2019-03-07 Thu 14:37
チェコ東部の村ズジェホフで、おととい(5日・現地時間)、無許可で雌雄のライオンを飼っていた男が、ライオンに襲われて亡くなったそうです。というわけで、チェコのライオン切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1920年、シベリアの第1チェコスロバキア狙撃連隊(以下、チェコ軍団)の将兵用に発行された切手で、チェコスロヴァキアの国章“ボヘミアのライオン”が描かれています。 第一次大戦以前、チェコとスロヴァキアはハプスブルク帝国の支配下にあり、チェコおよびスロヴァキア人将兵はオーストリア軍の一員として大戦に参加し、ロシア軍と戦っていました。しかし、もともとハプスブルクからの独立を強く望んでいたチェコ人たちは、ヨーロッパ諸民族とドイツ人との戦いとしての第一次大戦を民族独立の好機とみなすようになり、“敵の敵”であるロシアに投降する者が後を絶ちませんでした。 このため、ロシア帝国は、チェコ人とスロヴァキア人捕虜によってチェコ軍団を結成。彼らは義勇兵として独墺と戦い、1917年7月のガリツィア攻勢において3000人以上の捕虜を獲得するなどの戦果を挙げています。1918年の時点で、チェコ軍団の規模は約15万人で、帝政ロシアを打倒して独墺と単独講和を結んだボリシェヴィキ政権はドイツの手先であると考えていました。 こうした状況の下、1918年4月、シベリア経由でヨーロッパ戦線に向かおう途中のチェコ軍団のメンバーが、移送中のドイツ・オーストリア軍の捕虜と小競り合いを起こしたのをきっかけに、チェコ軍団による反乱が勃発。チェコ軍団はシベリア鉄道に沿って、当時、無政府状態になっていたサマラ=イルクーツク間の地域を占拠しました。 これに対して、ボリシェビキ政権は連合国に対してチェコ軍団の武装解除を要求しましたが、連合国側はこれを拒否。逆に、「チェコ軍団がシベリア各地で殲滅されかかっている」として、チェコ軍団救出を大義名分に、ボリシェビキ政権に対する干渉出兵を行うこととします。ボルシェビキ政権を打倒し、連合国に立って戦うロシア政府を樹立することによって、東部戦線にドイツ軍を釘付けにするためでした。これが、列強諸国によるシベリア出兵の基本的な構図です。 さて、今回ご紹介の切手の台切手は、1919年9月、プラハで製造されたもので、“ボヘミアのライオン”の紋章の周囲に軍隊を示す各種の武器を散りばめたデザインになっています。周囲には“シベリア・チェコスロバキア軍郵便(POSTA CESKOSLIVENSKE ARMADY SIBIRSKE)”の文字と発行年を示す“1919”の表示があり、1920年以降は、今回ご紹介の切手のように、1920の年号や各種の額面を加刷して使用されました。 なお、この切手が発行されたときには、すでに、大戦は終結してハプスブルク帝国は崩壊しており、チェコはスロヴァキアとともにチェコスロヴァキアとして独立していました。 ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2018-10-28 Sun 12:57
1918年10月28日にチェコスロヴァキアが独立して、きょうで100周年です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1918年11月、独立当初のチェコスロヴァキアで暫定的に行われていたスカウト郵便用の切手で、“ボヘミアのライオン”の紋章が描かれています。 第一次大戦以前、チェコとスロヴァキアはハプスブルク帝国の支配下にあり、チェコおよびスロヴァキア人将兵はオーストリア軍の一員として大戦に参加し、ロシア軍と戦っていました。しかし、もともとハプスブルクからの独立を強く望んでいたチェコ人たちは、ヨーロッパ諸民族とドイツ人との戦いとしての第一次大戦を民族独立の好機とみなすようになり、“敵の敵”であるロシアに投降する者が後を絶ちませんでした。 このため、ロシア帝国は、チェコ人とスロヴァキア人捕虜によって第1チェコスロバキア狙撃連隊(チェコスロヴァキア軍団)を結成。彼らは義勇兵として独墺と戦い、1917年7月のガリツィア攻勢において3000人以上の捕虜を獲得するなどの戦果を挙げました。 一方、トマーシュ・マサリクやエドヴァルド・ベネシュ、ミラン・シュテファーニクら独立運動家たちは、1916年、パリで“チェコスロバキア国民委員会”を設立していましたが、チェコスロヴァキア軍団の活躍もあり、1918年年6月29日、協商国は同委員会を“将来のチェコスロヴァキア政府の基礎”として承認。ハプスブルク帝国の敗戦がほぼ確実になった同年10月18日、同委員会が“ワシントン宣言”を行い独立を宣言し、マサリクを初代大統領とするチェコスロヴァキア暫定政府を設立すると、10月28日、チェコスロヴァキア国内の国民委員会も独立を宣言してプラハの政庁を占拠しました。 その後、11月3日にハプスブルク帝国が降伏し、11月11日、皇帝カール1世が退位して帝国は崩壊しますが、そうした混乱の中で、チェコスロヴァキア国民委員会支配下のプラハでは、ボーイ・スカウトの組織を利用して郵便物の配達が行われていました。今回ご紹介の切手は、そうしたスカウト郵便の料金を納付するため、11月7日に発行されたもので、11月25日、国民委員会が旧ハプスブルク帝国の郵政機関を接収するまで使用されていました。 なお、旧ハプスブルク帝国の切手は、チャコスロヴァキア領内では1919年3月15日まで有効とされていましたが、1918年12月18日には、新国家の最初の切手として、アルフォンス・ミュシャのデザインしたプラハ城切手の発行が始まり、チェコスロヴァキア郵政が本格的に動き出すことになります。 ★★★ 近刊予告! ★★★ えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です! 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。 (画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) ★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★ 本体2500円+税 【出版元より】 中東100 年の混迷を読み解く! 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史! 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2018-07-20 Fri 00:19
かねてご案内の通り、きょう(20日)から、東京・錦糸町のすみだ産業会館8階で、チェコスロヴァキア独立100周年を記念して、在日チェコ共和国大使館のご後援の下、チェコ切手展(全日本切手展2018=全日展と併催)がスタートします。というわけで、きょうは、チェコ関連の展示の目玉のひとつとして、この切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1918年12月18日、チェコスロヴァキア最初の切手“プラハ城”の発行日に、プラハ城切手を貼ってドイツ・ワイマール宛に差し出した書留便で、今回のチェコ切手展に展示されている高久健一さんのコレクションの目玉の逸品です。 第一次大戦以前、オーストリア=ハンガリー二重帝国の支配下に置かれていたチェコとスロヴァキアは、1918年10月18日、チェコスロヴァキアとして独立を宣言します。当初、新国家はオーストリア時代の切手を接収し、“チェコスロヴァキア共和国”などの文字を上から印刷するなどの暫定的な処置で急場をしのいでいましたが、これと併行して、独立国としてオリジナル・デザインの新切手を発行すべく準備を進めました。 新国家は自国出身の巨匠であったミュシャ(チェコ語の発音だと“ムハ”)に切手のデザインを依頼。これを受けて、ミュシャは、独立後まもない祖国のためにプラハ城を大きく描き、右手に小さく聖ミクラーシュ教会を配した切手のデザインを無償で作成します。 ミュシャのデザインした切手は、1918年12月18日、最初の3額面(3ハレル、5ハレル=今回ご紹介のカバーに貼られている切手、10ハレル)が発行されたのを皮切りに、1920年までさまざまな額面のものが発行されました。これが、いわゆる“プラハ城切手”です。 プラハ城切手は、当時の混乱した状況の中で製造されたことから、一見、同じに見える切手でもさまざまなバラエティに分類することができます。また、当時は、わずか2年5ヶ月の間に3回の郵便料金の値上げがあったため、さまざまな種類の郵便物が残されることになりました。今回、チェコ切手展に招待展示されている高久さんのコレクションは、それらを丹念に分類・研究したもので、これまでにも、2011年に横浜で開催の世界切手展<Philanippon 2011>で金賞を受賞したのをはじめ、世界最高水準のコレクションとして知られています。 なお、今回のチェコ切手展では、ご来場者先着300名様に、プラハ城切手をおひとり1枚、プレゼントしておりますので、切手もさることながら、“ホンモノのミュシャ”を手に入れてみたいという方はぜひ、会場にお運びください。 ★★★ 全日本切手展のご案内 ★★★ 7月20-22日(金-日) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにチェコ切手展が開催されます。主催団体の一つである全日本郵趣連合のサイトのほか、全日本切手展のフェイスブック・サイト(どなたでもご覧になれます)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。 *画像は実行委員会が制作したポスターです。クリックで拡大してご覧ください。 なお、会期中の21日には、内藤のトーク・イベントが以下の3件あります。 13:00 【セミナー・9階会議室】 「国際切手展審査員としての経験から テーマティク部門」 14:30 【講演・8階イベントスペース】 「アウシュヴィッツとチェコを往来した郵便」 16:00 【新刊紹介8階イベントスペース】 『世界一高価な切手の物語』(東京創元社) ★★★ 近刊予告! ★★★ えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です! 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。 (画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) ★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★ 本体2500円+税 【出版元より】 中東100 年の混迷を読み解く! 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史! 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2018-06-05 Tue 02:06
ご報告がすっかり遅くなりましたが、4月25日、『本のメルマガ』第679号が配信されました。僕の連載「スプートニクとガガーリンの闇」は、前回に続き、スプートニク1号および2号を題材に、国際地球観測年の期間中に東側諸国で発行された切手を紹介していますが、今回はチェコスロヴァキアについて取り上げました。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)
これは、ヤーヒモフ(ドイツ語名ヨアヒムシュタール)でのウラン抽出100周年の記念標語印が押された葉書です。今回は、チェコのウランとソ連の宇宙開発という話でしたので、その“チェコのウラン”に絡めて使ったマテリアルです。 チェコスロヴァキアでは、1948年2月の政変で共産党が実権を掌握。同年6月、チェコスロヴァキア共産党の創設メンバーだったクレメント・ゴットワルトが大統領に就任します。 ゴットワルトは純然たるスターリン主義者で、すべての生産設備を国有化し、農業集団化を強行しただけでなく、議会制度を完全に放棄し、体制に批判的な人物は容赦なく粛清しました。1953年3月14日、スターリンの葬儀から帰国して5日後に亡くなったのは、“小スターリン”として本家のコピーに徹しきった彼の生涯を象徴するような幕引きだったといえましょう。 ゴットワルトの死後、共産党第一書記に就任したアントニーン・ノヴォトニーはゴットワルトの路線を継承しつつ権力基盤を固め、1957年には大統領職も兼務しました。 ときあたかも1956年2月のフルシチョフによるスターリン批判を機に東欧諸国ではソ連支配への反発が強まっており、同年10月には隣国ハンガリーで大規模な反ソ暴動(ハンガリー動乱もしくはハンガリー1956年革命)が発生しましたが、ノヴォトニーは国内の反ソ世論を封じ込めることに成功。ソ連の軍事介入を積極的に支持しました。 こうした状況の下で、1957年10月、ソ連が世界最初の人工衛星、スプートニク1号の打ち上げに成功すると、チェコスロヴァキア国内では、「スプートニク号の仕組みは?」という質問に対して「1.チェコのウラン、2.ドイツの技術、3.ソ連の犬」と応えるという共産圏ジョークが流行します。 チェコ・ボヘミア地方のヤーヒモフ(ドイツ語名ヨアヒムシュタール)は、神聖ローマ帝国マクシミリアン2世統治下の16世紀以来、銀山の開発が行われていましたが、当初から、銀以外にも、輝く黒い鉱物の存在が知られていた。それらは“ピッチブレンド”と呼ばれており、鉱山労働者に健康被害をもたらす一方で、関節炎などの病気の治療にも使われていました。このピッチブレンドから、1789年、化学者のマルティン・クラプロートが新しい元素を抽出し、天王星(ウラヌス)を発見したヴィルヘルム・ハーシェルに敬意を表して、“ウラン”と命名します。 1938年、ドイツがチェコスロヴァキアを併合すると、ヤーヒモフ鉱山もドイツ領となり、同年、オットー・ハーンがここから産出されたウランの研究をもとに、ウランの核分裂を発見。ヨアヒムシュタールは、原爆開発の観点から、注目を集めます。 第二次大戦後、チェコスロヴァキアはソ連の衛星国となり、1946年以降、ヤーヒモフ鉱山で生産されるウランは、すべてソ連に輸出され核開発及び原子力発電所用核燃料として使用されていました。 さて、実際のスプートニク1号の打ち上げに使われたR7ロケットの燃料は液体酸素とケロシン(石油を分留して作られる液体の炭化水素。ナフサよりも重く軽油よりも軽い)であって、チェコのウランが重要な役割を果たしたわけではありません。しかし、ノヴォトニー政権は事実と異なるジョークが流布していても、あえて訂正しませんでした。それにより、自分たちが東側諸国の“優等生”としてソ連の宇宙開発を支えており、自分たちに敵対する者に対してはソ連によって鉄槌が下されるであろうことを暗示させる効果を狙ったのです。 ただし、ノヴォトニー体制下での硬直化した国家運営や西側諸国との経済格差の拡大は、次第に、チェコスロヴァキア国民の不満を鬱積させ、1962年5月1日には、プラハ大学の学生が「我々はスプートニクをもっているが、肉をもっていない。我々はスプートニクより肉が欲しい」とのスローガンをかかげてメーデーに参加しています。これに対して、ノヴォトニーは、学生たちの要求を徹底的に弾圧。その後も“プラハの春”が始まる1968年1月まで党第一書記・大統領としてチェコスロヴァキアの“小スターリン”の座を維持し続けました。 なお、毎月25日に配信の「本のメルマガ」での僕の連載、「スプートニクとガガーリンの闇」ですが、5月は、イスラエル出張中ということで1回お休みをいただきました。次回は、6月25日配信号での掲載になりますので、あしからずご了承ください。 ★★★ 近刊予告! ★★★ えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が7月刊行予定です! 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。 (画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) なお、当初、『チェ・ゲバラとキューバ革命』は、2018年5月末の刊行を予定しておりましたが、諸般の事情により、刊行予定が7月に変更になりました。あしからずご了承ください。 ★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★ 本体2500円+税 【出版元より】 中東100 年の混迷を読み解く! 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史! 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2017-03-09 Thu 13:44
昨日(8日)から、日本とチェコ(当時はチェコスロヴァキア)の国交回復60周年の特別企画として、東京・六本木の国立新美術館で“ミュシャ展”がスタートしました。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1918年に発行されたチェコスロヴァキアのプラハ城切手(3ハレル)です。 第1次大戦以前、オーストリア=ハンガリー二重帝国の支配下に置かれていたチェコとスロヴァキアは、1918年10月18日、チェコスロヴァキアとして独立を宣言します。当初、新国家はオーストリア時代の切手を接収し、“チェコスロヴァキア共和国”などの文字を上から印刷するなどの暫定的な処置で急場をしのいでいましたが、これと併行して、独立国としてオリジナル・デザインの新切手を発行すべく準備を進めました。 新国家は自国出身の巨匠であったミュシャ(チェコ語の発音だと“ムハ”)に切手のデザインを依頼。これを受けて、ミュシャは、独立後まもない祖国のためにプラハ城を大きく描き、右手に小さく聖ミクラーシュ教会を配した切手のデザインを無償で作成します。 ミュシャのデザインした切手は、1918年12月18日、最初の3額面(3ハレル、5ハレル、10ハレル)が発行されたのを皮切りに、1920年までさまざまな額面のものが発行されました。これが、いわゆる“プラハ城切手”です。 プラハ城切手は、当時の混乱した状況の中で製造されたことから、一見、同じに見える切手でもさまざまなバラエティに分類することができます。ちなみに、今回ご紹介の切手は、このうち、最初に発行されたタイプAと呼ばれるもので、このタイプは、“CESKO SLOVENSKA POSTA(チェコスロバキア郵政)”の表示が白抜き文字で、切手の左右に縦書きで印刷されています。 また、当時は、わずか2年5ヶ月の間に3回の郵便料金の値上げがあったため、さまざまな種類の郵便物が残されることになりました。これらを専門的に追いかけていくと、時間もお金も相当かかるのですが、それだけに、チャレンジしがいのある分野として収集家の間では人気があります。その一方で、安いものでは、1枚100円前後で入手できるモノも少なからずありますので、とりあえず、切手とは無関係に、“ホンモノのミュシャ”を手に入れてみたいという方にもお勧めの素材です。 ★★★ ブラジル大使館推薦! 内藤陽介の『リオデジャネイロ歴史紀行』 ★★★ 2700円+税 【出版元より】 オリンピック開催地の意外な深さをじっくり紹介 リオデジャネイロの複雑な歴史や街並みを、切手や葉書、写真等でわかりやすく解説。 美しい景色とウンチク満載の異色の歴史紀行! 発売元の特設サイトはこちらです。 ★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2010-07-24 Sat 23:09
アール・ヌーヴォーを代表する画家、アルフォンス・ミュシャが1860年7月24日に生まれてから、きょうでちょうど150年です。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、ミュシャのデザインによる“プラハ城”切手のうち、1918年に発行された10へラー切手です。 1918年10月18日に独立を宣言したチェコスロバキアでは、当初、オーストリア時代の切手を接収し、“チェコスロバキア共和国”などの文字を上から印刷するなどの暫定的な処置で急場をしのいでいましたが、これと併行して、独立国としてオリジナル・デザインの新切手を発行すべく準備を進めました。 新国家は自国出身の巨匠であったミュシャ(チェコ語の発音だと“ムハ”ですが)に切手のデザインを依頼。これを受けて、ミュシャは、独立後まもない祖国のためにプラハ城を大きく描き、右手に小さく聖ミクラーシュ教会を配した切手のデザインを無償で作成します。これが、1918年から1920年まで使われた、いわゆる“プラハ城切手”です。 カタログ評価で1枚数十円というモノも少なくありませんので、ミュシャのお好きな方は、ぜひ、ホンモノのミュシャ作品ということで手に入れてみたら良いのではないでしょうか。 なお、プラハ城切手は、当時の混乱した状況の中で製造されたことから、一見、同じに見える切手でもさまざまなバラエティに分類することができます。また、当時は、わずか2年5ヶ月の間に3回の郵便料金の値上げがあったため、さまざまな種類の郵便物が残されることになりました。これらを専門的に追いかけていくと、時間もお金も相当かかるのですが、それだけに、チャレンジしがいのある分野として収集家の間では人気があります。 ミュシャ好きの人が最初、1000円でごそっとプラハ城切手を買ってきて、それをいろいろといじっているうちに、切手の魅力に取りつかれていく、というケースが少しでも出てくると良いですな。 ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★ 総項目数552 総ページ数2256 戦後記念切手の“読む事典”(全7巻) ついに完結! 『昭和終焉の時代』 日本郵趣出版 2700円(税込) 2001年のシリーズ第1巻『濫造濫発の時代』から9年。<解説・戦後記念切手>の最終巻となる第7巻は、1985年の「放送大学開学」から1988年の「世界人権宣言40周年」まで、NTT発足や国鉄の分割民営化、青函トンネルならびに瀬戸大橋の開通など、昭和末期の重大な出来事にまつわる記念切手を含め、昭和最後の4年間の全記念・特殊切手を詳細に解説。さらに、巻末には、シリーズ全7巻で掲載の全記念特殊切手の発行データも採録。 全国書店・インターネット書店(amazon、bk1、JBOOK、livedoor BOOKS、7&Y、紀伊国屋書店BookWeb、ゲオEショップ、楽天ブックスなど)で好評発売中! |
2008-10-28 Tue 18:44
1918年10月28日にチェコスロバキアが独立を宣言してから、きょうで90周年です。というわけで、今日はこんなモノをもってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1919年、シベリア出兵に参加したチェコ軍団の兵士が差し出したカバーです。 第1次大戦以前、チェコはオーストリアの支配下にあり、チェコ人将兵はオーストリア軍の一員として大戦に参加し、帝政ロシア軍と戦っていました。しかし、もともとオーストリアからの独立を強く望んでいたチェコ人たちは、ヨーロッパ諸民族とドイツ人との戦いとしての第1次大戦を、民族独立のための好機とみなすようになり、“敵の敵”であるロシアに投降する者が後を絶ちませんでした。 このため、ロシア側は、こうしたチェコ人たちを募ってオーストリア軍と戦うためのチェコ軍団を組織すします。その規模は、1918年の時点で、およそ15万人でした。当然のことながら、チェコ軍団は反ドイツ・オーストリア感情がきわめて強く、それゆえ、帝政ロシアを打倒してドイツ・オーストリアと単独講和を結んだボルシェビキ政権はドイツの手先であると考えていました。 こうした状況の中で、1918年4月、シベリア経由でヨーロッパ戦線に向かおう途中のチェコ軍団のメンバーが、移送中のドイツ・オーストリア軍の捕虜と小競り合いを起こしたのをきっかけに、チェコ軍団による反乱が勃発。チェコ軍団はシベリア鉄道に沿って、当時、無政府状態になっていたサマラ=イルクーツク間の地域を占拠しました。 これに対して、ボルシェビキ政権は連合国に対してチェコ軍団の武装解除を要求したが、連合国側はこれを拒否。逆に、「チェコ軍団がシベリア各地で殲滅されかかっている」として、チェコ軍団救出を大義名分として、ボルシェビキ政権に対する干渉出兵を行うこととします。ボルシェビキ政権を打倒し、連合国に立って戦うロシア政府を樹立することによって、東部戦線にドイツ軍を釘付けにするためでした。これが、列強諸国によるシベリア出兵の基本的な構図です。 さて、今回ご紹介のカバーは、1919年にチェコ軍団参加の兵士が差し出したもので、軍団関係の郵便に貼付するために発行された切手が貼られています。そのデザインは、“ボヘミアのライオン”の紋章の周囲に軍隊を示す各種の武器を散りばめたもので、“シベリア・チェコスロバキア軍郵便(POSTA CESKOSLIVENSKE ARMADY SIBIRSKE)”の文字と発行年を示す“1919”の表示があります。切手の発行当時、すでに、大戦は終結してオーストリア・ハンガリー二重帝国は崩壊しており、チェコはスロバキアとともにチェコスロバキアとして独立していました。 また、カバーには、切手と同様に“シベリア・チェコスロバキア軍郵便”の文字と1919の年号の入った印と、“軍事郵便(POSTE MILITARE)”の表示のある印の二種類が押されていますが、いずれも、差出地名や日付の表示はありません。おそらく、ハルビンに置かれていたチェコ軍の司令部を経由して本国まで届けられたものと考えられます。 ハルビンといえば、今週土曜日(11月1日)から東京・池袋のサンシャイン文化会館で開催の<JAPEX>では、“満洲・東北切手展“と題して、清朝から中華人民共和国にいたるまでの満洲・東北地域の切手・郵便史の網羅的な展示を行います。リニューアルされた旧水原コレクションをはじめ、日本国内はもとより、台湾・香港から超一流のコレクションが一堂に会する滅多にない機会ですので、ぜひ、遊びに来てください。(上の青い文字をクリックすると主催者HPに飛びます) イベントのご案内 11月1日(土)-3日(月・祝) 全国切手展<JAPEX> ことしも、東京・池袋のサンシャインシティ文化会館と目白の切手の博物館の2ヶ所で開催します。今年の目玉は、何といっても“満洲・東北切手展”ですが、トーク関係での僕の出番は、以下のとおりです。 11月1日(土) 13:00 “満洲・東北切手展”特別シンポジウム(池袋会場) 16:00 特別対談「満洲における写真、絵葉書、郵趣」(池袋会場) 11月2日(日) 13:00 “戦後日本切手展”ギャラリー・トーク(目白会場) 15:00 中公新書ラクレ presents 『大統領になりそこなった男たち』刊行記念トーク(池袋会場) 11月3日(月・祝) 11:00 “戦後日本切手展”ギャラリー・トーク(目白会場) トークそのものの参加費は無料ですが、<JAPEX>への入場料として、両会場共通・3日間有効のチケット(500円)が必要となります。あしからずご了承ください。皆様のお越しを心よりお待ち申しております。 ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★ アメリカ史に燦然と輝く偉大な「敗者たち」の物語 『大統領になりそこなった男たち』 中公新書ラクレ(本体定価760円+税) 出馬しなかった「合衆国生みの親」、リンカーンに敗れた男、第二次世界大戦の英雄、兄と同じく銃弾に倒れた男……。ひとりのアメリカ大統領が誕生するまでには、落選者の累々たる屍が築かれる。そのなかから、切手に描かれて、アメリカ史の教科書に載るほどの功績をあげた8人を選び、彼らの生涯を追った「偉大な敗者たち」の物語。本書は、敗者の側からみることで、もう一つのアメリカの姿を明らかにした、異色の歴史ノンフィクション。好評発売中! もう一度切手を集めてみたくなったら 雑誌『郵趣』の2008年4月号は、大人になった元切手少年たちのための切手収集再入門の特集号です。発行元の日本郵趣協会にご請求いただければ、在庫がある限り、無料でサンプルをお送りしております。くわしくはこちらをクリックしてください。 |
| 郵便学者・内藤陽介のブログ |
|