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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 一番高いのはドバイ?
2010-01-04 Mon 23:10
 アラブ首長国連邦(UAE)のドバイで、現地時間のきょう(4日)、高さ世界一の超高層ビル「ブルジュ・ドバイ」が開業します。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ラサールハイマ・ヤシの木カバー

 これは、現在、UAEの構成国となっているラサールハイマから、UAE成立直前の1971年7月31日、ニューヨーク宛てに差し出された商用便です。

 ラサールカイマは現在のUAEの領域の最北に位置しています。面積は1684平方キロ、人口も10万人以下の小国です。かつては、やはり現在UAEメンバーとなっているシャルジャーとともに、ペルシァ湾岸で大きな勢力を保持していたカワーシム族の拠点となっていました。特に、領内のジュルファルは、19世紀半ばにいたるまでペルシァ湾屈指の港湾都市として繁栄を誇っていました。

 しかし、イギリスがペルシャ湾岸の覇権を掌握し、カワーシム族を討伐したことや、イギリスと結託した部族連合バニー・ヤースの台頭などにより、カワーシム族の勢力はしだいに衰退。さらに、1869年、カワーシム族の支配地域はシャルジャーとラサールカイマに分裂し、単なる小首長国のひとつに転落しました。こうしたこともあって、1960年代には、いわゆるアラブ土侯国の一つとして、海外の収集家目当ての切手を乱発していたことでも知られています。
 
 ところで、現在のUAEの領域には、当初、ドバイにしか郵便局がありませんでしたが、第二次大戦後の石油開発に伴い、イギリスはこの地に郵便網を設けることを計画します。そして、休戦協定諸国(UAEを構成する首長国は、それぞれ、イギリスと“休戦協定”を結んでいたため、こう総称される)で共通に使うための切手として、1961年1月、7本のナツメヤシを取り上げた切手を発行します。これは、7つの首長国を象徴するもので、ドバイの郵便局で使われた後、順次、他の首長国で解説される郵便局でも使われる予定となっていました。

 ところが、長年にわたってドバイとライバル関係にあったアブダビが、「7本のナツメヤシの大きさに大小があるのは、休戦協定諸国間の平等という原則に反している」として切手のデザインにクレームをつけてきました。アブダビにしてみれば、切手のデザインでは一番大きな木がドバイで、自分たちは格下に描かれていると理解したのでしょう。そして、1960年末に解説された油田地帯のダス島の郵便局でこの切手を使うことを拒絶しました。(ちなみに、ダス島の郵便局はアブダビ内に設けられた最初の郵便局です)

 この結果、7本のナツメヤシのデザインの切手は、ドバイでしか使われなかったとされています。また、切手にクレームをつけたアブダビは、1964年3月、自分たち独自の切手を発行し始め、後にその他の首長国もこれに続いたことから、いわゆるアラブ土侯国の切手濫発が始まることになりました。

 ところが、7本のナツメヤシの切手は完全に廃されたわけではなく、一部の首長国に対しては、外貨獲得のための輸出用ではなく、実際に郵便に使うためのものとして、“休戦協定諸国”との表示を抜き、首長国名を加刷した状態で配給されることもあり、それが、今回ご紹介のカバーのような使用例として残されることにもなったというわけです。ドバイと肩を並べるアブダビならともかく、貧しいラサールハイマとしては、どう考えても自分たちが一番高い木ではないことは百も承知でしょうから、アブダビのように頭にくるということもなかったのでしょうな。

 もっとも、現在であれば、ドバイにはブルジュ・ドバイという世界一の超高層ビルがありますからねぇ。アブダビだって、切手の中の一番高い木をドバイに見立てることへの抵抗も薄いのではないかと思います。とはいえ、ドバイ救済のために多額の資金を提供することになっているアブダビにしてみれば、「ったく、馬鹿と煙は…」と言いたい心境なのかもしれませんがね。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 1月10日(日) 切手市場 
 於・桐杏学園(東京・池袋) 10:15~16:30
 拙著『昭和終焉の時代』の即売・サイン会(行商ともいう)を行います。入場は無料で、当日、拙著をお買い求めいただいた方には会場ならではの特典をご用意しておりますので、よろしかったら、遊びに来てください。詳細はこちらをご覧いただけると幸いです。

 1月15~17日(金~日) 第1回“テーマティク出品者の会”切手展
 於・切手の博物館3階(東京・目白)
 僕も、「マシュリク近現代史」と題して、スエズ以東のアラブ世界の近現代史をたどるコレクションを出品する予定です。詳細はこちらをご覧ください。


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 2001年のシリーズ第1巻『濫造濫発の時代』から9年。<解説・戦後記念切手>の最終巻となる第7巻は、1985年の「放送大学開学」から1988年の「世界人権宣言40周年年」まで、NTT発足や国鉄の分割民営化、青函トンネルならびに瀬戸大橋の開通など、昭和末期の重大な出来事にまつわる記念切手を含め、昭和最後の4年間の全記念・特殊切手を詳細に解説。さらに、巻末には、シリーズ全7巻で掲載の全記念特殊切手の発行データも採録。

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 サッポロビール
2006-10-13 Fri 00:38
 プロ野球のパリーグは日本ハムが優勝しました。というわけで、今日は北海道ネタの中から、こんな1枚を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

ラサールカイマ・札幌五輪

 これは、1972年の札幌オリンピックに際して、いわゆるアラブ土侯国のひとつであったラサールカイマが1971年に発行した切手で、札幌の市街地にサッポロビールを組み合わせるというデザインになっています。

 現在30代以上で、切手に関心を持ったことのある人なら、シャルジャーとかラサールカイマとかいった、ペルシァ湾岸の小首長国の名を見たり聞いたりした経験が、1度や2度はあるでしょう。日本語で“アラブ土候国”と総称されるこれらの国々は、1971年12月、アラブ首長国連邦(UAE、以下、適宜「連邦」と略す)を結成し、その郵政も連邦郵政として統合されたため、現在では切手を発行していません。しかし、これらの国々は、一部の例外を除き、1964年ごろから、連邦の成立により各郵政による独自の切手発行が取り止められる1972年までの間、世界各国の切手収集家を狙ってすさまじい数の切手を濫発していました。そして、その切手濫発により、ひろく、世界中の切手収集家の間で悪名をとどろかせていました。

 今回ご紹介している切手の発行元になっているラサールカイマはUAEの最北に位置しています。面積は1684平方キロ、人口も10万人以下の小国です、かつては、やはり現在UAEメンバーとなっているシャルジャーとともに、ペルシァ湾岸で大きな勢力を保持していたカワーシム族の拠点となっていました。特に、領内のジュルファルは、19世紀半ばにいたるまでペルシァ湾屈指の港湾都市として繁栄を誇っていました。

 しかし、イギリスがペルシャ湾岸の覇権を掌握し、カワーシム族を討伐したことや、イギリスと結託した部族連合バニー・ヤースの台頭などにより、カワーシム族の勢力はしだいに衰退。さらに、1869年、カワーシム族の支配地域はシャルジャーとラサールカイマに分裂し、単なる小首長国のひとつに転落しました。

 ラサールカイマの支配一族であるカワーシム族は、バニー・ヤース系のアブダビとドバイが石油収入を得て経済的に発展したことに対して、長年にわたって激しい競争心をもっていました。このため、1971年12月にアブダビの主導でUAEが成立した際、ラサールカイマは当初これに参加せず、独自の国家建設をめざします。

 しかし、独立国家の財政をまかなえるほど石油の産出量がなかった(ラサールカイマは独自の国家建設をめざして石油採掘事業を展開したが、油田の採掘にはじめて成功したのは1983年のことです)ことに加え、UAE成立直前の1971年11月、トゥンブ諸島を巡るイランとの国境紛争に敗れたことなどもあり、尾羽打ち枯らして1972年2月、連邦に加入。以後、連邦内におけるアブダビやドバイの指導権に従う代わりに、連邦政府からの財政支援により近代化政策を進めるようになりました。

 ところで、あらためていうまでもなく、ラサールハイマをはじめ、UAEを構成している首長国はいずれも国民の大多数がイスラム教徒であり、飲酒はご法度です。したがって、彼らの切手にビールを取り上げるなど、本来ならトンでもない話で、この点からも、海外に輸出して外貨を稼ぐことを主な目的という、この切手の性格がよくわかります。

 どうでもよいことですが、日本ハムの選手たちのビールかけは、やっぱり、地元ということでサッポロビールを使うんでしょうか。ちょっと気になります。

 なお、ラサールカイマをはじめ、いわゆるアラブ土侯国とその切手や郵便に関しては、拙著『中東の誕生』で1章を使ってまとめてみたことがあります。機会がありましたら、こちらも是非、お読みいただけると幸いです。

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