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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 57歳になりました。
2024-01-22 Mon 10:29
 私事ながら、本日(22日)をもって57歳になりました。「だからどうした」といわれればそれまでなのですが、せっかく年に1度のことですから、自分の年齢にちなんで“第57回/57周年”の記念切手のなかから、この1枚をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます) 

      アフガニスタン・第57回独立記念日

 これは、1975年5月27日にアフガニスタンが発行した“第57回独立記念日”の記念切手で、当時のアフガニスタン国旗が大きく描かれています。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。

 なお、アフガニスタンの近現代史と切手・郵便については、拙著『アフガニスタン現代史』でも詳しくまとめております。同書を含め、えにし書房から刊行の拙著につきましては、内藤総研の会員(無料会員を含む)の方向けにサイン本の割引販売も行っておりますので、よろしかったら、こちらでご登録の上、ご利用いただけると幸いです。
 

★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 1月24日(水) 10:00~ ニッポンジャーナル
 インターネット番組「ニッポンジャーナル」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。皆様、よろしくお願いします。

 1月26日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。

 謀略の世界史 原則毎月第1土曜日 13:00~14:30
 MI6、CIA、モサドなど各国の情報機関のあらましや、現代史の中で彼らが実際に関与した事件などを幅広くご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。

 武蔵野大学のWeb講座 
 大河企画の「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」、引き続き開講中です。詳細はこちらをご覧ください。 

 「龍の文化史」、絶賛配信中です。龍/ドラゴンにまつわる神話や伝説は世界各地でみられますが、想像上の動物であるがゆえに、それぞれの物語には地域や時代の特性が色濃く反映されています。世界の龍について興味深いエピソードなどを切手の画像とともにご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。


★ 『龍とドラゴンの文化史』 好評発売中!★

      龍とドラゴンの文化史・帯なし

 辰年にちなんで、中国 の龍を皮切りに、 日本 、朝鮮、琉球、東南アジア、キリスト教世界など、世界の龍について、そのベースとなる文化史や興味深いエピソードなどを切手とともにご紹介します。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 メーデー
2022-05-01 Sun 05:52
 きょう(1日)はメーデーです。というわけで、世界のメーデー切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アフガニスタン・メーデー(1974)

 これは、1974年にアフガニスタンが発行したメーデーの記念切手で、麦の穂の下に腕を揚げる人物のシルエットを配するデザインは、兵士と農民の連帯を象徴しているのだそうです。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。なお、内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。

 また、アフガニスタンとその切手については、拙著『アフガニスタン現代史』でもいろいろまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 5月4日(水・祝) 13:00~ よみうりカルチャー北千住 公開講座 
 よみうりカルチャー北千住にて、公開講座「アフガニスタン現代史」を行います。拙著『アフガニスタン現代史』の内容を90分にギュッと凝縮した内容をお届けいたします。お申込など詳細は、こちらをご覧ください。

 5月7日(土) 14:00~ 第4回 救国シンクタンクフォーラム
 東京・永田町の星稜会館で開催の第4回救国シンクタンクフォーラムのパネリストとして内藤が登場します。今回のお題は“ウクライナとレジ袋”です。詳細はこちらをご覧ください。

 5月13日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 武蔵野大学のWeb講座
 4月6日-7月12日 鏑木清方と江戸の残り香
 詳細はこちらをご覧ください。
 
 4月13日-7月19日 日本の郵便150年の歴史2 占領時代(1945年の終戦から1952年)
 詳細はこちらをご覧ください。
 
 5月18日-8月23日 日本の歴史を学びなおす― 近現代編その2― 幕末
 詳細はこちらをご覧ください。 

★ 最新作 『アフガニスタン現代史』 好評発売中!★

      アフガニスタン現代史・表紙帯付き
 
 出版社からのコメント
 混迷のアフガニスタン情勢の理解に必須の通史!
 911同時多発テロ事件とその後のアフガニスタン空爆から20年。西側が支援した新共和国が崩壊し、再びタリバンが実効支配下に置いたアフガニスタン。英国、ソ連、米国…介入してきた大国の墓場と呼ばれてきたこの国の複雑極まりない現代史を、切手や郵便資料も駆使しながら鮮やかに読み解く。

 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 “ガンダマクの戦い”180年
2022-01-13 Thu 08:50
 第一次アングロ・アフガン戦争中の1842年1月13日、英軍が壊滅的な敗北を喫した“ガンダマクの戦い”から180年になりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      アフガニスタン・ワズィール・アクバル・ハーン

 これは、ガンダマクの戦いでアフガニスタン側の英雄とされるワズィール・アクバル・ハーンの生誕160周年を記念して、1976年2月4日、アフガニスタンが発行した切手です。切手に描かれている肖像は、肖像はロンドンの英国陸軍博物館所蔵の絵画を基に制作されました。

 1837年、ヘラートの領有権をめぐり、ロシアの支援を受けたガージャール朝ペルシャがアフガニスタンを攻撃。このため、ロシアの南下を恐れる英国はアフガニスタンを支援することで対抗しようとします。

 これに対して、アフガニスタンの王であったドースト・ムハンマド・ハーンはペシャーワルをスィク教徒から奪回する聖戦への協力を英国に求めましたが、スィク教徒との結びつきを強めていた英国はこれを拒否。そこで、ドースト・ムハンマド・ハーンが、スィク教徒に対抗する必要からロシアに接近すると、これをインド防衛の危機と考えた英国はアフガニスタンへの武力侵攻を決定し、1838年、(第一次)アングロ・アフガン戦争(第一次)が勃発しました。

 開戦当初、英軍は大勝を収め、カンダハール、ガズニーを相次いで占領。首都のカブールも攻略してドースト・ムハンマドを追放し、1803ー09に王位に就いたこともあるシャー・シュジャーを擁立して傀儡政権を樹立します。

 これに対して、それまで内紛状態にあったアフガニスタンの諸部族は、ドースト・ムハンマドの息子、ワズィール・アクバル・ハーンを指導者として“異教徒との聖戦”を掲げて団結して英国に抵抗。1841年11月2日には英国の外交代表アレクサンダー・バーンズが、同年12月23日には英国人政治顧問のウィリアム・マクナーテンが、相次いでカブールで暗殺されました。

 このため、占領政策に展望を持てなくなった英国は、1842年1月、カブールからインドへ撤退しますが、その途中の1月13日、ガンダマク付近でアクバル・ハーン指揮下のアフガン兵は雪で覆われた山道を撤退する英軍を追撃。4500人の英印軍と1万2000人の民間人のうち、成人男女1人ずつと1人の子供を残して皆殺しにしました。なお、同年4月には、傀儡政権の首班に祭り上げられていたシャー・シュジャーも暗殺され、ブハラに逃れていたドースト・ムハンマド・ハーンが君主の座に返り咲きました。

 さて、現在、『アフガニスタン現代史(仮)』と題する書籍を刊行すべく、作業を進めています。なんとか旧年中に刊行したかったのですが、諸般の事情で作業が遅れて越年してしまい、申し訳ございません。すでに、本文の原稿は書き上げておりますので、近々、このブログでも正式なタイトルや発売日、販売価格などの詳細をご案内できると思いますので、よろしくお願いします。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内★

 1月17日(月) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。

 武蔵野大学のWeb講座 2021年12月1日~2022年2月8日
 「日本の歴史を学びなおす― 近現代編その1 ― 黒船来航」

 12月1日から2月8日まで、計7.5時間(30分×15回)の講座です、お申し込みなどの詳細は、こちらをご覧ください。


★ 『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.2 戦後編』 好評発売中! ★

      切手でたどる郵便創業150年の歴史②表紙 2530円(本体2300円+税)

 明治4年3月1日(1871年4月20日)にわが国の近代郵便が創業され、日本最初の切手が発行されて以来、150年間の歴史を豊富な図版とともにたどる3巻シリーズの第2巻。まずは、1945年の第二次大戦終戦までの時代を扱った第1巻に続き、第二次大戦後の1946年から昭和末の1989年までを扱っています。なお、2022年3月刊行予定の第3巻では平成以降の時代を取り扱う予定です。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 

 ★★ 書籍無料ダウンロードを装った違法サイトにご注意ください!★★

 最近、拙著『切手でたどる郵便創業150年の歴史』をPDF化して、無料でダウンロードできるかのように装い、クレジットカード情報を盗み取ろうとする違法サイトの存在が確認されました。

 この種のサイトは多種多様な出版物を無許可で取り扱っているものと思われます。

 内藤および拙著の出版元・販売元ではこのような行為は一切認めておらず、フィッシング詐欺等に巻き込まれる可能性もありますので十分ご注意ください。

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 岩のドームの郵便学(21)
2014-09-06 Sat 08:51
  『本のメルマガ』547号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」では、1977-78年にエジプト以外の各国で発行された岩のドームの切手をご紹介する2回目。今回はこの切手を取りあげました。(画像はクリックで拡大されます)

      アフガニスタン・岩のドーム(1977)

 これは、1977年9月11日にアフガニスタンで発行された“パレスチナにおける自由の戦士と殉難者の遺家族の福祉のために”の切手で、ムスリムの聖地としてのエルサレムの象徴として、岩のドームが描かれています。

 この切手が発行された1977年当時、アフガニスタン国内は共産革命(1978年の4月革命)前夜の騒然とした空気に包まれていました。

 アフガニスタンでは、1973年に共和革命が発生し、病気療養のため外遊中だった国王ザヒル・シャーが退位に追い込まれ、国王の従弟にして義弟で1953年から1963年まで首相を務めたムハンマド・ダーウードが大統領兼首相として政権に復帰します。

 王制時代末期の1964年、アフガニスタンでは、王族を政治活動から排除する条項を含む新憲法が制定され、国会も開設されるなど、一定の民主化がスタートします。後にソ連軍支配下で政権を掌握することになるアフガニスタン人民民主党(共産党)や、それに抵抗するイスラム原理主義系諸派の源流が組織されていくのも、この時期のことでした。

 ところで、第二次大戦後のアフガニスタンの外交政策は、冷戦下での中立を維持すべく、米ソ両国とは等距離を保とうとしていたものの、結果的に、ソ連寄りのスタンスを取らざるを得ませんでした。米ソの世界戦略において、アフガニスタンの価値があまりにも違っていたからです。

 すなわち、“湾岸の憲兵”としてパフラヴィー王朝下のイランを取り込むことに成功した米国にとって、そもそもアフガニスタンの戦略的な重要性は高いものとは言えませんでした。また、米国が友好国とみなしているパキスタンがアフガニスタンと国境紛争を抱えていることもあって、1950年代初頭、米国は、アフガニスタンが再三にわたって軍事援助を求めた際にも、これを無視し続けています。

 一方、ソ連にとっては、アフガニスタンを勢力圏内に収め、そこから係争地カシミールを経てインド(冷戦下では親ソ派の大国と位置づけられていました)につながることで、西側の反ソ包囲網を分断し、インド洋にも到達しうるというプランは、非常に魅力的なものでした。このため、1956年以降、ソ連は、アフガニスタン空軍の創設をはじめ、アフガニスタンに対する軍事援助を進めたほか、1956年から始まった5ヵ年計画にも多額の長期融資を行っています。また、カブール空港の建設やニングラハール河域の開発、テルメズ(ソ連領)=マザーリ・シャリフ=サラン峠=カブール間およびクシク=ヘラート=シンダンド=カンダハル間の自動車道の建設といった大規模土木事業に対しても、巨額の援助が行われました。

 こうした経緯もあって、アフガニスタン国内では親ソ派の政治的発言力が強く、王制末期の1971年、英国がスエズ以東から軍事的に撤退したことで、国内の政治力学も少なからぬ影響を受けることになります。

 アフガニスタンには、第一次大戦以前、英国の保護国だった歴史があり、それゆえ、英国に対する警戒感が強かったのですが、スエズ以東から英国軍が撤退するとなれば、もはや、英国の直接的な軍事的脅威は消滅しますから、そうした警戒感も薄らぐことになります。

 アフガニスタン政府と王室が志向していた中立外交の基本からすると、現実の問題として米国からはほとんど相手にされない以上、英軍のスエズ以東からの撤退を機に、米国に代わる西側の実力者である英国と接近し、あわせて、イランやパキスタンとも関係を改善して、強大になりすぎた親ソ派の勢力を抑え込み、バランスを回復することが望ましいシナリオだったわけです。

 ところが、こうした政策転換は、ソ連ならびにその強い影響下にあった左翼将校の反発を招き、結果的に、ダ―ウードと軍の左翼将校、親ソ勢力のパルチャム党の連携による1973年の無血クーデター、共和革命を招来することになりました。

 なお、共和革命に際して、いわゆるイスラム原理主義勢力は、王室に対する批判から革命勢力を支援していましたが、権力を掌握したダーウード政権は彼らを弾圧。1974年6月には、カブールで原理主義者200人の一斉逮捕が行われています。その際、青年ムスリム機構の指導者でパシュトゥン人のグルブッディーン・ヘクマチヤルらはペシャワール(パキスタン)に亡命。翌1975年7月、ヘクマチヤルは、反ダーウード政権の名の下に、パキスタン政府の支援を得てパンジシールで武装蜂起しましたが、アフガニスタン政府軍に鎮圧されて失敗し、以後、ペシャワールを拠点に反政府活動を続けていくことになります。

 さて、共和革命当時、アフガニスタンは国家収入の40パーセントを外国に依存する状況でした。このため、ダーウード政権としても、当面は、国家建設に必要な援助を求めてソ連との関係を維持しつつも、将来的には経済的な自立(少なくとも、ソ連への過度の依存状況からの脱却)が緊急の課題でした。

 そこで、ダーウード政権は、石油収入を増大させた王制イランに着目。経済援助を得るために、イランとの外交関係を強化し、ソ連とは距離を置こうとします。そして、国内の体制基盤を固めるためにも、1975年以降、共和革命の際の“同志”であった親ソ勢力を政権中枢から排除しはじめました。

 当然のことながら、こうしたダーウードの“変節”は、ソ連との関係を背景に勢力を拡大しつつあった国内共産主義者たちとの間で摩擦を引き起こし、アフガニスタンの政局は急速に不安定化していきました。

 今回ご紹介の切手は、こうした政治情勢の下で発行されたものですが、この切手が発行される直前の同年7月、思想家ジャマールッディーン・アフガーニーの没後80年が発行されていることとあわせて考えると興味深いものです。

 アフガーニーは1839年、アフガニスタン生まれ。停滞したイスラム社会の悪弊の一掃とイスラムの原点への回帰、ムスリムが人種や言語を越えて団結して西洋列強の侵略に対抗することなどを唱えた思想家で、その後のイスラム世界に絶大な影響を及ぼした人物です。汎イスラム主義の唱道者であり、ある意味では、現在のイスラム原理主義・復興主義の原点ともいうべき人物ともいえましょう。

 もちろん、アフガニスタンというイスラム世界の辺境の地にあって、アフガーニーは数少ない地元出身の世界的な偉人ですから、アフガニスタン政府が、没後80年という機会をとらえて彼を顕彰する記念切手を発行するのは不思議なことではありません。

 ただし、1973年の共和革命以降、1977年7月のアフガーニー没後80年の記念切手まで、ダーウード政権がムスリム国家としてのアフガニスタンを連想させるような切手を全く発行してこなかったことを考えると、親ソ勢力と距離を置き、穏健なイスラム勢力との関係改善を模索していこうという、当時のダーウード政権の立ち位置が、こうした切手を生み出したと推測することは可能でしょうし、今回ご紹介の切手もまた、そうした文脈に沿って発行されたと考えるのが妥当とおもわれます。

 しかしながら、アフガニスタンの政局は急速に不安定化していくいなかで、1978年4月、アフガニスタン人民民主党(共産党)による反ダーウードのクーデターとして“4月革命”が発生。ダーウードをはじめ政府首脳は暗殺され、同年6月には人民民主党のヌール・ムハンマド・タラキーを革命評議会議長兼首相とする左翼政権、アフガニスタン民主共和国が成立しました。

 その後、アフガニスタン民主共和国による急激な社会主義化政策の推進は、アフガニスタン社会を大混乱に陥れ、地方では反政府暴動が頻発してアフガニスタンは事実上の内戦に突入します。こうした状況の中で、1978年12月に締結されたソ連=アフガニスタン友好善隣協力条約の内乱条項に基づき、ソ連軍がアフガニスタンに軍事侵攻するのは1979年12月のことでした。

 * 昨日(5日)の韓国文化院での講演「韓国の切手でひも解く韓国近現代史」は、無事、盛況のうちに終了いたしました。ご参加いただきました皆様ならびにスタッフの皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます

 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 ・9月6日(土) 09:30- 切手市場
 於 東京・日本橋富沢町8番地 綿商会館

 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『朝鮮戦争』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しております。ぜひ遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

 お待たせしました。約1年ぶりの新作です!

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。
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 アフガニスタンで大統領選挙
2014-04-05 Sat 11:20
 ハミド・カルザイ大統領の任期満了(憲法の3選禁止規定による退任)に伴うアフガニスタンの大統領選挙が、きょう(5日)、実施されます。というわけで、アフガニスタンでの選挙の切手ということで、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

       アフガニスタン・大統領選挙(1978)

 これは、1978年にアフガニスタンで発行された「アフガニスタン共和国初の大統領選挙1周年」の記念切手で、人々に迎えられるムハンマド・ダ―ウード大統領の姿が取り上げられています。
 
 ダーウードは国王ザヒル・シャーの従弟にして義弟で、1909年生まれ。1953年に王制下のアフガニスタンで首相に就任しましたが、いわゆるパシュトゥニスタン問題でパキスタンと国交断絶。1963年、イラン国王の仲介により両国の関係を正常化する際に辞職しました。

 しかし、王族出身の宰相・ダーウードが対パキスタン関係改善のために辞任したことは、アフガニスタンにおける王族の権威を大きく損ない、以後、アフガニスタンは平民宰相の下で政治的に不安定な状況が続くようになりました。こうした中で、1973年7月、国王ザーヒル・シャーが眼の治療のためにイタリア滞在中、ダーウード元首相を中心に軍の左翼将校と親ソ勢力のパルチャム党が無血クーデタを敢行。国王はローマで退位を表明し、ダーウードがアフガニスタン共和国の大統領兼首相に就任しました。

 この時のダ―ウードの大統領就任はクーデターによるものとして、その正当性に関しては疑義のあるものだったため、1977年、2月14日のロヤ・ジルガによって、彼はあらためて正式な“初代大統領”に選出されました。今回ご紹介の切手は、それから1周年になるのを記念して発行されたものです。

 ちなみに、ロヤ・ジルガというのは、もともと、パシュトー語で“大会議”の意味。もともとは、新国王の選出をはじめ、アフガニスタンにおける重要な政治的問題を討議するため、部族長と長老が参加して行われてきた伝統的な合議機関でしたが、近代憲法の発足後、他国の国会ないしは最高議会に相当する機関と位置付けられることになりました。なお、1977年のロヤ・ジルガには、15%の女性代議員も参加しています。

 さて、ダ―ウードは、1978年4月、アフガニスタン人民民主党(共産党)によるクーデター(4月革命)で他の政府首脳とともに暗殺され、同年6月には人民民主党のヌール・ムハンマド・タラキーを革命評議会議長兼首相とする左翼政権、アフガニスタン民主共和国が成立。ソ連軍のアフガニスタン侵攻への道を開くソ連=アフガニスタン友好善隣協力条約が締結され、苦難のアフガニスタン現代史が幕を開けることになるのです。


 ★★★ ポスタル・メディアと朝鮮戦争 ★★★

 4月19日(土)14:00から、東京・水道橋の日本大学法学部三崎町キャンパス本館2階 第2会議室(以前ご案内していた会場から変更になりました)にて開催のメディア史研究会月例会にて、昨年(2013年)夏、バンコクで開催された世界切手展<Thailand 2013>に出品した“Korea and the Cold War 1945-1953”の内容を中心に、切手や郵便物などによって朝鮮戦争とその時代を再構成しようとする試みについてお話しします。

 なお、メディア史研究会はまったく自由な研究会で、会員以外の方でも気楽にご参加いただけますので(もちろん、無料)、よろしかったら、ぜひ、遊びに来てください。


 ★★★ 講座「世界紀行~月一回の諸国漫郵」のご案内 ★★★ 

亀戸講座(2014前期)・広告

 東京・江東区亀戸文化センターで、5月から毎月1回、世界旅行の気分で楽しく受講できる紀行講座がスタートします。美しい風景写真とともに、郵便資料や切手から歴史・政治背景を簡単に解説します。受講のお楽しみに、毎回、おすすめの写真からお好きなものを絵葉書にしてプレゼントします!

 詳細は、こちらをご覧ください。


 ★★★ 文京生涯カレッジ(第13期)のご案内 ★★★

 文京学院大学が一般向け(=どなたでも受講できます)にさまざまな講師を招いて行う通年の教養講座「文京生涯カレッジ」の第13期が4月15日から始まります。僕も、7月15・22日に「バスコ・ダ・ガマのインドを歩く」、9月9日に「ドバイ歴史紀行」のお題で登場します。詳細はこちらですので、よろしかったら、ぜひご覧ください。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

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 アフガニスタンの観光地
2010-06-18 Fri 12:19
 アフガニスタンのカルザイ大統領が来日し、きのう(17日)、菅首相と会談しました。首相が就任後、他国の首脳と会うのは、これが初めてだそうです。というわけで、アフガニスタン切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      南アジア観光年

 これは、1975年に発行された南アジア観光年の小型シートで、左からジャムのミナレット(尖塔)、バグラムから出土したグリフォンに乗る黄金の女性像、ハッダの仏頭の切手が収められています。

 ジャムのミナレットは、アフガニスタン西部、ハリ・ルド川の南の堤防に位置しており、高さは65m。ゴール朝のスルタン、ギヤースッディーン・ムハンマド(在位1163-1202)が、12世紀末に築いたとされています。ゴール朝建築の最高峰とされていますが、アフガニスタンの混乱が続く中で、長年、放置されてきたために痛みがひどく、2002年には遺跡保護のためユネスコの世界遺産に登録されるとともに、問題の早急な対応を促すため危機遺産にも指定されました。

 黄金の女性像が出土したバグラムは、首都カブールの北側にあり、現在では米軍基地がある町として知られています。切手に取り上げられた女性像は西暦2世紀頃のモノです。

 仏頭が出土したハッダは、アフガニスタン東部、ジャラーラーバードの南東10キロ弱の場所にあり、玄奘の『大唐西域記』には那掲羅曷国の醯羅城として記録されています。釈迦が生前に訪れたとされる場所の一つでもあり、2世紀から7世紀にかけては巨大な僧院があり、多くの巡礼者が訪れて仏教と市として繁栄しました。切手に取り上げられた仏頭は4-5世紀頃のモノです。

 東西交流の要衝であったアフガニスタンの地は、今回ご紹介の小型シートを見てもお分かりのように、さまざまな民俗・宗教の文化遺産の宝庫となっており、情勢が安定していれば、世界各地から多数の観光客が訪れても不思議はありません。しかし、現実には、先日も日本人ジャーナリストが、身代金目的の山賊と思われる集団に拘束されるなど、観光客が気軽に訪れることができる状況ではありません。

 日本を含む世界各国は、アフガニスタンの復興を支援することはできても、アフガニスタンの治安を回復し、旅行者が安心して訪れることができる、すなわち、麻薬に代わる外貨収入の重要な手段として観光業がなりたつような環境を整えるのは、なによりも先ず彼ら自身の努力が必要なことはいうまでもありません。

 なお、バーミヤンの大仏を始め、アフガニスタンに残る仏像を取り上げた切手については、拙著『切手が語る仏像』でもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 欧米人も実は捕鯨が大好き ★★★

 鯨を追い、七つの海へと旅立った男たちの歴史と文化
  キュリオマガジン6月号・巻頭特集 捕鯨浪漫主義

      捕鯨浪漫主義  

 捕鯨は日本だけの特殊な文化・伝統なのか。否、そんなことは断じてない。むしろ、歴史的に見れば、欧米社会こそ、捕鯨を題材とした文学・演劇・音楽・絵画などさまざまな文化を残してきたではないか。 陸の西部劇と海の捕鯨は、カッコいい荒くれ男たちの物語の双璧である。知力・体力の限りを尽くし、命の危険を顧みずに大自然の中で奮闘する男たちの姿を見て、単純素朴に美しいと感じる人も多いはずだ。 

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 31年ぶりの国葬
2009-03-19 Thu 14:45
 1978年に左翼クーデターで殺害されたアフガニスタンの初代大統領、ムハンマド・ダーウードの国葬がおととい(17日)、カブールで31年ぶりに営まれたのだそうです。というわけで、今日はこの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ムハンマド・ダーウード

 これは、1974年7月25日、“共和国1周年”を記念してアフガニスタンが発行した切手の1枚で、大統領としてのダーウードの肖像が大きく取り上げられています。
 
 ダーウードは国王ザヒル・シャーの従弟にして義弟で、1909年生まれ。1953年に王制下のアフガニスタンで首相に就任しました。

 ダーウードが首相に就任した当時、アフガニスタンは冷戦下での中立を維持すべく、米ソ両国とは等距離を保とうとしていました。このため、ダーウード内閣は、“隣国”であるソ連との従来からの関係を維持しつつも、再三に渡ってアメリカにも軍事援助を要請しましたが、アメリカはこれを拒否しています。対ソ戦略上、イランを「湾岸の憲兵」として取り込んでいたアメリカにとって、アフガニスタンはたいして価値のないものと考えられたためです。

 また、アメリカの支援を得て行われたヘルマンド川(アフガニスタン第一の大河)開発計画が挫折したことも、アフガニスタンにアメリカとの距離を感じさせる原因となりました。さらに、1955年、バグダード条約機構が成立し、パキスタンはその加盟国として西側陣営の反ソ包囲網の一翼を担うようになりましたが、このため、アフガニスタンは、領土問題を抱える敵国・パキスタンへの対抗上、必然的にソ連との関係を強化していかざるを得ませんでした。

 一方、ソ連にとっては、アフガニスタンを勢力圏内に収め、そこから係争地カシミールを経てインド(冷戦下では親ソ派の大国と位置づけられていた)につながることができるようになれば、西側の反ソ包囲網を分断し、インド洋にも到達しうるというプランは、非常に魅力的なものでした。

 かくして、ソ連からアフガニスタンへは巨額の援助が流れ込み、その見返りとしてアフガニスタンからは綿花や羊毛、天然ガスなどがソ連領に送られ、アフガニスタン経済はソ連への従属を強めていくことになります。

 このように、関係各国の思惑が交錯する中で、1955年、パキスタンが西北辺境州(パシュトゥン人居住地域)をはじめとする西パキスタン諸州を一州に統合。これに対して、パシュトゥニスタン地域の反パキスタン闘争を画策していたアフガニスタンは異議を唱え、両国関係は極端に悪化。1961年9月、両国は国交断絶・国境閉鎖の事態にまで陥りました。結局、このときは、1963年に対パキスタン強硬派のダーウードが首相を辞任し、イラン国王の仲介により両国の関係が正常化されています。

 しかし、王族出身の宰相・ダーウードが対パキスタン関係改善のために辞任したことは、アフガニスタンにおける王族の権威を大きく損ない、以後、アフガニスタンは平民宰相の下で政治的に不安定な状況が続くようになりました。そして、1971年、イギリスがスエズ以東から撤退したのを機に、アフガニスタンは外交方針を転換。イギリスとイランに接近し、パキスタンとも関係改善を志向するようになりました。

 しかし、こうした政策転換は、ソ連ならびにその強い影響下にあった左翼将校の反発を招きます。そして、1973年7月、国王ザーヒル・シャーが眼の治療のためにイタリア滞在中、ダーウード元首相を中心に軍の左翼将校と親ソ勢力のパルチャム党が無血クーデタを敢行。国王はローマで退位を表明し、ダーウードがアフガニスタン共和国の大統領兼首相に就任しました。今回ご紹介の切手は、その1周年に際して発行されたものです。

 ところで、共和革命の当時、アフガニスタンは国家収入の40パーセントを外国に依存する状況となっていた。このため、ダーウードは、国家建設に必要な援助を求めてソ連との関係を当面は維持するものの、将来的には、経済的な自立(少なくとも、ソ連への過度の依存状況からの脱却)を課題として掲げていました。その際、ダーウードが注目したのが、石油収入を増大させた王制イランでした。

 ダーウードの共和国政府はイランとの外交関係を強化し、ソ連とは距離を置きはじめるとともに、国内の体制基盤を固めるためにも、1975年以降、革命の際の同志であった親ソ勢力を政権中枢から排除しはじめます。当然のことながら、このことは、ソ連との関係を背景に勢力を拡大しつつあった国内共産主義者たちとの間で摩擦を引き起こし、アフガニスタンの政局は急速に不安定化しました。その結果、1978年4月、アフガニスタン人民民主党(共産党)による反ダーウードのクーデタ(4月革命)が発生。ダーウードをはじめ政府首脳は暗殺され、同年6月には人民民主党のヌール・ムハンマド・タラキーを革命評議会議長兼首相とする左翼政権、アフガニスタン民主共和国が成立し、ソ連軍のアフガニスタン侵攻への道を開くソ連=アフガニスタン友好善隣協力条約が締結されることになるのです。

 このあたりの事情については、以前、拙著『中東の誕生』でもまとめてみたことがあるのですが、同書は現在版元品切れ・重版未定の状態です。いずれ、最近の状況も加えた改訂版を出したいところですが…。 
 

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