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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 石炭の日
2024-09-05 Thu 07:35
 今日(5日)は、石炭の良さを見直そうという趣旨の“石炭の日”または“クリーン・コール・デイ(Clean Coal Day)”です。というわけで、石炭関連の切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます) 

      ドイツ・炭鉱夫(1921)

 これは、1921年10月(11月説もあり)にドイツで発行された120ペニヒの普通切手で炭鉱夫が描かれています。鉱山労働者を描く切手としては、1897年にニューファンドランドで発行された“ニューファンドランド400周年”の切手が最初とされていますが、こちらは銅鉱山での採掘風景を描いたもので、炭鉱での作業を描いた切手としては、今回ご紹介の切手が最初の1枚になるかと思います。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 9月6日(金) 10:00~ ニッポンジャーナル
 インターネット番組「ニッポンジャーナル」に内藤藤がコメンテーターとして出演の予定です。皆様、よろしくお願いします。

 9月13日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。

 謀略の世界史 原則毎月第1土曜日 13:00~14:30
 MI6、CIA、モサドなど各国の情報機関のあらましや、現代史の中で彼らが実際に関与した事件などを幅広くご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。

 武蔵野大学のWeb講座 
 大河企画の「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」、引き続き開講中です。詳細はこちらをご覧ください。 

 「龍の文化史」、絶賛配信中です。龍/ドラゴンにまつわる神話や伝説は世界各地でみられますが、想像上の動物であるがゆえに、それぞれの物語には地域や時代の特性が色濃く反映されています。世界の龍について興味深いエピソードなどを切手の画像とともにご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。

 ★ 『切手もの知り図鑑 一番切手50のエピソード』 好評発売中!★

      切手もの知り図鑑 一番切手50のエピソード

 「動物と植物」「科学技術」「社会と文化」「神話/伝説と宗教」の4章立てで、犬、猫、宇宙開発、飛行機、クリスマスといったテーマで、初めて描かれた切手図案にまつわる秘話、思いがけない発行に至る背景に加え、シーラカンスやテレビ、警察官、タトゥー、髑髏といった、あっと驚く意外なテーマの一番切手も登場します!

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 アフガニスタンとパキスタンの国境封鎖
2023-09-07 Thu 03:15
 きのう(6日)、パキスタンとアフガニスタンの国境警備隊の間で銃撃戦が発生し、両国間で最も交通量が多いトルカムの国境が封鎖されました。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ドイツからカブール宛1926表
      ドイツからカブール宛1926裏

 これは、1926年10月25日、ドイツのアルテンブルクから差し出され、ペシャーワル(ペシャワル。現在はパキスタン領だが、当時は英領インド帝国)経由でカブールに届けられた郵便物です。当時のアフガニスタンは万国郵便連合(UPU)に加盟しておらず、アフガニスタン切手は外国宛の郵便には無効で、ドイツ切手もUPU加盟国の英領インドまでの料金しか支払うことができませんでした。このため、この郵便物は、経由地のペシャーワルから(おそらくハイバル峠鉄道で)トルカムの国境に近いランディ カーナまで運ばれ(切手の下にランディカーナ郵便局の印の一部が見えます)、国境を越えてアフガニスタン側に引き渡された後、アフガニスタン切手を貼って、受取人から料金を徴収するという方式がとられています。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。

 また、アフガニスタンとその切手については、拙著『アフガニスタン現代史』で詳しくご説明しております。同書につきましては、内藤総研の会員の皆様(無料登録会員を含む)を対象に、こちらでサイン本の割引販売を行っておりますので、ぜひご登録の上、ご利用いただけると幸いです。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 9月8日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

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 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。
 
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★ 『今日も世界は迷走中』 好評発売中!★

      今日も世界は迷走中

 ウクライナ侵攻の裏で起きた、日本の運命を変える世界の出来事とは!内藤節炸裂。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 ルール占領100年
2023-01-11 Wed 09:19
 1923年1月11日、ドイツによる第一次大戦の賠償金不払いを理由にフランスとベルギーが出兵して、ドイツのルール地方を占領した“ルール占領”から、ちょうど100年になりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ドイツ・ルール支援加刷(1923)

 これは、1923年2月19日、ルール占領によってダメージを受けた人々を救済すべく、1922年発行の5マルク切手に、“'Rhein=Ruhr=hilfe(ライン=ルール支援)”の文字と寄付金額の100マルクを加刷して発行された切手です。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。また、内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。 


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 2023年1月13日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 1月28日(土)開講! よみうりカルチャー 北千住
 エリザベス女王の現代史 毎月第4土曜日 13:00~14:30
 エリザベス女王の描かれた切手を手掛かりに、現代史を読み解く講座です。詳細はこちらをご覧ください。 

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。

 武蔵野大学のWeb講座 
 「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」と「日本郵便150年の歴史」の2種類の講座をやっています。詳細はこちらをご覧ください。 


★ 『現代日中関係史 第1部 1945-1972』 好評発売中! ★

      現代日中関係史表_第1部

 日本郵趣出版の新レーベル「郵便×歴史シリーズ」の第一弾の企画として、切手という切り口から第二次大戦後の日中関係を読み解く『現代日中関係史』。その第1巻となる本書は、第二次大戦後、わが国が中華人民共和国と国交を樹立(いわゆる国交正常化)する1972年9月以前を取り扱っています。なお、1972年の国交”正常化”以降については、2023年3月に刊行予定の第2巻でまとめる予定です。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページのリンクがあるほか、主要書店の店頭在庫も確認できます。また、販売元の郵趣サービス社のサイト、スタマガネットの特設サイトサイトでは、本書の内容見本をご覧いただけます。 

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 ノルウェー侵攻のドイツ巡洋艦、80年ぶりに発見
2020-09-10 Thu 02:06
 第二次大戦中の1940年4月9日、ドイツ軍のノルウェー侵攻作戦に参加したドイツの大型艦のうち、唯一沈没場所が不明だった巡洋艦、カールスールエが、ノルウェー沖水面下488mの海底で80年ぶりに発見されたそうです。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ドイツ・カールスールエ消印(1930)

 これは、1930年6月20日、アフリカ方面への航海中のカールスールエの船内局で使用された消印のオンピースです。

 カールスルーエは1929年11月6日に就役したドイツ海軍の軽巡洋艦で、1930年5月24日から12月12日までアフリカ方面への航海を行いました。今回ご紹介の消印はその航海中に使用されたもので、外国への航海を示す“AUSLANDSREISE”の文字と、“KARLSRUHE”の船名が入っています。ちなみに、カールスルーエの船内局では、その後、“DEUTSCHE MARINE-SCHIFFSPOST Nr. 28(ドイツ海軍艦船郵便 28)”との船名なしで番号表示の消印が使用されるようになります。

 さて、第二次大戦の勃発当時、ドイツはスウェーデンから大量の鉄鉱石を輸入していましたが、スウェーデン側の積出港ルーレオは冬季には凍結してしまい、隣国で中立国のノルウェーのナルヴィク港を利用するしかありませんでした。

 このため、チャーチルは、ナルヴィク近郊のノルウェーの領海に機雷を設置するとともに、ナルヴィクを占領して、ドイツに対して打撃を与えるのみならず、当時、ソ連の侵攻を受けていたフィンランドを支援することを計画。1940年4月、ドイツの輸送船を攻撃するための機雷を設置するウィルフレッド作戦を開始しました。

 これに対して、ドイツは、海軍力に勝る英国よりも先にノルウェーを占領することで、鉄鉱石の輸入ルートを確保するとともに、北大西洋でのUボートなど海軍部隊の基地として活用しようと考えます。そして、1940年4月9日、“英仏の侵略から中立国を守るため”として、デンマーク(ノルウェー侵攻作戦の拠点とすることが目的でした)とノルウェーに侵攻しました。

 このうち、デンマークは、ドイツ軍のコペンハーゲン上陸からわずか2時間で降伏し、ドイツの保護国となります。

 一方、ノルウェーでは、4月9日、オスロ、クリスチャンサン、エゲルスン、トロンハイム、アーレンダールなど南部各地にドイツ軍が上陸作戦を開始。ドイツ軍が電撃作戦でオスロ以下の各都市を占領すると、親ナチ政党、国民連合のヴィドクン・クヴィスリングがクーデターを起こして自身を首相とする臨時政府の樹立を宣言し、ドイツ軍に対する一切の抵抗を止めるように呼びかけると同時に、「首相のヨハン・ニューゴースヴォルは抵抗を放棄し逃げ出した」と告げました。

 このときの作戦では、カールスルーエは4月8日にブレーマーハーフェンを出撃し、翌9日、クリスチャンサンへの攻撃を行い、同地の占領に成功しましたが、その帰途、英潜水艦トルーアントの攻撃を受けて大きな損害を受け、乗組員らによる自沈処分が行われました。

 その後、ノルウェー国王のホーコン7世とオーラヴ王太子(後の国王オーラヴ5世)、ノルウェー政府首脳はオスロを脱出してエーベルベームに逃れ、英国の支援を受けて抵抗。ノルウェー軍は、ベルゲンの陸上砲台からの砲撃によってドイツ海軍の軽巡洋艦ケーニヒスベルクを損傷させたのをはじめ、ドイツの艦艇に大損害を与えます。また、4月13日には戦艦ウォースパイト、空母フューリアスを含む英国艦隊がナルヴィク沖に達し、ドイツ駆逐艦隊を攻撃して全滅させました。

 しかし、陸上での戦いは圧倒的にドイツ軍が有利で、4月末までにはノルウェーの大半はドイツ軍に占領されてしまいます。これに伴い、国王は、モルデ、トロムソへと逃れて抵抗を続けていましたが、5月10日、西部戦線でドイツ軍のフランス侵攻が始まり、6月5日にはイギリス軍はダンケルクからの撤退。こうなると、イギリスも本国の守りを固めざるを得なくなり、6月8日にはナルヴィクが陥落しました。

 国王と王太子は、ナルヴィク陥落前日の6月7日、イギリス重巡洋艦デヴォンシャーでトロムソを離れ、辛くも英国に逃れましたが、翌8日、ノルウェー軍はドイツ軍に休戦を申し込み、ノルウェーはドイツの傀儡、クヴィスリング政権の支配下に置かれることとなりました。

 一方、国王と王太子はロンドンに亡命政府を樹立し、レジスタンスを指導しました。また、王孫ハーラル(現国王ハーラル5世)とその母、姉妹たちは、国王より一足先にスウェーデンに亡命しましたが、ノルウェー本国では親独ヴィドクン・クヴィスリング政権がホーコン7世を廃位してハーラルを即位させようと画策。スウェーデン国内にもそれに同調する動きがあったため、母子は米国まで再亡命し、1945年までワシントンDCで過ごしています。

 1945年5月9日、ナチス・ドイツが降伏すると、クヴィスリング政権は崩壊。5月16日にまずオーラヴ王太子が帰国し、ついで、6月7日、国民の歓呼の声の中、国王以下の王族も帰国を果たしました。ちなみに、クヴィスリングは国家反逆罪で逮捕された後、9月10日、裁判で死刑判決を受け、10月24日に銃殺刑が執行されています。


★★ Web講座のご案内 ★★

 武蔵野大学の生涯学習講座で、「切手と仏像」と題して4回に分けてお話しします。配信期間は8月26日から10月6日まで。お申し込みなどの詳細はこちらをご覧ください。皆様、よろしくお願いします。

 
★ 内藤陽介の最新刊 『みんな大好き陰謀論』 ★

      みんな大好き陰謀論(帯なし表紙) 本体1500円+税

 出版社からのコメント
 【騙されやすい人のためのリテラシー入門】
 あなたは大丈夫?賢い人ほどダマされる!
 無自覚で拡散される負の連鎖を断ち切ろう
 まずは定番、ユダヤの陰謀論を叱る! !

 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 

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 世界漫郵記:リオデジャネイロ①
2016-03-01 Tue 11:23
 『キュリオマガジン』2016年3月号が出来上がりました。ことしは8月にリオデジャネイロ五輪があるということで、2014年3月以来、2年ぶりに僕の連載の「郵便学者の世界漫郵記」を復活させ、その“リオデジャネイロ(以下、リオ)篇”をお届けすることになりました。今回はその1回目ということで、「ポン・ヂ・アスーカルを通ってリオに入る」というテーマで書いてみましたが、その記事の中から、この1点をご紹介します。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      ツェッペリン・リオ宛  

 これは、1930年5月、ドイツの飛行船、グラーフ・ツェッペリンによって運ばれたリオ宛のカバーで、ポン・ヂ・アスーカルの上空を飛ぶ飛行船を描くカシェが押されているのがミソです。切手に押されている消印は、ドイツ・フリードリヒスハーフェンの1930年5月18日付で、裏面には、5月25日付のリオの着印が押されています。ちなみに、上の画像ではカシェが宛名にかかっていて少し見づらので、カシェそのものを描き起こした画像を下に貼っておきます。

       ツェッペリン・リオ宛カシェ

 さて、リオデジャネイロという地名は、もともと、ポルトガル語で“1月の川”の意味です。

 1498年、ヴァスコ・ダ・ガマのポルトガル艦隊がインド航路を開拓したことを受けて、ポルトガル王マヌエル1世は、1500年2月15日、ペドロ・アルヴァレス・カブラルを長とする第2次インド遠征隊を派遣します。ところが、カブラルの艦隊は予定の航路を大きく外れてブラジルに漂着してしまいました。これが、ヨーロッパ人によるブラジルの“発見”と言われている出来事です。

 続いて、1502年1月、ガスパール・デ・レモス率いるポルトガルの艦隊が、今度は明確に南米大陸を目指す意図をもってブラジルに到達します。一行が到達したグアナバラ湾は、湾口がぐっと狭まっているため、彼らはここを川と勘違いしました。そして、到着したのが1月だったことから、河口の一帯を“1月の川”、すなわちリオ・デ・ジャネイロと命名したのです。

 グアナバラ湾は面積400平方キロ、周囲143キロの大きな入り江で、湾内には国際空港のあるゴベルナドール島や観光地パケター島など113の島がありますが、その入口の幅はわずか1.5キロほどしかありません。

 湾内とその周辺には、気の遠くなるような年月をかけて浸食された巨大な奇岩がところどころにそびえ立ち、独特の景観を作り出していますが、なかでも、湾口西側の岬にあるポン・ヂ・アスーカルは、リオのシンボルとして特別な意味を持っており、切手や絵葉書などにも、幾度となく取り上げられてきました。

 かつての米国への入国者にとっての自由の女神がそうだったように、グアナバラ湾の入口にそびえ立つポン・ヂ・アスーカルは、長い船旅の後、船客たちがリオにたどり着いたことを実感するための標識でもありました。その後、交通手段は船から飛行機へと変化しますが、1952年にリオ北郊にガレオン国際空港(現アントニオ・カルロス・ジョビン国際空港)が完成するまでは、リオの市内中心部からも近いサントス・ドゥモン空港がブラジルの空の玄関となっており、人々はポン・ヂ・アスーカルを見下ろしながら、ブラジルの地に降り立つというのがお約束でした。だから、ある時代までの航空切手初飛行カバーにも、リオの象徴としてポン・ヂ・アスーカルを取り上げたモノが少なくありません。

 今回ご紹介のカバーもその一例ですが、この時のツェッペリン飛行は、1930年5月18日、ドイツのフリードリヒスハーフェンを出発し、スペインのセヴィーリャ(セビリア)を経由して大西洋を渡り、5月22日、ブラジル北東部の港湾都市レシフェに到着。そこから、リオに向かいました。5月25日のリオ到着後は、北上して米ニュージャージー州のレイクハーストを経て、大西洋を渡ってセヴィーリャ経由でドイツに帰還しています。ちなみに、この時のフライトに合わせて米国が発行したのが、有名なツェッペリンの航空切手です。

 なお、現在でも、サントス・ドゥモン空港はブラジルの国内線用に利用されていますので、ポン・ヂ・アスーカルの上空を飛ぶ飛行機という構図は、現地の人にとってはおなじみの光景となっています。ついでですので、そうした風景の写真も下に貼っておきました。

       ポン・ヂ・アスーカルと飛行機


 ★★★ 講座のご案内 ★★★

 ・毎日文化センター 「宗教で読む国際ニュース」
 3月8日(火)から、毎月第2火曜の19時より、東京・竹橋の毎日文化センターで新講座「宗教で読む国際ニュース」がスタートします。都心で平日夜のコースですので、ぜひ、お勤め帰りに遊びに来てください。詳細は、こちらをご覧いただけると幸いです。

 ・よみうりカルチャー荻窪 「宗教と国際政治」
 4月から毎月第1火曜の15:30より、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で講座「宗教と国際政治」がスタートします。ぜひ、遊びに来てください。詳細は、こちらをご覧いただけると幸いです。
 

 ★★★ 内藤陽介の新刊  『ペニー・ブラック物語』 のご案内 ★★★ 

       ペニーブラック表紙 2350円+税

 【出版元より】
 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。


 ★★★ 内藤陽介の新刊  『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 2000円+税

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。

 インターネット放送「チャンネルくらら」にて、本書の内容をご紹介しております。よろしかったら、こちらをクリックしたご覧ください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

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 ケルン市街地の切手
2015-10-19 Mon 14:24
 ドイツ西部ケルンで、きのう(18日)、市長選挙の投開票が行われ、前日(17日)、ドイツ政府の難民政策への不満を持つ男に首などを刺されて重傷を負ったヘンリエッテ・レーカー候補(無所属ですが、メルケル首相の与党・キリスト教民主同盟などが支持)が当選しました。というわけで、ケルンといえば、この切手でしょうか。(画像はクリックで拡大されます)

      ドイツ・ケルン(1924)

 これは、1924年にドイツで発行されたケルン市の遠景を描く2マルク切手です。第一次大戦後のインフレを経て1924年にライヒスマルクが導入されたことを受けて発行されました。

 ケルンはライン川左岸にあるドイツ第4の都市で、紀元前38年にローマの軍営地が置かれたのが都市としての始まりになります。4世紀には司教座が置かれ、最初の大聖堂が建設されました。

 切手中央に描かれている現在の大聖堂は3代目の建物で、1248年に建設がはじまったものの、16世紀以降の宗教改革の時代に工事が途絶していましたが、1842年に建設が再開され、1880年に完成しました。大聖堂の高さ157mは、1884年に米国のワシントン記念塔(高さ169m)が完成するまで、建造物としては世界一でした。なお、画面右手に見えるホーエンツォレルン橋は1911年に開通した鉄道・街路療養の橋でしたが、第2次大戦中の空襲により破壊され、現在は1948年に再建された橋がかかっています。

 今回当選したレーカー新市長の職場となる市庁舎は大聖堂の南200mの位置(切手では画面左手)にあります。17世紀のダッチ・ルネサンス様式の建物で、19世紀から市庁舎として使用されてきましたが、第二次大戦中の1942年に破壊され、現在の建物は1953年に再建されたものです。また、現在の市庁舎から広場を挟んで南側には、14世紀にユダヤ人街に建てられたゴシック建築の旧庁舎と15世紀の時計塔があります。
 
 現在、新市長は搬送先の病院で治療を受けており、容体は快方に向かっているとのことですが、一刻も早く退院して、市庁舎に登庁できるよう、お祈りしております。


 ★★★ <JAPEX> トークイベントのご案内 ★★★

   アウシュヴィッツの手紙・表紙  ペニーブラック表紙   

 東京・浅草で開催される全国切手展<JAPEX>会場内で、下記の通り、拙著『アウシュヴィッツの手紙』ならびに『英国郵便史 ペニー・ブラック物語』の刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。

 ・10月30日 15:30~ アウシュヴィッツの手紙
 ・11月1日  14:00~ 英国郵便史 ペニーブラック物語


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『アウシュヴィッツの手紙』  予約受付中! ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 税込2160円

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 11月上旬刊行予定ですが、現在、版元ドットコムamazonhontoネットストア新刊.netの各ネット書店で予約受付中ですので、よろしくお願いします。

 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

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 バッハの肖像画
2015-06-14 Sun 20:23
 ドイツの音楽家、ヨハン・セバスチャン・バッハの肖像画が、1750年に彼が亡くなってから265年ぶりに、彼が後半生を過ごしたライプツィヒに戻り、きのう(13日)から、同地のバッハ博物館で常設展示されています。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       ドイツ・バッハ(1926)

 これは、1926年にドイツで発行されたバッハの肖像を描く50ペニヒ切手です。

 生前のバッハを描いた肖像画は2点確認されていますが、このうち、今回話題となったのは、ライプツィヒ市参事会の画家として、同地の名士の肖像画を数多く手がけたエリアス・ゴットローブ・ハウスマンの作品です。この作品は、1748年、60歳代前半のバッハが正装し、右手に自身作曲の楽譜を持つ姿を描いたもので、今回ご紹介の切手では、そのうちの顔の部分を中心にトリミングした状態で取り上げられています。

 肖像画は、バッハの死後、次男のエマニュエルが相続しましたが、その後、彼はライプツィヒを離れます。19世紀初めには、ポーランド南部ウロツワフのユダヤ人一家が肖像画を入手しましたが、1930年代、一家はナチスの迫害を逃れて英国に渡り、絵をドーセット在住の友人、ガーディナーに託しました。ちなみに、肖像画を預かったガーディナーの息子ジョンは指揮者で、現在、バッハ資料財団の会長を務めています。

 さらに、戦後の1952年、肖像画は米国の音楽学者ウィリアム・シャイデがオークションで落札。そのシャイデが、昨年(2014年)に亡くなる前に、バッハ資料財団へ肖像画を寄贈することを遺言していたため、今回、ライプツィヒに帰還することになったというわけです。
 
 なお、ハウスマンによる肖像画は、推定250万ドルの価値があるそうですが、今回ご紹介の切手は、ネット・オークションでは数百円程度から入手が可能です。こんな風に、身近に“美術”を楽しむことができるのも、切手の魅力の一つといってもいいのかもしれません。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』  好評発売中! ★★★ 

        税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾンboox storee-honhontoYASASIA紀伊國屋書店セブンネットブックサービス丸善&ジュンク堂ヨドバシcom.楽天ブックスをご利用ください。


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 シュロス・エルマウ
2015-06-08 Mon 20:55
 今年(2015年)のG7サミットは、きのう・きょう(7・8日)の日程で、ドイツ南部、オーストリアとの国境に近いバイエルン州クルンのシュロス・エルマウで開催されています。というわけで、今日はこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      シュロス・エルマウ  シュロス・エルマウ(裏)

 これは、1925年に差し出されたシュロス・エルマウの絵葉書とその裏面で、絵面の中央に描かれているのが、今回のサミット会場となっているシュロス・エルマウです。

 シュロス・エルマウは、1916年、哲学者・神学者のヨハネス・ミュラーが、エルザ・ヴァルダーゼー伯爵夫人と建築家のカルロ・サトラーの支援を受けて建設しました。ミュラーは教会の権威を激しく批判していたリベラル派の神学者で、シュロス・エルマウも、もともとは、全世界から宗教・人種の別なく若手芸術家を招いて、彼らが雄大な自然環境の中で互いに刺激しあい、創作やパフォーマンスに専念できる場を提供することを目的としていました。

 1933年にナチスが政権を掌握すると、ミュラーは反ユダヤ主義等のナチスのイデオロギーを激しく非難し、シュロス・エルマウ内ではナチス式の敬礼を禁止するなど、ナチスに対して徹底的に抵抗する姿勢を鮮明にしました。このため、1935年には国内での講演旅行を禁じられ、ライプツィヒ大学は彼の博士号剥奪を検討するほどでした。

 第二次欧州大戦の勃発後、ヒムラーとゲーリングは政権幹部のための施設としてシュロス・エルマウの接収を試みましたが、その動きを察知したミュラーは国防軍とシュロス・エルマウの賃貸契約を結び、前線から帰還した兵士の保養所とすることで、愛国者としてナチスには屈しないという姿勢を示しています。このため、1943年、ナチスは彼を逮捕してザクセンハウゼン収容所に送ろうとしましたが、高名な神学者であった彼の逮捕には反対論も多く、実行に移されませんでした。

 第二次大戦後、シュロス・エルマウは米軍に接収され、野戦病院として用いられた後、バイエルン州政府の結核療養施設となります。そして、1949年にミュラーが亡くなった後、1951年以降、ホテルとして彼の遺族が経営に参画することになりました。

 なお、2005年8月、創業以来の建物は火災によって大きな被害を受けたため、2006-07年に再建され、今回のサミット会場として使われているというわけです。
 
 
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        税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

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 ようやく完済
2010-10-04 Mon 17:58
 きのう(3日)は東西ドイツの統一から20周年で記念式典も行われたそうですが、あわせて、ヴェルサイユ条約で負った賠償金も92年ぶりに完済となったそうです。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         ワイマール国民議会

 これは、1919年にドイツで発行された国民議会シリーズの25ペニヒ切手に、同年7月30日付のワイマールの国民議会内局の消印が押されたオンピースです。

 第一次大戦末期の1918年11月、ドイツではキール軍港の水兵の反乱に端を発した革命が発生し、帝政は打倒され、ドイツ共和国の成立が宣言されました。新生共和国は連合諸国との休戦に調印した後、1919年1月にはドイツ共産党による革命政府樹立の蜂起を鎮圧。その直後に行われた国民議会の選挙では、社会民主党が第1党となり、2月、ワイマールに国民議会が召集されました。今回ご紹介の消印は、この議会の議場内に設けられた郵便局のモノです。

 なお、議会ではエーベルトが大統領に選出され、シャイデマンを首相とする社会民主党、中央党、民主党の連立内閣が発足。 憲法草案の審議が進められ、7月、新憲法が可決成立し、8月に施行された。この憲法が、いわゆるワイマール憲法です。

 いわゆるヴェルサイユ条約は、この間の6月28日に調印されたもので、ドイツに対する巨額の賠償金はドイツ経済を大きく圧迫し、ヴェルサイユ体制の打破を唱えるヒトラーとナチスの台頭を招くことになりました。なお、1933年に成立したヒトラー政権は賠償金の支払いを拒否していたことにくわえ、第二次大戦後の東西分断時代には、国際協定で賠償金の返済が猶予されていたことが、完済まで92年という長い時間がかかった原因となりました。ちなみに、第2時大戦に関する賠償金は、1988年に完済されています。

 
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