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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 世界の切手:マリ
2018-10-11 Thu 00:32
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2018年9月19日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はマリ(と一部タンザニア)の特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます) 

      マリ・トゥアレグ(1971)

 これは、1971年にマリが発行した伝統的な民族衣装の切手のうち、トゥアレグ人を取り上げた1枚です。

 トゥアレグ人は、ベルベル系の遊牧民で、アルジェリア、マリ、ニジェールを中心に100万から350万人が生活しているといわれています。

 これらの地域がフランスの支配下にあった時代、遊牧民であるトゥアレグ人は砂漠地帯を比較的自由に往来し、昔ながらのラクダの隊商で生計を立てていました。また、彼らの多くは、フランス植民地当局による西洋式の教育を拒んだため、いわゆる黒人のアフリカ系とは違って、官僚機構を担いうる知的エリート層が形成されませんでした。

 1960年代に入り、仏領西アフリカ連邦が解体され、連邦を構成していた各植民地が個別に独立国となると、トゥアレグ人の居住地域も、ニジェール、マリ、アルジェリア、リビア、ブルキナファソの各国に分割されることになりましたが、このうち、特に多くのトゥアレグ人口を抱えるようになったのが、マリとニジェールです。

 しかし、マリ、ニジェールの両国においてはフランス語のみが公用語とされ、トゥアレグ人の言語であるトゥアレグ語(タマシェク語)は排除されたため、植民地時代にフランス語教育を拒否してきたトゥアレグ人が、独立後の新国家で社会的な地位を得るのは困難でした。一方、トゥアレグ人の側も、新政府による“近代化”政策を重大な文化侵略と受け止めていました。さらに、新たに誕生した“国境”により、かつてのような自由な往来が(少なくとも建前上は)制限されるようになったこととも、トゥアレグ人にとっては不満でした。

 こうしたことから、マリでは独立以来いくどとなくトゥアレグ人の反乱が発生していますが、2009年の停戦合意の後も、一部のトゥアレグ人はこれを潔しとせず、リビアに逃れて傭兵部隊に加わっていました。しかし、2011年10月、カダフィ政権が崩壊すると、トゥアレグ人傭兵の大半は、混乱に乗じて持ち出した高性能の武器とともに、マリ北部、トンブクトゥ、ガオ、キダル3州をあわせたアザワド地域に帰還。2011年11月には“アザワド解放全国運動(MNLA)”を結成し、アザワド地域の独立を目標とした武装闘争を再開したことで、2012年の北部紛争に発展しました。このあたりについては、拙著『マリ近現代史』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。

 さて、『世界の切手コレクション』9月19日号の「世界の国々」では、2012年のマリ北部紛争についての長文コラムのほか、トンブクトゥ遺跡、サッカー選手サリフ・ケイタ、短命に終わったマリ連邦の切手などもご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。

 なお、「世界の国々」の僕の担当ですが、今回のマリ(と一部タンザニア)の次は、9月19日発売の同26日号でのコスタリカ(と一部ニカラグア)の特集、10月3日発売の同10日号でのテュニジア(と一部ザイール)の特集となっています。これらについては、順次、このブログでもご紹介する予定です。


★★★ 近刊予告! ★★★

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 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

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(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 

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 バマコでホテル襲撃事件
2015-11-21 Sat 06:31
 きのう(20日)、 マリの首都バマコで、武装集団が中心部にあるラディソン・ブル・ホテルを襲撃し、170人(宿泊客140人+従業員30人)を人質にとって立てこもる事件が発生。その後、治安部隊が突入し、国連当局者によると少なくとも27人が亡くなり、武装グループの2人が殺害されました。この事件でアルカイダ系武装組織“アル=ムラービトゥーン”が犯行声明を出しています。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、事件に巻き込まれた方々には心よりお見舞い申し上げます。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      バマコ遠景

 これは、1960年のバマコの遠景とワニをデザインした市章を描くマリの切手です。

 バマコはニジェール河岸の都市で、地名はマンディング語の“ワニの湿地”に由来するとされています。切手にも取り上げられたバマコの市章がワニのデザインとなっているのはこのためです。

 市域は5つの丘に囲まれており、丘の麓の洞窟からは先史時代の岩画も発見されています。また、マリ帝国の時代には交易の中心地との一つとして繁栄したこともありましたが、19世紀までにはすっかり衰退し、一時は人口も数百人規模にまで落ち込んでいました。そして、フランスによる西アフリカ植民地化の過程で、1880年、バマコはジョゼフ・シモン・ガリエニひきいるフランス軍によって占領されます。

 ところで、西アフリカを植民地化したフランスは、インフラ整備の一環として、ダカールから内陸に鉄道を敷設し、ギニア湾にそそぐニジェール川(の物流ルート)とダカールを連結しようと考えました。

 その結果、1905年、ニジェール川岸のクリコロとセネガル川岸のアンビデディ間の鉄道工事が完成。翌1906年、カイ=クリコロ間が開通。1924年には現在のダカール=クリコロ間が全線開通します。その主要駅は、ダカール、ティエス、タンバクンダ、カイ、キータ、カティ、バマコ、クリコロです。ちなみに、現在のマリとセネガルの国境はタンバクンダ=カイ間にあります。鉄道の終点のクリコロからは、ニジェール川を往来する船により、セグー、モプティ、トンブクトゥガオなど下流の諸都市と往来するというのが、フランス支配下での基本的な物流ルートでした。

 こうした鉄道建設の進展を受けて、1908年、仏領オート・セネガル・ニジェールの首府はカイからバマコへと移され、バマコは急速に拡大することになります。

 なお、バマコとマリの歴史については、拙著『マリ近現代史』でも詳しくご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 岩のドームの郵便学(22)
2014-10-21 Tue 23:33
 ご報告が遅くなりましたが、『本のメルマガ』550号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」では、1977-78年にエジプト以外の各国で発行された岩のドームの切手をご紹介する3回目。今回はこの切手を取りあげました。(画像はクリックで拡大されます)

      マリ・岩のドーム(1977)

 これは、1977年10月、“パレスチナにおける自由の戦士と殉難者の遺家族の福祉のために”と題してマリが発行した切手です。
 
 1968年11月18日、クーデターで“建国の父”で大統領のモディボ・ケイタを逮捕してマリの政権を掌握したムーサ・トラオレは、翌19日、国民解放軍事委員会(CMLN)を設置して自ら議長に就任。CMLNは、全ての政治活動を禁じるとともに、密告を奨励して、軍事政権に批判的なインテリ層を容赦なく逮捕するなどの強権的な支配を行いました。

 クーデター当初こそ、西側諸国はトラオレ政権を非難していましたが、トラオレが東西冷戦下で左派色の強いケイタ政権を打倒して、反共の旗幟を鮮明にしていたという事実の前に、次第にトラオレ非難は影をひそめるようになります。じっさい、旧宗主国のフランスはトラオレ政権を承認し、独裁政権に対する国内世論の非難を抑えて、1972年4月28日、マリ国家元首としてのトラオレのパリ公式訪問を受け入れています。

 ところで、トラオレがフランスを公式訪問し、国際的な認知を得た1972年という年は、サハラ砂漠南縁部、モーリタニア、マリ、チャド、ニジェール、ブルキナファソに広がる半乾燥地域であるサヘル地域を大旱魃が襲い、マリの国民生活に大きなダメージを与えた年でもありました。

 このため、国連は問題解決のための専門機関として国連スーダン・サヘル事務所(UNSO)を設置したほか、1974年に国際農業開発基金を設立するなどの対策を講じ、世界各国の民間レベルでもさまざまな救済運動が展開され、全世界から多額の支援がマリに寄せられましたが、それらは援助を必要としている国民の許へは届けられず、上は政府高官から下は現場の官吏にいたるまで、さまざまなレベルで横領されています。

 このため、サヘルの若者たちの中にはアルジェリアやリビアの大都市に移住する者が急増。特に、カダフィ政権下のリビアで傭兵部隊に加わる者が少なからず現れるようになりました。

 こうした状況でしたから、国民の間には軍事政権に対する不満が鬱積。政治警察は政府批判を徹底的に抑え込んではいたものの、政権側も民政復帰に向けて一定の譲歩が必要となっていることは認めざるをえませんでした。

 このため、1974年6月2日、軍事政権は“民政復帰の準備段階”として、新憲法についての国民投票を実施します。

 軍事政権が提示した憲法案では一党制で大統領は任期5年と規定されていました。体制批判派による投票ボイコットの呼びかけが行われたものの、投票の結果は99%の有権者が賛成票を投じたと発表されます。さらに、軍事政権側は、国民投票の結果に関わらず、今後5年間は政権にとどまると発表しており、国民投票はガス抜きのためのセレモニーという側面が強いものでした。

 こうした状況の下で、1974年11月25日、オート・ヴォルタ(現ブルキナファソ)との間でアガシュール地区をめぐって国境紛争が発生します。

 アガシュール地区は天然ガスとマンガンを中心とした鉱産資源の豊かな土地ですが、当時は、マリとオート・ヴォルタともに、独裁政権に対する国民の不満が高まっていたこともあり、両国の政権は、いずれも、隣国との戦闘によって国内の不満をそらそうとしました。なお、軍事的な衝突そのもの小規模なもので終わりましたが、アフリカ統一機構が調停に乗り出し、1975年6月18日に国境画定のための専門委員会を発足させるという条件で休戦協定をまとめるまで、両国間の緊張が続きます。

 オート・ヴォルタとの紛争を通じて、トラオレ政権は“国難”に対処するための国民の団結を強調するとともに、国民の和解を演出すべく、休戦協定の調印とほぼ時を同じくして、トラオレはモディボ・ケイタ前政権時代の有力政治家の何人かに対して特赦を発令。さらに、同年9月22日、トラオレは憲法に規定に合致する唯一の政党として、“マリ人民民主同盟(UDPM)”の結成の方針を表明し、あわせて、女性や青少年に加入を義務付けたマリ女性全国連盟ならびにマリ少年全国連盟を創設するなど、1979年の民政復帰に向けての基盤を固めていきました。

 この間、1977年2月13-15日の日程で、トラオレ政権は旧宗主国フランスの大統領、ジスカール・デスタンを招くことに成功。この訪問は、トラオレの進める“民主化”に対して、フランスがお墨付きを与えたことの証左として大々的に宣伝されました。

 その一方で、前大統領のケイタ本人は、トラオレの権威を脅かしかねないことから釈放が許されないまま、1977年5月18日、強制収容所で不審死を遂げています。

 曲がりなりにも“建国の父”であったケイタの無残な死は、多くの国民の同情を集め、葬儀には多くの参列者が集まりましたが、“犯罪者”であるケイタの死を悼むことは体制批判にほかならないと考えたトラオレ政権は、葬儀の参列者を含め、反体制派とみなした人々の一斉検挙に踏み切りました。

 さすがに、この行動に対しては内外からの批判も強かったため、トラオレ政権は、あらためて国民和解のためのロジックを必要としましたが、その場合、国民の90%がムスリムであるというマリ国家においては、ムスリムとして共有しうる価値観を前面に押し出すというのは、確実に一定の効果が見込めるものでした。

 もっとも、マリの国民は90%がムスリムであるとはいっても、彼らは多種多様な民族・部族から構成されているため、明らかにイスラムの教義に違反しない限り、(イスラム以前から続いている)伝統的な風俗・習慣は尊重されていましたし、何世代にもわたってそれらとイスラムが習合した結果、国民の間でも“イスラム”の内容にはさまざまなバリエーションが生じています。また、マリ国家は政治制度としては西欧式の政教分離を掲げる世俗主義国家であり、それゆえ、いわゆる原理主義政権のように“(彼らが考える)正しいイスラム”を国民に強要するということもありません。むしろ、世俗国家の独裁政権にとって、イスラム原理主義は危険要因ですらあります。

 こうしたことを綜合的に考えると、ムスリムとしてのマリ国民に抵抗なく受け入れられるロジックとしては、聖地エルサレムがイスラエルによって不当に占拠されていることに対してムスリムとして怒りを共有し、パレスチナ解放のために殉じた同胞のムスリムをともに追悼するというものが、最も手堅い内容だったと考えてよいでしょう。

 1977年10月、突如としてマリ郵政が“岩のドーム”の切手を発行した背景には、こうした国内事情が反映されていたとみるのが自然と思われます。

 なお、このあたりの事情については、拙著『マリ近現代史』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ トークイベントのご案内 ★★★

 ・11月1日(土) 14:30- 全国切手展<JAPEX>
 東京・浜松町で開催される全国切手展<JAPEX>会場内で、拙著『朝鮮戦争』のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。


 ★★★ インターネット放送出演のご案内 ★★★

      チャンネルくらら写真

 インターネット放送・チャンネルくららにて、10月8日より、内藤がレギュラー出演する新番組「切手で辿る韓国現代史」が毎週水曜日に配信となります。青字をクリックし、番組を選択していただくとYoutube にて無料でご覧になれますので、よろしかったら、ぜひ、ご覧ください。(画像は収録風景で、右側に座っているのが主宰者の倉山満さんです)

 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 10月から、毎月1回(原則第1火曜日:10月7日、11月4日、1月6日、2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(詳細はそれぞれ講座名をクリックしてください)

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 初回開催は10月7日で、講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

 お待たせしました。約1年ぶりの新作です!

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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 アルジェリア航空機、マリで墜落
2014-07-25 Fri 11:46
 きのう(24日)、西アフリカのブルキナファソからアルジェリアに向かっていたアルジェリア航空5017便(MD83型機)が、悪天候のため予定していたルートを外れ、離陸から50分後に消息を絶ち、その後、マリ北部の砂漠に墜落しているのが発見されました。搭乗していた乗客110人と乗員6人のうち、生存者は発見されていないそうです。謹んでご冥福をお祈りします。というわけで、今日はこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      エール・マリ(救急搬送)

 これは、1963年、マリが同国の国営航空会社エール・マリ(マリ航空)の活動を紹介するために発行した切手のうち、航空機による救急搬送の場面を取り上げた25CFAフラン切手です。今回の墜落でも、生存者がいれば、エール・マリを使ったこうした場面が見られたのかもしれませんが…残念です。

 さて、エール・マリは、マリ共和国の発足後まもない1960年10月27日、事実上の国営航空会社として発足しました。

 資本金は5000万CFAフランで、株式の45%は公開されていましたが、一般のマリ国民で実際に株を購入する者はほとんどありませんでした。

 運航は1961年から開始されましたが、当初は政府関係者を運ぶ公用飛行のみで、ついで、商業路線としては、仏領時代を踏襲し、ニジェール川上空を飛んでバマコ=ガオ間を結ぶ国内線がまず開通。順次、国内各都市へと路線が延伸され、1967年には、バマコ=モプティ=グンダム=トンブクトゥ=ガオ=ニアメイを結ぶ航空路線が定着しています。

 一方、国際線の運航は1961年7月に国際航空運送協会への加盟が認められたことで、同年8月から、首都バマコとパリ、カサブランカ、マルセイユを結ぶ路線が開通したほか、同年12月以降、バマコとアクラ(ガーナ)、モンロヴィア(リベリア)、アビジャン(コート・ディヴォワール)、ブラザヴィル(コンゴ)、ダカール(セネガル)、コナクリ(ギニア)、ドゥアラ(カメルーン)の各都市を結ぶ路線がスタートしました。

 エール・マリは、英国からも英国欧州航空のDC-3sを譲り受けていますが、事業を軌道に乗せるうえでは、1961年3月20日にソ連と結ばれた協定により、主としてソ連から支援を仰ぐようになります。こうしたこともあって、当時のモディボ・ケイタ政権はソ連への傾斜を強め、ソ連の指導を仰ぎつつ、銀行国有化や共同農場の創設などの社会主義的政策を遂行使用としましたが、結局、失敗に終わりました。

 なお、マリとその周辺地域の歴史については、拙著『マリ近現代史』で詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

        
 ★★★ トークイベントのご案内 ★★★ 

 8月2日(土) 14:00より、東京・錦糸町のすみだ産業会館で開催の全日本切手展(全日展)会場内で、新著『朝鮮戦争』の刊行を記念して、トークイベントを開催することになりました。(画像は表紙のイメージ。細かい部分で、若干の変更があるかもしれません)

      朝鮮戦争・表紙

 トークそのものの参加費は無料ですが、全日展への入場料として、3日間有効のチケット(500円)が必要となります。あしからずご了承ください。皆様のお越しを心よりお待ち申しております。
 

 ★★★ 『外国切手に描かれた日本』 電子書籍で復活! ★★★

      1枚の切手には 思いがけない 真実とドラマがある

    外国切手に描かれた日本(表紙)     外国切手に描かれた日本(ポップ) 
    光文社新書 本体720円~

 アマゾン紀伊国屋書店ウェブストアなどで、6月20日から配信が開始されました。よろしくお願いします。(右側の画像は「WEB本の雑誌」で作っていただいた本書のポップです)


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 おかげさまで130万PV
2013-12-29 Sun 11:32
 けさ、カウンターが130万PVを超えました。いつも、遊びに来ていただいている皆様には、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。というわけで、額面“130”の切手のなかから、こんな1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       マリ・象の鼻はなぜ長い

 これは、1976年7月26日にアフリカのマリが発行した“子供の本”の130フラン切手で、キプリングの童話『象の鼻はなぜ長い』の1場面が取り上げられています。

 『象の鼻はなぜ長い』は、昔、象の鼻は短かったが、好奇心の旺盛な小象がワニに質問したところ、鼻をかまれて川に引きずり込まれそうになり、抵抗してワニを追い払ったものの、鼻がすっかり伸びてしまい、その子孫が鼻の長い象になったというストーリーで、切手には、小象とワニの格闘場面が取り上げられています。木の上からそれを見物しているヘビの姿があるのも、巳年の年末に相応しい1枚といえるかもしれません。

 さて、キプリングは1865年に英領インド帝国時代のボンベイで生まれ、1936年にロンドンで亡くなった英国人の作家で、英領インド帝国を舞台にした作品で知られていますが、現在のマリ共和国の前身にあたる仏領スーダンとはほとんど無関係です。ただし、切手に取り上げられた『象の鼻はなぜ長い』に登場するワニとゾウはマリとも深い関係があります。

 このうち、ワニについては、首都バマコの地名の由来が“ワニの川”または“ワニの背”を意味する現地語(バンバラ語)であり、バマコ市の紋章にはワニが描かれています。

 一方、ゾウについては、現在でもマリ国内にも野生のゾウが棲息しているほか、ディズニーのダンボのモデルとしもいわれるジャンボが仏領スーダンの生まれという事情があります。

 ジャンボはオスのアフリカ象で、1861、仏領スーダン生まれ。フランス・パリの動物園を経て、1865年、ロンドン動物園に移され、そこで“ジャンボ”の名(名前の由来については、スワヒリ語の挨拶に求めるのが一般的ですが、異説もあります)を与えられ、人を乗せるアトラクションを行い、有名になりました。

 その後、1882年にバーナム・アンド・ベイリー・サーカスに売却され、同サーカス団の宣伝により、ジャンボという名前に“巨大”というイメージが定着することになりました。1885年、鉄道事故で死亡すると、その骨格はニューヨークの米国自然史博物館に、剥製にされた皮はサーカスの巡業に伴って各地をめぐった後、タフツ大学に寄贈されました。ただし、この剥製は1975年の火災で焼失し、現存していません。今回ご紹介の切手が発行されたのは、その翌年の1976年のことでしたから、数ある“子供の本”の中から、この題材を選ぶ際には、そのことも意識されていたのかもしれません。

 なお、仏領スーダンとマリ共和国については、拙著『マリ近現代史』で、歴史のみならず、さまざまな角度からご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 
 

 ★★★ トーク・イベントのご案内 ★★★

 2014年1月2日より、東京・両国の江戸東京博物館で大浮世絵展がスタートしますが、会期中の1月24日13:30より、博物館内にて「切手と浮世絵」と題するトーク・イベントをやります。

 参加費用は展覧会の入場料込で2100円で、お申し込みは、よみうりカルチャー荻窪(電話03-3392-8891)までお願いいたします。展覧会では、切手になった浮世絵の実物も多数展示されていますので、ぜひ遊びに来てください。

 なお、下の画像は、展覧会と僕のトーク・イベントについての2013年12月24日付『讀賣新聞』の記事です。

大浮世絵展・紹介記事


 ★★★  絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩  ★★★

 2014年1月11日・18日・2月8日のそれぞれ13:00-15:00、文京学院大学生涯学習センター(東京都文京区)で、「絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩」と題する講座をやります。(1月18日は、切手の博物館で開催のミニペックスの解説)

 新たに富士山が登録されて注目を集めるユネスコの世界遺産。 いずれも一度は訪れたい魅力的な場所ばかりですが、実際に旅するのは容易ではありません。そこで、「小さな外交官」とも呼ばれる切手や絵葉書に取り上げられた風景や文化遺産の100年前、50年前の姿と、講師自身が撮影した最近の様子を見比べながら、ちょっと変わった歴史散歩を楽しんでみませんか? 講座を受けるだけで、世界旅行の気分を満喫できることをお約束します。

 詳細はこちら。皆様の御参加を、心よりお待ちしております。


 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は1月7日(原則第1火曜日)で、以後、2月4日と3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


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 Merry Christmas!
2013-12-25 Wed 03:37
 きょう(25日)はクリスマスです。というわけで、ストレートにキリスト降誕の場面を取り上げたこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       マリ・クリスマス(1970)

 これは、マリで発行された1970年用のクリスマス切手のうち、キリスト降誕の場面を描いた1530年頃の宗教画の切手です。

 18世紀後半、ヨーロッパではアフリカに関する学術的な関心が高まると、英国のアフリカ探検協会は、1788年から1798年にかけて、3次に渡るニジェール川の探検隊を派遣。最初の2回の探検隊はニジェール川流域に到達できませんでしたが、1796年になって、ようやく、マンゴ・パークがニジェール川に到達します。

 以後、ヨーロッパ人による西アフリカの探検が進められることになりますが、これに伴い、この地域へのキリスト教の布教も検討されるようになります。

 もともと、カトリック教会はアルジェリアやテュニジアでの信徒の拡大を目指していましたが、北アフリカの地域はムスリムの社会的な影響力が強く、住民を改宗させるのは容易なことではありませんでした。

 このため、1867年にアルジェリアの大司教となったシャルル・ラヴィジュリーは、1868年にサハラ・スーダン知牧区を設定したうえで、1876年1月15日、3人の宣教師にキャラバン隊を組織させ、遊牧民のトゥアレグ人を案内役として、サハラ砂漠を越えてトンブクトゥを目指す布教の旅に送り出します。ところが、宣教師たちは途中でトゥアレグ人の裏切りに遭って殺害されてしまいました。

 その後、1881年12月18日には、あらためて、サハラ越えの宣教師のキャラバンがテュニジアを出発しましたが、またしても途中でトゥアレグ人のガイドに殺害されてしまい、カトリック教会はサハラ越えのルートでトンブクトゥに入り、布教を行うというプランは断念せざるをえなくなりました。

 そこで、1885年、オーギュスタン・アカール神父はサハラ越えではなく、フランスの拠点であったセネガルから西アフリカ内陸に向けて出発し、4月1日、ニジェール内陸デルタの端に位置するセグーに到着。5月2日にはデルタ北端のトンブクトゥに到達し、1899年までに、セグーにおけるカトリック教会の基盤を築くことに成功しました。これとは別に、1843年にセネガルに支部を設けた聖霊修道会も、1888年にはキータに、1892年にはカイに布教のための拠点を設定。こうして、19世紀末、現在のマリの地域がフランスの植民地になるのと軌を一にして、現地での布教活動が進められるようになりました。

 もっとも、フランスの植民地時代を通じて、現在のマリに相当する地域でのクリスチャンの人口は大幅に増えたということはなく、現在でも、人口の90%がムスリムであるのに対して、クリスチャンは5%程度にとどまっています。ただし、フランス植民地時代の名残に加え、クリスチャンの多くは植民地時代以来のエリート層であるため、人口に比べて社会的な影響力は大きく、クリスマスは国の祝日に指定されています。

 クリスマスのイベントとしては、イヴの24日から教会でオールナイトのミサが行われ、主要各言語での賛美歌が歌われるなど、本来の宗教行事としての色彩が色濃く残っており、プレゼントの交換などはごく一部の富裕層の間でしか行われていないそうです。

 なお、キリスト教を含め、マリにおける諸宗教については、拙著『マリ近現代史』でもいろいろとご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★  絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩  ★★★

 2014年1月11日・18日・2月8日のそれぞれ13:00-15:00、文京学院大学生涯学習センター(東京都文京区)で、「絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩」と題する講座をやります。(1月18日は、切手の博物館で開催のミニペックスの解説)

 新たに富士山が登録されて注目を集めるユネスコの世界遺産。 いずれも一度は訪れたい魅力的な場所ばかりですが、実際に旅するのは容易ではありません。そこで、「小さな外交官」とも呼ばれる切手や絵葉書に取り上げられた風景や文化遺産の100年前、50年前の姿と、講師自身が撮影した最近の様子を見比べながら、ちょっと変わった歴史散歩を楽しんでみませんか? 講座を受けるだけで、世界旅行の気分を満喫できることをお約束します。

 詳細はこちら。皆様の御参加を、心よりお待ちしております。


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 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は1月7日(原則第1火曜日)で、以後、2月4日と3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


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 マリ新大統領はケイタ元首相
2013-08-14 Wed 17:03
 マリの大統領選挙は、第1回投票で首位だったイブラヒーム・ケイタ元首相の初当選が確実となりました。これにより、近々、現在のディオンクンダ・トラオレ暫定大統領は退陣し、ケイタ新政権が発足することになりました。というわけで、きょうはこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       マリ国民議会議事堂

 これは、1980年にマリで発行された独立20周年の記念切手のうち、マリ国民議会の議事堂を取り上げた1枚です。左上の肖像は、切手発行時の大統領、ムーサ・トラオレです。

 マリの憲法によれば、マリの国会は国民議会のみの一院制で、国家唯一の立法機関とされています。定数は147議席で、議員はマリを構成する8州と1特別区の人口比に基づき、国民の直接選挙で選出され、任期は5年です。

 ちなみに、ディオンクンダ・トラオレは、2012年3月にクーデターが発生した際の国民議会議長で、大統領が不在もしくは執務不能の場合は国民議会議長がその職務を代行するという憲法の規定により、暫定大統領に就任していました。

 さて、今回当選したケイタは、1945年1月29日、南部のクティアラ生まれ。ダカール大学、パリ第1大学、近代国際関係研究所等に留学し、歴史学、政治学、国際関係論などを学んだ後、パリ第1大学で第3世界政治の授業を担当していたという経歴を持つ人物で、1992年、ムーサ・トラオレ軍事独裁政権を打倒する民主化運動に加わり、民主化後は政権与党マリ民主同盟(ADEMA:Alliance pour la Démocratie en Mali)の幹部として、アルファ・ウマル・コナレ政権下の1994年2月から2000年2月まで、首相を務め、ポスト・コナレの最有力候補と目されていました。

 しかし、党内対立から、2000年2月に首相を持して離党し、新政党“マリのための結集(RPM)”を組織。2002年および2003年の大統領選挙に立候補したものの、アマドゥ・トゥマニ・トゥーレに敗れています。ちなみに、2002年の大統領選挙でのケイタの得票数は3位(2位で決選投票に臨んだのは、今回、ケイタに敗れたシセです)で、前回2007年の大統領選挙では2位でした。

 トゥーレ政権発足後の2002年9月から2007年9月まで、ケイタは国民議会議長を務めています。したがって、彼の経歴としては、元首相の他に元国民議会議長と紹介するメディアがあってもよさそうなものなのですが、どういうわけか、そうした紹介の仕方はほとんどされていませんな。なお、ケイタの後任として2007年から国民議会の議長を務めていたのが現在の暫定大統領、ディオンクンダ・トラオレで、ケイタが大統領職を彼から引き継ぐことになったのも、何かの因縁かもしれません

 今後のマリ情勢については、依然として先の読めない状況が続いていますが、ともかくも、今年4月までのかの国の事情については、拙著『マリ近現代史』で詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 マリ大統領選挙
2013-07-28 Sun 16:42
 2012年の北部争乱以来の混乱が続いているマリで、きょう(28日)、国家再建への節目となる大統領選挙が行われます。というわけで、マリ大統領の切手ということで、この1枚を持ってきました。

       モディボ・ケイタ

 これは、マリが独立直後の1961年に発行した初代大統領、モディボ・ケイタの切手です。

 ケイタは、1915年、バマコ近郊の村(バマコ・クラー)の生まれ。リュフィスク(ダカールの東25キロの都市)にあったウィリアム・ポンティ高等師範学校に学び、同校を卒業後は教師としてバマコやシカソ、トンブクトゥなどに派遣されました。

 1946年にアフリカ民主連合(RDA)が結成されると、その支部としてスーダン連合を創設し、その党首として民族運動を展開。汎アフリカ主義者で、ウィリアム・ポンティ高等師範学校出身のエリートには珍しく急進的な民族主義者という面もあったことから、各植民地がそれぞれ分離独立し、個別にフランス政府と直接交渉して支援を仰ぐべきと主張するウーフェ・ボアニ(彼もまた、ウィリアム・ポンティ高等師範学校の出身です)と対立。ボアニと並ぶ大物民族主義者であったサンゴールに接近し、1960年、仏領スーダンとセネガルからなるマリ連邦の独立を達成し、初代大統領に就任しました。

 ところで、旧スーダンとセネガルを比較すると、人口と面積においては旧スーダンがセネガルを圧倒していましたが、経済的には、ダカールやサン・ルイ、ゴレなどを有するセネガルが旧スーダンに比べてはるかに豊かでした。

 このため、旧スーダン出身のケイタは、中央集権的な国家体制をつくってセネガルと一体化することで、セネガルの資金を利用して旧スーダンの開発を進め、連邦全体の底上げを図ろうと考えたわけですが、そのことは、セネガルにとっては、フランス植民地時代よりも、さらに過重な負担を強いられるものと受け止められました。

 さらに、大統領のケイタは、マリ連邦として、独立以前から使われていたCFAフランを廃して、将来のアフリカ統一に向けて新通貨を創設することを主張。これに対して、セネガル側は、国家としての対外的信用の乏しいまま新通貨を導入してもCFAフランよりも有利なレートを設定できるはずはなく、共通通貨であるCFAフランから離脱すれば西アフリカの共通市場から締め出されることになりかねないと猛反発。両者の亀裂は修復不能な状態となります。

 その結果、1960年8月20日、首都ダカールに閣僚が集まり、連邦の新制度や正式な大統領の選出方法などについて討議していたところ、突如、「ケイタ大統領はあくなき野望を持ち、セネガル人圧迫のクーデターを企てた」として、セネガルのマリ連邦からの独立を宣言。大統領のケイタ以下、旧スーダン側の閣僚や公務員たちは軟禁され、翌21日、ダカール駅から臨時列車に乗せられて、スーダンへ追い返されてしまいました。

 当然のことながら、ケイタら旧スーダン側は激怒し、ケイタはセネガルの独立阻止のために国連軍の派遣を要請しましたが、国連側は、セネガル独立はマリ連邦の“内政問題”として部隊の派遣を拒否。このため、ケイタもセネガルの独立を承認せざるをえなくなり、1960年9月22日、旧スーダンの領域のみで、あらためて現在の“マリ共和国”として独立。ケイタは改めて新生マリ共和国の初代大統領となりました。

 大統領としてのケイタは、アフリカ社会主義を標榜してソ連への傾斜を強め、ソ連の指導を仰ぎつつ、銀行国有化や共同農場の創設などの社会主義的政策を遂行するとともに、1961年中には、農業・手工業の開発・近代化ならびに教育・保健の近代化を柱とする経済・社会開発5ヵ年計画を発動しました。しかし、反仏・民族主義路線を強めていたケイタ政権は、1962年、CFAフランから離脱し、独自のマリ・フランを導入したことで国際経済から孤立。5ヵ年計画は惨憺たる失敗に終わります。

 このため、自らの政治的権威が大きく傷ついたケイタは、文化大革命を発動した毛沢東に倣って事態を打開することを企て、1967年8月22日、人民兵が主導する“文化革命”を発動。政権与党だったスーダン同盟の全国政治局は解体され、大統領直轄の“革命防禦全国委員会”が政府・政党を統制すると宣言します。

 しかし、ケイタの文化革命は、毛沢東の文革の亜流にさえなれず、マリの国軍は自分たちを無視して新たな“人民軍”が組織されたことに猛反発。国軍はケイタに対して“人民軍”の解散ないしは“人民軍”を国軍の指揮下に編入することを要求したが、ケイタがこれを拒否し、国軍の粛清に乗り出そうとしたため、1968年11月19日、ムーサ・トラオレ陸軍大尉率いる無血クーデターが発生し、ケイタ政権は崩壊しました。

 クーデターの結果、ケイタは捕らえられて北部砂漠地帯のキダル刑務所に収監され、1977年5月16日に獄死しています。

 なお、マリとその歴代大統領については、拙著『マリ近現代史』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 中国がマリPKOに治安隊派遣
2013-06-28 Fri 17:27
 中国政府は、きのう(27日)、国連のマリ平和維持活動(PKO)部隊に治安隊を派遣することを決定しました。というわけで、マリと中国の歴史的な関係を示すものとして、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       中華人民共和国建国25年(マリ)

 これは、1974年にマリで発行された“中華人民共和国建国25周年”の記念切手で、毛沢東の下、万里の長城にたなびく赤旗が描かれています。

 マリと中国との間で外交関係が樹立されたのは1960年10月25日のことです。ちなみに、わが国がマリを国家承認したのも1960年10月のことで、東アジア諸国の中で中国が特別に早くマリと国交を結んだというわけではありません。

 しかし、早くも1961年2月には、中国はマリとの間に貿易協定を調印。1963年5月には文化協力協定を調印するなどして関係を深め、1964年1月16日から21日の国務院総理(首相)の周恩来のマリ訪問(アジア・アフリカ諸国歴訪の一環として行われた)を機に、マリを親中派として確保することに成功します。

 当時、国連の代表権を有していなかった中国は、“国連の一票”としての新興独立諸国を親中派として育成することを重要な外交課題としていました。国連の代表権を台湾の国民党政権から奪取するためには、そうした親中派諸国の票固めが不可欠でしたし、中ソ対立が激化していく中で、“国際世論”の圧力により、西側諸国に借りを作ることなく、ソ連を牽制することも可能になると考えられたためです。

 こうしたことから、中国は、1954年にインドとの共同声明の形で発表した「平和5原則」の応用編として、アフリカ諸国との外交の基本方針となる“5原則”を掲げました。その内容は、①帝国主義に反対し、民族独立をかちとり、これをまもる闘争を支持する、②平和中立・非同盟政策を支持する、③自ら選んだ方式で団結と統一を実現する戦いを支持する、④平和的教義による紛争の解決を支持する、⑤主権尊重、いかなる侵略・鑑賞にも反対する、というものでした。

 そのうえで、1964年1月、マリを訪問した周恩来は、大統領モディボ・ケイタとの共同コミュニケにおいて、上記の5原則からさらに踏み込んだ「対外経済援助8原則」を発表します。

 その内容は、①平等互恵に基づく相互主義、②援助にはいかなる条件も付けず、援助国である中国にはいかなる特権を与える必要はない、③援助に際しては、無利子または低利借款など、受領国の負担を軽減する措置を講じる、④自立更生・自立化を支える援助を行う、⑤資金蓄積に役立つ建設項目を重視する、⑥価格の決定は国際市場価格による、⑦援助受領国の要員に技術を完全に把握させる、⑧援助のために派遣される中国人専門家の待遇は現地スタッフと同じものとする、という破格のもので、援助を受けるマリにとっては良いことづくめでした。

 当然のことながら、ケイタは中国の“善意”を喜んで受け入れ、以後、この8原則が中国による低開発国援助のスタンダードとなります。1964年11月にはケイタが訪中し、中国からは1965年3月には国家副主席の劉少奇が、同年9月には国務院副総理兼外交部長(副首相兼外相)の陳毅がマリを訪問するなど、両国首脳の緊密な交流も行われ、マリは国連の代表権問題でも一貫して中国を支持するなど、西アフリカにおける親中派の代表格となります。

 しかし、中国からの巨額の経済援助を受けたても、それ以前のケイタ政権による5ヵ年計画失敗のつけはあまりに大きく、国民の生活水準はほとんど向上しませんでした。

 そうした中で、1966年10月、マリ政府の国防関係の代表団が、“プロレタリアート文化大革命(文革)”が始まったばかりの中国を訪問。当時、文革の権力闘争としての側面はほとんど明らかになっていなかったこともあって、紅衛兵の若者たちが『毛沢東語録』を振りかざして、毛沢東に熱狂し、既存の秩序を破壊して歩くさまは、外部世界からは、斬新な革命運動として好意的にとらえられることも少なくありませんでした。そのインパクトに衝撃を受けたフランスの映画監督、ジャン・リュック・ゴダールが『中国女』を制作し、1967年8月30日に公開したのはその典型的な事例といえましょう。

 5カ年計画の失敗で自らの政治的権威が大きく傷ついていたケイタは、同じような境遇を脱却した毛沢東に倣って事態を打開することを企て、1967年8月22日、人民兵が主導する“文化革命”を発動。政権与党だったスーダン同盟の全国政治局を解体し、大統領直轄の“革命防禦全国委員会”が政府・政党を統制するものとしました。

 しかし、ケイタの文化革命は、毛沢東の文革の亜流にさえなれず、マリの国軍は自分たちを無視して新たな“人民軍”が組織されたことに猛反発。国軍はケイタに対して“人民軍”の解散ないしは“人民軍”を国軍の指揮下に編入することを要求しましたが、ケイタはこれを拒否し、国軍の粛清に乗り出そうとしました。

 事ここにいたり、ついに国軍が離反し、1968年11月19日、ムーサ・トラオレ陸軍大尉率いる無血クーデターが発生。ケイタ政権は崩壊し、ケイタは捕らえられ、北部砂漠地帯のキダル刑務所に収監され、1977年5月16日に獄死することになります。

 なお、中国とマリ、双方の“文革”を通じて、中国では劉少奇や陳毅が、マリではケイタという実力者がそれぞれ失脚しましたが、両国の“友好関係”はその後も維持されています。

 このあたりの、マリと中国との歴史的な関係については、拙著『マリ近現代史』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
  
 
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 富士山、世界遺産に登録
2013-06-23 Sun 14:27
 カンボジアの首都プノンペンで開催中の国連教育科学文化機関(ユネスコ)第37回世界遺産委員会は、きのう(22日)、日本政府が推薦した“富士山”を世界文化遺産に登録することを決定しました。というわけで、きょうは富士山を描いた切手の中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

       マリ・ジャンボリー(1971)

 これは、1971年の8月2日から10日まで、富士山麓の朝霧高原で開催されや第13回世界ジャンボリーに際してマリが発行した記念切手で、世界各国のスカウトの背景に富士山が描かれています。

 ボーイスカウトの活動の中でも最大のキャンプ大会であるジャンボリーは、各地のボーイスカウトが一堂に集い、キャンプ生活をとおして日頃のスカウト活動を実践し、相互の友情を深め、自発的活動を促すために行われるものです。

 その世界規模の国際大会としての世界ジャンボリーは、1920年8月に英国のオリンピアで第1回大会が開催されて以来、途中、第2次大戦による中断はあったものの、4年に1度、各国持ち回りで開催されています。1971年の大会は、1967年に米国シアトルで開催された大会で、日本での開催が決定されました。

 大会には“、For Understanding”(相互理解)”のスローガンの下、富士山麓の朝霧高原に87ヵ国から2万3758名(うち日本人は7783名)のボーイスカウトが集まりましたが、これは、参加人員では、東京オリンピックの9200名の2倍以上、参加国数でも大阪万博の74ヵ国をはるかにしのぐもので、当時としては空前の巨大イベントだったと言えます。

 ちなみに、今回ご紹介の切手の発行国であるマリでは、仏領スーダン時代の1947年にスカウト活動が始まりましたが、独立後まもない1960年代には中断してしまい、再開されたのは1994年のことでした。したがって、今回ご紹介の切手のジャンボリーには、マリの代表は参加していません。

 1994年までマリにおいてスカウト活動が中断していたのは、主として、ムーサ・トラオレによる軍事独裁体制下で国民の社会活動が大きく制限されていたことによるものですが、そのあたりの事情については、拙著『マリ近現代史』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ ラジオ出演のご案内 ★★★

 6月25日 24:00-24:45(正確には、26日00:00-00:45)
 
 TBSラジオ/AM 954kHz  荻上チキ・Session-22

 上記番組に生放送出演して、切手から見る国際関係や歴史といった類の話をすることになりました。番組そのものは25日22:00スタートですが、僕自身は日付変更線をまたいでからの登場予定です。

 聴取可能な地域の方は、ぜひ、お聞きください。

 
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 ヘリオグラフの切手
2013-06-21 Fri 11:01
 きょうは夏至です。というわけで、太陽に関係した切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       ITU100年

 これは、1965年にマリで発行された“国際電気通信連合100年”の記念切手のうち、ヘリオグラフが取り上げられています。国際電気通信連合は日本では英語の略号“ITU”で知られていますが、この切手ではフランス語の略号“UIT”になっています。

 切手に取り上げられたヘリオグラフは、光の明滅を利用した軍用通信機のうち、太陽光の反射を用いるもので、平面鏡を送光機とし、明滅の“滅”の状態にしたいときは隔光板を用います。ただし、太陽光の性質上、当然のことながら夜間や雨天・曇天などでは通信できません。まぁ、雨の少ないマリ北部なら、ほぼ問題なく毎日使えるということにはなるのでしょうが、これが“電気通信”の分野に入れてしまっていいのかどうか、素人目にはちょっと疑問がありますな。

 ちなみに、マリの北部のサヘル地域は、降水量が少なく、しばしば旱魃に見舞われてきました。しかしながら、どういうわけか、1960年代前半から半ばにかけて、例外的に降水量の多い年が続いていたため、マリ独立当初のモディボ・ケイタ政権は、この地域への農民の移住を奨励していました。

 ところが、サヘル地域とその周辺は灌漑設備が整備されていなかったため、移住した農民たちは主として放牧を行う一方で、耕作や植樹などはほとんど行わなかったため、牧草や薪炭材は急激に減少。そこへ、1968年以降、降水量が激減した(=以前の水準に戻った)ことで、サヘル地帯では深刻な旱魃被害が発生し、多くの餓死者を出しました。

 その後も、サヘル地域では関係諸国の政治の無策もあって断続的に大旱魃が繰り返されており、現在なお、極めて厳しい自然条件の下、アフリカで最も貧しい地域となっています。そして、そのことが、武器や麻薬の密売を蔓延させ、テロリストの温床になっているといわれています。

 このあたりの事情については、拙著『マリ近現代史』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 
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 サヘル安定化へ1000億円
2013-06-03 Mon 10:19
 きょう(3日)まで横浜で開催の第5回アフリカ開発会議(TICAD5)で、きのう(2日)、安倍首相が演説し、サハラ砂漠南部のサヘル地域の安定化に向け、今後5年間で総額1000億円のODAを拠出する考えを表明しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       サヘル支援

 これは、1984年にマリで発行された“サヘル支援”加刷の切手です。

 サヘルは、サハラ砂漠南縁部、モーリタニア、マリ、チャドニジェールブルキナファソに広がる半乾燥地域で、もともと、降水の状況が不安定で、しばしば旱魃に見舞われています。しかしながら、どういうわけか、1960年代前半から半ばにかけて、例外的に降水量の多い年が続いていたため、マリ独立当初のモディボ・ケイタ政権は、この地域への農民の移住を奨励していました。

 ところが、サヘル地域とその周辺は灌漑設備が整備されていなかったため、移住した農民たちは主として放牧を行う一方で、耕作や植樹などはほとんど行われなかったため、牧草や薪炭材は急激に減少。そこへ、1968年以降、降水量が激減した(=以前の水準に戻った)ことで、サヘル地帯では深刻な旱魃被害が発生し、多くの餓死者を出しました。

 その後も、サヘルでは関係諸国の政治の無策もあって、断続的に大旱魃が繰り返されています。特に、1980年代前半、数年間にわたって続いた大旱魃に関しては、1984年から翌85年にかけて、英国のミュージシャンがアフリカの飢餓救済のためのプロジェクト“バンド・エイド”を結成したり、米国では“USAフォー・アフリカ”の企画によりチャリティー・ソング「ウィ・アー・ザ・ワールド(We Are The World)」がリリースされたりしましたので、ご記憶の方もあるかと思います。

 今回ご紹介の切手も、そうした状況を踏まえ、1980年に発行された太陽光発電を宣伝する切手に、1984年、サヘル支援を訴える加刷を施して発行されたものです。なお、切手が発行された翌年の1985年後半、サヘル地域には大雨が降り、灌漑被害は一挙に解消されましたが、今度は、水害で道路が寸断され、食糧・医薬品の輸送が滞り、国民生活に深刻な影響が生じています。

 いずれにせよ、サヘル地域は現在なお、極めて厳しい自然条件の下、アフリカで最も貧しい地域となっており、そのことが、武器や麻薬の密売を蔓延させ、テロリストの温床になっているといわれています。今回のTICADにおいて、安倍首相は、「(今年1月の)アルジェリアの人質事件を通じ、サヘル地域の安定が北・西アフリカ全体の繁栄に不可欠であることを実感した」と強調。そのうえで、教育・保健制度の整備や貧困対策などを支援して関係諸国の国内不安定要因を解消し、その結果としてテロを抑止しようというのが、ODA拠出の目的です。

 なお、サヘル地域については、拙著『マリ近現代史』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 マリ大統領選は7月28日に
2013-05-28 Tue 11:03
 マリ暫定政府は、きのう(27日)の閣議で、当初、7月7日に予定されていた大統領選挙を、28日に延期実施する法案を承認しました。選挙で1位になった候補者の得票数が過半数に達しない場合の決選投票は8月11日に行われる予定です。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       マリ・歴代大統領

 これは、2010年に発行されたマリ独立50年の記念切手で、大統領府を背景に、民族服姿の歴代大統領の写真が取り上げられています。

 取り上げられているのは、手前から、初代大統領のモディボ・ケイタ(在任:1960-68)、第2代大統領で軍事独裁政権のムーサ・トラオレ(在任:1968-91)、第3代大統領のアルファ・ウマル・コナレ(在任:1992-2002)、第4代大統領のアマドゥ・トゥマニ・トゥーレ(在任2002-12)です。このうち、民主的な選挙によって大統領が後退したのは、2012年のコナレ→トゥーレのみです。なお、1991年のトラオレ政権崩壊後、1992年にトゥーレ政権が発足するまでの間は、暫定政権として人民救済移行委員会が組織され、委員長のトゥーレ(後に大統領)が国家元首としての役割を果たしていました。

 1992年に施行されたマリの現行憲法(第3共和国憲法)では、国家元首として国軍の最高司令官でもある大統領は1期5年で任期は2期までと規定されています。また、大統領は政府の長として首相を任命し、首相は国会に対して責任を負い、不信任案が可決された場合には国会を解散することができます。政党結社の自由に関しては、宗教や民族を基盤とした政党、地域政党、性別による差別を主張する政党は禁止されているものの、それ以外の規制はありません。

 2012年3月の軍事クーデターでは、一時、第3共和政憲法は停止されましたが、国際的な批判を受け、同年4月、クーデターによって政権を掌握した“民主主義と国家の再建のための国民委員会”は、トゥーレ大統領の退陣を条件に、第3共和政憲法に従い、国会議長のディオンクンダ・トラオレが暫定大統領として次期大統領選挙の実施と民政への復帰を目指す、ということで旧トゥーレ政権との合意が成立。現在の暫定政権が発足しました。
 
 冒頭にもご紹介の通り、当初、暫定政権による大統領選挙の実施は今年7月7日の予定でしたが、フランスの軍事介入により北部の主要都市を政権側が奪還した後も、マリ国内の治安が安定しないことに加え、周辺諸国へ逃れた難民の帰還問題などもあり、予定通りの実施はきわめて困難と見られていました。今回の暫定政府の決定は、当初予定から3週間の延期ということですが、その間に状況が劇的に改善されるとは考えにくいので、あるいは再延期ということもあるかもしれません。

 なお、2012年の軍事クーデター以降のマリ情勢ですが、拙著『マリ近現代史』でも今年4月の時点まではフォローしておりますので、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 於 東京・浅草 台東民会館 9階ホール
 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『マリ近現代史』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しておりますので、ぜひ、遊びに来てください。


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 世界カメの日
2013-05-23 Thu 13:54
 きょう(23日)は、カメについて知り、カメに敬意を払い、カメの生存と繁栄のための人間の手助けをするという“世界カメの日”だそうです。というわけで、カメの切手の中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

       カンムリヅルとゾウガメ

 これは、1963年11月23日にマリで発行された「野生動物保護」の航空切手でカンムリヅルとケヅメリクガメが描かれています。鶴と亀というモチーフは、日本では吉祥の組み合わせとしてポピュラーなものですが、今回ご紹介の切手は、そのアフリカ版という感じでしょうか。

 切手に描かれたカンムリヅルは、アフリカ大陸の中央部・西部(切手発行国のマリも含まれます)の湿地や草地に棲息し、穀物の種子やカエルなどの小動物、昆虫を餌としています。一般にツルの仲間は木の枝にはとまらないのですが、この種は、ホオジロカンムリヅルとともに、例外的に木の枝に停まることができます。

 一方、切手に描かれているカメについて、スコット・カタログでは“giant tortoise”という説明がついています。この語は、一般的に“ゾウガメ”と訳されていますが、日本語でいう“ゾウガメ”は、インド洋のアルダブラゾウガメと太平洋のガラパゴスゾウガメを指すことが多いようです。ただし、マリでは、この2種のどちらも野生では棲息していません。むしろ、エリトリア、エチオピア、スーダン、セネガル、ソマリア、チャド、ニジェール、マリ、ブルキナ・ファソ、ベナン、モーリタニア等に棲息するリクガメとして、ケヅメリクガメという種がありますので、切手に描かれているのはこちらではないかと思います。

 ケヅメリクガメは、砂漠の周辺やサバンナに生息しており、乾季になると巣穴の中で休眠することもあります。食性は植物食で、イネ科の植物・多肉植物のほか、草、低木の葉、花、果実などを餌としています。最大甲長は83センチメートルということですので、翼長55cm,体長1m以上というカンムリヅルを背中に乗せると、たしかに、切手のようなバランスになりますな。

 さて、拙著『マリ近現代史』では、今回ご紹介のケヅメリクガメが棲息するマリ周辺の砂漠やサバンナの状況についてもいろいろとご説明しております。機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 マラリア薬の半分は偽物
2013-05-20 Mon 11:38
 全世界で年間2億人以上の患者が発生しているマラリアについて、アフリカと東南アジアで販売された薬のうち、約半分が薬効の不十分な“偽薬”だったことが、国連薬物犯罪事務所(UNODC)がまとめた初の報告書で明らかになりました。その主な製造元は中国とインドだそうです。というわけで、きょうはマラリア関連の切手の中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

       マリ・反マラリア募金

 これは、1962年にマリで発行された反マラリアキャンペーンの寄附金つき切手で、WHOの反マラリア運動のシンボルマークが描かれています。1962年には、今回ご紹介のマリをはじめ、世界各国でマラリア撲滅運動の切手が発行されました。これは、1955年から世界保健機構(WHO)が実施していた“マラリア撲滅キャンペーン”が一定の成果を上げたことを受け、その総仕上げとして、1962年4月7日(WHOの創立記念日)に記念のキャンペーン切手を発行しようという呼びかけに応じてのことで、旧仏領諸国では統一図案で発行されています。

 さて、マリで感染する可能性のあるマラリアの大半は、最悪の場合、死に至ることのある熱帯熱マラリアで、北部のサヘル地域を除く全土で年間を通じて発生していますが、特に、雨季の6月から10月に蚊が多くなることで、患者数も増加します。マラリアは軽症であれば治療薬を服用することで治療が可能ですが、熱帯性マラリアは日本で入手可能な治療薬には耐性ができているため、万一かかってしまったら、現地の病院でお世話になるしかありません。

 ちなみに、マリではマラリアが5才未満の子どもの死亡原因の1位とされていますので、各国の医療支援もマラリア対策に力点が置かれているものと思われます。近年、マリのみならずアフリカへの支援を大々的に宣伝している中国ですが、今回のようなニュースを聞くと、彼らが各地でばらまいているマラリアの治療薬もかなりな部分が“偽薬”じゃないかと疑いの目を向けてしまうのが人情というものでしょう。

 “偽薬”は、それ自体が治療の役に立たないというだけではなく、効果の薄い薬の投与が続けば、抗生物質が効かない薬剤耐性マラリアなどが拡散する恐れがあります。国内では使い道のなくなった“偽薬”を、援助の名目で海外にばらまいているのだとしたら、なんとも罪作りな話ですな。

 なお、拙著『マリ近現代史』では、マリ国内の保健・衛生環境や中国からの援助の歴史などについてもまとめております。機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 ブリュッセルでマリ支援国会議
2013-05-15 Wed 12:01
 きょう(15日)、ベルギーのブリュッセルでフランスと欧州連合(EU)を共同議長として、マリ支援国会合が開催されます。というわけで、マリの切手の中から、ブリュッセルに関係するものということでこの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       マリ・アフリカンウィークス

 これは、1973年9月17日に発行された“アフリカン・ウィークス”の切手です。イベント名の原語(フランス語)は“QUINZANE AFRICANE”ですが、この“QUINZANE”は、辞書的に言うと「15日もしくは当日を含む2週間」という意味です。日本語や英語にはない概念ですので訳すのが難しいのですが、スコット・カタログなどでは、とりあえず“weeks”という訳語を当てているので、僕もこれに従いました。

 アフリカン・ウィークスは、アフリカ諸国の文化を広く紹介し、アフリカに対する理解を深めようというイベントで、切手には、アフリカの象徴としての仮面と、ブリュッセルの象徴としての市庁舎を組み合わせたデザインになっています。ちなみに、この時のアフリカン・ウィークスは9月15日から30日まで行われましたが、切手の発行はイベント3日目の17日です。おそらく、15日が土曜日だったので、土日を避けて月曜日の発行にしたのでしょう。

 さて、マリ支援国会合は、今年(2013年)1月29日、アフリカ諸国に加え、欧米諸国や日本も参加して、エチオピアのアディスアベバで開催されました。このときの会合では、参加国や国際機関などからそれぞれ支援が表明され、マリにおけるAFISMAの軍事作戦や人道支援に対して、総額4億5,500万ドル以上の拠出が合意されたと伝えられています。

 わが国からは松山政司外務副大臣が参加。マリ北部をはじめとしたサヘル地域におけるテロとの戦いを強化すべく国際社会に対してアフリカ諸国の反テロ活動への支援を呼び掛けるとともに、日本政府として、難民支援やPKO訓練センター支援など、ガバナンス・治安強化などの分野で新たに1億2000万ドルの拠出を検討していると表明しました。ちなみに、わが国は昨年(2012年)、サヘル地域に対して6300万ドルを支援しています。

 今年1月のフランスの軍事介入の後、北部の主要都市は3月に政府側に奪還されましたが、トゥンブクトゥやガオでは、現在も断続的に戦闘が勃発、緊迫した状況が続いています。今回の会合は、7月に予定されている大統領選挙や国連のPKO派遣などを控えてのもので、より具体的な討議が行われるものと思われます。

 なお、昨年来のマリ情勢については、拙著『マリ近現代史』でも詳しくフォローしておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 こどもの日
2013-05-05 Sun 14:10
 今日は拙著『マリ近現代史』の奥付上の刊行日です。いつもは、拙著の奥付上の刊行日には表紙カバーに使った切手やカバーについてご説明するのですが、きょうは“こどもの日”でもありますので、同書の扉に使ったこのマテリアルについてご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

       コナレ礼状(表紙)     コナレ礼状(中身)

 これは、2001年に当時のマリ共和国大統領・アルファ・ウマル・コナレの名義で差し出されたカードの表紙(左の画像)とその中身です。カードを開いた左下には、国家の将来のためには子供を大切にしなくてはいけないとの趣旨で「我々の将来の道は我々の子供たちによって我々にあらかじめ示されている」との文言があり、右側にはコナレ自身のサインとともに「マリ共和国大統領と家族はあなたのご厚意に感謝いたします」との文言も印刷されていますので、おそらく、名宛人によるマリの児童福祉への貢献(おおそらく、多額の寄付でしょう)に対する礼状と思われます。なお、前に向かって歩く子供の姿を後ろからとらえた写真は、将来に向かって進むマリの象徴ということなのでしょう。ちなみに、このカードは、下に示すようなマリ大統領府の封筒に入れられて、名宛人に届けられています。

       マリ大統領府カバー

 今回ご紹介のカードに署名しているアルファ・ウマル・コナレは、1946年2月2日、カイの生まれ。1969年に首都バマコの高等師範学校を卒業した後、1971年から1975年まで、ポーランドのワルシャワ大学に留学し、帰国後、歴史家としてマリ国内の大学・研究機関に勤務し、名声を得ていました。

 1978年、ムーサ・トラオレの軍事独裁政権は、名目的な“民政復帰”を前にソフト・イメージを演出する目玉人事として、コナレをスポーツ文化大臣に抜擢します。しかし、1980年、コナレは政権批判を理由に解任され、以後、反体制派知識人の代表的な存在として、1989年、マリ最初の独立系日刊紙『レゼコ(こだま)』を刊行するようになりました。

 マリを代表する文化人の一人であり、国民的な人気も高かったコナレに対しては、トラオレ政権も手荒なことはできなかったため、彼の周囲にはしだいに民主化勢力が結集するようになります。そして、1990年以降、まず、複数政党制の導入と言論・集会の自由を求める運動が開始されましたが、トラオレはこれを時期尚早と一蹴。これをきっかけに、経済無策の独裁政権に対する国民の不満が一挙に噴出し、1991年の民主革命につながりました。

 1992年5月11日に行われた大統領選挙では、コナレは1回目の投票で全投票の45%を獲得して1位となり、決選投票では69%を得票して、民主化後初の大統領に当選。2002年まで大統領を2期10年務め、この間、国内宥和と経済の再建に努め、退陣間近の2002年にはアフリカ最大のスポーツイベントの一つとされるサッカーのアフリカ・ネイションズ・カップのマリ開催を成功させています。彼が大統領だった10年間は、独立以降のマリの歴史の中では、最も安定した時代だったといってよいでしょう。

 さて、拙著『マリ近現代史』では、コナレの下で曲がりなりにも民主化を実現していたマリが、なぜ、現在のような混迷に陥ったのか、そのプロセスについても詳しく解説しております。機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 憲法記念日
2013-05-03 Fri 10:46
 きょう(3日)は憲法記念日です。というわけで、日本国憲法の話をしても良いのですが、せっかく『マリ近現代史』を出したばかりですので、マリ共和国の憲法の話をしましょう。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        マリ第3共和政

 これは、1992年にマリの現行憲法が施行され、マリ第3共和政が正式に成立してから1周年になるのを記念して、1993年1月に発行された切手です。不気味なデザインの切手ですが、第3共和政が1991年の民主革命を経て誕生したことを踏まえ、国民の政治参加を示す腕と民主化の勝利を意味する多数のVサイン、さらに、政府を監視する国民の目を表現しているということなのでしょう。

 1958年12月末、旧仏領スーダンの首府バマコに、スーダン、セネガル、オート・ヴォルタ、ダホメ各地の汎アフリカ主義者らが集まり、新たな連邦を創設してフランスからの完全独立を目指して会議を開催。その結果、年が明けた1959年1月17日、セネガルのダカールで開催された“憲法制定会議”において「“マリ連邦”憲法」が承認され、各共和国で国民投票にかけられることになりました。しかし、同憲法が国民投票で可決されたのはスーダンとセネガルのみで、この両国により、1960年6月、マリ連邦が発足します。

 しかし、マリ連邦は2ヶ月ほどで崩壊。旧仏領スーダンの地域はマリ共和国として独立し、これにあわせて、「アフリカ統一のためなら主権の一部もしくは全部を放棄する」との規定があるマリ共和国憲法が制定されました。

 その後、1968年に軍事クーデターが発生し、建国以来のモディボ・ケイタ大統領は失脚。ムーサ・トラオレによる軍事独裁政権がスタートします。クーデター後、独立時の憲法は停止され、しばらく、マリは無憲法状態になりました。その後、軍事政権は、1974年6月2日、“民政復帰の準備段階”として、新憲法についての国民投票を実施。これが(軍事政権の発表によれば)99%の有権者の賛成により可決され、マリの第2共和政がスタートします。ちなみに、第2共和政の憲法では、政党は“マリ人民民主同盟(UDPM:Union Démocratique du Peuple Malien)”一党のみが唯一の合法政党とされ、大統領任期は5年でした。なお、国民投票に先立ち、軍事政権は国民投票の結果に関わらず、今後5年間は政権にとどまると発表。実際、ムーサ・トラオレは1991年の民主革命まで独裁政権を維持しています。

 1991年の民主革命後、アマドゥ・トゥマニ・トゥーレを委員長とする暫定政権として。人民救済移行委員会が発足。同年7月29日から8月13日にかけて委員会は憲法制定のための国民会議を招集するとともに、トゥーレは1992年に大統領ならびに国会議員の選挙を行うことを公約として発表。翌1992年1月12日の国民投票で、委員会の作成した憲法草案が可決され、現行憲法を戴く体制としてマリ第3共和政が発足します。

 マリの現行憲法では、国家元首として国軍の最高司令官でもある大統領は1期5年で任期は2期までと規定されています。また、大統領は政府の長として首相を任命し、首相は国会に対して責任を負い、不信任案が可決された場合には国会を解散することができます。政党結社の自由に関しては、宗教や民族を基盤とした政党、地域政党、性別による差別を主張する政党は禁止されているものの、それ以外の規制はありません。

 また、第3共和政憲法では、「世界人権宣言」と「人および人民の権利に関するアフリカ憲章」の精神を順守することがうたわれており、それを担保するため、スト権と司法の独立も認められ、違憲立法審査権を有する憲法裁判所も設けられました。ちなみに、マリ憲法の背景となった「人および人民の権利に関するアフリカ憲章」は、前文と68条からなり、前文では植民地主義、新植民地主義、アパルトヘイト、シオニズムの廃絶が謳われ、世界人権宣言に記された全ての人権の保障を明記しています。特徴的なのは、「民族自決の権利」(第20条)、「民族の発展」(第22条)などの条項で、加盟国は条約で保障された権利の促進を行う任務を負う(第45条)とされ、“人と人民の権利に関するアフリカ委員会”が加盟国の人権状況について調査・勧告を行うことになっています。

 2012年3月の軍事クーデターでは、一時、第3共和政憲法は停止されましたが、国際的な批判を受け、同年4月、クーデターによって政権を掌握した“民主主義と国家の再建のための国民委員会(CNRDR:Le Comité National pour le Redressement de la Démocratie et la Restauration de l'Etat)”は、トゥーレ大統領の退陣を条件に、第3共和政憲法に従い、国会議長のディオンクンダ・トラオレが暫定大統領に就任し、次期大統領選挙の実施と民政への復帰を目指す、ということで合意が成立。現在の暫定政権が発足することになりました。
 
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 昭和の日
2013-04-29 Mon 10:41
 きょう(29日)は“昭和の日”です。というわけで、『マリ近現代史』を上梓したばかりの内藤としては、マリと昭和史の関連は何かないかと考えて、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        東京五輪(マリ)

 これは、1964年にマリが発行した東京五輪記念の小型シートです。

 現在のマリ共和国が正式に発足したのは1960年9月のことで、翌10月には、わが国との国交も樹立されていますが、両国の関係で最初の大きな出来事としては、1964年の東京五輪にマリ代表が参加したことになりましょうか。1964年の東京五輪は昭和史の一大事件ですが、マリにとっても初の五輪参加として重要な意味を持っていますから、昭和史×マリの組み合わせとしては悪くないのではないかと思います。ちなみに、マリ国内の五輪委員会が設立されたの1962年のことで、IOCの承認を受けたのは翌1963年です。

 1964年の東京五輪にマリから参加した選手はサラ・カマラとドラマネ・セレメの2人で、いずれも男子陸上競技の選手です。成績は、カマラが100mに出場したものの1次予選敗退、セレメは100mで18位、走り幅跳び16位、砲丸投げ20位、走り高跳び21位、400mで15位、110m障害で16位、円盤投げ20位、棒高跳び18位、槍投げ16位、1500m14位でした。ちなみに、切手にはサッカーとボクシングも取り上げられていますが、この両種目ではマリ選手は出場していません。

 なお、独立後間もない時期のマリと東アジア諸国との関係では、日本よりも中国との関係がはるかに密接でした。

 すなわち、1960年10月25日、中国はマリとの国交を樹立しますが、早くも1961年2月には2国間の貿易協定を調印。1963年5月には文化協力協定を調印するなどして関係を深め、東京五輪の開催された1964年1月16日から21日の国務院総理(首相)の周恩来のマリ訪問(アジア・アフリカ諸国歴訪の一環として行われました)を機に、マリを親中派として確保することに成功しています。

 ちなみに、1964年1月、マリを訪問した周恩来は、大統領のモディボ・ケイタとの共同コミュニケにおいて「対外経済援助8原則」を発表。

 その内容は、①平等互恵に基づく相互主義、②援助にはいかなる条件も付けず、援助国である中国にはいかなる特権を与える必要はない、③援助に際しては、無利子または低利借款など、受領国の負担を軽減する措置を講じる、④自立更生・自立化を支える援助を行う、⑤資金蓄積に役立つ建設項目を重視する、⑥価格の決定は国際市場価格による、⑦援助受領国の要員に技術を完全に把握させる、⑧援助のために派遣される中国人専門家の待遇は現地スタッフと同じものとする、という破格のもので、援助を受けるマリにとっては良いことづくめでした。

 当然のことながら、ケイタは中国の“善意”を喜んで受け入れ、以後、この8原則が中国による低開発国援助のスタンダードとなります。さらに、1964年11月にはケイタが訪中し、中国からは1965年3月には国家副主席の劉少奇が、同年9月には国務院副総理兼外交部長(副首相兼外相)の陳毅がマリを訪問するなど、両国首脳の緊密な交流も行われ、マリは国連の代表権問題でも一貫して中国を支持するなど、西アフリカにおける親中派の代表格となりました。

 拙著『マリ近現代史』では、そうしたマリと中国との密接な関係についても、いろいろとご説明しております。機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 
  

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 マリにPKO展開へ
2013-04-27 Sat 07:08
 かねてご案内の通り、本日(27日)15時より、東京・浅草で開催のスタンプショウ会場内にて、拙著『マリ近現代史』の刊行記念トークを行います。入場は無料ですので、ぜひ、遊びに来てください。そのマリ情勢ですが、国連安保理が、25日(ニューヨーク時間)、国連平和維持活動(PKO)を展開する決議案を全会一致で採択しました。というわけで、きょうはマリ×国連ということで、この切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        マリ独立+国連加盟

 これは、1961年5月18日、マリで発行された「独立および国連加盟記念」の航空切手で、マリの国旗(当時)とマリの地図に国連マークが描かれています。

 現在のマリ(旧仏領スーダン)とセネガルに相当する地域は、1960年6月20日、マリ連邦としてフランスから独立しました。しかし、連邦のあり方をめぐって、旧スーダンとセネガルとの対立が生じ、2か月後の8月20日、首都ダカールに閣僚が集まり、連邦の新制度や正式な大統領の選出方法などについて討議していたところ、突如、「ケイタ大統領はあくなき野望を持ち、セネガル人圧迫のクーデターを企てた」として、セネガルがマリ連邦からの独立を宣言。大統領のケイタ以下、旧スーダン側の閣僚や公務員たちは軟禁され、翌21日、ダカール駅から臨時列車に乗せられて、スーダンへ追い返されてしまいました。

 当然のことながら、ケイタら旧スーダン側は激怒し、ケイタはセネガルの独立阻止のために国連軍の派遣を要請。しかし、国連側は、セネガル独立はマリ連邦の“内政問題”として部隊の派遣を拒否したため、ケイタもセネガルの独立を承認せざるをえなくなり、1960年9月22日、旧スーダンの領域のみで、あらためて現在の“マリ共和国”として独立し、同月28日、国連に加盟します。今回ご紹介の切手はこれを記念して発行されたものです。

 なお、切手に描かれている国旗は、中央に“カナガ”が描かれているマリ連邦時代のもので、1961年3月1日、カナガを削除した新国旗が、あらためて、マリ共和国の国旗として制定されています。今回ご紹介の切手は同年5月18日の発行ですので、おそらく、新国旗を入れてのデザイン制作は間に合わなかったということなのでしょう。

 カナガは、もともとは、ドゴン族が祝祭の際にかぶって踊るマスクの人形のことで、天に向けられた手は恵みの雨を、地に向けられた脚は豊作を願うものです。ちなみに、ドゴン族は、ニジェール川流域、“バンディアンガの断崖”と呼ばれる標高差500m、幅150キロの範囲に、700の村落をつくり約25万人が生活しており、独特の仮面文化や神話は、フランスの民俗学者、マルセル・グリオールらの研究によって広く知られるようになり、彼らの居住地域であるバンディアンガの断崖は、ユネスコの世界遺産(文化遺産・自然遺産)にも登録されています。
 
 マリ連邦の発足に際し、セネガル側の代表で優れた文化人でもあったレオポール・セダール・サンゴール(のち初代セネガル大統領)は、連邦の領域内にあるドゴン族の文化が西洋社会でも高く評価されていることを踏まえ、フランスの国旗をモデルとして、1798年のエチオピア国旗に由来する汎アフリカ色の緑(アフリカの植生)・黄(アフリカの富と繁栄)・赤(殉教ないしは独立のために流された血)を等間隔に描いた縦三色旗の中央に、人間の生命とエスプリのシンボルとしてカナガを加えることを主張。その結果できあがったのが、旧マリ連邦の国旗でした。

 1961年3月1日の国旗の改正は、旧マリ連邦の国旗に描かれているカナガはイスラム(マリの人口の約9割はムスリムです)の禁じる偶像崇拝につながりかねないもので、好ましくないというのが表向きの理由でしたが、実際には、セネガル(のサンゴール)の影響を払拭しようという意図があったとみられています。

 さて、本日のトークでは、仏領植民地時代から、今回ご紹介したような経緯でマリ共和国が独立し、その後、現在にいたるまでのおよその流れを切手や絵葉書などとともにご紹介していく予定です。国連のPKO派遣も決まり、いずれは自衛隊も現地へ向かうことも予想されますので、ぜひ、遊びに来ていただけると幸いです。


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