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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 南大河州のワイン
2016-11-17 Thu 10:39
 きょう(17日)は11月の第3木曜日。いわずと知れたボジョレー・ヌーボーの解禁日です。というわけで、毎年恒例、ワインがらみの切手の中から、この1枚です。

      ブラジル・リオグランデドスルへのイタリア移民75年

 これは、1950年3月15日にブラジルで発行された“リオグランデ・ド・スル州(南大河州)へのイタリア移民75周年”の記念切手で、同州のワイン産業の象徴としてブドウが描かれています。

 ブラジルは国土の大半が高温多湿の地域にあるため、ブドウ畑の大半では食用ブドウの生産が行われていますが、赤道から外れた最南端のリオグランデ・ド・スル州、特に、アルゼンチンとの国境にも近い高地のセラ・ガウチャ地域は国内のワイン生産の中心地となっています。

 リオグランデ・ド・スル州におけるブドウの栽培は、1626年、イエズス会がスペインのブドウ木を持ち込んだのが最初と言われています。18世紀には、アゾレス諸島出身の入植者が、マデイラ諸島とアゾレス諸島からブドウの切穂を持ちこんでいます。

 こうした経緯を経て、1875年、イタリア有数のワインの生産地であるヴェネト州からの移民がリオグランデ・ド・スル州に入植。今回ご紹介の切手は、ここから起算して75周年になるのを記念して発行されたものです。

 リオグランデ・ド・スル州のイタリア移民は、20世紀に入ると、セラ・ガウチャ地域で相次いでワイナリーを開業しました。その代表的な例としては、モナコ(1908年開業)、サルトン(1910年開業)、ドレヘル(1910年開業)、アルマンド・ペテロンゴ(1915年開業)などがあります。ただし、1970年代までのブラジル・ワイン生産は質より量を重視しており、ブレンド用に使われることが多かったため、世界的にはほとんど無視されていました。

 これに対して、1973年、隣国ウルグアイの名門ワイン農家、カルラウ家がセラ・ガウチャで生産した「シャトー・ラカヴェ」を発売したことで、ブラジル・ワインの評価が見直されるようになり、翌1974年には、米仏伊加の4ヵ国のワイン企業(その中には、かのモエ・エ・シャンドンも含まれています)がリオグランデ・ド・スル州にワイナリーを開設し、ヨーロッパ種のブドウを本格的に移植。以後、ブラジル・ワインは輸出に耐えうる品質へと成長していくことになります。

 僕の個人的なブラジルとワインの体験といえば、リオデジャネイロの中心部、プリメイロ・デ・マルソ(3月1日)通りの旧中央郵便局の向かい側にあった1924年創業という酒屋、リダドールの店頭の一番目立つ場所にはワインが並べられていたことを思い出します。(下の画像)

      リダドール

 リダドールの前からプリメイロ・デ・マルソ(3月1日)通りを南に少し行ったところには、リオデジャネイロ州の立法議会議事堂がありますが、この場所は、もともと、ブラジル独立の志士、チラデンチスが囚われていた牢獄がありました。議事堂が、現在でも、チラデンチス宮殿と呼ばれているのはこのためです。

 チラデンチスは、1789年の蜂起の前に「独立の乾杯はポルトガル・ワインでなく、我々のカシャッサだ」と誓い合ったというエピソードがあり、それ以来、カシャッサはブラジル(の独立)を象徴する酒として、ブラジル人の誇りとなっています。酒屋のリダドールがオープンした1924年には、まだ、現在のチラデンチス宮殿とチラデンチス像はプリメイロ・デ・マルソ通りにはなかったと言えばそれまでなのですが、この地で息絶えたチラデンチスにしてみれば、やはり、店先にはワインではなく、カシャッサを置いてほしかったんじゃないだろうかと、ついつい、思ってしまいました。

 まぁ、僕の場合は、拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』が重版になって、その祝杯を挙げる日が来たら、ワインでもカシャッサでも、どちらでも喜んでいただきますが…(笑。


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 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

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 カシアス公廟
2016-09-22 Thu 14:11
 きょうは秋のお中日。僕は今年も行きそびれてしまいましたが、お墓参りの日です。というわけで、恒例の“お墓”の切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      ブラジル・カシアス公生誕150年(墓)

 これは、1953年にブラジルで発行されたカシアス公(ルイス・アルヴェス・デ・リマ・デ・シルヴァ)生誕150周年の記念切手のうち、カシアス公の墓を取り上げた1枚です。

 カシアス公は、1803年8月25日、リオデジャネイロ州の“サンパウロ”という名の大農場主の家に生まれました。1822年、若くしてブラジル独立戦争に従軍。以後、皇帝ドン・ペドロ1世の忠臣として活躍し、ドン・ペドロ2世の教育係にも任じられました。

 独立後まもない時期のブラジルでは地方の叛乱が相次ぎましたが、カシアス公はその鎮定に奔走。1856年にはドン・ペドロ2世によって首相に任命されます。さらに、1864年に三国同盟戦争が勃発すると総司令官に任じられ、ブラジル軍を勝利に導くなど、1880年に76歳で亡くなるまで、ブラジル帝国の屋台骨を支え続けました。

 1889年の共和革命後、皇室の忠臣だったカシアス公は忘れられた存在になっていましたが、生誕120年にあたる1923年以降、陸軍によって軍事的な英雄として再評価する動きがはじまり、1925年には彼の誕生日にあたる8月25日がブラジル陸軍を讃える“兵士の日”に指定されます。

 こうした流れを踏まえ、1937年、リオデジャネイロ中央駅の東側に竣工した陸軍総司令部の庁舎はカシアス公宮殿と命名されました。さらに、カシアス宮殿の前には、1949年8月25日、カシアス公の騎馬像と霊廟が建立され、リオ市内のサン・フランシスコ・デ・パウラ墓地に埋葬されていたカシアス公夫妻の遺体が霊廟に移されました。ちなみに、カシアス公の騎馬像と霊廟の外観は、こんな感じになっています。

      カシアス公像

 なお、カシアス公像・霊廟のあるリオ市内のメインストリート、プレジデンチ・ヴァルガス通りの歴史と景観については、拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』でも詳しく取り上げておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


★★★ トークイヴェントのご案内 ★★★

 拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』の刊行を記念して、東京・青山の駐日ブラジル大使館で下記の通り、トークイヴェントを開催いたします。ぜひ、ご参加ください。

 ・日時 2016年9月23日(金)18:00~20:00(17:30受付開始)
 ・会場 駐日ブラジル大使館 セミナー・ルーム
  〒107-8633 東京都港区北青山2丁目11-12 (地図はこちらをご覧ください)
 ・参加費 無料
 ・定員 30名(申込多数の場合は先着順) 

 * 当日いきなりのご参加もOKになりました。ただし、残席僅少です。
  
 なお、トークヴェベント終了後、20:30より近隣のブラジルレストラン「イグアス」にて懇親会を予定しております。(イグアスの地図はhttp://tabelog.com/tokyo/A1306/A130603/13048055/ をご覧ください) 

 お問い合わせ・懇親会のお申し込みは、下記宛にお願いいたします。

  申込先 えにし書房(担当・塚田)
  〒102-0074 千代田区九段南2-2-7-北の丸ビル3F
  Tel. 03-6261-4369 Fax. 03-6261-4379
  電子メール info★enishishobo.co.jp (スパム防止のため、★の部分を半角@に変えてご送信ください)

 一人でも多くの方にお会いできるのを楽しみにしております。

★★★ 講座のご案内 ★★★

 ・よみうりカルチャー荻窪 「宗教と国際政治」
 10月から毎月第1火曜の15:30より、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で講座「宗教と国際政治」がスタートします。初回は10月4日です。ぜひ、遊びに来てください。詳細は、こちらをご覧いただけると幸いです。

 ・毎日文化センター
 それぞれ、1日講座をやりますので、よろしくお願いします。(詳細は講座名をクリックしてご覧ください)

 10月11日(火) 19:00-20:30 リオデジャネイロ歴史紀行
 11月17日(木) 10:30-12:00 ユダヤとアメリカ 
  

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 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

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 敬老の日
2016-09-19 Mon 12:13
 きょう(19日)は“敬老の日”です。というわけで、拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』にちなんで、ブラジル切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      ブラジル・老人の日

 これは、1958年9月27日に発行された“老人の日”の切手で、砂時計の中に高齢の女性(上段)と男性(下段)を配したデザインとなっています。

 ブラジルの平均寿命は、1950年台前半には50.9歳でしたが、その後、着実な伸びを示し、2000年代前半では71.0歳に達し、2040年代後半で79.5歳になると推測されています。これに伴い、高齢者の人口も、1950年には161万人だった60歳以上の人口が、2007年には2000万人にまで急増。さらに、2050年には4928万人(100年間で30.60倍)にまで上昇すると推測されています。

 一方、年少人口比率は、ピーク時の1965年の44%をピークに1975年までは40%を超えていましたが、その後、徐々に減少して、2000年には29.6%となり、2040年代後半には18%前後にまで落ち込むことが予測されています。ただし、人口の絶対数でいうと、年少者人口のピークは1990年の5278万人で、これが2050年には4487万人にまで減少する見込みです。ただし、この数字は、1950年の年少人口、2243万人の約2倍ですから、人口問題としては、少子化よりも高齢化の方がはるかに深刻ということになります。

 このため、2010年に7%に到達したブラジルの高齢化率(全人口のうち、65歳以上の人口が占める割合)は、2031年には倍の14%になるものと推計されていますが、フランスの高齢化率が7%から14%になるまでに115年かかったのに比べると、かなりな急ペースです。ちなみに、わが国では同様のプロセスは26年で起きていますから、ブラジルの高齢化は日本のイメージでとらえると理解しやすいかもしれません。

 ところで、ブラジル社会では家父長的な慣行が尊重されてきたという経緯がありますが、民政移管後の1988年の連邦共和国憲法でも、たとえば、第230条では、政府にはブラジル高齢者(ブラジルの基準では60歳以上)の“威厳”を守る義務があるとされ、高齢者には公共交通機関が無料で解放される(このため、ポン・ヂ・アスーカルのロープウェイも60歳以上は無料です)ことになっています。

 さらに、2000年には金融機関と政府機関に対して高齢者に“即時”かつ“特別”な配慮を払うことを命じる連邦法(違反者には最大2500ヘアイスの罰金)が成立。2003年には、その対象が民間企業に対しても拡大されたため、多くの施設では高齢者向けの“優先窓口”が儲けられるようになりました。

 ところが、高齢者の急増に伴い、一般の窓口よりも高齢者向けの優先窓口の方に長蛇の列ができるという逆転現象がしばしば発生。このため、2014年、東部セアラー州の州都・フォルタレザでは、高齢者や障碍者は、どこでも、どの列にも割り込めるという条例が可決され、高齢者による行列の割り込みが“合法化”されました。

 当然のことながら、高齢者がこの条例を歓迎する一方、一般消費者の間からは批判の声も強く(ウォール・ストリート・ジャーナル紙には「(年齢にかかわらず、病人や体の弱い人に優先的な処遇を与えるのには賛成だが)髪を染めて、ポケットにバイアグラを詰め込んだような“高齢者”が列に割り込むと腹が立つ」という声が紹介されています)、また、こうした権利を濫用する高齢者も後を絶たないようです。

 いずれにせよ、今回ご紹介の切手が発行された1950年代のように、ブラジル社会において高齢者がごく少数派であった時代なら、“割り込み”の合法化にも問題はなかったのでしょうが、上述のように、急激な高齢化が進み、高齢者が決して少数派ではなくなってくると、さて、どうでしょうかねぇ。“割り込み”の合法化はお金のかからない政策なのでよいことじゃないかという人もあるかもしれませんが、結果として高齢者に対する社会的な不満が鬱積して、“ただほど高いものはない”ということになってしまったら、高齢者の威厳も損なわれてしまい、元も子もないような気がします。
 

★★★ トークイヴェントのご案内 ★★★

 拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』の刊行を記念して、東京・青山の駐日ブラジル大使館で下記の通り、トークイヴェントを開催いたします。ぜひ、ご参加ください。

 ・日時 2016年9月23日(金)18:00~20:00(17:30受付開始)
 ・会場 駐日ブラジル大使館 セミナー・ルーム
  〒107-8633 東京都港区北青山2丁目11-12 (地図はこちらをご覧ください)
 ・参加費 無料
 ・定員 30名(申込多数の場合は先着順)

  * 9月19日(月)までに、お名前・ご連絡先・ご所属を明記の上、電子メール、ファックス等で下記宛にお申し込みください。(お送りいただいた個人情報は、大使館へ提出する以外の目的には使用しません)
  申込先 えにし書房(担当・塚田)
  〒102-0074 千代田区九段南2-2-7-北の丸ビル3F
  Tel. 03-6261-4369 Fax. 03-6261-4379
  電子メール info★enishishobo.co.jp (スパム防止のため、★の部分を半角@に変えてご送信ください)

 なお、トークヴェベント終了後、20:30より近隣のブラジルレストラン「イグアス」にて懇親会を予定しております。(イグアスの地図はhttp://tabelog.com/tokyo/A1306/A130603/13048055/ をご覧ください) 
 会費は、『リオデジャネイロ歴史紀行』1冊の代金込みで6500円(書籍不要の場合は5000円)の予定です。参加ご希望の方は、トークイベントお申し込みの際に、その旨、お書き添えください。なお、懇親会のみの御参加も歓迎いたします。


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 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

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 世界漫郵記:リオデジャネイロ⑦
2016-08-30 Tue 15:15
 『キュリオマガジン』2016年9月号が発行されました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記」は前回に続き、リオデジャネイロ篇の第7回目。今回は、フラメンゴ公園の戦没者慰霊施設にフォーカスをあてました。その記事の中から、この1点をご紹介します。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      フラメンゴ公園(1960)  フラメンゴ公園・実物

 左は、1960年12月22日に発行された“英霊再埋葬”の記念切手で、フラメンゴ公園の戦没者慰霊塔が描かれています。ご参考までに、右側には、実際の慰霊塔の写真を貼っておきました。

 リオデジャネイロ・フラメンゴ地区の海岸に面したエドゥアルド・ゴメス公園は、1965年、ホベウト・ブーレ・マウクスの設計により造成されました。これに先立ち、慰霊塔本体は、公募で選ばれた建築家、マルク・ネット・コンデルとヘリオ・リバス・マリーニョの2人の設計によって1956年から着工し、1960年に完成しています。慰霊塔は、主として、第二次大戦で亡くなったブラジル軍将兵の慰霊のために建てられ、その足下には戦没者の埋葬施設もあります。また、第二次大戦以外にも、第二次中東戦争後のシナイ半島で国連平和維持活動に参加し、殉職したブラジル関係者も祀られています。

 さて、1939年9月に第二次大戦が勃発した当初、ブラジル国内では、陸軍の上層部はドイツに好意的でしたが、ヴァルガス政権は中立を維持していました。

 ところが、1941年12月、日本軍による真珠湾攻撃を受けて大戦に参戦した米国は、ブラジル北東部の戦略的な位置を重視し、ブラジルを自陣営に取り込もうとします。その一環として、米国は、ヴァルガス政権の経済政策の目玉の一つであったヴォルタ・レドンダ国立製鉄所の建設資金として2000億ドルを供与し、その代償として、レシーフェに米軍基地を設置。一方、ヴァルガス政権も、中立を掲げながらも、明らかに米国寄りの外交路線に舵を切るようになっていきました。

 一方、米国と戦闘状態に突入したドイツは大西洋戦線で潜水艦Uボートを用いた連合国の通商破壊作戦を展開していましたが、その結果、1942年1月から7月までの間に13隻のブラジル商船がドイツの潜水艦攻撃によって沈められます。さらに、同年8月には、潜水艦U-507により、2日間で5隻のブラジル船が沈められ、600人以上が犠牲になりました。この8月のUボート攻撃に対して、ブラジル国内の反独世論が沸騰。ヴァルガスは陸軍内の反対論を抑え込んで、8月22日、ドイツに対して宣戦を布告しました。

 その後、大戦末期の1944年になると、ブラジルは連合国の一員として、ラテンアメリカ諸国として唯一、米軍の指揮下に2万5000名余の遠征軍(FEB:Força Expedicionária Brasileira)をイタリア戦線に派遣し、ドイツ軍と戦いましたが、イタリアで戦死したFEBの将兵466名の遺体は、戦後長らく、イタリア北部トスカーナ州ピストイアのブラジル軍墓地に埋葬されていました。これらの遺体は、1960年、慰霊塔の完成に合わせて、祖国に帰還し、慰霊塔の下の墓廟に埋葬されています。今回ご紹介の記念切手は、これに合わせて発行されたもので、当時の慰霊塔周辺の風景が描かれています。

 現在、慰霊塔の傍らには、陸海空三軍の戦士を讃える三体の群像彫刻(造形作家アウフレッド・セシアッチの作品)と、空軍を讃える金属のオブジェ(彫刻家ジュリオ・カテッリ・フィーリョの作品)が設置されていますが、切手を見ると、ポン・ヂ・アスーカルを背景に、慰霊塔本体と空軍を讃えるオブジェは見えるものの、群像彫刻が描かれていません。

 ちなみに、ブラジルと第二次大戦の関係については、拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。なお、雑誌『キュリオマガジン』の「郵便学者の世界漫郵記:リオデジャネイロ篇」も、同書に収録しきれなかった内容を加えて、年内いっぱい連載を続けていく予定ですので、こちらもよろしくお願いいたします。


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 父の日
2016-06-19 Sun 14:18
 きょう(19日)は“父の日”です。というわけで、“母の日”の時と平仄をあわせて、ブラジル切手の中から、“父”に相当する単語の入ったこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      ブラジル・サントス=ドゥモン50年

 これは、1956年10月に発行された“サントス=ドゥモン(フランス語だとサントス=デュモン)の初飛行50周年”の記念切手で、印面の下部に“飛行機の”を意味するポルトガル語の“PAI DA AVIAÇÃO”の文言が入っています。

 アルベルト・サントス=ドゥモンは、1873年、ミナスジェライス州の裕福なコーヒー農園主の子として生まれました。

 幼少期からジュール・ベルヌの小説を愛読し、7歳にして牽引車を運転、12歳のときには農場を走る機関車を運転し田と言われています。18歳の時、父のアンリが仕事中に落馬し、骨盤を骨折して亡くなったため、莫大な財産を相続して祖先の国であるフランスに移住。飛行船や航空機の開発に熱中することになります。

 そして、1901年には半硬式の飛行船6号機で、制限時間内にエッフェル塔の周りをまわる飛行に成功し、ドゥーチ賞を受賞。そして、1906年10月22日には、エンテ型の動力機“14-bis”号の公開実験で高さ3m、距離約60mを飛行。11月12日再び公開で高さ6m、距離220mを飛行し、100m以上の飛行にかけられていたアルシュデック賞(アルクデアコン賞)を獲得しました。これはヨーロッパにおける最初の飛行機の飛行であると同時に、当時のヨーロッパでは、ライト兄弟による1903年の“初飛行”が知られていなかったこともあって、“世界最初の飛行”として高く評価されました。

 その後、ライト兄弟の初飛行が広く知られるようになったため、飛行機の発明者としては、サントス=ドゥモンではなく、ライト兄弟を挙げるのが一般的になりましたが、現在なお、ブラジルではサントス=ドゥモンこそが“飛行機の父”であると多くの人が考えているそうです。

 彼らの主張によると、

 1.1903年12月13日に米ノースカロライナ州のキティホークでライト兄弟が行ったとされる“初飛行”を目撃した証人は5人しかおらず、証拠とされる写真も初飛行から数年後にようやく発表されたもので、信憑性に乏しい。(ちなみに、公開の場でライト兄弟が飛行に成功したのは1908年で、サントス=ドゥモンの飛行よりも2年後のことです)

 2.仮に、ライト兄弟の初飛行が事実であったとしても、1903年の飛行実験後も兄弟の飛行実験にはカタパルトが使用されており、カタパルトを利用しての飛行であれば、飛行機ではなく“グライダー”とみなすべき。

 3.ライト兄弟の飛行機とされるライトフライヤー号を復元した飛行試験は、複数の研究者が挑戦したものの、いずれも失敗している。

 との理由から、1903年のライト兄弟の初飛行はかなり疑わしいのに対して、多くの人が見守る公開の場で行われた1906年のサントス=ドゥモンの初飛行は、誰もが疑う余地のない業績であるので、これこそが公式な“世界初飛行”とされるべきだというものです。なるほど、これはこれで説得力のある主張ですな。 

 なおサントス=ドゥモンは、1906年の初飛行で得た賞金を慈善活動に寄付しただけでなく、機体の特許を取らず、誰にでも飛行原理を理解出来るよう設計図を公開するなど、その人格的な高潔さも高く評価されています。

 しかし、第一次大戦が勃発し、飛行機や飛行船が兵器として使用された事実に失望。ヨーロッパを去ってブラジルに帰ったものの、ブラジルでも内戦鎮圧のために飛行機が使用されていることにショックを受け、飛行機の“平和利用”を訴えたものの、大統領や議会から無視されたため、絶望のあまり、1932年、サンパウロ州グアルジャのホテルでネクタイで首を吊って自殺しました。

 彼の死後、その栄誉をたたえて、1936年に開港したリオデジャネイロの空港はサントス=ドゥモン空港と命名されたほか、博物館等の公共施設や勲章など、彼の名を冠した施設等がブラジルには数多く存在しています。

 さて、現在、8月の五輪開催にあわせて、『リオデジャネイロ歴史紀行(仮題)』と題する拙著を刊行すべく、制作作業を進めています。定価、刊行日などの詳細が決まりましたら、随時、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いします。 


 ★★★ 講座のご案内 ★★★

 下記の通り、各地のよみうりカルチャーで公開講座を行います。ぜひ、ご参加ください。

・イスラムを知る―ISはなぜテロに走るのか
 よみうりカルチャー荻窪 6/26(日) 14:00~15:30
 よみうりカルチャー横浜 7/2(土) 13:00~14:30

・切手でたどる東京五輪とその時代
 よみうりカルチャー荻窪 7/9(土) 13:00~14:30

 詳細につきましては、それぞれの会場・時間をクリックしてご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 内藤陽介の新刊  『ペニー・ブラック物語』 のご案内 ★★★ 

       ペニーブラック表紙 2350円+税

 【出版元より】
 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。


 ★★★ 内藤陽介の新刊  『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 2000円+税

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。

 インターネット放送「チャンネルくらら」にて、本書の内容をご紹介しております。よろしかったら、こちらをクリックしたご覧ください。


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 リオデジャネイロ州、緊急事態宣言
2016-06-18 Sat 20:51
 ブラジルのリオデジャネイロ州政府のドルネレス知事代行は、きのう(17日)、重大な財政難に直面し公共サービス提供に懸念が生じているとして緊急事態を宣言しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ブラジル・グアナバラ州

 これは、1961年3月27日に発行された“グアナバラ州憲法公布”の記念切手です。

 ブラジルの地方制度において、現在の領域の“リオデジャネイロ州”が設定されたのは、ポルトガル植民地時代の1709年のことです。その後、1763年にリオデジャネイロ市がブラジルの首都となりますが、この時点では、ブラジルの地方行政区分に特段変更はありませんでした。

 ところが、1808年、リスボンのポルトガル宮廷がナポレオン軍を逃れてリオデジャネイロ市に移転。翌1809年、リオデジャネイロ市がポルトガル・ブラジル連合王国の首都となり、以後、1821年にポルトガルの宮廷がリスボンに帰還するまでの間、リオの開発は急速に進み、その後の繁栄の基礎が築かれます。

 1822年、ブラジルはポルトガルから独立し、リオデジャネイロ市はブラジル帝国の首都となり、1834年には、どの州にも属さない“中立都市”となりました。この結果、リオデジャネイロ州は、それまでのリオデジャネイロ市を除いた領域となり、リオデジャネイロ市に隣接するニテロイがリオデジャネイロ州の州都となります。さらに、1889年に帝政が廃止され共和制に移行した後も、リオデジャネイロ市は、引き続き、中立都市としてブラジル連邦共和国の首都となりました。

 ところが、1960年、連邦の首都がブラジリアに移転すると、リオデジャネイロ市の地位も変更を余儀なくされ、リオデジャネイロ市は単独で“グアナバラ州”となり、他の州と同格の立場となりました。今回ご紹介の切手は、これに伴い、新たにグアナバラ州憲法が公布されたことを記念して発行されたものですが、グアナバラ州の地図=リオデジャネイロ市の地図が背景に描かれています。

 その後、1975年にグアナバラ州とリオデジャネイロ州が合併し、現在のリオデジャネイロ州が発足。これに伴い、リオデジャネイロ市(=旧グアナバラ州)がリオデジャネイロ州の州都となり、現在にいたっています。

 さて、8月5日に開幕予定のリオ五輪の主催者はリオデジャネイロ市ですが、リオデジャネイロ州政府も、リオデジャネイロ市と4つの五輪関連施設を結ぶ地下鉄新路線の建設(現時点では完成していませんが…)や、治安維持、保健衛生などで、大会関係の事業支出に一定の責任を担っています。

 ところが、ブラジル経済は過去数カ月間、1930年代以降では最悪とされる減速にあえいでおり、政府統計によると、国内総生産(GDP)は今年1-3月の第1四半期に-5.4%と萎縮しています。特に、石油資源が豊富なリオデジャネイロ州は原油価格の下落で大きな打撃を被っており、州政府は、財政状況が危機的な状況に陥って「治安、医療サービスなどが崩壊しかねない」と危機感を強調し、緊急事態宣言は「リオ五輪の実施に必要な措置だ」としています。その背後には、緊急事態を宣言した州には、連邦政府が議会の事前承認なく資金を拠出できるため、資金援助を受けやすくなるという事情もあるようです。

 これに対して、リオデジャネイロ市のパエス市長は、同市の財政状態は間違いなく健全であると強調し、市が責任を負う競技施設や関連事業の多くは既に工事が終了していると主張。州の対応策と距離を置く姿勢を示していますが…。

 なお、現在、8月の五輪開催にあわせて、拙著『リオデジャネイロ歴史紀行(仮題)』を刊行すべく、制作作業を進めています。定価、刊行日などの詳細が決まりましたら、随時、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いします。 


 ★★★ 講座のご案内 ★★★

 下記の通り、各地のよみうりカルチャーで公開講座を行います。ぜひ、ご参加ください。

・イスラムを知る―ISはなぜテロに走るのか
 よみうりカルチャー荻窪 6/26(日) 14:00~15:30
 よみうりカルチャー横浜 7/2(土) 13:00~14:30

・切手でたどる東京五輪とその時代
 よみうりカルチャー荻窪 7/9(土) 13:00~14:30

 詳細につきましては、それぞれの会場・時間をクリックしてご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 内藤陽介の新刊  『ペニー・ブラック物語』 のご案内 ★★★ 

       ペニーブラック表紙 2350円+税

 【出版元より】
 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。


 ★★★ 内藤陽介の新刊  『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 2000円+税

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 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。

 インターネット放送「チャンネルくらら」にて、本書の内容をご紹介しております。よろしかったら、こちらをクリックしたご覧ください。


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 リオ五輪の聖火採火
2016-04-22 Fri 11:21
 ことし8月に開幕するリオデジャネイロ(以下、リオ)五輪の開会式でともされる聖火の採火式が、きのう(21日)、ルセフ大統領欠席のまま、ギリシャのオリンピア遺跡で行われ、3ヶ月余にわたる聖火リレーが始まりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ブラジル・フルミネンセ50年

 これは、1952年にブラジルで発行されたフルミネンセFC 50周年の記念切手で、“スポーツの栄光の象徴”として、五輪マークや聖火ランナーなどが描かれています。

 フルミネンセFC は、リオデジャネイロを本拠地とするプロサッカークラブチームで、スイス留学中にサッカーを覚えたオスカル・コックスが、帰国後の1902年7月21日に創設しました。クラブ名のフルミネンセは、リオ市以外のリオ州出身者の意味です。

 1906年にリオデジャネイロ州選手権が始まると初代チャンピオンに輝き、この年から1909年まで4連覇を果たすなど、当初は圧倒的な強さを誇っていました。ところが、1911年の州選手権で全勝優勝を果たした後、選手の待遇をめぐって内紛が発生。主力選手10名が退団し、当時はボート競技専門のクラブだったフラメンゴに入団してサッカークラブを立ち上げます。

 この結果、フルミネンセは1917年まで州選手権の優勝から遠ざかり、この間、1914年にフラメンゴが初優勝を果たします。その後、20世紀まではフルミネンセが最多優勝を誇り(28回。21世紀以降も含めると30回)、“世紀の王者”と呼ばれていましたが、21世紀以降はフラメンゴが圧倒的な強さを見せ、33回の最多優勝記録を保持しています。こうしたこともあって、フラメンゴとフルミネンセの対戦は“ナショナルダービー”として、大いに盛り上がります。

 さて、今回ご紹介の切手は、上述のようなフルミネンセFC の創立50周年を記念して発行されたものですが、切手の図案はサッカーとは無関係で、むしろ、五輪をイメージした内容になっているのが不思議な感じです。

 すなわち、(当時の)五輪がアマチュア精神を重視していたのに対して、サッカーの場合は、より高いレベルの競技を見せるには選手の生活の安定を図る職業化は不可欠であり、クラブチームから選りすぐったスター選手を国代表として集め、国対抗で戦わせるW杯を頂点とする構図になっています。したがって、プロのクラブチームであるフルミネンセと五輪の組み合わせは、あまり相性が良くないように思うのですが、切手の発行日(1952年7月21日)がヘルシンキ五輪(7月19日-8月3日)の会期中だったため、そのイメージでデザインを作ってしまったということなのかもしれません。まぁ、そのあたりのいい加減さが、良くも悪くもお国柄と言ってしまえばそれまでなのですが…。

 さて、今夏のリオ五輪を目前にして、大統領の弾劾決議が議会で承認されるなどの政治は混乱し、ジカ熱も蔓延、さらに、きのうは五輪の自転車競技で使われる道路に並行して1月に開通していた高架式の自転車専用道が数十メートルにわたって崩落するなど、ブラジルではなにかとお騒がせな話題が続いています。こうしたこともあって、急遽、2013年の国際切手展にあわせて現地取材をしたものの、その後、諸般の事情でお蔵入りになっていたリオデジャネイロ本を作る企画が復活し、現在、その準備を進めています。なお、書籍のタイトルや刊行日など、詳細につきましては、追々、このブログでもご案内して行きますので、よろしくお願いします。


 ★★★ 講座のご案内 ★★★

 ・よみうりカルチャー荻窪 「宗教と国際政治」
 4月から毎月第1火曜の15:30より、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で講座「宗教と国際政治」がスタートします。ぜひ、遊びに来てください。詳細は、こちらをご覧いただけると幸いです。
 

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 ブラジルのメリノ羊
2015-01-02 Fri 11:36
 昨年10月のブラジル大統領選で再選を果たした中道左派、労働党(PT)のジルマ・ルセフ大統領の2期目の就任式が、きのう(1日)、首都ブラジリアで行われました。というわけで、未年の元日に2期目の任期をスタートさせた大統領閣下に敬意を表して、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ブラジル・国際家畜博覧会

 これは、1948年にブラジルで発行された国際家畜博覧会記念の航空切手で、メリノ種の羊が描かれています。

 ブラジルの畜産業は、世界1位のシェアを誇る牛肉と養鶏・鶏肉が中心で、羊毛は南部のリオ・グランヂ・ド・スル州を中心に生産されているものの、アルゼンチン産やウルグアイ産のモノと比べると品質が劣ることもあって、国全体としては必ずしも盛んとはいえません。それにもかかわらず、今回ご紹介の切手にメリノ種の羊が取り上げられたのは、切手の題材となった国際家畜博覧会が南部のリオ・グランヂ・ド・スル州のバジェで開催されたため、羊毛が同州の特徴的な産業だったという事情があるのでしょう。

 切手に取り上げられたメリノ種は、ウールタイプのヒツジとタランティーネ種の交配を重ねた結果、1300年頃のカスティーリャで登場しました。かつてのスペイン王室は、国費を投じてメリノ種を独占的に飼育し、外交儀礼上、わずかな数のメリノ種が外国の王室などに贈呈される以外、原則としてメリノ種の羊は門外不出とし、スペインの毛織物産業の優位性を維持していました。

 しかし、18世紀以降、スペインの戦乱にヨーロッパの列国が介入すると、メリノ種は戦利品として持ち去られて流出。英国では羊毛の織物と蒸気機関を組み合わせた新産業が勃興することになります。さらに、ナポレオン戦争中、メリノ種はケープ植民地経由で13頭のメリノ種がオーストラリアに輸入され、メリノ種は全世界的に拡散しました。

 なお、ナポレオン戦争時のケープ植民地では、最も重要な輸出産業はワインで、羊毛はその後塵を拝していましたが、19世紀半ばになると、ワインと羊毛の地位は逆転することになります。

 そのあたりの事情については、拙著『喜望峰』でもご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ イベント「みんなで絵手紙」(2月8日)のご案内 ★★★

      狛江絵手紙チラシ・表     狛江絵手紙チラシ・裏

 2月8日(日) 10:00-17:00に東京・狛江のエコルマホールにて開催のイベント「みんなで絵手紙 見て、知って、書いて、楽しもう」のトークイベントに内藤陽介が登場します。内藤の出番は13:30-14:15。「切手と絵・手紙」と題してお話しする予定です。是非、遊びに来てください。主宰者サイトはこちら。画像をクリックしていただくと、チラシの拡大画像がごらんになれます。


 ★★★ 講座「切手と郵便物に刻まれた“終戦”」(2月20日)のご案内 ★★★ 

       ミズーリの消印

 2月20日13:00~14:30、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、「切手と郵便物に刻まれた“終戦”」と題する講座を行います。

 2015年は第二次世界大戦の終戦から70周年にあたります。終戦の年の1945年はあらゆる意味で社会が激変した年ですが、その影響は切手や郵便物にもさまざまな痕跡を残しています。今回の講座では、当時の切手や郵便物を読み解いていくことで、一般の歴史書では見落とされがちな終戦の諸相を、具体的なモノの手触りとともに明らかにしてみたいと思っています。

 詳細は、こちらをご覧ください。(画像は、日本の降伏文書調印が行われた米軍艦ミズーリ号から降伏文書調印日に差し出された郵便物の一部分です) 

 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 毎月1回(原則第1火曜日:1月6日、2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 次回開催は1月6日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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 マラカナン・スタジアムの切手
2014-07-13 Sun 22:55
 早いもので、6月12日(現地時間)に始まったサッカーの第20回ワールドカップ(W杯)ブラジル大会も、明朝の決勝戦で閉幕します。というわけで、決勝戦の舞台となるリオデジャネイロのマラカナン・スタジアムの切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ブラジル・マラカナンスタジアム     マラカナン・スタジアム遠景

 これは、1950年6月24日、同年のW杯ブラジル大会に際して開催国のブラジルが発行した記念切手で、完成後まもないマラカナン・スタジアム(ポルトガル語ではエスタジオ・ド・マラカナン)が取り上げられています。右側には、昨年11月のリオ訪問時、キリスト像で有名なコルコヴァードの丘から撮影したスタジアム全景の写真を貼っておきました。

 1946年、1950年のワールドカップ開催を決めたブラジルは、大会の決勝戦会場として、世界最大のサッカースタジアムをリオデジャネイロ近郊に建設します。これが、マラカナン・スタジアムで、当初の収容人員は20万人でしたが、1992年のブラジル全国選手権決勝に際してスタンド落下事故が発生したことから、現在は全席椅子席となり、約8万人に削減されました。まぁ、それでも、世界最大規模のサッカー競技場であることには違いないのですが。

 1950年のW杯では、決勝に進出したブラジル代表が、決勝戦でウルグアイに1対2と惜敗。このことは“マラカナンの悲劇”としてブラジル国民の間で長らく語り継がれており、今回のW杯では、マラカナン・スタジアムでの決勝戦で勝利を収めて開催国として優勝するというのがブラジル国民の悲願となっていました。実際、昨年11月に僕が訪ねた時点では、スタジアムの前に「マラカナン 1950・2014」との文字とスタジアムのイラストが入った巨大な幕が掲げられており(下の画像)、あらためて、64年越しの雪辱にかける彼らの意気込みを感じたことを思い出します。

      マラカナン・スタジアム前

 残念ながら、今大会では、ブラジル代表は準決勝のドイツ戦で1対7の大敗を喫してしまいましたので、開催国としてマラカナン・スタジアムで優勝するという悲願の達成は、また次の機会に、ということになりました。とはいえ、今回が64年ぶりの開催ですから、次回のブラジル開催もそれと似たような年月を経てからということになると、おそらく、僕はこの世にいないでしょう。

 なお、ブラジルW杯はまもなく終了してしまいますが、2年後の2016年には、マラカナン・スタジアムをメイン会場として、リオデジャネイロ五輪の開催が予定されています。今年初めの時点では、今夏刊行の予定で計画していたブラジル本の企画も、結局、現時点では日の目を見ないままになっていますので、気持ちを切り替え、2年後を目指して準備を進めることにしますかね。


 ★★ 講座「切手を通して学ぶ世界史:第一次世界大戦から100年 」のご案内 ★★ 

       中日・講座チラシ    中日・講座記事

 7月18日・8月29日・9月19日の3回、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、第一次大戦100年の企画として、「切手を通して学ぶ世界史」と題する講座を行います。

 講座では、ヨーロッパ、中東、日本とアジアの3つの地域に分けて、切手や絵葉書という具体的なモノの手触りを感じながら、フツーとはちょっと違った視点で第一次世界大戦の歴史とその現代における意味を読み解きます。

 詳細は、こちらをご覧ください。

 * 左の画像は講座のポスター、右は講座の内容を紹介した5月20日付『中日新聞』夕刊の記事です。どちらもクリックで拡大されますので、よろしかったらご覧ください。
 

 ★★★ 『外国切手に描かれた日本』 電子書籍で復活! ★★★

      1枚の切手には 思いがけない 真実とドラマがある

    外国切手に描かれた日本(表紙)     外国切手に描かれた日本(ポップ) 
    光文社新書 本体720円~

 アマゾン紀伊国屋書店ウェブストアなどで、6月20日から配信が開始されました。よろしくお願いします。(右側の画像は「WEB本の雑誌」で作っていただいた本書のポップです)


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

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 サッカーW杯開幕
2014-06-13 Fri 10:45
 サッカーの第20回ワールドカップ(W杯)ブラジル大会が、現地時間12日、サンパウロで開幕しました。というわけで、きょうはこの切手です(画像はクリックで拡大されます)

      ブラジル・W杯(1950 地球)

 これは、1950年6月24日、同年のW杯ブラジル大会に際して開催国のブラジルが発行した記念切手で、地球を背景にサッカー選手が描かれています。

 ブラジルにおけるサッカーの歴史は、1894年、サンパウロ出身の英国系ブラジル人(父親がスコットランド人鉄道技師)で当時19才のチャールズ・ミラーが、イングランドで10年間の学生生活を終え、帰国したところから始まります。学生生活の10年間でサッカーに魅せられたミラーは、英国でも評価の高いフォワードとして活躍していましたが、帰国後、ブラジルでは“フットボール”がほとんど知られていないことに驚き、サンパウロ市の東地区、現在のプラス駅付近にブラジル最初のサッカー場を作ってサッカーを普及させようとしました。

 ミラーの活動はすぐに注目を集め、翌1895年には、サンパウロで鉄道会社チームとガス会社チームにより初の試合が行われました。この時の両チームのメンバーはいずれも英国人ないしは英国系でしたが、その後、サッカーは急速に普及し、1901年には、サンパウロ州リーグが結成されるほどになりました。

 ところで、1930年の第1回W杯は、南米のウルグアイで開催されました。これは、当時のサッカー強豪国ウルグアイが1930年に独立100周年を迎えるということに加え、ヨーロッパ中心でアマチュアリズムの五輪に対抗して、世界最高水準の技量を競うというW杯の独自性を打ち出す必要があったためです。

 ウルグアイ開催された大会には、南米7ヵ国(ウルグアイ、アルゼンチン、ボリビア、ブラジル、チリ、パラグアイ、ペルー)、欧州4ヵ国(ベルギー、フランス、ユーゴスラビア、ルーマニア)、北米2ヵ国(メキシコ、米国)の計13カ国が参加し、開催国のウルグアイが優勝しました。欧州からの参加が少なかったのは、当時の船旅は選手たちの負担が大きすぎたことによるものですが、結果的に、ウルグアイが優勝したことは南米の新興独立諸国でもサッカーなら“世界一”になれるということを示すものとなり、以後、南米諸国は国威発揚の手段としてサッカーを奨励するようになりました。
 
 特に、第1回W杯が開催された年にブラジルで政権を掌握したジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガス(1930-45年、1951-54年に大統領)は、各州の自立傾向が強く、ポルトガル語とカトリック以外には共通の土壌がないと言われていたブラジルにナショナリズムを定着させるため、サッカー振興に力を注ぎました。

 ヴァルガスによるサッカー振興は、1945年に軍事クーデターで彼がいったん失脚した後も継承され、1946年には、1950年のW杯の大会招致に成功。決勝戦の会場として、世界最大のマラカナン・スタジアムが建設されました。ブラジル国民の多くが自国の優勝を信じて疑いませんでしたが、決勝戦でウルグアイに1対2対の惜敗してしまいます。

 これがいわゆる“マラカナンの悲劇”ですが、結果として、その雪辱を目指す気持ちがブラジル国民に共有されることで、サッカーはより深くブラジル社会に浸透。ブラジル代表は1958年のスウェーデン大会、1962年のチリ大会で連続優勝してサッカー王国としての地位を確立するとともに、サンパウロ出身の主将ベリーニ、黒人のペレやジジ、インディオの血ひくガリンシャらを擁する“混血主義”のチーム構成により、あらゆる地域と階層、人種を統合した“ブラジル国民”のイメージを確立させることになったといわれています。


 ★★ 講座「切手を通して学ぶ世界史:第一次世界大戦から100年 」のご案内 ★★ 

       中日・講座チラシ    中日・講座記事

 7月18日・8月29日・9月19日の3回、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、第一次大戦100年の企画として、「切手を通して学ぶ世界史」と題する講座を行います。

 講座では、ヨーロッパ、中東、日本とアジアの3つの地域に分けて、切手や絵葉書という具体的なモノの手触りを感じながら、フツーとはちょっと違った視点で第一次世界大戦の歴史とその現代における意味を読み解きます。

 詳細は、こちらをご覧ください。

 * 左の画像は講座のポスター、右は講座の内容を紹介した5月20日付『中日新聞』夕刊の記事です。どちらもクリックで拡大されますので、よろしかったらご覧ください。
 

 ★★★ 『年賀状の戦後史』が電子版になりました! ★★★

  日本人は「年賀状」に何を託してきたのか?
  「年賀状」から見える新しい戦後史!

      年賀状の戦後史(帯つき) 

   角川oneテーマ21 本体720円~

 アマゾン紀伊国屋書店ウェブストアなどで、6月10日から配信が開始されました。よろしくお願いします。


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 47歳になりました
2014-01-22 Wed 11:51
 私事ながら、本日(22日)をもって47歳になりました。「だからどうした」といわれればそれまでなのですが、せっかく年に1度のことですから、現在手掛けているリオデジャネイロ本の内容にからめて、ブラジル切手の中に“47”に関する切手はないかと思って探してみたら、こんなモノがありました。(画像はクリックで拡大されます)

       チラデンチス宮殿(第47回列国議会同盟会議)

 これは、1958年にブラジルで発行された「第47回列国議会同盟会議」の記念切手で、会議場となったチラデンチス宮殿が取り上げられています。ちなみに、実際のチラデンチス宮殿は下の画像のような感じです。

       チラデンチス宮殿(実物)

 列国議会同盟会議(IPU)は、1870年の普仏戦争が当時としては甚大な被害をもたらしたことの反省から、国家間の紛争防止のために各国の国会議員がたがいに話し合う機会を設けるべきとして、ロベルト・フォン・ウォルテスキルヒェン(オーストリアの下院議員)とドン・アルトロ・マルコアルト(スペインの国会議員)が提案したもので、1889年6月にパリで第1回会議が開かれました。ちなみに、1958年度の会議は、7月24日から8月1日まで、当時のブラジルの首都だったリオデジャネイロで開催され、翌1959年のワルシャワ会議を経て、2年後の1960年度の第49回会議は東京で開催されています。

 さて、切手に取り上げられたチラデンチス宮殿の場所は、ポルトガル植民地時代には牢獄のあった場所で、1822年にブラジルが帝国として独立すると、1826年には牢獄の建物は国民議会の下院議事堂に転用されました。現在の建物は1926年に完成したもので、フランス様式とネオコロニアル様式を折衷した建築となっています。

 宮殿の名称になっているチラデンチスは、tirar(抜く)・dentes(歯)、すなわち“歯を抜く(者)=歯医者”戸の意味ですが、これは、歯科医にして詩人で独立運動家だったジョアキン・ジョゼ・ダ・シルバ・シャビエルのニックネームです。

 チラデンチスは、1756年、ミナス・ジェライス地方のサンジョアンデルヘイ生まれ。当時、宗主国ポルトガルはブラジルの貿易を独占し、植民地のブラジルに対して過酷な税を課すなどの圧政を敷いていました。このため、金鉱を抱えるミナス・ジェライス地方では、本来は自分たちに還元されるべき富が収奪されることへの反発が強く、米国独立戦争の影響もあり、ポルトガルからの独立を求める動きが生まれます。

 こうした状況の下、1789年、ミナス・ジェライスのヴィラ・リーカで、チラデンチスらは独立のための武装蜂起を計画しましたが、革命を計画していた仲間の一人、ジョアキン・シルベーリョ・ドス・ヘイスの裏切りによって、蜂起は未遂に終わり、関係者は一網打尽に逮捕されてしまいます。いわゆる“ミナスの陰謀”です。

 裁判では、革命に関与したグループのうち、最も身分の低かったチラデンチスにすべての責任を押し付ける形で彼にのみ死刑判決が下され、1792年4月21日、チラデンチスはリオデジャネイロのサン・ドミンゴス刑場の絞首台で露と消えました。刑の執行直前、チラデンチスは絞首台の上から「自分は人間が求める自由のために死ぬ」と叫びましたが、このことはポルトガル当局をさらに激昂させることになり、処刑後の遺体は、見せしめのため、バラバラにされたうえでリオ・ミナス街道とビラ・リーカで晒しものにされています。
 
 その後、ブラジルが独立すると、チラデンチスは“テロリスト”から一転して独立の義士として英雄になり、1926年に建設された議事堂には彼の名前が付けられたほか、その正面には、彼の像も建立されることになったというわけです。

 さて、現在、昨年11月の現地取材をもとに、リオデジャネイロに関する本を今春に刊行すべく準備を進めています。例によって、原稿の方は遅々として進まない状況ではあるのですが、いずれ具体的な書名・刊行日などが決まりましたら、このブログでもご報告していく予定ですので、よろしくお願いいたします。


 ★★★ トーク・イベントのご案内 ★★★

 2014年1月2日より、東京・両国の江戸東京博物館で大浮世絵展がスタートしますが、会期中の1月24日13:30より、博物館内にて「切手と浮世絵」と題するトーク・イベントをやります。

 参加費用は展覧会の入場料込で2100円で、お申し込みは、よみうりカルチャー荻窪(電話03-3392-8891)までお願いいたします。展覧会では、切手になった浮世絵の実物も多数展示されていますので、ぜひ遊びに来てください。

 なお、下の画像は、展覧会と僕のトーク・イベントについての2013年12月24日付『讀賣新聞』の記事です。

大浮世絵展・紹介記事


 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は2月4日(原則第1火曜日)で、ついで、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


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 ブラジル・ワイン
2013-11-21 Thu 16:05
 きょう(21日)は11月の第3木曜日。いわずと知れたボジョレー・ヌーボーの解禁日です。というわけで、せっかくブラジルにいるので、ブラジル切手の中からワインがらみの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       ブラジル・ブドウ祭り

 これは、1954年2月28日、リオグランデ・ド・スル州(南大河州)で開催されたブドウ祭りの記念切手で、ブドウとワインのボトルが描かれています。

 ブラジルは国土の大半が高温多湿の地域にあるため、ブドウ畑の大半では食用ブドウの生産が行われていますが、赤道から外れた最南端の南大河州、特に、アルゼンチンとの国境にも近い高地のセラ・ガウチャ地域は国内のワイン生産の中心地となっています。ちなみに、こちらに来てから、近所のスーパーで買ったワイン(下の画像)にも、しっかり“南大河州”の文字が入っていました。

       ブラジル・ワイン


 南大河州におけるブドウの栽培は、1626年、イエズス会がスペインのブドウ木を持ち込んだのが最初と言われています。18世紀には、アゾレス諸島出身の入植者が、マデイラ諸島とアゾレス諸島からブドウの切穂を持ちこんでいます。

 19世紀後半、イタリア有数のワインの生産地であるヴェネト州からの移民が南大河州に入植。彼らは、20世紀に入ると、セラ・ガウチャ地域で相次いでワイナリーを開業しました。その代表的な例としては、モナコ(1908年開業)、サルトン(1910年開業)、ドレヘル(1910年開業)、アルマンド・ペテロンゴ(1915年開業)などがあります。ただし、1970年代までのブラジル・ワイン生産は質より量を重視しており、世界的にはほとんど無視されていました。

 これに対して、1973年、隣国ウルグアイの名門ワイン農家、カルラウ家がセラ・ガウチャで生産した「シャトー・ラカヴェ」を発売したことで、ブラジル・ワインの評価が見直されるようになり、翌1974年には、米仏伊加の4ヵ国のワイン企業(その中には、かのモエ・エ・シャンドンも含まれています)が南大河州にワイナリーを解説し、ヨーロッパ種のブドウを本格的に移植。以後、ブラジル・ワインは輸出に耐えうる品質へと成長していくことになります。

 まぁ、こちらは南半球なので、残念ながら、現在は新酒の時期ではないのですが、せっかくなので、今晩は、手元の安ワインではなく、値段は少し高くても、ブラジル・ワインのお勧め銘柄を教えてもらって一献といきますかね。


 ★★★  絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩  ★★★

 2014年1月11日・18日・2月8日のそれぞれ13:00-15:00、文京学院大学生涯学習センター(東京都文京区)で、「絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩」と題する講座をやります。(1月18日は、切手の博物館で開催のミニペックスの解説)

 新たに富士山が登録されて注目を集めるユネスコの世界遺産。 いずれも一度は訪れたい魅力的な場所ばかりですが、実際に旅するのは容易ではありません。そこで、「小さな外交官」とも呼ばれる切手や絵葉書に取り上げられた風景や文化遺産の100年前、50年前の姿と、講師自身が撮影した最近の様子を見比べながら、ちょっと変わった歴史散歩を楽しんでみませんか? 講座を受けるだけで、世界旅行の気分を満喫できることをお約束します。

 詳細はこちら。皆様の御参加を、心よりお待ちしております。


 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は12月3日(原則第1火曜日)で、以後、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

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 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


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 <Brasiliana 2013>出品決定
2013-06-24 Mon 08:40
       日系移民50年(ブラジル)

 本年11月19日から25日まで、ブラジル・リオデジャネイロにて世界切手展<Brasiliana 2013>が開催されます。僕はその日本コミッショナーを仰せつかっていますが、昨晩、日本からの出品作品は以下のように決定したとの連絡が主催者側から入りましたので、速報としてお伝えいたします。(以下、リストは出品者名は日本語表記、文献を除く作品名は英文でリスト記載のとおりです)

・池田健三郎 Prompt Delivery in Japan as Nationwide services
・伊藤純英 Foreign Mail in Nagasaki, Japan 1875-1905
・大場光博 The Opening of China 1745-1897
・内藤陽介 Korea and the Cold war 1945-1953
・西海隆夫 The History of Cartografy-Mapping the World and Regions
・大沼幸雄 L.v.Beethoven - His Life in a Historical Context and His Legacy
・勝井明憲 Histroy of the Telephone - Telegraf to digitalization
(以下文献)
・(公財)日本郵趣協会 『切手画家. 木村 勝の世界』
・松本純一 『A History of the French post office of Yokohama』
・正田幸弘 『ブラジル郵便史概說』
・山崎好是 『小判切手=事故印=』
・吉田敬 『Stampedia Philatelic Journal 2013』
・(株)日本郵趣出版 『戦前の小型記念スタンプ集』
・(公財)日本郵趣協会 『ビジュアル日本切手カタログVol.1記念切手編1894-2000』
・山崎好是 『風景印2012』
・山崎好是 『日本記号入切手カタログ』
 * 文献部門への出品資格は、著者・編集者・出版社にありますので、必ずしも、出品者イコール著者ということではありません。

 なお、<Brasiliana 2013>へは、3200フレームのキャパシティのところ、865件・約3900フレームの申込があり、日本からは文献を除く11作品のエントリーのうち、7作品の出品が認められました。

 展覧会本番では、皆さんのすばらしい作品を拝見できることを、今から楽しみにしております。

 ちなみに、記事の冒頭に掲げた画像は、1958年にブラジルで発行された“日系移民50年”の記念切手です。

 日系移民第1号を乗せた笠戸丸がブラジルのサントスに到着したのは1908年6月18日で、1958年のこの日には、東京・日比谷公会堂で、ブラジル移住50年祭典委員会主催(外務省・駐日ブラジル大使館・東京都後援)の記念祝賀大会が開催されたほか、ブラジルでも、同日から9月30日まで、各地で記念のイベントが行われ、三笠宮ご夫妻が参加されました。

 こうした記念事業の一環として、「半世紀にわたるブラジル在住日系人の労苦をねぎらうとともに、国民の海外発展の意欲を昂揚させる(当時は、まだブラジルへを含む中南米諸国への日本人の移住が奨励されていました)」ため、日系移民の上陸記念日にあたる1958年6月18日には、両国で記念切手が発売されました。今回ご紹介の切手はそのうちのブラジル側で発行されたもので、中央にクワを描き、その上に日本を象徴する稲穂、下にブラジルでの日本人の活躍を象徴するコーヒーの実を配したデザインとなっています。

 ブラジル側での記念切手発行については、当時、雑誌『切手趣味』に「ブラジルでも記念切手発行の計画があると伝えられるがお国がらあてにならない」との論評が掲載されているように、日本国内では実現を危ぶむ声も根強くありましたが、最終的には予定通り発行されています。当初の予定では6月1日までに通知されるはずだった出品者の決定がきのう(23日)までずれ込んだことにみられるような“お国がら”に加え、ブラジル社会そのものがデモで混乱している現状ですが、なんとか、11月の展覧会は無事に開催されるものと念じております。

 
 ★★★ ラジオ出演のご案内 ★★★

 6月25日 24:00-24:45(正確には、26日00:00-00:45)
 
 TBSラジオ/AM 954kHz  荻上チキ・Session-22

 上記番組に生放送出演して、切手から見る国際関係や歴史といった類の話をすることになりました。番組そのものは25日22:00スタートですが、僕自身は日付変更線をまたいでからの登場予定です。

 聴取可能な地域の方は、ぜひ、お聞きください。

 
 ★★★ 内藤陽介の最新作 ★★★

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 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は7月2日、7月30日、9月3日(原則第一火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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