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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 <MACAO 2018>終了
2018-09-25 Tue 01:13
 早いもので、9月21日からマカオ・コタイ地区のマカオのザ・ヴェネティアン・マカオ会議展覧会センター(澳門威尼斯人會議展覧中心)で開催されていたアジア国際切手展<MACAO 2018>は、きのう(24日)16:00、無事にすべての日程を終了し、日本からの出品作品の撤去作業も完了しました。きょうは、早朝のフェリーでマカオを出国し、往路とは逆に、香港経由で成田に向かいます。というわけで、無事の帰国を願って、マカオから香港宛の郵便物の中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      マカオ・バイセクト葉書

 これは、1911年4月20日、マカオから香港宛の葉書で、ポルトガル国王カルロスの肖像切手を描く4アヴォス切手を半裁して2アヴォス切手とした使用例になっています。

 1910年10月1日、ポルトガル本国では、ブラジル大統領の来訪がきっかけとなって、共和主義者による大規模なデモが発生。これに呼応して、テージョ川河口に停泊する軍艦の反乱が起こると、同3日、軍部は反乱の鎮圧を拒否し、リスボン周辺を占拠しました。さらに、4日、軍艦が王宮への砲撃を開始たため、国王マヌエル2世と王族は英国へ亡命し、5日、共和国臨時政府が発足しました。

 いわゆる10月5日革命です。

 革命によって王制が打倒されたことを受けて、10月21日、革命政府は王制時代の切手に“REPUBLICA(共和国)”と加刷したものを発行することを決定。しかし、革命後の混乱もあって加刷切手の製造には時間がかかり、リスボンで製造された加刷切手がマカオに到着したのは翌1911年9月のことでした。

 この間、ポルトガル本国からの切手の供給が途絶え、一部の額面の切手の在庫が底をつき始めたため、4アヴォスおよび10アヴォスの切手を半裁して2アヴォスおよび5アヴォスの切手として流通させることが行われました。今回ご紹介の葉書はその1例です。なお、加刷切手の到着後も、王制時代の切手は有効であったため、王制時代の切手と共和国加刷の切手が同時に貼られた郵便物も存在しています。なお、このあたりの事情につきましては、機会がありましたら、拙著『マカオ紀行』もご覧いただけると幸いです。

 さて、今回の切手展では、コミッショナーの山崎文雄さんご夫妻、審査員の井上和幸さんご夫妻ならびに大原敏正さんご一家、同アプレンティスの榎沢祐一さんをはじめ、出品者の池田健三郎さん、石澤司さん、伊藤純英さん、大場光博さん、北村定従さん、吉田敬さん、和田文明さん、ブース出展の冨田信太郎さん、山本誠之さん、JPSの落合宙一さんをはじめ、多くの方々にいろいろとお世話になりました。おかげさまで、いろいろと実りの多い滞在となりました。その成果につきましては、追々、皆様にもご報告して参りますが、まずは、現地滞在中、お世話になった全ての方々に、この場をお借りしてお礼申し上げます。

 なお、成田到着は日本時間の20時過ぎの予定です。内藤の不在によりご不便・ご迷惑をおかけしている皆様におかれましては、今しばらくお待ちくださいますよう、伏してお願い申し上げます。
 

★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 

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 澳門特別行政区15年
2014-12-20 Sat 16:17
 1999年12月20日にマカオが中国に“返還”され、中華人民共和国・澳門特別行政区が成立してから、きょうでちょうど15年です。というわけで、きょうはこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      澳門・関門(不発行)

 これは、ポルトガル領時代のマカオで発行された“關閘”(中国本土とマカオとの境界を示す関門)の1パタカ切手のうち、不発行に終わった青色の切手です。1948年からマカオで使われていた“風景シリーズ”の1パタカ切手は關閘を図案としていますが、1948年の第1次切手が緑色、1950-51年の第2次切手が茶色で、今回ご紹介の青色のモノは(理由はわかりませんが)実際には発行されませんでした。

 さて、中国=マカオの境界に最初の關閘が建てられたのは1574年のことです。当時の關閘は中国式の3階建てで、現在の場所よりも500メートルほど南側にありました。

 アヘン戦争以前、關閘の北側はポルトガル人の手が出せない場所であり、ここをポルトガル人が通過するためには清朝の許可が必要でした。また、ポルトガル人の奴隷となっていた中国人は、關閘を越えると自由の身になれたといわれています。

 しかし、アヘン戦争によって清朝の弱体化が明らかになると、1845年にポルトガルはマカオが自由港であると宣言。マカオに駐留していた清朝の海関職員を追放して海関を閉鎖し、1849年には清朝に対するマカオの地代支払いを停止するとともに、それまで清朝が管理していた關閘を占領しました。

 その後、1887年、ポルトガルはマカオの正式な領有を清朝に認めさせますが、それに先立ち、1867年に關閘は現在に位置に移動させられ、1871年に凱旋門を意識した現在の門に建て替えられました。現在、中国=マカオの境界でパスポートコントロールを行うための關閘邉検大楼は、この關閘を保存したままで、その背後に2004年1月15日に建てられたものです。

 現在、マカオは中国の“特別行政区”となり、中国=マカオの境界は“国境”ではなくなりましたが、50年間はポルトガル時代の制度が維持されるため、現在でも、關閘を越えたところにパスポート・コントロールがあります。中国語では出入国のことを出入境といいますが、たしかに中国=マカオの境界をまたぐような場合は、出入境といったほうがしっくりきますな。

 なお、マカオとその近現代史については、拙著『マカオ紀行』でも詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ インターネット放送出演のご案内 ★★★

      チャンネルくらら写真

 毎週水曜日、インターネット放送・チャンネルくららにて、内藤がレギュラー出演する番組「切手で辿る韓国現代史」が配信されています。青字をクリックし、番組を選択していただくとYoutube にて無料でご覧になれますので、よろしかったら、ぜひ、ご覧ください。(画像は収録風景で、右側に座っているのが主宰者の倉山満さんです)

 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 毎月1回(原則第1火曜日:1月6日、2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 次回開催は1月6日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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 時の記念日
2011-06-10 Fri 10:04
 きょう(10日)は時の記念日です。というわけで、時計のある風景を描いた、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        マカオ中郵      マカオ中郵(夜景)

 左は、1948年にマカオで発行された3パタカ切手で、セナド広場の中央郵便局局舎が描かれています。屋根の塔の部分に掲げられている大時計は、切手ではわかりにくいのですが、右の夜景の写真では丸くライトアップされている部分です。

 もともと、マカオの中央郵便局(郵政總局)はマカオ半島東の旧海岸道路・南灣大馬路沿いにありましたが、1918年に新馬路が開かれ、こちらがメインストリートとなると、1929年、民政総署前に3階建ての新局舎(現在の局舎)が建てられました。

 局舎は現在なお現役で、1階では過去の記念切手や切手のカタログ、関連書籍(残念ながら、拙著は置いてありません。まぁ、当然ですが…笑)なども販売しているほか、記念スタンプも押せます。マカオの街歩きに疲れたら、冷房の利いた局内で涼みながら、お土産用の切手を買ったりして過ごすのも悪くはないでしょう。

 さて、拙著『マカオ紀行』は、切手や絵葉書と実際の風景を見比べながら、マカオの歴史散歩をお楽しみいただける構成になっております。この夏、マカオの街歩きをお考えの方は、ぜひとも、旅のお供に連れて行っていただけると幸いです。 


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 taxa
2011-03-15 Tue 22:27
 【無錫アジア展のご案内】
 僕が日本コミッショナーを仰せつかっているアジア国際切手展 <China 2011> の作品募集要項が発表になりました。くわしくはこちらをご覧ください。(明日以降、このご案内は記事の末尾に掲載します)

 *****

 ところで、所得税の確定申告は今日まででしたが、皆さんは無事に済まされましたか?手回し良く2月中に済ましたという方も多いのでしょうが、僕は今年もまた〆切ギリギリの提出で(地震のせいでもなんでもなくて、ただ単に怠惰なだけです)、ようやくホッと一息ついたというところです。というわけで、今日は毎年恒例の“tax”ネタです。(画像はクリックで拡大されます)

        マカオ・戦時税切手

 これは、1919年8月11日にマカオで発行された戦時税加刷切手です。

 第一次大戦中、ポルトガルは英仏とともにドイツと戦い、戦勝国になりました。マカオでも1916年7月26日から1919年7月31日まで、郵便物の検閲が行われるなどの影響がありましたが、戦後の1919年8月11日から1920年2月10日までの6ヶ月間は、戦後復興のために、郵便物に対して“戦時税”を課すことになりました。今回ご紹介の切手は、その“戦時税”を徴収するため郵便物に強制的に貼付させる目的で、印紙に“戦時税(TAXA DE GUERRA)”と加刷して発行されたものです。

 今年の申告では、拙著『マカオ紀行』の元になった雑誌『キュリオマガジン』の原稿料も対象になっていますので(『マカオ紀行』そのものの印税が振り込まれたのは年明けのことでしたが…)、今回はマカオの切手を持ってきてみました。来年の確定申告の日にも、2011年の仕事に絡めた“tax"ネタの切手を持ってくるつもりです。

 さて、諸外国では、今回ご紹介の切手のように、一定期間、臨時税なり寄付金なりを徴収するために郵便物に強制的に貼付させる切手が発行される例は数多くあります。日本でも、今回のような未曾有の事態に際しては、郵便を使うことで自動的に被災地に寄付ができるような仕組みの一つとして、一種の強制貼付切手のようなものを発行し、利用者に負担してもらうということがあってもよいのではないでしょうか。価格競争という点では他の物流会社に負けたとしても、郵便を使うことが社会貢献になるということであれば、そちらを選ぶという利用者も決して少なくないと思うのですが…。

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 カリカット到着
2011-02-13 Sun 23:28
 きのう(12日)から世界切手展<INDIPEX 2011>が始まり、僕の作品もとりあえず展示されていることが確認できましたので、きょう(13日)はデリーを抜け出し、南インドのケララ州のカリカット(コージコーデ)にやってきました。というわけで、この切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        ガマ400年(カリカット到着)

 これは、1898年にマカオで発行された“ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路発見400年”の記念切手のうち、ガマ船団のカリカット到着の場面を描いた1アヴォの切手です。

 ガマは、1469年頃、ポルトガルのシーネス生まれ。1497年7月8日、ポルトガル国王マヌエル1世の命を受け、インド航路を開拓すべく4隻の艦隊を率いてリスボンを出航しました。同年11月22日、アフリカ南端の喜望峰を通過し、モザンビークに到達。さらに、1498年5月20日、インド南西のカリカットに到達し、インド航路の開拓に成功しました。

 ガマが到着したカリカットは、インド西南部の港湾都市として、古くからムスリム商人の寄港地として栄え、1407年には、明朝の鄭和艦隊も寄航しています。また、インド綿織物の輸出港として知られ、キャラコの語源ともなりました。

 もっとも、ガマの到着した場所は、現在のカリカット市街ではなく、市内の中心から20キロほど離れたカッパド・ビーチと呼ばれている場所です。先ほど、その海岸で撮影した夕日は、こんな感じでした。

        カッパドビーチの夕日

 また、海岸から少し入ったところには、上陸の記念碑もありました。夕陽を撮って帰るときに気がついたので周囲が暗くなりかけで全体像を撮ると文字が見づらいので、隣に文字部分のみを撮った写真を貼っておきます。

        ヴァスコダガマ上陸記念碑     ヴァスコダガマ上陸記念碑の文字

 さて、“ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路発見400年”の記念切手は、当時のポルトガル領各地で同図案で発行されました。いわゆるオムニバス形式の記念切手としては世界で最初のシリーズで、ポルトガル領インドでも同図案のモノが発行されています。今回は、昨年刊行の『マカオ紀行』にちなんでマカオの切手をご紹介しましたが、いずれ、モザンビークやポルトガル領インドなどの切手もこのブログでご紹介していくつもりです。

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 聖母無原罪瞻禮
2010-12-08 Wed 10:44
 きょう(8日)は、カトリックの教義でいう“無原罪の御宿り”の祭日。聖母マリアが罪無くして(すなわち原罪を受け継がずに)母アンナの胎内に宿り生まれた記念日で、マカオでも“聖母無原罪瞻禮”として祝日になっています。というわけで、きょうは聖母マリアを描くマカオ切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

        マカオ・慈悲聖母印花税票(1953)     慈悲聖母レリーフ(実物)

 これは、1953年にマカオで発行された慈善印花票の50アヴォス切手で、民政總署中庭の“慈悲聖母”のレリーフが取り上げられています。右側には、そのレリーフの実物の写真も貼っておきます。 

 マカオで慈悲聖母を描いた慈善印花票が最初に発行されたのは1930年のことでした。その発端は、1930年8月30日付の『憲報』紙に掲載された投書で、その内容は「増大する一方の政府の福祉予算を賄うために、募金の一環として、郵便料金とは別に郵便物に貼付させる印花票(一般には“印紙”と訳されるが、郵便物に貼られる場合は“郵便税切手”の訳語があてられることが多い)を発行したらどうか」というものでした。この提案が受け入れられ、11月8日、マカオ政庁は印花票の発行を決定。12月25日、慈悲聖母を大きく描いたデザインをジョゼ・ダス・ネヴェス・カステラが制作し、香港で印刷された“慈悲聖母”の印花票が発行されました。

 このとき発行された印花税票の額面は5アヴォスで、翌1931年1月1日から7日までの間に差し出された郵便物に貼付することが義務づけられていました。これが、一定の成果を挙げたため、翌年以降も継続して発行されるようになり、以後、1981年まで、同じ図案で額面と刷色を変更した慈善印花票が各種発行されています。今回ご紹介のモノは、そのうちの1953年発行の50アヴォス切手で、マカオで製造された“第5組”と呼ばれているモノの1枚です。

 なお、今回ご紹介の慈悲聖母のレリーフがある民政総署については、拙著『マカオ紀行』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 

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 続・航海紀念碑郵票
2010-11-08 Mon 13:30
 プロ野球の日本シリーズは、千葉ロッテ・マリーンズの優勝で幕を閉じました。というわけで、公約通り、近日刊行予定の拙著『マカオ紀行』の中から、このマテリアルです。(画像はクリックで拡大されます)

         航海紀念票・無銘版シート

 これは、第二次大戦中のマカオで使われていた通常切手、航海紀念碑郵票第二組(先進版)と呼ばれているもののシートですが、シート下部に銘版のないバージョンです。

 太平洋戦争中、日本軍はマカオ周辺の海域で事実上の海上封鎖を行っていたため、マカオでは、戦前のようにポルトガル本国から切手と調達することが困難になりました。このため、現地でそれまでの通常切手と同図案の切手を印刷・発行しました。これがいわゆる“先進版”で、基本的なデザインは本国製の切手と同じですが、印刷がオフセット(本国製の切手は凸版印刷)で周囲の目打も粗いことにくわえ、印面下部に印刷所の銘が入っていない(本国製の切手には“San Gabriel”の銘が入っている)ので容易に区別できます。

 以前にご紹介したものは、先進版の銘版つきのブロックで、銘版には罅些喇提督大馬路の住所まで記載されていましたが、今回のシートには銘版が印刷されていないのがお分かりいただけると思います。

 さて、きょう(8日)は現地時間13時40分(日本時間20時40分)の飛行機でヨハネスブルグを発ち、バンコク経由で明日(9日)の16:00に成田到着の予定です。ちなみに、今回ご紹介の切手に取り上げられた航海紀念碑で顕彰されているヴァスコダガマの航海(第1次)では、1497年11月に喜望峰を通過してインド南西のカリカットへ到達したのが1948年5月のことですから、約半年間かかっています。それに比べれば、喜望峰よりずっと内陸から出発し、カリカットよりもはるかに東方の成田まで翌日には到着できることを“長旅”だなどと文句を言ってはいけないのでしょうが、やっぱり、長いなぁ。


 ★★★ トーク・イベントのご案内 ★★★

 11月13日(土)13:00から、東京・池袋で開催される全国切手展<JAPEX>会場内で、拙著『マカオ紀行:世界遺産と歴史を歩く』刊行記念のトークイベントを予定しております。一般書店での販売は11月25日以降の予定ですが、今回は会場限定での先行発売も行いますので、よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。


  ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★

         事情のある国の切手ほど面白い(表紙)
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 カッコよすぎる独裁者や存在しないはずの領土。いずれも実在する切手だが、なぜそんな“奇妙な”切手が生まれたのだろう?諸外国の切手からはその国の抱える「厄介な事情」が見えてくる。切手を通して世界が読み解ける驚きの1冊!

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 航海紀念碑郵票
2010-10-20 Wed 10:28
 プロ野球・パリーグのクライマックス・シリーズは、リーグ戦3位の千葉ロッテ・マリーンズが制し、日本シリーズ進出を決めました。というわけで、両リーグの優勝チームが決まったときと同様、11月に刊行予定の『マカオ紀行』の中から、関連の切手を持ってきたいのですが、マカオには海兵隊(=マリーン)の切手はありませんから、ちょっと拡大解釈して、“海”関連のこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         航海紀念碑郵票・マカオ版

 これは、1942年からマカオで使われていた通常切手、航海紀念碑郵票第二組(先進版)と呼ばれているものの銘版です。

 太平洋戦争中、日本軍は香港を占領しましたが、中立国ポルトガルの領土であるマカオは占領しませんでした。ただし、周辺の海域は日本軍によって事実上の海上封鎖が行われていたため、マカオでは、戦前のようにポルトガル本国で切手を印刷してマカオに持ち込むということが困難となりました。

 当時のマカオでは、1934年に発行された“航海紀念碑郵票”と呼ばれる切手が使われていました。これは、喜望峰をまわってインド航路を開拓したことで知られるバスコダガマ船団の旗艦、サン・ガブリエル号を背景に、ポルトガルの女神を描いたデザインで、リスボンで製造され、マカオに持ち込まれていました。
 
 ポルトガル当局は、リスボン製の切手(その使用例はこちら)に代わり、現地で切手を調達することを決定。中国との国境にも近い罅些喇提督大馬路にあった先進公司に切手の製造を発注しました。マカオの切手がポルトガル本国ではなく、現地で印刷されたのはこれが最初のことで、現地製の切手は1942年11月1日から発行されています。

 現地製の切手は、基本的なデザインは本国製の切手と同じですが、印刷がオフセット(本国製の切手は凸版印刷)で、周囲の目打も粗いことにくわえ、印面下部に印刷所の銘が入っていない(本国製の切手には“San Gabriel”の銘が入っている)ので容易に区別できます。今回ご紹介のマテリアルでは、耳紙に先進公司の名前とアドレスが印刷されているのがミソです。なお、マカオ製の切手の場合、シートによっては銘版のない“白耳”のモノもありますが、こちらは、マリーンズが日本シリーズで優勝したときのお楽しみに取っておくことにしましょうか。

 なお、11月12-14日に東京・池袋で開催される全国切手展<JAPEX>では、会期中の13日(土)13:00からは、拙著『マカオ紀行』刊行記念のトークイベントを予定しております。新刊の『マカオ紀行』がネット書店や一般書店に並ぶ前の会場限定・先行発売となりますので、よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。


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 10月5日革命100年
2010-10-05 Tue 09:32
 ポルトガルでブラガンザ王朝が倒れた共和革命が1910年10月5日に起きてから、ちょうど100年になりました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         マカオ 無加刷+共和加刷

 これは、革命後の1913年、共和国加刷の切手つき封筒に王制時代の切手を貼ってドイツ宛に差し出された書留便です。

 1910年10月5日の革命によって王制が打倒されたことを受けて、10月21日、革命政府は従来の切手に“REPUBLICA(共和国)”と加刷したものを発行することを決定します。しかし、革命後の混乱もあって加刷切手の製造には時間がかかり、リスボンで製造された加刷切手がマカオに到着したのは翌1911年9月のことでした。

 この間、ポルトガル本国からの切手の供給が途絶えたため、マカオでは一部の額面の切手の在庫が底をつき始め、4アヴォスおよび10アヴォスの切手を半裁して2アヴォスおよび5アヴォスの切手として流通させたり、書留の番号票に額面を印刷して切手の代用としたりすることも行われました。また、加刷切手の到着後も、王制時代の切手は有効であったため、今回ご紹介のカバーのように、王制時代の切手と共和国加刷の切手が同時に貼られた郵便物も存在しています。

 なお、マカオ半島には十月初五街という通りがありますが、この通りは、もともと内港に面した埠頭の泗<口孟>嗎頭の前にあったことから“泗<口孟>街”と呼ばれていましたが、共和革命にちなんで、現在の名前に改名されています。(<口孟>は口ヘンに孟で1字)

 さて、11月に彩流社の切手紀行シリーズ第3巻として刊行予定の『マカオ紀行』(仮題)では、メインストリートの新馬路から十月初五街にかけて、切手に取り上げられた建物を実物と見比べながらの歴史散歩についても、1章を設けております。正式なタイトルや刊行日など、詳細が決まりましたら、逐次、このブログでもご案内していきますので、よろしくお願いいたします。


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    事情のある国の切手ほど面白い
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 カッコよすぎる独裁者や存在しないはずの領土。いずれも実在する切手だが、なぜそんな“奇妙な”切手が生まれたのだろう?諸外国の切手からはその国の抱える「厄介な事情」が見えてくる。切手を通して世界が読み解ける驚きの1冊!

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 きょう出境します
2010-06-09 Wed 01:38
 早いもので、今回のマカオ滞在もいよいよ最終日となりました。きょうは昼食を取ってからマカオを出て香港にわたり、日付が変わった10日の0時25分の飛行機で香港から韓国・仁川に向かう予定です。というわけで、マカオ出境(出国)前にこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      関門(1次)     マカオ・関門(現状)

 これは、1948年に発行された“第1次風景シリーズ”の通常切手のうち、中国=マカオの境界の“關閘”(関門)を取り上げた1パタカ切手です。今回のマカオ滞在では、到着時にも“第1次風景シリーズ”の切手の中から、50アボス切手を持ってきましたので、最後も同じシリーズで締めることにしたというわけです。ちなみに、右側が現在の關閘の状況です。

 さて、中国=マカオの境界に最初の關閘が建てられたのは1574年のことです。当時の關閘は中国式の3階建てで、現在の場所よりも500メートルほど南側にありました。

 アヘン戦争以前、關閘の北側はポルトガル人の手が出せない場所であり、ここをポルトガル人が通過するためには清朝の許可が必要でした。また、ポルトガル人の奴隷となっていた中国人は、關閘を越えると自由の身になれたといわれています。

 しかし、アヘン戦争によって清朝の弱体化が明らかになると、1845年にポルトガルはマカオが自由港であると宣言。マカオに駐留していた清朝の海関職員を追放して海関を閉鎖し、1849年には清朝に対するマカオの地代支払いを停止するとともに、それまで清朝が管理していた關閘を占領しました。

 その後、1887年、ポルトガルはマカオの正式な領有を清朝に認めさせますが、それに先立ち、1867年に關閘は現在に位置に移動させられ、1871年に凱旋門を意識した現在の門に建て替えられました。現在、中国=マカオの境界でパスポートコントロールを行うための關閘邉検大楼は、この關閘を保存したままで、その背後に2004年1月15日に建てられたものです。ちなみに、現在の關閘で実際の人々の出入口はこんな感じになっています。

      マカオ・実際の国境出入り口

 現在、マカオは中国へ返還され、中国=マカオの境界は“国境”ではなくなりましたが、50年間はポルトガル時代の制度が維持されるため、現在でも、關閘を越えたところにパスポート・コントロールがあります。中国語では出入国のことを出入境といいますが、たしかに中国=マカオの境界をまたぐような場合は、出入境といったほうがしっくりきますな。

 余談ですが、出入境という言葉を見るたびに、中国人が世界各国へ移民として出かけて、全世界にチャイナタウンを作る背景には、経済的な動機もさることながら、彼らには“国家”に属しているというイメージが希薄で、外国人として他国に入国するというより、中国人のまま単に関門を越えているだけ、という感覚が彼らのDNAに抜きがたく染みついているからではないか、などと考えてしまいます。

 なお、雑誌『キュリオマガジン』の連載記事では、スペースと回数の関係上、世界遺産に話題を絞らざるを得ないのですが、11月に刊行予定の単行本では、今回ご紹介の“関門”も含め、より幅広くマカオの魅力を切手と写真でご紹介する予定です。詳細等が決まりましたら、随時、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いいたします。


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 マカオ到着
2010-06-06 Sun 03:43
 本日午前2時(現地時間)少し前、無事、香港経由でマカオに到着しました。先ほど、ホテルにチェックインし、パソコンもなんとかネットにつながりましたので、さっそく、この記事を書いています。というわけで、まずは、フェリーでのマカオ到着にちなみ、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      媽閣廟の岩     媽閣廟の岩

 これは、1948年に発行されたマカオの通常切手“澳門風景郵票第一組”(第一次風景シリーズ)のうち、媽閣廟にある船の絵を取り上げた50アヴォス切手です。切手の隣には、岩に描かれている絵の実物の画像(さすがに去年、さつえいしたものです)を貼っておきました。

 媽閣廟は、中国南部や台湾などで広く信仰されている航海の女神“阿媽”を祀ったマカオ最古の中国寺院で、広東語で発音すると“マァコッミュウ”となることから、16世紀にこの地を訪れたポルトガル人が、これを地名と勘違いしたことが、現在のマカオの地名の由来になったともいわれています。

 寺院の由来については、次のような伝説があります。すなわち、その昔、福建から広東に旅立つ船団の一隻が、お金がなく乗船を断られた娘を乗せてやったところ、娘を乗せた船だけが途中の嵐にも遭難せず、無事にマカオにたどり着きました。マカオ到着後、船乗りがふと見ると、娘の姿はそこにはなく、やがて女神の姿となって陸に現れたので、その場所に媽閣廟が建てられたそうです。今回ご紹介の切手は、その彼女が乗せられてきたという船を描いた岩を取り上げたもので、清朝・道光帝の時代の1828年に廟の大規模な修復が行われた際に作られたのではないかと思います。

 さて、昨年の『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行』と同じパターンで、今年も、雑誌『キュリオマガジン』に連載中の「郵便学者の世界漫郵記:マカオ篇」も、11月を目途に切手紀行シリーズの1冊として刊行する予定になっています。今回のマカオ滞在はその追加取材が目的で、9日までの4日間、今後の連載記事と書籍の内容をできる限り充実したものにすべく、奮闘してくるつもりです。


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 10月5日革命
2009-10-05 Mon 23:52
 きょう(10月5日)は、ポルトガルの共和制樹立記念日です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 マカオ・共和国加刷

 これは、1911年4月2日にマカオで発行された“共和国”加刷の切手です。

 1910年10月1日、ポルトガルでは、ブラジル大統領の来訪がきっかけとなって、共和主義者による大規模なデモが発生。これに呼応して、テージョ川河口に停泊する軍艦の反乱が起こると、同3日、軍部は反乱の鎮圧を拒否し、リスボン周辺を占拠しました。さらに、4日、軍艦が王宮への砲撃を開始たため、国王マヌエル2世と王族はイギリスへ亡命し、5日、共和国臨時政府が発足しました。これが、いわゆる10月5日革命です。

 革命による王制の打倒に伴い、ポルトガルの植民地であったマカオでも、それまで使われていた国王の肖像切手に“REPUBLCA”(共和国)と加刷した切手が発行され、使用されるようになりました。ちなみに、マカオには、このときの革命にちなんで“10月5日通り”という通りがあります。なお、共和制以降、マカオで最初の正刷切手が発行されたのは、1913年のことでした。

 さて、来年はこの10月5日革命から100周年にあたっており、それにあわせて、ポルトガルの首都リスボンでは世界切手展も開催される予定になっています。まぁ、こんなことを書くと鬼に笑われそうですが、切手展にあわせてリスボンに行き、ぜひとも、革命100年のお祭りも見物してみたいものですな。

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 ファティマ聖母の行列
2009-05-14 Thu 05:10
 昨夜はお目当ての“ファティマ聖母の行列”をマカオで見て、香港のホテルに戻ってきました。というわけで、早速この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

 ファティマの聖母(マカオ)

 これは、1949年2月1日、マカオで発行された“ファティマの聖母”の切手で、聖母と3人の子供たちが描かれています。なお、これと同じデザインの切手は、マカオを含むポルトガル領9地域(アンゴラ、カポ・ヴェルデ、マカオ、モザンビーク、ポルトガル領ギニア、ポルトガル領インド、サントメ・プリンシペ、東ティモール)で発行されています。

 1917年5月13日、ポルトガルの農村、ファティマで、ルシア、フランシスコ、ジャシンタの3人の子供が羊の番をしているときに、突如“聖母”が現れ、毎月13日に同じ場所へ会いに来るように命じます。ルシアは急いで両親にその出来事を報告。両親も最初は信じませんでしたが、噂が広がり、ファティマには大勢の参拝客が訪れるようになりました。

 聖母の予言は、第一次世界大戦の終結やロシア帝国の崩壊と共産主義の台頭、核兵器の使用やローマ教皇の暗殺事件などの内容を含んでいたとされています。その後、カトリック教会は聖母の出現を公認し、5月13日はファティマの聖母の出現記念日とされるようになりました。ちなみに、3人の子供のうちのジャシンタとフランシスコは1919年から1920年にかけて流行の病で相次いで亡くなりましたが、その後、調査のために墓が開かれた際、ジャシンタの遺体の顔の部分は腐敗していなかったそうです。一方、残されたルシアは修道女となり、2005年2月13日に97歳で亡くなりました。

 マカオの“ファティマ聖母の行列”は、このエピソードにちなみ、聖職者が祈祷をあげるなか、白い装束に身を包んだ女性達によって聖母の像が掲げられ、聖ドミニコ教会からペンニャ教会まで厳かな行進が行われるというものです。

 ちなみに、行列で使われるマリア像と出発地の聖ドミニコ教会はこんな感じ(↓)です。

 行列で使うマリア像   聖ドミニコ教会(マカオ)

 この像が、こんな感じ(↓)で運ばれていきます。ルシア、フランシスコ、ジャシンタの3人に扮した子供も一緒に像に歩きます。左から、出発時の風景、教会を出るところ、街中の風景(背景にマカオを代表するカジノ、グランド・リスボアが映っています)です。

 聖母の出発   聖母、教会を出る   街中の聖母

 で、下の画像はゴールのペンニャ教会とそこに入っていく場面です。

 ペンニャ教会   ペンニャ教会に入る聖母

 最終的にはこんな感じ(↓)でペンニャ教会に落ち着きます。この間、1時間半弱といったところでしょうか。最後まで付き合うと、記念に白バラをくれます。香港へ帰る時に、カバンその他の荷物あって手に持って行くのが難しかったので、ジャケットの胸にさして持ち帰りました。やっぱり、滅多なところに捨てたりすると、罰が当たりそうですからね。現在、香港のホテルの部屋のコップに水を入れて、テーブルの上に飾ってあります。

 行列完了   行列終了後の筆者

 “ファティマ聖母の行列”はカトリックの重要な宗教行事ということで、マカオのみならず、各国からも大勢の観光客が詰めかけており、大変な混雑でした。僕自身はカトリックの信者ではないのですが、そこは“八百万の神”の国の人間ゆえ、しっかりと拝んできました。さてさて、そのご利益やいかに。
 
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 金融都市としてのマカオ
2007-06-26 Tue 00:47
 北朝鮮外務省が「マカオのバンコ・デルタ・アジア(BDA)に凍結された資金がわれわれの要求通り送金された」と発表し、2005年9月以来のBDA問題はとりあえず決着しました。となると、「マカオのことがニュースになる機会もめっきり減るだろうなぁ」と思って、マカオがらみのマテリアルとしてこんなものを持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

マカオから日本占領下の香港宛

 これは、太平洋戦争開戦後の1942年6月16日、中立国のマカオから日本占領下の香港宛に差し出されたカバーで、裏面には6月24日の九龍の消印が押されています。

 第二次大戦中、ポルトガルは中立国でしたが、日本軍はポルトガル領のチモール島を占領しています。これに対して、マカオの場合は、日本側にここを“国際社会への窓”として活用したいという意図があったため、日本軍は海上封鎖こそ行ったものの、あえて占領はしていません。

 占領当初の香港では、イギリス時代の香港ドルと日本の軍票が併行して流通させられていましたが、1941年12月末から九龍で、翌1942年1月から香港島で、軍票1円に対して香港ドル2円の割合で交換が開始されます。この交換レートは、同年7月には軍票1円に対して香港ドル4ドルへと変更され、香港ドルを駆逐して軍票を占領香港の基軸通貨とするプランが着々と実行に移されていきました。公租公課の納入が軍票に限定され、軍票需要者に対する軍票交換所が設けられたのもこの時期の出来事です。

 さらに、1943年7月以降、占領香港の行政機関である香港占領地総督部は香港ドルの使用を全面的に禁止し、住民に対して香港ドルをすべて軍票交換に交換することを義務づけます。その際に発せられた総督令には「軍票の流通を拒んだり、香港ドルを隠し持ったりしている物は厳罰に処する」との内容の文面があり、憲兵政治の下で、香港の住民が軍票の使用を余儀なくされていた状況がうかがえます。

 こうして住民から回収された香港ドルは、国際的には、イギリスの信用により価値が維持されていたため、中立国のマカオでの物資購入の資金に充てられました。日本軍がマカオをあえて占領せず、“国際社会への窓”として活用しようとしたのもこのためです。

 もっとも、太平洋戦争中も香港とマカオの間では(制度上は)戦前同様、交通・通信が行われていたため、日本軍がマカオで使用した香港ドルが、まわりまわって、香港へと戻ってきて、占領当局を苛立たせることも少なからずあったようですが…。

 香港の歴史を語る場合にはマカオについても避けて通ることはできませんので、新刊の拙著『香港歴史漫郵記』でも多少の記述を試みています。いずれ、そうした部分を抜き出してミニコレクションを作ってみようかとも思いますが、他人様に胸を張ってお見せできるような水準のものを作るとなると、まだまだ道は険しそうです。

 【展覧会のご案内】
 6月30日・7月1日(土・日)の両日、 東京・目白の切手の博物館特設会場にて、拙著『香港歴史漫郵記』の刊行にあわせて「香港返還10周年記念・香港切手展 香港歴史漫郵記」を開催(登録審査員によるワンフレーム展と併催)いたします。

 展示内容は2004年のアジア国際切手展のオープンクラスに出品して部門最高賞のExcellentメダルを受賞した僕のコレクション、A HISTORY OF HONG KONGと返還以降2006年末までに発行された中国香港切手が中心です。

 入場は無料。時間は両日ともに10:30-17:00で、両日ともに14:30から展示解説を行うほか、先着300名様に英領時代の香港切手をプレゼントしますので、是非、遊びに来てください。
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