。

      鄭士良

 これは、1971年に台湾で発行された鄭士良の切手です。

 鄭は、清末の1863年、廣東省恵陽生まれ。早いうちにキリスト教に入信し、廣州礼賢学校で学んだ後、米国人宣教師が廣州で経営する博済医院付属の医科学校に入学し孫文の同級生となりました。その後、孫文は香港の西医書院(現・香港大学医学部)を卒業して1892年にマカオで医師として開業するのですが、この間も鄭との交流は続いており、彼らは、清朝政府を公然と批判し、当時、“四大寇”(4人の悪党)”に数えられていました。

 ところで、香港の三合会は、アヘン戦争後まもない1840年代初頭には成立していたと考えられています。いわゆる黒社会と呼ばれる犯罪組織ですが、三合会というのは、特定の団体のことを指しているというよりは、さまざまな組織・団体の集合名詞として用いられるのが一般的です。清朝の衰退が顕著になると、清朝に抵抗する革命運動とも結びつきを強め、理念としては、漢民族の復権と満州族の排斥、清朝の打倒等を掲げていました。

 今回ご紹介の切手に取り上げられている鄭士良は、その廣州支部長ともいうべき立場の人物で、医科学校卒業後は、淡水墟に同生薬房を開設し、そこを隠れ蓑にして武装蜂起の準備に参加。1895年には、香港で興中会支部を組織し、廣州での武装蜂起を計画しましたが、このときは事前に計画が漏洩し、未遂に終わっています。

 その後、1899年には興漢会設立に参加。1900年6月、義和団事件で北京が八カ国連合軍に占拠されると、10月、混乱に乗じて恵州三洲田で武装蜂起し、一時は新安、大鵬、平山を占拠しましたが、物資提供を約束していた日本政府の方針転換があって武器弾薬と食糧の調達が不可能となり、革命軍を解散して自らも香港への逃亡を余儀なくされました。1901年8月、香港で脳卒中により没。

 1911年の辛亥革命で清朝が倒れ、孫文ではなく袁世凱の北洋軍閥が中国大陸を掌握した後も、三合会は活動を継続していましたが、1949年、中国史上最強のマフィア組織ともいうべき中国共産党が大陸の大半を掌握すると、香港・マカオに活動の拠点を移して滑動していました。

 なお、三合会をはじめ、香港・マカオの黒社会については、以前、カジノ利権との絡みで拙著『マカオ紀行』でもその概要をまとめてみたことがありますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ インターネット放送出演のご案内 ★★★

      チャンネルくらら写真

 インターネット放送・チャンネルくららにて、10月8日より、内藤がレギュラー出演する新番組「切手で辿る韓国現代史」が毎週水曜日に配信となります。青字をクリックし、番組を選択していただくとYoutube にて無料でご覧になれますので、よろしかったら、ぜひ、ご覧ください。(画像は収録風景で、右側に座っているのが主宰者の倉山満さんです)
 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 10月から、毎月1回(原則第1火曜日:10月7日、11月4日、1月6日、2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(詳細はそれぞれ講座名をクリックしてください)

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 初回開催は10月7日で、講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

 お待たせしました。約1年ぶりの新作です!

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 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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 台湾の青年節
2014-03-29 Sat 11:32
 きょう(29日)は台湾の青年節です。というわけで、ストレートにこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       台湾・青年節(1954)

 これは、いまからちょうど60年前の1954年3月29日に台湾で発行された“第11回青年節”の記念切手です。

 台湾の青年節は、もともとは、1911年の反清武装蜂起の“黄花崗起義”を記念して、“革命先烈紀念日”とされていました。

 清末の1910年11月13日、マレー半島のペナン島に、孫文、趙声、黄興、胡漢民、鄧沢如らが集まり、革命組織であった中国同盟会として、広州で反清武装決起することを決定します。

 これを受けて、1911年1月、黄興、趙声、胡漢民は香港に統籌部を設立して武装蜂起の準備を進めました。計画では、4月13日に38の秘密組織が一斉に蜂起することになっていましたが、同盟会員の温生が先走って4月8日に単独行動を起こし、広州将軍・孚琦を殺害。また、同盟会側の弾薬が輸送途中で清朝に押収されたことより、計画は変更を余儀なくされ、4月23日、黄興ひきいる800名の決死隊が両広総督衙門、小北門、巡警教練所、守南大門への攻撃を開始しました。

 しかし、市街戦の末、同盟会側は86名の死者(当初は72名とされていたため、革命72烈士の名で呼ばれています)を出して敗退。黄興は広州から脱出しました。

 このときの烈士たちを顕彰するための革命先烈紀念日は、“黄花崗起義”が起きた1911年4月23日が旧暦の3月29日に当たっていたことから、新暦の3月29日に設定されましたが、1949年に国民党政府が台湾に遷移した後、青年節と改められました。

 その後、1952年3月29日、蔣介石は青年節演説の中で青年組織の設立を提唱。これを受けて、同年10月31日、中国青年反共救国団籌組原則が公布され、準備期間の後、1954年の青年節を期して“中国青年反共救国団”の結成大会が行われました。前年の第10回の記念切手が発行されず、第11回という半端な年回りながら今回ご紹介の切手が発行されているのは、そうした事情によるものです。なお、切手は一見すると、単にマラソンをしている若者という風にしか見えないのですが、郵政当局の説明によると、黄花崗の記念碑を背景に反共のために戦う若者を描いているのだそうです。

 さて、現在の台湾では、馬英九政権が昨年、中国と調印した“サービス貿易協定”の承認に反対する学生が立法院(国会)議場を占拠し続けています。同協定の内容は、中国側が金融や医療など80分野を、台湾側が運輸や美容など64分野を開放するという内容ですが、協定が発効すれば中国の資本と労働者が大挙して台湾に流入し、台湾の弱小企業が打撃を受け就職機会が奪われ、中国にのみ込まれる可能性が高いと指摘されています。また、協定では出版・印刷の市場も開放されるため、資本の論理によって中国側が台湾のメディアを制圧し、彼らが望む形での“統一”を進めるためのプロパガンダ、さらには、事実上の言論統制が行われるのはほぼ確実と見られています。

 こうしたことから、サービス貿易協定に関しては、最大野党の民主進歩党を中心に反発の動きが出ていましたが、与党の中国国民党は、“時間切れ”として審議を一方的に打ち切り、十分に話し合うことなく、強引に協定の同意を進めようとしたため、これに怒った学生たちが「台湾の民主主義を救うため」として行動を起こしたというわけです。

 もちろん、中国とのサービス貿易協定を結んだ結果として、台湾が中国に併合されることを、ほかならぬ台湾の人々が望んでいるというのであれば、外国人である僕がとやかく言うべき筋合いはありません。しかし、歴史的に見て、中国と台湾はまったく別個の存在であり、曲がりなりにも自由と民主主義を享受している台湾が、現状ではアジア最悪のファシスト国家である中華人民共和国に併呑されるのは何としても避けたいというのであれば、東日本大震災の時に台湾の人たちが示してくれた温情に報いるためにも、彼らを応援すべきではないかと思います。少なくとも、中国の天安門事件のときのように、彼らを“烈士”(弾圧の犠牲者)にしてしまうことのないように、国際社会はきっちりと見守っていく必要があります。

 なお、少し先の話ですが、5月15日、よみうりカルチャー北千住にて、よみうりカルチャーと台湾文化部の共催による“台湾文化を学ぶ講座”の一コマとして、「切手が語る台湾の歴史」という講演をやります。

 切手と郵便はその地域の実効支配者を示すシンボルでした。この点において、台湾は非常に興味深い対象です。それは、最初に近代郵便制度が導入された清末から現在に至るまで、台湾では一貫して、中国本土とは別の切手が用いられてきたからです。今回の講演では、こうした視点から、“中国”の外に置かれてきた台湾(史)の視点について、切手や郵便物を題材にお話しする予定です。

 参加費は無料ですが、事前に、北千住センター(03-3870-2061)まで、電話でのご予約が必要となります。よろしかったら、ぜひ、1人でも多くの方にご来駕いただけると幸いです。


 ★★★ ポスタル・メディアと朝鮮戦争 ★★★

 4月19日(土)14:00から、東京・水道橋の日本大学法学部三崎町キャンパス3号館2階・326講堂にて開催のメディア史研究会月例会にて、昨年(2013年)夏、バンコクで開催された世界切手展<Thailand 2013>に出品した“Korea and the Cold War 1945-1953”の内容を中心に、切手や郵便物などによって朝鮮戦争とその時代を再構成しようとする試みについてお話しします。

 なお、メディア史研究会はまったく自由な研究会で、会員以外の方でも気楽にご参加いただけますので(もちろん、無料)、よろしかったら、ぜひ、遊びに来てください。


 ★★★ 講座「世界紀行~月一回の諸国漫郵」のご案内 ★★★ 

亀戸講座(2014前期)・広告

 東京・江東区亀戸文化センターで、5月から毎月1回、世界旅行の気分で楽しく受講できる紀行講座がスタートします。美しい風景写真とともに、郵便資料や切手から歴史・政治背景を簡単に解説します。受講のお楽しみに、毎回、おすすめの写真からお好きなものを絵葉書にしてプレゼントします!

 詳細は、こちらをご覧ください。


 ★★★ 文京生涯カレッジ(第13期)のご案内 ★★★

 文京学院大学が一般向け(=どなたでも受講できます)にさまざまな講師を招いて行う通年の教養講座「文京生涯カレッジ」の第13期が4月15日から始まります。僕も、7月15・22日に「バスコ・ダ・ガマのインドを歩く」、9月9日に「ドバイ歴史紀行」のお題で登場します。詳細はこちらですので、よろしかったら、ぜひご覧ください。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

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 台湾総統府に大型トラック突入
2014-01-25 Sat 23:42
 きょう(25日)早朝、台北市にある台湾総統府の正門に大型トラックが突っ込み、運転していた男が重傷を負って病院に搬送されるという事件がありました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       台湾総統府100円

 これは、1958年9月20日に台湾で発行された額面100円の普通切手で、台湾総統府が描かれています。今回の事件では、トラックは車止めや階段を上って、正面のアーチ形入口の部分に突入しており、警察では、トラックを運転していた男が意図的な犯行に及んだものとみて捜査を進めているそうです。なお、事件当時、馬英九総統はサントメ・プリンシペに外遊中で不在だったそうです。

 さて、日本統治時代の台湾総督府の庁舎は、当初は、清朝時代の布政使衙門が接収されて用いられていましたが、1907年、新庁舎の設計案が公募されています。そして、審査の結果、1909年、第二等(第一等は該当作なし)となった長野宇平治(辰野金吾の高弟で早稲田大学教授。後に日本建築士会初代会長)の作品をもとに、台湾総督府営繕課の技師、森山松之助が大幅に修正を施して、1916年、赤レンガ造りの新庁舎が竣工し、1919年から現在の建物が使用されることになりました。

 新庁舎は東向き、すなわち、日本の方向を向いて建っており、上空から見ると“日”の字の構造となっているのが特徴です。正面入り口は東側の中央にあり、高さ60メートルの中央塔には台湾初のエレベーターが設置され、塔からは台北市街が一望できました。

 総督府の庁舎は、第二次大戦中、米軍の空襲によって中央塔以下をかなりの損害を受けましたが、その後改修され、1949年に国民党政権が台湾に遷移した後は、総統府として使用されるようになりました。

 現在、台湾の総統府は歴史的建造物として、1階部分はツアー形式での見学が可能です。以前、台湾を旅行した際には僕も参加してみたのですが、日本時代を知るボランティアのお年寄りが、「日本時代は本当によかった。蒋介石父子の時代は暗黒時代だった。李登輝さんの時代にようやくまともになった。台湾の人間は人が良いから、しっかりしないと(大陸の)シナ人に騙されてばかりだ。」という趣旨のことをさかんに語ってくれたのが、印象的で今でも鮮明に覚えています。

 今回、突っ込んできた男にどういう動機があったか知りませんが、なんにせよ、日本統治時代の貴重な歴史的遺産を破壊するような暴挙には怒りを感じますな。妙な政治的背景がなければいいのですが、あったらあったで、徹底的に追及して、しかるべき処罰を下していただきたいものです。


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 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は2月4日(原則第1火曜日)で、ついで、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

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 日台断交40年
2012-09-29 Sat 22:45
 1972年9月29日、日本が中華人民共和国と国交を樹立した結果、それまでの友好国であった中華民国(以下、台湾)と国交を断絶してから、きょうで40年です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       莊敬自強

 これは、1972年5月20日、台湾で発行された普通切手で、"莊敬自強"のスローガンが大きく取り上げられています。

 1971年6月15日、台湾の国際的地位が大きく揺らぎつつある中で、中華民国総統・蔣介石は国家安全会議で「わが国の立場と国民の精神」と題する訓示を発表。「国家民族の前途に対し、われわれは自主独立の既定原則をもっている。大陸光復はわれわれが奮闘堅持する第一目標であり、断じてその他の第二義的問題のためにこの第一目標を中共に利用されてはならない」さらに「われわれは反共の信念を保持し、また反共の勇気を堅持し、自由と正義への奮闘を続けなければならない。国家の運命はわれわれ自身の手中にあり、世界の安危もまたわれわれの手中に握られている」と国民に訴えました。

 さらに、同年10月25日、Chinaとしての国連の代表権が台湾から剥奪されると、同日夜、蔣介石は「全国同胞に告ぐ書」を発表。「国内外同胞は一時的な局政の変化に惑わされることなく、正確な方向をしっかり把握し、誠心を込めて団結しなければならない。そうすれば、険悪な形勢の中でますます奮起することができるし、また、大陸同胞の救出、大陸の収復に奮闘を継続することができる」と激励しました。これが、“莊敬自強 處變不驚(恭しく自らを強め、状況の変化に驚くことなかれ)”として、台湾の国家スローガンになり、切手にも取り上げられたというわけです。

 1972年9月の中華人民共和国との国交樹立は、台湾が国連の代表権を失ったことを受けて、同年発足した田中角栄内閣が内閣発足直後の勢いに乗って行ったものですが、この結果、日本政府は、それまで、日本と台湾の外交関係の基礎となっていた「日本国と中華民国との間の平和条約(日華条約、または日華平和条約)」を一方的に“終了した”と宣言。両国の国交は断絶しましす。

 日華条約は、1952年4月28日、サンフランシスコ平和条約発効の7時間30分前に台北で調印されました。同条約では、日中間の戦争状態の終了(第1条)、台湾における日本の領土権の放棄(第2条)などを定め、その条約議定書では、「中華民国は日本国民に対する寛厚と善意の表徴として、日本国が提供すべき役務の利益(賠償)を自発的に放棄する」との文言もありました。国際法上、何ら問題のない正当な条約で、台湾側に何の落ち度がなかったにもかかわらず、これを一方的に破棄してしまったことは、日本の外交史上、痛恨の汚点と言ってよいでしょう。

 ことしは、日中国交正常化40年ということで、さまざまな記念行事が企画されていたものの、中華人民共和国による尖閣侵略と中国大陸での反日テロの横行により、中止が相次いでいます。それなら、中止された行事に代わるものとして、40年前、わが国が一方的に断交するという非礼を働いていながら、現在なお、わが国に対する友好を維持してくれている台湾に対して、40年前の非礼を詫び、彼らの真の友情に感謝するイベントを大々的に行ったらいかがでしょう。少なくとも、歴史的事実としては荒唐無稽なデタラメを持ちだしてきて謝罪と賠償を要求する国々の無理難題に唯々諾々と従うよりも、よっぽど、筋が通っていると考えるのは僕だけでないと思います。


 ★★★ 内藤陽介、カルチャーセンターに登場 ★★★
   
 10月から、下記の通り、首都圏各地のよみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)で8月の韓国取材で仕入れたネタを交えながら、一般向けの教養講座を担当します。詳細につきましては、青色太字をクリックしてご覧いただけると幸いです。皆様のご参加を心よりお待ちしております。(掲載は開催日順)

 T-moneyで歩くソウル歴史散歩 
・よみうりカルチャー荻窪
 10月2日、10月30日、12月4日、1月29日、2月5日、3月5日 13:00-14:30

 * 10月2日は公開講座として、お試し聴講も可能です。
 
・よみうりカルチャー北千住
 10月17日、12月19日、1月16日、2月20日、3月20日 13:00-15:00


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 歴史の舞台裏で飛び交った切手たち
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 台湾総統選挙は現職が勝利
2012-01-15 Sun 19:27
 きのう(14日)、投開票が行われた台湾の総統選挙は、(多くの日本国民の期待むなしく)現職の馬英九が再選を果たしました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        台湾単位票カバー

 これは、中国国民政府(国府)が台湾に撤退(彼らの用語でいう“遷移”)した直後の1949年12月に台湾の麻豆から差し出されたカバーで、“限臺灣省貼用”加刷の単位票が貼られています。

 1945年10月、国府は台湾を接収しましたが、この時点では、日本統治時代の旧台湾銀行券(日本円と等価)が通貨として流通していました。このため国府は、1946年に旧台湾銀行と台湾貯蓄銀行、三和銀行を接収・合併し、新たに台湾省営の“台湾銀行”を設立し、同年5月22日から、旧台湾銀行券と等価の“台幣”(1949年6月以降の“新台幣”と区別して“旧台幣”と呼ばれます)を発行・流通させます。ただし、住民の間では台幣よりも旧台銀券に対する信用が厚く、旧台銀券から台幣への交換はスムースには進みませんでした。

 そもそも、国府が大陸で使用していた法幣(国府の法定通貨)を台湾で流通させず、旧台幣を発行した背景には、日中戦争が終結するや国共内戦が再燃するという混乱の中で、大陸経済が極端に疲弊し、法幣の信用が失墜していたという事情があります。国府にしてみれば、自らの戦後復興ならびに共産党との内戦の資金源として、新たに獲得した台湾の価値を維持しておくためには、台湾を大陸の経済的混乱から隔離しなければならず、台湾内で法幣を流通させるわけにはいかなかったのです。

 1947年末まで、法幣と旧台幣の交換は年に数回の調整を行う固定相場制でしたが、1948年1月以降、両者は変動相場制に移行します。この間、法幣と旧台幣の交換相場は、台湾からの“輸入”を有利に進めたい国府の政策的措置により、一貫して、実際の経済力に比べて旧台幣の価値を過小評価したものとなっていました。この結果、国共内戦による大陸のハイパーインフレは台湾経済を直撃することになります。

 さらに、1948年8月、大陸ではついに法幣制度が破綻し、国府は新通貨として金円を発行。混乱の中で、大陸からの逃避資金が台湾に流入し、台湾のインフレはますます加速していきます。

 そして、共産党との戦いに敗走を続ける国府の台湾移転が現実のものとなりつつあった1949年6月15日、台湾省政府は「台湾省幣制改革法案」、「新台幣発行弁法」を布告し、旧台幣4万円を新台幣1円とするデノミネーションを実施。当初の建前では、新台幣はあくまでも、国家の正式通貨ではなく、台湾に限定した地域通貨という位置づけでしたから、国府としても大陸とは別に新台幣に対応する額面の切手を発行する必要がありました。

 しかし、新切手を企画し、準備している間にもインフレは昂進を重ね、新額面の切手を用意することもままならないというのが実情であったため、1949年10月16日に発行された新台幣対応の新切手には、額面の表示はなされず、国内普通郵便用、速達用など用途のみが記され、その都度、利用者には窓口で対応する料金で販売されています。今回ご紹介のカバーの切手は、こうした状況に対応して発行された“単位票”の1種で、“国内信函費 毎重二十公分”(20グラムごとの国内書状料金)と表示されています。

 ところで、1949年4月23日の首都・南京の陥落以来、国府は広州、重慶、成都を転々としていましたが、11月4日、台北を臨時首都とすることを決議。7日に中央政府の台北移転を正式に決定し、11日までに政府ならびに国民党中央の移転が完了しました。今回ご紹介のカバーは、こうした国府の遷移直後に上述の単位票の使用例です。

 この間、10月17日には人民解放軍が厦門島を占領し、対岸の金門島にも攻撃を仕掛けましたが、国府側はこれを撃退。福建省沿岸の金門島・馬祖島ならびに浙江省沿岸の大陳列島を確保することによって、かろうじて台湾省に限定されない“中国政府”としての体面を保ち、台湾を拠点に“大陸反攻”を呼号していくことになります。

 とはいえ、大局的に見れば、中共が台湾を“解放”することは時間の問題と考えられており、米国も台湾の共産化やむなしと覚悟していました。

 ところが、1950年6月、朝鮮戦争が勃発すると事態は一変。トルーマン政権は共産軍による台湾解放を阻止するため第七艦隊を台湾に派遣するとともに、国府に対しても“大陸反攻”の停止を要求しました。いわゆる台湾海峡中立化宣言です。

 米国が台湾海峡の中立化を志向したのは、国際法上の台湾の地位が未確定であり、それゆえ、台湾の帰属に関しては「太平洋における安全保障の回復、対日講和条約の締結、ないしは国連による検討を待つべき」であるとの判断によるものです。

 あらためていうまでもないことですが、領土の割譲・移転は当事国間による正式の条約締結がなければ、国際法上は無効です。この点において、第二次大戦中、連合国によって発せられたカイロ宣言やポツダム宣言は、敗戦後の日本に台湾を中国に返還させるという戦後処理の方針を示したものでしかなく、道義的・政治的な責任はともかくとして、国際法上の拘束力は一ありません。よって、日本の敗戦後、国府が台湾に進駐し、日本軍を武装解除したのも、あくまでも便宜的ないしは暫定的な措置でしかないのです。

 さらに、1951年9月に調印され、翌1952年4月に発効した講和条約では「日本は台湾、澎湖諸島に対するすべての権利、権限および請求権を放棄すべし」との規定(第二条B項)はありましたが、その後の台湾の帰属については何ら規定がなく、未確定のまま放置されています。また、講和条約の発効を待って日本と国府の間で結ばれた日華平和条約でも、すでに台湾の領有権を放棄した日本は台湾の帰属について言及しないとの立場をとっており、以後現在にいたるまで、これが日本政府の公式見解となっています。

 これに対して、大陸の中国共産党政権は倦むことなく“一つの中国論”を持ち出していますが、大半の国では台湾の帰属については法的に未定という姿勢をとっており、現在にいたるまで「台湾は中国の領土の不可分の一部である」との主張をそのまま承認しているのは全体としてごく少数でしかありません。

 さて、今回、総統選挙で再選された馬英九は、選挙期間中、「“一つの中国”を“中台双方が独自解釈する”という条件付きで認める」との姿勢を示していましたが、今まで縷々述べてきたように、そもそも“一つの中国”論は、勝手な思い込みでしかありません。

 もちろん、台湾の将来については台湾の人々の意思によって決められるべきで、彼らがそうした“一つの中国”論を信奉しているというのであれば、もはや僕がとやかく言うべき筋合いはないのですが、彼らの意に沿わない形での“中国”への併呑という事態が生じることになれば、話は全く別です。そうしたことも踏まえ、われわれ日本はもっとも身近な友好国を今後ともサポートしていくべきではないかと思います。


 * 第3回テーマティク出品者の会ミニペックスは、本日夕方、無事終了いたしました。ご参観いただきました皆様並びに関係者の方々には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。

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 台湾の独自性⑦
2009-08-10 Mon 14:55
 ご報告が遅くなりましたが、雑誌『東亜』の2009年8月号ができあがりました。3ヶ月に1回のペースで僕が担当している連載「郵便切手の歴史に見る台湾の独自性」では、今回は国府の台湾遷移の話を取り上げましたので、その中から、こんなマテリアルをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

 遷移直後の加刷切手

 これは、国府の台湾遷移直後の1949年12月12日に発行された切手で、もともとは、満洲国崩壊後の東北部で使用するための切手が持ち込まれ、台幣で5分切手とする旨の加刷が施されています。

 1949年4月23日の首都・南京の陥落以来、国府は広州、重慶、成都を転々としていましたが、11月4日、台北を臨時首都とすることを決議。7日に中央政府の台北移転を正式に決定し、11日までに政府ならびに国民党中央の移転が完了しました。

 この間、10月17日には人民解放軍が厦門島を占領し、対岸の金門島にも攻撃を仕掛けましたが、国府側はこれを撃退。福建省沿岸の金門島・馬祖島ならびに浙江省沿岸の大陳列島を確保することによって、かろうじて台湾省に限定されない“中国政府”としての体面を保ち、台湾を拠点に“大陸反攻”を呼号していくことになります。

 とはいえ、大局的に見れば、中共が台湾を“解放”することは時間の問題と考えられており、米国も台湾の共産化やむなしと覚悟していました。

 ところが、1950年6月、朝鮮戦争が勃発すると事態は一変。トルーマン政権は共産軍による台湾解放を阻止するため第七艦隊を台湾に派遣するとともに、国府に対しても“大陸反攻”の停止を要求します。いわゆる台湾海峡中立化宣言です。

 米国が台湾海峡の中立化を志向したのは、国際法上の台湾の地位が未確定であり、それゆえ、台湾の帰属に関しては「太平洋における安全保障の回復、対日講和条約の締結、ないしは国連による検討を待つべき」であるとの判断によるものでした。

 あらためていうまでもないことですが、領土の割譲・移転は当事国間による正式の条約締結がなければ、国際法上は無効です。この点において、第二次大戦中、連合国によって発せられたカイロ宣言やポツダム宣言は、敗戦後の日本に台湾を中国に返還させるという戦後処理の方針を示したものでしかなく、道義的・政治的な責任はともかくとして、国際法上の拘束力は一切ありません。よって、日本の敗戦後、国府が台湾に進駐し、日本軍を武装解除したのも、あくまでも便宜的ないしは暫定的な措置でしかないのです。

 さらに、1951年9月に調印され、翌1952年4月に発効した対日講和条約では「日本は台湾、澎湖諸島に対するすべての権利、権限および請求権を放棄すべし」との規定(第2条B項)はありますが、その後の台湾の帰属については何ら規定がなく、未確定のまま放置されています。また、講和条約の発効を待って日本と国府の間で結ばれた日華平和条約でも、すでに台湾の領有権を放棄した日本は台湾の帰属について言及しないとの立場をとっており、以後現在にいたるまで、これが日本政府の公式見解です。

 東西冷戦という国際環境の中で、共産主義封じ込めを国是としていた米国にとっては、共産中国に対する前線基地としての台湾を確保することが重要なのであって、その意味では、台湾島の帰属問題は棚上げにして、台湾と大陸に別個の政権が存在することこそが好都合であり、対日講和条約や日華平和条約もそうした文脈から考案されたものでしかありませんでした。

 かくして、台湾と大陸に併存することになった二つの“中国”は、それぞれ、別個の切手を発行していくことになります。ちなみに、1971年に中共は国府に代わって国連の代表権を獲得し、以後、国際社会は中共を中国の正統政権として承認せざるを得なくなりました。その後も中共は倦むことなく“一つの中国論”を持ち出していますが、大半の国では台湾の帰属については法的に未定という姿勢をとっており、現在にいたるまで「台湾は中国の領土の不可分の一部である」との主張をそのまま承認しているのは全体としてごく少数でしかありません。


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 白衣観音
2009-03-14 Sat 18:09
 きょうは“ホワイト・デイ”。というわけで、現在制作中の『切手が伝える仏像:意匠と歴史』(仮題)で使う予定の切手の中から、“白”に絡めてこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 基隆観音

 これは、1974年に台湾で発行された“台湾風景”の1枚で、基隆の中正公園にある高さ22.5mの白衣観音像が取り上げられています。

 『法華経』では、観世音菩薩はあまねく衆生を救うために相手に応じて33の姿に変化すると説かれています。このため、観音像には基本となる聖観音のほか、6-7世紀頃から変化観音と呼ばれるさまざまなヴァリエーションが発生しました。

 その一つである白衣観音は白処尊・大白衣観音とも呼ばれており、日本でも高崎や大船の大観音が有名です。天変の時に修する天台密教の修法『大白衣法』の本尊とされているほか、観音諸尊を生んだ観音の母にして阿弥陀如来の妻とも考えられています。また、禅宗で好まれた観音でもあります。

 切手に取り上げられた中正公園の観音像は台湾5大仏の3番目で、内部は5階建ての展望台になっており、はしごで登っていくと、基隆港と市街の全景を眺められる観光スポットとなっています。

 さて、僕の次回作、『切手が伝える仏像:意匠と歴史』(仮題)ですが、すでに本文の原稿は完成しており、4月の刊行を目指して、現在、追い込みの作業に入っています。正式な発行日などが決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いいたします。


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 1月15日付『夕刊フジ』の「ぴいぷる」欄に『年賀切手』の著者インタビュー(右上の画像:山内和彦さん撮影)が掲載されました。記事はこちらでお読みいただけます。
 
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 そう美麗ではない女性と亀
2008-10-23 Thu 21:51
 蒋介石夫人の宋美齢が2003年10月23日に亡くなってから、ちょうど5年が経ちました。というわけで、きょうはこんな切手をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 宋美齢

 これは、1960年、台湾で発行された“中華婦女反共抗俄(=反ソ)聯合会10周年”の記念切手で、同会の創立者として宋美齢の肖像が取り上げられています。

 宋美齢は、1897年に上海で生まれたといわれています。父は孫文の支援者として知られる浙江財閥の創始者でキリスト教徒の宋嘉樹。姉の宋靄齢は孔祥熙の妻、宋慶齢は孫文の妻で、“宋氏(家)三姉妹”としても有名です。

 9歳のときにアメリカに留学し、その後マサチューセッツ州にある名門女子大学のウェルズリー大学に入学し、1917年に卒業。宋美齢は“そう美麗ではない”が、英語だけは綺麗だといわれるのはこのためで、蒋介石との結婚後、彼女の流暢な英語は、英語のできない蒋の“通訳”兼国民政府の対外スポークスウーマンとして活動する上で、大いに役立つことになります。

 ところで、蒋介石と宋美齢の結婚はお互いの打算の産物だったことは広く知られています。

 まず、蒋介石の側ですが、孫文の跡目を継ぎたかった彼は、最初、孫文の未亡人であった宋慶齢に求婚しています。ところが、きっぱりと拒絶されたため、あっさりと妹の美齢に乗り換え、結婚にこぎつけたという事情がありました。このため、潔癖な慶齢は妹のことを“不潔”と考えるようになり、姉妹の溝は深まって、中国にいづらくなった慶齢はソ連へ2年間、逃れてしまいます。慶齢が後に共産中国に走ったのも、こうしたことが一因だったのかもしれません。

 一方、宋美齢の方も、かなりのものです。
 
 蒋介石が彼女に求婚したとき、彼女はアメリカ留学時代に恋仲になった男(後に南京市長になる刘文島)がいるので、結婚後も彼との関係は続けるということを結婚を受け入れる条件として持ち出しています。浙江財閥の富と孫文との縁戚関係というブランドがどうしても欲しかった蒋介石は、これを断ることはできなかったようです。

 その後、宋美齢が上海のホテルで昔の愛人と密会をしていると、蒋介石の側近で特務首長(秘密警察のトップ)だった戴笠がこれを探知。すぐに、蒋介石に密告しています。蒋介石は直ちに問題のホテルに駆けつけ、現場を目撃したらその場で2人を射殺するつもりだったそうですが、ちょうど2人が階段を下りているところに出くわし、宋美齢は間一髪で命拾いしたというエピソードが伝えられています。

 まぁ、この手の話は真偽の確かめようもないのですが、当時の中国人の間ではかなり知られていたエピソードのようで、国共内戦当時、蒋介石を揶揄する時には“烏亀(スッポンのことで、妻に浮気された夫のことを指す隠語としても用いられるそうです)”というフレーズも盛んに用いられていたとか。

 そういうことなら、蒋介石時代の台湾で亀の切手が発行されていたかどうか、今度調べてみることにしましょうかね。


 イベントのご案内

 11月1日(土)-3日(月・祝) 全国切手展<JAPEX>

 ことしも、東京・池袋のサンシャインシティ文化会館と目白の切手の博物館の2ヶ所で開催します。今年の目玉は、何といっても“満洲・東北切手展”ですが、トーク関係での僕の出番は、以下のとおりです。

 11月1日(土)
  13:00 “満洲・東北切手展”特別シンポジウム(池袋会場)
  16:00 特別対談「満洲における写真、絵葉書、郵趣」(池袋会場)
 11月2日(日)
  13:00 “戦後日本切手展”ギャラリー・トーク(目白会場)
  15:00 中公新書ラクレ presents 『大統領になりそこなった男たち』刊行記念トーク(池袋会場)
 11月3日(月・祝)
  11:00 “戦後日本切手展”ギャラリー・トーク(目白会場)

 トークそのものの参加費は無料ですが、<JAPEX>への入場料として、両会場共通・3日間有効のチケット(500円)が必要となります。あしからずご了承ください。皆様のお越しを心よりお待ち申しております。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★     

 アメリカ史に燦然と輝く偉大な「敗者たち」の物語    
 『大統領になりそこなった男たち』 中公新書ラクレ(本体定価760円+税)
 
 出馬しなかった「合衆国生みの親」、リンカーンに敗れた男、第二次世界大戦の英雄、兄と同じく銃弾に倒れた男……。ひとりのアメリカ大統領が誕生するまでには、落選者の累々たる屍が築かれる。そのなかから、切手に描かれて、アメリカ史の教科書に載るほどの功績をあげた8人を選び、彼らの生涯を追った「偉大な敗者たち」の物語。本書は、敗者の側からみることで、もう一つのアメリカの姿を明らかにした、異色の歴史ノンフィクション。好評発売中!

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 雑誌『郵趣』の2008年4月号は、大人になった元切手少年たちのための切手収集再入門の特集号です。発行元の日本郵趣協会にご請求いただければ、在庫がある限り、無料でサンプルをお送りしております。くわしくはこちらをクリックしてください。
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