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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 75歳のフィジー首相、砲丸投げで銅メダル
2024-06-06 Thu 06:51
 フィジーの首都、スバで開催中のオセアニア陸上競技選手権大会で、きのう(5日)、フィジーのシティベニ・ランブカ首相(75歳)が砲丸投げの75~79歳の部で3位に入賞し、銅メダルを獲得しました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      フィジー・太平洋選手権(1966砲丸投げ)

 これは、1966年12月8日から18日まで、ニューカレドニアのヌメアで開催された“第2回サウス・パシフィック・ゲーム(南太平洋選手権。現パシフィック・ゲームズ)”に先立ち、参加国のフィジーが発行した記念切手のうち、砲丸投げの選手を描く1枚です。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 6月7日(金) 10:00~ ニッポンジャーナル
 インターネット番組「ニッポンジャーナル」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。皆様、よろしくお願いします。

 6月14日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。

 謀略の世界史 原則毎月第1土曜日 13:00~14:30
 MI6、CIA、モサドなど各国の情報機関のあらましや、現代史の中で彼らが実際に関与した事件などを幅広くご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。

 武蔵野大学のWeb講座 
 大河企画の「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」、引き続き開講中です。詳細はこちらをご覧ください。 

 「龍の文化史」、絶賛配信中です。龍/ドラゴンにまつわる神話や伝説は世界各地でみられますが、想像上の動物であるがゆえに、それぞれの物語には地域や時代の特性が色濃く反映されています。世界の龍について興味深いエピソードなどを切手の画像とともにご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。

 ★ 『切手もの知り図鑑 一番切手50のエピソード』 好評発売中!★

      切手もの知り図鑑 一番切手50のエピソード

 「動物と植物」「科学技術」「社会と文化」「神話/伝説と宗教」の4章立てで、犬、猫、宇宙開発、飛行機、クリスマスといったテーマで、初めて描かれた切手図案にまつわる秘話、思いがけない発行に至る背景に加え、シーラカンスやテレビ、警察官、タトゥー、髑髏といった、あっと驚く意外なテーマの一番切手も登場します!

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


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 フィジーで16年ぶり政権交代
2022-12-21 Wed 03:42
 今月14日に議会選挙(一院制、定数55)が実施された太平洋の島国フィジーで、きのう(20日)、人民連盟のランブカ元首相を首班とする野党3党による連立政権が発足。2006年のクーデター以来、実権を握っていたバイニマラマ首相は退陣しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      フィジー・政府庁舎(1954)

 これは、1954年2月1日、英領時代のフィジーで発行された2ペンス切手で、フィジーの政府庁舎が描かれています。英領時代の植民地政府庁舎には、立法議会の議場が置かれ、1970年の独立後も1987年まではフィジー議会がそれを引き継いでいました。その後、フィジー議会は一時、別の建物に移転しましたが、2014年の民政復帰を機に、議会は再びこの切手の建物を議場として使うようになり、現在に至っています。

  詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。なお、内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 12月23日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 12月24日(土) 13:00~  大英帝国のクリスマス
 英国は、1840年に世界で最初に郵便切手を発行した国で、かつて”日の沈まぬ国”と呼ばれたその広大な領土では、ヴィクトリア女王からエリザベス女王に至るまで、歴代の国王の切手を貼った郵便物が縦横無尽に往来していました。今回は、クリスマスに関する切手・郵便物をピックアップし、それぞれの時代の英国・英領の歴史や社会を読み解きます。お申込などの詳細はこちらをご覧ください。

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。

 武蔵野大学のWeb講座 
 「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」と「日本郵便150年の歴史」の2種類の講座をやっています。詳細はこちらをご覧ください。 


★ 『現代日中関係史 第1部 1945-1972』 好評発売中! ★

      現代日中関係史表_第1部

 日本郵趣出版の新レーベル「郵便×歴史シリーズ」の第一弾の企画として、切手という切り口から第二次大戦後の日中関係を読み解く『現代日中関係史』。その第1巻となる本書は、第二次大戦後、わが国が中華人民共和国と国交を樹立(いわゆる国交正常化)する1972年9月以前を取り扱っています。なお、1972年の国交”正常化”以降については、2023年3月に刊行予定の第2巻でまとめる予定です。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページのリンクがあるほか、主要書店の店頭在庫も確認できます。また、販売元の郵趣サービス社のサイト、スタマガネットの特設サイトサイトでは、本書の内容見本をご覧いただけます。 

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 フィジー独立50年
2020-10-10 Sat 10:21
 南太平洋の島国、フィジーが1970年10月10日に独立してから、ちょうど50年になりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      フィジー・1871年1ペニー

 これは、フィジー王国時代の1871年に発行された1ペニー切手です。

 フィジーに到来した欧米人は、1643年、フィジー北部に上陸したアベル・タスマンが最初で、1774年には英国のジェームズ・クック(キャプテン・クック)が南部に上陸しています。

 ところで、19世紀前半のフィジーは小王国が割拠する状態でしたが、そのうちのバウの首長だったセル・エペニサ・ザコンバウ(カコンバウとも)は、トンガ軍の力を借りながら勢力を拡大し、頭一つ抜きんでた存在になっていました。ちなみに、ザコンバウは、トンガ王トゥポウ1世の影響を受けて1852年にキリスト教に改宗し、その支配下の住民も改宗させられたため、欧米諸国もザコンバウに対して好感を持っていました。

 ところで、1861年、世界有数の綿花の生産地だった米国で南北戦争が勃発すると、世界的に綿花の需給が逼迫したため、多くの白人入植者がフィジーで綿花農園を開設します。この結果、フィジー在住の欧米人の権利・義務や土地所有の問題を扱う近代的な行政機関を設立する必要が生じたことから、1865年5月、バウ、レワ、ラケンバ、ブア、タカウンドロヴ、マトゥアタ、ナンドゥリの七地方首長がレヴカに集まり、ザコンバウがフィジー連邦の初代大統領として選出されます。ザコンバウは翌1866年にも再選されましたが、1867年、マハフが大統領に選ばれると、欧米人は連邦への納税を拒むなどしたため、連邦は機能しなくなります。

 このため、1871年6月、欧米人の支援を受けたザコンバウは自らを王とするフィジー王国の成立を宣言して、レブカで即位。これに伴って、“ザコンバウ(Cakobau Rex)”の統治を意味する“C.R”の文字と王冠をデザインした切手がシドニーの政府印刷局で製造され、同年10月に発行されました。

 ちなみに、それ以前のフィジー域内の郵便は、1858年に英領事館がきわめて限定的な郵便サーヴィスを開始し、フィジー域外との通信(1863年以降はニューサウスウェールズ切手を使用)は、主としてシドニーを往来する商船などに託して行われていました。

 こうした状況の下、1869年9月、オヴァラウ島のレヴカで新聞『フィジー・タイムス』を創刊したG.L.グリフィスは、1870年11月、自らの新聞の配達と併せて一般の郵便需要を満たすことを目的として“フィジー・タイムス・エクスプレス”を創業。フィジー王国が成立した1871年6月の時点で14ヶ所の郵便取扱所を設置し、独自の切手も発行して郵便サービスを提供していましたが、王国の成立に伴い、1872年にはサービスを終了しています。

 さて、1871年に発足したフィジー王国でしたが、欧米人からの税の徴収は必ずしも順調でなかったことに加え、在留米国人が部族対立に巻き込まれ、財産を破壊、略奪されたとして、米国が4万5000ドルの賠償金を要求したことなどから、財政的に破綻。このため、1874年10月10日、ザコンバウは割譲証書に署名し、英・ヴィクトリア女王にフィジーの主権を譲渡。フィジーは英国の植民地となり、ザコンバウは退位して、英国から年金を受け取る立場になりました。

 なお、欧米人がフィジーで経営していたプランテーション農場は慢性的に労働力が不足していたため、農園主たちはソロモン諸島近隣から年季契約の“ブラック・バーディング”で労働力を集めていました。

 初期のブラック・バーディングは、表向きは“契約”の形式をとっていたが、その実態は奴隷狩りもしくは拉致ともいうべきもので、ベッコウと鉄器の取引を装った白人の船にメラネシア人がカヌーで近づいたところ、わざと甲板から石や鉄製品を落として沈め、それを回収しようと海に潜ったメラネシア人を“救出”した後、そのまま連れ去ってしまったり、住民に酒や煙草をふるまったのち、船内にも同じものがあるからと人々を船に招き入れ、そのまま拉致してしまったりするなど、かなり悪質なものでした。この辺りの事情については、拙著『日本人に忘れられたガダルカナル島の近現代史』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


★ 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★

 10月16日(金)05:00~  文化放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。


★ 内藤陽介の最新刊 『日本人に忘れられたガダルカナル島の近現代史』 ★

      日本人に忘れられたガダルカナル島の近現代史カバー 本体1600円+税

 出版社からのコメント
 【中国の札束攻勢にソロモン諸島は陥落寸前!】
 日本軍の撤退後、悲劇の激戦地は
 いかなる歴史をたどり、
 中国はどのように浸透していったのか

 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 

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 韓国カルト、フィジーで400人監禁暴行
2018-08-03 Fri 04:26
 韓国の警察当局は、1日、南太平洋のフィジーで信者約400人を監禁し、儀式と称して暴行していたとして、カルト教団“グレースロード教会”の創始者、シン・オクジュほか3人の教団指導者が仁川国際空港に到着したところを逮捕しました。というわけで、フィジーに関連して、この切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      フィジー・エクスプレス(1ペニー)

 これは、1870年にフィジー・エクスプレス社が発行した1ペニー切手です。

 1860年代までのフィジー諸島では、1858年に英領事館がきわめて限定的な郵便サーヴィスを提供したものの、制度としてはあまり整備されておらず、主としてシドニーを往来する商船などに託して、不定期に手紙が送られるだけでした。

 こうした状況の下、1869年9月、オヴァラウ島のレヴカで新聞『フィジー・タイムス』を創刊したG.L.グリフィスは、かつての領事館郵便の制度では、新聞の配達には、あまりにも信頼性に乏しいと考え、1870年11月、『フィジー・タイムス』の配達を行うとともに、一般の郵便需要を満たすことを目的として“フィジー・タイムス・エクスプレス”を創業しました。

 フィジー・タイムス・エクスプレスの郵便取扱所は、1870年11月1日の創業時で9ヵ所でしたが、同年11月5日と1871年2月8日にはそれぞれ2ヵ所、6月14日には1ヵ所が新たに設置され、最終的に14ヵ所が設けられました。その内訳は、レヴカの本局のほか、ヴィティ・レヴ島に6ヵ所、ヴァヌア・レヴ島に4ヵ所、タヴェウニ島に2ヵ所、カンダヴ島とヴァヌア・バラヴュー島に各1ヵ所でした。

 フィジー・タイムス・エクスプレスの切手は、グリフィスの新聞印刷所で印刷され、シートは6×4の24面です。ただし、シートの中には異なった額面が混在しています。すなわち、最初のシート構成は、横1段の6枚ごとに額面が異なっており、上から6ペンス、1シリング、1ペニー、3ペンスとなっていました。その後、2回目のシート構成は、上の3段は最初と同じですが、最下段の左3枚が3ペンス、右3枚が9ペンスという構成に変更されています。

 フィジー・タイムス・エクスプレスの経営は順調で、利用者も次第に増加していきましたが、1871年にフィジー全島を統一したフィジー王国が成立すると、王国政府は郵便局長を任命し、官営郵便を創業。これを受けて、フィジー・タイムス・エクスプレスの郵便事業も1872年には終焉を迎えました。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 

★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 

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 フィジーのオオウナギ
2017-07-25 Tue 10:45
 きょう(25日)は土用の丑の日です。というわけで、ウナギの切手のなかから、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      フィジー・オオウナギ

 これは、2008年にフィジーが発行したオオウナギの切手です。

 オオウナギは、ウナギ目ウナギ科に属する魚で、わが国で一般に食されるニホンウナギとは同属別種です。今回ご紹介のフィジーを含む太平洋とインド洋の熱帯・亜熱帯域を中心に、ウナギ科全18種類のうちで最も広い地域に分布しており、国内では利根川より西側、長崎県より南側の暖流に面した地域に生息していますが、和歌山県田辺市・白浜町富田川流域、徳島県海陽町母川流域、長崎県長崎市樺島の3ヵ所では国の天然記念物に指定されています。なお、南西諸島では、ニホンウナギよりもポピュラーな存在です。

 その名の通り、最大で全長2m・体重20kg にも達する大型のウナギで、胴回りは丸太ののように太く、背中側は黄褐色の地に黒褐色のまだら模様があるのが特徴です。鹿児島県南部や南西諸島、台湾などでは食用や強壮剤にもされることがありますが、味の面ではニホンウナギより劣るとされています。

 ちなみに、フィジーでは、ウナギにまつわる以下のような伝説があるそうです。

 ベンガ島(フィジー最大のビチレブ島の南12km の地点にある小島)に住むサワウ族の漁師、ツイは、ある日、島の奥の小川で巨オオウナギを釣りあげました。喜ぶツイに、オオウナギは自らが神の化身であると告げたうえで、「助けてくれたら火の上を歩けるようにしてやろう」と申し出ます。

 オオウナギのいうことが真実なら助けてやろうとツイがいうと、オオウナギはその場に穴を掘り、石を入れて火を放ったうえで、その上を歩くよう、ツイを促します。これを受けて、ついは石の上を歩きましたが、全く火傷を負いませんでした。

 これが、フィジーにおける火渡りの行の起源とされており、以後、神の霊力を授かったとされるツイの直系の子孫は、火渡りの儀式を司る聖職者“ベテ”として、火渡りの行を継承しているそうです。

 僕などは、ウナギが目の前で火を焚いていたら、そのまま、身を開いて串にさし、焼いて食ってしまうしまうような気がします。もっとも、そういう心掛けだから、火の上を歩く能力もないまま、酷暑の中でぐったりとした日々を過ごしているわけですが。
 

 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  次回は27日!★★★ 

 7月27日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第6回が放送予定です。今回は、8月4日の世界陸上開幕に先立ち、サニブラウン選手応援企画でガーナにスポットを当ててお話をする予定です。みなさま、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。

 ★★★ ツイキャス出演のお知らせ ★★★

 7月30日(日)22:00~ 拉致被害者全員奪還ツイキャスのゲストで内藤が出演しますので、よろしかったら、ぜひ、こちらをクリックしてお聴きください。なお、告知のツイートはこちらをご覧ください。

 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 フィジーにも寄ってきました。
2017-04-06 Thu 00:03
 昨晩(5日)、ガダルカナルでの取材を終え、フィジー・ナンディ経由でメルボルンに戻ってきました。というわけで、ガダルカナルほどではないにせよ、フィジーもやはり滅多に行く場所ではないので、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      フィジー・ナンディ国際空港

 これは、1961年にフィジーで発行されたナンディ空港(現ナンディ国際空港)を描く切手です。ちなみに、トランジットでナンディ市内に出た時に撮影した駐機場の写真(左)と、メルボルン行きの飛行機に搭乗する時に見た空港での夕陽の写真(右)も、貼っておきます。

      ナンディ国際空港・駐機場  ナンディ国際空港・夕陽

 ナンディはフィジー諸島中最大の島、ヴィティ・レヴ島西部の都市で、空港はナンディ市の中心部から8Kmほどの地点にあります。ナンディにヴィティ・レヴ島最大の空港が置かれるようになったのは、ひとえに、島の西部というナンディのロケーションがオーストラリアやニュージーランドとの交通に便利と考えられたためです。

 最初の飛行場は、英植民地当局の出資により、1939年8月からニュージーランドが建設し、1940年3月に運用が開始されました。その後、日本との開戦に備え、米軍はニュージーランドに空港の拡張を養成。これを受けて、1941年11月以降、拡張工事が行われ、日米開戦後の1942年4月までに新滑走路2本の建設を含む工事が完了しました。その費用は、当初見積もりの25万ポンドでも巨額すぎるとして問題になっていましたが、最終的に75万ポンドにまで膨らんでいます。

 日本との戦争が始まると、ナンディの飛行場は米空軍の基地となり、ソロモン諸島フィリピンの日本軍の拠点を攻撃するうえで重要な役割を果たしました。

 大戦後は、1946年12月20日付で空港の管轄権はニュージーランドに移され、1947年以降、ニュージーランド民間航空局が運営していました。1960年代前半には、ニュージーランドのオークランドから北米及び欧州に向かう路線は原則としてすべてナンディ経由です。1970年のフィジー独立に伴い、新生フィジー政府が運営に参加するようになり、1979年以降は、フィジー政府が単独で運営しています。ちなみに、かつての空港は、椰子の木やハイビスカスの木がエプロンの日よけのために植えられており、南国情緒豊かな景観となっていましたが、度重なる空港の拡張に伴い、現在ではそれらは撤去されています。

 全くの余談ですが、空港で出国手続きをした後、免税店街のフードコートを覗いてみると、ニュージーランドで定番のデザートとされているホーキーポーキー・アイスクリームが売られていたので、一つ買ってみました。(下の画像)

      ホーキーポーキー(実物)

 ナンディ空港へのニュージーランドの影響は、こんなところにも残っているということなのかもしれませんね。      

 さて、きょうは午前中のフライトでメルボルンを発ち、夜には成田に到着の予定です。無事に帰国しましたら、すぐにそのまま、平常通りの仕事をするつもりですので、内藤の不在によりご不便・ご迷惑をおかけしている皆様におかれましては、今しばらくお待ちくださいますよう、伏してお願い申し上げます。
 

★★★ ブラジル大使館推薦! 内藤陽介の『リオデジャネイロ歴史紀行』  ★★★ 

       リオデジャネイロ歴史紀行(書影) 2700円+税

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 オリンピック開催地の意外な深さをじっくり紹介
 リオデジャネイロの複雑な歴史や街並みを、切手や葉書、写真等でわかりやすく解説。
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 フィジーと国連
2016-06-14 Tue 17:09
 国連総会は、きのう(13日)、9月開会の第71回総会の議長選挙(任期1年)を行い、フィジー国連大使のピーター・トムソン氏を選出しました。太平洋の島嶼国代表が国連総会議長に選ばれるのは初めてだそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      フィジー・国軍(1982)

 これは、1982年にフィジーが発行した国軍の活動を紹介する切手のうち、国連平和維持活動(PKO)に従事するフィジー兵を取り上げた1枚です。
 
 フィジーは英国から独立して3日後の1970年10月13日に国連に加盟しましたが、1978年以降、平和維持活動(PKO)に積極的に人員を派遣していることでも知られています。

 現在、フィジー国軍の兵力は3500名(と予備役6000名)ですが、歩兵連隊を構成する第1-3大隊は通常軍、第4-6大隊は地域軍(Territorial Force:48時間以内の動員のため配置)となっており、第1大隊がレバノン、シリア、東ティモールでのPKO活動に従事しており、第2大隊がシナイ半島でのPKO活動に従事しています。なお、第3大隊は首都のスヴァと国内防衛の任に当たっています。

 このうち、シリアでのPKO活動は、1974年にイスラエルとシリアが結んだ停戦合意を監視する“国連兵力引き離し監視隊(United Nations Disengagement Observer Force、UNDOF)”の一部としてゴラン高原に派遣されたものですが、2014年9月、国際テロ組織アルカイダ系のシリア反体制イスラム武装勢力“ヌスラ戦線”がフィジー軍の要員45名を拘束した事件(後に、全員が解放されました)はニュースでも大々的に報じられましたので、ご記憶の方もあるかもしれません。

 ちなみに、国連PKOでは、派遣国が負担した費用は、国連が派遣国に償還することになっています。この国連からの“償還金”は、派遣期間中の人件費(俸給、専門家手当、個人被服等)、装備品(トラック、ブルドーザ等)等に係る費用(の一部)について、国連が定めた基準及び国連と派遣国との間の協定に基づいて計算され、米ドルで派遣国に送金されることになっています。フィジー政府にとって、この償還金は国庫収入の重要な財源となっており、それゆえ、PKO派遣にも熱心に取り組んでいるという事情もあるようです。
 

 ★★★ 講座のご案内 ★★★

 下記の通り、各地のよみうりカルチャーで公開講座を行います。ぜひ、ご参加ください。

・イスラムを知る―ISはなぜテロに走るのか
 よみうりカルチャー荻窪 6/26(日) 14:00~15:30
 よみうりカルチャー横浜 7/2(土) 13:00~14:30

・切手でたどる東京五輪とその時代
 よみうりカルチャー荻窪 7/9(土) 13:00~14:30

 詳細につきましては、それぞれの会場・時間をクリックしてご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 内藤陽介の新刊  『ペニー・ブラック物語』 のご案内 ★★★ 

       ペニーブラック表紙 2350円+税

 【出版元より】
 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。


 ★★★ 内藤陽介の新刊  『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 2000円+税

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。

 インターネット放送「チャンネルくらら」にて、本書の内容をご紹介しております。よろしかったら、こちらをクリックしたご覧ください。


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 フィジーに猛烈なサイクロン  
2016-02-21 Sun 18:42
 南半球でこれまでに観測されたサイクロンとしては最大の“ウィンストン”が、きのうからきょうにかけて(20-21日)、フィジーの首都スバのあるビチレブ島を通過。これまでに5人の死亡が確認されたほか、広い範囲で浸水や家屋の倒壊などの被害が出ています。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、被災者の方には心よりお見舞い申し上げます。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      フィジー・ハリケーン募金(1972)

 これは、1972年10月のサイクロン・べべ(ハリケーン・べべとも)の被災者を救援するため、同年12月4日、フィジーで発行された寄附金加刷切手です。

 サイクロンとは、本来、台風を含む低気圧を指す一般的な用語ですが、日本語の台風に相当する現象としては、インド洋からオーストラリア、南太平洋にかけて発生するものを指す用語として用いられています。これに対して、ハリケーンは、北部大西洋、東部北太平洋(北半球の西経140度以東)、中部北太平洋(北半球の西経140-180度)および南東太平洋(南半球の東経160度以東)で発生するものを指しています。フィジーは地理的に東経174度と西経178度の間、南緯12度と22度の間に位置していますので、この地域で発生するのは基本的にはサイクロン ですが、この切手が示しているように、べべの場合はハリケーンと呼ばれることも多かったようです。

 さて、べべは、1972年10月16日、南太平洋上の西経172度付近で発生。10月21日から22日にかけて英領ギルバート・エリスを襲ったのち、10月24日にフィジーに上陸。大きな被害をもたらしたのち、10月28日に消滅しました。この間、瞬間最大風速57m、犠牲者総数は24名で、被害総額は2000万ドルでした。

 さて、南半球のサイクロンとしてはこれまで、2002年にソロモン諸島を直撃した“ゾーイ”と2006年にオーストラリアを襲った“モニカ”がともに瞬間最大風速79mで、史上最大の勢力とされていましたが、今回のウィンストンは、ビチレブ島上陸直前の数値で瞬間最大風速81.8mに達しており、史上最大となっています。その後、一部報道では、90mの瞬間最大風速が観測されたと伝えられており、これが事実だとすると、昨年(2015年)10月、観測史上最大の90mを記録したハリケーン“パトリシア”(メキシコ南西部に上陸)に並んだことになります。

 フィジー政府は住民の安全を確保するため、22日朝までの外出を禁止するとともに、今後も土砂崩れなどに警戒するよう呼びかけているほか、バイニマラマ首相が国民に「団結と助け合い」を呼び掛け、今後1カ月間にわたる非常事態を宣言して被害の全容の把握や復旧を急ぐことにしています。 おそらく、今回もべべの先例に倣って、フィジー政府は被災者救済のための寄附金つき切手を発行することになるのでしょうが、一日も早く復旧・復興が進むことを切にお祈りしております。


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 フィジー警察のラッパ手
2006-12-06 Wed 00:54
 南太平洋のフィジーで、5日、バイニマラマ軍司令官がクーデターを宣言し、ガラセ首相を罷免して自宅軟禁する事件が発生しました。

 というわけで、今日はこんな切手を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

フィジーのラッパ手

 これは、フィジーが英領時代だった1954年に発行された1ポンド切手で、警察のラッパ手が描かれています。

 フィジーでは人口の約5割を占めるフィジー系先住民と、英国の植民地時代に入植した約4割のインド系住民が長年にわたって対立しており、2000年には、経済的に優位なインド系住民への先住民側の不満から、フィジー系の武装勢力が国会を占拠してインド系のチョードリー首相らを人質に政権奪取を図る事件も起きています。

 事件後、チョードリーは首相を辞任し、フィジー系のガラセが後継内閣を組織。このガラセが“国民の和解”を名目に国会占拠事件の犯人グループ(フィジー系)に恩赦を与えようとしたことに、バイニマラマ軍司令官は、フィジー系ではあるものの、国会占拠事件を鎮圧した責任者と言うこともあって、ご都合主義的な恩赦の計画に反発。政府は警察を実働部隊として彼らを押さえ込もうとしたものの、かえって、軍がクーデターを起こし、警察は武器を押収されてしまいました。

 ちなみに、今回ご紹介している切手のデザインは“警察のラッパ手”ということになっていますが、ラッパを吹いている人物の風貌や服装などから推測すると、彼はフィジー系の人物と見て間違いなさそうです。

 いずれにせよ、フィジーは観光で飯を食っている国なので、今回のようなクーデター騒ぎがフィジーのイメージを悪化させ、その経済にも深刻なダメージを与えるのは確実です。そうなると、結局、フィジー系・インド系を問わず一般国民にしわ寄せが来るわけですから、一日も早い事態の収拾が望まれるのはいうまでもありません。
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