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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 1年間ありがとうございました。
2021-12-31 Fri 00:49
 2021年もいよいよ大晦日です。今年も皆様には本当にいろいろとお世話になりました。おかげさまで、主なものだけでも、下記のような仕事を残すことができました。

 <単行本>
      世界はいつでも不安定・表紙カバー
 ・『世界はいつでも不安定 国際ニュースの正しい読み方』(ワニブックス 奥付上の刊行日は4月10日)

      郵便創業150年の歴史ー1 表紙
 ・『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.1 戦前編』(日本郵趣出版 奥付上の刊行日は4月20日)

      誰もが知りたいQアノンの正体
 ・『誰もが知りたいQアノンの正体(みんな大好き陰謀論Ⅱ)』(ビジネス社 奥付上の刊行日は6月1日)

      切手でたどる郵便創業150年の歴史②表紙画像
 ・『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.2 戦後編』(日本郵趣出版 奥付上の刊行日は11月20日)

 <連載>
 ・「泰国郵便学」 『タイ国情報』(1月号~2022年も継続)
 ・「切手に見るソウルと韓国」 『東洋経済日報』(1月~2022年も継続)
 ・「お菓子の切手(旧「小さな世界のお菓子たち」) 『Shall we Lotte』(1月~2022年も継続)
 ・「切手歳時記」 『通信文化』 (1月~2022年も継続)
 ・「日本切手150年の歩み~郵便創業150年に寄せて」 『郵趣』(1月~3月)
 ・「沖縄切手モノ語り」 『本のメルマガ』(7月~2022年も継続)
 ・「沖縄切手物語」 『キュリオマガジン』(6月~2022年も継続)
 ・「こわい切手」 『ザ・フナイ』(8月~2022年も継続)

 <単発モノの論文・エッセイなど>
 ・「(掛谷英紀氏との対談)保守もリベラルもQアノンも」 読書人WEB
 ・「昭和12年と昭和切手」 『昭和12年研究』
 ・「(亀和田武氏、森田基治氏との鼎談)熱討スタジアム 昭和の『切手ブーム』を語ろう」 『週刊現代』10月23・30日号
 ・「反ソ闘争とアルカーイダ」 『史』11月号

 <切手展出品>
 ・「Postal History of Transvaal during the Second Boer War 1899-1902」 (STAMPEX JAPAN 2021)

 このほかにも、文化放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」(2022年も継続)、インターネット放送チャンネルくららでの「内藤陽介の世界を読む」(2022年も継続)、実行委員長を務めた6月の全日本切手展、8月の世界切手展<PHILANIPPON 2021>をはじめ各種のイベントや講座など、公私にわたり、実に多くの方々より、ご支援・ご協力を賜りました。関係者の皆様にはあらためてこの場を借りて、心よりお礼申し上げます。明年も引き続き、ご支援・ご協力を賜りますよう、お願い申し上げます。

 最後に、来る年の皆様のご多幸を心よりお祈り申し上げ、年末のご挨拶といたします。どうぞ、良いお年をお迎えください。

 内藤陽介拝

 * 昨日(30日)の文化放送「おはよう寺ちゃん」の僕の出番は、無事、終了いたしました。1年間お付き合いいただいたリスナーの皆様には、この場をお借りして御礼申し上げます。2022年は、1月10日(月)が最初の登場予定です。引き続きよろしくお付き合いください。

★ 放送出演・講演・講座などのご案内★

 1月10日(月) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。

 武蔵野大学のWeb講座 2021年12月1日~2022年2月8日
 「日本の歴史を学びなおす― 近現代編その1 ― 黒船来航」

 12月1日から2月8日まで、計7.5時間(30分×15回)の講座です、お申し込みなどの詳細は、こちらをご覧ください。


★ 『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.2 戦後編』 11月20日刊行! ★

      切手でたどる郵便創業150年の歴史②表紙 2530円(本体2300円+税)

 明治4年3月1日(1871年4月20日)にわが国の近代郵便が創業され、日本最初の切手が発行されて以来、150年間の歴史を豊富な図版とともにたどる3巻シリーズの第2巻。まずは、1945年の第二次大戦終戦までの時代を扱った第1巻に続き、第二次大戦後の1946年から昭和末の1989年までを扱っています。なお、2022年3月刊行予定の第3巻では平成以降の時代を取り扱う予定です。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 

 ★★ 書籍無料ダウンロードを装った違法サイトにご注意ください!★★

 最近、拙著『切手でたどる郵便創業150年の歴史』をPDF化して、無料でダウンロードできるかのように装い、クレジットカード情報を盗み取ろうとする違法サイトの存在が確認されました。

 この種のサイトは多種多様な出版物を無許可で取り扱っているものと思われます。

 内藤および拙著の出版元・販売元ではこのような行為は一切認めておらず、フィッシング詐欺等に巻き込まれる可能性もありますので十分ご注意ください。

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 リサール・デイ
2021-12-30 Thu 02:53
 きょう(30日)は、フィリピンの国民的英雄、ホセ・リサールが1896年12月30日に処刑されたことにちなむフィリピンの祝日、“リサール・デイ”です。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      フィリピン・リサール(1944)

 これは、先の大戦中の1944年2月17日、日本占領下で樹立されたフィリピン第2共和国が発行した“英雄切手”のうち、リサールの肖像を取り上げた5センタボ切手です。

 リサールは、1861年6月19日、スペイン領時代のルソン島カランバで生まれました。幼少時から神童の誉れ高く、1877年、16歳にしてマニラのアテネオ学院(現アテネオ・デ・マニラ大学)に入学して農学を学び、さらに同校で土地測量の技術を学びつつ、サント・トマス大学で医学を学びました。また、在学中の1879年にはスペイン語の詩のコンテストで最優秀賞を獲得しています。

 1881年にアテネオ・デ・マニラ専門学校を卒業、翌1882年にサント・トマス大学医学部を修了した後、宗主国スペインの国立マドリード大学医学部および哲文学部の両学部に入学。1885年、マドリード大学の哲文学博士と医学士の号を取得した後、フランス、ドイツの各大学でも学び、ドイツ滞在中の1887年、ベルリンで小説『ノリ・メ・タンヘレ(私に触れるな)』を出版し、同年8月、フィリピンに帰国しました。

 帰国後のリサールは、故郷のカランバで医者として働いていましたが、ドイツで出版した『ノリ・メ・タンヘレ』がスペイン修道会の怒りを買い、再び“留学”の名目で日本、米国経由でヨーロッパに逃れました。

 亡命生活末期の1891年9月、リサールは、1872年の“ゴンブルサ事件”を題材にした小説『エル・フィリブステリスモ』をベルギーで出版します。

 作品の題材となったゴンブルサ事件は、1872年、マニラ・カビテ地区で発生した労働者の暴動に関して、スペインの植民地当局は暴動を扇動したとして、ゴメス、ブルゴス、サモーラのの3人のフィリピン人神父を公開処刑にしたというもので、当時のフィリピン人に大きな衝撃を与えました。

 『エル・フィリブステリスモ』の出版後、リサールはフィリピンに帰国しようとしたものの、スペイン当局は彼を反植民地的人物として帰国を認めませんでした。そこで、彼は香港で眼科医を開業しましたが、望郷の念断ちがたく、1892年6月に帰国した後は、スペインの統治を認めたうえで、穏健な改革を求める“フィリピン同盟”を結成しました。ところが、これをも危険視したスペイン当局は彼を逮捕し、ミンダナオ島のダピタンへ流刑としました。

 1896年7月、刑期の満了後、彼は軍医としてスペイン海軍の巡洋艦「カスティリア号」に乗り込み、スペイン領キューバへ向かいましたが、船が地中海に入ったところで、フィリピンで“1896年革命”が勃発したことから、革命への関与を疑われて逮捕され、マニラへ移送の後、同年12月26日、軍法会議で銃殺刑の判決を受け、30日に処刑されました。享年35歳。その死は多くの人々に衝撃を与え、1898年に成立したフィリピン第1共和国大統領のエミリオ・アギナルドは、リサールが処刑された12月30日を“リサール・デイ”に指定。現在でも、この日はフィリピンの祭日となっています。

 なお、今回ご紹介の切手を含めて、先の大戦中に日本軍が占領した地域の切手については、拙著『切手でたどる郵便創業150年の歴史vol.1 戦前編』でもその概要をまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


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 12月30日(木) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。

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 12月1日から2月8日まで、計7.5時間(30分×15回)の講座です、お申し込みなどの詳細は、こちらをご覧ください。


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      切手でたどる郵便創業150年の歴史②表紙 2530円(本体2300円+税)

 明治4年3月1日(1871年4月20日)にわが国の近代郵便が創業され、日本最初の切手が発行されて以来、150年間の歴史を豊富な図版とともにたどる3巻シリーズの第2巻。まずは、1945年の第二次大戦終戦までの時代を扱った第1巻に続き、第二次大戦後の1946年から昭和末の1989年までを扱っています。なお、2022年3月刊行予定の第3巻では平成以降の時代を取り扱う予定です。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 

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 ポンパドゥール夫人生誕300年
2021-12-29 Wed 08:34
 フランス国王ルイ15世の公妾で、大手べ-カリー・チェーン“ポンパドウル”の名前の由来にもなったポンパドゥール夫人ことポンパドゥール侯爵夫人ジャンヌ=アントワネット・ポワソンが1721年12月29日に生まれてから、ちょうど300年になりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      フランス・ポンパドゥール夫人(2014)

 これは、2014年(夫人の没後250年の年)にフランスで発行されたポンパドゥール夫人の切手で、彼女とも親交のあった画家、フランソワ・ブーシェによる彼女の肖像画を基にしたデザインとなっています。

 ポンパドゥール夫人は、1721年12月29日、パリの銀行家の娘として生まれました。当時のフランス社会では、身分としては平民の出身でしたが、生家の豊富な資金力を背景に当時の一流の教育を受け、幼少期から非常に優秀な成績でした。

 1741年、徴税請負人のシャルル=ギヨーム・ル・ノルマン・デティオールと結婚。これを機に、上流階級のサロンに出入りするようになり、その美貌と教養ゆえに大いに話題となりました。1744年、ルイ15世の公妾、シャトールー公爵夫人ことマリー・アンヌ・ド・マイイ=ネールが亡くなると、ルイ15世はしばらく悲しみに打ちひしがれていましたが、すぐに新しい愛妾を探すようになり、彼女が選ばれます。このため、彼女はポンパドゥール侯爵夫人の称号を与えられて夫と別居し、1745年9月14日正式に公妾として認められました。

 国王の公妾となったポンパドゥール夫人は、政治に関心の薄いルイ15世に代わって権勢を振るい、1756年には、それまで宿敵とされてきたオーストリアのマリア・テレジアと同盟を結び(いわゆる外交革命)、ロシアのエリザヴェータとともに反プロイセン包囲網の結成を実現しました。1764年没。なお、外交革命に伴う仏墺和解の象徴として、夫人が亡くなった後の1770年にハプスブルク家からフランス王室に嫁いだのがマリー・アントワネットです。

 また、夫人はサロンを開いてヴォルテールやディドロなどの啓蒙思想家や芸術家を支援し、ロココ様式隆盛の流行の中心となっています。今回ご紹介の切手の元になった肖像画を描いたブーシェは、彼女のお気に入りの画家だっただけでなく、彼女に素描とエッチングを教えていたほか、相談役としても彼女の美術品収集のアドバイザーも務めました。

 ちなみに、ベーカリーチェーンのポンパドウルのロゴは、ブーシェの肖像画ではなく、シャルル=アンドレ・ヴァン・ルによる「女庭師姿のポンパドゥール夫人」の左右を反転させたイメージでデザインを作ったのではないかと思います。(下に画像を貼っておきます)

      ポンパドウル・ロゴ
      女庭師姿のポンパドゥール夫人

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 12月30日(木) 05:00~  おはよう寺ちゃん
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 明治4年3月1日(1871年4月20日)にわが国の近代郵便が創業され、日本最初の切手が発行されて以来、150年間の歴史を豊富な図版とともにたどる3巻シリーズの第2巻。まずは、1945年の第二次大戦終戦までの時代を扱った第1巻に続き、第二次大戦後の1946年から昭和末の1989年までを扱っています。なお、2022年3月刊行予定の第3巻では平成以降の時代を取り扱う予定です。

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 切手に見るソウルと韓国:全斗煥時代の日韓関係
2021-12-28 Tue 09:05
 ご報告が遅くなりましたが、『東洋経済日報』2021年12月10日号が発行されました。僕の月一連載「切手に見るソウルと韓国」は、今回は、先日亡くなった全斗煥元大統領に関連する話題を取り上げましたが、その記事の中から、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      韓日国交正常化20年(370ウォン)

 これは、1985年12月18日に韓国が発行した“韓日国交正常化20周年”の記念切手のうちの370ウォン切手で、富士山を背景に飛ぶ大韓航空機が取り上げられています。

 1983年1月、わが国の中曽根康弘首相は訪韓し、全斗煥大統領とともに「首相と大統領は、国民的基盤に立脚した交流の拡大が長期的な観点から両国関係の発展に極めて重要であるということについて認識を同じくし、このための方途として、学術、教育、スポーツ等両国間の文化交流を漸次拡大していくことにした」とする共同声明を発表。これを受けて、同年8月の第12回日韓定期閣僚会議で文化交流のための実務者協議開催が決まり、さらに12月にソウルで開かれた局長レベルの協議で1985年の“日韓国交正常化(日韓基本条約調印)20周年”を機に記念行事を行うことが合意されました。

 その具体的な企画・調整のため、1984年3月28日、外務大臣(安倍晋太郎)の私的諮問機関として、前駐韓大使(元外務事務次官)の須之部量三を座長とする日韓文化交流連絡会が発足。日韓青年交流、青年の船、日韓姉妹都市、芸術・スポーツ交流等の様々な企画が立案され、その一環として、“日韓国交正常化20年”の記念切手が発行されることになります。

 当時は日本国内でも、いわゆる“進歩的知識人”や日本社会党の支持者などを中心に、“軍事独裁国家”の韓国を批判し、社会主義国の北朝鮮を賛美する人々も多かったのですが、彼らは日韓国交正常化20年の記念行事にも批判的で、ジャーナリストの山本剛士は雑誌『世界』で次のように批判しています。

 (日韓国交正常化20周年の記念行事の例を列挙したうえで)このうちどれだけが実現できるかは、今後の問題であるが、なかにはおよそ実現不可能と思われる計画も含まれている。それは「記念切手の発行」である。国交樹立二〇周年で記念切手を発行するなど前例がない。まさか「中曽根・全斗煥カラオケ交歓」(引用者註:中曽根の訪韓時、大統領主催の歓迎晩餐会で中曽根が韓国語を交えたスピーチを行ったことを喜んだ全斗煥が中曽根を誘ってカラオケを歌ったエピソードをさす。このとき全は日本語の「王将」を、中曽根は韓国語の「黄色いシャツ」を歌ったという)の切手を発行したいというのではなかろうが、記念切手には記念事業の“思想”がうかがわれるともいえる。
 
 というのは、なぜ一〇周年ではなく、二〇周年を記念しなければならないかということである。常識で考えれば、一〇周年のほうが通りがよい。二〇周年を記念するならば、三〇周年も四〇周年も記念行事を行うかということになる。さらにいえば、韓国以外の国々と国交樹立二〇周年で国家が音頭をとって記念切手の発行など盛り沢山の記念行事を行ったことがあるか、また今後は行うかということになる。行うにしろ、行わないにしろ、その基準は何かという問題となる。外務省はそのことを知っているはずである。

 こうした反対論はあったものの、結局、日本国内では1985年9月18日、無事に日韓国交正常化20年の記念切手が発行されました。切手の図案には、韓国を象徴するものとしてムクゲの花が取り上げられましたが、戦後の日本がアジアの特定の国との友好を記念するための切手を発行したのは、これが最初の事例となりました。

 まぁ、山本の「二〇周年を記念するならば、三〇周年も四〇周年も記念行事を行うか」との問いに対しては、実際に行われましたし(30周年に関しては記念切手も発行されています)、「韓国以外の国々と…今後は行うか」に対しては、、その後、各国との周年事業の切手が盛んに発行されるようになったということを、現在の我々は知っているわけですが…。

 一方、韓国では、日韓基本条約発効の記念日にあたる12月18日に今回ご紹介の切手を含む記念切手2種類(70ウォンと370ウォン。同図案)が発行されています。このうち。70ウォンは当時の国内宛の書状基本料金で、今回ご紹介の370ウォンは日本宛のエアメールの料金でした。

 ちなみに、昭和末期の中曽根政権下での日本切手と政治の関係については、拙著『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.2 戦後編』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです、

 * 昨日(27日)の文化放送「おはよう寺ちゃん」の僕の出番は、無事、終了いたしました。リスナーの皆様には、この場をお借りして御礼申し上げます。次回は変則的ですが、今週木曜日・12月30日に登場の予定です。引き続きよろしくお付き合いください。


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 明治4年3月1日(1871年4月20日)にわが国の近代郵便が創業され、日本最初の切手が発行されて以来、150年間の歴史を豊富な図版とともにたどる3巻シリーズの第2巻。まずは、1945年の第二次大戦終戦までの時代を扱った第1巻に続き、第二次大戦後の1946年から昭和末の1989年までを扱っています。なお、2022年3月刊行予定の第3巻では平成以降の時代を取り扱う予定です。

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 キュリオ・沖縄切手物語⑦
2021-12-27 Mon 05:03
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、『キュリオマガジン』2021年12月号が発行されました。僕の連載「沖縄切手物語」では、今回は1969-70年に発行された“民俗行事シリーズ”をご紹介しましたが、その記事の中から、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      沖縄・イザイホー

 これは、1969年10月3日に発行された“イザイホー”の切手です。

 イザイホーは久高島(琉球王国時代、最高の聖域とみなされていました)で生まれ育った30歳以上の既婚女性が神女(神職者)となるための儀礼で、12年ごと(午年)の旧暦11月15日から4日間行われ、基本的に要件を満たす全ての女性が参加します。

 儀式は、ニルヤカナヤからの来訪神を迎え、新しい神女をその神々に認証してもらい、島から去る来訪神を送るというもので。記録に残るだけで600年以上の歴史を持ち、日本の祭祀の原型を留めているとされています。

 久高島の巫女集団は、久高家と外間家の2家からなり、最高職のノロ、補佐役には掟神、その下に61-70歳のタムト、54-60歳のウンサク、42-53歳のヤジクと3階級があり、新しく参加する31歳以上の巫女はナンチュと呼ばれます。祭礼前のひと月前からナンチュは島の七箇所の御嶽に参拝し、それぞれの神の名をもらい、神々から巫女になるべき霊力を授かります。

 11月15日夕刻、ナンチュは祭場の御殿庭に集まり、神アシャゲと呼ばれる拝殿を「エーファイ。エーファイ」と連呼しながら7回旋回した後、先輩の巫女とともに神歌を歌い、奥の森で洗い髪のままで白衣をまといます。巫女たちは髪を巻き白鉢巻に祭礼用の白大衣を身につけます。翌16日、ナンチュが前日のままの洗い髪“髪垂れ”で三重の円陣を組み踊り、17日には先輩の巫女に引率され、巻き髪、鉢巻き、ウフジンの巫女の扮装になり、イザイ花と呼ばれる花飾りをつけ、テイルル(祝詞・神歌)を唱えながら旋回することで先輩の巫女と同等になるとされます。


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 ソ連崩壊30年
2021-12-26 Sun 03:38
 1991年12月26日にソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)最高会議が公式にソ連邦の解体を宣言してから、ちょうど30年です。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ソ連・クリスマス(1991-2)

 これは、1991年12月3日にソ連が発行した最後のクリスマス兼年賀切手です。

 ロシアをはじめとする東方正教会の国で使われているユリウス暦または修正ユリウス暦の日付はグレゴリオ暦より13日遅れとなるため、12月25日の“主の降誕祭(西方教会のクリスマスに相当)はグレゴリオ暦では年明けの1月7日に、新年はグレゴリオ暦の1月14日になります。このため、今回ご紹介の切手が発行された(グレゴリオ暦)1991年12月3日の時点ではソ連は存在していたものの、正教会のクリスマスと新年の時にはソ連が消滅しており、人々は消滅した国のクリスマス兼年賀切手を貼ってグリーティング・カードをやり取りするという現象が生じました。

 さて、1989年11月9日のベルリンの壁崩壊以降、東欧社会主義諸国の民主化が急速に進行したことを受けて、12月2-3日には地中海のマルタでブッシュ(父)とゴルバチョフの米ソ首脳会談が行われ、東西冷戦の終結が宣言されました。しかし、ゴルバチョフの改革路線に対しては国内の守旧派の反発も強く、ソ連経済の再建は事実上頓挫します。

 このため、ゴルバチョフは事態を打開するための方策として、1990年11月、ソ連の体制を再編するための“新連邦条約”の締結を提案。同条約では、従来の中央集権体制を廃し、ソ連を構成する15共和国の権限を大幅に強化し、緩やかな国家連合として再編したうえで、国家元首としての連邦大統領の下、連邦政府は外交、軍事を担当する(=各共和国内の内政には原則として干渉しない)ことが謳われており、1991年3月17日、“(ソ連という枠組みでの)連邦制維持”の賛否を問う国民投票が各共和国で行われました。この結果、ロシアをはじめ大半の共和国では連邦制維持の賛成票が多数を島ましたが、既にソ連からの分離独立を宣言していたバルト3国(エストニア、ラトビア、リトアニア)、モルダヴィア(現モルドヴァ)、グルジア(現ジョージア)、アルメニアの各共和国は投票をボイコットしました。

 新連邦条約は1991年7月までに各共和国間で調印に向けた最終合意が成立していましたが、これにより、バルト三国の完全独立が促進され、ソ連の解体が進むことを恐れた保守派は、条約への大統領の署名予定日前日の1991年8月19日、クリミア半島フォロスの別荘で休暇中のゴルバチョフに対して、大統領の辞任と副大統領ゲンナジー・ヤナーエフへの全権委譲、非常事態宣言の受入れなどを要求。ゴルバチョフがこれを拒否すると、彼をそのまま別荘に軟禁するクーデターを敢行しました。

 一方、モスクワでは、同日早朝、クーデター側の組織した国家非常事態委員会の名義で「ゴルバチョフ大統領が健康上の理由で執務不能となりヤナーエフ副大統領が大統領職務を引き継ぐ」との声明が発表されるとともに、クーデター側が全権を掌握し、モスクワ中心部に戦車が出動しモスクワ放送は占拠されました。

 これに対して、ロシア共和国大統領で急進改革派のボリス・エリツィンは「クーデターは違憲、国家非常事態委員会は非合法」との声明を発表。連邦大統領のゴルバチョフが国民の前に姿を見せること、臨時人民代議員大会の招集などを要求し、自ら戦車の上で旗を振りゼネラル・ストライキを呼掛け、戦車兵を説得します。モスクワ市民もこれに呼応してロシア共和国最高会議ビル(通称ホワイトハウス)周辺にバリケードを構築し、銃や火炎瓶を手に、クーデター側との戦闘に備えました。

 結局、保守派のクーデターは国民の猛反発を招き、軍も早々に離反。国際社会の非難もあって、8月21日までに完全な失敗に終わり、ゴルバチョフが復活します。しかし、この事件をきっかけに、ソ連共産党の権威は完全に失墜し、8月28日には活動停止に追い込まれました。

 事件後、ゴルバチョフに代わって実権を掌握したエリツィンは、12月8日、ウクライナ大統領のレオニード・クラフチュク、ベラルーシ最高会議議長のスタニスラフ・シュシケビッチとともにベラルーシのベロヴェーシの森で会談し、これら3国のソ連からの離脱とEUと同レベルの国家の共同体の創設を宣言。これを受けて、同16日にはカザフスタンが独立を宣言し、21日には、カザフスタンの当時の首都、アルマ・アタ(現アルマトイ)でソ連を構成していた共和国の首脳が会談し、独立国家共同体(CIS)の創設が決定されました。これが、いわゆるアルマ・アタ協定です。

 この結果、ソ連はその存在意義を失い、12月25日、ゴルバチョフはソ連大統領を辞任。この時点でソ連は消滅しましたが、翌26日、最高会議が公式にソ連の解体を宣言し、ソ連は完全に崩壊しました。


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 明治4年3月1日(1871年4月20日)にわが国の近代郵便が創業され、日本最初の切手が発行されて以来、150年間の歴史を豊富な図版とともにたどる3巻シリーズの第2巻。まずは、1945年の第二次大戦終戦までの時代を扱った第1巻に続き、第二次大戦後の1946年から昭和末の1989年までを扱っています。なお、2022年3月刊行予定の第3巻では平成以降の時代を取り扱う予定です。

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 Merry Christmas!
2021-12-25 Sat 04:45
 きょうはクリスマスです。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      日光小型シート

 これは、1938年12月25日に発行された日光国立公園の切手(以下、日光切手)4種を収めた小型シートです。後述するように、この切手の発行日は明確にクリスマスを意識して設定されましたので、隠れクリスマス切手ないしは準クリスマス切手に分類してもよいのではないかと僕は考えています。

 1936年7月に単発の企画として発行された富士箱根国立公園の切手(以下、富士箱根切手)が予想外の好評を収めたことから、逓信省は国立公園切手のシリーズ化を決定。景勝地を紹介する切手を発行することによって、国民に対して国土への愛着を抱かせるとともに、外国人観光客の増加を図るとの方針が正式に確定されました。

 今回ご紹介の日光切手はその第一弾として発行されたものです。ちなみに、富士箱根切手が発行された際の告示は「現ニ發行スル一銭五厘、三銭、六銭及十銭ノ郵便切手ノ外ニ左ノ一銭五厘、三銭、六銭及十銭ノ郵便切手ヲ發行シ・・・」と記されており、当初は、シリーズ切手というよりも、観光地で発売する準通常切手という位置づけでしたが、日光切手の発行告示には「日光國立公園風景ヲ畫題トスル郵便切手ヲ發行シ・・・」とあり、“国立公園切手”という位置づけが与えられています。これにより、戦前は昭和15(1940)年の「大屯・新高阿里山国立公園」および「次高タロコ国立公園」まで続くシリーズとしての国立公園切手が誕生しました。

 日光切手の発行日がクリスマスに設定されたのは外国人を意識してのことで、切手と同時に発行された小型シートには、今回ご紹介の画像のように、仏文の公園名称が入っています。また、小型シートのタトウには、ピエール・ロティ(フランス海軍士官として世界各地を訪れ、現地での見聞を題材にした小説や紀行文を数多く残しています)の“La sainte montagne de Nikko(「日光神山」、「日光の霊山」などの邦題で翻訳も複数あります)”の中から、「日光を見ずして結構と言うなかれ」のフランス語訳が引用されるとともに、切手の説明が日本語・英語・フランス語の3国語表記で印刷されています。(下に、眠り猫を描いたタトウの表紙と中身の画像を貼っておきます)

      日光小型シート・タトウ表紙
      日光小型シート・タトウ中

 ちなみに、前年の1937年にいわゆる日中戦争(正式名称は支那事変)が勃発すると、国内では “虚礼廃止”の運動がおこり、年末の年賀状についても自粛するムードが拡大。“不要不急”の年賀切手についても発行中止を求める声が起こったため、すでに制作作業が進められていた昭和13年用の年賀切手こそ予定通り発行されたものの、1938年末に昭和14年が発行されることはありませんでした。

 まぁ、外国人を意識した日光切手は発行できても、国内の自粛圧力もあって年賀切手は発行しない(できない)というアンバランスな対応は、いかにも日本(のお役所)的と言ってしまえばそれまでですが。

 ちなみに、国立公園切手をめぐるさまざまな物語と関連のビジュアル資料については、拙著『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.1 戦前編』および『同vol.2 戦後編』でもご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


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 クリスマス・イヴ
2021-12-24 Fri 03:03
 クリスマス・イヴの日(厳密にいうと、“イヴ”は日没からなのですが…)になりました。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます。(画像はクリックで拡大されます)

      アフガニスタン・クリスマスカード(ラクダ)

 これは、王制時代のアフガニスタンから米国宛に差し出されたクリスマス・カードで、雪の山岳地帯を進むラクダの隊商の写真が取り上げられています。ちなみに、裏面はこんな感じです。

      アフガニスタン・クリスマスカード(ラクダ裏面)

 アフガニスタンは標高の高い内陸国なので、毎年、12月から2月にかけての冬季には気温が氷点下に下がるところも多く、首都のカブールでも積雪があるほか、山岳地帯では豪雪も珍しくありません。今回ご紹介の葉書もそんなアフガニスタンの冬景色を取り上げたもので、あるいは、東方の三博士の故事をイメージしてラクダを取り上げたということなのかもしれません。

 差出人は、米国のボランティア組織“平和部隊”の一員としてアフガニスタンに駐在していた人物で、その住所はカブールの米国大使館気付になっています。

 平和部隊は、1961年、当時のケネディ政権が創設したもので、ボランティアの米国市民が3ヵ月の訓練の後、途上国で24ヶ月(延長可)の活動を行うもので、現地の政府、学校、NPOやNGOとともに教育、飢餓、ビジネス、IT、農業、環境といった諸問題に取り組むことで、技術的支援の提供、外国の人々が米国文化を理解する手助け、米国人が外国の文化を理解する手助けを行おうという者です。この活動が一定の成果を上げたことから、わが国でも、1965年、平和部隊に倣った“青年海外協力隊”が創設されました。

 さて、現在、『アフガニスタン現代史(仮)』と題する書籍を刊行すべく、作業を進めています。なんとか年内に刊行したかったのですが、諸般の事情で作業が遅れ、実物ができあがるのは年明けになってしまい、申し訳ございません。近々、正式なタイトルや発売日、販売価格などの詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いします。


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 上皇陛下、米寿に
2021-12-23 Thu 04:53
 1933年12月23日、昭和天皇の第一皇男子としてお生まれになった上皇陛下が米寿となる88歳のお誕生日を迎えられました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      天皇ご在位30年(鶴亀)

 これは、2019年2月22日に発行された“天皇陛下御即位三十年”の記念切手のうち、ご装束の鶴亀文様を取り上げた1枚です。

 上皇陛下は、1989年1月7日、昭和天皇の崩御に伴い、第125代天皇として践祚され、翌8日から元号が平成に改元されました。2019年はここから30周年にあたっていたため、前年の2018年4月3日の閣議決定に基づき、内閣の行う行事として、2019年2月24日に国立劇場で“天皇陛下御在位三十年記念式典”が行われることになりました。

 今回ご紹介の切手はこれにあわせて発行された2種のうちの1種で、式典当日の2月24日が日曜日だったため、直近の金曜日にあたる22日に発行されました。

 記念切手は、いずれも、陛下がご幼少のみぎりににお召しになったお着物の吉祥文様を基にした図案となっています。今回ご紹介の鶴亀文様は、陛下3歳のお誕生日にあたり、御祖母である貞明皇后から贈られたものといわれるお着物(黒地に、長寿の願いが込められた鶴、蓑亀、菊花、 橘、若松の吉祥文様が刺繍されています)から描き起こしたものです。もう一点の切手には、皇室の象徴である菊花文様が取り上げられているのですが、やはり、ご長寿を寿ぐには鶴亀が良かろうということで、今回はこちらをご紹介しました。

 ちなみに、上皇陛下は今年(2021年)9月2日、お生まれになってからの日数が3万2031日(ご生誕の日を含む)となり、昭和天皇を抜き、生没年が研究者らの間でおおむね異論がない推古天皇(554-628年)以降、歴代の天皇・上皇で最高齢となられました。これからも、お健やかにお過ごしいただきたいですね。

 なお、上皇陛下に関する切手は、昭和時代・平成時代を通じていろいろ発行されていますが、このうち、昭和の皇太子時代の切手については、拙著『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.2 戦後編』でも解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。

 
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 カルザイ暫定政権発足から20年
2021-12-22 Wed 01:13
 1991年12月22日、アフガニスタンでの第一次タリバン政権の崩壊を受けて、ハーミド・カルザイを議長とする暫定政府“アフガニスタン暫定行政機構”が発足してからちょうど20年になりました。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アフガニスタン宛返戻便(2001)

 これは、2001年10月10日、フランスのストラスブールからカブールに郵便局留で送られたカバーで、“FREE KABUL/ INTERIM ADMINISTRATION OF AFGHANISTAN(自由カブール アフガニスタン暫定統治機構)”の印が押されています。

 2001年10月7日、911同時多発テロ事件の首謀者、ウサーマ・ビンラーディンの身柄拘束とタリバン政権の壊滅を目標にアフガニスタンへの空爆を開始した米国は、戦後のアフガニスタン国家の再建や平和維持についての確たるプランがあったわけではなく、相応の打撃を与えればタリバンは自然消滅するだろうとの楽観的な見通しに立っていました。

 このため、タリバン政権崩壊後の戦後処理については国連が主導せざるを得ず、戦闘継続中の2001年11月、国連は、ドイツのボン近郊のケーニヒスヴィンターに北部同盟のほか、ローマ(元国王ザーヒル・シャー周辺)、ペシャーワル、キプロスの各地で活動している反タリバン派を招集。12月5日、①暫定政府の成立、②ローヤ・ジルガの招集、③国際治安支援部隊 (ISAF:International Security Assistance Force)の成立と国連アフガニスタン支援ミッション (UNAMA:United Nations Assistance Mission in Afghanistan:)の設立などを決めたボン合意が成立します。

 これを受けて、12月22日には元外務次官のハーミド・カルザイを議長として、正式な政府発足までの暫定政府として“アフガニスタン暫定行政機構”が発足しました。

 今回ご紹介のカバーは、タリバン政権への攻撃が始まった直後の2001年10月10日、フランス・ストラスブールからカブール宛に差し出された郵便物ですが、裏面(下の画像)に“TRANSIT ABU DHABI”が押されていることから、しばらく経由地のアブダビに留め置かれ、タリバン政権が崩壊して状況がある程度安定した後にカブールに届けられ、 “FREE KABUL/ INTERIM ADMINISTRATION OF AFGHANISTAN(自由カブール アフガニスタン暫定行政機構)”の印が押されたものと思われます。なお、カバーが差し出された時点では、暫定行政機構の根拠となるボン合意は成立していませんので、差出時にこの印を押すことは不可能です。

      アフガニスタン宛返戻便(2001・裏面)

 また、アブダビ経由の印の下には、2002年3月11日付のカブール中央郵便局の引受印が押されている点にも注目したいところです。

 1996年に9月にカブールを制圧したタリバンは、2001年10月の第一次政権崩壊まで、政権として官営の郵便事業を行わず、首都カブールに開設された民間組織、“バクタル・スピーディ・ポスト”が文書の送達を担当していたとの報告がなされています。このバクタル・スピード・ポストは、アフガニスタン国内の郵便物は原則として扱わず、外国宛の郵便物をパキスタンなどへ搬送し、そこから、宛先国へと郵便を送るという方式を取っていたとの報告があるものの、詳細はよくわかっていません。また、タリバン政権が独自の切手を発行することはなく、一部の欧米の業者が“アフガニスタン”名義の切手風のラベルを制作し、“アフガニスタン切手”として蒐集家向けに販売していましたが、アフガニスタン国家としてそれに抗議し、販売停止を求めるなどの措置もとられませんでした。

 今回ご紹介のカバーでは、カブール中央郵便局の印が押されていることから、暫定行政機構の下で、タリバン政権下で停止されていた郵便の引受が復活したことがわかります。なお、この郵便物は局留め扱いになっていたことから、保管期間の後、中央郵便局が8月12日の印を押してフランス宛に返戻しており、この時までにアフガニスタン郵政の業務が完全に復活したこともわかります。

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 チリ大統領選、左派が勝利
2021-12-21 Tue 09:34
 チリのセバスティアン・ピニェラ大統領の任期満了に伴う大統領選挙の決選投票が19日(現地時間)に行われ、左派系のガブリエル・ボリッチ候補が当選しました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(以下、敬称略。画像はクリックで拡大されます)

      チリ・銅山国有化30年

 これは、2001年にチリが発行した“銅山国有化30年記念”の切手シートです。

 チリは世界最大の銅生産国で、2018年の生産量は、2位のペルー(243万6950トン)の倍以上となる583万1600トンとなっており、これは全世界のシェアの1/3以上を占めています。また、銅の副産物としてのモリブデンの生産でも世界第2位で、チリ経済の根幹を支えています。

 このため、アジェンデ政権下の1971年5月21日、世界最大のエルテニエンテ鉱山が政府の統制下に入ったのを皮切りに、7月11日には銅山国有化の憲法改正案が可決され、アナコンダ社(チュキカマタ、エクソティカ、エルサルバドル銅山)、ケネコット社(エルテニエンテ銅山)、セーロ社(アンディーナ銅山)の5大銅山が“国営鉱山会社(Sociedades Colectivas del Estado)”に統合され、国有化されました。今回ご紹介の切手シートは、ここから起算して30周年になるのを記念して発行されたものです。

 その後、ピノチェト政権下の1976年4月1日、国営鉱山会社は既存の鉱業会社と統合し、現在のコデルコ(Corporacion Nacional del Cobre de Chile チリ銅公社)が発足します。

 さて、コデルコはその莫大な利権のゆえに高級官僚・軍人の天下り先となるなど腐敗の温床となりがちで、これまでにも何度か民営化が検討されてきたものの、コデルコ内の反発や経済的影響への配慮から実現していません。昨年(2020年)も、保守系政党の独立民主党(UDI)がコデルコの分割・民営化による収入をパンデミック対策に充てることを提案したところ、チリ銅山労働者連合(FTC)が「UDIの代表、コデルコとこの国の公共企業の解体に利害関係があるすべての人々が出した民営化提案を我々は断固拒否する」、「民営化の企ての前にコデルコを麻痺させる」などと強く反発したため、議論は有耶無耶になっています。

 今回、大統領選挙で挑戦したボリッチは、もともと、学校教育の私立化に反対してサンティアゴで数千人規模の抗議運動を主導した左翼運動の活動家で、新自由主義が社会格差を拡大させたとの認識の下、経済政策の「修正」を主張。富裕層への課税強化や天然資源採掘のロイヤルティー引き上げなどを打ち出しています。特に、ロイヤルティーの引き上げが実際に行われれば、チリでの銅鉱山の権益を有する日本企業はもとより、世界市場への影響は避けられません。

 チリでは2年前の2019年10月、年金改革や教育改革、エリート層に有利な経済制度の改革を求める大規模デモや暴動が激化。ピニェラ大統領は、ピノチェト時代から受け継がれた憲法の改正の是非を問う国民投票を実施し、圧倒的多数で憲法改正が支持されていたという背景もあります。

 こうした中で、ボリッチは過去の政権が締結した貿易・投資協定の一部見直しも主張。当初は、TPPの批准に否定的な姿勢も示したため、内外の批判を浴びて決選投票では「貿易協定の一方的な変更は行わない」と態度を軟化させたものの、実勢に新政権がどのような対応をするかは不透明です。

 * 昨日(20日)の文化放送「おはよう寺ちゃん」の僕の出番は、無事、終了いたしました。リスナーの皆様には、この場をお借りして御礼申し上げます。次回は来週月曜日・12月27日に登場の予定です。引き続きよろしくお付き合いください。
 
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 12月27日(月) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。

 武蔵野大学のWeb講座 2021年12月1日~2022年2月8日
 「日本の歴史を学びなおす― 近現代編その1 ― 黒船来航」

 12月1日から2月8日まで、計7.5時間(30分×15回)の講座です、お申し込みなどの詳細は、こちらをご覧ください。


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 明治4年3月1日(1871年4月20日)にわが国の近代郵便が創業され、日本最初の切手が発行されて以来、150年間の歴史を豊富な図版とともにたどる3巻シリーズの第2巻。まずは、1945年の第二次大戦終戦までの時代を扱った第1巻に続き、第二次大戦後の1946年から昭和末の1989年までを扱っています。なお、2022年3月刊行予定の第3巻では平成以降の時代を取り扱う予定です。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 

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 建築家リチャード・ロジャース氏、亡くなる
2021-12-20 Mon 01:42
 パリのジョルジュ・ポンピドゥー国立芸術文化センター(ポンピドゥー・センター)など、世界的に有名な建築を手掛けた英国の建築家、リチャード・ロジャース氏(以下、敬称略)が、18日(現地時間)、亡くなりました。享年88歳。というわけで、謹んでご冥福をお祈りしつつ、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      フランス・ポンピドゥー・センター(1977)

 これは、1977年2月5日、ロジャーズの出世作となったポンピドゥー・センターの落成に際してフランスが発行した記念切手で、建物の外観が描かれています。

 ポンピドゥー・センター は、パリ4区のサン=メリ地区にある総合文化施設で、公共情報図書館、国立近代美術館・産業創造センター、映画館、多目的ホール、会議室、アトリエ・ブランクーシ、カンディンスキー図書館および国立音響音楽研究所 (IRCAM) などで構成されています。このうち、国立近代美術館は、ピカソ、カンディンスキー、マティス、シャガール、レジェ、ミロ、ダリ、デュビュッフェ、ウォーホル、モンドリアン、ニキ・ド・サンファルなどの作品をはじめとする10万点以上の作品を所蔵し、近現代美術のコレクションとしてはニューヨーク近代美術館 (MoMA) に次ぐ第二の規模を誇っています。

 1969年6月20日、ド・ゴールの後継者としてフランス大統領に就任したジョルジュ・ポンピドゥーは、パリの中心部に造形芸術のほか、デザイン、音楽、映画関連の施設および図書館を含む近現代芸術拠点を設ける構想を発表しました。

 第二次大戦後、フランスの国際的な地位は低下し、世界の芸術の中心もパリからニューヨークへシフトしていきました。このため、自身も現代芸術の愛好家だったポンピドゥーは、現在芸術の中心地としてのパリの地位を回復させるため、世界に開かれた芸術創造の場となるような施設を建設し、フランス政府が最新の芸術動向と一般大衆をつなぐ仲介役となることなどを目的に、芸術文化センターの建設を提案します。

 これを受けて、国際建築設計コンペティションが開催され、1971年7月15日、681点の応募作品の中から、レンゾ・ピアノ、リチャード・ロジャースおよびジャンフランコ・フランキーニのプロジェクトが選ばれました。
 
 ロジャーズの設計は、建物の内部空間をすっきりさせるため、水道管、冷暖房ダクト、電線管や電線ダクト、階段など建物の共用施設をすべてむき出しのまま建物外部に露出させるもので、建物の設備は、空気の流れ(空調)を意味する青、水の流れ(水道)を意味する緑、電気の流れを意味する黄色、人の流れ(階段、エスカレーター)を意味する赤、のカラーコードで示されています。このスタイルは、その後のロジャーズの建築の特色となりました。

 1977年の完成当初、パリでは歴史街区の保存が課題になっていたこともあり、ポンピドゥ・センターのデザインに対しては、町の美観を損なうものとの批判も強く、“配管設備のノートルダム”、“芸術の倉庫”、“ガス工場”、“石油精製工場”、“文化のがらくた置き場”などと揶揄されました。しかし、センターの開館後、周辺には画廊、商店、レストランなどが進出して再開発が進み、現在では、ポンピドゥーセンターはパリのランドマークの一つとして定着しています。


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 ポルトガル領インド消滅60年
2021-12-19 Sun 04:38
 1961年12月19日に、インド軍がポルトガル領インド全域を接収してから、ちょうど60年です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ポルトガル領インド・マラリア(1962年)

 これは、1962年4月7日、世界マラリア撲滅運動に際して、ポルトガル本国が“ポルトガル領インド”名義で発行した“切手”です。

 15世紀末から16世紀初頭にかけてインド西海岸に来航したポルトガル人は、1510年2月、ポルトガルのインド総督、アフォンソ・デ・アルブケルケの下、現在のオールド・ゴアに相当する地域を占領しました。その後、ポルトガルは、1534年にサルセット、ボンベイ、バセインを、1535年にディーウを、1539年にダマンを併合しましたが、ボンベイは1661年に英国に割譲され、北部地域のほぼ全域は1739年にヴァサイーの戦いで失われ、第二次大戦が終結した時点では、ポルトガル領インドはゴア、ディーウ、ダマンの3都市のみになっていました。

 1947年にインドが独立すると、新生インド当局はポルトガルに対して3都市の返還を要求しましたが、ポルトガルはこれを拒否。このため、1954年、インドはポルトガル人の退去を求めて、パンジムの領事館を閉鎖し、ポルトガル領ゴアに対する禁輸措置を課し、“待機と監視”政策を開始します。

 1960年にアフリカ諸国の独立が相次ぐと、国連は“植民地独立宣言”を採択。その直後に訪印したブレジネフは、ネルーに対してゴア問題ではソ連はインドを全面的に支援すると声明を発表しました。

 こうして、1961年12月15日、インド政府はポルトガル政府に対して、3都市を直ちに放棄するよう要求。同18日、インド軍は3万の兵力を動員して3都市への侵攻を開始します。ポルトガルのサラザール首相は、インド軍によるゴア侵攻に抗議し、ポルトガル軍は自衛的行動をとるとの声明を発表しましたが、インド軍の攻撃に抗しきれなくなったポルトガル総督とその家族はパキスタンに亡命。19日までに3都市は陥落し、インドはポルトガル領インド全域を併合しました。なお、この時の戦闘により、ゴアは荒廃し、多くの文化財が破壊されています。

 郵便に関しては、1961年12月29日からインド切手の使用が開始されましたが、1962年1月5日まではポルトガル領インド切手も有効でした。ただし、実際には、その後もしばらくは公衆手持ち分のポルトガル領インド切手の使用は事実上黙認されています。

 一方、ポルトガルのサラザール政権はインドによる3都市の併合を認めず、米英もこれに同調。国連安保理で非難決議案を提出したが、インドを支援していたソ連の拒否権発動により、採択されませんでした。

 ところで、1948年に発足した世界保健機構(WHO)は、1955年から、世界各地でDDT散布を行うなど、大規模な“マラリア撲滅キャンペーン”を行っていました。それが一定の成果を上げたことから、WHOはさらなる啓発活動の一環として、加盟各国に対して、1962年4月7日(WHOの創立記念日)にキャンペーン切手を発行することを提唱。これを受けて、主として、熱帯・亜熱帯のマラリア被害の深刻な国・地域でマラリア関係の切手が一斉に発行されました。
 
 ポルトガルも、本国と植民地でマラリア撲滅運動の切手を一斉に発行しましたが、その際、インドによる3都市の併合を認めないとの立場から、“ポルトガル領インド”名義の切手(今回ご紹介の切手です)を発行しています。

 その後、1974年4月25日のカーネーション革命が起きると、革命後の新政権は全てのポルトガル領植民地を放棄する方針を表明。旧ポルトガル領インド3都市におけるインドの主権を承認しました。


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 お菓子の切手:北欧のクリスマスシーズンに現れる“幸運の豚”
2021-12-18 Sat 07:06
 大手製菓メーカー(株)ロッテのウェブマガジン『Shall we Lotte(シャル ウィ ロッテ)』での僕の連載、「お菓子の切手」の最新記事がアップされました。今回は、クリスマス・シーズンなので、こんな切手を取り上げています。(画像はクリックで拡大されます)

      スウェーデン・クリスマス(2014・豚)

 一般にクリスマスは、“キリストの降誕を祝う祭り(の日)”とされていますが、実際にはイエス・キリストの誕生日については全く記録が残されていません。このため、西暦325年5月、キリスト教会の総会議として開かれた第1ニカイア公会議において、古代共和制ローマ時代のローマ暦で冬至の日(=古代ローマの宗教の一つ、ミトラ教では“不滅の太陽が生まれる日”)に指定されていた12月25日を“降誕を祝う日”としたのが始まりです。

 北欧諸国の言葉でクリスマスを意味する“ユール”は、もともとはキリスト教が定着する以前の北欧での冬至の日のことで、以後、昼の時間が長くなっていく、つまり、太陽が再び力強い生命を持つようになることから、人々はこの日を新年とし、北欧神話の神、オーディンにビールや猪や豚などを捧げていました。

 その名残から、現在でもバルト海に面した北ドイツのクリスマス料理は七面鳥ではなく豚肉が中心で、スウェーデンでも、かつては自分の家で育てた豚を屠って丸焼きにするのが習わしでした。現在では、一般家庭で豚を飼育するのは難しいことから、豚肉の塊をオリーブ油と香辛料で長時間煮たハムを蒸し焼きにした“ユールシンカ”が欠かせない料理となっており、クリスマスが近づくと町のいたるところに豚の飾りが現れます。ちなみに、ノルウェーやフィンランドでも、クリスマスのごちそうは豚肉料理が主役です。

 ところで、北欧では、冬至の日には死者の霊や悪魔などが大挙して現れると言われ、彼らのために、豚肉料理をメインに置いて、サーモンの塩漬け、ミートボール、ニシンの酢漬けなどのクリスマス料理を並べた“ユールボード”を1月6日の公現節(東方の三博士のキリスト礼拝を記念する日)までお供えする習慣があり、ユールボードを用意しないのは縁起が悪いとされています。

 とはいえ、現在と比べて、かつて豚肉はかなり高価な食材でしたから、生活に余裕がなく、豚肉を用意できない人も少なくありませんでした。そこで、リアルな豚肉の代わりに、豚をかたどったマジパンのお菓子が作られるようになります。

 マジパン(マルチパンとも)は粉末に挽いたアーモンドと砂糖、卵白などを混ぜてペースト状にかためたお菓子ですが、古代ギリシャの人々がアーモンドと蜂蜜で作っていたデザートがその原型とみられています。バグダード(バグダッド)を中心に繁栄を極めたイスラム王朝、アッバース朝の治世下の10世紀には、アーモンドを挽いてシロップに加えて煮詰め、色々な形に成形した“ロージナージュ・ヤビース”という菓子についての記録があり、これがヨーロッパに伝来しました。1407年に北ドイツのリューベックで飢饉が起きた際には、市の参事会が、市の倉庫にあったアーモンドを使って何か食べるものを作って欲しいとパン職人に依頼して作らせたのが、現在のマジパンの直接の起源のひとつとされています。

 2014年にスウェーデンが発行したクリスマス切手の1枚には、スウェーデンを代表するクリスマス菓子の一つ、マジパンで作られた豚が取り上げられました。

 切手には額面数字の代わりに“JULPOST(ユールポスト)”との表示がありますが、これは“国内宛のクリスマス・メール”の意味です。スウェーデンでは、一定の期間に差し出されたクリスマス・メール(重さ50gまで)に関しては、通常料金より50オーレ(スウェーデンの通貨、スウェーデン・クローナの補助単位で、1クローナ=100オーレ)の割引料金が設定されています。ちなみに、この切手が発行された2014年の時点でのスウェーデンの郵便料金は14クローナでしたから、この切手は13クローナ50オーレで販売されたことになります。

 切手は目打ち状の型抜きをしたシール式ですが、偽造防止のため、切手の中央にはスウェーデン郵政の紋章の形の型押しがあります。

 北ドイツを含む北欧地域では、クリスマスの豚は“幸運の豚”とも呼ばれており、一部では季節のあいさつで豚をかたどったものを贈りあう習慣もあるのだとか。クリスマス・カードを送る切手のデザインとしては、まさにぴったりの1枚ですね。


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 三鷹市生涯学習センター 「宗教と国際政治」 2022年1月10~23日
 国際紛争や諸外国のタイムリーな重大ニュースを取り上げ、その背後にある「宗教」をめぐる諸問題をじっくり解説する講座です。今回は、混迷続くアフガニスタンとその歴史に焦点を当ててお話します。お申し込みは12月11日(土)までで、ご応募多数の場合は抽選になります。詳細はこちらをご覧ください。


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 ミシェル・クワン、ベリーズ駐在大使に
2021-12-17 Fri 05:54
 米国のバイデン政権は、15日(現地時間)、フィギュアスケートの元世界女王で、長らく民主党の活動家でもあったミシェル・クワン氏を中米ベリーズの駐在大使に指名する意向を明らかにしました。というわけで、ベリーズと元女王の組み合わせで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ベリーズ・最初の切手

 これは、1866年、英領ホンジュラス時代に発行された最初の切手で、ベルト風にデザインされたメダリオンの枠内にヴィクトリア女王の肖像が大きく描かれています。

 現在のベリーズ国家に相当するユカタン半島北東部は、もともとマヤ文明の栄えた地域でしたが、スペインによる征服の後、グアテマラ総督府の管轄となりました。しかし、辺境の地であったため、総督の支配は十分には及ばず、1638年、英国の武装船団が到達して、沖合のセント・ジョージ島に勝手に入植を開始。以後、この地の支配をめぐり、英国とスペインの係争が続きました。

 その後、英国はベリーズ定住の実績を積み重ね、1763年のパリ条約、1783年のヴェルサイユ条約を通じて、スペインに同島を自由に使用収益させることを認めさせます。さらに、1784年、セント・ジョージ島の人口増大などを理由として、英国人は対岸のベリーズ・シティに移転。1798年には、セント・ジョージ島の戦いでスペイン軍を破ってこの地を確保しました。

 ところが、1821年に隣接するグアテマラが独立すると、グアテマラ新政府はベリーズ地域の支配権を含むスペイン統治時代の全ての権利はグアテマラに継承されていると主張。以後、この地の支配権をめぐって英国とグアテマラが対立する構図となり、1862年、英国は、ひとまずこの地域をジャマイカ総督管轄下のイギリス王室植民地として“英領ホンジュラス”を宣言しました。その後、1884年に“英領ホンジュラス”はジャマイカから離れて単独の植民地となります。

 第二次大戦後の1963年、英領ホンジュラスは英連邦内の自治政府となりますが、あくまでも英領ホンジュラスの地域は自国領と主張するグアテマラと英国との間で独立についての交渉が決裂。1973年の“(英領)ベリーズ”への改称を経て、最終的に英連邦加盟国“ベリーズ”として独立したのは1981年9月21日のことでした。ちなみに、グアテマラがベリーズの領有権を放棄し、独立を承認したのは、1986年11月のことです。

 郵便に関しては、1786年以降、ジャマイカ経由で域外との通信が行われていたことが確認されており、首府“ベリーズ”の地名の入った郵便印の押されたカバーは19世紀初頭から存在しています。なお、1809年には最初の郵便局が開設されました。英国貨物船会社による定期便の開始は1830年1月7日のことで、これに合わせて、常勤の郵便局長としてモリアティが任命されています。ちなみに、ベリーズ当局では、これをベリーズ郵政の起源としています。

 1858年には英本国の切手が持ち込まれ、“A06”の抹消印も使用されるようになりましたが、1860年には切手の配給が停止。しばらくはスタンプレス時代に戻りました。その後、“英領ホンジュラス”の発足宣言を受けて、1866年、今回ご紹介の“英領ホンジュラス”名の切手が発行されました。なお、当初の額面はポンド表示(今回ご紹介の切手は1ペニー)でしたが、1888年からはセント/ドル表示に変更されています。


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 三鷹市生涯学習センター 「宗教と国際政治」 2022年1月10~23日
 国際紛争や諸外国のタイムリーな重大ニュースを取り上げ、その背後にある「宗教」をめぐる諸問題をじっくり解説する講座です。今回は、混迷続くアフガニスタンとその歴史に焦点を当ててお話します。お申し込みは12月11日(土)までで、ご応募多数の場合は抽選になります。詳細はこちらをご覧ください。


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 カザフスタン独立30年
2021-12-16 Thu 03:47
 ソ連末期の1991年12月16日にカザフスタンが独立して、ちょうど30年になりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      カザフスタン最初の切手

 これは、1992年3月23日に発行されたカザフスタン最初の正刷切手で、“黄金人間”が取り上げられています。

 1820年代、カザフ草原の直接統治下に置いたロシア帝国は、アクモリンスク州・セミパラチンスク州・セミレチエ州・ウラリスク州・トゥルガイ州・シルダリア州の6州を設置。その東半分は1891年にステップ総督府の管轄下に置かれ、1897年にはセミレチエ州はトルキスタン総督府へ移管されます。

 ロシア革命後、カザフ地方を制圧した赤軍は、1920年4月12日、カザフ草原を“キルギス地方(現在のキルギスタンとは別)”として、全連邦共産党(ボリシェヴィキ党)組織局を設置。4月30日、同局はロシア共産党中央委員会キルギス州局となり、8月26日、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の構成下にキルギス自治ソビエト社会主義共和国が設立されました。

 1922年末のソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)の成立を経て、1924年、トルキスタンの一部がキルギス自治ソビエト社会主義共和国に編入され、翌1925年4月、キルギス自治ソビエト社会主義共和国はカザフ自治ソビエト社会主義共和国に改称されます。そして、1936年12月5日、ソ連の構成下においてカザフ・ソビエト社会主義共和国が誕生。これが、現在のカザフスタン国家の直接のルーツとなります。

 ソ連末期の1991年12月8日、ロシアのボリス・エリツィン大統領、ウクライナのレオニード・クラフチュク大統領、ベラルーシのスタニスラフ・シュシケビッチ最高会議議長がベラルーシのベロヴェーシの森で会談し、これら3国のソ連からの離脱とEUと同レベルの国家の共同体の創設が宣言されます。これを受けて、カザフスタンも12月16日に独立を宣言。12月21日には、カザフスタンの当時の首都、アルマ・アタ(現アルマトイ)でソ連を構成していた共和国の首脳が会談し、独立国家共同体(CIS)の創設が決定されました。これが、いわゆるアルマ・アタ協定です。

 こうして、ソ連が完全にその存在意義を失ったことを受け、12月25日、ソ連のミハイル・ゴルバチョフ大統領が辞職し、ソ連は消滅します。したがって、しばしば、カザフスタンはソ連崩壊後独立したと言われますが、実際には、カザフスタンなどが独立したことでソ連が崩壊したというのが正確なところです。

 今回ご紹介の切手に取り上げられているのは、ソ連時代の1969年、イッシク古墳から出土した黄金に覆われたスキタイ戦士の遺体“黄金人間”(のレプリカ)です。黄金人間は、発見時、さまざまな文様の装飾がある黄金の尖り帽子、上衣、ベルト、ブーツ、剣と鞘で飾り立てられ、さらに金製の管を三重半巻いた形の首輪と指輪を身に着けており、全身が黄金で覆われていたことがその名の由来で、そのレプリカがアルマトイの国立中央博物館の展示の目玉になっています。
 
 なお、カザフスタンで独自通貨のテンゲが導入されたのは1993年11月のことで、この切手が発行された当時は、旧ソ連ルーブルがそのまま使われていました。


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 きょうから年賀状の受付開始
2021-12-15 Wed 03:09
 きょう(15日)から年賀郵便の特別取り扱い期間がスタートし、年賀状の受付が始まります。というわけで、こんなモノをもってきました(画像はクリックで拡大されます)

      昭和21年の年賀状・表
      昭和21年の年賀状・裏

 これは、終戦後まもない1945年12月31日、埼玉県の荻島村(消印の局名は“埼玉・越谷”)から県内の南埼玉郡蒲生村宛に差し出された昭和21年の年賀状で、裏面には「新日本建設の第一年を迎へまして…」との文言があります。

 年末の一定期間に、年賀状を一般の郵便物を区別して取り扱う年賀郵便制度は1906年に制定されました。この年末年始に取り扱われた年賀状の数は全国でおよそ4億通といわれています。

 その後、関東大震災の起こった1923年末と大正天皇が崩御された1926年末の中断を除き、年賀状の取り扱い数は年々増加し、わが国最初の年賀切手の対象となった昭和11年度には、およそ8億5000万通に達しました。

 ところが、年賀状の差出はどうしても年末ぎりぎりに集中し、逓信省としては対応に苦慮していました。すなわち、昭和10年度の年賀郵便の特別取扱期間は1934年12月20日から29日まででしたが、実際にこの期間内に差し出される年賀状は全体の70%にすぎず(逓信省の目標は99%)、さらに、全体の40%が取扱期間最終日の29日に集中していました。このため、逓信省では、立看板、ポスター、ビラ、新聞報道、ネオン等あらゆる宣伝手段を用いて、年賀状の早めの差出を利用者に呼びかけていましたが、効果はあまりありませんでした。

 そこで、昭和11年度に関しては、前年までとは趣向を変えて、年賀切手を発行し、年賀日附印を使用することによって、年賀郵便の特別取扱期間の周知徹底をはかることが企画されます。

 ところが、1937年7月に支那事変(日中戦争)が始まると非常時ゆえに年賀状を自粛すべきとの空気が急速に広まり、翌1938年用の年賀郵便物の取扱も前年の半分以下の3億2500万通にまで激減。さらに、1939年用の年賀郵便物はさらに半減して1億5000万通にまで落ち込んでしまいます。その結果、1940年には戦時下の虚礼廃止を理由に年賀郵便の特別取扱そのものが廃止されてしまいました。

 しかし、その後も個人として年賀状を出す人がなくなったわけではなく、戦争末期の1945年も、終戦直後で大都市が焼け野原になっていた1946年も、今回ご紹介の葉書にみられるように、相当数の人々が年賀状のやり取りを行っていました。むしろ、空襲がはげしくなり、疎開によって転居を余儀なくされる人が多くなると、年賀状は単なる儀礼上のものというよりも、安否確認の手段として重要な意味を持つようになっていたのです。

 一方、逓信省の側からすれば、ドル箱の年賀郵便を早々に復活させたいと考えるのも当然のことで、終戦によって“虚礼廃止”の必要がなくなったことは歓迎すべきことでした。

 こうしたこともあって、さすがに1945年の年末こそ無理だったものの、翌1946年末には年賀郵便を復活させるべく、逓信省は準備を開始。1947年用の年賀郵便の取扱期間を12月21日から25日としたうえで「なるべく早目に御出し下さい」「一枚毎に年賀と朱書して郵便局へ御持ち下さい」などの文言が入ったポスターも作成しています。

 ところが、このときは時期尚早との反対論が出されたことから年賀郵便は復活させられず、1948末になって、戦後復興に伴う経済状況の好転を理由に、ようやく、同年12月15日から年賀郵便の特別取り扱いが復活しました。

 なお、年賀状の歴史と関連のビジュアル資料については、拙著『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.1 戦前編』および『同vol.2 戦後編』でもご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


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 豪州で朝鮮戦争参戦勇士招請晩餐会
2021-12-14 Tue 08:16
 きのう(13日)午後、オーストラリアのキャンベラで、現在訪豪中の文在寅韓国大統領主催の“オーストラリア朝鮮戦争参戦勇士招請晩餐会”が開かれ、朝鮮戦争に参戦したオーストラリア軍の元将兵と遺族のほか、ピーター・ダットン国防長官、アンドリュー・ジー報勲長官らオーストラリア連邦政府関係者が参加しました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      釜山・豪野戦局カバー(1952)

 これは、朝鮮戦争中の1952年5月、オーストラリアの第496野戦局からシドニー宛に差し立てられた書留便です。

 第二次大戦後、オーストラリアは対日戦勝国として、広島県・山口県など中国地方を中心に占領軍を派遣していましたが、朝鮮戦争の勃発を受け、1950年6月29日、日本に駐留していたリバー級フリゲート艦“ショールヘイブン”ならびに香港に駐留していたトライバル級駆逐艦“バタアン”を韓国に派遣します。

 このうち、“バタアン”は、1940年11月30日に起工、1944年1月15日に進水し、1945年5月25日に就役しました。当初、同艦は先住民族にちなんでカーネイ(現在ではグナイもしくはクルナイと呼ばれることが多い)と名付けられていましたが、その後、オーストラリアを拠点に対日戦を指揮したマッカーサーにちなんで、フィリピンの激戦地の名を取ってバタアンと改称されました。

 朝鮮近海に到着した両艦は、韓国から避難する米英の民間人を収容するとともに、米軍の上陸を支援するための艦砲射撃を行いました。8月31日にオーストラリアを出港した空母“シドニー”が到着するまで、豪海軍の中心となって活動しました。

 一方、空軍に関しては、1950年6月25日の開戦時、第77飛行中隊が岩国に駐留していました。第77飛行中隊はすでに帰国の準備を進めていたが、開戦により、米第5空軍の指揮下に入り、共産軍と戦っています。

 ところで、オーストラリア政府は、日本に駐留していた地上部隊、第3連隊を朝鮮の戦場に派遣することに、当初、難色を示していました。当時の第3連隊は、兵員の訓練・装備ともに実戦に投入するには、きわめて不十分な状態にあったからです。このため、まずは第3連隊の中から志願者2000名が日本占領軍から分離され、朝鮮半島に派遣されるとともに、オーストラリア本国でも志願兵の募集が行われました。オーストラリア本国から集められた兵士たちは、広(広島県呉市)および原村(広島県安佐郡:現広島市安佐南区)で訓練を受けた後、朝鮮半島へと派遣されています。その後、1953年7月の朝鮮戦争休戦まで、オーストラリア軍はのべ2万8000名の兵力を投入し、334名が戦死しました。
 
 今回ご紹介の郵便物を取り扱った第496野戦局は、第二次大戦後の1946年5月11日、呉に開設された後、同月中に江田島に移転。さらに、同年6月10日には宮島に移転し、活動を継続していましたが、朝鮮戦争の勃発後、1950年9月、釜山に移転し、この郵便物が差立てられた1952年5月の時点ではそのまま釜山で活動を継続していました。

 オーストラリア軍の戦績としては、まず、1950年9月15日の仁川上陸作戦以後、水原(ソウルの南35キロの都市)周辺で敗走する朝鮮人民軍と戦い約2000名を捕虜としたことが挙げられます。さらに、10月22-23日には、開城(北緯38度線のすぐ南側にあり、朝鮮戦争以前は韓国領で、戦後は北朝鮮領)の包囲戦で朝鮮人民軍に大きな打撃を与えました。

 また、中国人民志願軍参戦後のオーストラリア軍と共産軍との戦闘としては、1951年4月22-25日の加平の戦いと同年10月3-8日の馬良山の戦いが知られています。

 ちなみに、きのうの晩餐会では、豪海軍のイアン・クロフォード提督が、「朝鮮戦争参戦当時のことを認識してくれることが、大変な時期、軍人の士気高揚にどれだけ大きな力になるかを悟った。数十年が過ぎた今でも、このように我々を記憶してくれることが、我々の心を平和にするのにどれほど重要なのか分からない」とし、おそらく太平洋地域で中国の脅威が拡大している現状も念頭におきつつ「(中国とも戦った)朝鮮戦争はもはや“忘れられた戦争”ではない」と述べています。

 なお、朝鮮戦争中の国連軍に参加した各国の状況については、拙著『朝鮮戦争』でも詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。

 * 昨日(13日)の文化放送「おはよう寺ちゃん」の僕の出番は、無事、終了いたしました。リスナーの皆様には、この場をお借りして御礼申し上げます。次回は来週月曜日・12月20日に登場の予定です。引き続きよろしくお付き合いください。 


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 ホンダ、30年ぶり王座奪還
2021-12-13 Mon 02:00
 きのう(12日・現地時間)、F1シリーズ最終戦アブダビGP決勝が行われ、ポールポジションから発進したレッドブル・ホンダのマックス・フェルスタッペンが今季10勝目(通算20勝目)を挙げ、ドライバー部門で初の総合優勝を果たすとともに、今季限りでF1での活動を終了するホンダとしては、1991年のアイルトン・セナ以来、30年ぶりの王座奪還で有終の美を飾りました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ブラジル・セナ(1989)

 これは、1989年3月29日、アイルトン・セナが1988年のF1世界チャンピオンになったことを記念してブラジルが発行した切手シートで、ホンダ・RA168Eを搭載したMP4/4でレース中のセナが描かれています。

 1986年6月、マクラーレンの監督だったロン・デニスとドライバーのアラン・プロストは来日してホンダにエンジン供給を要請。この時は、ホンダがすでにウィリアムズとロータスの2チームへのエンジン供給を決めていたために実現しませんでした。しかし、1987年、ホンダは、当時エンジンを提供していたロータスからセナが移籍することを条件に、1988年からマクラーレンにエンジンを提供することを承諾。1987年シーズン途中の9月6日、マクラーレンはイタリアGPで翌年の体制発表を行い、それまでのポルシェに代わるホンダRA168Eエンジンの採用とセナのチーム加入を公表しました。

 これに先立ち、すでにマクラーレンは翌年用のマシン、MP4/4の設計を開始していましたが、ポルシェからホンダへのエンジン変更の公表を受けて当初案は白紙となり、あらためて1988年シーズン開幕までのわずか半年で設計が行われました。このため、シーズンオフの間のエンジン実走テストは、1987年のシーズンで使用されたMP4/3Bの車体にRA168Eエンジンを搭載して行われています。最終的に、MP4/4がシェイクダウンを行ったのはイタリアのイモラ・サーキットで行われたシーズン前テスト最終日の3月23日のことで、4月3日の開幕戦、ブラジルGPのわずか11日前のことでした。

 完成したMP4/4は、MP4/3までの大柄なスタイルから一変し、全高が低く、ドラッグが少ない特徴的なデザインでした。また、1988年はターボエンジンの最終年で、燃料搭載量が195Lから150Lに引き下げられましたが、ホンダはこの条件を逆手にとり、低燃費ハイパフォーマンス技術を駆使して他のエンジンメーカーを圧倒することになります。

 1988年シーズンは、開幕前、マクラーレンとウィリアムズ、フェラーリ、ロータスなどのトップチームによる混戦が予想されていましたが、蓋を開けてみると、開幕戦のブラジルGPから最終戦のオーストラリアGP(11月13日)まで、セナとプロストを擁し、MP4/4を使用したマクラーレン・ホンダが全16戦中15勝で圧勝。セナはプロストとの激戦の末に最終戦を待たずに日本GPで初のワールドチャンピオンとなりました。ちなみに、この年のセナの成績は16戦中8勝・13PPで、いずれも当時のF1史上最多記録を更新するものでした。

 以後、1992年をもってホンダがF1活動を一時休止するまで、セナはホンダのエンジンを使い続け、1988年、1990年、1991年にはドライバーズタイトルを獲得したほか、32回の優勝を果たしています。また、“日本での父”と慕っていた本田宗一郎が1991年8月5日に亡くなると、その直後の第10戦ハンガリーGPでは喪章を着けてレースに挑み、優勝を飾りました。

 ホンダの撤退後の1993年、セナはマクラーレン所属のままフォードからエンジンの供給を受けてレースに参加しましたが、翌1994年、ウィリアムズ・ルノーに移籍。しかし、1994年5月1日、サンマリノ・グランプリの決勝で首位を走行中、コンクリートバリアに衝突して亡くなりました。

 なお、セナの死後、東京・青山にあるホンダの本社1階には1992年に彼がドライブしていたマクラーレンMP4/7A・ホンダとロータス時代のヘルメットが追悼展示されています。


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 沖縄切手モノ語り⑰
2021-12-12 Sun 01:50
 ご報告が遅くなりましたが、『本のメルマガ』第808号が配信されました。僕の連載、「沖縄切手モノ語り」は、今回はこんなモノを取り上げました。(画像はクリックで拡大されます。)

      アイク訪沖カバー

 これは、1960年6月19日、アイゼンハワーの沖縄訪問に際して使用された記念カバーで、アイゼンハワーの肖像と沖縄地図が印刷された記念封筒に1959年用の年賀切手を貼り、訪沖記念の特印が押されています。

 1960年1月、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力および安全保障条約(新安保条約)」がワシントンで調印されました。

 1951年9月、サンフランシスコ講和条約と同時に調印された旧安保条約は、日本は米軍に基地を提供するものの、米国の日本防衛義務はなく、日本は米国の同意なしに第三国に基地を提供できず(第三国の駐留権禁止条項)、日本国内の内乱に際しては米軍が出動できる(内乱条項)など、片務性と不平等性が強いものでした。このため、日本側は、米国による日本防衛の義務を明文化し、日本の基地提供義務との双務性を明確にすると同時に、内乱条項をはじめ旧条約の不平等な部分を改定することを望んでおり、それを実現したのが1960年の新安保条約でした。

 もちろん、新安保条約も日本が米国に基地を貸して安全保障を得るという旧安保条約の構造を継承していましたが、形式的には、旧条約に比して、はるかに日米の関係は“平等”なものとなります。

 新条約の調印を受け、アイゼンハワー米大統領の訪日が正式に決定され、米国は返礼として皇太子ご夫妻の訪米を要請しました。もっとも、新安保条約の成立を記念してご夫妻が訪米するのは皇室の政治利用との批判が予想されたため、訪米の名目として“日米修好百年”が掲げられます。

 日米修好通商条約の調印は1858年で、その100周年にあたる1958年には“開港100年”の各種記念行事が行われ、日本では記念切手も発行されています。これに対して、日本政府は、条約の批准書を米国に届けたのは1860年であり、批准書の交換により条約が発効する以上、1960年こそ条約の100周年にふさわしいと主張したわけです。

 ところで、アイゼンハワーはこの時の訪日に合わせて、フィリピン、台湾、韓国、沖縄の東アジア歴訪を計画していました。メインの訪日は、いわゆる安保闘争が激化して中止されたものの、その他の国・地域への歴訪は予定通り行われます。

 このうち、沖縄に関しては、6月19日、アイゼンハワーは嘉手納飛行場に到着。琉球政府行政主席・大田政作の出迎えを受け、ステートメントを発表後、大田とともにオープンカーで旧1号線(現国道58号)を南下するパレードを行い、那覇の琉球政府庁舎を訪問しました。

 行政府の周辺では、同年4月28日、サンフランシスコ講和条約発効の記念日に合わせて発足した“沖縄県祖国復帰協議会(復帰協)”が抗議デモを行っていたため、大統領は政府庁舎から那覇空港までは当初予定とは異なるルートで移動しましたが、当時の新聞記事などによると、全体としては歓迎ムードの方が強かったようです。

 沖縄よりも先にアイゼンハワーが訪問した台湾と韓国では、それぞれ、大統領の現地到着にあわせて記念切手が発行されましたが、沖縄では記念切手は発行されず、“米国大統領訪問記念”の記念印が使用されただけに終わっています。おそらく、アイゼンハワーの沖縄訪問は、“外遊”ではなく、あくまでも“米国”内の移動にすぎず、記念切手を発行するほどのことではないと判断されたのでしょう。

 また、記念印は、アイゼンハワーの肖像はおろか、彼の名前も入っておらず、友好の象徴として握手を描いただけのシンプルなデザインです。当時の米国では、たとえ現職大統領であろうとも、存命中の人物の肖像は切手に取り上げないという不文律があったため、記念印にもその原則が適用されたものと考えられます。

 ちなみに、1960年の安保改定と切手・郵便に関しては、拙著『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.2 戦後編』でもご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


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 国際紛争や諸外国のタイムリーな重大ニュースを取り上げ、その背後にある「宗教」をめぐる諸問題をじっくり解説する講座です。今回は、混迷続くアフガニスタンとその歴史に焦点を当ててお話します。お申し込みは12月11日(土)までで、ご応募多数の場合は抽選になります。詳細はこちらをご覧ください。


★ 『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.2 戦後編』 11月20日刊行! ★

      切手でたどる郵便創業150年の歴史②表紙 2530円(本体2300円+税)

 明治4年3月1日(1871年4月20日)にわが国の近代郵便が創業され、日本最初の切手が発行されて以来、150年間の歴史を豊富な図版とともにたどる3巻シリーズの第2巻。まずは、1945年の第二次大戦終戦までの時代を扱った第1巻に続き、第二次大戦後の1946年から昭和末の1989年までを扱っています。なお、2022年3月刊行予定の第3巻では平成以降の時代を取り扱う予定です。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 

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 ニカラグア、台湾と断交
2021-12-11 Sat 02:29
 先月(2021年11月)、通算5選を果たした中米の反米左派、ダニエル・オルテガ政権は、おととい(9日)、台湾との断交を発表したのに続き、きのう(10日)、中国との国交を回復する共同声明に署名しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ニカラグア・台湾との友好(現代美術)

 これは、1996年6月26日に発行された“ニカラグア=台湾友好”の切手のうち、1995年に台湾・高雄市立博物館で開催された“密林の歌 ニカラグア現代美術展”に出品されたフェデリコ・ノルダイムの「鞄のある風景」(1989年。油彩)が取り上げられています。

 1979年以前のニカラグアは、親米・反共を前面に打ち出していたソモサ独裁政権下にあり、対中政策に関しても、北京の中国共産党政権(以下、中国)ではなく、台湾の国民政府(以下、台湾)を唯一の正統政府として、台湾との国交を維持していました。

 1979年のニカラグア革命によって、ソモサ政権を打倒して誕生したFSLN(サンディニスタ民族解放戦線)政権は反米左翼政権だったため、米国の介入により、1989年まで内戦が続いていました。こうした中で、1期目の政権を担ったオルテガは、中国=社会主義との理解により、1985年に台湾と断交して中国と国交を樹立します。

 内戦集結後の1990年2月、国連の監視下で行われた大統領選挙でオルテガが僅差で敗れ、国民野党連合のビオレータ・チャモーロが当選すると、チャモーロ政権はFSLN政権からの転換をアピールするために親米政策を採り、その一環として中国と断交し、台湾との国交を復活させます。

 その後も、野党となったFSLNは中国共産党と緊密な友党関係を維持し、2006年11月の大統領選挙では、FSLN候補のオルテガは中国との国交回復を公約の一つとして掲げて当選しました。ただし、2007年に16年ぶりに政権に復帰した当初、オルテガは中国との国交を回復せず、その後もニカラグアは台湾との国交を維持していました。

 その一方で、オルテガは中国に“第2パナマ運河”の建設を認め、経済的には中国への傾斜を強めていきます。

 運河建設計画は、形式的には、香港に本社を置く“香港ニカラグア運河開発投資有限公司(以下、HKND)”が事業主体となっていますが、同社は2012年に信威通信産業集団(本社・北京市)代表の王靖が設立した企業で、翌2013年にニカラグア政府と運河の建設や運営に関して調印した後、中国の国有企業と運河建設の協力関係を締結するなど、その背後に中国政府・人民解放軍がいることは公然の秘密です。

 HKMDによる建設工事は、2014年12月に始まりましたが、事前の環境アセスメントや立ち退きを迫られている住民への補償が不十分なことに加え、運河完成後、HKNDには最長100年間の管理運営権が付与されることになっており、多くのニカラグア国民は計画に強く反発。当然、米国は中国のニカラグア運河計画に強い警戒感を抱いています。

 さて、先月の大統領選挙に至るまで、オルテガは連続4期当選を果たしていますが、この間、長期独裁政権にありがちな政治の私物化と腐敗が蔓延しており、11月の大統領選挙では、オルテガが有力な野党候補を徹底的に排除したうえで不正行為により当選を決めたとして多くの国が非難しています。

 このため、11月15日、米国がカストリジョ・エネルギー鉱山相ら9人に対し、米国内の資産を凍結し、米国人との取引を禁止したほか、英国はオルテガの妻で副大統領のムリジョのほか、司法長官、最高裁長官、国民議会議長ら8人に制裁を科しています。さらに、カナダもニカラグア政府関係者11人を制裁対象に指定しました。

 このため、オルテガ政権としては中国との国交を回復(とそれに伴う経済権益)により、国際的な孤立を深める中、生き残りを図ろうとしたものと考えられます。

 なお、今回ご紹介の切手には「ニカラグア共和国と中華民国 友好と民主主義」との文言が入っていますが、すでに民主主義を捨て去っているオルテガ政権にとって、台湾との友好ももはや不要ということなんでしょうね。


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 12月13日(月) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。

 武蔵野大学のWeb講座 2021年12月1日~2022年2月8日
 「日本の歴史を学びなおす― 近現代編その1 ― 黒船来航」

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 世界人権デー
2021-12-10 Fri 10:03
 きょう(10日)は、1948年に世界人権宣言が採択されたことにちなむ“世界人権デー”です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アフガニスタン・世界人権宣言10年

 これは、1958年12月10日にアフガニスタンが発行した“世界人権宣言10周年”の記念切手で、地球を照らす人権のたいまつが描かれています。地球の図が発行国のアフガニスタンを中心としたものになっているので、わが国を含む太平洋沿岸部が影になっているのは、まぁ仕方がないでしょう。

 1945年6月26日に採択された国連憲章の前文には、世界平和を維持するために人権を尊重することが定められていますが、人権の具体的内容についての規定はありませんでした。そこで、1946年6月21日、国連の経済社会理事会に設置された人権委員会により、国際的人権章典を制定するための実務作業が進められ、1948年12月10日、パリで開催された第3回国連総会で「世界人権宣言」が採択されました。

 世界人権宣言は、人間の基本的自由の内容を具体的に示したもので、全文は30ヵ条からなっています。内容面では、市民的・政治的自由に重点が置かれていますが、社会的・経済的な権利についても、加盟各国が達成すべき最低基準を示すものとなっています。

 なお、世界人権宣言の採択に際して、イスラム諸国の中では、サウジアラビアが、第16条の結婚の権利、および第18条の宗教変更の自由に同意できないとして棄権したほか、イエメンが採決を欠席していますが、アフガニスタンは賛成票を投じています。

 1958年は、そうした世界人権宣言の採択10周年にあたっており、国連の人権委員会は、人権宣言を周知宣伝し、世界各国における基本的人権の保護を伸張させるため、各種の記念事業を行うことを決定。その中には、加盟各国が「(採択記念日の)1958年12月10日、国内において記念切手を発行し、特別消印を使用する」との一項も含まれており、ハマーショルド国連事務総長名で、各国に対して記念切手発行の要請が行われました。今回ご紹介の切手もこれに応えて発行されたものです。
 
 さて、現在、『アフガニスタン現代史(仮)』と題する書籍を刊行すべく、作業を進めています。今後、正式なタイトルや発売日、販売価格などの詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いします。

 * 昨日(9日)、アクセスカウンターが244万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。


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 タンガニーカ独立60年
2021-12-09 Thu 04:18
 現在のタンザニアの大陸部分に相当するタンガニーカが1961年12月9日に独立してから、ちょうど60年になりました。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      KUT・キリマンジャロ鉄道カバー

 これは、1947年8月19日、英領時代のタンガニーカ・モシからキリマンジャロ鉄道でタンガ港まで運ばれ、そこから米国宛に届けられたエアメールで、キリマンジャロ鉄道の鉄郵印が押されています。

 アフリカ大陸最高峰のキリマンジャロは、タンザニア北東部に位置し、標高5895m、東西約50km、南北30kmに広がった成層火山で、西からシラ峰、キボ峰、マウエンジ峰から構成されています。中央のキボ峰のみが休火山で他の2峰は死火山で、地名の由来としては、スワヒリ語で“山”を意味する“キリマ”と、チャガ語で“白”を意味する“ンジャロ”の合成語で、“白く輝く山”の意味とされています。

 さて、ケニア南部からタンザニア北部一帯の先住民、マサイ人の間では“神の家”を意味する“ンガジェンガ”と呼ばれていたキリマンジャロの存在が、西洋人にも知られるようになったのは、1840年代のことでした。

 1847年、ケニアの東海岸で布教をしていたドイツ人宣教師のヨハネス・レブマンは、頂上が銀で覆われた高い山があることを聞いて内陸部に調査に向かい、翌1848年5月11日、チャガ人の土地で、山頂が白銀に覆われた高山を“発見”します。レブマンは、さっそく、この高山のことを報告しましたが、当時のヨーロッパの地理学者は熱帯に雪が存在するはずがないとの思い込みから、レブマンの報告を信じませんでした。

 その後、“熱帯の雪山”の存在が確認されると、ドイツ人将校のカール・クラウス・フォン・デア・デッケンと英国人地質学者リチャード・ソーントンが1861年には2500m地点まで、1862年には4280m地点まで到達します。

 列強によるアフリカ分割の過程で、キリマンジャロは英独の勢力圏の境界に位置するようになり、英国は山の北側に進出しました。しかし、ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世は山全体をドイツ領とすることを要求。1885年のベルリン会議では、ドイツの要求が認められ、ドイツ領東アフリカの領域が確定しました。

 第一次大戦でドイツが敗れると、旧ドイツ領東アフリカは解体され、英委任統治領タンガニーカとベルギー委任統治領のルワンダ=ウルンディに分割され、キリマンジャロは英領タンガニーカに組み込まれました。

 1920年、東アフリカにおける英領植民地は、ザンジバル、タンガニーカ、ケニア、ウガンダの4地域体制となりますが、このうち、ザンジバルを除く3地域では、1921年、共通通貨として、英国東アフリカ通貨局(1919年創設。EACB)の発行する東アフリカ・シリングが導入され、1922年には3地域を包括する関税同盟が結成されました。これに伴い、ザンジバルを除く大陸の3地域では郵便組織も共通となり、“ケニア・ウガンダ・タンガニーカ”(KUT)表示の切手が使用されることになります。今回ご紹介のエアメールに貼られているのも、そのKUT切手です。

 ところで、すでにドイツ領東アフリカ時代から、キリマンジャロ地域ではコーヒーのプランテーション栽培が始まっていましたが、英支配下の1921年、海岸のタンガ港から南麓のモシまで鉄道が開通。これにより、モシはコーヒーの集散地となり、1932年に設立された“キリマンジャロ原住民共同組合連合会”が品質管理を本格的に行うようになります。この結果、かつては粗悪品のイメージが強く、イエメンに運ばれて“モカ”にブレンドされていたこの地域のコーヒー豆は、“キリマンジャロ”として独自のブランドとなり、モシは急速に発展します。

 1961年12月9日、タンガニーカが独立すると、キリマンジャロは新国家のシンボルとなり、キボ峰の山頂はスワヒリ語で“自由”を意味する“ウフル”と命名され、山頂には“ウフル・トーチ(自由の松明)”が灯されたほか、初代大統領ジュリウス・ニエレレによる独立宣言が刻まれたレリーフが設置されました。

 その後、1964年、タンガニーカは対岸のザンジバルと連合し、タンガニーカ・ザンジバル連合共和国が発足。その後、新国家は、タンガニーカとザンジバル、それにアフリカ南部で栄えたアザニア文化の名前をあわせて“タンザニア連合共和国”と命名され、現在に至っています。

 ちなみに、現在のタンザニア国家は、1961年にタンガニーカが独立した12月9日を“独立記念日”とし、1964年に連合共和国が成立した4月26日は“統合記念日”としています。


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 大詔奉戴日
2021-12-08 Wed 01:55
 1941年12月8日(日本時間)に日本が米英に宣戦布告し、いわゆる太平洋戦争(日本側の正式な呼称は支那事変を含めて大東亜戦争)が勃発してから、80年になりました。というわけで、きょうはこんなのもを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      皇軍慰問絵葉書・大詔奉戴日

 これは、先の大戦中の1942年10月頃、逓信省が発行した「皇軍慰問ゑはがき」の1枚で、「大詔奉戴日 一億こぞって戦勝祈願」と題する児童画が取り上げられています。

 1941年12月8日に対米英開戦の証書が発せられると、1942年1月2日の閣議決定で、以後、“大東亜戦争の完遂に至るまで”、すなわり、戦争終結まで毎月8日を“大詔奉戴日”とすることとされました。

 すでに、支那事変下の1939年9月から、国力増強・戦意高揚を目的として、同年9月から毎月1日は“興亜奉公日”とされており、当日は、国旗掲揚・宮城遥拝・神社参拝・勤労奉仕などのほか、飲食・接客業は休業となり、国民は禁酒禁煙で、食事は一汁一菜とし、児童生徒の弁当は日の丸弁当とすることが行われていました。

 大詔奉戴日はこれを発展させたもので、その実施要項には、当日の具体的な活動として、①学校・職場などでの(対米英開戦の)詔書捧読、②神社・寺院・教会などでの必勝祈願、③国旗掲揚、④職域奉公、などが挙げられています。

 今回ご紹介の絵はがきの児童画は、母子と思しき4人が大詔奉戴日に神社で必勝祈願を行っている場面を描いていますが、父親の姿が見えません。おそらく、父親は応召してすでに戦地に赴いているのでしょう。そうだとすると、彼らは、必勝祈願もさることながら、出征中の父親が無事に帰ってくることを熱心に祈っていたのかもしれません。
 
 なお、先の大戦中の切手・郵便については、拙著『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.1 戦前編』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


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 米、北京冬季五輪を“外交ボイコット”
2021-12-07 Tue 09:29
 米ホワイトハウスのサキ報道官は、6日(現地時間)、“新疆で進行中のジェノサイドや人道に対する罪”への意見表明として、米国政府は来年(2022年)の北京冬季五輪に政府の公式代表団を派遣しない“外交ボイコット”を実施すると明らかにしました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      米・モスクワ五輪(田型)

 これは、1980年のモスクワ五輪開催前年の1979年9月28日、米国が発行した“1980年夏季五輪”の記念切手です。

 切手が発行される3ヵ月前の1979年6月18日、米ソ両国は長年の懸案であった第二次戦略兵器制限条約(SALTII条約)を締結したこともあり、切手が発行された当時の米ソ関係は良好でした。

 ところで、1978年4月、アフガニスタンでは人民民主党(共産党)がムハンマド・ダーウード政権を打倒して政権を掌握。人民民主党は革命以前からソ連の支援を受けていたため、同年12月、革命評議会議長のムハンマド・タラキーはモスクワを訪問し、内乱条項を含むソ連=アフガニスタン友好善隣協力条約を締結して、アフガニスタンは完全にソ連の勢力圏内に組み込まれることになります。

 ソ連のアフガニスタン政策は、アフガニスタンは安定的な親ソ政権(共産主義政権である必要はない)の支配下に置き、インド洋につながるルートの安全な通行を確保することが最も重要な課題でした。ところが、4月革命で成立した人民民主党政権は、党内にタラキー率いるハルク派とバブラク・カールマル(カルマルとも)の主導するパルチャム派の深刻な対立があったことに加え、土地改革をはじめとする急進的な社会主義政策を強行して国民各層の反感は招いていました。

 このため、はやくも1978年10月、クナールでムスリムの反乱が発生したのを皮切りに、各地でムジャーヒディーン(ジハードを戦うイスラム戦士)の抵抗運動が頻発。翌1979年3月、ヘラートでイスラム主義者による大規模な武装デモが展開され、5000人もの死者が発生したことで、反政府闘争は公然化し、アフガニスタン全土は実質的な内戦に突入します。

 混乱の中で、1979年9月、大統領のタラキーが殺害され、政権ナンバー2のハフィーズッラー・アミーンが全権を掌握。アミーン政権は、ソ連のさらなる支援を得てアフガニスタンの社会主義化を強行しようとしていましたが、ソ連としては、急進的な社会主義化政策を強行することによって、アフガニスタン国内のイスラム抵抗運動をさらに激化させていたアミーン政権は大いなる懸念材料でした。

 また、1979年2月の革命を経てイスラム共和国体制を樹立していたイランは、親米国家から反米国家へと変質したとはいえ、東西冷戦の二極構造を前提とする既存の国際秩序に異議を唱え、周辺にイスラム的な世界秩序を拡大する姿勢(“革命の輸出”路線)を示していました。イラン発のイスラム原理主義運動がアフガニスタンに波及し、さらには、連邦を構成する中央アジア諸国へと波及することになれば、それはただちに「社会主義共和国連邦」というソ連の体制の根幹を揺るがしかねません。

 そこで、ソ連は、性急な社会主義化を強行して国内のイスラム抵抗運動を激化させているアミーン政権を排除し、イスラム抵抗運動を緩和しうる穏健な共産主義政権の樹立を企て、1979年12月27日、前年に締結した善隣協力条約に基づいてアフガニスタンに軍事介入。アミーンを暗殺し、ソ連の意向に忠実なバブラク・カールマルを革命評議会議長(国家元首)とする親ソ体制を樹立します。

 これが、いわゆるソ連軍のアフガニシスタン侵攻です。
 
 友好善隣協力条約が締結されていたとはいえ、ソ連正規軍がアフガニスタンに直接侵攻するという異常事態に対して、米国のカーター政権は“チェコ事件に次ぐ介入”としてソ連を非難します。英国・西ドイツも同日中に非難声明を発表。同29日にはカーターが自らホットラインでソ連軍の撤退を要求しました。

 1980年1月1日には、NATO加盟国代表緊急会議が開催され、同年夏のモスクワ五輪のボイコット、対ソ借款や文化交流の停止に向けて具体的な検討が始まります。これを受けて、同4日、米国は対ソ報復措置を発表し、ソ連の行動がこのまま続いた場合の“モスクワ五輪ボイコットの可能性”に言及しました。また、同6日には、サウジアラビアがモスクワ五輪不参加を正式に決定し、五輪ボイコット国の第1号になっています。

 これに対して、1月14日、IOC会長のマイケル・モリス(キラニン卿)はモスクワ五輪が予定通り開催されることを再確認。2月12日のIOC総会でも満場一致で“モスクワ五輪の開催”が確認されました。

 しかし、その後もアフガニスタン国内の情勢は混迷が続き、ソ連軍は撤退しなかった(できなかった)ため、4月13日、米国はアフガニスタン問題を理由にモスクワ五輪のボイコットを正式に決定します。すでに、サウジアラビアやイランなどはモスクワ五輪への不参加を決めていましたが、米国の五輪ボイコットはそれよりもはるかに大きなインパクトを与え、5月24日にはわが国も正式に五輪不参加を決定しました。なお、ソ連のおひざ元である東欧諸国も、五輪のボイコットこそしなかったものの、5月23日に開催されたワルシャワ条約機構首脳会議では、参加7ヵ国中6ヵ国がソ連軍のアフガニスタン侵攻に対する不満を表明しています。

 こうした状況の下、1980年7月19日、モスクワ五輪が開会しましたが、日米のほか、分断国家の西ドイツと韓国、中ソ対立でソ連と対立していた中国、サウジアラビア、イラン、パキスタン、エジプトなどのイスラム諸国など、およそ50ヵ国が最終的に五輪参加をボイコットしました。

 また、西欧・オセアニアの西側諸国の大半は五輪に参加したものの、開会式にはフランス、イタリア、オランダなど7ヵ国が、英国とポルトガル、アイスランドは入場行進には選手を参加させず、旗手のみが参加するという異様な光景となりました。また、これら西欧諸国の大半は国旗を用いず、優勝時や開会式などのセレモニーでは五輪旗と五輪賛歌が使用されています。

 こうしたモスクワ五輪の先例と比較すると、今回の米国の“外交的ボイコット”では、選手団は予定通り大会に参加し、競技を行いますので、“ボイコット”というより、当時の西欧諸国の対応に近いものとみるのが妥当でしょう。“外交的”という形容詞をつけて限定的な表現になってるのもそのためです。したがって、米国政府は国内的には“ボイコット”と主張するものの、公式には米国選手団については五輪参加の記録が残りますので(=公式には“五輪ボイコット”にはならない)、中国の体面もとりあえずは維持されることになります。

 なお、今回ご紹介の切手は、当初予定では、モスクワ五輪の開催まで(在庫があれば開会後も)販売が継続される予定でしたが、米国の大会ボイコットを受け、郵便局での販売が停止されましたが、8月3日にモスクワ五輪が閉幕すると、翌4日から販売が再開されています。
 
 ちなみに、1980年のモスクワ五輪に関しては、現在制作中の拙著『アフガニスタン現代史(仮)』でも詳しくまとめています。今後、正式なタイトルや発売日、販売価格などの詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いします。

 * 昨日(6日)の文化放送「おはよう寺ちゃん」の僕の出番は、無事、終了いたしました。リスナーの皆様には、この場をお借りして御礼申し上げます。次回は来週月曜日・12月13日に登場の予定です。引き続きよろしくお付き合いください。 


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 明治4年3月1日(1871年4月20日)にわが国の近代郵便が創業され、日本最初の切手が発行されて以来、150年間の歴史を豊富な図版とともにたどる3巻シリーズの第2巻。まずは、1945年の第二次大戦終戦までの時代を扱った第1巻に続き、第二次大戦後の1946年から昭和末の1989年までを扱っています。なお、2022年3月刊行予定の第3巻では平成以降の時代を取り扱う予定です。

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 こわい切手:恐ろしい交通事情
2021-12-06 Mon 01:08
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、雑誌『ザ・フナイ』2021年12月号ができあがりました。僕の連載「こわい切手」は、今回は交通事故関連の切手について取り上げましたが、その記事の中から、この切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      アルジェリア・交通事故防止(2009)

 これは、2009年にアルジェリアが発行した“交通事故防止”のキャンペーン切手です。

 いわゆる心霊体験が一度もなく、オカルトの類を全く信じない人であっても、自動車を運転していたり、道路を歩いていたりしているときに危険な運転の自動車に遭遇して“怖い”と感じたことは一度や二度ではないでしょう。

 わが国の場合、1970年頃には交通事故の死者数は1万6000人を超えていましたが、その後は減少傾向をたどり、1996年以降は1万人を割り込み、近年は4000人以下となり、2020年には2839人でついに3000人を下回りました。それでも、多くの人々が交通事故で命を落としているわけで、交通死亡事故を減らすためのさまざまなキャンペーンが行われています。

 交通事故者を減らすためのキャンペーンは世界各国でも盛んに行われており、その一環として、しばしば交通安全の宣伝切手が発行されるわけですが、そのデザインの一つのパターンとして、悲惨な事故現場や犠牲者の姿を見せ、事故の恐ろしさを認識させることで、無謀な運転を抑止しようする手法があります。

 今回ご紹介のアルジェリアの切手はその典型例で、事故で反転、クラッシュした自動車とその手前に突き出された手が描かれています。切手に描かれた手が、事故をストップさせようという意思表示なのか、事故車に乗っていた人(事故車の破損具合からして、無事では済まなさそうです)が助けを求めて掲げたものなのか、切手を見ただけでは判別不能ですが、かなりのインパクトがある組み合わせです。

 かつての日本では交通事故とその死亡者が深刻な社会問題となり“交通戦争”なる言葉も使われましたが、2020年1月に現地の日本大使館が作成した在留邦人向けの『安全の手引き』では、アルジェの交通事情は“交通テロ”と形容されています。

 もともと、アルジェリアの国土は起伏に富んでいるうえ、道路は概して細く、坂道や曲がり路が多く、雨天時に浸水するなど道路事情も決して良くありません。また、国全体で見ると、信号機が設置されている交差点も決して多くはありません。そうした道路環境に加え、市街地では時間帯によっては相当の交通量があり、渋滞が頻繁に発生することもあって、強引な割り込み、一方通行での逆走、方向指示表示なしの急な車線変更、夜間の無灯火、スピードの出し過ぎなどの荒い運転が横行。交通法規を守らない者も少なくないことから交通事故は年々増加しているそうです。

 実際、2018年1月時点でのアルジェリアの人口は、日本の人口の約3割、約4220万人ですが、2019年の交通事故による死者数は3275人で3215人の日本とほぼ同じ。したがって、単純に人口比で換算すると、交通事故の死者数は日本の3倍という勘定ですから、交通安全キャンペーンの切手も、このくらいどぎついデザインにしないと効果がないということなのでしょう。


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 ベツレヘムで2年ぶりのツリー点灯
2021-12-05 Sun 10:11
 きのう(4日)、ベツレヘムの聖誕教会に面したマンジャー(マンガー、メンジャーとも)広場で、きのう(4日)、昨年(2020年)は新型コロナ禍で中止されたクリスマスツリーの点灯式が2年ぶりに行われました。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ベツレヘム市内便19951002

 これは、1995年10月2日、パレスチナ自治政府の切手を貼ってベツレヘムにあったイスラエルの郵便局から差し出された郵便物(市内便)です。
 
 1993年のオスロ合意後、1994年5月のパレスチナ先行自治協定(PLOによる自治を開始するための具体的協定)を経て、イェリコとガザで暫定自治が開始され、5月4日にはガザ地区で、5月9日には西岸のイェリコで、パレスチナ自治政府の郵政機関が発足します。ただし、当初はパレスチナ自治政府独自の切手は間に合わず、ガザ地区とイェリコでもイスラエルの切手がそのまま使用されていました。

 このため、1994年夏、パレスチナ自治政府は国有ドイツ連邦印刷会社に自治政府としての独自の切手を発注。イェリコのヒシャーム宮殿(5、10、20ミリーム)、東エルサレムの聖墳墓教会(30、40、50、75ミリーム)、パレスチナ自治政府の国旗(125、150、250、300、500ミリーム)、岩のドーム(1000ミリーム切手)をデザインした切手が制作され、1995年1月1日からガザ地区とイェリコで使用されました。

 ところで、パレスチナ自治政府は、新切手の発行を、1948年の英委任統治終結以来、およそ半世紀ぶりの“パレスチナ切手”の復活と位置付け、英領時代の先例に倣い、切手の額面を“ミリーム”表記とします。

 一方、1994年4月29日付でイスラエルとPLOが締結した“1994年パリ議定書”では、自治政府統治下の通貨は、イスラエルの通貨である新シェケルを基本としつつ、西岸地区ではヨルダン・ディナール、ガザ地区ではエジプト・ポンドの使用が認められていたものの、自治政府には独自通貨の発行権を認める規定はありませんでした。このため、イスラエル側は自治政府の切手の額面がミリーム表示になっていることに強く反発。イスラエル宛またはイスラエルを経由して海外へ逓送される郵便物に関しては、ミリーム額面の切手が貼られている場合は、料金未納扱いにすると自治政府に通告します。

 そこで、ミリーム額面の切手は、西岸地区とガザ地区(の自治政府統治地域)および東エルサレム宛(イスラエルの実効支配下にあるものの、自治政府側も“パレスチナ国”の首都と主張)の郵便物にのみ有効とされ、別途、今回ご紹介のカバーに貼られているフィルス額面を加刷した切手が発行されました。

 さて、1995年9月24日に結ばれた オスロⅡ(拡大自治合意)では、ヨルダン川西岸地区は、A地区(自治政府が行政権、警察権共に実権を握る地区。2000年の時点でヨルダン川西岸の17.2%)、B地区(自治政府が行政権、イスラエル軍が警察権の実権を握る地区。ただし、警察権は自治政府とイスラエルが共同の地区も含む。2000年の時点で、ヨルダン川西岸の23.8%)、C地区(イスラエル軍が行政権、軍事権共に実権を握る地区。2000年の時点でヨルダン川西岸地区の59%)に分けられ、11月8日、A地区およびB地区の36カ所に自治政府の郵便局が開設されました。ベツレヘムはこのうちのA地区に含まれており、ベツレヘム郵便局は、今回ツリーが設置されたマンジャー広場西側の市役所とカイロ・アンマン銀行の間にあります。

 パレスチナ自治政府管轄下のベツレヘム郵便局では、1995年11月8日から自治政府のフォーマットによる郵便印の使用が開始されましたが、それまでは、ヘブライ語表示のあるイスラエル時代の消印がそのまま使われていました。このため、今回ご紹介の郵便物(1995年10月2日差出)のように、自治政府の切手にイスラエルの消印が押された例が存在しています。

 なお、パレスチナ自治政府とその郵便については、拙著『パレスチナ現代史:岩のドームの郵便学』でもその概要をまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


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 3000万円で姫路城の主に
2021-12-04 Sat 03:05
 姫路市は、きのう(3日)、姫路城の“城主”体験を返礼品とするふるさと納税(寄附額は3000万円以上・先着順2名まで)の募集を開始しました。“城主”の送迎は専用ヘリとハイヤーで行われ、一般公開が終わる午後5時以降、甲冑姿の“家来”が城を守る実演を見学したり、専門家の解説で非公開の場所を含めて城内を回ったりするほか、江戸時代の城主の食事を現代風に再現したメニューが供され、姫路城永久入城の権利が贈呈されるそうです。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      第一次国宝・姫路城

 これは、1969年7月21日に発行された(第1次)国宝シリーズ第6集(安土・桃山時代)のうち、姫路城を取り上げた切手です。

 1601年、関ケ原の戦いで勝利を収めた徳川家康は、大阪城の豊臣秀頼と西国の諸大名との間に物理的にも楔を打ち込むため、大阪城の背後にあたる姫路の地に大規模な城を築くことを決定。娘婿(督姫の夫)のおける池田三左衛門輝政をこの地に配し、備前・淡路とあわせて87万石(実際は97万8000石と推定されています)を与え、8年の歳月をかけ5層7階の大天守を持つ大城郭を築かせました。

 さらに池田輝政の後にこの地に封じられた本多忠政は、息子の忠刻の妻として千姫(徳川秀忠の長女)を迎え、“化粧櫓”や“西の丸”一帯を築き、1618年、現在の姫路城が完成。その後も、幕府にとって姫路(播磨)は、西国諸大名をおさえる重要な拠点だったため、 譜代の大名が配置され、跡継ぎが幼少・病弱な場合には、容赦なく国替が行われたことから、城主も松平氏、榊原氏、酒井氏とめまぐるしく変化しました。

 明治維新後の1869年、藩籍奉還により、姫路城は兵部省の管轄となり、1872年には陸軍省に引き継がれます。陸軍省は、翌1873年、全国の城郭の存廃を検討し一旦は姫路城を残しましたが、修理費用が捻出できなかったことから、城を競売にかけてしまいました。そして、瓦を再使用するつもりだった神戸清一郎が23円50銭でこれを落札しましたが、落札後、瓦が一般家屋には大きすぎて使えないことがわかると、神戸は城の購入件を放棄。姫路城はふたたび陸軍省の管理下に置かれました。

 このため、1874年、陸軍省は、城内三の丸広場に歩兵十連隊を設置。一部の櫓や門などを取り壊し、大天守なども取り壊すことを決定。しかし、陸軍省第4局長代理中村重遠(階級は大佐)は、貴重な名城は後世に伝えるべきと考え、1878年、陸軍卿・山県有朋に姫路城の存続を直訴したため、1879年1月、ようやく、姫路城の保存が正式に決定されました。

 さて、第1次国宝シリーズの当初の発行計画では、第5集の“室町時代”の次は、第6集の“江戸時代”を発行して完結する予定でした。しかし、1968年11月の内閣改造で、兵庫県を地盤とする河本敏夫が郵政大臣に就任すると、急遽、第6集として“安土・桃山時代”が割り込み発行されることが決定されます。はたして、“安土・桃山時代”の題材には、河本の地元選挙区のシンボルである姫路城が取り上げられていたことから、今回の切手発行はいわゆる“大臣切手”にあたるのではないかという批判が寄せられました。ちなみに、今回の切手の原画は、河本の大臣就任から1ヶ月以内に増井国夫の撮影した写真を元に、大塚均が構成しています。

 なお、昭和30-40年代を中心に発行された大臣切手については、拙著『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.2 戦後編』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


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 小笠原のカツオドリ、20年かけて 台湾最南端へ
2021-12-03 Fri 07:37
 ことし10月、台湾最南端の屏東県鵝鑾鼻(鵞鑾鼻とも。日本語読みはガランピ、オーロワンピ、オーランピ―など)で見つかったカツオドリが、20年前に小笠原諸島で放たれた個体だったことが台湾海洋委員会海洋保育署の調査で確認されました。一般的にカツオドリは長距離移動をしない海鳥で、2200キロ離れた小笠原から鵝鑾鼻まで飛来するのは極めて珍しいそうです。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      水辺の鳥・カツオドリ

 これは、1991年6月28日、”水辺の鳥”シリーズ第1集として発行されたカツオドリの切手です。

 “水辺の鳥”シリーズは、1993年6月9-16日、ラムサール条約(特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約)の日本事務局がある釧路で締約国会議が開催されるのに先立ち、湿地保全の重要性を多くの国民に理解してもらうため、1991年6月から、会議直前の1993年5月にかけて、全8集・16種が発行されました。

 切手に取り上げられたカツオドリは、カツオなどの大型魚類に追われて海面付近に上がってきた小魚を狙って集まることから、カツオなどの魚群を知らせる鳥とみなされたことが名前の由来です。ただし、同様の習性はカツオドリだけでなく、他の鳥にも見られるため、地方によっては別の鳥を”カツオドリ”と呼ぶ例もあります。

 全長70cm、翼開長145cmで、ウミネコよりかなり大きく、体は黒褐色で腹が白く、くちばしは黄色で、顔の裸出部は雄では青色、雌では黄白色。日本国内では、伊豆諸島、小笠原諸島、尖閣諸島を含む南西諸島の海岸にある断崖や草原などに枯草や木の枝を組み合わせた皿状の巣を作って繁殖します。

 さて、台湾の海洋保育署によると、カツオドリは10月14日、鵝鑾鼻の岩場にいるところを行楽客が発見し、同署に報告。発見当時、カツオドリはまだ生きており、発見場所が釣り場だったことから、手助けの必要がないか同署の職員が翌朝に現地を訪れたところ、すでに死んでいたそうです。

 その後、同署職員が足環の情報を手掛かりに山階鳥類研究所に連絡したところ、2001年9月2日に小笠原諸島で放たれたメスだと確認されました。死体の解剖を行った台湾大学によると、胃腸の中は空で、頭蓋骨から耳の穴まで出血があり、脾臓は炎症を起こし、甲状腺腫の石灰化や食道のただれが見られたことから、件のカツオドリは、高齢による衰弱に加え、台風などで何かにぶつかり死んだのではないかとのこと。なお、今後、このカツオドリは環境教育の教材として活用されるそうです。


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 アラブ首長国連邦結成50年
2021-12-02 Thu 01:57
 1971年12月2日、ペルシャ湾岸のアブダビ、ドバイ、シャルジャ、アジュマーン、ウンムルカイワイン、フジャイラの各首長国が集合して“アラブ首長国連邦(UAE)”が結成されてから(ラサールハイマは翌1972年に参加)、ちょうど50年になりました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      UAE・アブダビ加刷航空書簡

 これは、UAE発足後まもない1972年8月、連邦結成以前にアブダビが発行した航空書簡に、UAEの新国名と新額面を加刷して発行された航空書簡です。

 UAEは、その名の通り、ドバイ、アブダビなど、ペルシャ湾岸の群小首長国からなる連邦国家で、1971年12月に連邦が成立する以前は、それぞれの首長国は英国と休戦協定を結んで、英国の保護国になっていました。

 もともと、これら群小首長国はインド洋での海賊行為を主な収入源としていました。そこで、英国はインド洋のシーレーンの安定を確保するため、これらの首長国に年金を支給する代わりに、首長国を保護国化して軍事・外交権を掌握したのです。一方、首長国からすれば、一定の現金収入が確保されるうえ、英国を後ろ盾に対岸の大国であるイランの脅威に備えられる保護国の地位は魅力的なものでした。

 ところが、1968年、英本国の労働党政権が、1971年末をもってスエズ以東から軍事的に撤退することを発表します。

 当時の英国はいわゆる英国病が深刻な状況で、経済的な苦境に陥っていました。一方、アブダビでは1958年に油田が発見され、1966年にはドバイ沖でも海底油田が発見されるなど、休戦協定諸国の中にはオイルマネーで潤う国が出てきました。このため、英国内では、自国の経済が衰退する中で、なぜ豊かになったドバイやアブダビに年金を支給し、防衛まで負担しなければならないのか、という当然の不満が生じます。労働党政権はそうした民意を汲んで、ペルシャ湾岸からの撤兵を決断したわけです。

 これに対して、年金はともかく、保護国の座に安住し、英国は永遠に自分たちをイランの脅威から守ってくれるものと思い込んでいた湾岸首長国はパニックに陥り、英軍の駐留継続を強く要請しましたが、英国の決意は固く、彼らの懇願を頑としてはねつけました。

 そこで、追い込まれた首長国側は、長年の対立関係にあったドバイとアブダビが1968年中に和解し、事実上の連邦形成に合意。両国間では外交、軍事、通貨、市民サービス、市民権、ならびに出入国管理業務などが統合され、首長国の連合によりイランの脅威に対抗するという方向性が当事者から示されることになります。

 その後、1970年には現在UAEを構成している7首長国にバハレーンとカタールを加えた全9首長国で連合国家を形成するよう、サウジとクウェートが斡旋に乗り出しましたが、バハレーンを不倶戴天の敵とみなしているカタールが強く反対。また、バハレーンは、サウジとは王室同士が縁戚関係にあり、それゆえ、サウジの強い影響下にある国ですが、対岸のイランは、そもそも、バハレーンの独立を認めず、バハレーンは自国の領土であるとさえ主張していました。このため、バハレーンと国家連合を組めば、それを口実にイランが攻めてくるかもしれないとの恐怖にかられた休戦協定諸国も、バハレーン中心の国家連合には反対。この構想は早々に頓挫してしまいます。

 結局、1971年8月にバハレーンが、翌9月にカタールが、それぞれ単独で独立し、休戦協定諸国のうち、ラサールハイマを除く6首長国は同年12月2日、アラブ首長国連邦を結成します。

 ちなみに、ラサールハイマの支配一族であるカワーシム族は、バニー・ヤース系のアブダビとドバイが石油収入を得て経済的に発展したことに激しい競争心を持っていたため、同じく、アブダビとドバイの風下に立つことを内心、快く思っていなかったシャルジャを誘って独自の国家建設をめざしましたが、最終的にシャルジャがUAEへの加盟を決断したため、ドバイやアブダビに依存しない独立国家の建設を目指し、当初はUAEには参加しませんでした。

 ところが、UAE設立直前の1971年11月、ラサールハイマが実効支配していた沖合のトゥンブ諸島にイラン軍が侵攻して、瞬く間にここを占領。これに対して、国際社会ではラサール=ハイマを擁護する国は皆無でした。さらに、イランはシャルジャに対して圧力をかけ、シャールジャ沖合のアブー・ムーサー島(油田がある)の主権を強引に譲渡させています。

 身をもってイランの恐ろしさを体験したラサール・アル=ハイマは、前言を翻して、寄らば大樹とアブダビとドバイに合流することを決断し、1972年2月、慌てて連邦に加盟。こうして、現在のUAEの枠組ができあがりました。

 郵便に関しては、1971年12月のUAE 結成当初、連邦全体を統括する郵政機関は成立しておらず、各首長国の切手も当面はそのまま有効とされていました。また、UAE全域の統一通貨としてUAEディルハムが導入されるのは1973年5月19日のことで、それ以前は、従前どおり、アブダビを除く6首長国ではカタール・ドバイ・リヤル(補助通貨はディルハム。1リヤル=100ディルハム)が、アブダビではバハレーン・ディナール(補助通貨はフィルス。1ディナール=1000フィルス)がそのまま使用されており、切手の額面もそれぞれの通貨に対応していました。

 こうした状況の下、連邦発足に伴う移行期間の措置として、1972年7月31日まで各首長国はそれぞれ独自の切手を発行していましたが、同年8月以降、各首長国が独自に新切手を発行することが禁じられます。

 これを受けて、連邦全域で有効のUAE共通切手類を発行するまでの暫定措置として、UAEを構成する首長国中、最大の首長国であったアブダビの切手類のアラビア語の国名表示を二重線で抹消したうえで、その下に新国名の“دولة الإمارات العربية المتحدة”を、欧文の国名表示の上に“UAE”の文字を、それぞれ加刷した暫定的な切手類が発行され、使用されることになりました。

 今回ご紹介の航空書簡はその一例で、印面に描かれているのは、当時のアブダビ首長、ザーイド・ビン=スルターン・アール=ナヒヤーンです。なお、ザーイドはUAEの成立とともに、連邦の初代大統領に選出されています。

 ただし、UAE暫定加刷切手の額面は、当時、アブダビのみで流通していたバハレーン・ディナールでの額面表示になっていたため、他の首長国の領域では使い勝手が悪かったようで、アブダビ以外ではほとんど使用されていません。

 その後、1973年1月1日、UAEの発足から1年余りを経て、ようやく、UAE郵政はUAEの国旗や国章、各首長国の風景などを取り上げた、UAEとして最初の正刷切手を発行。この時発行された切手は、同年5月からの新通貨、UAEディルハムの導入をにらんで、UAEディルハムの額面表示になっていますが、各地の郵便局では、切手発行時に実際に市中で流通していたカタール・ドバイ・リヤルに関しては、公定交換レートの1ディルハム=1リヤルで、アブダビで使用されていたバハレーン・ディナールに対しては1ディルハム=0.1ディナールで換算した金額で切手を販売しています。

 なお、UAEの成立から昨年(2020年)のイスラエルとの国交正常化までの経緯については、拙著『世界はいつでも不安定』でも詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内★

 12月6日(月) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。

 武蔵野大学のWeb講座 2021年12月1日~2022年2月8日
 「日本の歴史を学びなおす― 近現代編その1 ― 黒船来航」

 12月1日から2月8日まで、計7.5時間(30分×15回)の講座です、お申し込みなどの詳細は、こちらをご覧ください。

 三鷹市生涯学習センター 「宗教と国際政治」 2022年1月10~23日
 国際紛争や諸外国のタイムリーな重大ニュースを取り上げ、その背後にある「宗教」をめぐる諸問題をじっくり解説する講座です。今回は、混迷続くアフガニスタンとその歴史に焦点を当ててお話します。お申し込みは12月11日(土)までで、ご応募多数の場合は抽選になります。詳細はこちらをご覧ください。


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      切手でたどる郵便創業150年の歴史②表紙 2530円(本体2300円+税)

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 バルバドスが共和制に移行
2021-12-01 Wed 02:09
 カリブ海のバルバドスは、きのう(30日=同国の独立記念日)、エリザベス英女王を元首とする立憲君主制から共和制に移行しました。英連邦王国を構成する国の共和制への移行は1992年のモーリシャス以来で、今回のバルバドスの離脱で、連邦王国の構成国は15カ国になります。なお、バルバドスは今後も英連邦にはとどまる予定です。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      バルバドス・最初の切手

 これは、1852年に発行されたバルバドス最初の切手です。

 バルバドスは、カリブ海の西インド諸島にある島国で、1536年に島を訪れたポルトガルのペドロ・カンポス一行が、この島に生える木の根(苔やつる草という説もあります)をヒゲに見立てて、ポルトガル語で“ヒゲの生えたもの”を意味する“Os Barbados”と命名したのが地名の由来です。

 バルバドスに最初にやってきた西洋人は、1500年に渡来したスペイン人でしたが、スペイン、ポルトガルによる植民地化は成功せず、1627年にセントキッツ島から来た英国人ジョン・パウエルの開拓団により、本格的な植民地化がスタートします。

 郵便に関しては、1663年、ブリッジタウンに取扱所が設けられ、最初のうちは不定期便が行われていましたが、1702年、エドムンド・ダマーにより、英本国のファルマスから(1705年以降はプリマスから)ブリッジタウンまでの月に1度の定期便が開始されます。なお、ブリッジタウンから英国行きの便は月に3-4便運航されていました。

 ダマーによる定期便は、1711年に彼が破産したため中断されましたが、1745年、英本国郵政省による不定期便が復活し、1760年代からは“Barbadoes”と表示された郵便印の使用も始まります。その後、1851年8月1日、バルバドス島内の通信に関しては植民地の立法府が担当することになったため、バルバドスでも独自の切手が発行されることになりました。

 切手は、製造コストを抑えるため、他の英領植民地のモーリシャストリニダードと同じ版を使い、地名など文字部分のみを変更するスタイルが採られ、ぺ二ーブラックの原画を制作したヘンリー・コーボールド(コーバウルドとも)が原画を制作し、同じくペニーブラックの原版を彫刻したフレデリック・ヒースが原版彫刻を担当します。

 この時制作された切手には額面数字の表示はなく、額面ごとに色を変えていたのが特徴で、最初に製造された緑色の半ペニー切手(今回ご紹介の切手です)と青色の1ペニー切手は、1851年12月30日、アマゾン号に搭載されて英国を出発しました。しかし、この船は事故でバルバドスには到達できなかったため、1852年1月と2月、あらためて、灰色の2ペンス切手とあわせて3種類の切手が英国から発送され、同年4月15日にバルバドスに到着。これにあわせて、同日、バルバドスの郵便局が正式にオープンし、バルバドス最初の切手が発行されました。

 当時の島内宛の郵便料金は、半オンスごとに1ペニーで、島内で発行されている新聞に関しては料金は無料、その他の印刷物は半ベニーでした。一方、英国宛の郵便物は半オンスごとに6ペンスでした。


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 12月1日から2月8日まで、計7.5時間(30分×15回)の講座です、お申し込みなどの詳細は、こちらをご覧ください。

 三鷹市生涯学習センター 「宗教と国際政治」 2022年1月10~23日
 国際紛争や諸外国のタイムリーな重大ニュースを取り上げ、その背後にある「宗教」をめぐる諸問題をじっくり解説する講座です。今回は、混迷続くアフガニスタンとその歴史に焦点を当ててお話します。お申し込みは12月11日(土)までで、ご応募多数の場合は抽選になります。詳細はこちらをご覧ください。


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      切手でたどる郵便創業150年の歴史②表紙 2530円(本体2300円+税)

 明治4年3月1日(1871年4月20日)にわが国の近代郵便が創業され、日本最初の切手が発行されて以来、150年間の歴史を豊富な図版とともにたどる3巻シリーズの第2巻。まずは、1945年の第二次大戦終戦までの時代を扱った第1巻に続き、第二次大戦後の1946年から昭和末の1989年までを扱っています。なお、2022年3月刊行予定の第3巻では平成以降の時代を取り扱う予定です。

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