fc2ブログ
内藤陽介 Yosuke NAITO
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/
World Wide Weblog
<!-【↓2カラムテーブルここから↓】-->
 坂本龍一さん、亡くなる
2023-04-03 Mon 06:50
 音楽家の坂本龍一さんが3月28日に亡くなっていたことが、きのう(2日)、発表されました。71歳。というわけで、謹んでご冥福をお祈りしつつ、坂本さんの代表作のひとつ、「戦場のメリークリスマス」(日本軍占領下のジャワ島の捕虜収容所が舞台です)にちなんで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      蘭印POW ジャカルタ→キャンプZ
      蘭印POW ジャカルタ→キャンプZ(裏面)
      
 これは、1943年12月6日、日本占領下のジャカルタから島内の収容所に抑留されていた捕虜宛の葉書で、左上には少し薄くて読みづらいですが、現地語(インドネシア語)で戦時捕虜を意味する“TAWANAN MILITAIR”の書き込みがあり、右には占領当局による”不慮郵便”の印が押されています。裏面には「クリスマスと新年おめでとう」で始まる文面が綴られており、検閲を担当した収容所の担当者“八田”の印も押されています。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。なお、内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。

 また、日本軍占領下の蘭印(オランダ領東インド、現インドネシア)については、拙著『蘭印戦跡紀行』でもいろいろ書いておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 4月8日スタート! 平成日本の歴史 
 4月8・15・22日 13:30-15:00 文京学院大学での3週連続の講座です。1989年に始まる平成30年間の日本現代史をさまざまな角度から語ります。一般的な通史に加え、その時々の時代・社会の変化を切手や郵便物を通じて読み解くことで、モノから読み解く歴史の面白さを感じていただきます。詳細はこちらをご覧ください。

 4月14日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 4月22日(土) スタンプショウ 2023
 於・都立産業貿易センター台東館

 毎年恒例、東京・浅草で開催の世界切手祭り・スタンプショウで、22日(土) 11:00から拙著『現代日中関係史 第2部 1972-2022』の出版記念イベントやります。事前予約不要・参加費無料です。親イベントとなる切手展、スタンプショウの詳細は主催者サイトをご覧ください。

 4月30日(日) 英秘密情報部(MI6)入門
 4月30日(日) 13:00~14:30 よみうりカルチャー荻窪での公開講座です。
 映画「007シリーズ」などにも名前が出てくる英秘密情報部(MI6)について、実際の歴史的事件とのかかわりなどを中心にお話します。詳細はこちらをご覧ください。

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。
 
 よみうりカルチャー 北千住
 エリザベス女王の現代史 原則毎月第4土曜日 13:00~14:30
 エリザベス女王の描かれた切手を手掛かりに、現代史を読み解く講座です。詳細はこちらをご覧ください。

 武蔵野大学のWeb講座 
 「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」と「日本郵便150年の歴史」の2種類の講座をやっています。詳細はこちらをご覧ください。 

★ 『現代日中関係史 第2部 1972-2022』 好評発売中!★

      現代日中関係史2

 2022年11月に刊行された「第1部1945-1972」の続編で、日中国交”正常化”以降の1972年から2022年までの半世紀の、さまざまな思惑が絡まり合う日中関係の諸問題を、切手とともに紐解いていきます。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

別窓 | 蘭印(日本占領時代) | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 オリックスが25年ぶり優勝
2021-10-28 Thu 01:05
 プロ野球のパシフィック・リーグは、きのう(27日)、オリックス・バファローズが1996年シーズン以来25年ぶりの優勝を決めました。というわけで、セ・リーグのスワローズ優勝の時と平仄を合わせて、拙著『切手でたどる郵便創業150年』シリーズの中から、バファローズ(水牛)関係のこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      スマトラ(日本占領)・水牛農耕プルーフ

 これは、1944年8月1日、日本占領下のスマトラで発行された20セント切手の試刷で水牛を使った農耕風景が描かれています。

 第二次大戦中の1942年3月、スマトラ島を占領した日本軍は、旧オランダ領東インド(蘭印)切手を接収し、そのまま無加刷で使用させたほか、各地で独自のローカル加刷を施した切手を使用させていました。このほか、無加刷の日本切手や一部の地域ではマライの占領加刷切手も使用されています。

 その後、状況が落ち着いてくると、1943年4月29日以降、今回ご紹介の切手の水牛農耕を含め、スマトラの風物を題材としたコルフ社製の正刷切手が発行され、全島で使用されました。ちなみに、2013年にスマトラ島を旅行した際、現地で水牛の写真が撮影できましたので、下に貼っておきます。

      アチェの水牛

 コルフ社製の正刷切手は1945年の終戦まで使用されましたが、1945年8月17日のインドネシア共和国独立宣言後は、インドネシア側に接収され、各種の加刷を施して使用されました。

 なお、先の大戦中の日本軍占領地の切手の概要については、ことし4月に刊行した『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol。1 戦前編』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。また、その続編として、11月20日付で刊行の『同 vol.2 戦後編』については、11月6日(土)13:00から、東京・浅草の都立産業貿易センター台東館で開催の全国切手展<JAPEX>の会場で、刊行記念のトークベントを行いますので、一人でも多くの方に遊びに来ていただけると幸いです。(切手展の詳細等につきましては主催者のサイトをご覧ください)


★ 放送出演・講演・講座などのご案内★

 11月1日(月) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。

 全国切手展<JAPEX 2021> 於・都立産業貿易センター台東館
 毎年恒例、全国切手展<JAPEX>ですが、今回は会期中、以下の2回のトークイベントに登場します

 11月6日(土) 11:00~ 「切手でたどる郵便創業150年の歴史Vol.2 戦後編」
 * 11月20日付で刊行の『切手でたどる郵便創業の歴史』第2巻の会場内先行販売を兼ねた出版記念イベントで、同書の内容の一部をご紹介します。

 11月7日(日) 13:00~ 「アフガニスタン現代史」
 * 12月上旬にえにし書房から刊行予定の「アフガニスタン近現代史(仮題)」の事前プロモーションを兼ねたイベントです。

 両イベントとも、イベントそのものは事前予約不要・参加費無料ですが、会場の切手展へは入場料が必要です。切手展の詳細は、主催者サイトをご覧ください。


★ 『世界はいつでも不安定』 オーディオブックに! ★

      世界はいつでも不安定Audible

 拙著『世界はいつでも不安定』がAmazonのオーディオブック“Audible”として配信されました。会員登録すると、最初の1冊は無料で聴くことができます。お申し込みはこちらで可能です。

★ 『誰もが知りたいQアノンの正体』 好評発売中! ★

      誰もが知りたいQアノンの正体 1650円(本体1500円+税)

 * 編集スタッフの方が個人ブログで紹介してくれました。こちらをご覧ください。

 ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 

別窓 | 蘭印(日本占領時代) | コメント:1 | トラックバック:0 | top↑
 インドネシア首都移転先は東カリマンタン
2019-08-27 Tue 01:43
 インドネシアのジョコ・ウィドド大統領は、きのう(26日)、ジャカルタから移転する新首都はカリマンタン島(以下、ボルネオ島)東端、東カリマンタン州のクタイカルタヌガラと北プナジャムパスルの両県の一部に設置することを決定したと発表しました。というわけで、きょうは同島関連のマテリアルの中から、こんなものを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      バンジェルマシン暫定切手

 これは、先の大戦中、日本軍占領下の南ボルネオで発行されたバンジェルマシン暫定切手です。

 1941年12月8日、オランダに対して宣戦を布告した日本軍は、1942年1月11日、ボルネオ島北部のタラカンとセレベス(スラウェシ)島北部のメナドに上陸。以後、島々の占領を進め、3月20日にオランダ領東インド(以下、蘭印)の全地域を占領下に置きました。

 これを受けて、蘭印地域のうち、スマトラ島ジャワ島をのぞく地域(具体的には、ボルネオ島の旧オランダ領地域=南ボルネオ、セレベス、モルッカ諸島、小スンダ列島、西ニューギニアなど)は海軍が占領行政を担当することになり、セレベス島のマカッサルに南西方面海軍民政府本部が設置され、その下部組織としての海軍民政部がマカッサル(セレベス島)、バリックパパン(ボルネオ島。後に島内のバンジェルマシンに移転)、アンボン(後にバリ島のシンガラジャに移転)の3ヶ所に設けられ、現地の占領行政を担当しました。

 こうした海軍の占領地区では、占領当初、接収した蘭印の切手に“大日本”の文字と海軍を示す錨を加刷した切手が使われていましたが、1943年8月以降(一部は7月から)、海軍民政府独自の切手が使われるようになりました。

 しかし、一部では切手の不足が生じたためか、1945年1-2月、日本海軍の占領当局はボルネオ島バンジェルマシン近郊のクアラ・カプアスの境界にあった印刷工場から用紙と印刷機を接収し、バンジェルマシンのボルネオ新聞社で印刷した暫定切手を発行しました。
 
 暫定切手は“大日本/郵便切手/金五仙(または金十仙)/海軍民政府”の文字と額面数字だけの簡単なもので、田型ごとに“バンジェルマシン郵便局長”の丸印が押されました。暫定切手は、170万枚ほど作られたと推定されていますが、その大半は終戦後、焼却処分になったといわれており、残存数は多くはありません。

 切手の印刷を担当したボルネオ新聞社は、日本占領下で朝日新聞社が現地紙『カリマンタン・ラヤ』社を接収し、バンジェルマシンに設立した新聞社で、開戦1周年にあたる1942年12月8日から日本語紙の『ボルネオ新聞』を発行しました。

 その後、翌1943年4月29日の天長節にはバリクパパンに支社を開設して『ボルネオ新聞 東部版』の発行を開始。これに伴い、バンジャルマシン本社が発行するものは,『 ボルネオ新聞 中部版』となりました。 さらに,ポンティアナックで華字紙を発行していた西部ボルネオ新聞社を接収してポンティアナック支社を設立し、1943年 8月1日には『ボルネオ新聞 西部版』を創刊。1944年 10月5日、カナ文字を主体とする週刊『ニッポン語新聞』を発行しています。

 さて、今回提案された首都の移転先は、地理的にはインドネシアの島々の中心に位置しており、ジョコ大統領によると、政府はすでに18万ヘクタールの土地を確保しているそうです。新首都は2021年から建設工事を始め、2045年に完成予定だとか。予定通りに工事が進んだとしても25年以上も先のことですので、それまでには、日本占領下の南ボルネオの話なんかも加えて、拙著『蘭印戦跡紀行』の増補版を作りたいですね。
 

★★ イベントのご案内 ★★

・インド太平洋研究会 第3回オフラインセミナー
 9月28日(土) 15:30~  於・イオンコンパス東京八重洲会議室
 内藤は、17:00から2時間ほど、“インド太平洋”について、郵便学的手法で読み解くお話をする予定です。
 
 参加費など詳細は、こちらをご覧ください。

★★ 講座のご案内 ★★

 武蔵野大学生涯学習秋講座で、以下の講座をやりますので、よろしくお願いします。(詳細は講座名をクリックしてご覧ください)

 ・2019年10月13日(日) 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年―
 (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 全7回)

 ・2019年10月31日 ー11月21日 (毎週木曜・4回) 切手と浮世絵


★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★

      チェ・ゲバラとキューバ革命 表紙カバー 本体3900円+税
 
 【出版元より】
 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。

 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

別窓 | 蘭印(日本占領時代) | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 単独候補でも落選
2018-07-08 Sun 01:08
 先月27日に投票が行われたインドネシア南スラウェシ州の州都マカッサルの市長選で、唯一の候補者だったムナファリ・アリフディン氏に拒否を示す票が総投票数の53%超に上ったため、対立候補がいなかったにもかかわらず、きのう(7日)までに同氏の落選が決まりました。これを受けて、マカッサル市にはインドネシア中央政府から代理市長が派遣され、2年後の次回選挙まで市政を担当することになります。というわけで、マカッサルにちなんで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      蘭印・錨加刷(南セレベス)

 これは、日本占領下のマカッサルで、戦前のオランダ領東インド(蘭印)切手に“大日本”の文字と海軍占領地区を示す錨のマークを加刷した切手です。

 1941年12月8日、オランダに対して宣戦を布告した日本軍は、1942年1月11日、ボルネオ(カリマンタン)島北部のタラカンとセレベス(スラウェシ)島北部のメナドに上陸。以後、島々の占領を進め、3月20日に蘭印の全地域を占領下に置きました。

 これを受けて、蘭印地域のうち、スマトラ島ジャワ島をのぞく地域(具体的には、ボルネオ島の旧オランダ領地域、セレベス、モルッカ諸島、小スンダ列島、西ニューギニアなど)は海軍が占領行政を担当することになり、セレベス島のマカッサルに南西方面海軍民政府本部が設置され、その下部組織としての海軍民政部がマカッサル(セレベス島)、バリックパパン(ボルネオ島。後に島内のバンジェルマシンに移転)、アンボン(後にバリ島のシンガラジャに移転)の3ヶ所に設けられ、現地の占領行政を担当しました。

 こうした海軍の占領地区では、占領当初、接収した蘭印の切手に“大日本”の文字と海軍を示す錨を加刷した切手が使われていました。このうち、マカッサルで製造された錨加刷切手は、主として、南セレベス州で使用されましたが、マカッサルが海軍占領地域の中心拠点でもあったことから、1944年8月頃から、ボルネオ島、バリ島、モルッカ諸島にも配給され、使用されています。

 なお、日本占領時代の蘭印(現インドネシア)の切手と郵便の一端については、拙著『蘭印戦跡紀行』でもご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。

 
★★★ 全日本切手展のご案内  ★★★ 

 7月20-22日(金-日) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにチェコ切手展が開催されます。主催団体の一つである全日本郵趣連合のサイトのほか、全日本切手展のフェイスブック・サイト(どなたでもご覧になれます)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展2018ポスター

 *画像は実行委員会が制作したポスターです。クリックで拡大してご覧ください。

 なお、会期中の21日、内藤は、以下の3回、トーク・イベントをやります。
 13:00・9階会議室 「国際切手展審査員としての経験から テーマティク部門」
 14:30・8階イベントスペース 「アウシュヴィッツとチェコを往来した郵便」
 16:00・8階イベントスペース 『世界一高価な切手の物語』(東京創元社)


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 

★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 

別窓 | 蘭印(日本占領時代) | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 世界の切手:インドネシア
2018-01-29 Mon 10:33
 ご報告が遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2018年1月24日号が刊行されました。僕が担当しているメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はインドネシア(3回目)を取り上げました。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      軍事郵便はがき(蘭印・パレンバン)

 これは、日本占領下のパレンバン州政庁に勤務していたスタッフが、兵庫県宛に差し出した“特別軍事航空はがき”の往片です。差出人のアドレスとして「スマトラ南パレンバン州」との記載がありますが、当時の州名は“パレンバン州”ですので、文意としては、スマトラ南で切れると理解してください。

 特別軍事航空はがきは、先の大戦中、南方のセンチ=内地(日本本土)間の私用軍事郵便を迅速に配達するため、陸軍省と海軍省が製造した往復はがきで、往信・返信ともに軍用機によって輸送されました。料金は無料で、軍人・軍属に限り、月2枚ずつ支給されています。

 第二次大戦以前のオランダ領東インド(現インドネシア。以下、蘭印)全体の石油産業は、バターフセ石油会社(BPM。ロイヤル・ダッチ・シェル系)、スタンダード・ヴァキューム石油会社(スタンバック)、オランダ太平洋石油会社(NPPM。現カルテックス)の3社体制で、1939年の総生産量は800万トンでしたが、そのうち、スマトラ島南部パレンバン周辺地区での産出量は300万トンで、同じくスマトラの北アチェ地区やボルネオのサンガサンガ地区、ジャワのチェプー地区の100万トンを大きく上回っていました。ちなみに、当時のわが国の石油の年所要量は約500万トンです。

 戦前の大日本帝国は石油資源の8割を米国に依存していたため、輸入先の多角化は重要課題でした。このため、距離的にも近く、豊富な石油資源を持つ蘭印との関係強化が必要とされ、1934年には長尾春一大使を主席とする代表団をバタヴィアに派遣し、両国の友好親善の促進が図られています。

 しかし、いわゆる日中戦争(支那事変)が始まった1937年以降、石油の需要は増大したにもかかわらず、蘭印からの石油の輸入量は約87万トン(1937年)→約67万トン(1938年)→約57万トン(1939年)と減少しました。

 1939年9月1日に第二次欧州大戦が勃発すると、わが国は欧州の戦火がオランダに波及しないことを切望することをオランダに伝え、当初はオランダも対独戦争は回避できるとの見通しを示していました。

 ところが、1940年5月10日、ドイツはオランダに侵攻し、全土を占領。同月13日にはオランダ女王と政府はロンドンに亡命します。

 事態の進展を受けて、5月11日、日本政府は各国に対して蘭印の現状維持を申し入れるとともに、5月18日、オランダに対して、石油100万トン、ボーキサイト20万トン等の対日輸出の確約を求めましたが、オランダ亡命政府は明確な回答をしませんでした。

 日蘭交渉が停滞しているうちに、1940年9月、日本軍は北部仏印進駐を行い、日独伊三国軍事同盟を調印。米国は日本に対する態度を硬化させ、屑鉄の対日輸出を禁止すると、オランダも米英への傾斜を強め、米英中蘭の“ABCD包囲網”が形成されていきます。

 その後、米国による対日資産の凍結(1941年6月)、石油の対日禁輸措置(同8月)などで追い詰められた日本は、蘭印、特にパレンバンの石油と飛行場を確保するための南方作戦を立案。1941年12月、米英蘭に宣戦布告し、いわゆる太平洋戦争が勃発しました。

 1942年2月14日、日本陸軍の第1挺団は、パレンバンの油田・製油所と飛行場に対して落下傘で降下。翌15日午後には、第2悌団がパレンバン市街地南側の湿地に降下し、パレンバン市全域を占領し、肝心の油田と製油所もほぼ無傷で確保します。これが、いわゆる“空の神兵”で、戦時歌謡や渡辺義美監督の映画の題名になりました。

 郵便に関しては、2月14日の奇襲攻撃を受けてパレンバン市内の業務が一時停止されましたが、この間、略奪行為が横行し、郵便局でも額面総計20万ギルダーもの切手が盗難に遭ったといわれています。

 このため、日本の占領当局は3月23日付でパレンバン中央郵便局のI・P・レンコン局長に、略奪された切手と区別できるよう、再開後に販売する切手には加刷を施すように」と通達。これを受けて、翌24日から郵便業務が再開され、4月以降、州内(および隣接するベンクーレン州のケパヒアン局とジャンビ州のサルラングン局)では局長のイニシャル“IPL”などを加刷した切手が順次発行されました。

 さて、『世界の切手コレクション』1月24日号の「世界の国々」では、パレンバンにフォーカスをあて、戦前のパレンバン発着のエアメールや、日本の戦争賠償としてインドネシア政府に供与されたアンペラ橋インドネシア陸軍司令官アフマド・ヤニ2011年の東南アジア競技大会の切手などもご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。また、併せて拙著『蘭印戦跡紀行』もご覧いただけると幸いです。

 なお、僕が担当する「世界の国々」は、次回は1月31日発売の2月7日号でのペルー(と一部セントルシア)の特集になります。こちらについては、2月7日以降、このブログでもご紹介する予定です。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


別窓 | 蘭印(日本占領時代) | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 「昭和」激動の時代
2015-08-03 Mon 15:13
 ご報告が遅くなりましたが、雑誌『キュリオマガジン』8月号ができあがりました。今回は、終戦70年のタイミングに合わせて、巻頭では「コレクターズ・アイテムに見る戦中戦後の日本:『昭和』激動の時代」と題する特集を組んでおり、僕も、通常の連載に加え、「昭和切手」と題するコラムを寄稿しています。その記事の中から、こんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      スマトラ新生(昭和切手無加刷)

 これは、日本占領下のオランダ領東インド(蘭印)スマトラ島のタンジョンバレイで、昭和切手に“スマトラ新生記念”の特印を押したオンピースです。

 昭和切手は、大日本帝国の正式な版図(いわゆる内地はもとより、日本の統治下にあった朝鮮半島台湾、南洋群島など)のみならず、日本軍が占領したアジア各地にも持ち込まれて使用されていたほか、終戦後、日本の旧支配地域で、無加刷のみならず、加刷加捺の台切手等として暫定的に使用されていたケースもあります。まさに、“昭和の戦争”を象徴するスケールの大きな切手だったわけで、今回の記事では、そうした面を強調した内容でまとめてみました。

 今回ご紹介の画像は、1943年3月13日、近衛師団が北部スマトラの中核都市、メダンを占領してから1周年になるのにあわせて、タンジョンバラ(消印上の表記は“タンジョンバレイ”。メダンの北方160キロの地点にある東海岸州の港町)で使用された記念印です。当時の占領当局は、日本軍によるスマトラ占領を、オランダ支配を駆逐したスマトラ島の“新生”であると主張していたため、こうした印が使用されたわけです。ちなみに、当時の“スマトラ新生”の記念日としては、1942年にスマトラでの日本軍政が開始された3月27日とする記念印も使用されています。

 消印には、椰子の木の生えたスマトラ島(いかにもステレオタイプな表現ですが…)に翻る日章旗に加え、“八紘一宇”のスローガンが入っているのも、時代が偲ばれていい感じです。

 なお、日本占領時代のスマトラ島については、拙著『蘭印戦跡紀行』でもいろいろと書いておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』  好評発売中! ★★★ 

        税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾンboox storee-honhontoYASASIA紀伊國屋書店セブンネットブックサービス丸善&ジュンク堂ヨドバシcom.楽天ブックスをご利用ください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | 蘭印(日本占領時代) | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 蘭印の皇紀
2014-02-11 Tue 13:51
 きょうは建国記念の日です。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       スラバヤ敵産管理部差し出しの葉書・消印部分    スラバヤ敵産管理部差し出しの葉書

 これは、日本占領下の1943年6月、ジャワ島スラバヤの敵産管理部が差し出した葉書で、水牛農耕図案の3.5セン切手に皇紀で2603年と表示され消印が押されています。今回は消印が主役なので、最初に消印の拡大画像を貼っておきました。

 神武天皇の即位した年を紀元とする皇紀(正式には神武天皇即位紀元)は、1872年10月、「(神武天皇の即位の日として『日本書紀』に記されている)“辛酉年春正月庚辰朔”は西暦では紀元前660年2月11日に相当する(これが、2月11日を紀元節ないしは建国記念の日とする根拠になりました)」と明治政府が布告したことに基づき、1873年1月1日の太陽暦採用と同時に施行されました。年号は上述の通り西暦+660年で、月日は太陽暦と合致しています。したがって、今回ご紹介の葉書の消印にある2603年は、西暦の1943年に相当します。

 さて、日本占領下の蘭印では、公式文書の日附には皇紀が用いられていました。今回ご紹介の葉書は、ゼネラル・エレクトリック(GE)社の資産を接収した際の預かり証で、公的機関の出した文書なので、裏面の日付欄には“皇紀260 年”と皇紀の下一桁を書き込めばよいようになっています。

       スラバヤ敵産管理部差し出しの葉書・裏面

 なお、今回ご紹介の消印の日付は建前通り皇紀2603年となっていますが、スマトラなどでは昭和年号の消印が使用されることもありました。(ウィキペディアには占領下の蘭印では「元号は用いられていなかった」との説明がありますが、これは正確ではありません)また、西暦と皇紀は下一桁が一緒ですので、地域によっては西暦の10の位の4をつぶして対応したケースもあります。

 蘭印と皇紀といえば、終戦直後の1945年8月17日に発せられたインドネシア共和国独立宣言の書面上の日付が皇紀を採用した“05年8月17日”となっているのは有名な話です。この点については、しばしば「ムスリムであるスカルノが日本への感謝の意を示すとともに、(オランダの宗教である)キリスト教に由来する西暦を嫌ったため」という説明がなされることがあるようですが、日本の占領時代には公文書では皇紀が採用されていたため、ただ単にそれを踏襲しただけというのが実情だったようです。その証拠に、連合国軍の上陸により日本軍の武装解除が行われると、消印の年号表示も西暦に戻っています。また、現在のインドネシアでは、独立宣言というと1955年にスカルノが録音した音源が広く知られていますが、ここでの年号は皇紀の“(26)05年”ではなく、西暦の“1945年”となっていることも記憶にとどめておいてよいでしょう。

 いずれにせよ、インドネシアの人々が、日本による占領時代の体験を糧に、戦後、オランダとの苛烈な戦争を戦い抜いて独立を勝ち取ったことは事実で、その点で、彼らが日本に感謝すると言ってくれるのは日本人として素直に喜ぶべき話です。ただし、彼らの独立は、あくまでも、彼ら自身の努力と犠牲によって達せられたものであって、そのことに目をつぶって「日本がインドネシアを独立させてやった」などと主張するのはあまりにも浅薄な理解としかいえません。

 なお、このあたりの事情については、拙著『蘭印戦跡紀行』でもいろいろと例を挙げながらご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 * 本日未明、カウンターが132万PVを越えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。


 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は3月4日13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。(4月以降の講座については、近々、ご案内いたします)


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | 蘭印(日本占領時代) | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 二の酉
2013-11-15 Fri 00:28
 きょう(15日)は二の酉です。というわけで、一の酉の時同様、蘭印の切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       ジャワ・ガルーダ

 これは、1943年6月1日、日本占領下のジャワで発行された60セント切手で、ジャワ島の地図にガルーダとスメル山を配したデザインになっています。

 日本占領下のジャワで、それまでの蘭印ギルダーに代わり、いわゆる蘭印ルピアが創設されたのは1944年のことでしたので、今回ご紹介の切手の60セントは蘭印ギルダーの60/100に相当します。

 さて、インド古典文学『マハーバーラタ』に登場するガルーダは、頭・翼・爪・口はワシ、胴・腕・脚は人間の半鳥半人の半神で、仏教・イスラム伝来以前よりヒンドゥー教圏であった東南アジア諸国で、他のヒンドゥー諸神と併せて祀られています。タイの国章や航空切手などには、これを忠実に再現したデザインが用いられています。

 ところが、ジャワやスマトラでは、そうしたオーソドックスな半鳥半人のガルーダとならんで、ジャワクマタカをモデルにした金色の神鳥としてガルーダが表現されることも少なくありません。現在のインドネシア共和国の国章はこちらの流れを汲むものですが、今回ご紹介の切手も、日本人デザイナーではなく、現地のデザイナーが原画を作成しており、彼らのイメージする“ガルーダ”がタイのものとは異なっていたことがわかります。

 さて、拙著『蘭印戦跡紀行』でも、現在のインドネシア共和国の国章との関連で、ガルーダについてもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★  絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩  ★★★

 2014年1月11日・18日・2月8日のそれぞれ13:00-15:00、文京学院大学生涯学習センター(東京都文京区)で、「絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩」と題する講座をやります。(1月18日は、切手の博物館で開催のミニペックスの解説)

 新たに富士山が登録されて注目を集めるユネスコの世界遺産。 いずれも一度は訪れたい魅力的な場所ばかりですが、実際に旅するのは容易ではありません。そこで、「小さな外交官」とも呼ばれる切手や絵葉書に取り上げられた風景や文化遺産の100年前、50年前の姿と、講師自身が撮影した最近の様子を見比べながら、ちょっと変わった歴史散歩を楽しんでみませんか? 講座を受けるだけで、世界旅行の気分を満喫できることをお約束します。

 詳細はこちら。皆様の御参加を、心よりお待ちしております。


 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は12月3日(原則第1火曜日)で、以後、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | 蘭印(日本占領時代) | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 インドネシアの島の数
2013-11-13 Wed 01:03
 世界最大の群島国家インドネシアの地理空間情報局は、きのう(12日)、国連海洋法条約の定義に基づき島の数を数え直した結果、これまで一般に言われていた1万7508より4000以上少ない1万3466だったと明らかにしました。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       海軍民政府20セント

 これは、1943年8月8日、日本占領下の蘭印(オランダ領東インド)地域のうち、海軍の担当地域で使用するために発行された“海軍民政府”の20セント切手です。

 1942年1月11日、日本軍はボルネオ島北部のタラカンとセレベス島北部のメナドに上陸。以後、島々の占領を進め、3月20日に蘭印の全地域を占領下に置きました。

 これを受けて、蘭印地域のうち、スマトラ島とジャワ島をのぞく地域(具体的には、ボルネオ島の旧オランダ領地域、セレベス、モルッカ諸島、小スンダ列島、西ニューギニアなど)は海軍が占領行政を担当することになり、セレベス島のマカッサルに南西方面海軍民政府本部が設置され、その下部組織としての海軍民政部がマカッサル(セレベス島)、バリックパパン(ボルネオ島。後に島内のバンジェルマシンに移転)、アンボン(後にバリ島のシンガラジャに移転)の3ヶ所に設けられ、現地の占領行政を担当しました。

 こうした海軍の占領地区では、占領当初、おおむね、接収した蘭印の切手に“大日本”の文字と海軍を示す錨を加刷した切手が使われていましたが、1943年8月以降(一部は7月から)、海軍民政府独自の切手が使われるようになりました。今回ご紹介の切手はそのうちの1枚で、海に美味ぶ島々とヤシの木に日章旗を配したデザインです。海軍民政府がカバーしていたのは、まさに、小さな島々が数多く連なる地域でしたから、そのイメージを表現したものと考えて良いでしょう。

 ちなみに、オランダ統治下の蘭印では、イラスト化した蘭印地図の絵葉書が作られていましたが、そのうち、無数の小島が連なる小スンダ列島(バリ~ティモール)の部分はこんな感じです。

       小スンダ列島・地図

 さて、インドネシア国家を構成する島の数に関しては、これまで、1987年に国軍が発表した1万7508が最もポピュラーであるとは言え、国立航空宇宙研究所の1万8306、内務省の1万7504など諸説がありました。ただ、いずれの場合も、高潮時に水没する岩礁なども“島”に含めていたため、今回の再調査のように、「自然に形成された水に囲まれた陸地で、潮が高い状態でも水面の上に出ているもの」という国連海洋法条約での島の定義をきっちりとあてはめると、その数は大きく減ることになりました。今回ご紹介の切手に描かれている島の中にも、現在の基準に当てはめると島とは呼べないものもあるかもしれません。

 これまでは、インドネシア領内の“島”の中には、面積の小さな無人島の中には名前が付けられていないものも少なくありませんでしたが、今回の再調査に合わせてすべての島に何らかの名前が付けられることになりました。これは、近年、周辺海域への侵略攻勢を強めている中国に対して、自国の領土の範囲を明確に主張する必要があったためです。

 なお、現在のインドネシア国家を構成する小島のうち、ロンボク島については、拙著『蘭印戦跡紀行』でも取り上げておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★  絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩  ★★★

 2014年1月11日・18日・2月8日のそれぞれ13:00-15:00、文京学院大学生涯学習センター(東京都文京区)で、「絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩」と題する講座をやります。(1月18日は、切手の博物館で開催のミニペックスの解説)

 新たに富士山が登録されて注目を集めるユネスコの世界遺産。 いずれも一度は訪れたい魅力的な場所ばかりですが、実際に旅するのは容易ではありません。そこで、「小さな外交官」とも呼ばれる切手や絵葉書に取り上げられた風景や文化遺産の100年前、50年前の姿と、講師自身が撮影した最近の様子を見比べながら、ちょっと変わった歴史散歩を楽しんでみませんか? 講座を受けるだけで、世界旅行の気分を満喫できることをお約束します。

 詳細はこちら。皆様の御参加を、心よりお待ちしております。


 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は12月3日(原則第1火曜日)で、以後、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | 蘭印(日本占領時代) | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 一の酉
2013-11-03 Sun 16:01
 きょう(3日)は一の酉です。というわけで、拙著『蘭印戦跡紀行』の増刷を祈願して、蘭印の切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       海軍民政府25セント

 これは、1943年8月8日、日本占領下の蘭印(オランダ領東インド)地域のうち、海軍が占領行政を担当した地域で使用するために発行された“海軍民政府”の25セント切手です。

 1942年1月11日、日本軍はボルネオ島北部のタラカンとセレベス島北部のメナドに上陸。以後、島々の占領を進め、3月20日に蘭印の全地域を占領下に置きました。

 これを受けて、蘭印地域のうち、スマトラ島ジャワ島をのぞく地域(具体的には、ボルネオ島の旧オランダ領地域、セレベス、モルッカ諸島、小スンダ列島、西ニューギニアなど)は海軍が占領行政を担当することになり、セレベス島のマカッサルに南西方面海軍民政府本部が設置され、その下部組織としての海軍民政部がマカッサル(セレベス島)、バリックパパン(ボルネオ島。後に島内のバンジェルマシンに移転)、アンボン(後にバリ島のシンガラジャに移転)の3ヶ所に設けられ、現地の占領行政を担当しました。

 こうした海軍の占領地区では、占領当初、おおむね、接収した蘭印の切手に“大日本”の文字と海軍を示す錨を加刷した切手が使われていましたが、1943年8月以降(一部は7月から)、海軍民政府独自の切手が使われるようになりました。今回ご紹介の切手はそのうちの1枚で、富士山と東南アジアを背景に、国旗と鳶が描かれています。鳶は建国神話に登場する金鵄をイメージしたものですが、実際にこの図案で発行された4種の切手のうち、今回ご紹介の25セント以外は暗青(30セント)・灰緑(50セント)・紫茶(1ギルダー)という刷色ですので、金鵄というイメージとはちょっと違いますな。

 さて、拙著『蘭印戦跡紀行』では、海軍民政府の担当地域の中では、太陽加刷切手で有名なロンボク島のアンペナンについて、過去と現在を歩く旅行記をまとめましたので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。
 
 また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は11月5日(原則第1火曜日)で、以後、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。
別窓 | 蘭印(日本占領時代) | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 本日、トークイベントやります!
2013-10-17 Thu 01:42
 かねてご案内の通り、本日(17日)19:00より、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店ふらっとすぽっとにて、おくればせながら、拙著『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークを行います。入場は無料で、拙著をお買い上げいただいた方には、先着20名様限りですが、ささやかながら、こんなプレゼントもご用意しました。(画像はクリックで拡大されます)

       スマトラ・統一加刷

 これは、1944年1月1日、日本占領下のスマトラ島で発行された統一加刷切手(15セント)です。

 スマトラ島を占領した日本軍は、旧オランダ領東インド(蘭印)切手を接収し、そのまま無加刷で使用させたほか、各地で独自のローカル加刷を施した切手を使用させていました。(このほか、無加刷の日本切手や一部の地域ではマライの占領加刷切手も使用されています)

 その後、状況が落ち着いてくると、1943年4月29日以降、スマトラの風物を題材とした正刷切手を発行し、全島で使用させることになります。しかし、島内の各郵便局には旧蘭印切手の在庫も少なからず残っていたことから、それらをメダンに集め、全スマトラで共通に使用するため、“大日本帝國郵便/〒/スマトラ”と加刷した切手を1944年1月1日から発行しました。なお、加刷は手押しのモノと機械押しのモノがあり、作業はメダンのデリ新聞社とファレカンプ印刷所で行われました。

 今回ご紹介しているのはそのうちの機会加刷の切手で、日本軍が旧蘭印のスマトラを占領したことをヴィジュアル的にわかりやすく示している1枚として、プレゼント用にご用意いたという次第です。

 さて、今日のトークでは、現地で撮影した写真なども多数お見せしながら、ヴィジュアル的にも楽しんでいただけるよう、工夫しております。もちろん、本を買わずに話だけ聞きたいという方も大歓迎ですので、是非、遊びに来てください。1人でも多くの方にお目にかかれることを、心より楽しみにしております。

 ★★★ トーク・イベントのご案内・本日です! ★★★

 10月17日19:00より、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店ふらっとすぽっとにて、おくればせながら、拙著『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークをやります。

 入場無料でプレゼントもご用意しております。今年の11月は世界切手展<Brasiliana 2013>へ参加のため、ブラジルに行っており、恒例の<JAPEX>でのトークはできませんので、この機会に、ぜひ遊びに来てください。

 なお、出版元の告知ページもあわせてご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は11月5日(原則第1火曜日)で、以後、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | 蘭印(日本占領時代) | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 ジャカルタ日本祭り開幕
2013-09-02 Mon 11:50
 第5回ジャカルタ日本祭り(JJM)が、きのう(1日)、開幕しました。今年は日本とインドネシアの国交樹立55周年、日本=ASEAN友好協力40周年を迎えたいうこともあり、オープニング・イベントとして「第18回世界のお巡りさんコンサート in インドネシア」が行われ、インドネシア国家警察士官学校・警視庁・米ニューヨーク市警察・韓国ソウル特別市地方警察庁・ベトナム警察の各音楽隊が独立記念塔があるムルデカ広場周辺の約1.5キロをパレードしました。というわけで、きょうは、ジャカルタの警察にちなんで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       アデック刑務所

 これは、1943年11月19日、日本占領下のジャワ島のアデック刑務所からジャカルタ市内宛の葉書です。通常のジャカルタの検閲印に加え、アデック刑務所の検閲印とジャカルタ警察署の検閲印が押されているのがミソです。なお、アデック刑務所は、ジャカルタ東部(現在のジャカルタ特別州東ジャカルタ市)のジャティヌガラ地区にあり、もともとは、1811年に英国の攻撃に備えて築かれたオランダ側の砦だった建物を刑務所に転用したものです。
 
 第2次大戦以前のオランダ領東インド(蘭印)では、警察業務は基本的にオランダ人が掌握しており、非オランダ系の現地住民が警察幹部に登用される道はほぼ閉ざされていました。日本の占領時代、行政機構の幹部職からオランダ人が追放されたことで、警察においても、非オランダ系の人材を育成する必要が生じ、数多くの非オランダ系が拳銃などの武器を持つことになりました。

 1945年8月の日本の敗戦により、現地駐留の旧日本軍と彼らに連なる軍事組織は連合国によって武装解除されることになりましたが、警察は連合国による武装解除の対象外でした。このため、独立を宣言したインドネシア共和国と、それを阻止しようとするオランダとの間でインドネシア独立戦争が勃発すると、共和国側は、1946年、日本の占領下で訓練を受けた警察官によるインドネシア国家警察を正式に発足させ、警察官を事実上の兵士として独立戦争に動員しています。(もちろん、彼らは通常の警察業務も行っていますが)

 このように、インドネシアでは軍と警察の分離が不十分な状態が続いていましたが、いわゆる9・30事件を機にスハルトげ権力を掌握すると、1966年、インドネシア国家警察は正式に国軍の管轄下に置かれるようになりました。ただし、1998年にスハルトが失脚し、民主化がスタートすると、2000年、国家警察は国軍から分離され、独立した組織となりました。

 なお、今回ご紹介の警察組織に限らず、現在のインドネシア国家には、日本時代の“遺産”をもとに出来上がった制度が少なからずあります。その一部については、拙著『蘭印戦跡紀行』でもご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 
 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 ・9月7日(土) 10:15- 切手市場
 於 東京・池袋 東京セミナー学院4階5階

 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『蘭印戦跡紀行』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しております。ぜひ遊びに来てください。

 
 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は9月3日(原則第1火曜日)で、10月以降は、10月1日、11月5日、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | 蘭印(日本占領時代) | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 インドネシアルピア4年ぶり安値
2013-08-21 Wed 11:16
 先週16日、インドネシア中央銀行が第2・四半期の経常赤字が国内総生産(GDP)比で4.4%と、前四半期の2.4%から拡大したと発表したことを受けて、週明けからインドネシアでは株価と通貨インドネシアルピア(以下、ルピア)が急落。きのう(20日)は、2009年4月30日以来の安値となる1ドル=1万0700ルピアまで下落しました。というわけで、きょうは、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       ジャワ占領1ルピア

 これは、1945年1月20日に日本占領時代のジャワで発行された1ルピア切手で、現地の棚田が描かれています。前身のオランダ領インドネシア(蘭印)時代も含めて、“ルピア”という額面の切手としては、これが最初の1枚となります。なお、ルピアのスペルが、現在の“RUPIAH”とは異なり“ROEPIAH”となっていますが、これは、現地語のラテン文字(いわゆるローマ字です)への転写方法がオランダ語式になっていたためです。

 大東亜戦争開戦以前の蘭印の通貨は、本国のオランダ・ギルダーと連動した蘭印ギルダーでした。1942年3月、蘭印を占領した日本軍は旧蘭印ギルダーを接収して、新たに、ギルダー表示の南方開発金庫券(開発券、南発券)を発行します。

 当初、開発券ギルダーは、旧蘭印ギルダーと等価とされていましたが、占領費用調達のために開発券が濫発されたこともあり(ちなみに、開戦以前の蘭印ギルダーの発行残高は2億3000万ギルダーでしたが、終戦時の開発券の発行残高は数十億ギルダー規模に膨らんでいます)、急激なインフレが進行。あわせて、オランダを含む連合国との戦争への理解と協力を得るためには、現地のナショナリズムにも配慮したほうが良いとの判断もあって、1944年、インドの通貨ルピーを語源とする新通貨として“蘭印ルピア”が創設されました。今回ご紹介の切手は、こうした通貨改革に伴って発行されたものです。

 1945年8月17日、日本の敗戦を受けてスカルノら民族主義者はインドネシア共和国の独立を宣言。これに対して、蘭印支配の復活をもくろむオランダが干渉し、インドネシア独立戦争が勃発します。

 その際、当然のことながら、オランダ側は日本占領時代の蘭印ルピアを廃して蘭印ギルダーの復活を主張しましたが、共和国側はこれを拒否。このため、当初、共和国側の支配地域では蘭印ルピアがそのまま流通していました。日本軍の武装解除のために現地に駐留していた英軍当局は、共和国側に対して、国際的な信用のない独自通貨の発行は政治的・経済的に自殺行為であると強く忠告していましたが、1946年7月、共和国側は彼らの中央銀行としてインドネシア銀行(BNI)を創設。同年10月3日から、独自通貨としてインドネシア・ルピーの発行を開始しました。なお、これにより、蘭印ルピーの流通は停止され、公衆手持ち分の紙幣は同年10月30日までに両替することとされます。ちなみにこの時の交換レートは、1インドネシアルピー=50蘭印ルピーでした。

 その後、独立戦争を経て、1949年末にインドネシア共和国の独立が国際的に承認されると、インドネシアルピアも国際為替市場での交換が可能となり、1ドル=3.8ルピアの固定相場が導入されます。これが、現在のインドネシアルピアの直接的なルーツとなりました。

 なお、今回ご紹介の切手に取り上げられている棚田の風景ですが、現在のジャワ島でも、下の画像のような棚田の風景はいたるところで見ることができます。

       ジャワ・棚田

 このように、かつての蘭印時代を髣髴とさせる風景については、拙著『蘭印戦跡紀行』でもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は9月3日(原則第1火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | 蘭印(日本占領時代) | コメント:0 | トラックバック:1 | top↑
 アジア萬歳
2013-08-15 Thu 14:24
 きょう(15日)は“終戦の日”です。というわけで、何を持ってこようかいろいろ迷ったのですが、とりあえず僕の最新作『蘭印戦跡紀行』の中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       アジア萬歳     アジア萬歳・裏面

 これは、先の大戦中、ジャワ駐留の日本兵が差し出した軍事絵葉書で、裏面には「アジア萬歳」と題された戦争画が取り上げられています。葉書の日本兵と母子がとても良い雰囲気で気に入っているので、拙著の表紙にも使った1枚です。

 大戦中の3年強におよんだ日本占領時代の蘭印(オランダ領東インド、現インドネシア)については、人によって評価はさまざまだろうと思います。ただし、当初、現地の非オランダ人の多くが日本軍の進駐を熱烈に歓迎したことは厳然たる事実で、今回ご紹介の絵葉書にみられるような光景はいたるところで見られた現象でした。

 そもそも、大航海時代から数世紀にわたるオランダの植民地支配下では、現地の非オランダ系住民はほとんど無権利状態に置かれ、奴隷同然の扱いを受けていました。そうした中で、彼らの間には、かつてジャワ島東部を支配していたクディリ王国のジャヤバヤ王(ジョヨボヨ王とも。在位1135-57年)が、晩年、詩人のムプ=セダーとムプ=パヌルに命じて書かせた叙事詩『バラッダユダ』の次のような“予言”を心のよりどころとする人も少なくありませんでした。

 第5の時代、北方から黄色い人たちがやってきて、白い人を追い払う。
 黄色い人もインドネシアを支配するが、トウモロコシの花の咲く前に去っていく。
 
 蘭印の人びとにとって、北方からやってきてオランダ人を追い払った大日本帝国は、まさしく、この詩に出てくる“黄色い人”のイメージとぴったり重なっていましたから、非オランダ系の人々は日本軍の進駐を受け入れることにほとんど心理的な抵抗を感じなかったといわれています。もっとも、日本の占領時代がわずか3年強しか続かなかったという点で、後半部分の“トウモロコシの花の咲く前に去っていく”という予言も、ある意味では正しかったわけですが…。

 ちなみに、今回ご紹介の絵葉書には「アジア萬歳」の解説として以下のような文章が記されています。

 土民は皇軍を心から迎へた。
 空にはHIDOEP ASIA RAJA(アジア萬歳)のアドバルーンが悠々と浮かんでゐた空は涯しなくひろかつた。

 現在の視点、特に、「戦前の大日本帝国はとにかくすべて悪だった」という歴史観からすれば、この文章を“土民”に対する上から目線のプロパガンダに過ぎないと切って捨てることは簡単でしょう。しかし、それが仮にプロパガンダに過ぎなかったにせよ、当時の状況下では、現地の非オランダ人はオランダ人を駆逐した日本人に賭けるしかなかったこともまた事実です。実際、僕自身、インドネシア各地で、「日本人は厳しかったけど、とにかくいろいろなことを教えてくれたよ。わしがこれまでやってこれたのも、みんな日本時代に受けた教育や訓練のおかげだ」といった類の話をしてくれた老人に何人もお会いしています。本の帯にある「日本の兵隊さん、本当に良い仕事をしてくれたよ」というのも、ロンボク島の老婆から僕が実際に聞いた言葉です。

 もちろん、インドネシア共和国が最終的に独立を達成したのは、インドネシア国民(になった人々)がみずから血を流し、熾烈な対蘭独立戦争を戦った結果です。そのことは大前提として絶対に忘れてはなりません。その意味において、僕は、彼らの尊い犠牲を無視して「日本がインドネシアを独立させてやった」という類の議論をする人たちには絶対に与しません。ただ、その一方で、日本による占領という体験が触媒となって、結果的にそれが彼らの独立につながったということを、彼ら自身がポジティヴに語ってくれるのであれば、その気持ちは素直に、ありがたく受け入れるべきだろうと思います。そうした彼らの友情を無視して“日本軍によるアジア侵略”を嬉々として糾弾する日本人が少なからずいますが、そうした連中に対しては、心の底から軽蔑するという以外の感情しか沸いてきませんな。

 先日刊行されたばかりの拙著『蘭印戦跡紀行』は、そんな思いから、僕がインドネシア各地で実際に見聞した“日本”の痕跡について、切手や郵便物、絵葉書などを交えながらまとめてみたものです。機会がありましたら、ぜひ、お手に取ってご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は9月3日(原則第1火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | 蘭印(日本占領時代) | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 海の日
2013-07-15 Mon 14:17
 きょう(15日)は“海の日”です。というわけで、ストレートにこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       錨加刷・小スンダ列島

 これは、第2次大戦中、日本軍占領下に置かれていた蘭印(オランダ領東インド)の小スンダ列島で発行された錨加刷の切手です。

 日本軍占領下の蘭印では、陸軍がスマトラおよびジャワを、海軍がそれ以外の地域を、それぞれ分担して占領行政を行っていました。このうち、海軍担当地区の中心となったのは、セレベス島のマカッサルで、ここには、1942年4月27日、南西方面海軍民政府本部が設置され、同本部の下、セレベス、ボルネオ、セラムの3地方にそれぞれ海軍民政部が設けられています。

 郵便に関しては、日本軍の上陸以来、取扱停止となっていましたが、各民政部がそれぞれの担当地域で個別に再開しています。ただし、ロンボクを含む小スンダ列島では郵便の再開は遅れ、占領から半年以上が過ぎた1942年12月21日になって、ようやく、バリ島のバングリ、デンパサール、ギャニャール、カランアサム、クルンクン、ヌガラ、シンガラジャの各局と、ロンボク島のアンペナンの各局で郵便業務が再開されました。

 郵便再開後の1943年2月1日、これら各局に対して、戦前の蘭印切手に“大日本”の文字と海軍による占領を示す錨のマークを加刷するようにとの通達が出され、加刷作業が行われることになり、今回ご紹介のような切手が発行されました。

 さて、現在、夏の終戦商戦にあわせて、8月上旬に『蘭印戦跡紀行:インドネシアに「日本」を見に行く』と題する拙著を、切手紀行シリーズ⑥として彩流社から刊行すべく準備を進めています。すでに、編集作業も大詰めを迎えており、今週中には印刷機がまわりはじめる予定です。正式な発売日、定価などが確定しましたら、逐次、このブログでもご案内してまいりますので、よろしくお願いします。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 ★★★

       マリ近現代史
         『マリ近現代史』

 北アフリカ・マリ共和国の知られざる歴史から混迷の現在まで、
 切手・絵葉書等で色鮮やかに再現したオールカラーの本格的通史!
 
 amazone-honhontoネットストアHonya ClubJBOOK7ネット・ショッピング紀伊國屋書店版元ドットコムブックサービス文教堂丸善&ジュンク堂書店楽天ブックスなどで好評発売中!


 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は7月30日、9月3日(原則第1火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | 蘭印(日本占領時代) | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 世界漫郵記:ムラピ山
2013-07-03 Wed 10:41
 ご報告が遅くなりましたが、『キュリオマガジン』2013年7月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記」は“蘭印戦跡めぐり”の5回目。今回は前回ご紹介したボロブドゥール遺跡からも近いムラピ山にスポットを当てました。その記事で使ったモノの中から、この切手をご紹介します。(以下、画像はクリックで拡大されます)

       ムラピ山(占領切手)

 これは、1943年3月9日、日本軍によるジャワで発行された3.5センの正刷普通切手で、ムラピ山を背景にした水牛農耕の様子が描かれています。切手が発行された3月9日は日本軍によるジャワ占領の記念日で、額面の3.5センは、当時の郵便料金で、葉書料金(蘭印を含む南方占領地域と日本本土宛)に相当しています。なお、通貨単位のセンは、たまたま発音は同じですが、日本語の“銭”とは無関係で、現地通貨ルピアの100分の1の補助単位です。

 ムラピ山はジャワ島中央部の活火山で、その名は、インドネシア語の“火の山”に由来しています。

 40万年前から始まった爆発は1万年前から活発になり、1548年以降に限っても現在までに68回の大規模な噴火が記録されており、現在でもほぼ1年中、切手にも見られるような噴煙が上がっています。

 最近では、2010年10月26日に始まる噴火で、火砕流が周辺の村を直撃。11月15日までに累計259人以上が亡くなり、ピーク時には38万人が避難しました。また、噴火の影響で、ジョグジャカルタ国際空港が閉鎖に追い込まれたほか、11月6日には首都ジャカルタ郊外にも降灰があったため、シンガポール航空ほか16社がジャカルタ便を運休にしたほか、正午頃に成田を出発したジャカルタ行の日航機も途中で引き返すということもありました。

 さて、2012年にボロブドゥール寺院を訪ねた際、切手に取り上げられているような風景を実際に見てみたいと思って山並みがよく見えるという場所まで行ってみました。下の画像のように、駐車場には、噴煙を上げるムラピ山の写真が掲げられていて、晴れていれば写真の背後に同じ景色が見えたはずなのですが、あいにくの曇天で何も見えませんでした。

       ムラピ山見えず

 今回の記事では、ムラピ山に関するマテリアルをいろいろとご紹介しつつ、なんとか山が見えないかといろいろ奮闘したものの、結局はダメだったという“がっかり体験”をまとめてみました。なお、雑誌の巻頭特集は「ヴィンテージカメラの魅力」で、付録として明治一圓銀貨の精巧なレプリカもついています。機会がありましたら、ぜひ、お手にとってご覧いただけると幸いです。

 なお、現在、夏の終戦商戦に合わせて『蘭印戦跡紀行(仮)』と題する書籍を彩流社の切手紀行シリーズ⑥として刊行すべく準備を進めております。すでに本文原稿は出来上がっており、編集作業が着々と進んでおりますが、正式なタイトルや発売日、定価などの詳細が決まりましたら、逐次、このブログでもご案内してまいりますので、よろしくお願いします。

 * 昨晩、カウンターが123万PVを越えました。いつもご覧いただいている皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 ★★★

       マリ近現代史
         『マリ近現代史』

 北アフリカ・マリ共和国の知られざる歴史から混迷の現在まで、
 切手・絵葉書等で色鮮やかに再現したオールカラーの本格的通史!
 
 amazone-honhontoネットストアHonya ClubJBOOK7ネット・ショッピング紀伊國屋書店版元ドットコムブックサービス文教堂丸善&ジュンク堂書店楽天ブックスなどで好評発売中!


 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は7月2日、7月30日、9月3日(原則第一火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | 蘭印(日本占領時代) | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 世界漫郵記:ボロブドゥール
2013-06-04 Tue 10:51
 ご報告が遅くなりましたが、『キュリオマガジン』2013年6月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記」は、前回に引き続き、“蘭印戦跡めぐり”の4回目。今回は世界遺産にも指定されているボロブドゥール遺跡にスポットを当てました。その記事で使ったモノの中から、この切手をご紹介します。(以下、画像はクリックで拡大されます)

       ボロブドゥール・10セン     10セン元ネタ?

 これは、第二次大戦中の1943年、日本占領下のジャワ島で発行された10セン切手で、ボロブドゥール寺院の仏像が描かれています。右側は、実際に寺院で撮影した仏像の写真です。実際のボロブドゥール寺院には、この手の仏像が無数にあって、切手のモデルをずばり特定することはかなり困難でしょう。まぁ、僕自身も、撮影した時には切手と雰囲気が似てるように思っていたのですが、並べてみるとなんか違うかな、という感じです。

 ボロブドゥール寺院は、仏教を奉じるシャイレーンドラ朝が8世紀から9世紀にかけて建造した大寺院ですが、その構造は密教の曼荼羅を立体的に再現したものと言われています。

 曼荼羅とは、大日如来の説く真理や悟りの境地を視覚的に表現したもので、一般的には絵画など平面に表わされますが、ボロブドゥール遺跡のように諸尊の彫像を立体的に配置する羯麿曼荼羅(立体曼陀羅)と呼ばれるものも存在しています。

 ボロブドゥール寺院は、全体が基壇、方壇、円壇の3段の構成となっていますが、これは、それぞれ欲界、色界、無色界の三界を表現しており、人々はボロブドゥールに登る事で、三界を体験することができる構成になっています。そして、72基のストゥーパは三重円を描くように並び、頂上には釈迦の遺骨を納めたとされる巨大なストゥーパがあり、天上をめざしています。この中心塔は空洞になっていますが、これは大乗仏教の真髄である“空”の思想を強調しているのだそうです。
  
 なお、ボロブドゥール寺院はインドネシアはもとより各国の切手に何度も取り上げられていますが、そのうちの代表的なものについては、拙著『切手が伝える仏像』でもご紹介しております。雑誌『キュリオマガジン』今月号の記事とあわせて、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 ★★★

       マリ近現代史
         『マリ近現代史』

 北アフリカ・マリ共和国の知られざる歴史から混迷の現在まで、
 切手・絵葉書等で色鮮やかに再現したオールカラーの本格的通史!
 
 amazone-honhontoネットストアHonya ClubJBOOK7ネット・ショッピング紀伊國屋書店版元ドットコムブックサービス文教堂丸善&ジュンク堂書店楽天ブックスなどで好評発売中!


 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は6月4日、7月2日、7月30日、9月3日(原則第一火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | 蘭印(日本占領時代) | コメント:1 | トラックバック:0 | top↑
 世界漫郵記:バンダアチェ
2013-04-02 Tue 10:26
 ご報告が遅くなりましたが、『キュリオマガジン』2013年4月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記」は、前回に引き続き、“蘭印戦跡めぐり”の2回目。今回はスマトラ島北端のバンダ・アチェにスポットを当てました。その記事で使ったモノの中から、この切手をご紹介します。(以下、画像はクリックで拡大されます)

        アチェ加刷

 これは、日本占領下の1942年5月頃に発行されたアチェ・ローカルの占領加刷切手です。陸軍を示す☆の中にアチェを示すカタカナの“ア”の字の入った加刷が妙にかわいらしい雰囲気で、子供の頃からのお気に入りの切手でしたので、前々からアチェの州都バンダ・アチェには行ってみたいと思っていました。

 1471年、現在のヴェトナム中部を拠点としていたチャンパ王国の首都ヴィジャヤが陥落した際、チャンパ王の息子、シャー・パウ・リンはスマトラ北端に独自の王国を興しました。これは、いわゆるアチェ王国です。

 アチェ王国は胡椒と錫の貿易で富を蓄えて16-17世紀に最盛期を迎え、王都のクタ・ラジャ(マレー語で文字通り“王の街”の意。現在のバンダ・アチェ)はイスラム文化の一大中心地となりました。

 1873年、スマトラ全島の支配をもくろむオランダがアチェとの戦端を開くと、アチェは頑強に抵抗。オランダとの“アチェ戦争”は1913年まで40年もの長期間に及びます。最終的に、アチェのスルターン(地方君主)はオランダに降伏したものの、オランダ側も王国の主権を移譲する手続きを強要することはできませんでした。このため、日本の占領時代や戦後の独立戦争の時代を経て、オランダ領東インド(蘭印)の主権がオランダから新生インドネシアに委譲された際も、アチェの人々はアチェの主権がインドネシアに譲渡されたわけではないと主張。スハルト政権下の1976年には、自由アチェ運動を中心とする分離独立派がインドネシア政府との武装闘争を展開。アチェはインドネシアにおける内戦の地として世界のメディアに取り上げられるようになります。

 ところが、2004年12月26日、いわゆるスマトラ島沖大地震が発生。その津波でアチェは壊滅的な打撃を受けたため、インドネシア政府と分離独立派の間で復興を最優先することで合意が成立し、2005年8月15日、和平協定が結ばれました。

 さて、今回の記事では、☆にアの字の加刷切手が売られていた郵便局や海岸沿いの堡塁跡などに加え、オランダ人墓地などアチェ戦争にまつわる史跡やツナミ博物館などについてもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 内藤陽介、カルチャーセンターに登場 ★★★   

 4月から、下記の通り、首都圏各地のよみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)で一般向けの教養講座を担当しています。詳細につきましては、各講座名(青色)をクリックしてご覧いただけると幸いです。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。(掲載は開催日順)

・よみうりカルチャー荻窪
 4月2日、5月7日、6月4日、7月2日、7月30日、9月3日
 (原則・毎月第1火曜日)13:00~14:30
 予算1日2000円のソウル歴史散歩

・よみうりカルチャー川崎
 4月12日、5月10日、6月14日、7月12日、8月30日、9月13日
 (原則・毎月第2金曜日)13:00~14:30
 切手で歩く世界遺産


 ★★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★★

         『喜望峰』表紙画像
 
  『喜望峰:ケープタウンから見る南アフリカ』

  いままでなかった喜望峰とケープタウンの物語
  美しい風景とウンチク満載の歴史紀行!!     

 アマゾンセブンネット版元ドットコム楽天ブックスe-honhmvhontoJBOOKlivedoor BOOKSなどで好評発売中!
 
 なお、本書をご自身の関係するメディアで取り上げたい、または、取り上げることを検討したい、という方は、是非、ご連絡ください。資料を急送いたします。

 
 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | 蘭印(日本占領時代) | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 世界漫郵記:パレンバン
2013-02-28 Thu 11:19
 『キュリオマガジン』2013年3月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記」は、今回から、“蘭印戦跡めぐり”として、インドネシア各地を取り上げます。今回は、その第1回として、“空の神兵”で知られるパレンバンにスポットを当てました。その記事で使ったモノの中から、この切手をご紹介します。(以下、画像はクリックで拡大されます)

        蘭印IPL加刷

 これは、日本占領下のパレンバンで発行されたIPL加刷切手です。

 現在、インドネシア南スマトラ州の州都となっているパレンバンは、古代シュリーヴィジャヤ王国の支配下で、西暦600年以降、都が置かれたこともある古都で、かつては仏教の一大中心地でもした。

 17世紀にはじまるオランダ植民地時代には、当初は香料貿易の拠点として、後には、油田が発見され、東南アジア有数の油田地帯として知られるようになります。その産出量たるや、大東亜戦争開戦時のわが国の年間石油消費量を上回るほどでした。このため、1941年8月以降、米国による石油禁輸措置で経済的に追い詰められ、“石油一滴は血の一滴”という言葉が身に沁みていた大日本帝国にとっては、12月8日の開戦後、最重要攻略目標となりました。

 パレンバンの市街地はムシ川の両岸に広がっており、河口からは約100キロの地点にあります。このため、河口から遡上して上陸しようとすると、その間に、オランダ側は油田設備を破壊してしまう可能性がありました。そこで、わが陸軍は空挺部隊を用いて油田とロイヤル・ダッチ・シェルの製油所を奇襲攻撃して電撃的に占領するというプランを立案します。

 かくして、1942年2月14日、第1挺団が、陥落直前のシンガポールからたなびく黒煙で視界不良の中、パレンバンの油田・製油所と飛行場に対して落下傘で降下。翌15日午後には、第2悌団がパレンバン市街地南側の湿地に降下し、パレンバン市全域を占領し、肝心の油田と製油所もほぼ無傷で確保することに成功しました。いわゆる“空の神兵”です。

 2月14日の奇襲攻撃でパニックをきたしたパレンバン市内では郵便業務も一時停止されましたが、この間、略奪行為が横行し、郵便局でも額面総計20万ギルダーもの切手が盗難に遭っています。

 このため、占領行政の責任者となったパレンバン州軍政支部長の松木大佐が3月23日付でパレンバン中央郵便局のI・P・レンコン局長に、略奪された切手と区別できるよう、再開後に販売する切手には加刷を施すように」と命令。これを受けて、翌24日からパレンバン州での郵便業務が再開され、州内(および隣接するベンクーレン州のケパヒアン局とジャンビー州のサルラングン局)では、レンコン局長のイニシャル“IPL”の文字などを加刷した切手が4月以降、順次発行されることになりました。今回ご紹介の切手もその1枚です。

 さて、今回の記事では、パレンバンの精油所を訪れた際のレポートに加え、神兵たちが降り立った70年前とほとんど変わっていないように見える風景などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。
 

 【世界切手展BRASILIANA 2013・出品募集期間延長!】

 今年11月、ブラジル・リオデジャネイロで世界切手展 <BRASILIANA 2013> が開催される予定です。当初、現地事務局への出品申し込みは2月28日〆切(必着)でしたが、〆切日が3月31日まで延長されました。つきましては、2月14日に締め切った国内での出品申し込みを再開します。出品ご希望の方は、3月20日(必着)で、日本コミッショナー(内藤)まで、書類をお送りください。なお、同展の詳細はこちらをご覧ください。


 ★★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★★

         『喜望峰』表紙画像
 
  『喜望峰:ケープタウンから見る南アフリカ』

  いままでなかった喜望峰とケープタウンの物語
  美しい風景とウンチク満載の歴史紀行!!     

 アマゾンセブンネット版元ドットコム楽天ブックスe-honhmvhontoJBOOKlivedoor BOOKSなどで好評発売中!
 
 なお、本書をご自身の関係するメディアで取り上げたい、または、取り上げることを検討したい、という方は、是非、ご連絡ください。資料を急送いたします。

 
 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | 蘭印(日本占領時代) | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 トバ湖へ行ってきました
2012-06-24 Sun 09:38
 きのう(23日)は、コミッショナーの山崎好是さんのお世話で、日本人の有志でスマトラのトバ湖へ行ってきました。というわけで、こんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      トバ湖プルーフ     トバ湖(実際)

 これは、1944年8月1日、日本占領下のスマトラで発行された30セント切手の試刷で、トバ湖が描かれています。右側は実際のトバ湖の前で記念撮影した画像です。

 トバ湖は、インドネシアのスマトラ島北部にある世界最大のカルデラ湖で、その面積は1000平方キロにも及んでます。そのカルデラは、84万年前、50万年前、7万4000年前の3回にわたる巨大噴火により、大量のマグマが噴出した結果地盤が沈下して形成されたもので、湖中にあるサモシール島は、カルデラの形成後、マグマの上昇によってできた再生ドームです。
 
 ちなみに、オランダの地球科学者レイナウト・ファン・ベンメレンが、トバ湖が火砕流堆積物の層によって囲まれたカルデラであると報告したのは、第二次大戦後の1949年のことです。ということは、今回ご紹介の南方占領地切手が発行された当時は、トバ湖が世界最大のカルデラ湖ということは意識されていなかったことになりますな。

 また、1949年といえばインドネシア独立戦争の最中です。困難な時期に調査をやり遂げたファン・ベンメレンの苦労は並大抵のことではなかったはずで、純粋に頭が下がります。

 さて、18日から始まった世界切手展<INDONESIA 2012>も、いよいよ最終日となりました。きょうは、展覧会そのものは13時で終了し、午後からは作品の撤収という最後の大仕事が待っていますので、気合を入れて頑張っていかねば。

 ★★★ 内藤陽介・韓国進出! ★★★

   『韓国現代史』の韓国語訳、出ました
    
       韓国語版・韓国現代史
     우표로 그려낸 한국현대사
    (切手で描き出した韓国現代史)

     ハヌル出版より好評発売中!


    米国と20世紀を問い直す意欲作

   切手、歴史を送る
       우표,역사를 부치다
       (切手、歴史を送る)

      延恩文庫より好評発売中!

 *どちらも書名をクリックすると出版元の特設ページに飛びます。なお、『우표,역사를 부치다(切手、歴史を送る)』につきましては、7月以降、このブログでも刊行のご挨拶を申し上げる予定です。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。
別窓 | 蘭印(日本占領時代) | コメント:0 | トラックバック:1 | top↑
| 郵便学者・内藤陽介のブログ | NEXT
<!-【↑2カラムテーブルここまで↑】-->
copyright © 2006 郵便学者・内藤陽介のブログ all rights reserved. template by [ALT-DESIGN@clip].
/