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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ギーラーン・ソヴィエト共和国
2006-11-25 Sat 01:50
 24日、ロシア国防省の高官が明らかにしたところによると、ロシアがイランに短距離地対空ミサイル・システム「TOR・M1」(通称ガントレット)の供給を開始し、すでに最初の1基はテヘランに到着したのだそうです。

 南下政策の伝統を持つロシアは、南の隣国であるイランへの影響力を強めるため、歴史的にさまざまな工作を行ってきたわけですが、その一つのエピソードとして、こんな切手を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

      ギーラーン共和国

 これは、ロシア革命直後の1920~21年に存在していたギーラーン・ソヴィエト共和国の切手です。

 当時、ロシアのボリシェビキ政権(この時点では、まだ“ソ連”は成立していません)は、カスピ海のイラン側沿岸のギーラーン地方を占領。イギリスの強い影響下に置かれていたカージャール朝(当時のイランを支配していた王朝)に反旗を翻したミールザ・クーチェク・ハーンを擁立して、ギーラーン・ソヴィエト共和国を樹立します。

 同政権は、みずからがイラン中央政府から独立した存在であることを内外にアピールするため、イラン切手とは異なる独自の切手を発行しました。今回ご紹介しているのが、そうしたギーラーン・ソヴィエト共和国の切手で、赤旗を掲げる労働者が描かれています。

 結局、レーニンが「ソヴィエトがペルシアの一部で革命をおこせば、英国が祖国の解放者を支援する立場に立ち、ペルシアを英国の手中に追いやることになる」と判断。ギーラーン・ソヴィエト共和国は見捨てられ、短期間のうちに消滅することになりました。しかし、その後も、イランをめぐっては、ながらく、イギリスとソ連がしのぎを削る状況が続きます。

 1950年代、石油国有化問題をめぐってイギリスがイランから退場を余儀なくされると、代わりにアメリカがイランを影響下に収め、親米政権を擁立することに成功します。しかし、1979年のイスラム革命の結果、イランは“西でも東でもないイスラム共和国”となり、イランとアメリカの関係は極端に悪化しました。

 イラン・イラク戦争の終結後、イランはアメリカへの対抗上、中国との関係を緊密化していますが、ソ連崩壊によって無神論を放棄したロシアもまた、アメリカに対抗しうる大国として重視すべき存在です。一方、ロシアにとっても、イランとの関係を強化することで、資源や交通路が確保できれば、そのメリットはきわめて大きなものとなります。

 今回の武器輸出はそうした文脈によるものですが、対イラン国連制裁決議案の審議が難航する中で、イランへの武器禁輸を求める米国との確執がさらに強まることが予想されるだけに、今後の展開が注目されるところです。
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