2021-09-15 Wed 11:31
きょう(15日)は、1821年9月15日に中米のコスタリカがスペインからの独立を宣言したことにちなみ、同国の独立記念日です。というわけで、ことしはそこから200年の節目の年でもありますので、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1998年にコスタリカが発行した“第2共和国の精神”と題する切手シートで、壁を打ち破るホセ・フィゲーレス・フェレールが取り上げられています。 20世紀初頭のコスタリカは、ユナイテッド・フルーツの支配するコーヒーとバナナのモノカルチャーでした。このため、1927年、国際市場でコーヒーとバナナが値崩れしたところへ、1929年の世界恐慌が発生すると、コスタリカ経済は深刻な打撃を受け、1929年に1800万ドルあった総輸出額は、1932年には800万ドルと半額以下に落ち込み、財政赤字は拡大。失業者があふれる中、1933年にはサンホセで大規模な暴動が発生しました。 このため、国家共和党のリカルド・ヒメネス=オレアムノ(任期1932-36)、レオン・コルテス・カストロ(1936-40)の両政権は、コーヒー保護協会の設立、農業労働者の最低賃金制導入、銀行改革等を行ったほか、失業者対策で公共事業費を3倍に増加。これにより、コスタリカ経済にも復調の兆しが見え始めたものの、1939年に第二次欧州大戦が勃発し、欧州市場が閉鎖されると、再び不況に見舞われました。 そこで、1940年の大統領選挙では社会民主主義者のラファエル・アンヘル・カルデロン・グアルディアが当選。コスタリカ大学の創立、社会保障制度の確立、生活保護と労働法の制定等が行われ、福祉国家の基礎が築かれました。 ところが、カルデロン政権のリベラルな社会改革には富裕層が激しく反発。1944年の大統領選挙(コロンビアでは連続再選は禁止されているため、この時の選挙にはカルデロンは立候補できません)では、カルデロン路線の継承を掲げてテオドロ・ピカードが当選しましたが、反対派は選挙に不正があったと攻撃。以後、反政府勢力による爆弾テロが頻発するようになり、カルデロン以来の社会改革も頓挫してしまいます。 カルデロン派と反カルデロン派の対立が激化する中で、元大統領のレオン・コルテスは何とか両者の調停を試みたものの、1946年、不調のうちに死去。対立が解消されないまま、1948年の大統領選挙では、カルデロンと、反カルデロン派候補のルイス・ラファエル・オティリオ・ウラテ・ブランコが争い、ウラテが勝利しました。ところが、カルデロン派や共産党支持派はウラテの大統領選に不正があったとして、カルデロン派が多数を占める議会は大統領選挙の結果は無効と宣言します。 こうした中、両派の泥沼の対立に業を煮やした農業資本家のホセ・フィゲーレス・フェレールが、1948年3月12日、民主主義的な国民選挙を守るという口実で、カリブ外人部隊を含む“国民解放軍”を率いて蜂起。いわゆるコスタリカ内戦(解放戦争)が勃発しました。 以後、4月19日まで続いた内戦では4000人以上が死亡。国民解放軍は政府軍を打倒してカルデロン派を追放し、共産党を非合法化したうえで、5月1日、フィゲーレスを首班とする暫定政権が組織されました。 フィゲーレスは、社会的混乱の元凶と判断した既存の支配権力の排除に乗り出し、まず、銀行の国有化と資本利得に対する特別税の徴収を行います。1949年には新憲法を施行し、女性や黒人の政治参加を認めるとともに、過去の歴史から政治的混乱の要因でしかなかった軍隊を廃止し、それまで軍隊の担っていた役割を武装警察に移管しました。これが、コスタリカで第2共和国と呼ばれる現体制のことで、今回ご紹介の切手は、その50周年を記念して発行されたものです。 なお、1948年の憲法改正により、制度としての軍隊廃止後もコスタリカの防衛力が弱体化されたわけではなく、ニカラグア政府に支援された傭兵軍とともに旧政府軍が侵攻してきた際にはコスタリカ武装警察がこれを撃退したほか、1949年8月には、元公安大臣のエドゥガル・ガルドナのクーデターも鎮圧されました。 こうして、体制変革に一応のめどをつけたフィゲーレスは、1949年11月、ウラテの大統領就任を認め、自らはいったん退陣しました。ただし、その後、フィゲーレスは1958年および1970年の大統領選挙で当選しています。 なお、現在のコスタリカの“警察”力は、人口の0.2%にあたる8000人で、約4400人の治安警備隊は対戦車ロケット砲などの重火器で武装しており、諸組織の予算は隣国ニカラグアの国軍の約3倍。米州機構の加盟国として、地域内安保・外交的安保(集団的自衛権)の両面で米国をはじめ他の加盟国と協調関係にあり、米軍からM-16などの武器供与並びに、米軍の訓練を受けています。 ★ 放送出演・講演・講座などのご案内★ 9月19日(日) 21:55~ 拉致被害者全員奪還ツイキャス 9月19日(日)、拉致被害者全員奪還ツイキャスのゲストで内藤が出演しますので、よろしかったら、ぜひ、こちらをクリックしてお聴きください。 9月20日(月) 05:00~ おはよう寺ちゃん 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。 武蔵野大学のWeb講座 「切手と浮世絵」 配信中です! 8月11日から10月12日まで、計6時間(30分×12回)の講座です、お申し込みなどの詳細は、こちらをご覧ください。 ★ 『世界はいつでも不安定』 オーディオブックに! ★ 拙著『世界はいつでも不安定』がAmazonのオーディオブック“Audible”として配信されました。会員登録すると、最初の1冊は無料で聴くことができます。お申し込みはこちらで可能です。 ★ 『誰もが知りたいQアノンの正体』 好評発売中! ★ 1650円(本体1500円+税) * 編集スタッフの方が個人ブログで紹介してくれました。こちらをご覧ください。 ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2018-10-25 Thu 07:23
ご報告がすっかり遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2018年9月26日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はコスタリカ(と一部ニカラグア)の特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1960年に発行された“解放戦争(コスタリカ内戦)2周年”の記念切手で、内戦時の国民解放軍が描かれています。 20世紀初頭のコスタリカは、ユナイテッド・フルーツの支配するコーヒーとバナナのモノカルチャーでした。このため、1927年、国際市場でコーヒーとバナナが値崩れしたところへ、1929年の世界恐慌が発生すると、コスタリカ経済は深刻な打撃を受け、1929年に1800万ドルあった総輸出額は、1932年には800万ドルと半額以下に落ち込み、財政赤字は拡大。失業者があふれる中、1933年にはサンホセで大規模な暴動が発生しました。 このため、国家共和党のリカルド・ヒメネス=オレアムノ(任期1932-36)、レオン・コルテス・カストロ(1936-40)の両政権は、コーヒー保護協会の設立、農業労働者の最低賃金制導入、銀行改革等を行ったほか、失業者対策で公共事業費を3倍に増加。これにより、コスタリカ経済にも復調の兆しが見え始めたものの、1939年に第二次大戦が勃発し、欧州市場が閉鎖されると、再び不況に見舞われました。 このため、1940年の大統領選挙では社会民主主義者のラファエル・アンヘル・カルデロン・グアルディアが当選。コスタリカ大学の創立、社会保障制度の確立、生活保護と労働法の制定等が行われ、福祉国家の基礎が築かれました。 ところが、カルデロン政権のリベラルな社会改革には富裕層が激しく反発。1944年の大統領選挙(コロンビアでは連続再選は禁止されているため、この時の選挙にはカルデロンは立候補できません)では、カルデロン路線の継承を掲げてテオドロ・ピカードが当選しましたが、反対派は選挙に不正があったと攻撃。以後、反政府勢力による爆弾テロが頻発するようになり、カルデロン以来の社会改革も頓挫してしまいます。 カルデロン派と反カルデロン派の対立が激化する中で、元大統領のレオン・コルテスは何とか両者の調停を試みたものの、1946年、不調のうちに死去。対立が解消されないまま、1948年の大統領選挙では、カルデロンと、反カルデロン派候補のルイス・ラファエル・オティリオ・ウラテ・ブランコが争い、ウラテが勝利しました。ところが、カルデロン派や共産党支持派はウラテの大統領選に不正があったとして、カルデロン派が多数を占める議会は大統領選挙の結果は無効と宣言します。 こうした中、両派の泥沼の対立に業を煮やした農業資本家のホセ・フィゲーレス・フェレールが、1948年3月12日、民主主義的な国民選挙を守るという口実で、カリブ外人部隊を含む“国民解放軍”を率いて蜂起。いわゆるコスタリカ内戦(解放戦争)が勃発しました。 以後、4月19日まで続いた内戦では4000人以上が死亡。国民解放軍は政府軍を打倒してカルデロン派を追放し、共産党を非合法化したうえで、5月1日、フィゲーレスを首班とする暫定政権が組織されました。 フィゲーレスは、社会的混乱の元凶と判断した既存の支配権力の排除に乗り出し、まず、銀行の国有化と資本利得に対する特別税の徴収を行います。1949年には新憲法を施行し、女性や黒人の政治参加を認めるとともに、過去の歴史から政治的混乱の要因でしかなかった軍隊を廃止し、それまで軍隊の担っていた役割を武装警察に移管しました。 ただし、制度としての軍隊廃止後もコスタリカの防衛力が弱体化されたわけではなく、ニカラグア政府に支援された傭兵軍とともに旧政府軍が侵攻してきた際にはコスタリカ武装警察がこれを撃退したほか、1949年8月には、元公安大臣のエドゥガル・ガルドナのクーデターも鎮圧されました。 こうして、体制変革に一応のめどをつけたフィゲーレスは、1949年11月、ウラテの大統領就任を認め、自らはいったん退陣しました。ただし、その後、フィゲーレスは1958年および1970年の大統領選挙で当選しています。 なお、現在のコスタリカの“警察”力は、人口の0.2%にあたる8000人で、約4400人の治安警備隊は対戦車ロケット砲などの重火器で武装しており、諸組織の予算は隣国ニカラグアの国軍の約3倍で、米軍の駐留兵力もあり、軽武装も可能です。 さて、『世界の切手コレクション』9月26日号の「世界の国々」では、コスタリカ内戦についての長文コラムのほか、自然エネルギー、マナグア湖、ココ島の切手などもご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。 なお、「世界の国々」の僕の担当ですが、今回のコスタリカ(と一部ニカラグア)の次は、10月3日発売の同10日号でのテュニジア(と一部ザイール)、10月24日発売の同31日号でのKUTの特集となっています。これらについては、順次、このブログでもご紹介する予定です。 ★★★ 近刊予告! ★★★ えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です! 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。 (画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) ★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★ 本体2500円+税 【出版元より】 中東100 年の混迷を読み解く! 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史! 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2018-08-07 Tue 01:25
きょう(7日)は、8(バ)・7(ナナ)の語呂合わせで“バナナの日”です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、2008年にコスタリカが発行した“労働・社会保険庁100年”の記念切手で、同省庁舎に掲げられている壁画のうち、コスタリカの主要輸出品、バナナとコーヒーを運ぶ労働者を取り上げた部分の切手です。ちなみに、切手は4種連刷のシート形式となっており、その全体像はこんな感じです。 パナマ地峡からコスタリカにバナナが導入されたのは1871年のことでした。同年、コスタリカ政府は、首都サンホセの北西19キロの地点にあるアラフエラから、サンホセを経由し、カリブ海岸のプエルト・リモンまでを結ぶ鉄道建設の契約をヘンリー・メイグスと結びます。メイグスは甥のマイナー・キースに事業を手伝わせ、建設工事中の1873年、労働者向けの安い食料として鉄道沿線でバナナの栽培を本格的に開始。1877年にメイグスが亡くなるとキースが跡を継ぎます。鉄道は1890年に全区間が開通したが、これを機にキースのバナナ取引会社はコスタリカ経済に対する影響力を強め、その支配下でのコーヒーとバナナのモノカルチャーがコスタリカの経済基盤となりました。 一方、1898年の米西戦争でキューバの富豪デュモア家のバナナ・プランテーションが壊滅的な打撃を蒙ると、1899年、キースのバナナ取引会社とアンドリュー・プレストンのボストン・フルーツ・カンパニーが合併して“ユナイテッド・フルーツ・カンパニー”が設立され、デュモア家の農場を引き継ぎます。これとあわせて、ユナイテッドフルーツ社はキューバの砂糖産業に参入し、数年以内に砂糖モノカルチャーだったキューバ経済を掌握しました。 以後、ユナイテッド・フルーツ社は、中央アメリカ・コロンビア・エクアドル・西インド諸島の広大な土地をおさえ、プランテーションで栽培させた砂糖やバナナ、パイナップルなどを独占的に生産・販売しただけでなく、関連産業や通信・電力・輸送なども掌握し、これらの地域を経済的に支配します。このため、たとえば、1954年には、グアテマラでアルベンス政権が大規模な農地改革を行い、ユナイテッド・フルーツ社の土地所有を制限した際には、同社は米国政府と結託してアルベンスを攻撃し、失脚に追い込んだほどでした。 その後、ユナイテッド・フルーツは1970年にユダヤ系ポーランド人のイーライ・M・ブラックに買収され、“ユナイテッドブランド”に改名。 さらに、1990年には社名をチキータ・ブランドに改称し、現在に至っています。 さて、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、革命の背景となったユナイテッド・フルーツ社の中南米支配についても、キューバのみならず各国の事情についてまとめています。諸般の事情で制作作業が予定よりも大幅に遅れており、心苦しい限りなのですが、正式な刊行日等、詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。 ★★★ 近刊予告! ★★★ えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です! 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。 (画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) ★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★ 本体2500円+税 【出版元より】 中東100 年の混迷を読み解く! 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史! 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
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