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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 金賞受賞しました!
2024-04-19 Fri 07:47
 私事ですが、今月16日からルーマニアの首都、ブカレストで開催中の世界切手展<EFIRO 2024>は、きのう(18日)、審査結果が発表され、おかげさまで、僕の作品“Postal History of Auschwitz 1939-1946”(今回は僕自身は現地へは行かず、作品の搬入・搬出はコミッショナーの斎藤環さんにお願いしました)が、金賞を受賞しました。というわけで、今回の出品作品の中から、こんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      アウシュヴィッツ・民間人差出(194008)

 これは、1940年8月25日にアウシュヴィッツ(ポーランド名:オシフィエンチム)からドイツ中東部のヴェルニゲローデ宛に差し出された絵葉書です。

 ドイツ占領下のアウシュヴィッツで収容所が開設され、最初の収容者として、タルヌフ(クラクフの東75キロの地点にあるビャワ川沿いの都市)の刑務所から728人のポーランド人捕虜・政治犯が移送されてきたのは1940年6月14日のことで、これに伴い、同年7月から地元住民の立ち退きが始まり、翌1941年春には全住民の退去が完了。1941年5月31日付で、収容所を含む一帯は“アウシュヴィッツ管区”として地元自治体の行政から切り離されました。

 今回ご紹介の葉書は、この間、地元の一般住民がアウシュヴィッツ郵便局から差し出したもので、裏面にはこんな絵が印刷されていました。

      アウシュヴィッツ・民間人差出(194008・裏面)

 さて、“Postal History of Auschwitz 1939-1946”は、2017年7月の全日本切手展で国際展出品資格を獲得しました。その後、同年10月にブラジリアで開催の世界切手展<Brasiliana 2017>に、当初、テーマティク部門に“A History of Hong Kong”を出品を申し込んだところ、主催者側のミスで、同作品を誤って二重にエントリーしていたので、代わりに別の作品を日本からの出品できないかとの要請がありました。僕は同展のコミッショナーとして日本からの作品取りまとめをしていたため、急遽、出品をお願いできそうな方を探したのですが、残念ながら、見つけられなかったので、全日本切手展で資格を取ったばかりの自分の作品を追加出品することにしました。これが、本作品の国際展初出品でした。

 “Postal History of Auschwitz 1939-1946”は、同展では5フレームで金銀賞(80点)を受賞。翌2018年にエルサレムで開催された世界切手展<WSC Israel 2018>で大金銀賞(85点)を獲得して8フレーム出品の資格を得ました。この実績により、それまでのテーマティク部門に加え、郵便史部門でも国際切手展での審査員資格を取得しました。

 その後、その後、コロナ禍により全世界的に国際切手展が開催されなかった時期をはさんで、昨年(2023年)、ドイツ・エッセンで開催された世界切手展<IBRA 2023>に出品したものの、金銀賞(83点)にランクダウンするという不本意な結果に終わったため、今回、捲土重来を期して<EFIRO 2024>に出品。大金銀賞(85-89点)に復帰することを目標としていましたが、予想を上回る金賞(91点)という高評価を得ることができました。

 これまで様々なかたちで本作品の政策にご支援・ご協力を戴いた皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。今後もさらなる内容の充実に努め、ライフワークの一つとして取り組んでいきたいと考えていますので、引き続き、皆様の御指導・御鞭撻のほど、よろしくお願いします。

 なお、今回ご紹介の葉書の詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。 また、拙著『アウシュヴィッツの手紙 改訂増補版』も併せてご覧いただけると幸いです。 


★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 4月19日(金) 10:00~ ニッポンジャーナル
 インターネット番組「ニッポンジャーナル」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。皆様、よろしくお願いします。

 4月26日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 4月26-28日(金-日) スタンプショウ 2024
 毎年恒例、東京・浅草で開催の世界切手祭り・スタンプショウの会期中、以下の日程でトークイベントを行います。事前予約不要・参加費無料ですので、ぜひご参加ください。なお、スタンプショウの詳細は主催者サイトをご覧ください。

 4月26日(金) 14:30-15:30 「セント・ジョージの龍退治:ソヴリン金貨と切手」
 4月27日(土) 11:00-12:00 『切手もの知り図鑑 一番切手50のエピソード』出版記念講演
 4月27日(土) 12:30-13:30 「加賀・能登と戦後の記念切手」


 4月29日(月・祝) 謀略の世界史 特別編~リヒャルト・ゾルゲ
 毎月第1土曜日に開催している講座、「謀略の世界史」の特別編として、戦前の日本を震撼させたソ連のスパイ、リヒャルト・ゾルゲについてお話しします。詳細はこちらをご覧ください。

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。

 謀略の世界史 原則毎月第1土曜日 13:00~14:30
 MI6、CIA、モサドなど各国の情報機関のあらましや、現代史の中で彼らが実際に関与した事件などを幅広くご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。

 武蔵野大学のWeb講座 
 大河企画の「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」、引き続き開講中です。詳細はこちらをご覧ください。 

 「龍の文化史」、絶賛配信中です。龍/ドラゴンにまつわる神話や伝説は世界各地でみられますが、想像上の動物であるがゆえに、それぞれの物語には地域や時代の特性が色濃く反映されています。世界の龍について興味深いエピソードなどを切手の画像とともにご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。

 ★ 『切手もの知り図鑑 一番切手50のエピソード』 5月1日刊行!★

      切手もの知り図鑑 一番切手50のエピソード

 「動物と植物」「科学技術」「社会と文化」「神話/伝説と宗教」の4章立てで、犬、猫、宇宙開発、飛行機、クリスマスといったテーマで、初めて描かれた切手図案にまつわる秘話、思いがけない発行に至る背景に加え、シーラカンスやテレビ、警察官、タトゥー、髑髏といった、あっと驚く意外なテーマの一番切手も登場します!

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


 ★ 『今日も世界は迷走中』 オーディオブックに! ★

      今日も世界は迷走中audible

 拙著『今日も世界は迷走中』がAmazonのオーディオブック“Audible”として配信されました。会員登録すると、最初の1冊は無料で聴くことができます。お申し込みはこちらで可能です。

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 コペルニクス生誕550年
2023-02-19 Sun 11:57
 1473年2月19日にポーランドの天文学者で地動説を提唱したニコラウス・コペルニクスが生まれてから、きょうでちょうど550年です。というわけで、コペルニクス関連のマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ジラルドゥフからアウシュヴィッツ宛

 これは、1944年8月16日、ドイツ占領下のポーランド東中部のマゾフシェ県ジラルドゥフから、ビルケナウの女性収容所の収容者宛の葉書で、印面には、クラクフのランドマークの一つ、ヤギェウォ大学構内のコペルニクス像が描かれています。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。なお、内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。

 ちなみに、アウシュヴィッツとその郵便物については、拙著『アウシュヴィッツの手紙 改訂増補版』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 2023年2月24日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。

 よみうりカルチャー 北千住
 エリザベス女王の現代史 原則毎月第4土曜日 13:00~14:30
 エリザベス女王の描かれた切手を手掛かりに、現代史を読み解く講座です。詳細はこちらをご覧ください。

 武蔵野大学のWeb講座 
 「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」と「日本郵便150年の歴史」の2種類の講座をやっています。詳細はこちらをご覧ください。 


★ 『なぜレジ袋は「有料化」されたのか』 好評発売中! ★

      なぜレジ袋は「有料化」されたのか・帯付き

 関係省庁、政治家、業界団体等が国民が知らないところで粛々と作り続けているさまざまな規制。「レジ袋の有料化」という規制ができるまでの政治的・行政的プロセスを詳細に分析し、規制の新設防止、そして規制廃止を訴える。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 ポーランド、大戦中の被害で独に賠償請求へ
2022-09-02 Fri 09:47
 ポーランドの与党"法と正義”のヤロスワフ・カチンスキ党首(元首相)は、1939年の第二次大戦開戦日にあたるきのう(1日)、大戦中に同国がナチス・ドイツから受けた損害が6兆2000億ズロチ(約180兆円)に上るとする算定結果を公表し、ドイツに対し正式に賠償を請求する方針を表明しました。というわけで、今日はこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アウシュヴィッツから米宛(1940)
      アウシュヴィッツから米宛(1940・裏)

 これは、1940年、ドイツ占領下のアウシュヴィッツ(ポーランド名:オシフィエンチム)から米・ワシントンDC宛に差し出された書留便です。消印が不鮮明で、差出の日付がわからないのですが、裏面にはドイツ当局によって開封検閲された跡があり、1940年5月24日・28日の米国の中継印・到着印が押されています。

 なお、ドイツ占領下のアウシュヴィッツで収容所が開設され、最初の収容者として、タルヌフ(クラクフの東75キロの地点にあるビャワ川沿いの都市)の刑務所から728人のポーランド人捕虜・政治犯が移送されてきたのは、1940年6月14日のことです、したがって、今回のカバーは収容所とは無関係に、現地の一般住民が差し出したものということになります。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。なお、内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。

 また、オシフィエンチム/アウシュヴィッツとその郵便については拙著『アウシュヴィッツの手紙 改訂増補版』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 9月9日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。

 武蔵野大学のWeb講座 
 「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」と「日本郵便150年の歴史」の2種類の講座をやっています。詳細はこちらをご覧ください。 


★ 『本当は恐ろしい! こわい切手』 好評発売中!★

      『本当は恐ろしい! こわい切手』

 怨霊、ゾンビ、鬼、そして人間の闇 … 古今東西の奇妙な切手を集めた一冊。
 それぞれの切手には、いずれも世に出るだけの理由が必ずある。
 その理由を求めて、描かれた題材の歴史的・文化的・社会的背景を探っていくと、そこからさまざまなドラマが浮かび上がってくる。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 国際ホロコースト記念日
2021-01-27 Wed 00:39
 きょう(27日)は、1945年1月27日にアウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所が解放されたことにちなみ、“ホロコースト犠牲者を想起する国際デー(国際ホロコースト記念日)”です。というわけで、アウシュヴィッツ関連のマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      クラクフ刑事裁判所からゲットー宛

 これは、1942年7月17日、ドイツ占領下のクラクフの刑事裁判所から同地のゲットー宛に差し出されたものの、名宛人不在で返送された郵便物です。裏面には“不在”の理由として「名宛人はアウシュヴィッツに移送された」との担当者の書き込みがありますので、その部分の画像も下に貼っておきます。

      クラクフ刑事裁判所からゲットー宛・裏面

 1939年9月に第二次大戦が勃発すると、ドイツにとって、旧ポーランド軍の捕虜や占領地の政治犯の収容施設を確保することが緊急の課題となりました。そこで、親衛隊関係者による現地調査が行われ、親衛隊大尉でザクセンハウゼン強制収容所副所長のルドルフ・フェルディナンド・ヘス(ナチ副総統のルドルフ・ヴァルター・リヒャルト・ヘスとは別人)の調査報告を受け、オシフィエンチムのポーランド軍兵営をベースに、1940年4月、強制収容所の建設命令が下されます。そして、同年6月14日、アウシュヴィッツ最初の収容者として、タルヌフ(クラクフの東75キロの地点にあるビャワ川沿いの都市)の刑務所から728人のポーランド人捕虜・政治犯が移送され、アウシュヴィッツは収容所として機能し始めました。

 このように、もともと、アウシュヴィッツ収容所(第1収容所)はドイツ占領下のポーランド人の捕虜・政治犯を収容するための施設として開設され、1941年10月には第1収容所から3キロほど離れたビルケナウ(ポーランド語名・ブジェジンカ)の1.75平方キロ(東京ドーム37個分)の広大な湿地帯に第2収容所が建設されます。

 当初、ヒムラーの構想では、この土地に174棟の収容棟を建設し、ソ連軍を中心とした10万人の捕虜を収容する予定でした。しかし、独ソ戦の状況が悪化する中で、1942年1月20日、ベルリン郊外のヴァンゼー湖畔で開催された秘密会議(ヴァンゼー会議)で、「ユダヤ人問題の最終解決」が決定されます。これにより、ドイツ勢力圏内の全ヨーロッパからアウシュヴィッツ収容所(ビルケナウを含む)にユダヤ人を移送して強制労働に動員し、労働に耐えられない(と見なされた)者ないしは容赦なく処刑するという方針が確定しました。

 ヴァンゼー会議の結果を受けて、1945年1月までの累計で、ハンガリーから43万人、ポーランドから30万人、ドイツ・オーストリアから2万3000人、フランスから6万9000人、オランダから6万人、チェコから4万6000人、スロヴァキアから2万7000人、ユーゴスラヴィアから1万人、ノルウェーから690人(その中心はユダヤ人でしたが、同性愛者やロマなども含まれていました)がアウシュヴィッツに移送されます。今回ご紹介の郵便物の名宛人もその1人でした。

 なお、アウシュヴィッツ収容所とその郵便については、拙著『アウシュヴィッツの手紙 改訂増補版』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


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      日本人に忘れられたガダルカナル島の近現代史カバー 本体1600円+税

 出版社からのコメント
 【中国の札束攻勢にソロモン諸島は陥落寸前!】
 日本軍の撤退後、悲劇の激戦地は
 いかなる歴史をたどり、
 中国はどのように浸透していったのか

 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 

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 鉄道の日
2020-10-14 Wed 01:08
 きょう(14日)は“鉄道の日”です。というわけで、鉄道郵便のマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ブレスラウ―アウシュヴィッツ線(1939)

 これは、1939年12月、ドイツ占領下のシフィエントフウォヴィツェからカトヴィツェ宛の郵便物で、鉄道のブレスラウ=アウシュヴィッツ線で運ばれたことを示す“Bp 5 Breslau-Auschwitz/ zug am”の印が押されています。鉄郵印には日付の表示がないのは残念ですが、郵便物を受け取った企業の印に1939年12月27日の表示があるのはデータとして非常にありがたいですね。

 1835年、ハプスブルク皇帝フェルディナントが即位すると、宰相メッテルニヒとも関係の深かったザーロモン・マイアー・フォン・ロートシルト(ロスチャイルド財閥の祖であるマイアー・アムシェル・ロートシルトの二男)は、岩塩鉱のあるボフニャ(クラクフの東37km)から、ボヘミア方面の工業地帯を経てウィーンに至る鉄道建設の請願を皇帝に提出します。その際、ザーロモンは建設の認可を得るには皇帝の歓心を買うことが重要と考え、建設予定の鉄道を“フェルディナント皇帝北部鉄道”と命名しました。これが、現在のオーストリア北部鉄道のルーツとなります。

 フェルディナンド皇帝北部鉄道は、1837年、ウィーン近郊のフローリッツドルフ=ドイチュ・ヴァグラム間の13kmが最初に開通。その後、鉄道は順次路線を延伸し、1848年にオーデル河畔のボフミンを越えてポーランドの領域に入り、1855年にはボフミン=カルヴィネ=オシフィェンチム間が開通し、翌1856年にはクラクフまで路線が延伸されました。

 一方、プロイセンでは、1839年に認可を得た上シレジア鉄道会社が、1842年5月22日、最初の区間として、ブレスラウ(現ポーランド領ヴロツワフ)=オーラウ(同オワパ)間で開業しています。ちなみに、現在のポーランド国家の領域内では、これが最初の鉄道となりました。

 さて、上シレジア鉄道は、1846年には工業都市のカトヴィツ(同カトヴィツェ)に、さらに、翌1847年にはオーストリアとの国境に位置するムィスウォヴィツェを経てクラクフまで延伸。さらに、1850年にムィスウォヴィツェ=クラクフ間の路線はハプスブルク帝国に売却されてオーストリア帝国東部鉄道となり、1856年、チシェビニャ=オシフィェンチム間が開通することによって、ウィーン=クラクフ間が鉄道で結ばれました。

 このうち、ハプスブルク支配下のオシフィェンチムとプロイセン支配下のブレスラウを結ぶ国際鉄道路線は中欧における物流の重要なルートの一つで、第一次大戦後は、ドイツとポーランドを跨ぐ国際路線となっていました。

 1939年9月、第二次欧州大戦が勃発し、ポーランドがドイツに占領されると、オシフィェンチムはドイツ語地名のアウシュヴィッツに改称され、鉄道の路線名もブレスラウ=アウシュヴィッツ線となります。

 このように、オシフィェンチム/アウシュヴィッツは古くからの物流の拠点であったことから、ポーランドを占領したドイツは、この地の旧ポーランド軍兵営をベースに防疫通過収容所を建設し、占領地の捕虜や政治犯をいったんここに集めたうえで病気などの有無を検査し、そこから各地の収容所に送り出すことを計画。これがアウシュヴィッツ収容所の原点となります。

 なお、この辺りの事情については、拙著『アウシュヴィッツの手紙 改訂増補版』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


★ 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★

 10月16日(金)05:00~  文化放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。


★ 内藤陽介の最新刊 『日本人に忘れられたガダルカナル島の近現代史』 ★

      日本人に忘れられたガダルカナル島の近現代史カバー 本体1600円+税

 出版社からのコメント
 【中国の札束攻勢にソロモン諸島は陥落寸前!】
 日本軍の撤退後、悲劇の激戦地は
 いかなる歴史をたどり、
 中国はどのように浸透していったのか

 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 

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 天地の日
2020-02-19 Wed 00:47
 きょう(19日)は、ポーランドの天文学者で地動説を提唱したニコラウス・コペルニクスの誕生日(1473年2月19日)にちなむ“天地の日”です。というわけで、コペルニクス関連のマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ポーランド・アウシュヴィッツ宛葉書(マリア宛)

 これは、1943年11月25日、ドイツ占領下のポーランド東中部のマゾフシェ県グロジスク郡ポトコバ・レシナから、ビルケナウの女性収容所の収容者で看護師としても働かされていたマリア・ザクシェフスカ宛の葉書で、印面には、クラクフのランドマークの一つ、ヤギェウォ大学構内のコペルニクス像が描かれています。

 アウシュヴィッツ第1および第2収容所の収容者宛の郵便物は、収容者の名前・誕生日・収容者番号・収容棟番号を記し、アウシュヴィッツ2郵便局宛に送られました。

 収用所に到着した郵便物は、まず、収容所当局によって、名宛人が収容所にいるか否か、1ヶ月に2通という受取可能な通数の制限内に収まっているか否か、その他の規則に違反していないかをチェックしたうえで、内容の検閲を受け、収容者に渡されるという段取りになっていました。今回ご紹介の葉書も、そうしたプロセスを経て、名宛人のマリア・ザクシェフスカに届けられました。

 ザクシェフスカは1910年生まれで、ワルシャワの第1陸軍病院で看護師としてのキャリアをスタートさせています。

 1939年9月1日、ドイツ軍がポーランド侵攻を開始すると、ワルシャワ北方50キロの地点にあるモドリン要塞での攻防戦に野戦病院の看護師として参加。16日間に及ぶ激戦の末、9月29日に同要塞が陥落すると、レジスタンスのゲリラ部隊に加わり、1940年以降はワルシャワの地下組織で衛生看護兵の訓練を行う教官となりました。

 1942年、ドイツ側に逮捕され、ワルシャワ中心部にあった政治犯の拘禁施設、パイヴァク刑務所に収監されましたが、その後、アウシュヴィッツに収容者として移送され、1945年1月の収容所解放まで、所内の病院で看護師として働いました。戦後はワルシャワの第1陸軍病院に復職し、1977年、ナイチンゲール記章を授与されました。

 なお、彼女はレジスタンスの活動家として逮捕された際、経歴などを偽装していたことから、実際には1910年生まれであるにもかかわらず、収容所の記録上は1907年8月15日生まれとなっており、葉書にもそのデータが記されています。

 ちなみに、アウシュヴィッツとその郵便物については、拙著『アウシュヴィッツの手紙 改訂増補版』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


★ 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★

 2月21日(金)05:00~  文化放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。

★★ イベント・講座等のご案内 ★★

 今後の各種イベント・講座等のご案内です。詳細については、イベント名・講座名をクリックしてご覧ください。

・よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治
 毎月第1火曜日 15:30~17:00
 3/3(1回のみのお試し受講も可)

★★  内藤陽介の最新刊 『日韓基本条約』 ★★

      日韓基本条約・表紙 本体2000円+税

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 アウシュヴィッツ訪問者最多に
2020-01-09 Thu 08:27
 アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館は、おととい(7日)、昨年(2019年)の訪問者数が過去最高の230万人(前年比+17万人)に達したと明らかにしました。というわけで、きょうはこんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ワルシャワからアウシュヴィッツ宛

 これは、1942年6月8日、ワルシャワからアウシュヴィッツの収容者宛の郵便物です。

 アウシュヴィッツ第1および第2収容所の収容者宛の郵便物は、収容者の名前・誕生日・収容者番号・収容棟番号を記して、アウシュヴィッツ郵便局2宛に送られました。

 収用所に到着した郵便物は、まず、収容所当局によって、名宛人が収容所にいるか否か、1ヶ月に2通という受取可能な通数の制限内に収まっているか否か、その他の規則に違反していないかをチェックしたうえで、内容の検閲を受け、収容者に渡されるという段取りになっていました。

 今回ご紹介の郵便物は、そうしたプロセスを経て、アウシュヴィッツの収容者宛に届けられたものですが、切手は、収容所に到着した際、検閲のために剥がされています。そして、その際、当初からの脱落や料金未納ではないことを示すため、切手が貼られていた場所には赤鉛筆でX印が書き込まれています。

 アウシュヴィッツ収容所宛の郵便物は、収容者からの発信に比べて、残存数が少ないのですが、その大半は、収容者の手に渡らずに返戻されたもので、今回ご紹介のように、実際に収容者に届けられたものはほとんど残っていません。なお、アウシュヴィッツからの返戻便の封書の圧倒的多数は、開封・検閲された痕跡がないため、返戻の理由としては、検閲の結果、内容が不適切であると判断されたためではなく、単純に郵便交換の規則に違反していたためというケースが大半だったのではないかと思われます。

 ちなみに、アウシュヴィッツその郵便物については、拙著『アウシュヴィッツの手紙 改訂増補版』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


★★ イベント等のご案内 ★★

 今後の各種イベント・講座等のご案内です。詳細については、イベント名をクリックしてご覧ください。

第11回テーマティク研究会切手展

      JTPC展2020ポスター


 1月11-12日(土・日) 於・切手の博物館(東京・目白)

 テーマティク研究会は、テーマティクならびにオープン・クラスでの競争展への出品を目指す収集家の集まりで、毎年、全国規模の切手展が開催される際には作品の合評会を行うほか、年に1度、切手展出品のリハーサルないしは活動成果の報告を兼ねて会としての切手展を開催しています。今回の展覧会は、昨年に続き11回目の開催で、香港情勢が緊迫している折から、メインテーマを香港とし、内藤も「香港の歴史」のコレクションを出品しています。

 また、会期中の12日13:00からは、拙著『(シリーズ韓国現代史1953-1865)日韓基本条約』の刊行を記念したトークイベントも行います。

 展覧会・トークイベントともに入場無料・事前予約不要ですので、ぜひ、遊びに来てください。


・よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治
 毎月第1火曜日 15:30~17:00
 1/7、2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可)


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 混迷する日韓関係、その原点をあらためて読み直す!
 丁寧に読むといろいろ々発見があります。

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★ 2020年はアウシュヴィッツ収容所解放75周年!★

       (増補改訂版)アウシュヴィッツの手紙・表紙 本体2500円+税
 
 出版社からのコメント
 初版品切れにつき、新資料、解説を大幅100ページ以上増補し、新版として刊行。独自のアプローチで知られざる実態に目からウロコ、ですが淡々とした筆致が心に迫る箇所多数ありです。

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 本日、トークやります。
2018-04-07 Sat 02:48
 かねてご案内のとおり、本日(7日)13:00より、東京・駒込の(公財) 愛恵福祉支援財団で、ヒロシマ トークセッション連続講座の第45回として、「アウシュヴィッツの手紙・戦争と切手」と題してトークイベントを行います。というわけで、その予告編として、こんなモノをを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アウシュヴィッツ・暫定1行印カバー(1940)

 これは、第二次大戦初期の1940年3月、ドイツ占領下のアウシュヴィッツからクラクフ宛の書留便で、“Auschwitz (Oberschlies)1”の地名のみが入った抹消印が押されています。

 アウシュヴィッツのドイツ語名(ポーランド語名はオシフィエンチム)で知られる小都市は、14-15世紀にはポーランド系君主によるオシフィエンチム公国の拠点でしたが、1772年のポーランド分割によりハプスブルク帝国の支配下に入り、プロイセンとの国境の町になりました。その後、1918年にポーランドが独立を回復すると、第二次大戦の勃発まで、オシフィエンチムはポーランド領になります。

 1939年9月1日、ドイツ軍がポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が勃発すると、オシフィエンチムは開戦翌々日の9月3日にはドイツ軍の空爆を受けて占領され、ドイツ直轄領のカトヴィッツ県に編入されます。

 占領後のオシフィエンチムでは、ドイツの占領当局はポーランド時代の郵政組織を接収し、ポーランド切手・消印の使用を禁止するとともに、ドイツ本国の切手をそのまま持ち込んで郵便を再開しましたが、消印に関しては、当初、ポーランド語名の“OSWIECIM”の表示の印が使用されていました。

 1940年2月以降、ドイツ占領当局は、ポーランド語の地名“オシフィエンチム”を、ドイツ語の“アウシュヴィッツ”に変更しますが、すぐにはドイツ語地名の正規の消印の配給が間に合わなかったため、当初はアウシュヴィッツ1局として、今回ご紹介のカバーに示すように、“Auschwitz (Oberschlies)1”の地名のみが入った抹消印が暫定的に使用されました。

 ところで、第二次大戦が勃発した時点で、ナチス・ドイツの支配地域には、建設順にダッハウ(1933年)、ザクセンハウゼン(1936年。オラニエンブルクの収容所がいったん閉鎖された後、その跡地に隣接する場所に建設)、ブーヘンヴァルト(1937年)、フロッセンビュルク(1938年)、マウトハウゼン(1938年。旧オーストリア地域)、ラーフェンスブリュック(1939年。女性・子供専用)の6つの“模範収容所”があり、2万1000名の収容者が拘留されていました。

 これに加えて、ポーランドを占領したドイツにとっては、占領地域の捕虜や政治犯の収容施設を確保することが必要となり、緊急に強制収容所を増設することになりました。そこで、アウシュヴィッツの旧ポーランド軍兵営をベースに、防疫通過収容所を建設する計画が立てられます。

 防疫通過収容所というのは、収容者をいったんここに集めたうえで病気などの有無を検査し、そこから各地の収容所に送り出すための施設です。アウシュヴィッツは歴史的にはハプスブルク帝国とプロイセンの事実上の国境の町として、古くから鉄道の駅が置かれるなど、域内における物流の拠点として機能していたため、防疫通貨収容所のロケーションとして適切と判断されました。また、収容所に転用された兵営は、市街地の中心部からは2キロほどの距離があり、必要に応じて周囲に拡張することが容易だったという事情もありました。

 かくして、1940年4月27日、アウシュヴィッツでの収容所建設命令が発せられ、6月14日、最初の収容者として、タルヌフ(クラクフの東75キロの地点にあるビャワ川沿いの都市)の刑務所から728人のポーランド人捕虜・政治犯がアウシュヴィッツに移送されてきます。こうして、1945年1月27日の解放にいたるまでの、アウシュヴィッツ収容所の歴史が幕を開けることになります。

 今回のトークでは、拙著『アウシュヴィッツの手紙』の内容を補足しながら、アウシュヴィッツとその歴史を、切手や郵便物、絵葉書などを使って、さまざまな角度からお話しする予定です。ぜひ、1人でも多くの方にご参加いただけると幸いです。


★★★ トークイベントのご案内 ★★★

<ヒロシマ トークセッション連続講座 アウシュヴィッツの手紙・戦争と切手>

      アウシュヴィッツの手紙・表紙

 4月7日(土)13:00-16:00  
 於・ (公財) 愛恵福祉支援財団(東京都北区中里 2-6-1愛恵ビル3F)
 資料代 1,000 円 (当日会場で集めます)
 会場と資料準備の関係で必ず、下記宛に事前の申し込みをお願いします。
 申込先 竹内 良男(qq2g2vdd★vanilla.ocn.ne.jp スパム防止のため、送信の際は★を@にしてください)


 ★★★ ツイキャス出演のお知らせ ★★★

 4月8日(日)22:00~ 拉致被害者全員奪還ツイキャスのゲストで内藤が出演しますので、よろしかったら、ぜひ、こちらをクリックしてお聴きください。

 
★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

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 第二次欧州大戦75年
2014-09-01 Mon 21:56
 1939年9月1日にドイツのポーランド侵攻により第二次世界大戦が勃発してから、きょうでちょうど75年です。というわけで、今日はこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      オシフィエンチム・ドイツ切手使用

 これは、第二次大戦勃発後まもない1939年11月、ドイツ占領下のポーランド・オシフィエンチムから差し出されたカバーです。オシフィエンチムは、第一次大戦以前はハプスブルク帝国の支配下にあり、ドイツ語でアウシュヴィッツと呼ばれていましたが、第一次大戦後、ポーランドの独立に伴いポーランド領となり、オシフィエンチムと改称されました。それが、第二次大戦の勃発に伴い、ドイツによって占領されてドイツ語名のアウシュヴィッツが復活し、悪名高い強制収容所が設置されました。

 さて、ドイツ軍のポーランド侵攻は、1939年8月23日に調印された独ソ不可侵条約の秘密議定書において、バルト三国、ルーマニア東部のベッサラビア、フィンランドをソ連の勢力圏と認めたうえで、独ソ両国はカーゾン線におけるポーランドの分割占領に合意したことを受け、同年9月1日に実行に移されたもので、同月17日にはソ連が東側からポーランドに侵攻。10月6日までに、独ソ両国はポーランド全域の占領を完了しました。

 これに対して、ポーランド政府は降伏せず、残存する陸軍および空軍の部隊とともにルーマニアとハンガリーへ脱出。さらに、ロンドンに亡命政府を樹立して、抵抗を続けることになります。

 一方、ドイツ占領下のポーランドでは、当初、今回ご紹介のカバーのように、無加刷のドイツ切手が持ち込まれて使用されていましたが、10月12日に設立されたドイツのポーランド総督府の下で、12月以降、ドイツ切手を台切手とした占領加刷切手が発行され、使用されました。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 ・9月6日(土) 09:30- 切手市場
 於 東京・日本橋富沢町8番地 綿商会館

 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『朝鮮戦争』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しております。ぜひ遊びに来てください。


 ★★★ 講演会のご案内 ★★★ 

 ~韓国文化院 講演会シリーズ2014 『韓日交流史』~
 第9回は内藤陽介「韓国の切手でひも解く韓国近現代史」 です!

 ◇日時:2014年9月5日(金) 開場 18:30 開演 19:00
 ◇会場:韓国文化院 ハンマダンホール
 ◇募集人員:300名様(お申し込みはお一人様2名まで)
 ◇入場無料(事前のお申込みが必要です)
 ◇主催・お問い合わせ先:駐日韓国大使館韓国文化院 03-3357-5970

 ■ 韓国文化院のホームページ・トップの 「イベント応募コーナー」欄(こちらをクリックしてください)からお申し込みいただけます。たくさんの皆様のお申し込みを心よりお待ち申しております。

 * 表向き、応募の〆切は過ぎていますが、直接内藤宛にご連絡いただければ、お席は確保できます。どうぞ遠慮なく、ご連絡ください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

 お待たせしました。約1年ぶりの新作です!

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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