2019-06-13 Thu 05:12
ご報告がすっかり遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2019年5月8日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はエスワティニ(と一部ギニアビサウ)です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1968年、現在のエスワティニがスワジランド王国として独立した際に、英領時代の切手に“独立”文字を加刷して発行された記念切手です。 現在のエスティワニの王家であるドラミニ家の支配体制が確立されたのは1745年のことでした。 19世紀後半のムスワジ2世の時代、英国によるアフリカ大陸南部への進出が進み、その圧迫を逃れたズールー人やトランスヴァールのアフリカーナー(南アフリカにおけるオランダ系の入植者)がエスティワニの地にまで進出すると、ドラミニ家は彼らに対抗すべく英国に接近しました。 1890年代には、一時、エスティワニは英国とトランスヴァールによる共同統治を受けましたが、その後、スワジ人の反対を押し切ってトランスヴァールが単独支配下に置きます。こうした事情を反映するかのように、1889年にスワジランドの地で発行された最初の切手は、トランスヴァール切手に“スワジランド”の文字を加刷したものでした。 (第二次)ボーア戦争が勃発すると、1902年、英国はトランスヴァールを駆逐してスワジランドを英国高等弁務官領としましたが、ドラミニ家の王制は温存します。当時のスワジランド王政は、国王ソブーザ2世(1899年生)が幼少であったため、祖母のラボツィベニ・ムドルリが摂政として国務を代行しており、1921年、ソブーザ2世の成人により国王の親政が開始されました。 親政の開始後、ソブーザ2世は英国人による土地収奪問題に取り組み、英国王ジョージ5世と直接会談してスワジ人への土地返還を求め、1929年には枢密院に問題を提起。この請願は、保護領法により拒否されましたが、以後、ソブーザ2世は次第に影響力を拡大していくことになります。 第二次大戦後、英国はソブーザ2世に対して、英国式の立憲君主制の導入を提案したが、国王はこれを拒否。1960年に多くのアフリカ諸国が独立すると、その影響で、スワジランドでも独立に向けた具体的な動きが検討されるようになり、1963年には制憲議会が招集されます。そして、英国王の任命する弁務官の下、行政評議会と立法評議会を設置する態勢が整えられ、高等弁務官領から自治領へとの昇格が決められました。 これを受けて、1964年には、新憲法の下で総選挙が行われ、国王を党首とする王党派のインボコドボ国民運動が圧勝。さらに、1967年に内政の自治を得て保護領に昇格したのを経て、1968年9月6日、ソブーザ2世を頂く立憲君主国、スワジランド王国の独立が達成されました。 さて、『世界の切手コレクション』5月8日号の「世界の国々」では、エスワティニ近現代史についての長文コラムのほか、リード・ダンスや同国の柑橘類の切手などもご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。 なお、「世界の国々」の僕の担当ですが、今回のエスワティニ(と一部ギニアビサウ)の次は、6月5日発売の同12日号でのボツワナ(と一部ルワンダ)、6月12日発売の同19日号でのソロモン諸島の特集となっています。これらについては、順次、このブログでもご紹介する予定です。 ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2018-09-06 Thu 01:38
アフリカで唯一、台湾との国交を維持しているエスワティニ王国が、1968年9月6日にスワジランド王国として独立して、きょうでちょうど50年です。というわけで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1889年に発行されたスワジランドとして最初の切手で、トランスヴァール切手に“Swazieland”の地名が加刷されています。 スワジランドは、南アフリカとモザンビークに囲まれた内陸国で、現在のスワジ人の王家であるドラミニ家による支配体制は1745年に確立されました。 19世紀後半のムスワジ2世の時代、ドラミニ家はズールー人およびトランスヴァールのアフリカーナーに対抗すべく英国に接近。1890年代には、一時、英国とトランスバールによる共同統治を受けたが、その後、スワジ人の反対を押し切ってトランスバールが単独支配下に置きました。スワジラン最初の切手が、トランスヴァール切手への加刷となっているのは、こうした事情を反映したものです。 1899年に(第二次)ボーア戦争が勃発すると、1902年、英国はトランスヴァールを駆逐してスワジランドを英国高等弁務官領としましたが、ドラミニ家の王制は温存します。 当時のスワジランドでは、国王ソブーザ2世(1899年生)が幼少であったため、祖母のラボツィベニ・ムドルリが摂政として国務を代行しており、1921年、ソブーザ2世の成人により国王の親政が開始されました。 親政開始後、ソブーザ2世は英国人による土地収奪問題に取り組み、英国王ジョージ5世と直接会談してスワジ人への土地返還を求め、1929年には枢密院に問題を提起。この請願は、保護領法により拒否されましたが、以後、ソブーザ2世は次第に影響力を拡大していきます。 第二次大戦後、英国はソブーザ2世に対して、英国式の立憲君主制の導入を提案したが、国王はこれを拒否。1960年に多くのアフリカ諸国が独立すると、その影響で、スワジランドでも独立に向けた具体的な動きが検討されるようになり、1963年には制憲議会が招集。英国王の任命する弁務官の下、行政評議会と立法評議会を設置する態勢が整えられ、高等弁務官領から自治領へとの昇格が決められました。 さらに、翌1964年には、新憲法の下で総選挙が行われ,国王を党首とする王党派のインボコドボ国民運動(INM)が圧勝。1967年に内政の自治を得て保護領に昇格し、1968年9月6日、ソブーザ2世を頂く立憲君主国としてのスワジランド王国の独立が達成されました。 独立当初のスワジランドでは、自治領時代の制度を継承して行政評議会と立法評議会が設置されていましたが、1972年5月、独立後初の総選挙で INM が圧勝すると、翌1973年、国王ソブーザ2世は憲法を廃止するとともに、INM 以外の政党を禁止。国王が行政・立法・司法を独占する絶対王政を復活させてしまいます。 ソブーザ2世は、1982年に崩御しましたが、その後、王位継承をめぐり王族内での対立が発生。1986年4月、現国王のムスワティ3世が即位します。現国王の下でも、絶対王政の基本構造は維持されており、1993年以降、5度の総選挙が実施され、2006年には1973年以来停止されていた憲法に代わる新憲法が制定されたものの、現在なお、 INM 以外の政党活動は認められていません。 また、国民の1/3が貧困層であるにもかかわらず、国王は、王室費だけではなく国家予算を流用し、自家用のセスナ機、高級車を購入したり、2004年には11人の妻(当時)のため複数の宮殿を建設したりするなどの浪費癖があるほか、国中の処女のみを集めて国王のために行われる“リード・ダンス”を毎年開催。さらに、HIV/AIDSの蔓延を予防するためとして、国民に対して5年間性行為を禁止する一方、当の本人は禁止令から2カ月後に13番目の王妃を選び性行為に及んだことが発覚し、罰金として牛一頭を支払うなど、まさにやりたい放題で、西側諸国からは批難の的になっています。 ちなみに、エスワティニという現在の国名は、現地語で“スワジ人の土地”を意味する語で、ことし(2018年)4月19日、国王誕生日にあわせて行われた“独立50周年記念式典”を機に改称されたものです。 ★★★ 近刊予告! ★★★ えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です! 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。 (画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) ★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★ 本体2500円+税 【出版元より】 中東100 年の混迷を読み解く! 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史! 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2015-08-30 Sun 23:15
アフリカ南部の王国スワジランドで、28日(現地時間)、伝統行事の“処女ダンス(リード・ダンス)”に参加するため首都ムババーネ郊外に向かう途中だった少女たちを荷台に乗せたトラックが、路上で停車していた乗用車に衝突。少なくとも38人が死亡し、20人が負傷したそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1968年1月5日、スワジランドが発行したリード・ダンスの切手です。 スワジランドは南アフリカとモザンビークに囲まれた内陸国で、現在のスワジ人の王家であるドラミニ家による支配体制は1745年に確立されました。 19世紀後半のムスワジ2世の時代、ドラミニ家はズールー人およびトランスヴァールのオランダ系ボーア人に対抗すべく英国に接近。1890年代には、英国とトランスヴァールによる共同統治を受けましたが、その後、トランスヴァールの単独支配下に置かれます。 (第2次)ボーア戦争が勃発すると、1902年、英国はスワジランドを英国高等弁務官領としましたが、ドラミニ家の王制は温存。1963年には、高等弁務官領から自治領へと昇格し、1967年の保護領時代を経て、1968年9月6日、スワジランド王国として独立しました。 自治領時代のスワジランドは、憲法に基づき、英国王の任命する弁務官の下、行政評議会と立法評議会が設置されていましたが、1972年5月、独立後初の総選挙で王党派のインボコドボ国民運動(INM)が圧勝すると、翌1973年、国王ソブーザ2世は憲法を廃止するとともに、政党を禁止。国王が行政・立法・司法を独占する絶対王政を復活させました。 ソブーザ2世は、1982年に崩御しましたが、その後、王位継承をめぐり王族内での対立が発生。1986年4月、現国王のムスワティ3世が即位します。現国王の下でも、絶対王政の基本構造は維持されており、1993年以降、5度の総選挙が実施され、2006年には1973年以来停止されていた憲法に代わる新憲法が制定されたものの、現在なお、政党活動は認められていません。 さて、今回問題となったリード・ダンスは、毎年8月から9月に開催されるもので、国中の処女が首都ムババーネ郊外の宮殿に集まるところから始まります。 その後、王母が宮殿に到着すると、行事に参加する女性たちは分散し、1日かけて背の高い葦(宮殿の修復などに使われます)を収穫し、上半身裸の伝統衣装や飾りを身にまとい、葦を持って歌い踊りながら行進して、王母に葦を捧げます。 葦を捧げた翌日、彼女たちは伝統衣装にビーズのネックレス、繭でできたアンクレット、帯、スカートを身にまとい、彼女たちの処女性の象徴としてブッシュナイフを手に持ち、ウムカショ(純潔を示す房飾り)を身に着け、歌を歌い、踊りながら行進します。切手に描かれているのは、この場面です。 この儀式には、王母や国王などが列席しますが、その際、国王は参加者の中から毎年のように新しい妻を1人選んでいることや(スワジランドでは一夫多妻が認められています)、年によっては、わずか6歳の少女が参加することなどから、欧米の人権団体などは行事そのものを問題視しており、今回の事件を機に、この行事に対する“外圧”は一層強まることが予想されています。ちなみに、今年のリード・ダンスのクライマクスは、明日(31日)、行われる予定だそうです。 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★ 10月から毎月1回(原則第1火曜日:10月6日、11月3日、12月1日、1月5日、2月2日、3月1日)、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で下記の一般向けの教養講座を担当します。(下の青い文字をクリックしていただくと、よみうりカルチャーのサイトに飛びます) ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。 初回開催は10月6日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。 ★★★ 内藤陽介の最新刊 『日の本切手 美女かるた』 好評発売中! ★★★ 税込2160円 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました! 【出版元より】 “日の本”の切手は美女揃い! ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え! <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾン、boox store、e-hon、honto、YASASIA、紀伊國屋書店、セブンネット、ブックサービス、丸善&ジュンク堂、ヨドバシcom.、楽天ブックスをご利用ください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
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