2024-09-04 Wed 11:12
極端な外貨不足の中で、国内の天然ガス生産が大幅に落ち込み、10月までの液化天然ガス(LNG)の輸入に充てる資金が枯渇しているエジプトに対して、サウジアラビアとリビアが、急遽、天然ガス購入資金として少なくとも2億ドルを支援していたことが明らかになりました。サウジとリビアがエジプトの天然ガス購入を支援したことが明らかになったのは、今回が初めてです。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、2005年1月1日、エジプトが発行した“エジプト産天然ガスのヨルダンへの輸出開始”の記念切手で、シナイ半島地中海岸のアリーシュからタアバ経由でヨルダンのアカバ、アンマンにつながるアラブ・ガス・パイプラインが取り上げられています。 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。 ★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★ 9月6日(金) 10:00~ ニッポンジャーナル インターネット番組「ニッポンジャーナル」に内藤藤がコメンテーターとして出演の予定です。皆様、よろしくお願いします。 9月13日(金) 05:00~ おはよう寺ちゃん 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。 よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。 謀略の世界史 原則毎月第1土曜日 13:00~14:30 MI6、CIA、モサドなど各国の情報機関のあらましや、現代史の中で彼らが実際に関与した事件などを幅広くご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。 武蔵野大学のWeb講座 大河企画の「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」、引き続き開講中です。詳細はこちらをご覧ください。 「龍の文化史」、絶賛配信中です。龍/ドラゴンにまつわる神話や伝説は世界各地でみられますが、想像上の動物であるがゆえに、それぞれの物語には地域や時代の特性が色濃く反映されています。世界の龍について興味深いエピソードなどを切手の画像とともにご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。 ★ 『切手もの知り図鑑 一番切手50のエピソード』 好評発売中!★ 「動物と植物」「科学技術」「社会と文化」「神話/伝説と宗教」の4章立てで、犬、猫、宇宙開発、飛行機、クリスマスといったテーマで、初めて描かれた切手図案にまつわる秘話、思いがけない発行に至る背景に加え、シーラカンスやテレビ、警察官、タトゥー、髑髏といった、あっと驚く意外なテーマの一番切手も登場します! * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2021-01-15 Fri 02:22
エジプトのアスワンハイダムが1971年1月15日に完成してから、ちょうど50年になりました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1985年にエジプトが発行した“アスワン・ハイ・ダム(着工)25周年”の切手シートで、切手部分にはダムの全景が描かれています。 “エジプトはナイルの賜物”というヘロドトスの言葉は、ナイル川の氾濫が流域の肥沃な土壌を作ってきたことの表現ですが、近代に入ってからエジプトの人口は急増し、洪水の被害を抑えることが重要な課題となりました。このため、エジプトを事実上の保護国とした英国は、1901年、ナイル川上流にアスワン・ダムを建設しますが、1952年に発足したナセルの革命政権は、より上流のアスワン・ハイ・ダムの建設に着手しました。 ダムの建設資金としては、当初、エジプトは米英両国と世界銀行の資金援助をあてにしていました。ところが、イスラエルへの対抗上、米国をはじめとする西側諸国から最新兵器を購入しようとしたエジプトに対して、米英仏の三ヶ国が、中東への武器供与を制限する3国宣言を理由にこれを拒絶。このため、エジプトはチェコスロバキア経由で大量のソ連製兵器を輸入したことから、エジプトと西側との関係がこじれます。 エジプトのソ連への接近を阻止しようと考えた米国は、1956年7月19日、突如、アスワン・ハイ・ダム建設資金の援助の約束を撤回してナセルに圧力をかけます。さらに、英国と世界銀行も同様の声明をエジプトに対して発すると、資金不足からダム建設中止の瀬戸際に追い込まれたナセルは、同年7月26日、年間1億ドルのスエズ運河の収益をアスワン・ハイダム建設の資金に充てるべく、運河の国有化を宣言。管理会社である国際スエズ運河株式会社を接収して全資産を凍結しました。これに対して、運河国有化を阻止しようとして、英仏両国がイスラエルとともに干渉出兵したのが第2次中東戦争です。 結局、英仏によるスエズ侵攻作戦は、米ソを含む国際社会の厳しい非難を浴び、英仏両国は1956年12月2日に作戦を中止。その後、エジプトは1958年にはソ連から資金と技術の援助を受けて、1960年からダム建設を着工しました。 当初の計画では、ダムの完成により、ヌビア遺跡のアブシンベル神殿が水没することになっていましたが、貴重な文化遺産を保護すべきとの国際世論の声が強く、ユネスコの援助により、巨額の費用をかけて神殿はダムの人造湖(ナセル湖と命名)の湖畔に移築されました。なお、僕が小中学生の頃は、学校の教科書などでヌビア遺跡移築の話がしつこいくらいに出てきましたので、いまでも個人的にはアスワン・ハイ・ダムというと条件反射的にヌビア遺跡がすぐに思い出されますね。 完成したダムは、全長3830m、高さ111m。ダムにより、毎年のように起こっていたナイル川の氾濫は大幅に減少し、12基の水力発電装置によって、合計2.1GWの電力が供給可能になりました。また、ナセル湖では漁業が盛んに行われるようになったほか、湖から供給される水により耕作可能な土地は30%以上増加。周辺の砂漠の緑化が進みました。 その反面、以前のようにナイル川が氾濫しなくなったことで、ナイル川デルタ地帯では土砂の供給が減少し、河岸および海岸の侵食が激しくなるなど、ネガティブな影響も指摘されています。 ちなみに、完成当初、ナイル川上流から運搬されてくる土砂などにより、500年後にはアスワン・ハイ・ダムは使用不能になると予想されていましたが、現在の観測によると、500年後には水力発電に影響は出るものの、その後もダムそのものの使用は可能で、完全に埋まるのは約1700年先になるのだそうです。 ★ 内藤陽介の最新刊 『日本人に忘れられたガダルカナル島の近現代史』 ★ 本体1600円+税 出版社からのコメント 【中国の札束攻勢にソロモン諸島は陥落寸前!】 日本軍の撤退後、悲劇の激戦地は いかなる歴史をたどり、 中国はどのように浸透していったのか 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2020-02-26 Wed 01:20
エジプトのホスニ・ムバーラク元大統領が、昨日(25日)、91歳で亡くなりました。というわけで、謹んでご冥福をお祈りしつつ、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1999年、ムバーラクの4期目の大統領就任に際してエジプトが発行した記念切手で、当時のムバーラクの肖像が取り上げられています。 ホスニ・ムバーラクは、1928年5月4日、エジプト北部のナイル川デルタ内のミヌーフィーヤ県の小地主の家庭に生まれました。 1948年の第一次中東戦争を機に飛行士を志し、1949年に士官学校を優等で卒業。その後、1956年の第二次中東戦争や1962年のイエメン内戦に従軍し、1964‐65年、ソ連のフルンゼ軍事大学に留学しました。 1967年の第三次中東戦争でエジプト空軍 は壊滅的な打撃を被りましたが、戦後、ムバーラクは軍事大学校長に任命され、パイロット数の増員、訓練期間の短縮に尽力。その成果が当時のナセル大統領に認められ、1969年、空軍大将に昇進し、エジプト空軍参謀長に任命されました。 1970年、ナセルの死により、サダト政権が発足すると、1972年、空軍司令官兼国防次官に就任。1973年の第四次中東戦争では、イスラエル軍防衛陣地への電撃作戦で戦局を有利に導き、エジプトの最高勲章である“シナイの星勲章”を授与され、空軍元帥に昇進し、さらに、1975年には副大統領に任命されました。 1981年10月6日、サダトが暗殺されると、憲法の規定に従い、大統領に昇格。1982年には与党・国民民主党総裁に就任し、以後、30年にも及び長期政権を維持し、“現代のファラオ”とも呼ばれました。 大統領としてのムバーラクは、サダトの対米・イスラエル宥和路線を継承し、1982年4月、イスラエルとの交渉によりシナイ半島の返還を実現。その一方で、サダト時代に冷却化した東側・アラブ諸国との関係を修復し、1984年にはエジプト=ソ連の関係正常化、1990年にはエジプトのアラブ連盟復帰を実現しています。 1991年の湾岸戦争ではイラク制裁の多国籍軍に参加したほか、2001年9月11日に米国の同時多発テロ事件が発生すると、米国支持の立場を取るなど、西側諸国との協調路線を採ったことで外貨の導入に成功。この結果、エジプト経済は一定の成長を達成しました。 その一方で、サダト暗殺によって権力を掌握したという経緯から、ムバーラク政権は非常事態宣言を解除せず、強権的な統治体制を取り続け、貧富の格差は解消されませんでした。また、政権の長期化に伴い、次男で国民民主党政策委員長のガマール・ムバーラクへの権力世襲の意図が見え隠れするようになると、ムバーラクによる政権の私物化に対する国民の不満が鬱積。 こうした中で、2011年1月、テュニジアでジャスミン革命が発生し。ベンアリ政権が崩壊すると、これに刺激を受けたエジプト国民のムバーラクの長期独裁に対する不満が爆発。同年1月25日以降、ムバーラクの辞任を求める暴動が断続的に発生し、首都カイロでも大規模な反ムバーラクデモが発生すると、2月11日、大統領辞任に追い込まれました。 ムバーラクの大統領在職中、ムバーラク一家は欧米に無数の不動産や銀行口座を保有し、資産総額は約700億ドルとも言われていました。このため、政変を受けてスイス銀行(スイス政府)は一家の銀行口座と不動産を対象に3年間資産を凍結。翌2012年1月5日の公判では、2011年のデモ隊参加者の殺害に関与したとして死刑を求刑され、6月2日には終身刑の判決をうけましたが、2014年11月29日には事実上の無罪となる公判棄却の判決が言い渡されました。さらに、在任中の公金横領容疑についても、2017年3月2日、最高裁でのやり直し裁判で無罪判決を言い渡され、その後は胃の腫瘍で入退院を繰り返していました。 ★★ イベント・講座等のご案内 ★★ 今後の各種イベント・講座等のご案内です。詳細については、イベント名・講座名をクリックしてご覧ください。 ・よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 毎月第1火曜日 15:30~17:00 3/3、4/7、5/5、6/2、7/7、8/4、9/1(1回のみのお試し受講も可) ★★ 内藤陽介の最新刊 『日韓基本条約』 ★★ 本体2000円+税 出版社からのコメント 混迷する日韓関係、その原点をあらためて読み直す! 丁寧に読むといろいろ々発見があります。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2017-11-25 Sat 15:21
エジプト北東部、シナイ半島北部アリーシュ近郊で、きのう(24日)、イスラム武装勢力が爆弾と銃でモスクを襲撃。この記事を書いている時点で235人が死亡し、109人以上が負傷しました。エジプトでのイスラム武装勢力による襲撃事件としては過去最悪規模の被害だそうです。というわけで、亡くなられた方の御冥福と、負傷された方の一日も早い御快癒をお祈りしつつ、きょうはこの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1982年にエジプトで発行された“シナイ半島解放”の記念切手で、半島の地図にハトとオリーブが描かれています。 シナイ半島は、16世紀以降、ながらくオスマン帝国の支配下にありましたが、1805年に成立したエジプトのムハンマド・アリー朝は1840年までに半島を実効支配下に置き、その後は、エジプトの領有権が確立されました。 1956年の第二次中東戦争に際しては、イスラエル軍により一時的に占領されましたが、戦後はエジプトに返還されます。しかし、1967年の第三次中東戦争で再びイスラエルに占領されました。 このため、1970年にナセルの死を受けて政権を継承したサダトは、シナイ半島奪還を目指して、シリア大統領ハーフィズ・アサドとも連携をとりながら、対イスラエル戦争のプランを練り始めます。 戦争計画の策定にあたっては、サダトとアサドは、戦争の長期化は絶対に避けるとの前提の下、イスラエルに軍事的な大打撃を与えることで、大国による和平の仲介を引き出すという基本方針を確認。このため、戦争計画は、緒戦の電撃的な侵攻作戦に重点が置かれ、スエズ運河の潮流や月齢などを考慮した結果、ユダヤ教の贖罪日(ヨム・キップール)でイスラエル軍の態勢が手薄になる1973年10月6日が開戦予定日として設定されました。 かくして、1973年10月6日、エジプト・シリア連合軍によるイスラエルの奇襲攻撃によって、第四次中東戦争の火ぶたが切って落とされます。 開戦当初の3日間、エジプト軍はイスラエルに対する大規模攻撃を展開し、スエズ運河を渡河して、イスラエルの航空機五十機と戦車550両を撃破するという華々しい戦果を挙げました。このうち、スエズ運河渡河作戦の成功は、イスラエルに対するアラブ最初の勝利として大々的に喧伝され、サダトは「渡河作戦の最高指揮官=イスラエル軍不敗神話を破ったアラブの英雄」として、その権威は絶大なものとなります。 一方、イスラエル=シリア国境のゴラン高原では、シリア軍が快進撃を続け、アラブに対するイスラエルの不敗神話は崩壊しました。 もっとも、エジプト・シリア両軍の優勢は長続きしませんでした。はやくも10月11日にはイスラエルはゴラン高原での大反攻を開始し、シリア領内に突入。さらに、シナイ半島方面でも、同16日にはスエズ運河の逆渡河に成功してエジプト領内に進攻し、形勢は逆転します。 ところが、翌17日、アラブ産油国10ヶ国が米国とイスラエル支援国に対する原油輸出の5パーセント削減を発表すると同時に、同6ヶ国が原油価格の21パーセント引き上げを決定。さらに、イスラエル軍が1967年の第3次中東戦争以前の境界線まで撤退しない限り、以後、毎月5パーセントずつ原油生産を削減すると発表しました。いわゆる(第一次)石油危機の発生です。 10月20日、サウジアラビアが米国に対する石油の全面的な輸出禁止を発表すると、イラクをのぞくアラブ産油国の全てがこれに同調。アラブ諸国から米国とオランダ(米国のイスラエル軍事援助に際して国内の空軍基地使用を許可したことから、アラブ諸国から「敵」と認定されていました)への石油の輸出が全面的に停止されました。アラブ諸国の強硬姿勢に接してパニックに陥った西側諸国は、自国の経済を防衛するため、イスラエルとの友好関係を見直すようになります。 ところで、戦況が次第にイスラエル有利に傾いていくと、ソ連はエジプト(サダトによる軍事顧問団の追放後もソ連はエジプト領内の基地使用権を保有していました)とシリアが第三次中東戦争に続いて大敗することで、中東におけるパワーバランスが大きく崩れることを懸念し、米国と協議を開始。ソ連がエジプトとシリアに対して、米国がイスラエルに対して、それぞれ、早期の停戦を受け入れるよう、強く説得しました。 これに対して、イスラエル敗北の既成事実を作った上で停戦協定を結び、シナイ半島を奪還することを(本音の)戦争目的としていたサダトも、緒戦の優位が失われていたことから、停戦の受け入れに前向きな姿勢を示します。一方、戦況が好転しつつある中での停戦受諾はイスラエルにとっては不満の残るものではあったが、米国はなんとかイスラエルの説得に成功しました。 こうして、10月22日の国連安保理において、関係諸国に対する停戦決議(決議第338号)が採択され、同25日、停戦が成立します。 第四次中東戦争の停戦の成立を受けて、1973年12月22日、米ソ両国の主導によりジュネーヴで中東和平会議が開催されました。 会議の席上、米国務長官キッシンジャーはスエズ運河周辺とゴラン高原でアラブ、イスラエル両軍の兵力を引き離すための協定締結に向けて合同委員会を設置することを提案。これを受けて、1974年1月18日、①40日以内に、イスラエルがスエズ西岸の橋頭堡を放棄し、スエズ東岸で運河から約20マイル撤兵する、②エジプトは東岸に一定の兵力を維持する、③両軍の間を国連の休戦監視軍がパトロールする、というシナイ半島の兵力分離協定が調印されました。 シナイ半島奪還という目標が外交努力によって徐々に達成されつつあるのを確認したサダトは、イスラエルに対する融和的な姿勢を強め、1975年9月にはシナイ半島での第二次兵力分離協定を調印。さらに、1977年11月、サダトは、ついに、アラブ国家の元首としてはじめてイスラエルを公式訪問し、イスラエル国会で演説し、イスラエルとの単独和平を目指す姿勢を明らかにします。これを受けて、同年12月、返礼のため、イスラエル首相のベギンもカイロを訪問し、エジプト=イスラエル間の関係は急速に改善されていきました。 このように、第四次中東戦争停戦後、サダトが展開してきた一連の対イスラエル外交は、関係国との個別交渉を通じて問題の解決を図ろうとするイスラエルの方針に沿ったもので、イスラエルの存在そのものを容認しないという“アラブの大義”に照らして絶対に許容されえないものでした。このため、サダトはアラブ諸国から激しい非難を浴び、シリア、アルジェリア、リビア、南イエメン、リビアがエジプトと断交します。 そして、1978年9月17日、いわゆるキャンプ・デイヴィッド合意が成立。この合意では、シナイ半島の返還に関してはエジプトの主張が大幅に認められており、両国間の平和条約調印も定めていましたが、ヨルダン川西岸とガザ地区のイスラエル占領地に関しては「パレスチナ人の統治について協議を開始する」とされたものの、実質的に、イスラエル軍の駐留継続を追認する内容となっていました。 このため、キャンプ・デイヴィッド合意は、自国の利益のためにパレスチナをイスラエルに売り渡したものとして、エジプトを除く全アラブ諸国から激しく非難され、エジプトは周辺諸国から完全に孤立。1981年10月6日、サダトは、“第6回1973年10月の勝利記念パレード”を閲兵中、イスラム原理主義組織“ジハード団”のメンバーだったハリド・イスランブーリーによって暗殺されました。 一方、シナイ半島はキャンプ・デイヴィッド合意の後、1982年までに、数段階を経て、エジプトに返還されています。 エジプトへの返還後のシナイ半島は、軍事的な要地ではあるものの、経済開発や住民のための行政サービスは不十分なままの状態が続いています。このため、治安状況も不安定で、2004年にタバ、2005年にシャルム・シェイク、2006年にダハブで外国人観光客を狙った爆破事件が発生。2011年の革命の後はさらに治安が悪化し、過激派組織が、天然ガスのパイプラインの破壊、イスラエルに対する越境攻撃、エジプト軍と警察に対する襲撃といった武装闘争を展開しています。 なお、シナイ半島奪還をめぐるサダトの動きについては、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。 ★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” 次回は30日!★★ 11月30日(木)16:05~ NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第12回が放送予定です。今回は、12月1日に予定されているパレスチナの西岸地区とガザ地区の統治一元化にちなんで、ガザ地区の歴史についてお話する予定です。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。 ★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★ 本体2500円+税 【出版元より】 中東100 年の混迷を読み解く! 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史! 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2016-08-01 Mon 09:37
舛添要一前知事の辞職に伴う東京都知事選が、きのう(31日)、投開票され、無所属で新人の小池百合子元防衛相が初当選を果たしました。小池新知事といえば、カイロ大学卒業という日本では異色の経歴の持ち主ですので、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1998年にエジプトで発行された“カイロ大学90年”の記念切手で、大学の建物と大学の設立に尽力したファトゥマ・イスマーイールの肖像が描かれています。カイロ大学に関する切手は何度か発行されていますが、今回は、初の女性知事誕生という話題に合わせて、女性の肖像を大きく描いたこの切手を持ってきました。 カイロ大学の前身は、1908年、スンナ派イスラムの最高学府とされるアズハル学院に対する世俗教育の総合大学として設立された私立エジプト大学です。その後、同大学は1925年に文・理・法・医学部から構成される国立大学となり、後に工・農・商学部が加わりました。1940年にフアード1世大学に改称され、共和革命後の1954年に現在のカイロ大学と改称されています。 切手に取り上げられているファトゥマ・イスマーイールは、1853年、イスマーイール・パシャの娘として生まれました。父親のイスマーイールは、ムハンマド・アリー朝エジプトのエジプト総督(在位:1863-67年)、ついで副王(在位:1867-79年)だった人物で、スエズ運河の建設など、エジプトの近代化に尽力したものの、そのための巨額の出費によって対外債務が増大、1876年にはエジプト財政の破綻を招いて列強の管理下に置かれ、1879年には退位を余儀なくされました。 こうした状況でしたから、1907年にエジプト大学創設の計画が持ち上がった時も、エジプト政府には十分な財源がなく、計画の実現は困難と見られていました。 こうした状況を見かねたファトゥマは、自分の宝石と邸宅に隣接する土地(その場所には、現在、エジプト農業省の庁舎が建っています)を処分して大学設立の資金を拠出したほか、その後も、1920年に亡くなるまで、大学の運営委資金に多額の寄付を行鵜など、大学の運営をサポートし続けました。切手に描かれた彼女の肖像が、宝飾品を身に着けた姿になっているのは、その宝石が大学の原資(の一部)になったことを表現したもので、彼女の肖像の上下には「プリンス・ファトゥマ・イスマーイールは大学の創立に貢献した」とのアラビア語の文言も入っています。 ★★★ 新作 『リオデジャネイロ歴史紀行』 初売りのご案内 ★★★ ・8月6日(土) 09:00- 切手市場 於 東京・日本橋富沢町8番地 綿商会館 詳細は主催者HPをご覧ください。 新作『リオデジャネイロ歴史紀行』の奥付上の刊行日は8月9日ですが、8月3日頃には現物ができあがってくるとの連絡がありました。そこで、さっそく、同書を中心に拙著を担いで行商に行きます。実物の販売は、この日が初売りとなる予定です。ぜひ遊びに来てください。 ★★ 内藤陽介の最新刊 『リオデジャネイロ歴史紀行』 8月9日発売! ★★ 2700円+税 【出版元より】 オリンピック開催地の意外な深さをじっくり紹介 リオデジャネイロの複雑な歴史や街並みを、切手や葉書、写真等でわかりやすく解説。 美しい景色とウンチク満載の異色の歴史紀行! 発売元の特設サイトはこちらです。 ★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2015-02-16 Mon 23:34
“イスラム国”を自称する過激派組織ダーイシュが、きのう(15日)、リビアで人質にしていたコプト(エジプトのキリスト教徒)の労働者21人を殺害したとする動画をネットに公開したことに対して、エジプト軍は、きょう(16日)、リビア国内のダーイシュ関連組織の拠点を空爆しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます。なお、ダーイシュの呼称については、こちらの配信動画で詳しくご説明いたしましたので、ぜひ、ご覧ください)
これは、2004年にエジプトがカイロのコプト地区を題材として発行した切手です。 コプトは、もともとはアラブ化される以前の古代エジプト王国の流れを汲むエジプト先住民のことですが、次第に、キリスト教の一派と結びついた概念となりました。 すなわち、伝承によれば、西暦42年頃、マルコがアレクサンドリアにキリスト教会(アレクサンドリア教会)を建立したのがエジプトにおけるキリスト教の始まりとされています。 451年のカルケドン公会議の後、キリスト教会は、「キリストは神性と人性という二つの本性を持つ」とするカルケドン派(両性説。現在のキリスト教多数派)を正統とし、「受肉によってキリストの人性は神性に融合されて一つの性=神性となった」とする単性論派を異端として排除しました。この時点では、エジプト先住民という意味でのコプトは双方の教会に属していましたが、もともと、エジプトでは単性論派が有力だったことに加え、641-42年にムスリムがエジプトを征服すると、東方正教会系のコプトはエジプトから逃れていきました。この結果、コプトは、エジプトの単性論派キリスト教会(ただし、彼ら自身は単性論派と呼ばれることを忌避しています)の信徒を指す言葉として使われるようになり、現在に至っています。 現在、エジプトにおけるコプトの割合は人口(約8000万人)の5%程度というのが公式の数字ですが、実際には、1割程度いると推定されており、その中には、国連の事務総長を務めたブトロス・ブトロス=ガーリ―を始め、有力者も少なくありません。また、現行のエジプト憲法は“信教の自由”を保障しており、制度上、ムスリムとコプトの間で差別は無いことになっており、2007年には「ムスリムは自由に改宗することができる」とするファトワー(宗教令)も出されています。 ただし、実際には、コプトはエジプト国内においては圧倒的な少数派であり、ムスリムからコプトへの改宗は現実の問題としてほぼ不可能です。また、2011年1月1日にはアレクサンドリアのコプト教会前でイスラム過激派によるテロ事件も発生しました。このため、エジプトのメディアは、社会的な安定のためにも、コプト側が少数派として差別されていると訴えている現状につき、政府は改善を行うべきであると提言しています。 今回の一件は、エジプト政府として、コプトもエジプト国民の一員であり、国民に害をなす犯罪者集団のダーイシュに対しては断固とした措置を取るという姿勢を示したもので、リビア政府軍との共同作戦です。 エジプトは、これまで、米軍主体の有志連合によるシリア・イラクでの対ダーイシュ空爆に参加してきませんでした。このため、今回、ダーイシュの犯罪に対して直接の制裁に踏み切ったことについて、ダーイシュとの戦いがイラクとシリアだけでなく、リビアにまで拡大したものと見る論評もメディアの一部にはあるようです。 しかし、報道によれば、すでにリビア東部にはダーイシュの訓練施設や武器庫が存在していたうえ、先月には、ダーイシュに忠誠を誓う過激派組織がホテルを襲撃したほか、今月に入ってもラジオ局を占拠するなど活動を活発化させていたわけで、その点からすると、むしろ、いままで野放しにされていたリビアのダーイシュ(ないしはダーイシュに共鳴する過激派組織)に対しても、ようやく、国際社会の包囲網がかけられるようになったと見るのが妥当ではないかと思われます。 いずれにせよ、今後の事態の推移に注目したいところです。 ★★★ 講座「切手と郵便物に刻まれた“終戦”」(2月20日)のご案内 ★★★ 2月20日13:00~14:30、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、「切手と郵便物に刻まれた“終戦”」と題する講座を行います。 2015年は第二次世界大戦の終戦から70周年にあたります。終戦の年の1945年はあらゆる意味で社会が激変した年ですが、その影響は切手や郵便物にもさまざまな痕跡を残しています。今回の講座では、当時の切手や郵便物を読み解いていくことで、一般の歴史書では見落とされがちな終戦の諸相を、具体的なモノの手触りとともに明らかにしてみたいと思っています。 詳細は、こちらをご覧ください。(画像は、日本の降伏文書調印が行われた米軍艦ミズーリ号から降伏文書調印日に差し出された郵便物の一部分です) ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★ 毎月1回(原則第1火曜日:3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。 次回開催は3月3日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。 ★★★ 内藤陽介の最新刊 『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 本体2000円+税 【出版元より】 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る! 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました! ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2011-01-29 Sat 11:27
ムバーラク大統領の退陣を求める騒乱が続くエジプトで、きのう(28日)、イスラムの金曜礼拝に合わせた数千人規模のデモが発生。これにあわせて帰国し、デモに参加したエルバラダイ前国際原子力機関(IAEA)事務局長が自宅軟禁となり、同日夕、カイロ、スエズ、アレクサンドリア3市に夜間外出禁止令が出されました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、2009年にエジプトで発行されたノーベル賞受賞者の切手の1枚で、2005年の平和賞受賞者としてモハメド・エルバラダイ(ムハンマド・バラーダーイー)の肖像が取り上げられています。 エルバラダイは、1942年、カイロで生まれ。1962年にカイロ大学法学部を卒業し、エジプト外務省のキャリア外交官となり、ニューヨークとジュネーヴの国連エジプト代表部に勤務しました。1984年からはIAEA事務局に勤務し、法律顧問(1984年 - 1993年)、事務局長補佐(1993年 - 1997年)を経て、1997年に事務局長に就任。2009年まで3期務めています。 この間、イラクの大量破壊兵器査察の問題に関わり、いわゆるイラク戦争開戦直前の2003年1月の安保理では、「核兵器開発については、1999年までの査察でほぼ無効化できた」「イラク側の態度が協力的であれば、あと数ヶ月で査察が完了する」と報告。しかし、査察期間の延長は行われず、イラク戦争が勃発したことは記憶に新しいところです。 IAEAでの長年の功績が認められ、2005年には、IAEAとともに「原子力エネルギーの平和的利用に対する貢献」を理由にノーベル平和賞を受賞しました。エジプト人のノーベル賞受賞は、1999年の化学賞のアハメッド・ズウェイル以来で、通算4人目(残りの2人は1978年平和賞のサダトと1988年文学賞のナギブ・マフフーズ)です。 さて、今回、一躍時の人となったエルバラダイについては、長らくエジプトを離れて国外で活動していただけに、エジプト国内では民主化指導者としての適性に疑問を投げかける向きもあるようです。ただ、長年のムバーラク政権下でムバーラクに代わって広く国民の支持を得られる政治家が育ってこなかった(独裁政権の常として、有能さのゆえに権力者を脅かすような存在は“去勢”されてきたのでしょう)ことも事実です。特に、元国連事務総長のブトロス・ブトロス・ガーリーと並んで国際的な知名度のあるエルバラダイが自宅軟禁となったことで、ムバーラク政権に対する国際世論の圧力は、高まりこそすれ、弱まることはないでしょう。 いずれにせよ、エルバラダイが今後のエジプトのキーマンの一人であることは間違いないでしょうから、まずは彼の肖像切手をご紹介してみました。 ★★★ イベントのご案内 ★★★ 1月28~30日(金~日) 第2回“テーマティク出品者の会”切手展 於・切手の博物館3階(東京・目白) 僕も、今年夏の国際切手展に出品予定のコレクション「昭和の戦争と日本」のパイロット版を出品する予定です。詳細はこちらをご覧ください。 ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★ マカオ紀行:世界遺産と歴史を歩く 彩流社(本体2850円+税) マカオはこんなに面白い! 30の世界遺産がひしめき合う街マカオ。 カジノ抜きでも楽しめる、マカオ歴史散歩の決定版! 歴史歩きの達人“郵便学者”内藤陽介がご案内。 全国書店・インターネット書店(amazon、bk1、boox store、coneco.net、DMM.com、HMV、JBOOK、livedoor BOOKS、Yahoo!ブックス、カラメル、紀伊国屋書店BookWeb、ゲオEショップ、ジュンク堂、セブンネットショッピング、丸善、楽天ブックスなど)で好評発売中! |
2011-01-27 Thu 14:32
チュニジアでの政変の影響で、エジプトでも30年ちかく長期独裁体制を敷いているホスニ・ムバーラク大統領の退陣を求める反政府暴動がエジプト各地に拡大しています。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、2007年にエジプトで発行された「警察の日」の記念切手で、ムバーラクの肖像とエジプト国旗、警察のマークなどが描かれています。 エジプトでは、毎年1月25日が「警察の日」として国の祝日になっています。これは、もともとは、1952年に駐留イギリス軍に対して立ち上がったイスマイリアの警官たちを称える日でしたが、1981年10月のサダト暗殺以来の超長期独裁政権の下で、治安警察の強権体質に反発するエジプト人の間では、ひそかに、ムバーラク政権のさまざまな欠点を象徴する日とされています。 特に、ことしの場合は、先日のチュニジア政変に感化された人々がフェースブックを使って、昨年6月、アレクサンドリアの若者ハーリド・サイードが警官による押収麻薬の横流しをインターネットで告発しようとしたところ、警官の激しい暴行を受けて殺害された事件をふまえ、1月25日を「警察の日」ならぬ「怒りの日」にしようと呼びかけたこともあって、各地で抗議行動や暴動が拡大しました。 首都カイロでは、26日も午後からムバラク大統領の退陣を求める抗議行動が数カ所で行われましたが、政府は一切のデモを禁止し、違反者は逮捕するなど強硬方針で臨んでおり、これまでに4人が死亡、300人以上が負傷し、860人が拘束されたと報じられています。 現在、エジプトの人口は約8000万人で、現時点で抗議行動の参加者はまだ10万人に達していない模様です。したがって、ただちに政権が転覆されるということにはならないのでしょうが、アラブの大国エジプトの動揺は、チュニジアの政変とは比べ物にならないほど大きな影響を国際社会に与えることは必至です。しばらくは、エジプト情勢から目の離せない日が続きそうです。 ★★★ イベントのご案内 ★★★ 1月28~30日(金~日) 第2回“テーマティク出品者の会”切手展 於・切手の博物館3階(東京・目白) 僕も、今年夏の国際切手展に出品予定のコレクション「昭和の戦争と日本」のパイロット版を出品する予定です。詳細はこちらをご覧ください。 ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★ マカオ紀行:世界遺産と歴史を歩く 彩流社(本体2850円+税) マカオはこんなに面白い! 30の世界遺産がひしめき合う街マカオ。 カジノ抜きでも楽しめる、マカオ歴史散歩の決定版! 歴史歩きの達人“郵便学者”内藤陽介がご案内。 全国書店・インターネット書店(amazon、bk1、boox store、coneco.net、DMM.com、HMV、JBOOK、livedoor BOOKS、Yahoo!ブックス、カラメル、紀伊国屋書店BookWeb、ゲオEショップ、ジュンク堂、セブンネットショッピング、丸善、楽天ブックスなど)で好評発売中! |
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