2023-06-25 Sun 07:18
ロシアのウクライナ侵攻作戦に参加してきた民間軍事会社ワグネルの創設者、エフゲニー・プリゴジンは、23日、ウクライナ侵攻に加わるワグネルの拠点がロシア軍による攻撃を受け、多数の死者が出たと主張し、ロシアで”正義の行進”を行うと宣言。翌24日、部隊は露南部ロストフ州に入り、州都ロストフナドヌーの南部軍管区司令部を制圧した後、モスクワに向かっていましたが、ベラルーシ大統領アレクサンドル・ルカシェンコの仲介により、ワグネルは同日中にロシア国内での武装蜂起の停止で合意し、ロストフから撤退。プリゴジンはベラルーシに出国しました。というわけで、ロストフに関する切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、ロシア内戦中の1922年、ボリシェヴィキ政権(ソヴィエト社会主義ロシア共和国)側の飢餓救済南東地方委員会が発行し、ロストフなど一部の地域のみで発売された“慈善切手”のうち、“南東(ロシア)飢餓救援”の文言と鎚と鎌の円盤を支え持つ2人の男が描かれています。 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。なお、内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。 なお、ソ連初期の飢餓については、拙著『本当は恐ろしい!こわい切手』でも1章を設けて取り上げていますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。 ★★★ 全日本切手展のご案内 ★★★ 7月15-17日(土-月・祝) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)が開催されます。今回は、会期中3日連続で、内藤が併催の韓国切手展の展示解説を行うほか、トークイベントも行う予定です。時間等は現在、最終調整中ですが、展覧会の情報は全日本切手展のオフィシャルサイトなどで、随時アップしていきますので、よろしくお願いいたします。 *招待券(裏面押印なきものは無効)の画像です。 ★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★ 7月14日(金) 05:00~ おはよう寺ちゃん 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。 よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。 武蔵野大学のWeb講座 「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」と「日本郵便150年の歴史」の2種類の講座をやっています。詳細はこちらをご覧ください。 ★ 『現代日中関係史 第2部 1972-2022』 好評発売中!★ 2022年11月に刊行された「第1部1945-1972」の続編で、日中国交”正常化”以降の1972年から2022年までの半世紀の、さまざまな思惑が絡まり合う日中関係の諸問題を、切手とともに紐解いていきます。 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2020-05-01 Fri 02:01
きょう(1日)はメーデーです。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1922年、ロシア革命後のボリシェヴィキ政権(ソヴィエト社会主義ロシア共和国)が発行した1万ルーブルの普通切手で、『共産党宣言』の文言「万国のプロレタリアートよ、団結せよ」のロシア語訳と工場を背景に槌を持つ腕が描かれています。 労働運動の国際的組織化の試みとしては、1864年、カール・マルクスらの指導によってロンドンで結成された“国際労働者協会(第1インターナショナル)”が最初です。しかし、第1インターナショナルは、マルクスとバクーニンの思想的対立やパリ・コミューン崩壊後の左翼運動への弾圧の強化などにより1872年に分裂し、1876年に活動停止に追い込まれました。 その後、全世界的に工業化が進展し、労働者の数も増加したことで、労働運動も活発となり、各国での社会主義政党の結成も続いたことから、1883年に亡くなったマルクスに代わり、社会主義運動の理論的指導者となっていたエンゲルスが中心になり、1889年、欧米19ヵ国の労働者代表によって第1インターナショナルが結成されます。 第2インターナショナルは、ドイツ社会民主党を中心に、各国の社会主義政党の連帯組織という性格が強く、労働組合も参加していましたが、政党との関係に否定的な労働組合主義をとる組合は、別に労働組合インターナショナルを結成しました。しかし、1914年に第一次世界大戦が勃発すると、加盟する社会民主主義政党は“城内平和”を掲げ、それぞれ自国の戦争を支持したために瓦解しました。 その後、これに反対する諸派は、1915年9月5-8日、スイスのツィンマーヴァルトで国際会議を開催しましたが、同会議で、参加者は平和主義的な右派と革命的な左派に分裂。そして、左派の中心となったロシア社会民主労働党(ボリシェヴィキ)は“排外主義者”や“日和見主義者”と絶縁した第2インターナショナルの設立を主張しました。これが、コミンテルンの源流になります。 1917年のロシア10月革命で政権を掌握したボリシェヴィキは、後進国ロシアの革命は先進工業国の革命なしには生き延びることはできないとの認識を持っていました。そのため、先進国で革命を起こすため、新たな国際革命組織の結成に乗り出します。そして、大戦終結後の1918年12月、英国労働党が第2インターナショナルの再建を呼びかけると、レーニンは、これに対抗すべく、外務人民委員(外務大臣)ゲオルギー・チチェーリンに第3インターナショナル設立準備を命じました。 これを受けて、1919年1月、39の党やグループ宛に招待状が発表され、同年3月、ペトログラード(現サンクトペテルブルク)で開催された革命的プロレタリア政党の国際会議で、第3インターナショナル(コミンテルン)の創立が決議されました。 ちなみに、会議に参加した54名の代議員のうち、ロシア国外から参加したのは5名だけです。そのため、ドイツ共産党のフーゴ・エーバーラインらは「世界的な革命組織コミンテルンの創立は時期尚早」と異議を唱えましたが、ボリシェヴィキに押し切られてしまいました。 大会は、“主要な諸国の共産党の代表者一名”で構成される執行委員会を指導機関とし、執行委員会は5名からなるビューロー(事務局)を選出することを決定。初代議長にはグリゴリー・ジノヴィエフが選出されました。このジノヴィエフがユダヤ系ロシア人であったことが、後に、コミンテルンは“ユダヤの組織”とする陰謀論の根拠(の一つ)とされていきます。 コミンテルンの発足を受けて、ボリシェヴィキ政権は各国語で「万国のプロレタリアートよ、団結せよ」との文言の入った紙幣の発行を開始。この文言は、ボリシェヴィキ政権とその後継者であるソ連の国是として、あらゆる場所で掲げられました。今回ご紹介の切手もその1枚というわけです。 さて、コミンテルンは、発足当初から、ロシアのボリシェヴィキの影響力が圧倒的でした。そして、ボリシェヴィキは主導権を維持するため、1920年7月の第2回大会で、内乱へ向けての非合法的機構の設置(第3条)、党内における軍事的規律に近い鉄の規律(第12条)、社会民主主義的綱領の改定(=議会制民主主義の否定、第15条)、党名の共産党への変更(第17条)、コミンテルンに反対する党員の除名(第21条)などが盛り込んだ“21箇条の加入条件”を採択します。 もちろん、各地の左翼系政党も、無条件にこれを受け入れたわけではありません。ドイツでは、この加入条件をめぐり、1920年10月に独立社会民主党が右派と左派に分裂。その左派とドイツ共産党が合同して同年12月に統一ドイツ共産党が結成されます。フランスでは、1920年12月、社会党大会でコミンテルン加盟と共産党への改称が決定され、反対派が新たに社会党を結成しました。また、コミンテルンに加盟済みだったイタリア社会党も1921年1月に分裂し、イタリア共産党が設立されました。 このように各地で左翼系政党が賛成派と反対派に分かれ、党の分裂・再統合を経て再編成されていく過程で、左派が“共産党”を名乗り、コミンテルンに加盟。以後、コミンテルンは“世界革命”を目指して、各国共産党を支援・指導していくことになります。 ★★ 内藤陽介の最新刊 『日韓基本条約』 ★★ 本体2000円+税 出版社からのコメント 混迷する日韓関係、その原点をあらためて読み直す! 丁寧に読むといろいろ々発見があります。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2018-08-16 Thu 02:42
トランプ米大統領は、14日(現地時間)、政権の内幕本を出版した黒人女性のオマロサ・マニゴールト元補佐官をツイッターで“あの犬”と呼んで非難。黒人議員などからの人種差別的だとの反発に対して、ホワイトハウスの報道官は、人種差別的な意図はなかったとの趣旨で、「大統領は黒人以外の人々にも似たような発言をしている」と釈明する一幕がありました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、ロシア革命後の内戦期に、赤軍側が作ったプロパガンダ絵葉書で、敵対する白軍(反革命軍)の指導者を狂犬に見立てて、その背後に米英仏の“協商諸国(=第一次大戦中の連合国)”がいることを風刺した漫画が描かれています。ちなみに、米国の飼犬はデニーキン、フランスの飼犬はコルチャーク、英国の飼犬はユデーニチとなっていますが、その対応関係はあくまでもイメージで、実際の(最大)援助国とは必ずしも一致していません。 そもそも、私有財産制度と階級秩序を否定し、無神論を掲げる社会主義・共産主義とその信奉者は、19世紀から、多くの国々で既存の体制と衝突していました。こうした背景に加え、1917年11月、ロシア10月革命の結果誕生したソヴィエト労農臨時政府(ボリシェヴィキ政権)は、翌12月、帝政時代の債務を一方的に破棄し、外交上の密約を曝露。さらに、1918年3月、無併合・無賠償の原則を掲げてドイツと単独講和を結んでしまいました。 このため、列強諸国はボルシェビキ政権に対する敵意をあらわにし、干渉出兵を企図。その嚆矢として、英国はウラジオストックに巡洋艦サフォークを派遣しました。 こうした状況の下で、1918年5月、チェコ軍団がシベリア鉄道沿線のチェリヤビンスクで反乱を起こします。 第一次大戦以前、チェコはオーストリアの支配下にあり、チェコ人将兵はオーストリア軍の一員として帝政ロシアと戦っていました。しかし、独立を強く望んでいたチェコ人にとってはオーストリアこそが“敵”であり、“敵の敵”であるロシアに投降する者も少なくありませんでした。 帝政ロシアは、こうしたチェコ人を集めて約15万のチェコ軍団を組織。彼らは反ドイツ・オーストリア感情がきわめて強く、帝政ロシアを打倒して単独講和を結んだボリシェヴィキ政権はドイツの手先と考えていました。 チェコ軍団の反乱はこうした背景の下に起こったもので、ボリシェヴィキ政権は連合国にチェコ軍団の武装解除を要求しましたが、連合国はこれを拒否。逆に、チェコ軍団救出を大義名分として、日・米・英・仏・伊・加・中の各国がロシアに出兵します。 これがいわゆるシベリア出兵で、当初の目的は、“過激派”のボリシェヴィキ政権を打倒してドイツと戦うロシア政府を樹立し、東部戦線にドイツ軍を釘付けにすることにありました。わが国の第12師団も、1918年8月11日、ウラジオストクに上陸。9月6日までにハバロフスクを占領して、沿海州と黒龍州東部を制圧し、18日にはブラゴヴェシチェンスクに到達しています。 もっとも、同年11月には、ドイツが降伏して第一次大戦が終結。シベリア出兵はその本来の目的を失ってしまいました。 一方、英仏は、シベリア各地でボリシェヴィキ政権の赤軍と戦っていた白軍を支援し、1918年9月、オムスクでアレクサンドル・コルチャーク(帝政ロシア時代の黒海艦隊司令長官)を擁立して、“全ロシア臨時政府”の成立を宣言していました。 しかし、しだいに白軍は赤軍に圧倒され、1919年8月、英仏もコルチャーク政権を見捨ててしまいます。米国も日本のシベリア東部三州への野心に懸念を強め、日本にシベリアからの撤兵を求めましたが、1919年6月、わが国はコルチャック政権を仮承認し、ハバロフスクに日本総領事館(初代総領事は杉野鋒太郎)を設置します。 結局、コルチャーク政権は翌1920年1月に崩壊。これと前後して、1月8日には、米国が、2月には英仏が撤兵しましたが、その後も日本軍はシベリアへの駐留を継続。しかし、1922年6月24日、ついに日本軍も全シベリアからの撤兵を宣言し、10月25日、撤兵を完了しました。これを受けて、同年末、ソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)が成立し、ロシアの内戦は終結します。 なお、ロシア革命後の内戦の時代と列強諸国によるシベリア出兵に塁手は、拙著『ハバロフスク』でも、簡単にではありますが、まとめています。機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。 ★★★ 近刊予告! ★★★ えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です! 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。 (画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) ★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★ 本体2500円+税 【出版元より】 中東100 年の混迷を読み解く! 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史! 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2017-11-09 Thu 09:20
本日(9日)16:05から、NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第11回が放送される予定です。(番組の詳細はこちらをご覧ください)。今回は、おととい(7日)、100周年を迎えたロシア10月革命にスポットを当てて、この切手もご紹介しながら、お話をする予定です(画像はクリックで拡大されます)
これは、1918年にボリシェヴィキ政権が発行した10月革命の記念切手です。 1917年3月8日の2月革命(旧暦2月23日)でロシア皇帝ニコライ2世が退位してロマノフ王朝は崩壊し、臨時政府が樹立されます。一方、労働者・農民・兵士はソヴィエト(評議会)を結成して休戦を強く要求し、戦争を継続しようとする臨時政府と対立。第一次臨時政府は崩壊しました。 混乱の中、同年5月5日、旧臨時政府の自由主義者に加え、社会革命党(エスエル)とメンシェビキ(旧ロシア社会民主労働党右派)を中心とする社会主義者たちが参加する第一次連立政府が成立しますが、この政府もウクライナ自治問題をめぐって立憲民主党(カデット)の閣僚が辞任して崩壊。社会主義者であるケレンスキーを首班とする第二次連立政府が成立します。 こうした状況の中で、6月16日、ケレンスキー政権はガリツィアでドイツ・オーストリアに攻撃を開始。緒戦こそロシアが勝利したものの、ロシア軍の士気は低く、7月2日には作戦は失敗に終わっただけでなく、8月にはドイツ軍のリガ攻勢によりリガ(現在はラトヴィアの首都)を奪われてしまいます。 このため、兵士らの戦争への不満と労働者らの飢餓や苦境への不満が爆発。7月16-20日、首都ペトログラードではボリシェヴィキ(旧ロシア社会民主労働党左派。後のソ連共産党の前身)に率いられた労働者や兵士らが臨時政府に対する七月蜂起を起こしましたが、臨時政府による「ボリシェヴィキの指導者レーニンはドイツのスパイである」との宣伝が功を奏したこともあって、蜂起は失敗に終わりました。 しかし、8月、「死につつあるロシアの大地を守る」としてコルニーロフ(日露戦争等の英雄で、7月、臨時政府の最高司令官に就任)が、臨時政府の一角を占めるソヴィエトを打倒すべくクーデターを起こすと、当初、ケレンスキーはコルニーロフを支持して軍の首都への導入を依頼したものの、軍が首都に接近すると、自らも打倒されるかもしれないと不安に感じて変心。ケレンスキーは、臨時政府の軍人たちを信頼できず、ボリシェヴィキの赤衛隊などの武装勢力に救援を要請し、ボリシェヴィキの説得を受けた兵士やコサック兵らはコルニーロフを見捨て、クーデターは失敗に終わりました。 その後、10月10日、ボリシェヴィキの中央委員会は投票を行い、10対2で「武装蜂起はもはや避けられず、その期は十分に熟した」という宣言を採択。ペトログラード・ソヴィエトは、10月12日、軍事革命委員会を設置しました。 10月23日、ボリシェヴィキの指導者の一人でエストニア人のヤーン・アンヴェルトがエストニア自治政府の首都タリンで武装蜂起を開始。翌24日、最後の反撃を試みた臨時政府がボリシェヴィキの新聞『ラボーチー・プーチ』『ソルダート』の印刷所を占拠すると、軍事革命委員会はこれを引き金として武力行動を開始。赤衛隊はペトログラードの印刷所、郵便局、発電所、銀行などの要所を制圧し、10月25日(11月7日)、「臨時政府は打倒された。国家権力は、ペトログラード労兵ソヴィエトの機関であり、ペトログラードのプロレタリアートと守備軍の先頭に立つ軍事革命委員会に移った」との宣言が発せられました。 さらに、25日午後9時45分、防護巡洋艦アヴローラの砲撃を合図に、ウラジーミル・アントーノフ=オフセーエンコ率いる部隊が、臨時政府の閣僚が残る冬宮に進入。26日未明に占領されました。 これが、ロシア10月革命で、公式な日付としては、冬宮を除くすべての政府機関が占領された10月25日(グレゴリオ暦11月7日)とされています。 10月27日、第二回ソヴィエト大会は、臨時政府に代わる新しいロシア政府として、レーニンを議長とする「人民委員会議」を設立。世界最初の社会主義国家として、ソヴィエト・ロシア共和国が成立しました。 今回ご紹介の切手は、こうした状況の下、1918年初頭に発行されたもので、国名表示は、単に“ロシア”となっています。その後、同年7月19日、ロシア共和国憲法の制定により、国名がロシア社会主義連邦ソヴィエト共和国(РСФСР=RSFSR)へと改称されると、1921年には“РСФСР”表示の切手が発行されることになります。 なお、革命の混乱の中で、旧ロシア帝国の各地では、さまざまな勢力が入り乱れての内戦が発生しますが、最終的に、内戦は赤軍勢力の勝利に終わり、1922年、ロシア共和国、ザカフカース社会主義連邦ソヴィエト共和国、ウクライナ社会主義ソヴィエト共和国、白ロシア・ソヴィエト社会主義共和国の4ヵ国からなるソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)が成立しました。 ★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” 次回は9日!★★ 11月9日(木)16:05~ NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第11回が放送予定です。今回は、11月7日に100周年を迎えたロシア革命についてお話する予定です。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。 ★★★ 世界切手展<WSC Israel 2018>作品募集中! ★★★ 明年(2018年)5月27日から31日まで、エルサレムの国際会議場でFIP(国際郵趣連盟)認定の世界切手展<WSC Israel 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。 現在、出品作品を11月10日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、待ちしております。 ★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★ 本体2500円+税 【出版元より】 中東100 年の混迷を読み解く! 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史! 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2011-11-21 Mon 22:46
プロ野球の日本シリーズは福岡ソフトバンクホークスが中日ドラゴンズを下して日本一となりました。というわけで、タカの切手を持ってきたかったのですが、気の利いたモノはすでにあらかたこのブログでも取り上げてしまっているので、視点を変えて“龍退治”の切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1921年4月、内戦期のロシアでボリシェヴィキ政権が発行した40ルーブル切手で、新生ロシアの勝利を象徴する図案として、龍を倒す若者が描かれています。当時のボリシェヴィキ政権を代表する切手の1枚で、スコット・カタログでは印面寸法の違いによりタイプ1と2に分類しています。また、この切手を台切手とした加刷切手も発行されていますが、こちらには様々なバラエティがあります。 キリスト教世界で龍退治といえば、聖ジョージの龍退治が有名ですが、シレネの龍を退治した聖ジョージはかの地の住民をこぞってキリスト教に改宗させたことになっています。この切手でも、そうした伝統を踏まえて、資本家や地主、教会を龍になぞらえ、そうした旧支配層から人々を解放したボリシェヴィキというイメージを表現しようとしたのでしょう。ただし、当時のボリシェヴィキ政権に対しては、人々は自ら進んで帰順したというよりも、赤色テロルを恐れて沈黙し、帰順したふりをせざるを得なかったというのが実情でしたが…。 なお、1917年のロシア革命から1922年のソヴィエト社会主義共和国連邦(いわゆる“ソ連”ってヤツですな)が成立するまでのロシア内戦期とその時代の切手や郵便については、拙著『ハバロフスク』でも(簡単にではありますが)ご紹介しております。今年はソ連崩壊から20周年という節目の年でもありますし、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。 ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★ 11月17日、TBSラジオのニュース番組、 森本毅郎・スタンバイで紹介されました。 年賀状の戦後史 角川oneテーマ21(税込760円) 日本人は「年賀状」に何を託してきたのか? 「年賀状」から見える新しい戦後史! amazon、bk1、e-hon、HMV、livedoor BOOKS、 セブンネットショッピング、楽天ブックスなどで好評発売中! ★★★ 好評既刊より ★★★ ハバロフスク(切手紀行シリーズ④) 彩流社(本体2800円+税) 空路2時間の知られざる欧州 大河アムール、煉瓦造りの街並み、金色に輝く教会の屋根… 夏と冬で全く異なるハバロフスクの魅力を網羅した歴史紀行 シベリア鉄道小旅行体験や近郊の金正日の生地探訪も加え、充実の内容! amazon、bk1、e-hon、HMV、livedoorBOOKS、セブンネットショッピング、楽天ブックスなどで好評発売中! |
2010-08-06 Fri 16:07
昨日(5日)、ロシアのプーチン首相は、記録的な猛暑と少雨による旱魃被害が拡大していることをうけ、穀物および穀物から作られる関連製品の輸出を今月15日から12月末まで禁止する法案に署名しました。というわけで、きょうは“ロシアと小麦”に絡んでこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1922年、内戦期(革命後、ソビエト社会主義共和国連邦成立までの時期)のロシアで発行された飢餓救済の寄付金つき切手で、希望の星の下、小麦の穂を背景にした労働者と農民の握手が描かれています。 1917年11月、ロシアで社会主義革命が勃発し、ソヴィエト労農臨時政府(ボリシェヴィキ政権)が誕生します。そもそも、私有財産制度と階級秩序を否定し、無神論を掲げる社会主義・共産主義とその信奉者は多くの国々で既存の体制と衝突していましたが、ロシア国内でもボリシェヴィキ政権に抵抗する白軍がシベリア各地で蜂起し、ロシアは内戦状態に陥りました。 一方、ボリシェヴィキ政権が、1917年12月、帝政時代の債務を一方的に破棄し、外交上の密約を曝露したうえ、翌1918年3月、無併合・無賠償の原則を掲げてドイツと単独講和を結んだことで、列強諸国は激怒。ボルシェヴィキ政権に対する敵意をあらわにし、白軍を支援する干渉出兵を行うとともに、同政権に対する経済封鎖を発動しました。 こうした状況の下で、ボリシェヴィキ政権は、戦時共産主義と称して、あらゆる企業を国営化するとともに、農民から“余剰”農産物を強制的に徴発。私企業を禁止して、国民に対しては食糧・日用品を配給し、反対者は容赦なく処罰します。しかし、強引な社会主義化政策は既存の社会を疲弊させ、貨幣は事実上無価値となり、飢餓が蔓延して経済は停止状態に陥ってしまいました。このため、1921年3月21日には、穀物の強制徴発を廃し、中小企業の民営化を認めるなど、市場原理を部分的に許容する新経済政策(ネップ)が導入されることになりました。 ネップの実施による経済再建政策の一環として、ボリシェヴィキ政権は、飢餓救済などの名目でさかんに寄付金つき切手を発行しました。今回ご紹介の切手もその1枚です。 さて、現在、ロシアでは猛暑のため、南部や中部の穀倉地帯を中心に穀物の作付面積の2割以上が旱魃被害を受けており、ロシア政府はすでに非常事態宣言を発しています。今月3日には、ロシア農業省が収穫見通しを、昨年度比26%減の7000-7500万トンへと下方修正しましたが、ロシア国内の穀物の年間消費量は約7500万トンとされていますから、輸出を維持した場合、国内分が不足し、小麦製品価格や穀物飼料の値上げに伴う食肉価格の上昇などのインフレを招くことは必至です。それゆえ、今回の輸出禁止措置は、彼らの立場からすればやむを得ないでしょうな。 全世界の小麦生産の1割を占めるロシアの小麦が国際市場に出回らなくなれば、当然のことながら、小麦の価格は上昇することになります。したがって、小麦の大半を輸入に頼っているわが国の場合、ロシアからの小麦の輸入がないからと言って、全くの無傷でいられるとは思えません。もちろん、かつての石油危機の時のように、必要以上にパニックになることはないと思いますが、農水大臣が「小麦の総生産に占めるロシアの割合は(世界全体の)1割ぐらい。価格にはそう影響ないんじゃないか。この世界的な天候不順だから、いつ、何時、どのようなことがあってもおかしくない状況」と発言しているのは、どうも呑気すぎるような気がします。まぁ、こういう緊張感のなさが、先日の口蹄疫問題を深刻化させる結果を招いたわけですがね。 ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★ 総項目数552 総ページ数2256 戦後記念切手の“読む事典”(全7巻) ついに完結! 『昭和終焉の時代』 日本郵趣出版 2700円(税込) 2001年のシリーズ第1巻『濫造濫発の時代』から9年。<解説・戦後記念切手>の最終巻となる第7巻は、1985年の「放送大学開学」から1988年の「世界人権宣言40周年」まで、NTT発足や国鉄の分割民営化、青函トンネルならびに瀬戸大橋の開通など、昭和末期の重大な出来事にまつわる記念切手を含め、昭和最後の4年間の全記念・特殊切手を詳細に解説。さらに、巻末には、シリーズ全7巻で掲載の全記念特殊切手の発行データも採録。 全国書店・インターネット書店(amazon、bk1、JBOOK、livedoor BOOKS、7&Y、紀伊国屋書店BookWeb、ゲオEショップ、楽天ブックスなど)で好評発売中! |
2007-11-26 Mon 09:07
極東共和国の指導者だったアレクサンドル・ミハイロヴィチ・クラスノシチョーコフが、1937年11月26日にスターリンの粛清で銃殺されてから、今日でちょうど70年になります。というわけで、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1921年に発行された極東共和国の切手です。 極東共和国とは、ロシア革命後の1920年4月、干渉出兵でシベリアに駐留を続ける日本軍との緩衝国としてボルシェビキ政権が樹立したもので、ボルシェビキ政権の支配地域とは別個に、独自の切手も発行しています。当初の首都はウラン・ウデでしたが、後にチタに遷都。この切手はチタで発行されたものです。 もともと、極東共和国はボルシェビキ政権の衛星国といった性格のものでしたから、1922年10月に日本軍がシベリアから撤退すると、ボルシェビキ政権にとって同国の存在意義もなくなり、同年12月のソヴィエト社会主義共和国連邦(以下、ソ連)の成立にあわせて、同国はソ連に吸収され、消滅してしまいます。 この極東共和国の成立に尽力したのが、革命政府で共産党国際部東洋部長に就任したクラスノシチョーコフでした。 クラスノシチョーコフは、帝政時代の1902年にアメリカに亡命して、そこで教育を受け、革命後に帰国した人物で。極東共和国の樹立後は同国の首相に就任し、アメリカの支援で極東共和国の経済的自立をはかるべく、1921年には経済使節団をアメリカに派遣しています。同共和国では、アメリカ型の自由主義経済を一部取り入れたり、ボルシェビキ政権下では非合法とされていた各種政党を認めたり、男女平等を掲げる進歩的な憲法を制定したりするなど、自由主義的な国家作りを目指していました。 しかし、このことが、結果として教条主義的な共産主義活動家との対立をもたらし、クラスノシチョーコフは失脚。スターリン時代に銃殺されてしまいました。 ロシアの反プーチン派の指導者で、チェス元世界王者のカスパロフが、野党連合勢力の集会で、当局が許可していないデモ行進を強行し警察に抵抗したとしてモスクワの裁判所から拘禁5日間の決定を言い渡されたそうです。 ロシアに全体主義を復活させてはならないと奮闘中のカスパロフですが、ロシア国内ではプーチンの終身独裁体制が着々と進みつつあるようで、どうにも分が悪いのは否定できません。こういうニュースを聞くたびに、かつての極東共和国が存続していたら、リベラルな政治風土がロシアの一部にでも根付いていたかもしれないのに…、という思いを禁じえないのは僕だけではないでしょう。 なお、極東共和国に関しては、拙著『反米の世界史』でも簡単に触れていますので、機会がありましたら、ご覧いただけると幸いです。 【イベントのご案内】 12月1日(土)、東京大学駒場キャンパス・16号館119教室で開催のシンポジウム「戦争とメディア、そして生活」にて、日本占領時代の香港のことを中心に「切手というメディアが含蓄するもの」と題してお話しします。 僕の出番は、13:20スタートの「収集されるメディア―絵はがき、切手、ポスター」と題するセッションの2番目。入場は無料でどなたでもご参加いただけますので、ぜひ、遊びに来てください。 |
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