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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 アルジェリア大統領選、現職が再選
2024-09-08 Sun 10:04
 アルジェリアで、きのう(7日)、大統領選挙が行われました。有力な対抗馬が不在なうえ、現体制の強権化も進んでおり、現職のアブデルマジド・テブン(タブ―ンとも)大統領の再選が確実視されています。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      アルジェリア・憲法と市民権

 これは、2024年3月6日、アルジェリアが発行した“憲法と市民権”の切手です。ちなみに、アルジェリアでは、2020年に憲法改正が行われており、今回は、現行憲法下での最初の大統領選挙となります。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 9月11日(水) 10:00~ ニッポンジャーナル
 インターネット番組「ニッポンジャーナル」に内藤藤がコメンテーターとして出演の予定です。皆様、よろしくお願いします。

 9月13日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。

 謀略の世界史 原則毎月第1土曜日 13:00~14:30
 MI6、CIA、モサドなど各国の情報機関のあらましや、現代史の中で彼らが実際に関与した事件などを幅広くご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。

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 大河企画の「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」、引き続き開講中です。詳細はこちらをご覧ください。 

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      切手もの知り図鑑 一番切手50のエピソード

 「動物と植物」「科学技術」「社会と文化」「神話/伝説と宗教」の4章立てで、犬、猫、宇宙開発、飛行機、クリスマスといったテーマで、初めて描かれた切手図案にまつわる秘話、思いがけない発行に至る背景に加え、シーラカンスやテレビ、警察官、タトゥー、髑髏といった、あっと驚く意外なテーマの一番切手も登場します!

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 パレスチナ人民連帯国際デー
2023-11-29 Wed 07:24
 きょう(29日)は、1947年11月29日に国連でパレスチナ分割決議が採択されたことにちなむ“パレスチナ人民連帯国際デー”です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アルジェリア・ナクバ75年(2023)

 これは、ことし(2023年)5月22日にアルジェリアが発行した“ナクバ75年”の記念切手で、エルサレムにおけるイスラムの聖地としてのアクサー・モスクと、“クーフィーヤ(パレスチナの白黒頭巾)”をかけた“パレスチナの鍵(イスラエル建国後、パレスチナの地を追われたパレスチナ人が元々住んでいた家の鍵。パレスチナ難民の象徴)”が描かれています。

 “ナクバ”はアラビア語で“大厄災”を意味する語で、具体的には、1948年のイスラエル建国に伴い、多くのパレスチナ人が故郷を追われ、帰還できないままでいることを指しています。イスラエル建国75周年にあたる今年はナクバ75周年の節目の年でもあるわけですが、現時点で、“ナクバ75周年”の記念切手を発行していることが確認できたのは、当事者のパレスチナ自治政府の他は、今回ご紹介のアルジェリアとジブチのみでした。ただし、現在のガザの情勢を受けて、今後、“ナクバ75周年”の切手を(追加的に)発行する国が出てくるかもしれません。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。また、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』も併せてご覧いただけると幸いです。


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 12月6日(水) 10:00~ ニッポンジャーナル
 インターネット番組「ニッポンジャーナル」に内藤がゲスト出演の予定です。皆様、よろしくお願いします。

 12月8日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。

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 こわい切手:恐ろしい交通事情
2021-12-06 Mon 01:08
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、雑誌『ザ・フナイ』2021年12月号ができあがりました。僕の連載「こわい切手」は、今回は交通事故関連の切手について取り上げましたが、その記事の中から、この切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      アルジェリア・交通事故防止(2009)

 これは、2009年にアルジェリアが発行した“交通事故防止”のキャンペーン切手です。

 いわゆる心霊体験が一度もなく、オカルトの類を全く信じない人であっても、自動車を運転していたり、道路を歩いていたりしているときに危険な運転の自動車に遭遇して“怖い”と感じたことは一度や二度ではないでしょう。

 わが国の場合、1970年頃には交通事故の死者数は1万6000人を超えていましたが、その後は減少傾向をたどり、1996年以降は1万人を割り込み、近年は4000人以下となり、2020年には2839人でついに3000人を下回りました。それでも、多くの人々が交通事故で命を落としているわけで、交通死亡事故を減らすためのさまざまなキャンペーンが行われています。

 交通事故者を減らすためのキャンペーンは世界各国でも盛んに行われており、その一環として、しばしば交通安全の宣伝切手が発行されるわけですが、そのデザインの一つのパターンとして、悲惨な事故現場や犠牲者の姿を見せ、事故の恐ろしさを認識させることで、無謀な運転を抑止しようする手法があります。

 今回ご紹介のアルジェリアの切手はその典型例で、事故で反転、クラッシュした自動車とその手前に突き出された手が描かれています。切手に描かれた手が、事故をストップさせようという意思表示なのか、事故車に乗っていた人(事故車の破損具合からして、無事では済まなさそうです)が助けを求めて掲げたものなのか、切手を見ただけでは判別不能ですが、かなりのインパクトがある組み合わせです。

 かつての日本では交通事故とその死亡者が深刻な社会問題となり“交通戦争”なる言葉も使われましたが、2020年1月に現地の日本大使館が作成した在留邦人向けの『安全の手引き』では、アルジェの交通事情は“交通テロ”と形容されています。

 もともと、アルジェリアの国土は起伏に富んでいるうえ、道路は概して細く、坂道や曲がり路が多く、雨天時に浸水するなど道路事情も決して良くありません。また、国全体で見ると、信号機が設置されている交差点も決して多くはありません。そうした道路環境に加え、市街地では時間帯によっては相当の交通量があり、渋滞が頻繁に発生することもあって、強引な割り込み、一方通行での逆走、方向指示表示なしの急な車線変更、夜間の無灯火、スピードの出し過ぎなどの荒い運転が横行。交通法規を守らない者も少なくないことから交通事故は年々増加しているそうです。

 実際、2018年1月時点でのアルジェリアの人口は、日本の人口の約3割、約4220万人ですが、2019年の交通事故による死者数は3275人で3215人の日本とほぼ同じ。したがって、単純に人口比で換算すると、交通事故の死者数は日本の3倍という勘定ですから、交通安全キャンペーンの切手も、このくらいどぎついデザインにしないと効果がないということなのでしょう。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内★

 12月6日(月) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。

 武蔵野大学のWeb講座 2021年12月1日~2022年2月8日
 「日本の歴史を学びなおす― 近現代編その1 ― 黒船来航」

 12月1日から2月8日まで、計7.5時間(30分×15回)の講座です、お申し込みなどの詳細は、こちらをご覧ください。

 三鷹市生涯学習センター 「宗教と国際政治」 2022年1月10~23日
 国際紛争や諸外国のタイムリーな重大ニュースを取り上げ、その背後にある「宗教」をめぐる諸問題をじっくり解説する講座です。今回は、混迷続くアフガニスタンとその歴史に焦点を当ててお話します。お申し込みは12月11日(土)までで、ご応募多数の場合は抽選になります。詳細はこちらをご覧ください。


★ 『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.2 戦後編』 11月20日刊行! ★

      切手でたどる郵便創業150年の歴史②表紙 2530円(本体2300円+税)

 明治4年3月1日(1871年4月20日)にわが国の近代郵便が創業され、日本最初の切手が発行されて以来、150年間の歴史を豊富な図版とともにたどる3巻シリーズの第2巻。まずは、1945年の第二次大戦終戦までの時代を扱った第1巻に続き、第二次大戦後の1946年から昭和末の1989年までを扱っています。なお、2022年3月刊行予定の第3巻では平成以降の時代を取り扱う予定です。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 

 ★★ 書籍無料ダウンロードを装った違法サイトにご注意ください!★★

 最近、拙著『切手でたどる郵便創業150年の歴史』をPDF化して、無料でダウンロードできるかのように装い、クレジットカード情報を盗み取ろうとする違法サイトの存在が確認されました。

 この種のサイトは多種多様な出版物を無許可で取り扱っているものと思われます。

 内藤および拙著の出版元・販売元ではこのような行為は一切認めておらず、フィッシング詐欺等に巻き込まれる可能性もありますので十分ご注意ください。

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 ブーテフリカ、5選出馬撤回
2019-03-12 Tue 11:09
 アルジェリアのアブデルアズィーズ・ブーテフリカ大統領(以下、敬称略)は、きのう(11日)、アルジェリア各地での反大統領デモ鎮静化のため、5期目を目指した次期大統領選への出馬撤回を表明しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

     アルジェリア・大統領選挙(2014)

 これは、ブーテフリカが4選を果たした前回、2014年の大統領選挙に際してアルジェリアが発行した切手です。

 ブーテフリカは、1937年、仏領時代のモロッコ・ウジダで生まれました。1956年以降、対仏解放闘争に参加し、1962年のアルジェリア独立と同時に、25歳の若さでベン・ベラ政権の青年・スポーツ・観光相に抜擢。翌1963年には外相に就任しました。

 その後、外相を解任されますが、1965年、盟友のフワーリー・ブーメディエンがクーデターで政権を掌握し、革命評議会議長に就任すると、外相に復帰。その後、通算16年間、外相を務め、1974年には国連総会の議長として南アの国連からの追放とPLOの国連オブザーバー参加を実現しました。

 1978年にブーメディエンが亡くなると、後継者と目されてたものの失脚。しかし、1990年代のイスラム原理主義勢力との内戦終結後の1999年の大統領選挙に与党・民族解放戦線(FLN)の候補者として出馬し、73.8%の得票率で大統領に選出されました。

 大統領就任後は、社会の安定(治安と国民和解)と経済改革(市場経済の導入)を掲げるとともに、G8を始めとする先進諸国との関係改善に取り組み、治安の回復と経済成長で相応の成果を挙げました。

 2008年、憲法の規定で2期5年とされる大統領任期が迫った2008年、長期政権を目指すため、大統領の当選回数制限を撤廃する憲法改正を強行。翌2009年4月9日の大統領選挙では、ブーテフリカ陣営による選挙不正が横行する中、90.24%の得票で再選されます。

 こうした中、2011年、いわゆる“アラブの春”の余波で、アルジェリアでも騒乱が発生。このため、ブーテフリカは、同年2月24日には、1992年以来の非常事態宣言を解除し、同年9月、5月の国民議会選挙を受けた新内閣の首相にアブデルマーレク・セラールを任命しました。

 ブーテフリカは、2013年に発作で倒れて以来、車椅子の生活を続けていますが、それでも、2014年の大統領選挙に出馬して当選し、権力を維持し続けてきました。健康問題から、さすがに今季限りで引退と見られていましたが、昨年(2018年)10月、「昔と同じ体力ではない。健康上の問題は誰もがいずれ直面するものだが、私の気力はそれを上回る」と述べて、今年(2019年)4月の大統領選挙への出馬を表明。多くのアルジェリア国民の顰蹙を買う中で、2月24日、「定期検診のため」としてジュネーブに行ったまま帰国しない状況が続いたことから、国民の不満が爆発し、3月1日、反大統領派のデモ隊と警官隊が衝突、多数が負傷する騒擾事件が発生しました。

 そして、同10日、約2週間ぶりにブーテフリカが帰国した後も、アルジェリア全土でデモが全土で続き、首都アルジェ市内ではストで鉄道やバスの運行がストップし、中心部にある商店の大半が休業するなどの混乱が続いたため、11日、ブーテフリカも出馬断念を表明。4月18日に予定されていた大統領選挙は延期されることになりました。


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      チェ・ゲバラとキューバ革命 表紙カバー 本体3900円+税
 
 【出版元より】
 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。

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 イナメナス事件から1年
2014-01-16 Thu 14:06
 アルジェリア南東部、リビアとの国境に近いイナメナス近郊で、日本人技術者も犠牲になったアルジェリア人質拘束事件が2013年1月16日に発生してから、今日でちょうど1年です。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       イナメナス・油田

 これは、1960年代のイナメナス近郊の油田を取り上げた絵葉書です。

 イナメナスでは、1960年代から、フランスの石油探査局(BRP:Bureau de recherche de pétrole。現トタル)と石油開発会社エルフ・アキテーヌ、オランダのロイヤル・ダッチ・シェルが設立した現地子会社によって油田の開発が始まりました。その後、2006年にはアルジェリアの国有企業であるソナトラック、英国のBP、ノルウェーのスタトイル社が開発を引き継ぎ、アルジェリア最大の液化天然ガスプラントの開発が進められています。その生産量は、2010年の統計で、原油1日5万バレル、天然ガス年間900万立方メートルに及んでいます。

 1962年の独立後、アルジェリアでは、民族解放戦線(FLN:Front de Libération Nationale)の一党独裁による社会主義体制が敷かれていましたが、1970年代末期になると、その矛盾が次第に明らかになります。1979年に発足したシャドリ・ベンジェディド政権は、経済再建を目指して主要国営企業の分割と地方分散化を決定したものの、結果的に非効率的な国営企業が増やすだけに終わり、稼働率は大幅に低下。従業員の給与支払も滞るようになりました。

 さらに、独立時1000万人だった人口は1988年には2220万人にまで膨れ上がったため、失業問題が慢性化し、国民の生活インフラも追い付かない状況の中で、1985年になると、アルジェリアの主要輸出品である原油と天然ガスの価格が下落。アルジェリア経済は急速に悪化し、デフォルトに陥ります。これに対して、シャドリ政権は輸入抑制政策で対応しようとしたため、輸入に頼っていた食糧の供給が大幅に不足し、国民生活は悪化しました。

 こうしたことから、長年の一党独裁に対する国民の不満が爆発。1988年10月、自然発生的に大規模な食糧暴動が発生し、2万人のデモが軍と衝突し数十人が亡くなります。これに対して、シャドリ政権は戒厳令を施行する一方、市民による政治改革・民主化要求に対して、党機構改革と集会・結社の自由、言論の自由を保証する憲法改正を決定。この憲法改正案は、1989年2月の国民投票によって採択されました。

 憲法改正後の1990年6月、独立後初めて行われた地方選挙で、独立以来一党支配体制を敷いてきたFLNが惨敗し、イスラム原理主義運動を母体とするイスラム救国戦線(FIS:Front Islamique du Salut)が圧勝。さらに、翌1991年12月の国民議会選挙でも、FLNが惨敗し、FISが圧勝しましたが、軍部は、イスラム原理主義政権の樹立を防ぐため、1992年1月にシャドリ大統領を辞任に追い込むとともに、新設した国家安全最高評議会(HCE:Haute Comité d'Etat)へ統治権限を移行したうえで、行政命令によりFISを非合法化します。この結果、HCEに反発するイスラム原理主義過激派のテロが活発化し、アルジェリアは内戦状態に突入しました。

 その後、軍部の主導により、1996年に国民投票が行われ、宗教に基づく政党を禁止する憲法改正が行われたのを受けて、1999年4月、大統領選挙が行われ、34年ぶりの文民大統領として、元外相のアブデルアジズ・ブーテフリカが当選。ブーテフリカは、内戦を収束させるべく、イスラム過激派との対話を進め、1999年9月、国民投票により、イスラム過激派に恩赦を与える「国民和解法」を成立させました。そして、国民和解法の成立後の2000年1月、FISの軍事部門であるイスラム救国軍(AIS:L'Armée islamique du salut)が大統領による恩赦を受けて解散し、ようやく、アルジェリアの内戦も終結しました。10年間の内戦による犠牲者は、少なく見積もっても4万4000人、最大で20万人ともいわれています。

 その後も、“恩赦”と拒否する武装集団はアルジェリア北部のカビリ地方で“宣教と戦闘のためのサラフィー主義集団(GSPC)”を結成し、アルジェリア政府の転覆を目指したテロ活動を継続。後に、GSPCはアル・カーイダとの関係を深め、2007年に“イスラム・マグリブ諸国のアル・カーイダ機構(AQIM)”へと改組され、現在にいたっています。

 人質事件を起こした“イスラム聖戦士血盟団”は、このAQIMから分派して誕生した組織で、リーダーのモフタール・ベルモフタールは1972年、アルジェリア中部のガルダイア生まれ。アフガニスタン内戦に義勇兵として参加し、帰国した後、GSPCには設立時から参加していましたが、2007年頃から、アルジェリア国内のみならず、マリ、ニジェールなどを中心に身代金目的の外国人誘拐事件や、南米から欧州へ流入する武器・麻薬の密輸などを行っていました。2011年4月にはマリ北部のガオでアルジェリアの外交官7人を誘拐したほか、7月にはアルジェリア警察施設を襲撃しており、アルジェリアの裁判所から欠席裁判で死刑判決を受けています。

 イナメナスでの人質事件に際して、モフタールは、公式には、人質の安全と引き換えに、マリに軍事介入したフランスの作戦を停止するよう要求するとともに、「われわれの要求が受け入れられなければ、それはアルジェリア政府やフランス政府、そして人質が属する国々の責任であり、マリにいるわれわれの同志に対する残酷な攻撃を止めるかどうかは彼ら次第だ」と主張していました。しかし、人質事件が用意周到な準備の上に実行に移されたことは誰の目にも明らかで、事件数日前のフランスによるマリへの軍事介入が直接の動機となったというのは無理があります。おそらく、これまで彼が起こしてきた誘拐事件同様、身代金を奪うことが主たる目的で、フランス軍の撤退要求は方便として付け加えられただけと考えるのが妥当でしょう。

 いずれにせよ、アルジェリア政府・軍としては、隣接するマリ北部がイスラム武装勢力の実効支配下に置かれている状況下で“テロリスト”が国境を越えてアルジェリア国内で跋扈するようなことになれば、1990年代の内戦の悪夢が再現されるのではないかと重大な懸念を持っていたことは間違いありません。

 このため、アルジェリア軍は犯人グループが人質を連れてマリ北部へ逃げ込むことを阻止することを最優先とし、事件発生翌日の1月17日、作戦行動を開始。ヘリコプターで空爆するなどの攻撃を行った後、特殊部隊が突入して現場を制圧しました。

 アルジェリア政府の発表によれば、この戦闘で685人のアルジェリア人労働者、107人の外国人が解放された一方、日本人10人を含む37人の人質と、29人の武装勢力が死亡したといわれています。このうち、現地で亡くなった日本人は、いずれも、化学プラントの建造に実績のある日揮の関係者で、現地での人望も厚く、多くの人々がその死を悼んだことは記憶に新しいところです。

 ちなみに、事件の首謀者、モフタールはアルジェリア軍の攻撃を逃れてマリ北部に潜伏していましたが、2013年3月2日、チャド軍によって発見され、殺害されています。
 
 なお、このあたりの事情については、拙著『マリ近現代史』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 展示イベントのご案内 ★★★

 第5回テーマティク出品者の会 1月17-19日(金ー日)
 於・切手の博物館(東京・目白)

 テーマティク出品者の会は、テーマティクならびにオープン・クラスでの競争展への出品を目指す収集家の集まりで、毎年、全国規模の切手展が開催される際には作品の合評会を行うほか、年に1度、切手展出品のリハーサルないしは活動成果の報告を兼ねて会としての切手展を開催しています。僕も、昨年のバンコク展に出品した朝鮮戦争のコレクションを展示します。入場は無料ですので、ぜひ、遊びに来てください。(詳細はこちらをご覧ください)


 ★★★ トーク・イベントのご案内 ★★★

 2014年1月2日より、東京・両国の江戸東京博物館で大浮世絵展がスタートしますが、会期中の1月24日13:30より、博物館内にて「切手と浮世絵」と題するトーク・イベントをやります。

 参加費用は展覧会の入場料込で2100円で、お申し込みは、よみうりカルチャー荻窪(電話03-3392-8891)までお願いいたします。展覧会では、切手になった浮世絵の実物も多数展示されていますので、ぜひ遊びに来てください。

 なお、下の画像は、展覧会と僕のトーク・イベントについての2013年12月24日付『讀賣新聞』の記事です。

大浮世絵展・紹介記事


 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は2月4日(原則第1火曜日)で、ついで、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

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 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


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 ムジャーヒディーンさまざま
2013-03-03 Sun 22:41
 チャド政府は、きのう(2日)、マリ北部に展開する同国軍が、1月にアルジェリアの天然ガス関連施設で38人が死亡する人質事件を起こしたイスラム武装勢力のモフタール・ベルモフタール司令官を殺害したと発表しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        アルジェリア・ムジャーヒドの日

 これは、1966年にアルジェリアが発行した“ムジャーヒドの日”の寄附金つき切手です。ここでいうムジャーヒドはアルジェリア独立戦争で命を落とした烈士というような意味となりましょうか。

 ムジャーヒド(複数形のムジャーヒディーンの方が一般的でしょうか)とは、本来は“ジハードを行う者”というアラビア語ですが、もともと、“ジハード”とは“努力”という意味で、必ずしも宗教的な意味に限定されているわけではありません。経済的発展を目指す努力、女性解放のための闘争など、イスラムとは全く無関係の文脈でも、ジハードという語が使われることもあるわけで、今回ご紹介の切手はそうした用例のひとつ、独立のための努力ないしは奮闘ということになります。

 一方、宗教的な概念としてのジハードは「ムスリム(イスラム教徒)として神の道において努力すること」を意味しています。したがって、ムスリムとして己を厳しく律して生活することや、コーランを熱心に勉強すること、イスラムの教えを多くの人に広めようとすることなど、いずれも“ジハード”なわけで、異教徒による侵略からイスラムの共同体を防衛することは、ジハードという概念のごく一部にすぎません。したがって、ジハードという語が出てきたからといって、なんでもかんでも“聖戦”と訳すのは不適切です。

 ただし、19世紀以降、イスラム世界の大半が列強諸国によって植民地化されていく中で、イスラム世界の独立闘争の中には“聖戦”という意味でジハードを旗印に掲げる勢力もありましたし、アフガニスタンの地でソ連とその傀儡である左翼政権に対する抵抗運動がジハードと呼ばれ、そこに参加する義勇兵がムジャーヒディーンと呼ばれたことなどから、現在の国際政治の文脈では、ジハードの意味は、ムスリムによる武装闘争(その中には、しばしば“テロ”とみなされるものも含まれています)とほぼ同義でとらえられているように見受けられます。

 今回、チャド政府によって殺害されたモフタール・ベルモフタールは、1991年、ソ連軍撤退後のアフガニスタンに遅れてきたムジャーヒディーンとして内戦に参加した後、アルジェリアに帰国して“武装イスラム集団(GIA)”に参加して反政府闘争を展開してきました。その後、アルカーイダとの関係を深め、“イスラム・マグリブ諸国のアル=カーイダ機構(AQIM)”の指導者の一人となり、2012年12月、組織内の対立からAQIMを離脱し、みずからの組織として“(イスラム)血盟団”を結成。今年に入って人質事件を起こしたという人物です。

 彼自身は、自分のことを“ジハードを行う者”としてのムジャーヒディーンと認識していたのでしょうが、今回ご紹介の切手に取り上げられているムジャーヒディーンたちは、社会主義政権下の切手に取り上げられているくらいですから、おそらく完全な世俗主義者で、ベルモフタールとは水と油の関係ということになります。あらためて、一口に“ジハード”といっても、その中身はまさに千差万別であることの好例と言ってよいでしょう。


 【世界切手展BRASILIANA 2013・出品募集期間延長!】

 今年11月、ブラジル・リオデジャネイロで世界切手展 <BRASILIANA 2013> が開催される予定です。当初、現地事務局への出品申し込みは2月28日〆切(必着)でしたが、〆切日が3月31日まで延長されました。つきましては、2月14日に締め切った国内での出品申し込みを再開します。出品ご希望の方は、3月20日(必着)で、日本コミッショナー(内藤)まで、書類をお送りください。なお、同展の詳細はこちらをご覧ください。


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 アルジェリア人民国軍の切手
2013-01-18 Fri 10:07
 イスラム武装勢力によるアルジェリアのガス施設での人質拘束事件で、きのう(17日)、アルジェリア国軍が救出作戦を敢行。すくなくとも、犯人グループの少なくとも15人と日本人2人を含む人質35人が死亡したと伝えられています。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        アルジェリア国軍

 これは、2009年にアルジェリアで発行されたアルジェリア国軍(ANP:アルジェリア人民国軍)の切手です。

 アルジェリアの国軍は、独立戦争時のアルジェリア民族解放戦線(FLN)の軍事部門だった国民解放軍(ALN)が国軍として再編成されたもので、陸海空の三軍と防空軍、ジャンダルメ(軍警察)によって構成されています。かつては社会主義政権だったこともありソ連製の兵器が主として用いられていましたが、近年は中国からの兵器購入が主流となっています。

 さて、1962年の独立後、アルジェリアでは、民族解放戦線(FLN)の一党独裁による社会主義体制が敷かれていましたが、1970年代末期になると、その矛盾が次第に明らかになってきました。1979年に発足したシャドリ政権は、経済再建を目指して主要国営企業の分割と地方分散化を決定したものの、結果的に非効率的な国営企業が増やすだけに終わり、稼働率は大幅に低下。従業員の給与支払も滞るようになります。

 さらに、独立時1000万人だった人口は1988年には2220万人にまで膨れ上がったため、失業問題が慢性化し、国民の生活インフラも追い付かない状況の中で、1985年になると、アルジェリアの主要輸出品である原油と天然ガスの価格が下落。アルジェリア経済は急速に悪化し、デフォルトに陥りましたが、これに対して、シャドリ政権は輸入抑制政策で対応しようとしたため、輸入に頼っていた食糧の供給が大幅に不足するようになり、国民生活は悪化しました。

 こうしたことから、長年の一党独裁に対する国民の不満が爆発。1988年10月、自然発生的に大規模な食糧暴動が発生し、2万人のデモが軍と衝突し数十人の死者を発生します。これに対して、シャドリ政権は戒厳令を施行する一方、市民による政治改革・民主化要求に対して、党機構改革と集会・結社の自由、言論の自由を保証する憲法改正を決定。この憲法改正案は、1989年2月の国民投票によって採択されました。

 憲法改正後の1990年6月、独立後初めて行われた地方選挙で、独立以来一党支配体制を敷いてきたFLNが惨敗し、イスラム原理主義運動を母体とするイスラム救国戦線(FIS)が圧勝。さらに、翌1991年12月の国民議会選挙でも、FLNが惨敗し、FISが圧勝しましたが、軍部は、イスラム原理主義政権の樹立を防ぐため、1992年1月にシャドリ大統領を辞任に追い込むとともに、新設した国家安全最高評議会(HCE)へ統治権限を移行したうえで、行政命令によりFISを非合法化しました。この結果、HCEに反発するイスラム原理主義過激派のテロが活発化し、アルジェリアは内戦状態に突入します。

 その後、軍部の主導により、1996年に国民投票が行われ、宗教に基づく政党を禁止する憲法改正が行われます。これを受けて、1999年4月、大統領選挙が行われ、34年ぶりの文民大統領として、元外相のブーテフリカが当選。ブーテフリカは、内戦を収束させるべく、イスラム過激派との対話を進め、1999年9月、国民投票により、イスラム過激派に恩赦を与える「国民和解法」を成立させました。同法成立後の2000年1月、FISの軍事部門であるイスラム救国軍(AIS)が大統領による恩赦を受けて解散し、ようやく、アルジェリアの内戦も終結することになりました。

 こうした歴史的な背景があることから、アルジェリア政府・軍としては、隣接するマリ北部がイスラム武装勢力の実効支配下に置かれている状況下で“テロリスト”が国境を越えてアルジェリア国内で跋扈するようなことになれば、1990年代の内戦の悪夢が再現されるのではないかと重大な懸念を持っているものと思われます。隣国アフガニスタンでのタリバン政権を暗に支援してきた結果、パキスタン国内でイスラム原理主義系のテロが横行するようになったという、その二の舞だけは絶対に避けたいうのが偽らざるところでしょう。

 いずれにせよ、今回のアルジェリア軍の救出作戦については、人質の外国人に少なからず犠牲者が出たこともあって、拙速との批判が出ることは必至です。ただし、マリ北部を第2のアフガニスタンにはしないという基本線は、マリに軍部隊を派遣したフランス、さらには欧州諸国とも認識を共有しているわけで、今後の状況の推移から目が離せませんな。

 *本日未明、カウンターが116万PVを越えました。いつも閲覧していただいている皆様には、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。


 ★★★ テレビ出演のご案内:明日です! ★★★

 テレビ朝日 2013年1月19日(土) 18:30~ 「雑学家族」

 今回は「郵便」の特集で、内藤がゲスト出演して“切手の面白さ”をウンチクとともにお話します。ご視聴可能な地域の皆様は、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。なお、放送番組の常として、大事故・大事件など突発的な事情により、番組の内容・放送時間等が変更になる可能性もありますが、予めご了承ください。(番組HPはこちらです)


 ★★★★ 第1回ヨーロッパ切手展のご案内:明日からです!! ★★★★

         ヨーロッパ切手展

 今月19・20日(土・日)の両日、東京・目白駅の切手の博物館にて「第一回ヨーロッパ切手展」が開催されます。今回のお題は“黒海”で、内藤も、北カフカース(コーカサス)を題材としたミニ・コレクションを展示します。競争展ではないので、テーマティクないしは郵便史の作品としてルールに沿ってきっちりまとめたものというよりも、北カフカースに関するマテリアルをいろいろとご紹介するという気楽な内容です。僕以外のコレクションはかなり見ごたえのある内容になっておりますので、よろしかったら、ぜひ遊びに来ていただけると幸いです。


 【世界切手展BRASILIANA 2013のご案内】

 僕が日本コミッショナーを仰せつかっている世界切手展 <BRASILIANA 2013> の作品募集要項が発表になりました。国内での応募受付は2月1―14日(必着)です。詳細はこちらをご覧ください。


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 アルジェリア独立50年
2012-07-05 Thu 09:10
 1962年7月5日にアルジェリアが独立を達成してから、きょうでちょうど50年です。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       アルジェリア孤児救済募金

 これは、1962年、独立直後のアルジェリアで発行された独立戦争の戦災孤児救済のための寄付金つき切手です。

 第二次大戦中の1940年6月、フランス本国がドイツに降伏するとアルジェリアは親独ヴィシー政府の支配下に入りますが、1942年11月に連合国が上陸。1943年6月にはドゴールの自由フランス政府がアルジェに本拠を構えました。

 これに対して、アラブ系およびベルベル系の住民は戦争協力の代償として戦後の自治・独立を要求しましたが、既得権の維持をはかろうとするフランス人入植者は抵抗を続けていました。こうした状況の下で、1954年7月、ジュネーヴ協定で曲がりなりにもインドシナ諸国の独立が認められると、これに刺激を受けたアルジェリアでも同年10月、それまでの独立運動を統合するかたちでアルジェリア民族解放戦線(FLN)が結成され、翌11月、独立戦争が勃発しました。

 独立運動を力ずくで弾圧しようとするフランス側に対して、FLNはアルジェを中心とした都市でのゲリラ戦術で抵抗し、戦争は7年半にも及びましたが、1962年3月18日、FLNとフランス政府との間でエヴィアン協定が結ばれ、同年7月の国民投票を経て、アルジェリア民主人民共和国の独立が達成されました。

 7月5日の独立を受けて、各地の郵便局ではフランス時代の切手に“アルジェリア国(Etat Algerien)”を意味する“E.A”の文字を加刷し、“フランス共和国”の文字を抹消した切手が使用されるようになりました。こうした暫定加刷切手と並行して発行されたのが、今回ご紹介の寄付金つき切手です。切手は、アルジェリアの地図と国旗をデザインしたもので、アルジェリア民主人民共和国を意味する国名表示がアラビア語で入っています。ちなみに、独立後の最初の正刷切手の発行は、1962年11月1日のことで、これを機に、暫定加刷切手の使用も停止されました。

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 メッカの方角、違ってた
2012-05-23 Wed 18:44
 トルコ北西部テキルダー県の村で30年以上前に建てられたモスクで、昨年、本来は聖地メッカに向かってしなければならない礼拝が約60度ずれた方角に対して長年行われてきたことが判明。このため、モスクは建て直しとなり、このほど、正しい方角に向けて作り直した新しい建物が完成したそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されました)

        ミフラーブ(アルジェリア)

 これは、1970年にアルジェリアで発行された切手で、シディ・ウクバ・モスクのミフラーブが取り上げられています。
 
 シディ・ウクバ・モスクは、西暦663年から670年にかけて、リビアからチュニジアにかけての北アフリカを征服したウマイヤ朝の将軍、ウクバ・イブン・ナーフィーにちなんで建てられたモスクで、北アフリカ各地にあります。同名のモスクのうち、もっとも有名なのは、ウクバが軍営を置いたチュニジアのカイラワーンの大モスクです。 

 さて、切手の題材に取り上げられたミフラーブというのは、礼拝の方向、すなわち、メッカの方向を示すために壁につけられた窪み(壁龕)のことで、原則として、ほぼすべてのモスクに設けられています。ただ単に壁に窪みを作るだけでなく、その部分の天井からランタンのような装飾をつるしたりするケースもありますが、いずれにせよ、その前で導師が説教を行い、信徒はミフラーブの方を向いて礼拝を行っています。

 今回、問題になったトルコのモスクでは、このミフラーブがメッカの方角からずれていたことに昨年まで誰も気づかなかったため、地元の信徒たちは関係ない方に向かって礼拝を続けていたことになるわけですが、どういうきっかけでわかったんでしょうかねぇ。

 いずれにせよ、世界各国には膨大な数のモスクがありますので、中には、設計ないしは測量ミスでミフラーブがおかしな方向を向いているモスクというのもいくつかあるんじゃないかと思います。だったら、この際だから、きっちり調べてみようという話にはならないんでしょうかねぇ。

 まぁ、礼拝の方向が違っていたからといって、直ちに、生命財産に危険が及ぶということはないわけで、その意味では、あまり深く突っ込まない方がいいのかもしれません。もっとも、それを“知らぬが仏”といったりしたら、ムスリムの人たちには別の意味で怒られそうですけれど。

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 国民投票法施行
2010-05-18 Tue 12:06
 憲法改正の手続きを定めた国民投票法が、きょう(18日)付で施行となりました。というわけで、国民投票がらみの1枚です。(画像はクリックで確認されます)

      アルジェリア・国民投票

 これは、1999年9月、アルジェリアで発行された国民投票の記念切手です。

 1962年の独立後、アルジェリアでは、民族解放戦線(FLN)の一党独裁による社会主義体制が敷かれていましたが、1970年代末期になると、その矛盾が次第に明らかになってきました。1979年に発足したシャドリ政権は、経済再建を目指して主要国営企業の分割と地方分散化を決定したものの、結果的に非効率的な国営企業が増やすだけに終わり、稼働率は大幅に低下。従業員の給与支払も滞るようになります。

 さらに、独立時1000万人だった人口は1988年には2220万人にまで膨れ上がったため、失業問題が慢性化し、国民の生活インフラも追い付かない状況の中で、1985年になると、アルジェリアの主要輸出品である原油と天然ガスの価格が下落。アルジェリア経済は急速に悪化し、デフォルトに陥りましたが、これに対して、シャドリ政権は輸入抑制政策で対応しようとしたため、輸入に頼っていた食糧の供給が大幅に不足するようになり、国民生活は悪化しました。

 こうしたことから、長年の一党独裁に対する国民の不満が爆発。1988年10月、自然発生的に大規模な食糧暴動が発生し、2万人のデモが軍と衝突し数十人の死者を発生します。これに対して、シャドリ政権は戒厳令を施行する一方、市民による政治改革・民主化要求に対して、党機構改革と集会・結社の自由、言論の自由を保証する憲法改正を決定。この憲法改正案は、1989年2月の国民投票によって採択されました。

 憲法改正後の1990年6月、独立後初めて行われた地方選挙で、独立以来一党支配体制を敷いてきたFLNが惨敗し、イスラム原理主義運動を母体とするイスラム救国戦線(FIS)が圧勝。さらに、翌1991年12月の国民議会選挙でも、FLNが惨敗し、FISが圧勝しましたが、軍部は、イスラム原理主義政権の樹立を防ぐため、1992年1月にシャドリ大統領を辞任に追い込むとともに、新設した国家安全最高評議会(HCE)へ統治権限を移行したうえで、行政命令によりFISを非合法化しました。この結果、HCEに反発するイスラム原理主義過激派のテロが活発化し、アルジェリアは内戦状態に突入します。

 その後、軍部の主導により、1996年に国民投票が行われ、宗教に基づく政党を禁止する憲法改正が行われます。これを受けて、1999年4月、大統領選挙が行われ、34年ぶりの文民大統領として、元外相のブーテフリカが当選。ブーテフリカは、内戦を収束させるべく、イスラム過激派との対話を進め、1999年9月、国民投票により、イスラム過激派に恩赦を与える「国民和解法」を成立させました。今回ご紹介の切手は、このときの国民投票を記念して発行されたものです。そして、国民和解法の成立後の2000年1月、FISの軍事部門であるイスラム救国軍(AIS)が大統領による恩赦を受けて解散し、ようやく、アルジェリアの内戦も終結することになりました。

 さて、わが国でも今回の国民投票法の施行により、ようやく、衆院では議員100人以上、参院では同50人以上の賛成で憲法改正原案の国会提出が可能となりました。まぁ、原案を審査する衆参両院の憲法審査会は委員が選任されない状態が続いており、現状で原案が提出されてもたなざらしの状態となりそうですが…。

 憲法改正といえば、なによりもまず、9条が問題となることでしょう。最近問題になっている沖縄の普天間問題にしても、結局のところは、憲法9条の制約により、わが国が自ら祖国を防衛するだけの軍事力を保持できないがゆえに、日米同盟に頼らざるを得ないことが根本の原因なわけですから、早急に憲法を改正して戦闘能力のある国軍を組織し、沖縄をはじめとする南西諸島の防衛を自ら固めることによって、米軍にはお引き取りをいただくというのが、ベストな解決方法であることはいうまでもありません。その意味では、沖縄からこそ、憲法9条を改正すべしという議論が出てきてもよさそうなものなのですが、そうならないのが不思議な話です。

 このほかにも、施行から60年を経てば、憲法と現実のズレが大きくなってくるのは当然で、改正すべき点は多々あるわけですが、アルジェリアに倣って、信教の自由の部分に“宗教に基づく政党の禁止”という条項を新たに加えるというのも、個人的には悪くはないと思いますねぇ。

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 アルジェリアとフランス
2006-07-13 Thu 23:51
 相変わらず、メディアはジダン選手のニュースで持ちきりですが、アルジェリア系フランス人という彼のバックグラウンドを聞いていて、ふと、こんなモノが手元にあったことを思い出しました。(画像はクリックで拡大されます)

アルジェ発のスタンプレスカバー

 これは、フランス時代植民地時代の初期にあたる1837年1月にアルジェからスイス宛に差し出されたカバー(封筒)です。イギリスが世界最初の切手を発行したのが1840年、フランス最初の切手が発行されたのが1849年のことですから、当然、切手は貼られていませんが、封筒に押されているスタンプには、アルジェがアフリカにおけるフランスの領土であることを示す表示が入っています。

 オスマン帝国の宗主権下におかれていたアルジェリアですが、1827年、フランスの革命の最中にアルジェリアからフランスに輸出された小麦の代金の決裁をめぐって、地方君主のデイ・フサインとフランスの間で対立が生じると、1830年、フランスは上陸作戦を敢行してアルジェほかの諸都市を占領。フランス人の移住や土地取得などを進めて、1834年、アルジェリアをフランス領に併合してしまいます。今回ご紹介しているカバーは、それから3年後に差し出されたものということになります。

 その後、アルジェリアでは、1870年までフランス陸軍省の管轄下で軍政が施行されていましたが、これに対して、現地では早くから抵抗運動が展開されていました。特に、1832年から1847年まで展開されたアブドゥルカーディルの反乱は大規模なもので、征服戦争を進めるフランス側は多くの死傷者を出しています。このため、兵力の不足を補う目的で導入されたのが、いわゆる“外人部隊”です。

 その後も、外人部隊はアルジェリアに駐屯することが多く、19世紀から20世紀前半にかけて、フランスが大規模な戦争を起こすたびに、アルジェ港は出征する外人部隊で溢れかえるという光景が見られるようになりました。

 第二次大戦中の1940年6月、フランス本国がドイツに降伏するとアルジェリアは親独ヴィシー政府の支配下に入りますが、1942年11月に連合国が上陸。1943年6月にはドゴールの自由フランス政府がアルジェに本拠を構えます。

 これに対して、アラブ系およびベルベル系の住民は戦争協力の代償として戦後の自治・独立を要求しましたが、既得権の維持をはかろうとするフランス人入植者の抵抗により、政治改革は進まず、1954年11月、ついに独立戦争が勃発。独立運動を力ずくで弾圧しようとするフランス側に対して、独立運動の主体となった民族解放戦線(FLN)はアルジェを中心とした都市でのゲリラ戦術で抵抗し、7年半にも及ぶ独立戦争の末、1962年7月、アルジェリアはようやく独立を回復するのです。

 このような歴史的な背景の下に、アルジェリアからフランスに渡ってきた人たちは、アルジェリア出身であることの誇りを維持しながらも、フランス国籍を取得し、“フランス人”としてフランス社会に溶け込もうと努力してきたということは誰もが否定できないことでしょう。

 明日(7月14日)はフランスの革命記念日です。“自由・平等・博愛”のフランスの国是は建前でしかなく、実際には移民に対する差別が厳然と存在するのが現実ですが、それでも、サッカーのジダン選手が“黒人、白人、アラブ人のフランス”を象徴する存在として、フランス社会の尊敬を集めていたことは事実だろうと思います。今日のカバーは、そんなことを考えながら引っ張り出してみましたという次第です。
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