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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 敬老の日
2023-09-18 Mon 08:51
 きょうは敬老の日です。というわけで、“お年寄り”に関するマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ナルブート絵葉書・コブザール

 これは、ロシア帝国時代の1910年代にサンクトペテルブルクで制作された赤十字の絵葉書で、ウクライナ国民共和国の切手の原画作者としても知られる画家、ヘオルヒー(ゲオルギー)・ナルブートの「マロロシア(ウクライナ) バンドゥーラを弾くコブザール』(1907年) が取り上げられています。作品に描かれている吟遊詩人のコブザールが白髪・白い髭の老人というのがミソです。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 9月22日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 10月7日(土) 新講座「謀略の世界史」スタート
 原則毎月第1土曜日開催のよみうりカルチャー荻窪での講座です。MI6、CIA、モサドなど各国の情報機関のあらましや、現代史の中で彼らが実際に関与した事件などを幅広くご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。
 
 武蔵野大学のWeb講座 
 大河企画の「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」、引き続き開講中です。詳細はこちらをご覧ください。 

 「龍の文化史」、絶賛配信中です。龍/ドラゴンにまつわる神話や伝説は世界各地でみられますが、想像上の動物であるがゆえに、それぞれの物語には地域や時代の特性が色濃く反映されています。世界の龍について興味深いエピソードなどを切手の画像とともにご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。


★ 『今日も世界は迷走中』 好評発売中!★

      今日も世界は迷走中

 ウクライナ侵攻の裏で起きた、日本の運命を変える世界の出来事とは!内藤節炸裂。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 ロシア当局が日本外交官を拘束
2022-09-28 Wed 03:19
 ロシア連邦保安局は、26日、違法な情報活動をしていたとして在ウラジオストク日本総領事館の領事をスパイ活動の疑いで拘束し、“ペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)”に指定し、国外退去を通告したと発表しました。というわけで、在ウラジオストクの日本人社会に関するマテリアルとして、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ロシア帝国・ウラジオ居留民会

 これは、1911年2月5日(ロシア側の消印のユリウス暦では1月23日)、ウラジオストク在住の日本人時計商が大阪宛に差し出した葉書で、”裏潮斯徳(ウラジオストク)/居留民會扱”の印が押されているのがミソです。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。なお、内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 10月14日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。

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 「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」と「日本郵便150年の歴史」の2種類の講座をやっています。詳細はこちらをご覧ください。 


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 怨霊、ゾンビ、鬼、そして人間の闇 … 古今東西の奇妙な切手を集めた一冊。
 それぞれの切手には、いずれも世に出るだけの理由が必ずある。
 その理由を求めて、描かれた題材の歴史的・文化的・社会的背景を探っていくと、そこからさまざまなドラマが浮かび上がってくる。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 ロシア、一部硬貨の製造を中止へ
2022-07-26 Tue 09:40
 ウクライナ侵攻によって西側諸国の経済制裁が長期化するロシアで、ロシア中央銀行はコストを抑えるために一部の硬貨の製造を中止する方針を明らかにしました。というわけで、今日はこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
      
      ロシア補助貨幣1915・裏
      ロシア補助貨幣1915

 これは、第一次大戦中のロシアで、金属不足に対応するために発行された“貨幣代用切手”で、「補助貨幣と同じく流通する」旨を印刷した厚紙の裏面に、1913年に発行されたロマノフ王朝300年シリーズの切手の印面を印刷し、コインの代用としたものです。

 詳細につきましては、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。なお、内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。また、第一次大戦中の金属不足に対応して、“切手”をコインの代用とした事例については、拙著『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.1 戦前編』でもご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 8月12日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

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 その理由を求めて、描かれた題材の歴史的・文化的・社会的背景を探っていくと、
 そこからさまざまなドラマが浮かび上がってくる。

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 世界の寄附金つき切手③
2015-03-09 Mon 19:31
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、雑誌『キュリオマガジン』2015年3月号ができあがりました。僕の連載「世界の寄附金つき切手」は、今回は、旧陸軍記念日の3月10日に合わせて、この切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

       ロシア・日露戦争募金(5コペイカ)

 これは、日露戦争に敗北した帝政ロシアが、日露戦争の戦没者遺児に対する義捐金を募る目的で1905年に発行した寄附金つき切手の1枚で、モスクワ・ワシリー聖堂前のクジマ・ミーニンとドミトリー・ポジャルスキーの像(1818年、マールトルス作)が取り上げられています。

 17世紀初頭のスムータ(ロシア大動乱)時代の1610年9月、ポーランド軍はモスクワを占領しました。これに対して、1611年秋、ロシア東部のニジニ・ノヴゴロドで、肉商人のクジマ・ミーニンは義勇軍の結成を提唱。同地の商人たちは、これに賛同して郡資金を拠出し、反ポーランド民衆軍(第2次義勇軍、第2次国民軍)が組織され、ミーニンの依頼を受けて、ドミトリー・ポジャルスキー公爵が軍を率いることになりました。

 翌1612年1月、ポーランド軍の一部が給料不払いを理由に撤退すると、義勇軍はモスクワに向けて進撃し、クレムリンを包囲。1612年11月、ポーランド軍は降伏し、ロシア人はモスクワを回復します。この結果、ミーニンとポジャルスキーはロシア救国の英雄となり、翌1613年、ミハイル・ロマノフがツァーリとして即位し、ロマノフ朝が創建された際、ミーニンも貴族に列せられ、帝国議会の議員となりました。

 さて、今回ご紹介している切手ですが、発行当時、郵便局の窓口では、額面の5コペイカに対して3コペイカを上乗せした8コペイカで発売されており、帝政ロシアにおける最初の付加金つき切手となりました。また、日露戦争がらみということで言えば、ヨーロッパ諸国で“日本”に関連して発行された最初の切手としても知られています。

 なお、このとき発行された切手には、モスクワのクレムリンピョートル大帝の銅像など、いずれも大国ロシアのプライドを誇示するものばかりで、対日戦争の敗戦というロシア側にとっての忌まわしい出来事を連想させる要素は全くありません。一方、日本でも、日露戦争後の1906年、陸軍凱旋観兵式の記念切手が発行されていますが、こちらは小型で単色ですから、切手だけを見ていると、どちらが戦勝国だか…という感じですな。


 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 毎月1回(原則第1火曜日:3月31日、4月7日、6月2日、7月7日、8月4日、9月1日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(下の青い文字をクリックしていただくと、よみうりカルチャーのサイトに飛びます)

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 次回開催は3月31日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』 3月25日発売! ★★★ 

         日の本切手 美女かるた・表紙 税込2160円

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 本書のご注文はこちら(出版元の予約受付サイトです)へ。内容のサンプルはこちらでご覧になれます。


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 元関脇・阿覧が引退
2013-10-08 Tue 17:47
 大相撲の元関脇でロシア出身の幕内力士、阿覧(本名:アラン・ガバライエフ)が、きょう(8日)、日本相撲協会に引退届を提出しました。三保ケ関親方が11月で定年を迎えるため、秋場所限りで入門時から所属していた三保ケ関部屋が閉鎖となったことで、制度上は春日野部屋に移籍したものの、相撲を続ける気力がなくなったのが最大の原因のようです。というわけで、きょうは阿覧関の出身地ウラジカフカースにちなんでこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       ウラジカフカース鉄郵印

 これは、ロシア帝国時代の1909年3月、ウラジカフカースから差し出された葉書で、ウラジカフカース駅の鉄郵印が押されています。

 現在、ロシア連邦北オセチア共和国の首都となっているウラジカフカースは、1784年、ロシア帝国のカフカース支配の中心都市としてテレク河畔に建設された都市で、都市名に含まれるウラジは、ウラジオストク同様、「領有する」という意味の動詞の派生語です。

 1801年、ロシア帝国はグルジアを支配していたカルトゥリ・カヘティ王国を併合しますが、これに伴い、グルジアの首都であったトビリシとウラジカフカースを結ぶ全長約210キロの道路の建設が開始されると、ウラジカフカースはその北側の終着点にして、チェチェン、イングーシ、ダゲスタン方面に至る交通の要衝となりました。ちなみに、今回ご紹介の絵葉書の裏面には、20世紀初頭のグルジア軍用道路の写真が印刷されています。

       ウラジカフカース・軍用道路

 その後、ソ連時代の1931年には、帝政時代の痕跡を消し去るべく、革命家セルゴ・オルジョニキーゼの名をとってオルジョニキーゼと改称されました。その後、1944-54年にオセット語で「ザーウガの集落」を意味するジャウジカウと呼ばれていた時期を除き、ソ連時代には基本的にオルジョニキーゼと呼ばれていましたが、ソ連末期の1990年、旧称のウラジカフカースに戻され、現在にいたっています。

 いわゆるカフカース(コーカサス)地方は、行政上の変更が頻繁に行われ、それに伴い、地名もいろいろと変化しているので、収集対象としてはなかなか楽しめそうです。そんなことを考えて、今年の1月に開催されたヨーロッパ切手展には、北カフカースに関するミニ・コレクションを出品してみたのですが、その後はそのまま放置する状態が続いています。この分野で何かまとまった仕事を残すためには、来年開催のソチ五輪が格好のタイミングであることは間違いないので、ロシア国内の聖火リレーが始まったというニュースを聞いて、いまさらながら、気合を入れて企画を売り込まねば…と思っています。


 ★★★ トーク・イベントのご案内 ★★★

 10月17日19:00より、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店ふらっとすぽっとにて、おくればせながら、拙著『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークをやります。

 入場無料でプレゼントもご用意しております。今年の11月は世界切手展<Brasiliana 2013>へ参加のため、ブラジルに行っており、恒例の<JAPEX>でのトークはできませんので、この機会に、ぜひ遊びに来てください。

 なお、出版元の告知ページもあわせてご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は11月5日(原則第1火曜日)で、以後、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 ピョートル大帝以来
2013-06-08 Sat 10:55
 ロシアのプーチン大統領が30年近く連れ添ってきたリュドミラ夫人と離婚しました。ロシアの国家元首の離婚は、かのピョートル1世以来のことだそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       ピョートル大帝(1913)

 これは、1913年に帝政ロシアで発行されたピョート1世を描く4コペイカ切手です。

 ピョートル1世は、モスクワ・ロシアのにツァーリ、アレクセイ・ミハイロヴィチとの子として生まれました。1682年にツァーリとして即位し、ロシアをヨーロッパ列強の一員とし、スウェーデンからバルト海海域世界の覇権を奪取してバルト海交易ルートを確保するとともに、黒海海域をロシアの影響下におくことに力を注ぎ、長年にわたって大北方戦争を戦いました。また、行政改革を断行して海軍を創設したほか、帝都サンクトペテルブルクを建設し、正教会を国家の管理下におくなど、ツァーリによる権力の集中を進め、1721年には、大北方戦争の勝利を機に、ロシアを東方の辺境国家から脱皮させたその功績により“皇帝(インペラートル)”となり、モスクワ・ロシアをロシア帝国に昇格させるなど、文字通り、ロシアの“建国の父”ともいうべき君主です。

 さて、ピョートル1世は、1689年、モスクワの貴族の娘、エヴドキヤ・フョードロヴナ・ロプーヒナと最初の結婚をしました。2人の間には3人の子が生まれましたが、エヴドキヤの親族は保守的な思想信条の持ち主だったため改革派のピョートルとはことごとく対立。そうしたこともあり、夫婦関係は冷却し、ピョートルはオランダ人女性のアンナ・モンスを寵愛するようになります。

 こうしたことから、1698年、エヴドキヤはピョートル1世側近の説得により、スーズダリのポクロフスキー修道院に送られましたが、次第に、彼女と息子のアレクセイの周囲には、ピョートル1世の改革に反対する保守派の聖職者たちが終結するようになります。彼らの間でエヴドキヤ待望論が高まったことに危機感を抱いたピョートル1世は、1718年、エヴドキヤ周圍の反ピョートル派を一挙に粛清。皇子アレクセイは拷問によって殺害され、エヴドキヤ自身もスタラヤ・ラドガの修道院に追放されました。

 この間の1707年、ピョートルは、農民の娘であったマルファ・マルファ・サムイロヴナ・スカヴロンスカヤと極秘裏に結婚。1712年には、彼女を正式に皇后とし、名前もエカチェリーナ・アレクセーエヴナと改めさせました。なお、新皇后のエカチェリーナは、1725年にピョートル1世がなくなると、皇位を継承し、エカチェリーナ1世となります。

 さて、今回離婚を発表したプーチン大統領は、強権的な剛腕政治で知られていますが、彼の理想は、ピョートル1世の時代のロシアを復活させることだとも言われています。まさか、ピョートル1世を敬愛するあまり離婚まで真似をしたということではないのでしょうが…。

 そういえば、2008年、アテネ五輪金メダリストの元新体操選手、アリーナ・カバエワとの再婚が一部メディアで報じられたことはご記憶の方もあるかと思います。その後、大統領側は再婚説を一蹴しましたが、再婚を報じたタブロイド紙『モスコフスキー・コレスポンデント』は、突如、資金難を理由に一時休刊(ただしすぐに再開)となりました。ちなみに、カバエワは、2008年のロシア連邦下院選挙で統一ロシアより出馬して国会議員に当選しており、翌2009年12月には男児を出産しましたが、父親の名前は明らかにされていません。

 まぁ、これで近々、次期大統領候補としてカバエワの名前が挙がってくるということにでもなれば、まさに、プーチン閣下は現代版ピョートル1世ということになるんですがね。
 

 ★★★ 内藤陽介の最新作 ★★★

       マリ近現代史
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 スタンプショウ・ヒロシマ 2013
2013-05-25 Sat 14:11
 きょう・あす(25・26日)の2日間、広島の広島県立産業会館・西展示館で<スタンプショウ=ヒロシマ 2013>が開催されます。僕自身は現地へはいけないのですが、「VISIT CAUCASUS 露西亜篇」と題するミニ・コレクションを出品しています。その作品の予告編を兼ねて、展示したマテリアルの中からこんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

     デルベント     デルベント(絵面)

 これは、帝政ロシア時代の1915年、ダゲスタンのデルベントからベラルーシのモズィル宛に差し出された絵葉書で、国内葉書料金(3コペイカ)未納のため、到着地のモズィル・ドプラティト局で6コペイカ徴収が徴収されています。右側には、デルベントの風景を取り上げた絵面の画像も貼っておきました。

 ダゲスタンは北カフカースのカスピ海に面した山岳地域で、現在のロシア連邦を構成する共和国としては、連邦内の最南部に位置し、グルジア、アゼルバイジャンと隣接しています。地名は“山が多い地域”を意味するトルコ語が由来で、多種多様な民族が混在していますが、宗教的にはムスリムが圧倒的多数を占めています。最近では、今月20日前後に相次いで首都のマハチカラで連続テロが起きたほか、米国のボストン・マラソンでのテロ事件で逮捕されたチェチェン系の容疑者出身地として報道されたこともあるので、ご記憶の方も多いかもしれません。

 今回ご紹介の葉書の差出地となっているデルベントはロシア最南端の都市で、歴史的には、ユーラシア草原と柱頭を結ぶ交通の要衝で、その歴史は紀元前8世紀にさかのぼるとされています。アレクサンドロスの門の伝説の地で、9世紀にはカフカース最大の都市でした。ちなみに、デルベントという地名はペルシャ語の「閉じられた門」に由来するもので、1813年のグリスタン条約によってロシア領となりました。ロシアにおけるブランデー生産の中心地としても知られています。

 さて、今回の展示は、来年のソチ五輪を前に、ソチを含む北カフカース地方の諸都市に関するマテリアルをご紹介しようというもので、競争展ではないので、テーマティクないしは郵便史の作品としてルールに沿ってきっちりまとめたものというよりも、観光案内・地理案内に近い気楽な内容となっています。なかなか日本ではなじみのない地域だと思いますので、可能な方は、ぜひ会場でご覧いただけると幸いです。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 ・6月1日(土) 11:00- 切手市場
 於 東京・浅草 台東民会館 9階ホール
 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『マリ近現代史』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しておりますので、ぜひ、遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 ★★★

       マリ近現代史
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 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

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 エカチェリノダール
2012-07-09 Mon 13:49
 1762年7月9日(ロシア暦6月28日)にロシアの女帝エカチェリーナ(エカテリーナとも)2世が即位したから、きょうでちょうど250年です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       エカチェリーナ2世

 これは、1913年に帝政ロシアで発行されたエカチェリーナ2世を描く14コペイカ切手です。

 後にエカチェリーナ2世となるゾフィー・アウグスタ・フレデリーケは、1729年5月2日、シュテッティン(現ポーランド領)の貴族の娘として生まれました。1745年、ロシア皇太子ピョートルと結婚し、1754年、パーヴェル(のちのロシア皇帝パーヴェル)を出産しました。

 1762年、エリザヴェータ女帝が崩御し、ピョートルがピョートル3世として即位すると、夫婦仲が悪かったエカテリーナは廃后されそうになります。しかし、親独派のピョートルが即位するや対プロイセン戦争(戦局はロシア有利に展開されていました)を停戦に持ち込み、プロイセン有利の講和条約を結んだことで、これに反発する軍事クーデターが発生。ピョートル3世は暗殺され、皇后エカチェリーナが女帝として即位することになりました。

 彼女の治世は34年間に及び、ロシア帝国の領土をポーランドやウクライナに拡大するとともに、啓蒙思想に傾倒してロシアの近代化を促したと評価されており、それゆえ、大帝と呼ばれることもあります。

 さて、先週末からロシア南部のクラスノダール地方では、豪雨による洪水や土砂崩れが発生し、日本時間のけさ未明までの死者は170人を超える大惨事となりました。このクラスノダール地方は、もともと、エカチェリノダールと呼ばれていましたが、これは、エカチェリーナ2世がこの地方の広大な土地を黒海コサック軍に与えたことを記念してつけられた名前です。ちなみに、現在のクラスノダールに改称されたのは、ロシア革命後の1920年12月のことで、皇帝の名前を冠した地名が忌避されたためです。

 今回の被害を受けて、プーチン大統領は、ロシア全土できょう(9日)を“服喪の日”とする大統領令を出したそうです。亡くなられた方のご冥福を謹んでお祈りするとともに、一日も早い復旧・復興(この機会に、都市の名前も由緒あるエカチェリノダールに戻すのも良いんじゃないかと思いますが…)をお祈りしております。

 ★★★ 内藤陽介・韓国進出! ★★★

   『韓国現代史』の韓国語訳、出ました
    
       韓国現代史・韓国語版
     우표로 그려낸 한국현대사
    (切手で描き出した韓国現代史)

     ハヌル出版より好評発売中!


    米国と20世紀を問い直す意欲作

       切手、歴史を送る(正面)
       우표,역사를 부치다
       (切手、歴史を送る)

      延恩文庫より好評発売中!

 *どちらも書名をクリックすると出版元の特設ページに飛びます。


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 国際女性デー
2012-03-08 Thu 13:57
 きょう(8日)は国際女性デーです。というわけで、女性を取り上げたこんな絵葉書のご紹介です。(画像はクリックで拡大されます)

        ナナイ・絵葉書

 これは、1908年にハバロフスクから差し出された帝政ロシア時代の絵葉書で、シベリア先住民族の母子が取り上げられています。絵葉書のキャプションでは、女性は“ゴリド”とされていますが、これは、いわゆるナナイのことです。

 ナナイは、アムール川とウスリー川、スンガリー川(松花江)の合流する地域を中心にロシアと中国にまたがって住むツングース系の民族です。ロシア国内には約1万人が住み、ハバロフスク州内にはトロイツコィエ村を首府とするナナイ自治区もあります。一方、中国国内には赫哲(読み方はホジェンまたはホーチォ)族として約4600人が住んでいます。

 黒澤明の映画『デルス・ウザーラ』の主人公、デルスはナナイの猟師という設定ですが、一般的にナナイは漁撈の民として知られ、河川でのサケ・マス漁などの漁業を主な生計の手段とし、日本の刺身同様、魚の生肉も食べます。また、映画の設定となった20世紀初頭の時代には、魚の皮を材料とした民族衣装を身につけ、川沿いに半地下式の住居を立てて生活する者が主流を占めていました。

 もちろん、現在でも、半地下式の住居が漁の際の一時的な寝泊まりのために使われることもありますし、トロイツコィエ村では、観光客用のパフォーマンスとして、民族衣装を着た女性がシャーマニズムの儀式を行うこともあるのですが、基本的には、ナナイの人たちも我々と同じような洋服を着て、我々と同じような近代住宅で生活し、バスで学校や勤務先へと通う者がほとんどです。

 今回ご紹介の絵葉書の写真は、帝政ロシアのシベリア先住民族を撮影したものの中では有名な一枚で、現在では、ナナイではなく、ニヴフ(かつてはギリヤークと呼ばれていた別の民族)の母子とされています。じっさい、ハバロフスクの郷土誌博物館に展示されているパネルの説明文もニヴフとなっていました。

 なお、シベリアの先住民族については、拙著『ハバロフスク』でも取り上げておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。
 

 ★★★ 内藤陽介、カルチャーセンターに登場 ★★★
   
 3月下旬から、下記の通り、首都圏各地のよみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)で一般向けの教養講座を担当します。詳細につきましては、各講座名(青色)をクリックしてご覧いただけると幸いです。皆様のご参加を心よりお待ちしております。(掲載は開催日順)

よみうりカルチャー柏
 3月23日(金)13:00-15:00(公開講座)
 「ご成婚切手の誕生秘話――切手でたどる昭和史」
 *柏センター移転、新装オープン記念講座です。

 4月24日、5月22日、6月26日、7月24日、8月28日、9月25日
 (毎月第4火曜日)13:30~15:30

 切手でたどる昭和史


・よみうりカルチャー荻窪
 3月27日(火) 13:30~15:30(公開講座)
 「ご成婚切手の誕生秘話——切手でたどる昭和史」

 4月10日、5月8日、6月12日、7月10日、8月7日、9月11日
 (毎月第2火曜日)13:30~15:30

 切手でたどる昭和史


・よみうりカルチャー錦糸町 
 3月31日(土) 12:30-14:30(公開講座)
 皇室切手のモノ語り

 4月7日、6月2日、7月7日、8月4日、9月1日
 (毎月第1土曜日) 12:30~14:30

 郵便学者・切手博士と学ぶ切手のお話
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 プーチン凱旋
2012-03-05 Mon 12:11
 きのう(4日)、投票が行われたロシアの大統領選挙は、ウラジーミル・プーチン首相が、予想通り、4人の対立候補に大差をつけて1回目で当選を決め、4年ぶりの大統領復帰を決めました。というわけで、プーチン閣下の凱旋にちなみ、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        ハバロフスク・凱旋門

 これは、ハバロフスクの凱旋門を描いた帝政時代の絵葉書です。

 ハバロフスクの大聖堂広場の西側には、現在、内戦勝利記念碑が建てられていますが、もともと、ロマノフ王朝最後の皇帝ニコライ2世が皇太子時代の1891年にハバロフスクを訪問した際に建てられた凱旋門がありました。

 皇太子時代のニコライは、1890年から91年にかけて、ウラジオストクでのシベリア鉄道起工式に参加するという名目の下、帝王学の一環として、世界各国に対する見聞を広めるため、長期の外遊を行いました。

 すなわち、1890年11月4日にロシアを出発した皇太子は、11月7日にトリエステから欧州を後にし、エジプト(11月22日~12月10日)、インド(12月23日~1891年1月12日)、セイロン(1月12日~2月11日)などを経て、1891年3月19日にタイに到着。同月25日までタイにとどまった後、香港、日本(4月27日~5月19日)を経て、5月23日にウラジオストクに到着。この間、日本滞在中の5月11日には、京都から琵琶湖への日帰り観光の途中、大津で護衛にあたっていたはずの警官、津田三蔵に斬りつけられる暗殺未遂事件(大津事件)が起きたことは広く知られているとおりです。

 その後、皇太子は6月2日までウラジオストクにとどまり、8月16日にサンクトペテルスブルクに帰着しましたが、途中、極東の政治的中心地であったハバロフスクに立ち寄りました。このとき、皇太子を歓迎するために建てられたのが凱旋門で、皇太子はこの門をくぐって大聖堂広場に入城し、集まった群衆の熱烈な歓迎を受けています。

 しかし、ロシア革命でロマノフ王朝が倒れ、社会主義者たちが政権を掌握すると、王家のシンボルである双頭の鷲を誇らしげに掲げた凱旋門のみならず、広場の名前の由来でもあったウスペンスキー大聖堂も取り壊されました。そして、その代わりに、1918年から22年までのロシア内戦期の赤軍とパルチザンの活動を顕彰する記念碑がムラヴィヨフ・アムールスキー通りの起点として建てられ、現在にいたるというわけです。

 なお、かつて凱旋門、現在は内戦勝利記念碑を起点とする、ハバロフスクのムラヴィヨフ・アムールスキー通りの今昔については、拙著『ハバロフスク』でもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

 ★★★ 内藤陽介、カルチャーセンターに登場 ★★★
   
 3月下旬から、下記の通り、首都圏各地のよみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)で一般向けの教養講座を担当します。詳細につきましては、各講座名(青色)をクリックしてご覧いただけると幸いです。皆様のご参加を心よりお待ちしております。(掲載は開催日順)

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 明日、トークやります
2011-11-18 Fri 00:07
 かねてご案内の通り、明日(19日)13:10より、東京・目白の切手の博物館3階で開催の(財)日本郵趣協会コーリア部会例会にて、拙著『ハバロフスク』の刊行を記念して、「金正日生誕の地、ヴャツコエを訪ねて」と題するトーク・イベントを行います。というわけで、きょうはこんなマテリアルを持ってきました(画像はクリックで拡大されます)

        ヴャツコエ葉書

 これは、第一次大戦中、ハバロフスクの捕虜収容所から中部シベリアのアチンスクの収容所宛てに差し出されたドイツ系捕虜のはがきですが、名宛人の所在不明でハバロフスクに戻される過程で、ヴャツコエの軍事施設を通過したことを示す印が押されているのがミソです。

 ヴャツコエは、ハバロフスクから北東方向70キロほど、アムール川沿いの小さな村で、帝政ロシア時代から軍の施設があります。ヤロスラヴリ州のニクラソフスキー地区の同じ地名と区別するため、ヴャツコエ・ナ・アムーレと呼ばれることもあります。

 北朝鮮の“首領様”こと金日成(本名:金成柱)は、1912年4月、平壌郊外の万景台の農家に生まれました。1931年10月、当時のコミンテルンの一国一党原則に従い中国共産党(以下、中共)に入党。1932年には、中共の指導下で、豆満江沿岸で抗日パルチザンを組織して抗日武装闘争を展開したといわれています。その後、1935年2月には中共系の東北人民革命軍第2軍第2独立師第1団第3師隊長に就任。その後、同じく中共系の抗日聯軍第1路軍第2軍第6師・師長、同第2方面軍・軍長として活動しました。

 パルチザン時代の彼の最大の“功績”とされているのが、1937年6月4日に起きた普天堡事件です。

 この日、金成柱ひきいるパルチザン部隊は、朝鮮と満洲国の国境地帯、咸鏡南道(現在の北朝鮮の行政区分では両江道)の甲山郡普天面保田里(普天堡)で駐在所を襲撃。一味は警察官の妻と幼子を殺害し、駐在所から武器弾薬を奪った後、面事務所(村役場)や郵便局も襲い、書類に火を放ったほか(その火は近隣の小学校にも延焼しています)、近隣の商店と住宅も襲撃に遭い、現金合計4000円を強奪しています。さらに、逃走途中で日本の警察となり、日本側は7名の警察官が殉職しました。

 事件後、首謀者の金成柱は2000円(最終的には2万円に増額)の懸賞首となったほか、当時の朝鮮の治安に責任を負う立場の日本側は、朝鮮内における非合法独立活動の取締りを強化。1937年10月には、共産ゲリラ勢力の指導者を一網打尽に逮捕する恵山事件が起こり、満洲との国境地帯での抗日武装闘争は事実上、不可能になりました。

 このため、金成柱を含む抗日パルチザンはあいついでソ連領内に逃亡。金成柱も1940年末ごろ、最初の妻である金貞淑とともにソ連領に逃れています。

 金貞淑は、1917年、咸鏡北道・会寧の生まれ。5歳の時に母親とともに満洲の間島へ渡りましたが、母の死後、1935年に16歳でパルチザン部隊に炊事婦として入隊。後に東北抗日聯軍第2軍第6師(師長・金成柱)の部隊付となり、1940年頃、金成柱と結婚しました。

 アムール川を渡ってソ連領内に逃れた東北抗日聯軍の面々は、沿海地方のヴォロシーロフ・ウスリースク郊外に北野営(または野営A)、トルクメニスタンのケルキ郊外に南野営(または野営B)を設け、ソ連軍の軍事訓練を受けています。その後、この野営地をベースに、満洲から逃れてきた中国人および朝鮮人の遊撃隊員による第88独立狙撃旅団(以下、88特別旅団)が編成されるのですが、その所在地が、ヴャツコエだったというわけです。

 金成柱も同旅団の第1独立狙撃大隊長としてソ連赤軍の大尉の階級を与えられ、中国共産党東北東組織特別支部局委員会常任委員、同委員会朝鮮工作団責任者などを歴任しつつ、ヴャツコエでソ連軍による軍事訓練を受けていましたが、金正日は、そんな金成柱・金貞淑夫妻の間に最初の子として1942年2月16日にヴャツコエで生まれたというわけです。

 今回のトークでは、そうしたヴャツコエを訪れたときに撮影した写真などもご紹介しながら、金正日の誕生前後のソ連と朝鮮人パルチザンの話などをする予定です。

  今回のコーリア部会例会は特別例会ということで、部会の会員でなくとも、どなたでも自由にご参加いただけます。また、トークのみのご参加の場合、博物館の入館料はかかりませんので、ぜひ、遊びに来てください。


 ★★★ トーク・イベントのご案内 ★★★

 11月19日(土)13:10より、東京・目白の切手の博物館3階で開催の(財)日本郵趣協会コーリア部会例会にて、拙著『ハバロフスク』の刊行を記念して、以下のトークを行います。

 ・題目 金正日生誕の地、ヴャツコエを訪ねて
 
 現在、北朝鮮当局は、金正日が北朝鮮内の白頭山中で生まれたと主張していますが、これは事実と異なり、金日成・金貞淑夫妻がソ連領内で軍事訓練を受けている間に生まれたことが確認されています。その具体的な生誕地については諸説がありますが、最も有力視されているのは、ハバロフスク近郊のヴャツコエです。

 拙著『ハバロフスク』では、本編とは別の“付録”として、近郊のヴャツコエを訪れた体験記も収録しておりますが、今回のトークでは、現在のヴャツコエのようすなどもご紹介しつつ、お話ししたいと思います。

 * 今回のコーリア部会例会は特別例会ということで、部会の会員でなくとも、どなたでも自由にご参加いただけます。また、トークのみのご参加の場合、博物館の入館料はかかりません。 


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 裏表紙の絵葉書
2011-11-05 Sat 00:50
 きょう(5日)は、拙著『ハバロフスク』の奥付上の刊行日です。というわけで、カバーに取り上げた3点のマテリアルのうち、裏表紙の絵葉書についてご紹介します。なお、表紙上側の絵葉書についてはこちらを、右下の切手についてはこちらを、それぞれ、ご覧いただけると幸いです。(以下、画像はクリックで拡大されます)

        開業当時のハバロフスク駅

 これは、開業時のハバロフスク駅を取り上げた帝政ロシア時代の絵葉書です。

 極東へロシアの鉄道網を敷設する計画は早くも1857年には検討されており、ムラヴィヨフ=アムールスキーもハバロフスク周辺での調査を行いましたが、シベリアの開拓が緒に就いたばかりの時点で鉄道を建設しても収益が見込めないことから、ロシア政府は鉄道には消極的でした。しかし、極東に対する列強諸国の進出が本格化すると、ロシア政府もシベリア横断鉄道を検討せざるを得なくなります。

 この結果、1880年、皇帝アレクサンドル3世の命を受けてシベリア横断鉄道建設の具体的な検討が開始され、10年以上の歳月を経て、1891年、鉄道の両端で建設工事が開始。ウラジオストクでの起工式には皇太子ニコライも参列しました。

 東の終点、ウラジオストクからはウスリー川に沿ってハバロフスクに至るウスリー線の建設が開始され、1897年、同鉄道が開通。今回ご紹介の絵葉書の駅は、これにあわせて1897年2月5日に開業した当時のものです。

 なお、現在のハバロフスク駅は、下の画像のように、ネオ・ロシア様式の優美な建築となっていますが、これは、2008年のハバロフスク150周年記念事業の一環として、リニューアルされたものです。

        現在のハバロフスク駅外観

 拙著の裏表紙では、今日ご紹介のように、ハバロフスク駅の今昔を対比させておりますので、ぜひ、実物を手にとってご覧いただけると幸いです。
 
 なお、本日11:00からは、全国切手展<JAPEX>会場内にて、『ハバロフスク』刊行記念のトークを行いますので、こちらもあわせてお運びいただけると幸いです。


 ★★★ トーク・イベントのご案内 ★★★

 11月5日(土)、東京・池袋で開催される全国切手展<JAPEX>会場内で、以下のトークを行います。

・11:00 ハバロフスク…日本人の足跡を訪ねて
 切手紀行シリーズ④『ハバロフスク』の刊行を記念してのトークです。同書の中から、シベリア抑留の痕跡を中心に、ハバロフスクに残る日本人の活動の跡をたどります。なお、1フレーム作品として出品の「シベリア抑留日本人用往復葉書」についても、あわせて、簡単な解説を行います。

・16:00 年賀状の戦後史
 角川 one テーマ21(新書)『年賀状の戦後史』の刊行を記念してのトークです。同書の内容をご紹介しつつ、10日の一般発売に先駆け、会場内でのみの先行発売(限定30部)も行います。

 今回は、2冊の刊行時期が接近しているため、トークイベントもダブル・ヘッダーとなりました。ぜひ、遊びに来てください。


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 世界漫郵記:ハバロフスク⑩
2011-09-28 Wed 22:14
 『キュリオマガジン』2011年10月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記」は、極東ロシア・ハバロフスク篇の10回目。今回は、ハバロフスクのメイン・ストリートに当たるムラヴィヨフ=アムールスキー通りを取り上げましたが、その中から、こんなモノをご紹介します。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      ムラヴィヨフ=アムールスキー通り     ムラヴィヨフ=アムールスキー通り(裏面)

 これは、20世紀初頭のムラヴィヨフ=アムールスキー通りを取り上げた絵葉書です。雑誌ではスペースの都合上、絵面しか取り上げられませんでしたので、今回は裏面の画像をお見せします。貼られている切手は帝政ロシアの3コペイカ切手で、1911年8月13日のハバロフスクの消印が押されています。

 ムラヴィヨフ=アムールスキー通りは、アムール川にも近い大聖堂広場からレーニン像の鎮座するレーニン広場まで東北方向に延び、ゴーゴリ通りとぶつかると、その先はカール・マルクス通りと名前を変えています。

 絵葉書の画面中央、左右に伸びるイストミナ通りとの交差点に面して、屋根を飾る女神像が印象的な建物が写っていますが、これは、ドイツ系商社“クンスト・ウント・アルベルス商会”で、外観の塗装などは変わっていますが、建物自体は現存しており、ラ・ヴィータというカフェが入っています。

 その奥(アムール川方向)、ウスペンスキー大聖堂との間には、1910年にハバロフスク在留日本人の拠点として竹内一次が建設した大日本帝国極東貿易の玉ねぎ屋根の建物があるのですが、絵葉書には写っていません。このことから、この絵葉書の写真は1910年以前に撮影されたものであることがわかります。

 さて、10月21日に切手紀行シリーズの第4巻として刊行予定の拙著『ハバロフスク』では、ムラヴィヨフ=アムールスキー通りについても1章を設け、絵葉書に取り上げられたかつての風景と、その現状を対比させてご紹介しております。発売予定日はまだ少し先なのですが、どこかで実物をご覧になりましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


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 これから帰国します
2011-08-12 Fri 07:46
 早いもので、今回のハバロフスク滞在も最終日となりました。きょうは、現地時間12時25分の便でこちらを発ち、日本時間の13時05分には成田へ到着の見込みです。というわけで、無事の帰国を祈って、ハバロフスクから日本宛のカバーを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        ハバロフスク→横浜

 これは、帝政時代の1916年11月5日にハバロフスクから差し出され、同月28日に横浜に到着したカバーです。ハバロフスクの消印の11月5日はユリウス暦で、グレゴリオ暦に換算すると11月18日に相当しますから、所要日数は10日。第一次大戦中のことゆえ、途中のウラジオストクで検閲を受けていることを考えると、順調な逓送だったと言ってよいでしょう。

 さて、今回の取材旅行の成果は、昨年3月に見聞きしたこととあわせて、今週刊行予定の『切手紀行シリーズ④ ハバロフスク』(仮題)としてまとめる予定です。刊行日や価格、ページ数などの詳細が決まりましたら、逐次、このブログでもご案内しますので、よろしくお願いいたします。


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 世界漫郵記:ハバロフスク④
2011-03-30 Wed 14:26
 ご報告が遅くなりましたが、『キュリオマガジン』2011年4月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記」は、極東ロシア・ハバロフスク篇の4回目。今回はウスペンスキー大聖堂の話を書きました。その記事の中から、こんなモノをご紹介します。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      旧ウスペンスキー大聖堂     現在のウスペンスキー大聖堂

 左は、帝政ロシア時代に作られた絵葉書で、当時のハバロフスクのウスペンスキー大聖堂が取り上げられています。いわゆるフィラテリック・マテリアルではない私製の絵葉書ですが、ハバロフスクのウスペンスキー大聖堂を描いた官製絵入りはがきは1種類しかなく、それはこのブログの以前の記事でもご紹介してしまいましたので、今回はあえてこちらを持ってきました。あしからずご了承ください。(雑誌の記事では、もちろん、官製絵葉書もご紹介しております)ちなみに、右は現在のウスペンスキー大聖堂です。

 さて、アムール川を望む展望台の下から川沿いに200メートルほど南へ歩いて行くと、街灯が印象的な階段がありますが、そこを上っていくと行くと、青い屋根が印象的なウスペンスキー大聖堂があります。

 ウスペンスキーとは、ロシア語で「眠り」を意味する“Успение”に由来する言葉ですが、この単語は、正教会の用語としては日本語で「生神女就寝祭」と訳されています。

 いささか生硬な表現ですが、生神女とは平たく言えば、イエス・キリストの母親であるマリアのこと。もともと、ギリシャ語では、イエスの母マリアに対する称号として「神を産む女性」を意味するセオトコスの語が使われており、正教会では、これを忠実に訳しているのだそうです。

 また、カトリックでは、マリアが現世の肉体のまま天にあげられたと考えるため、マリアの死を「被昇天」と呼んでいますが、正教会では、マリアの魂のみが天にあげられたと考えるため、マリアの死を「眠り」になぞらえ、「就寝」と呼んでいます。

 したがって、生神女就寝祭とは、マリアが亡くなったことを記念する正教会の祭日(ユリウス暦8月15日=グレゴリオ暦8月28日)のことで、ウスペンスキー大聖堂はこの祭日を記憶するために建てられた宗教建築ということになりましょう。当然、こうした大聖堂は、ハバロフスクのみならず、ロシア国内のいたるところに存在しています。有名なところでは、モスクワのクレムリンの大聖堂や、ヴラジミール(モスクワの東200キロの地点にある古都)の世界遺産である「ウラジーミルとスーズダリの白亜の建造物群」の大聖堂などが、ウスペンスキー大聖堂を名乗っています。

 さて、ハバロフスクのウスペンスキー大聖堂は、19世紀後半、ハバロフスクの都市建設がはじめられるとほどなくして建立されました。1891年5月、ウラジオストクでのシベリア横断鉄道の起工式に参加するために皇太子ニコライ(後の皇帝ニコライ2世)がハバロフスクに立ち寄った際には、大聖堂前の広場(大聖堂広場もしくは教会広場と呼ばれている)で国民の熱狂的な歓迎を受けたといわれています。

 ところが、ソ連時代、独裁者スターリンによる教会弾圧の一環として、ハバロフスクのウスペンスキー大聖堂も取り壊され、広場の名称もコムソモール広場に変えられてしまいました。コムソモールというのは共産主義青年同盟のことで、同盟が工事を担当したというのが建前ですが、実際には、おそらく、政治犯などの囚人が動員されたのでしょう。

 余談ですが、ソ連政府はクレムリン内での正教会の宗教儀礼を一切禁じ、モスクワのウスペンスキー大聖堂の財産をすべて没収しましたが、1941年に独ソ戦が勃発し、ドイツ軍がモスクワまで迫ってくると、スターリンはモスクワのウスペンスキー大聖堂で救国のための祈りをささげるよう、関係者に命じました。もっとも、ソ連時代を通じて、教会は一貫して共産党政府の管轄下に置かれ続けており、国民には信教の自由が認められませんでしたから、このエピソードも極秘とされていました。

 1991年、ソ連が崩壊し、ロシア国内で正教会が復権すると、ようやく、ハバロフスクのウスペンスキー大聖堂の再建計画が持ち上がり、2001年に現在の大聖堂が新たに建てられました。

 今回の『キュリオマガジン』の記事では、そうしたウスペンスキー教会の中に入り、熱心に祈っている人々を見ながら感じたことなども書いてみました。機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 無事帰国しました
2010-03-23 Tue 09:35
 おかげさまで、昨日(22日)16時過ぎ、ハバロフスクから無事帰国しました。滞在中、お世話になりました皆様には、改めてこの場をお借りしてお礼申し上げます。というわけで、ハバロフスクから日本に到着したマテリアルということで、こんなモノを持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

      ハバロフスク→日本

 これは、1907年5月29日にハバロフスクから差し出された外信葉書で、6月17日に長崎、同19日に大阪を経て、同日午後に宛先の奈良に到着しています。

 時代は若干ずれますが、明治から大正にかけてシベリア、満州での諜報活動に従事した石光真清の手記、『曠野の花』には、1901年9月25日、ハルピンを船で出て4日でハバロフスクに到着。2日滞在した後、10月1日にウラジオストクに到着し、1週間静養した後、ウラジオストク発長崎行きの義勇艦隊汽船アムール号で同行の女性を送ったとの記述があります。この葉書の場合も、ウラジオストクに1週間とどまっていたかどうかはともかく、似たような日で長崎まで運ばれたのでしょう。

 今回のハバロフスク滞在中、下の画像のようにアムール川は凍結していました。比較のため、同じような構図で撮影された夏のアムール川を取り上げたロシアの官製絵葉書を右側に並べてみます。

     凍結したアムール川      夏のアムール川

 次回は、上の絵葉書のように、アムール川にとうとうと水が流れる夏の時季に訪れ、冒頭ご紹介した葉書のようにウラジオストクまでとはいかないまでも、船に乗ってみたいものですな。

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 シベリア鉄道で運ばれた葉書
2008-06-11 Wed 16:39
 映画評論家の水野晴郎さんが亡くなりました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

 さて、水野さんといえば、やはり「シベリア超特急」ということで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 シベリア鉄道

 これは、1912年5月27日、満洲里から差し出された葉書で、ロシアの中東鉄道(東清鉄道)からシベリア鉄道を経て、イルクーツクを経由して運ばれています。

 日清戦争後の1896年、三国干渉によって日本から遼島半島を還付させたロシアは、その見返りとして、モスクワ=ウラジオストック間を結ぶシベリア鉄道の短絡線として、チタ=満洲里=綏芬河=グロデコヴィというルートを通って満洲の地を横切る東清鉄道(清朝の東という意味で“東清鉄道” と呼ばれた)の敷設権を獲得します。

 東清鉄道の本線は満州里からグロデコヴォ間の1510キロでしたが、シベリア鉄道本線と連結させるために、西側には満州里とキタイスキ・ラズエズトーを結ぶザバイカル鉄道(355キロ)、東側にはグロデコヴォとニコリスク・ウスリスキーを結ぶウスリー鉄道(97キロ)も建設されます。また、ロシアが1898年に旅順・大連を租借すると、東清鉄道の途中駅であった哈爾浜から長春=奉天=大連を経て旅順へといたる772キロの南満洲支線も建設されました。

 1905年、日露戦争で勝利を収めた日本は旅順と大連を中心とした遼島半島先端部を“関東州”として租借し、東清鉄道のうち、寛城子(長春)=大連間の鉄道経営とそれに付随する諸権利、ならびに安東(丹東)=奉天間の鉄道(安奉線)の経営権を獲得。これが、いわゆる南満州鉄道のルーツとなります。

 一方、東清鉄道(1912年に中華民国が成立した後は、“中東鉄道”と呼ばれるようになります)のうち、長春以南はポーツマス条約によって日本に譲渡されたものの、長春以北の1732.8キロの区間に関しては、日露戦争後も、帝政ロシアが営業権のみならず沿線の鉱山権や林業権も含めて保持しており、その経営権はロシア革命後はソビエト政府に維持されています。

 これに対して、中国側は中東鉄道の利権回収を強く主張し、1929年には東北軍閥の張学良が強引に鉄道を回収しようとしましたが、ソ連側の反撃により手痛い打撃を被っています。このため、1931年の満洲事変の際にも、関東軍は長春以北へは容易に進軍できず、1935年9月に満鉄が中東鉄道を買収するまで、満洲域内の鉄道網は、長春を境界として、ソ連と日本が勢力を二分する状況が続くことになりました。

 なお、満鉄と郵便については、拙著『満洲切手』でもその概要についてご説明したことがありますので、よろしかったら、ご覧いただけると幸いです。

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 双頭体制スタート
2008-05-09 Fri 10:44
 一昨日(7日)、ロシアの新大統領にメドベージェフ第1副首相が就任。これを受けて、昨日(8日)、プーチン前大統領は首相に就任するとともに、下院で憲法改正などが可能な3分の2以上の議席を持つ与党・統一ロシアの党首にも就任し、プーチンを実質的に頂点とした異例の“双頭体制”が始動しました。

 というわけで、ロシアの“双頭の鷲”にちなむマテリアルの中から、こんなモノを持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

 ロシア・満洲軍

 これは、日露戦争末期の1905年9月、ロシア軍の将兵が差し出したもので、ロマノフ家の紋章である双頭の鷲の入った紫色の印はロシア満洲軍のものです。日露戦争時のロシアの軍事郵便の葉書やカバーには、双頭の鷲の印が押されているものが少なからずあります。ただし、印影がつぶれているものも多く、今回ご紹介のように鷲の顔までクリアに見えるものは案外少ないように思います。

 以前の記事でも書きましたが、 双頭の鷲は、もともとは、東ローマ帝国で東洋と西洋の両方にローマ皇帝の支配を意味するものとして使われていました。東ローマ帝国の後継者を自負していたロマノフ朝は、東ローマ帝国にならい「西(ヨーロッパ)」と「東(アジア)」にまたがる統治権を象徴するため、この紋章を採用しています。

 伝統的に不凍港を求めて南下政策をとっていたロシアは、1877-78年の露土戦争で勝利をおさめ、バルカン半島における大きな地歩を獲得しましたが、このことは列強の警戒を招き、ドイツのビスマルクはベルリン会議を開催して露土戦争の講和条約であるサン・ステファノ条約を破棄させ、バルカンにおけるロシアの南下を食い止めます。このため、新たな不凍港を求めるロシアは進出の矛先を極東地域に変更。日清戦争後の1895年に三国干渉をおこなって日本に放棄させた遼東半島の南端の旅順・大連を1898年に租借し、旅順に旅順艦隊(第一太平洋艦隊)を配置するなど、満洲への進出を推し進めました。

 その後、1900年の義和団事件に出兵して全満洲に展開したロシア軍は撤退期限が過ぎても居座り続け、朝鮮への南下をうかがう構えを見せたため、これを脅威と感じた日本との間に、1904年、日露戦争が勃発することになります。

 日露戦争は日本海海戦と奉天会戦で日本側が大勝利を収めたものの、1905年8月の時点では、ロシアは依然として満洲に78万の大軍(この葉書の差出人もその1人です)を擁していました。

 この辺のロシアの底力については、日露戦争後間もなく発行された戦没者遺児に対する義捐金を募るための寄付金つき切手の出来栄えからもその一端がうかがえるように思われます。

 なお、こちらの寄付金つき切手に関しては、拙著『これが戦争だ!』でもご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご一読いただけると幸いです。

 ご案内
 明日・5月10日(土)10:00より、東京・池袋の桐杏学園にて開催の切手市場にて、拙著『近代美術・特殊鳥類の時代』の即売・サイン会を行います。当日は、切手市場ならではの特典もご用意しておりますので、ぜひ、遊びに来てください。

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 切手で世界旅行:クレムリン
2007-04-22 Sun 09:49
 ロンドンで毎年ロシア政財界の著名人を多く招いて開かれている“ロシア経済フォーラム”の今年の会合が今日(4月22日)からスタートだそうです。というわけで、時事通信社の配信用コラム「切手で世界旅行」(どうやら、各社での掲載は一通り終わったようです)に送った原稿の中から、こんな1枚を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

 クレムリン

 これは、日露戦争に敗北した帝政ロシアが、日露戦争の戦没者遺児に対する義捐金を募る目的で1905年に発行した付加金つき切手の1枚で、モスクワのクレムリンが取り上げられています。

 “クレムリン”とは、もともとはロシア語で“城砦”を意味する普通名詞ですから、ロシア域内には無数のクレムリンがあるのですが、一般には、モスクワにある帝政ロシア時代の宮殿を連想する人が多いと思いでしょう。

 モスクワのクレムリンは、南をモスクワ川、北東を赤の広場、北西をアレクサンドロフスキー公園によって囲まれたほぼ三角形の形をしており、その総面積は約26ヘクタール。城壁に囲まれた構内には、大小新旧さまざまの宮殿やロシア正教の寺院建築、塔などがそびえたっています。

 1917年のロシア革命でロマノフ王朝が倒れた後、ソビエト政府はクレムリンを接収して政府の主要機関を置きましたが、1991年のソ連崩壊後は、現ロシアの大統領府・大統領官邸が構内にあります。したがって、クレムリンといった場合、建物としてのクレムリンもさることながら、ロシア政府ないしは大統領府を意味することもしばしばです。

 さて、今回ご紹介している切手ですが、発行当時、郵便局の窓口では、額面の10コペイカに対して3コペイカを上乗せした13コペイカで発売されており、帝政ロシアにおける最初の付加金つき切手となりました。また、日露戦争がらみということで言えば、ヨーロッパ諸国で“日本”に関連して発行された最初の切手としても知られています。

 なお、このとき発行された切手には、いずれも、クレムリンやピョートル大帝の銅像など、大国ロシアのプライドを誇示するものばかりで、対日戦争の敗戦というロシア側にとっての忌まわしい出来事を連想させる要素は全くありません。それだけに、事情を知らない人がこの切手だけを見ると、ロシアは日露戦争に勝利を収めたのではないかと錯覚してしまいそうです。

 この切手には目打のバラエティがいろいろとあるので、それらとカバーなんかを組み合わせてみると、一寸したコレクションを作って遊べそうだと前々から思っているのですが、なかなか実際に着手するところまでは行きません。そういえば、2~3年前だったと思いますが、この切手のプルーフ(試刷)だったか、何かその類のモノがオークションに出品されていました。気合を入れて、この切手のミニ・コレクションを作るのなら頑張って買うべきだったんでしょうが、手の届かない値段だったので、あっさり諦めてしまい、いまになってちょっと後悔しています。(もちろん、懐事情は当時とそう変わっていないのですが…)

 さて、ロンドンの“ロシア経済フォーラム”ですが、当初参加が予定されていた大物が、直前になって、あいついで欠席することにしたそうです。なんでも、反プーチンの急先鋒でイギリスに亡命中の旧政商、ベレゾフスキーの引き渡しを拒否しているイギリスと対立するロシア当局が、先週末(14~15日)のロシアでの反政府デモ鎮圧をめぐる欧米の批判への反発もあって、出席予定者に圧力をかけたのだとか。さすが、KGB出身のプーチン閣下がクレムリンの主になっているだけのことはありますな。

 <お知らせ>
 4月29日(土)14:30~、東京・浅草で開催のスタンプショウ会場で、拙著『沖縄・高松塚の時代』の刊行を記念して講演+サイン会を行います。入場無料ですので、是非、遊びに来てください。
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 ロマノフ家版・双頭の鷲
2007-03-08 Thu 01:30
 ロシアの2月革命はユリウス暦の1917年2月23日に起こったことからこの名で呼ばれていますが、この日付は、現在一般に使われているグレゴリオ暦では1917年3月8日(ちょうど90年前)となります。というわけで、今日は、革命によって滅亡したロマノフ朝を偲んで、こんな切手を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

ロシア在トルコ局

 これは、1863年に帝政ロシアがオスマン帝国内に設けていた郵便局で使用するために発行した最初の切手です。上部のマージンがちょっと狭い(ただし、印面にはタッチしていません)とか、中央部にちょっと糊のシワがあるとか、コンディションの点ではイマイチですが、まぁ勘弁してください。

 オスマン帝国の領内における帝政ロシアの郵便活動は、1721年にサンクトペテルスブルグ=イスタンブール間で外交文書を運んだのが最初といわれています。その後、1774年になるとイスタンブールの領事館で郵便物の定期的な取り扱いが始まり、ロシア側は“治外法権”を援用するかたちで郵便網を拡充していきます。

 郵便印が用いられるようになったのは1830年ごろのことで、1856年にはロシア通商航海会社(ROPiT)による郵便サービスが始まり、オデッサ経由でオスマン帝国内の同社のオフィスからロシア全土への郵便物の配達が可能となりました。

 1863年、オスマン帝国内のROPiTのオフィスはロシア国内の郵便局と同等の資格を与えられ、実質的なロシア局として機能するようになります。これに伴って発行されたのが、今日ご紹介している6コペイカの切手というわけです。

 さて、切手には大きくロマノフ家の紋章である“双頭の鷲”が描かれています。

 双頭の鷲は、もともとは、東ローマ帝国で東洋と西洋の両方にローマ皇帝の支配を意味するものとして使われていました。東ローマ帝国の後継者を自負していたロマノフ朝は、東ローマ帝国にならい「西(ヨーロッパ)」と「東(アジア)」にまたがる統治権を象徴するため、この紋章を採用しています。

 双頭の鷲の紋章は、当時のロシア本国の切手にも描かれているのですが、いかんせん、切手が小さいので細部はよく見えません。その点、今日ご紹介の切手は、本国切手に比べて大判なので、細かいところまで見えるのが嬉しいところです。

 なお、“双頭の鷲”は、ロマノフ家以外にも、ヨーロッパ各地の王室等の紋章として用いられていますが、それぞれ、微妙に異なっています。有名なところではハプスブルク家の紋章もそうですが、それがロマノフ家とどう違っているのか、そのあたりの薀蓄は、オーストリアと切手が大好きというユリヤ嬢のブログで、いずれ読めるんだろうと期待したいところです。
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