2024-10-13 Sun 10:05
潮流社の雑誌『カレント』の2024年10月号が発行されました。僕の連載「切手から見る世界と歴史」は、今回は、今月1日のパラオの独立30周年にちなんで、こんなモノををご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、2002年1月11日、パラオが発行した“パラオ・日本友好橋開通記念”の切手シートです。 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。 ★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★ 10月16日(水) 10:00~ ニッポンジャーナル インターネット番組「ニッポンジャーナル」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。皆様、よろしくお願いします。 10月25日(金) 05:00~ おはよう寺ちゃん 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。 10月27日(日) 13:30~ アメリカ大統領選挙~より理解するために よみうりカルチャー荻窪にて、アメリカ大統領選挙をより理解するための基礎知識と最新情報を交え解説します。詳細はこちらをご覧ください。 11月3日(日) 14:00~ 正しい多文化共生セミナー TKP新橋汐留ビジネスセンターにて、救国シンクタンク主催の第8回セミナーとして、埼玉県南部の川口市を中心とした“クルド人問題”を中心に内藤がお話しします。お申込みなどの詳細はこちらをご覧ください。 よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。 謀略の世界史 原則毎月第1土曜日 13:00~14:30 MI6、CIA、モサドなど各国の情報機関のあらましや、現代史の中で彼らが実際に関与した事件などを幅広くご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。 武蔵野大学のWeb講座 大河企画の「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」、引き続き開講中です。詳細はこちらをご覧ください。 「龍の文化史」、絶賛配信中です。龍/ドラゴンにまつわる神話や伝説は世界各地でみられますが、想像上の動物であるがゆえに、それぞれの物語には地域や時代の特性が色濃く反映されています。世界の龍について興味深いエピソードなどを切手の画像とともにご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。 ★ 『切手もの知り図鑑 一番切手50のエピソード』 好評発売中!★ 「動物と植物」「科学技術」「社会と文化」「神話/伝説と宗教」の4章立てで、犬、猫、宇宙開発、飛行機、クリスマスといったテーマで、初めて描かれた切手図案にまつわる秘話、思いがけない発行に至る背景に加え、シーラカンスやテレビ、警察官、タトゥー、髑髏といった、あっと驚く意外なテーマの一番切手も登場します! * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2020-10-15 Thu 00:30
太平洋の島国、パラオ共和国(パラオ)の独立を果たした日系2世のクニオ・ナカムラ元大統領が、きのう(14日)、亡くなりました。享年76歳。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1994年、パラオが独立時に発行した記念切手のうち、米国のクリントン大統領と握手するナカムラ大統領を描いた1枚です。 クニオ・ナカムラ元大統領は、1943年11月24日、日本委任統治下の南洋諸島、パラオのコロールで、日本人船大工の父親とペリリュー首長部族出身の母親の間に生まれました。 第二次世界大戦に敗れた日本が南洋群島から撤退すると、1947年、国連はミクロネシア地域を、①ポンペイ(後、コスラエを分離)、②チューク、③ヤップ、④パラオ、⑤マーシャル諸島、⑥マリアナ諸島北部(サイパンなど)に分け、米国の太平洋諸島信託統治領とします。 一方、ナカムラ一家は一時日本に引き上げたものの、ほどなくしてパラオに戻り、クニオは、母親の実家のあるペリリューで幼少期を過ごし、グアムのタモン高校を経てハワイ大学に進学し、卒業後はパラオで教師をした後、1967年にミクロネシア議会選挙に出馬したものの落選。その後、国連信託統治領の経済アドヴァイザーやヤップ地区の経済開発職員を務めました。 1978年、ミクロネシアでの憲法制定にあたり、ナカムラはコロール州選出の憲法制定会議の議員に選出されます。この時の憲法案は、信託統治領下の6地域のうち、マーシャル諸島とパラオでは住民投票で否決されたものの、残りのチューク、ヤップ、ポンペイ、コスラエの4地域で可決されたため、1979年5月10日、同憲法の発行を受けて、これら4地域を構成州とする“ミクロネシア連邦”が創設されます。 一方、パラオでは、翌1979年7月、米国による核兵器の持ち込みを禁止した“非核憲法”が住民投票で可決されましたが、信託統治領高等裁判所は無効を宣言。その後、同年10月、非核条項を緩和した憲法草案は住民投票で否決され、さらに1980年7月、修正前の草案が再び住民投票で可決されます。 こうした経緯を経て、1981年、自治政府の“パラオ共和国”が発足。翌1982年には、米国による財政援助と米軍駐留をセットにした50年間の自由連合盟約(コンパクト)を独立の条件とする政府間合意が成立しましたが、その後、1990年まで7回にわたって行われた住民投票では承認が得られなかったため、独立も先送りになっていました。 こうした状況の下、1989年に自治政府の副大統領に就任したナカムラは、米国とのコンパクトを受け入れての独立を訴え続け、1992年の住民投票では、「コンパクトに関する部分に限り、住民投票で50%以上の承認」との修正条項を入れるなどして憲法可決に成功。同時に行われた大統領選挙で当選を果たします。 翌1993年、大統領に就任したナカムラはコンパクトの条件について折衝し、1994年に独立を達成します。今回ご紹介の切手は、これに合わせて発行されたものです。 独立後はコンパクトに基づく経済援助や諸外国からの政府開発援助を活用してインフラ整備に着手しし、パラオのGDPならびに税収を倍増させるなどの実績を残して、2001年、任期満了で大統領を退任しました。 大統領退任後は実業家として日本との海運事業などを手がけたほか、日本との友好促進に尽力。2015年4月に上皇陛下が天皇として戦没者の慰霊のためパラオを訪問された際には晩餐会に招かれ、陛下のお言葉でも元大統領の功績が触れられました。 謹んでご冥福をお祈りします。 ★ 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★ 10月16日(金)05:00~ 文化放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。 ★ 内藤陽介の最新刊 『日本人に忘れられたガダルカナル島の近現代史』 ★ 本体1600円+税 出版社からのコメント 【中国の札束攻勢にソロモン諸島は陥落寸前!】 日本軍の撤退後、悲劇の激戦地は いかなる歴史をたどり、 中国はどのように浸透していったのか 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-06-05 Wed 04:18
ご報告がすっかり遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2019年5月1日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」は、今回はパラオ(と一部カンボジア)の特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1995年にパラオが発行した“第二次大戦50年”の記念切手のうち、ペリリュー島の戦いに取材した絵画「Marines Call It That 2,000 Yard Stare(海兵隊はそれを“あの2000ヤードの凝視”と呼ぶ 以下、2000ヤードの凝視)」を取り上げた1枚です。 第一次大戦後、旧ドイツ領ニューギニアのうち赤道以北の南洋群島は、国際連盟規約第22条による委任統治領として日本の支配下に置かれることになりましたが、国際連盟規約では、委任統治領に軍事的な根拠地を構築することが禁止されていたため、当初、パラオ本島(バベルダオブ島)には民生用の小さな飛行場があるだけでした。 1933年、日本は国際連盟を脱退しましたが、委任統治領としての南洋群島に対する日本の支配は維持され、むしろ、パラオは軍事的な重要拠点のひとつとして整備が進められていきます。 たとえば、1937年にはパラオ本島飛行場の拡張とペリリュー島に飛行場の新規建設が開始され、1941年の太平洋戦争開戦時点で、ペリリュー島には1200m滑走路2本の飛行場が完成しており、ペリリュー島とカドブス島の間は桟橋で結ばれていました。 こうした軍事拠点化に伴い、軍人軍属や彼らを相手にビジネスを行う人々、その家族などが移住し、1943年の時点で、パラオの人口は3万3000人(その7割は日本本土、沖縄、日本統治下の朝鮮や台湾などからの移住者)にまで拡大。日本語教育を行う学校も設けられています。 1941年、大東亜戦争が勃発すると、パラオは日本軍のソロモン、ニューギニア方面の後方兵站基地となったため、1944年3月、連合国はニューギニアのホーランディア攻略作戦に先立ち、パラオに対する空襲を行いました。そこで、同年4月、日本軍は新設の第31軍の下、パラオ防衛体制の強化に乗り出します。 これに対して、フィリピンの奪還に向けてニューギニア北岸を西進していた連合軍は、ペリリュー島とアンガウル島の飛行場確保を目指して、攻略作戦を開始しました。 1944年9月15日、米軍はパラオ諸島への侵攻を開始し、第1海兵師団をペリリュー島に上陸させ、数日のうちに飛行場を確保。これに対して、装備において圧倒的に劣っていた日本軍1万1000名は、米軍の打撃を最大にするべく、島の山地(最高約90m)の自然洞窟等に構築した陣地から反撃し、米第1海兵師団に大きな打撃を与え、同師団は10月末に陸軍第81歩兵師団と交代して撤収しました。 その後、日本軍は11月27日に玉砕し、米軍は掃討作戦の終結を宣言しましたが、日本軍が小島に立てこもって2ヶ月以上にわたり抵抗を続けることができた経験は、日本の島嶼防衛方針に大きな影響を与え、その後の硫黄島や沖縄の防衛戦に生かされることになります。 今回ご紹介の切手に取り上げられた「2000ヤードの凝視」は、米軍の従軍記者で画家のトム・リーが、ペリリュー島の戦いに参加し、過酷な体験をした海兵隊員の肖像画として制作したもので、『ライフ』誌1945年6月号に発表されました。発表当初、誌面には作品の題名は表示されていませんでしたが、その印象的な画面から、後に“1000(または2000)ヤードの凝視”は、戦場の恐怖によって解離状態になり、感情が麻痺した兵士が持つ、うつろで焦点の定まらない眼差しを指す用語として定着します。なお、おりじなるの作品は、現在、ワシントンD.C.の米陸軍戦史センターの収蔵品です。 さて、 ペリリュー島の戦いの後、米軍は9月17日にはアンガウル島に上陸し、10月21日までに同島を制圧。この間、10月15日から、米軍は同島の飛行場の使用を開始しています。また、パラオ本島には米軍の上陸はなく爆撃のみでした。 ペリリューの戦い以後、1945年8月の日本軍降伏まで、米軍による南洋諸島での大規模な軍事行動は起こりませんでした。しかし、米軍によって日本本土との補給線を断たれた孤島では飢餓が蔓延し、多数の餓死者が発生したことは見逃せません。 なお、大戦後、パラオを含む旧日本委任統治領の南洋群島は、国際連合により米国を施政権者とする信託統治に付され、1994年のパラオ共和国独立まで、米国の支配下に置かれていました。 さて、、『世界の切手コレクション』5月1日号の「世界の国々」では、ペリリュー島の戦いを中心とした長文コラムのほか、日本・パラオ友好橋、世界遺産ロックアイランドの切手などもご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。 なお、「世界の国々」の僕の担当ですが、今回のパラオ(と一部カンボジア)の次は、5月1日発売の同8日号でのエスワティニ(と一部ギニアビサウ)、6月5日発売の同12日号でのボツワナ(と一部ルワンダ)の特集となっています。これらについては、順次、このブログでもご紹介する予定です。 *昨日(4日)の本荘法人会講演会 「切手で読み解く国際政治」は、無事、盛況のうちに終了いたしました。ご参加いただいた皆様、開催の労を取っていただいたスタッフの方々には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。 ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2015-04-09 Thu 17:28
天皇皇后両陛下が、きのう・きょう(8・9日)の日程でパラオをご訪問なさっておられます。というわけで、両国の友好関係を象徴する切手として、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、2012年にパラオで発行された“日本パラオ友好橋10周年”の小型シートで、橋の景観を取り上げた切手が4種連刷で収められています。 日本パラオ友好橋は、パラオの旧首都コロール島と現首都のマルキョクがあるバベルダオブ島を結ぶ413mの橋で、もともとは、ふたつの島の頭文字を取ってKB橋と呼ばれていました。 当初、橋の建設に際しては、日本の鹿島建設も入札に参加しましたが、韓国のSOCIO(1994年に崩落した聖水大橋にもかかわった建設会社)が鹿島の半額の入札価格で落札。同社により、1977年、設計上は風速67mの暴風や激震に耐えられるという橋が建設されました。 ところが、SOCIOに関しては、建設当初から手抜き工事の疑惑が指摘されており、開通直後から橋の中央部がへこむなどのトラブルが続出。このため、住民は避難路を確保するため、車の窓を開けて最徐行するなどの自衛策をとるほどでした。 そこで、パラオ政府は1990年に230万ドルをかけた補強工事を行いましたが、1996年9月26日、橋は中央部から真っ二つに折れて崩落し、2名が死亡、4名以上が負傷しました。さらに、コロール島から空港への道路はKB橋しかなかったことに加え、橋には電気、水道、電話などのライフラインが通っていたため首都機能が麻痺し、クニオ・ナカムラ大統領は国家非常事態宣言を発令しています。 その後、ライフラインは復旧したものの、財政的な理由からパラオ政府は自国の資金による橋の再建が不可能であったため、1997年に日本の無償援助による橋の再建を決定。今度は鹿島建設が橋の建設を請け負い、旧橋残存部を再利用することなく、全てを新しく作り直して、2002年1月、現在の“日本・パラオ友好の橋”が開通しました。設計上の耐用年数は50年で、現在も何ら問題なく、パラオ国民の生活を支えています。 ★★★ イベントのご案内 ★★★ ・4月25日(土) 11:00-12:00 スタンプショウ 於 東京都立産業貿易センター台東館(浅草) 特設会場 出版記念のトークを行います。入場は完全に無料ですので、ぜひ、遊びに来てください。スタンプショウについての詳細はこちらをご覧ください。 ★★★ 内藤陽介の最新刊 『日の本切手 美女かるた』 発売! ★★★ 税込2160円 4月8日付の『夕刊フジ』書評が掲載されました! 【出版元より】 “日の本”の切手は美女揃い! ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え! <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾン、boox store、e-hon、honto、YASASIA、紀伊國屋書店、セブンネット、ブックサービス、丸善&ジュンク堂、ヨドバシcom.、楽天ブックスをご利用ください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2012-04-29 Sun 21:50
1989年の(第2次)天安門事件を回顧し、事件で武力弾圧された民主化運動を紹介する“六四紀念館”が、きょう(29日)、香港の九龍地区にオープンしました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます
これは、2000年にパラオが発行したミレニアム切手の1枚で、1989年の天安門事件が取り上げられています。パラオといえば、台湾との国交を維持して中国と国交を結ばず、先日は自国の海域内で違法操業をしていた中国漁船を追跡し、自国のヘリが燃料切れで墜落しつつも、中国漁船による体当たり攻撃にも屈せず、最終的に25人の船員を拘束し、1人1000ドルの罰金をきっちり徴収したという骨のある国です。小国のミレニアム記念切手は、基本的には、外国人収集家に販売して外貨を稼ぐものという色彩が強いのですが、切手に天安門事件を取り上げることが国際社会の理解を得られるという見識は、なかなか立派なことですな。 さて、(第2次)天安門事件の概要をまとめると、以下のようになります。 1989年4月8日、胡耀邦(中国共産党の総書記として言論の自由化を推進し、国民からは「開明的指導者」として支持を集めていたものの、保守派との権力闘争に敗れて失脚)が亡くなると、その死を悼むかたちで、民主化を求める学生運動が北京を中心に発生します。運動の背景には、政府・党幹部の腐敗と汚職、小平による人治(超法規的な君臨)への不満がありました。 学生を中心とした民主化や汚職打倒を求めるデモは、4月22日には西安や長沙、南京などの一部の地方都市にも拡大。西安では車両や商店への放火が、武漢では警官隊と学生との衝突が発生します。これに対して、首相の趙紫陽は5月3日の“五四運動”70周年記念式典で、学生・市民の改革要求(この日、北京では約10万人が民主化を求めるデモと集会を行っていました)を“愛国的”であると評価し、事態は沈静化の方向に向かうかと思われました。 ところが、5月13日、民主化を求める学生側がハンガーストライキに突入したことから当局側は態度を硬化。これに反発するかたちで、中国全土から天安門広場に学生・労働者などのデモ隊の数は50万人近くに膨れ上がっていきます。 両者のにらみ合いが続く中で、5月15日、ゴルバチョフが中ソ対立の終結を表明するために訪中。世界のマスコミは自国の民主化を進めるゴルバチョフの訪中と中国における一連の民主化運動を絡めた報道を行い、天安門広場をはじめ北京市内の要所要所が民主化を求めるデモ隊で溢れ、当局による交通規制さえ不可能となった状況が世界に配信されました。今回ご紹介の切手に取り上げられているのは、こうした状況の中で撮影された写真がもとになっています。 これに対して、メンツを完全につぶされたと考えた当局側は、ゴルバチョフ帰国後の5月19日、北京に戒厳令を布告。23日には戒厳令布告に抗議するために北京市内で100万人規模のデモが行われ、30日には天安門広場の中心に、ニューヨークの自由の女神を模した“民主の女神”像が作られるなど、緊張が高まっていく中で、ついに6月3日深夜から4日未明にかけて、北京の天安門広場前に集まっていた学生・市民に対して人民解放軍が無差別に発砲。民主化運動を力ずくで鎮圧されることになりました。 軍隊によって民主化運動を圧殺した天安門事件については、国際世論が厳しくこれを指弾し、中国は国際的な孤立に追い込まれます。しかし、中国国内では、事件については徹底した報道管制が敷かれており、現在なお、その実態は明らかにされておらず、一種のタブーのような扱いになっています。ちなみに、僕は以前、中国のご機嫌を伺うことに敏感とされる某社の媒体で中国モノの原稿を書いた際に、天安門事件の影響について触れたところ、担当の編集者から「“3つのT(台湾・チベット・天安門)”には触れないようにお願いします」と言われて書き直しを命じられたことがあります。まぁ、パラオの雑誌だったら、そういうこともなかったのでしょうが…。 さて、今回、九龍にオープンした“六四紀念館”は、香港の民主派団体・香港市民愛国民主運動支援連合会(支連会)が6月10日までの期間限定で開設したもので、1989年の民主化運動当時、北京の天安門広場に設置された“民主の女神”像のミニチュアや当時の運動を説明するパネル、書籍が展示され、ビデオも放映されているそうですから、今回ご紹介の切手のもとになった写真も展示されているかもしれませんね。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
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