2022-03-27 Sun 12:22
ウクライナ西部の中心都市で、現在のポーランド国境から東へ約60キロの位置にあるリヴィウで、きのう(26日)、ロシア軍によるミサイル攻撃があり、石油備蓄基地などが破壊されました。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1883年9月21日、ハプスブルク支配下のリヴィウからライプツィヒ宛に差し出された葉書で、消印の地名表示がドイツ語のレンベルク(LEMBERG)とポーランド語からのルヴフ(LWOW)のバイリンガルになっています。 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。なお、内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。 ★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★ 3月28日(月) 05:00~ おはよう寺ちゃん 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。 武蔵野大学のWeb講座 4月6日-7月12日 鏑木清方と江戸の残り香 詳細はこちらをご覧ください。 4月13日-7月19日 日本の郵便150年の歴史2 占領時代(1945年の終戦から1952年) 詳細はこちらをご覧ください。 5月18日-8月23日 日本の歴史を学びなおす― 近現代編その2― 幕末 詳細はこちらをご覧ください。 スタンプショウ2022 於・都立産業貿易センター台東館 毎年恒例、世界切手祭り・スタンプショウですが、今回は会期中、以下の2回のトークイベントに登場します 4月22日(金) 14:00~ 「アフガニスタン現代史」 * 3月に刊行された拙著『アフガニスタン現代史』の出版記念イベントです。 4月23日(土) 11:00~ 「切手でたどる郵便創業15o年の歴史 vol.3 平成・令和編」 * 5月に日本郵趣出版から刊行予定の「切手でたどる郵便創業15o年の歴史 vol.3 平成・令和編」の事前プロモーションを兼ねたイベントです。 両イベントとも、事前予約不要・参加費無料です。親イベントとなる切手展、スタンプショウの詳細は主催者サイトをご覧ください。 5月4日(水・祝) 13:00~ よみうりカルチャー北千住 公開講座 よみうりカルチャー北千住にて、公開講座「アフガニスタン現代史」を行います。拙著『アフガニスタン現代史』の内容を90分にギュッと凝縮した内容をお届けいたします。お申込など詳細は、こちらをご覧ください。 ★ 最新作 『アフガニスタン現代史』 3月5日発売!★ 出版社からのコメント 混迷のアフガニスタン情勢の理解に必須の通史! 911同時多発テロ事件とその後のアフガニスタン空爆から20年。西側が支援した新共和国が崩壊し、再びタリバンが実効支配下に置いたアフガニスタン。英国、ソ連、米国…介入してきた大国の墓場と呼ばれてきたこの国の複雑極まりない現代史を、切手や郵便資料も駆使しながら鮮やかに読み解く。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 ★ 期間限定の無料サービス、ぜひご活用ください! ★ 2月1日から3月31日まで、拙著『世界はいつでも不安定 国際ニュースの正しい読み方』(ワニブックス)が電子書籍版アマゾン・アンリミテッドの対象になっております。期間中、アマゾンKindle Unlimited会員限定ですが、無料で読み放題となりますので、この機会に、ぜひ、こちらをクリックしてご活用ください。 |
2010-02-08 Mon 14:33
昨日(7日)行われたウクライナ大統領選挙の決選投票は、ヤヌコビッチ前首相が勝利宣言を行い、ティモシェンコ首相に辞任を求める結果となりました。というわけで、ウクライナがらみのマテリアルです。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1905年4月、ハプスブルク支配下のチェルノヴィッツ(現・ウクライナ領チェルニウツィー)から差し出された葉書です。 カルパティア山脈とドニエストル川に挟まれたブコヴィナ地方は、1775年以降、ハプスブルク帝国の支配下に置かれ、ドイツ語名でチェルノヴィッツと呼ばれていた都市がブコヴィナ州の州都となりました。今回ご紹介の葉書は、ハプスブルク支配下のチェルニウツィーから差し出されたもので、オーストリア切手が貼られ、ドイツ語風に“チェルノヴィッツ”と表示された消印が押されています。 これに対して、第一次大戦でドイツ、オーストリアが降伏すると、その直後の1918年11月28日、ブコヴィナの人々はチェルニウツィに集まり、ブコヴィナとルーマニア王国との統一を決議。これは、翌1919年のサンジェルマン条約(オーストリアに対する講和条約)で認められ、ブコヴィナは正式にルーマニア領となり、チェルノヴィッツはルーマニア語でチェルナウツィと呼ばれるようになりました。 しかし、大戦勃発直前の1939年8月23日に結ばれた独ソ不可侵条約と、9月1日の開戦を経て同月28日に結ばれた独ソ境界・友好条約を経て、ソ連はルーマニア東部、ベッサラビアを勢力圏とする密約が結ばれ、フランス降伏翌日の1940年6月23日、ソ連は独ソ不可侵条約の密約に基づいてルーマニア領ベッサラビアを併合するとともに、突如、ブコヴィナの割譲も要求しました。 ブコヴィナは帝政ロシアの時代にもロシア領となったことはなく、密約の範囲を超えたソ連の要求に対してはドイツも抗議しましたが、結局、ブコヴィナ地方のうちウクライナ系住民の多い北ブコヴィナ(チェルナウツィ県)のみをソ連に割譲することで独ソの妥協が成立。同月26日、ソ連から24時間の時限つきで最後通牒を突きつけられたルーマニアは、翌27日、これを受け入れ、28日にはソ連軍が北ブコヴィナに進駐します。そして、8月2日、ソ連は北ブコヴィナを南部ベッサラビアと合わせて、連邦を構成するウクライナ・ソビエト社会主義共和国に割譲しました。このときひかれた境界線が現在のルーマニアとウクライナとの国境となり、チェルナウツィーはロシア語でチェルノフツィーないしはウクライナ語でチェルニウツィーと呼ばれるようになります。 その後、1941年に独ソ戦が始まると、ドイツ・ルーマニアの連合軍がブコヴィナに進攻しこの都市は再びルーマニアの支配下に入りますが、1944年、ソ連が再奪還。以後、1991年にウクライナが独立するまで、ソ連の支配下に置かれていました。ちなみに、現在のウクライナ領チェルニウツィーは、同州の州都となっています。 なお、ブコヴィナをめぐるハプスブルク帝国、ルーマニア、ソ連、ウクライナの複雑な関係については、拙著『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行』でも解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★ 総項目数552 総ページ数2256 戦後記念切手の“読む事典”(全7巻) ついに完結! 『昭和終焉の時代』 日本郵趣出版 2700円(税込) 2001年のシリーズ第1巻『濫造濫発の時代』から9年。<解説・戦後記念切手>の最終巻となる第7巻は、1985年の「放送大学開学」から1988年の「世界人権宣言40周年年」まで、NTT発足や国鉄の分割民営化、青函トンネルならびに瀬戸大橋の開通など、昭和末期の重大な出来事にまつわる記念切手を含め、昭和最後の4年間の全記念・特殊切手を詳細に解説。さらに、巻末には、シリーズ全7巻で掲載の全記念特殊切手の発行データも採録。 全国書店・インターネット書店(amazon、bk1、JBOOK、livedoor BOOKS、7&Y、紀伊国屋書店BookWeb、ゲオEショップ、楽天ブックスなど)で好評発売中! |
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