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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 レスリングの藤波朱理が金、セーリングの岡田・吉岡組が銀
2024-08-09 Fri 05:02
 現在開催中のパリ五輪は、現地時間8日、レスリング女子フリースタイル53キロ級の藤波朱理が金、セーリング混合470級の岡田奎樹・吉岡美帆組が銀メダルを獲得しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      オランダ・アムス五輪(セイリング)

 これは、1928年3月28日、オランダが開催国として発行したアムステルダム五輪切手のうち、セーリングを取り上げた5セント切手です。セーリング(ヨット競技)を取り上げた切手としては、世界で最初の1枚とされています。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 8月9日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 8月10日(土) 13:30~  本当は恐ろしい!こわい切手
 よみうりカルチャー荻窪にて、拙著『本当は恐ろしい!こわい切手』からの選りすぐりのエピソードを中心にお話しします。詳細はこちらをご覧ください。

 8月13日(火) 10:00~ ニッポンジャーナル
 インターネット番組「ニッポンジャーナル」に内藤藤がコメンテーターとして出演の予定です。皆様、よろしくお願いします。

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。

 謀略の世界史 原則毎月第1土曜日 13:00~14:30
 MI6、CIA、モサドなど各国の情報機関のあらましや、現代史の中で彼らが実際に関与した事件などを幅広くご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。

 武蔵野大学のWeb講座 
 大河企画の「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」、引き続き開講中です。詳細はこちらをご覧ください。 

 「龍の文化史」、絶賛配信中です。龍/ドラゴンにまつわる神話や伝説は世界各地でみられますが、想像上の動物であるがゆえに、それぞれの物語には地域や時代の特性が色濃く反映されています。世界の龍について興味深いエピソードなどを切手の画像とともにご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。

 ★ 『切手もの知り図鑑 一番切手50のエピソード』 好評発売中!★

      切手もの知り図鑑 一番切手50のエピソード

 「動物と植物」「科学技術」「社会と文化」「神話/伝説と宗教」の4章立てで、犬、猫、宇宙開発、飛行機、クリスマスといったテーマで、初めて描かれた切手図案にまつわる秘話、思いがけない発行に至る背景に加え、シーラカンスやテレビ、警察官、タトゥー、髑髏といった、あっと驚く意外なテーマの一番切手も登場します!

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 NATO次期事務総長に、ルッテ蘭首相
2024-06-27 Thu 05:44
 北大西洋条約機構(NATO)は、きのう(26日)、ことし10月に任期満了を迎えるストルテンベルグ事務総長の後任に、オランダのルッテ首相を選出しました。NATOの事務総長交代は10年ぶりのことです。というわけで、今日はこの切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      オランダ・NATO25年

 これは、1974年9月10日、オランダが発行したNATO創設25周年の記念切手です。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。

 * 昨日(26日)のニッポンジャーナルの内藤出演回は無事に終了しました。次回は7月8日(月)に登場の予定です。引き続きよろしくお願いします。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 6月28日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 7月4日(木) 19:00~ 日本ウイグル協会・追悼集会
 東京・四谷のTKPスター貸会議室 四谷2にて開催の緊急特別講演会「7.5ウルムチ虐殺から15年、中国のウイグル政策がどこへ向かうのか」(日本ウイグル協会主催)にて、「ウルムチ虐殺以降の中国のウイグル政策がどこに向かっているのか」と題して、内藤がお話します。参加無料。お申し込みなどの詳細はこちらをご覧ください。

 7月8日(月) 10:00~ ニッポンジャーナル
 インターネット番組「ニッポンジャーナル」に内藤藤がコメンテーターとして出演の予定です。皆様、よろしくお願いします。

 ★★★ 全日本切手展のご案内  ★★★ 

 7月13-15日(土-月・祝) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)が開催されます。今回は、内藤がオスロ合意後のパレスチナ自治政府の郵便史を題材としたコレクションを展示します。展覧会の情報は全日本切手展のオフィシャルサイトなどで、随時アップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日本切手展2025

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。

 謀略の世界史 原則毎月第1土曜日 13:00~14:30
 MI6、CIA、モサドなど各国の情報機関のあらましや、現代史の中で彼らが実際に関与した事件などを幅広くご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。

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 「龍の文化史」、絶賛配信中です。龍/ドラゴンにまつわる神話や伝説は世界各地でみられますが、想像上の動物であるがゆえに、それぞれの物語には地域や時代の特性が色濃く反映されています。世界の龍について興味深いエピソードなどを切手の画像とともにご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。

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 「動物と植物」「科学技術」「社会と文化」「神話/伝説と宗教」の4章立てで、犬、猫、宇宙開発、飛行機、クリスマスといったテーマで、初めて描かれた切手図案にまつわる秘話、思いがけない発行に至る背景に加え、シーラカンスやテレビ、警察官、タトゥー、髑髏といった、あっと驚く意外なテーマの一番切手も登場します!

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 オランダ国立ホロコースト博物館、新装オープン
2024-03-11 Mon 02:58
 2021年8月から改修工事が行われていたアムステルダムの国立ホロコースト博物館で、きのう(10日)イスラエルによるガザ地区への攻撃に反対する数千人規模のデモが行われる中、オランダのアレキサンダー国王、イスラエルのヘルツォグ大統領らが臨席して新装開館の記念式典が行われました。というわけで、今日はこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アムステルダムからIGファルベン宛19430630

 これは、1943年6月30日、ドイツ占領下のアムステルダムから、モノヴィッツ(モノヴィツェ)のアウシュヴィッツ第3収容所に隣接していたイーゲー・ファルベン(IGファルベン)社宛のカバーで、1941年に発行された鳩と数字のデザインの10セント切手が貼られています。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。

 また、アウシュヴィッツとその郵便物については、拙著『アウシュヴィッツの手紙 改訂増補版』でもまとめております。同書につきましては、 オンラインサロン・内藤総研にて会員の方向けにサイン本の割引販売も行っておりますので、よろしかったら、こちらで会員登録(無料会員でも可)の上、ご利用いただけると幸いです。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 3月11日(月) 10:00~ ニッポンジャーナル
 インターネット番組「ニッポンジャーナル」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。皆様、よろしくお願いします。

 3月22日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
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 大河企画の「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」、引き続き開講中です。詳細はこちらをご覧ください。 

 「龍の文化史」、絶賛配信中です。龍/ドラゴンにまつわる神話や伝説は世界各地でみられますが、想像上の動物であるがゆえに、それぞれの物語には地域や時代の特性が色濃く反映されています。世界の龍について興味深いエピソードなどを切手の画像とともにご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。


 ★ 『今日も世界は迷走中』 オーディオブックに! ★

      今日も世界は迷走中audible

 拙著『今日も世界は迷走中』がAmazonのオーディオブック“Audible”として配信されました。会員登録すると、最初の1冊は無料で聴くことができます。お申し込みはこちらで可能です。

★ 『龍とドラゴンの文化史』 好評発売中!★

      龍とドラゴンの文化史・帯なし

 辰年にちなんで、中国 の龍を皮切りに、 日本 、朝鮮、琉球、東南アジア、キリスト教世界など、世界の龍について、そのベースとなる文化史や興味深いエピソードなどを切手とともにご紹介します。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 オランダ総選挙、“反移民”の自由党が第一党に
2023-11-24 Fri 04:30
 おととい(22日)、投開票が行われたオランダ下院の総選挙で、反移民・反EUを掲げる自由党が改選前から20議席増やして37議席を獲得し、第1党の座を確実にしました。ただし、オランダ下院の定数は150議席で過半数に達した政党がないため、今後、自由党は他党との連立を協議する必要があります。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      オランダ・下院新議事堂(1992)

 これは、1992年4月28日にオランダが発行した“オランダ王立建築家協会150周年”の記念切手のうち、同年完成の国会下院議事堂を取り上げた1枚です。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 11月24日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 12月6日(水) 10:00~ ニッポンジャーナル
 インターネット番組「ニッポンジャーナル」に内藤がゲスト出演の予定です。皆様、よろしくお願いします。

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。

 謀略の世界史 12/9、1/6、2/3、3/2 13:00~14:30
 MI6、CIA、モサドなど各国の情報機関のあらましや、現代史の中で彼らが実際に関与した事件などを幅広くご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。

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 「龍の文化史」、絶賛配信中です。龍/ドラゴンにまつわる神話や伝説は世界各地でみられますが、想像上の動物であるがゆえに、それぞれの物語には地域や時代の特性が色濃く反映されています。世界の龍について興味深いエピソードなどを切手の画像とともにご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。


★ 『今日も世界は迷走中』 好評発売中!★

      今日も世界は迷走中

 ウクライナ侵攻の裏で起きた、日本の運命を変える世界の出来事とは!内藤節炸裂。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 「アンネの日記」密告者を特定か
2022-01-18 Tue 09:29
 米連邦捜査局(FBI)の元捜査官や歴史家ら約20人で構成する研究チームは、きのう(17日)までに、「アンネの日記」のアンネ・フランク一家が1944年8月、オランダ・アムステルダムの隠れ家で発見されたのは、ユダヤ人公証人のアーノルト・ファンデンベルフが自分の家族を守るために密告したことによる可能性が極めて高いと発表しました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アムステルダムからアウシュヴィッツ宛書留(1942)

 これは、1942年8月3日、ドイツ占領下のアムステルダムから、モノヴィッツ(モノヴィツェ)のアウシュヴィッツ第3収容所に隣接していたイーゲー・ファルベン社(以下、IGファルベン)監査部宛の書留便で、1941年に発行された鳩と数字のデザインの20セント切手が貼られています。

 アウシュヴィッツ収容所のうち、ビルケナウの第2収容所がユダヤ人等の虐殺に力点を置いていた“絶滅収容所”の性格が強かったのに対して、第1収容所から約7キロ東のモノヴィッツにあったIGファルベンの工場に隣接して第3収容所は、収容者の安価な労働力を工場に動員するための施設でした。

 IGファルベンは、第一次大戦後の1925年、ドイツの6大化学工業会社であるバーディッシュ・アニリン・ウント・ソーダ工業(現バスフ=BASF)、フリードリヒ・バイエル染料(現バイエル)、アグファ(現アグファ・ゲバルトの前身)、ワイラー・テル・メール化学、グリースハイム・エレクトロン化学工業、ヘキスト染料(現ヘキスト)の合同により生まれたトラストで、社名のIGは“利益共同体”の意味です。本社はフランクフルト・アム・マインにあり、資本金は11億マルクでした。

 ヒトラー政権が誕生する以前の1932年頃からナチスに接近し、ヒトラーが政権を掌握した後は、4ヵ年計画庁に技術者として多くの人材を送り込み、政権との関係を強化。1939年の第二次大戦勃発以降は戦争にも積極的に協力し、ユダヤ人の大量虐殺に使われた毒ガス、ツィクロンBは子会社のデゲッシュがパテントを有していました。

 IGファルベンとアウシュヴィッツとの密接な関係は、1941年1月、同社の役員だったオットー・アンブロスが現地を視察し、アウシュヴィッツ東郊のソワ川とヴィスワ川の合流地点に、700万マルクを投じて年間3万トンの生産能力を有する合成ゴム工場BUNAを建設することを決定したところから始まります。ちなみに、アウシュヴィッツ第1収容所でツィクロンBの人体実験が行われたのは、1941年9月のことでした。

 工場の建設は、私企業としてのIGファルベンの経済活動として進められましたが、ドイツ政府はこの計画を積極的に支援し、該当する土地から住民を退去させること、第1収容所から8000-1万2000人の労働者・作業員を派遣することを決定。3月下旬には、IGファルベンと収容所を管理していた親衛隊との間で協議が行われ、IGファルベンが未熟練労働者1人につき3マルク、熟練労働者1人につき4マルクを支払うこと、収容者の労働時間についても、夏季は1日10-11時間、冬季は1日9時間とすることが決められました。

 これを受けて、1941年4月7日、アウシュヴィッツ第1収容所の収容者たちを動員してのBUNAの建設作業が始まり、1942-44年にかけて、IGファルベンのほか、クルップやシーメンスなど、ドイツを代表する大企業の製造プラントなどに付随して、大小あわせて40の収容施設が作られ、多くの収容者が過酷な労働に従事させられました。これが、モノヴィッツの第3収容所です。

 さて、今回ご紹介のカバーは、そのモノヴィッツ宛にドイツ占領下のアムステルダムから発信されたもので、“C”の文字が入った印が押されていることから、“経由地のケルンで開封・検閲されていることがわかります。

 1940年5月15日に降伏したオランダでは、17日にドイツの占領行政が始まり、28日、合邦前の最後のオーストリア首相で1939年10月からはポーランド総督府副総督を務めていたアルトゥル・ザイス=インクヴァルトが“占領地オランダの国家弁務官”として赴任。同弁務官の下、ハーグに置かれたドイツ政府占領行政機関が直接に統治しました。この間、ウィルヘルミナ女王や首相は英国へ亡命しましたが、郵便を含むオランダ官僚機構はそのまま残されており、オランダ人官僚の多くはドイツの占領行政に協力的でした。

 なお、この辺りの事情については、拙著『アウシュヴィッツの手紙 改訂増補版』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内★

 1月24日(月) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。

 2月15日(火) 19:00~ 内藤陽介×掛谷英紀オンライントークイベント
 掛谷英紀先生と2022年の“世界”を語る『読書人』のオンラインイベントです。お申し込みなどの詳細は、こちらをご覧ください。

 武蔵野大学のWeb講座 2021年12月1日~2022年2月8日
 「日本の歴史を学びなおす― 近現代編その1 ― 黒船来航」

 12月1日から2月8日まで、計7.5時間(30分×15回)の講座です。お申し込みなどの詳細は、こちらをご覧ください。


★ 『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.2 戦後編』 好評発売中! ★

      切手でたどる郵便創業150年の歴史②表紙 2530円(本体2300円+税)

 明治4年3月1日(1871年4月20日)にわが国の近代郵便が創業され、日本最初の切手が発行されて以来、150年間の歴史を豊富な図版とともにたどる3巻シリーズの第2巻。まずは、1945年の第二次大戦終戦までの時代を扱った第1巻に続き、第二次大戦後の1946年から昭和末の1989年までを扱っています。なお、2022年3月刊行予定の第3巻では平成以降の時代を取り扱う予定です。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 

 ★★ 書籍無料ダウンロードを装った違法サイトにご注意ください!★★

 最近、拙著『切手でたどる郵便創業150年の歴史』をPDF化して、無料でダウンロードできるかのように装い、クレジットカード情報を盗み取ろうとする違法サイトの存在が確認されました。

 この種のサイトは多種多様な出版物を無許可で取り扱っているものと思われます。

 内藤および拙著の出版元・販売元ではこのような行為は一切認めておらず、フィッシング詐欺等に巻き込まれる可能性もありますので十分ご注意ください。

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 ワッデン海を称えて
2021-06-30 Wed 02:49
 検索サイト・グーグルのトップのロゴ(ドゥードゥル)が、きょう(30日)は「ワッデン海を称えて」として、同海をイメージしたデザインになっていました。(以下、画像はクリックで拡大されます)   

      ドゥードゥル(ワッデン海を讃えて)

 というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。

      オランダ。ワッデン海(2003)

 これは、2003年5月6日、オランダが発行した“ワッデン海の生物”の切手シートです。

 ワッデン海はオランダのデン・ヘルデルからドイツを経てデンマークのスカリンゲンまでの全長約500km、約1万平方キロの水域および関連する海岸の湿原で、その名前は、干潟を意味するオランダ語の“wad”に由来しています。特に、オランダ領の部分は遠浅になっており、約6時間ごとに干潮と満潮が繰り返されるため、干潮時には遠い沖まで、海の中を歩いて行くことが可能です。

 今回ご紹介の切手シートに描かれているように、激しい潮流によって形成された干潟や深い溝、群島には、ゼニガタアザラシをはじめ。さまざまな動植物が生息しており、1987年5月には全体の約15ヘクタールがラムサール条約の登録湿地となりました。その保護と保存のために、1997年、オランダ、ドイツ、デンマークで三国間ワッデン海計画が採択されており、2009年には干潟がユネスコの世界遺産にも登録されています。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内★

 7月3日(土)~ 武蔵野大学の生涯学習講座
 7月3日・10日・17日・24日・31日、8月7日の6回、下記のふたつの講座でお話しします。 

 13:00~14:30 「日本の郵便150年の歴史 その1 ―“大日本帝国”時代の郵便事情―」
 15:15~16:45 「東京五輪と切手ブームの時代 ―戦後昭和社会史の一断面―」
 対面授業、オンラインのライブ配信、タイム・フリーのウェブ配信の3通りの形式での受講が可能です。お申し込みを含め、詳細については、こちらをクリックしてご覧ください。

 7月5日(月) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。


★ 『誰もが知りたいQアノンの正体』 好評発売中! ★

      誰もが知りたいQアノンの正体 1650円(本体1500円+税)

 出版社からのコメント
 なぜQアノンにみんなハマったのか?
 ネットならではの引き寄せ構造と、現代格差社会の生んだ分かりやすい解釈。
 これは米国だけじゃない!
 人はみんなQを求めている!? (笑)

 * 編集スタッフの方が個人ブログで紹介してくれました。こちらをご覧ください。

 ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 

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 ローラアシュレイ破綻
2020-03-18 Wed 03:08
 英国の生活雑貨ブランド、ローラアシュレイは、きのう(17日)、管財人の傘下に入り経営破綻することになったことを明らかにしました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      オランダ・ローラアシュレイMS

 これは、1992年3月10日、オランダ南部のフェルドホーフェンのローラアシュレイの店舗からアペルドールン宛に差し出された郵便物で、同社の広告入りメータースタンプが使われているのがミソです。

 ローラアシュレイは、1953年、バーナードとローラのマウントニー夫妻が創業しました。

 1949年の結婚後、ローラはロンドンのピムリコで働きながら2人の子どもを育てる傍ら、ナプキンやテーブルマット、ティータオルをデザインをし、これを夫のバーナードが自作の機械を使ってプリントしていました。

 1953年、ローラはヴィクトリア・アンド・アルバート博物館で開催された手工芸品の展覧会に触発され、プリント柄布地の生産を決意。自らの旧姓を冠した“アシュレイ・マウントニー”を立ち上げ、ヴィクトリア朝スタイルのスカーフの生産を開始しました。

 奇しくも、同年、オードリー・ヘプバーンが映画『ローマの休日』で着用していたヘッドスカーフが世界的に流行したことから、アシュレイ夫妻のスカーフも人気を集め、経営の基礎を確立。正式な会社組織となるにあたって、「扱う商品を考えると女性の名前を使ったほうがいい」とのバーナードの提案により、社名もローラアシュレイに変更されました。

 1955年、ローラアシュレイ社はケントに移転しましたが、1958年の洪水によって機械設備や材料が大きな被害を受けたこともあり、1961年にローラの故郷でもあるウェールズに移転。1966年には、長い丈のシルエットを特色とする社交用ドレスの生産も開始すると、折からのロングスカートの流行により、会社の業績はさらにアップし、1970年までには年間30万ポンドの売り上げを誇るまでに成長しました。

 ロンドンでは、1968年、ローラ アシュレイの1号店がサウス・ケンジントンにオープン。その後、国内ではイングランド中西部のシュルーズベリーとバースに店舗を開業したのに加え、1974年にはパリおよびサンフランシスコにも出店。この間、1971年にはオーストラリア、カナダ、日本の百貨店などでも商品の販売が始まり、1975年までに、ローラアシュレイ社は全世界で1000人以上を雇用する巨大企業になりました。

 この功績により、1977年、英国政府はローラに大英帝国勲章 (OBE) 授与の申し出ましたが、彼女は、バーナードに対する褒賞がなかったことを理由に受章を辞退。このため、英国女王賞(貿易部門)を受賞しています。また、1979年からは香水の販売も開始。その後は、家庭用品の分野にも進出しました。

 1985年、ローラが60歳で亡くなると、会社は株式の公開に踏み切りましたが、この頃から、ローラアシュレイのデザインは流行遅れとなって業績は低迷。さらに、過剰な出店と高コスト化が経営を圧迫したため、1989年には赤字転落。そこで、1991年、米国人のジェームズ・マクスミンがCEOに就任して経営再建に乗り出し、フェデラル・エクスプレスとの提携により配送システムを一新したことで、1992年には黒字を回復しました。

 ところが、1994年、マクスミンがバーナードとの意見の対立からCEOを辞任。その後も、短期間のうちにCEOが交代するなど経営は迷走し、1997年には深刻な危機に陥りましたが、1998年5月、マレーシアの企業グループMUI Asiaが筆頭株主となり、2006年1月にCEOに就任したリリアン・タンは、商品ラインアップの中で家庭用品が最も利益を上げていることを踏まえ、店舗では衣料品スペースを削って家庭用品に回すなどの変革を行い、業績も回復しました。

 それでも、近年は、イケアやザラなどの低価格ライフスタイルブランドが多く登場したことにくわえ、従来からの客層が高齢化したことなどから業績は低落傾向が続き、2019年6月期のグループ売上高は前期比9.6%減の2億3250万ポンド(約302億円)、税前法定損益は1430万ポンド(約18億円)の赤字となっていました。

 そこへ、年初からの新型コロナウイルス問題による客数の減少と売上げの低迷が追い打ちとなり、親会社のヒルコ・キャピタルなどから運転資金を確保するための交渉も不調に終わったため、ついに2700人のスタッフを抱えての営業継続は困難との判断から、今回の経営破綻に至ったというわけです。

 ちなみに、今回の経営破綻に関して、英スカイニュースは「コロナウイルスによる小売業の初めての犠牲」と報じていますが、昨年10月の消費増税でそもそも景気が冷え込んでいたわが国にとっても、ウイルスがとどめの一撃となっての大型倒産は十分に考えられるだけに、他人事とは思えませんね。


★★ イベント・講座等のご案内 ★★

 今後の各種イベント・講座等のご案内です。詳細については、イベント名・講座名をクリックしてご覧ください。

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 宗教と国際政治
 毎月第1火曜日 15:30~17:00
 3/31、4/7、5/5、6/2、7/7、8/4、9/1(1回のみのお試し受講も可)

★★  内藤陽介の最新刊 『日韓基本条約』 ★★

      日韓基本条約・表紙 本体2000円+税

 出版社からのコメント
 混迷する日韓関係、その原点をあらためて読み直す!
 丁寧に読むといろいろ々発見があります。

 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 オランダ人の握手
2020-03-12 Thu 02:10
 ヨーロッパでも新型ウイルスの感染が広がる中、オランダのルッテ首相が記者会見で感染拡大を防ぐため“握手自粛”を呼び掛けた直後、うっかり保健当局者と握手してしまう一場面が放送されてしまい、話題になっています。というわけで、きょうはこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      オランダ・ユトレヒト同盟400年

 これは、1979年にオランダが発行した“ユトレヒト同盟400年”の記念切手で、7本の矢を束ねる握手を描いた同盟の紋章が取り上げられています。

 15世紀末、スペインを本拠とするハプスブルク家はベネルクス地方を領土として獲得し、住民に重税を課していました。こうした中で、16世紀に入って宗教改革が起こると、主に現在のオランダ地域を中心とするネーデルランド北部地方ではカルヴァン派が多数を占めるようになり、カトリックのスペインと対立。このため、1568年、ネーデルラント諸州は有力貴族オラニエ公ウィレム1世を先頭に、スペインに対する反乱を起こしました。いわゆるオランダ独立戦争です。

 その後、1576年にはヘントの和約が締結され、カトリックとプロテスタントの融和が図られたものの、1579年1月23日、北部のプロテスタント7州はユトレヒトで同盟が結び(ユトレヒト同盟)、各州に自治権があることに合意するとともに、信仰の自由を原則とし、あらためてスペインとの対決を決意しました。同盟諸国は、最終的に1648年のヴェストファーレン条約で独立を承認されたことから、ユトレヒト同盟はオランダ国家の原点とされています。

 さて、今月9日、ルッテ首相は国立公衆衛生研究所の所長とともに記者会見し、「これからは握手をやめて、代わりに足と足や、肘タッチなどで挨拶しよう。学校では、握手以外の実用的な方法を教えている。なので、これからは握手をやめよう」と話していましたが、会見終了後、つい所長と握手。首相はすぐ間違いに気付き、所長と慌てて肘タッチで挨拶するとともに、「あ、ごめんごめん、もう握手はだめなんだった。やり直し、やり直し」、「つい、くせで。もうやっちゃだめだよ」と弁解していました。

 もっとも、オランダという国は、その起源となったユトレヒト同盟からして“握手”を紋章のデザインにしていますからねぇ。ルッテ首相ならずとも、400年以上続いた習慣を“自粛”するのは、日本人にお辞儀をするなというくらい、難しいことなんじゃないかなぁ。


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 二の酉
2019-11-20 Wed 00:04
 きょう(20日)は二の酉です。というわけで、一の酉の時と同様、最新の拙著『アウシュヴィッツの手紙 改訂増補版』の早期重版を祈念して、同書で取り上げた“鳥”のマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      オランダからモノヴィッツ宛
      オランダからモノヴィッツ宛・裏面
 
 これは、1944年9月2日、ドイツ占領下のアムステルダムからアウシュヴィッツ第3収容所(モノヴィッツ)に隣接していたイーゲー・ファルベン社(以下、IGファルベン)監査部宛のカバーで、1941年に発行された鳩と数字のデザインの10セント切手が貼られています。

 アウシュヴィッツ収容所のうち、ビルケナウの第2収容所がユダヤ人等の虐殺に力点を置いていた“絶滅収容所”の性格が強かったのに対して、第1収容所から約7キロ東のモノヴィッツにあったIGファルベンの工場に隣接して第3収容所は、収容者の安価な労働力を工場に動員するための施設でした。

 IGファルベンは、第一次大戦後の1925年、ドイツの6大化学工業会社であるバーディッシュ・アニリン・ウント・ソーダ工業(現バスフ=BASF)、フリードリヒ・バイエル染料(現バイエル)、アグファ(現アグファ・ゲバルトの前身)、ワイラー・テル・メール化学、グリースハイム・エレクトロン化学工業、ヘキスト染料(現ヘキスト)の合同により生まれたトラストで、社名のIGは“利益共同体”の意味です。本社はフランクフルト・アム・マインにあり、資本金は11億マルクでした。

 ヒトラー政権が誕生する以前の1932年頃からナチスに接近し、ヒトラーが政権を掌握した後は、4ヵ年計画庁に技術者として多くの人材を送り込み、政権との関係を強化。1939年の第二次大戦勃発以降は戦争にも積極的に協力し、ユダヤ人の大量虐殺に使われた毒ガス、ツィクロンBは子会社のデゲッシュがパテントを有していました。

 IGファルベンとアウシュヴィッツとの密接な関係は、1941年1月、同社の役員だったオットー・アンブロスが現地を視察し、アウシュヴィッツ東郊のソワ川とヴィスワ川の合流地点に、700万マルクを投じて年間3万トンの生産能力を有する合成ゴム工場BUNAを建設することを決定したところから始まります。ちなみに、アウシュヴィッツ第1収容所でツィクロンBの人体実験が行われたのは、1941年9月のことでした。

 工場の建設は、私企業としてのIGファルベンの経済活動として進められましたが、ドイツ政府はこの計画を積極的に支援し、該当する土地から住民を退去させること、第1収容所から8000-1万2000人の労働者・作業員を派遣することを決定。3月下旬には、IGファルベンと収容所を管理していた親衛隊との間で協議が行われ、IGファルベンが未熟練労働者1人につき3マルク、熟練労働者1人につき4マルクを支払うこと、収容者の労働時間についても、夏季は1日10-11時間、冬季は1日9時間とすることが決められました。

 これを受けて、1941年4月7日、アウシュヴィッツ第1収容所の収容者たちを動員してのBUNAの建設作業が始まり、1942-44年にかけて、IGファルベンのほか、クルップやシーメンスなど、ドイツを代表する大企業の製造プラントなどに付随して、大小あわせて40の収容施設が作られ、多くの収容者が過酷な労働に従事させられました。これが、モノヴィッツの第3収容所です。

 さて、今回ご紹介のカバーは、そのモノヴィッツ宛にドイツ占領下のアムステルダムから発信されたもので、裏面に押されている国章入りの印に“C”の文字が入っていることから、“経由地のケルンで開封・検閲されていることがわかります。

 1940年5月15日に降伏したオランダでは、17日にドイツの占領行政が始まり、28日、合邦前の最後のオーストリア首相で1939年10月からはポーランド総督府副総督を務めていたアルトゥル・ザイス=インクヴァルトが“占領地オランダの国家弁務官”として赴任。同弁務官の下、ハーグに置かれたドイツ政府占領行政機関が直接に統治しました。この間、ウィルヘルミナ女王や首相は英国へ亡命しましたが、郵便を含むオランダ官僚機構はそのまま残されており、オランダ人官僚の多くはドイツの占領行政に協力的でした。

 ところで、1928年11月以降、オランダの郵便料金体系では、国内宛の書状基本料金は、市内便が5セント、市外宛が7セント半、外信便は一般には12セント半でしたが、ベルギー宛は10セントの割引料金が適用されていました。この料金体系は、原則として、1940年5月以降のドイツ占領下でもそのまま継承されています。ただし、ドイツ宛の郵便物に関しては、占領以前は一般の外国宛として12セント半でしたが、占領後の1940年8月2日から1945年5月の終戦まで、ドイツおよびその占領地域宛の郵便物はベルギー宛と同様の割引料金が適用され、10セントとなりました。このため、今回ご紹介のも、“ドイツ・アウシュヴィッツ宛”として、1941年に発行された10セント切手1枚が貼られているわけです。


★ 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★

 11月22日(金)05:00~  文化放送で放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


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 12月以降の各種講座等のご案内です。詳細については、各講座名をクリックしてご覧ください。

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 12/3、1/7、2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可)

日本史検定講座(全8講)
 12月13日(日)スタート!
 内藤は、全8講のうち、2月20日の第6講に登場します。

・武蔵野大学生涯学習秋講座 
 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年―
 2019年12月15日(日) 
 (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 )



★ 最新作 『アウシュヴィッツの手紙 改訂増補版』 11月25日発売!★

       (増補改訂版)アウシュヴィッツの手紙・表紙  本体2500円+税(予定)
 
 出版社からのコメント
初版品切れにつき、新資料、解説を大幅100ページ以上増補し、新版として刊行。独自のアプローチで知られざる実態に目からウロコ、ですが淡々とした筆致が心に迫る箇所多数ありです。

 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


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 バンドンに到着しました!
2017-08-02 Wed 04:33
 おかげさまで、昨晩、ジャカルタ経由でバンドンに到着しました。というわけで、まずは無事の到着を祝して、この1点です。(画像はクリックで拡大されます)

      オランダ・バタヴィア=スラバヤ夜間急行

 これは、1936年10月23日、アムステルダムからバンドン宛に差し出された郵便物で、空路でバタヴィア(現ジャカルタ)到着後、バタヴィア=スラバヤ間の夜間高速鉄道の第1便で陸路バンドンまで運ばれたのがミソです。僕も、空路でジャカルタ入りした後、バンドンまでは陸路での移動でしたので、それにちなんで持ってきてみました。カバーの左下に夜間急行鉄道の初便で運ばれたことを示すカシェが押されているのがミソです。

 バタヴィア=スラバヤ間の高速鉄道の定期運行は1929年5月1日に始まりました。当時の両都市間の所要時間は11時間27分です。夜間急行( Nacht-Expres )の運行が始まったのは、今回ご紹介のカバーのカシェにあるように、1936年11月1日のことで、21時にバタヴィアを出発し、翌朝5時にスラバヤに到着するというスケジュールでした。単純に所要時間だけを考えると、日中の列車の11時間27分の方が短いのですが、冷房も完備されていない時代のことゆえ、日中の日差しと湿気の中の移動というのはかなりの難行でしたから、観光客の間では、涼しい中で移動できる夜間特急の方が人気があったようです。

 さて、今回の切手展の作品搬入ですが、飛行機の預け荷物は重量制限があり、スーツケースの容量ギリギリまで作品を入れることは不可能なので、コミッショナー預かりの作品は、衣類などと一緒に分散して預けています。また、同行された出品者の方は、それぞれ、御自身のスーツケースに作品を入れて来られます。通関手続きの際には、それらをまとめて、作品専用のスーツケースに収めることが要求されますので、まずは、ジャカルタ到着後、まずは、空港で日本からの出品作品を作品専用のスーツにまとめる作業を行いました。そのうえで、作品のみが入っているスーツケースを、担当者が下の画像のように封印します。今回の日本からの出品は文献を除いて21点。スーツケース3つ分になりました。

      ジャカルタ空港・スーツケース封印

 封印されたスーツケースは、現在、下の画像のように保税倉庫となっているホテルの一室に運び込まれています。日本からの作品が入っているのは左端からのスーツケース3個です。

       バンドン展作品・保税倉庫

 僕たちのホテル到着は1日22:00頃で、その日のうちに通関手続きを行うのは無理だったので、きょう(2日)は、まず、09:00に保税倉庫に行ってスーツケースを開けて通関手続きを行い、それが終わったら展示作業に取り掛かるという段取りです。何分にも、相手のあることなので、どのくらい時間がかかるかは読めないのですが、明日からの会期を前に、夕方からは作品の審査も始まるということなので、なんとかそれまでに、作業を完了させたいものです。


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  ★★★ 

 7月27日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第6回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、高校野球があるため、少し間が開いて8月24日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、27日放送分につきましては、8月3日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。

 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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 出島に130年ぶりの橋
2017-02-27 Mon 21:18
 江戸時代、海外との貿易拠点だった長崎市の出島に、当時と同じように橋を渡って往来できるよう、きょう(27日)、およそ130年ぶりに新しい橋が架けられました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      オランダ・出島(2014)

 これは、2014年にオランダで発行された“日蘭友好”の記念切手のうち、1824年に出島出入絵師の川原慶賀が描いた出島の絵が取り上げられています。

 出島は、もともと、江戸幕府がポルトガル人を管理するため、長崎の有力者に命じて作らせた扇型の島で、1636年に完成。面積は約1.5 ha で、建設費銀200貫目(約4000両)については、門・橋・塀などは幕府が出資し、それ以外は25人の有力者(出島町人)が出資しました。

 1638年、島原の乱を鎮圧した幕府がカトリック諸国との関係断絶を真剣に考えるようになると、翌1639年、オランダ商館長のフランソワ・カロンはポルトガルとの関係の断絶を幕閣に訴え、オランダがポルトガルに代わって、日本が求める輸入品を確実に提供できると主張。その後、幕府はポルトガルとの関係を断絶しても経済的に支障がないことを確認したうえで、ポルトガル人を出島から退去させます。

 この結果、出島は無人状態となったため、出島築造の際に出資した出島町人の不満を抑えるべく、1641年、それまで平戸にあったオランダ商館が出島に移され、出島にはオランダ人が居住することになりました。

 以後、長崎には毎年2隻のオランダ船がバタヴィアからバンカ海峡、台湾海峡などを経て、7 - 8月ごろ来航し、その年の11-12月に帰路につくというスケジュールが定着。船の停泊中は出島には多くのオランダ人が滞在していましたが、それ以外の期間には商館長(カピタン)以下、出島に住んでいたオランダ人は15人前後で、いずれも、許可なく出島の外に出ることは禁じられていました。また、これとは別に、100人以上の日本人も出島で働いていました。

 ちなみに、1797年、ナポレオン戦争でオランダ本国がフランスに占領されると、1809年までに米国船がオランダ国旗を掲げて出島での貿易を行っています。また、ナポレオン戦争の影響で、オランダ本国がフランスに併合され、バタヴィアが英国の占領下に置かれていた期間は、オランダ本国から出島への連絡が途絶えたため、幕府が在留オランダ人に対して生活物資を提供。ナポレオン戦争後の1815年にネーデルランド王国が成立するまでの5年間は、出島のみが全世界で唯一オランダ国旗が翻る場所となっていました。

 1854年、マシュー・ペリーの再来航により日米和親条約が結ばれると、翌1855年、これに倣って日蘭和親条約が締結され、オランダ人の長崎市街への出入りが許可されます。これを受けて、1856年には出島開放令が発せられ、さらに1859年には、出島のオランダ商館も閉鎖され、海外貿易の窓口としての出島の機能は事実上、終了しました。

 明治維新後の出島は、中島川河口の工事によって島の北側部分が削られたことにくわえ、港湾改良工事により周辺が埋め立てられ、“島”ではなくなっていましたが、1951年以降、長崎市が復元整備を開始。1996年からは出島内の建物の復元も進められていました。

 かつて、出島唯一の出入り口だった橋は5m ほどの石橋ですが、現在、出島地区は国の史跡に指定されていることから土台工事ができないため、今回の新橋は、出島側に重さをかけずバランスをとる特殊な鉄製の橋となり、長さも38mになりました。今後、橋は床材を張り、手すりや照明を整備して、11月下旬には通行できるようになる予定だそうです。


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 ディック・ブルーナ、亡くなる
2017-02-18 Sat 11:26
 ウサギのキャラクター“ミッフィー(母国オランダでの名称はナインチェ・プラウス)”の生みの親であるオランダの作家、イラストレーターのディック・ブルーナ氏(以下、敬称略)が、老衰のため、きのう(16日)、ユトレヒトで亡くなりました。享年89歳。謹んで、ご冥福をお祈りいたします。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      オランダ・ブルーナ(1969)

 これは、1969年11月11日にオランダが発行した児童福祉切手で、ヴァイオリンを弾く少女を描くブルーナのイラストが取り上げられています。ブルーナのイラストは、母国オランダのみならず、日本でも何度か切手に取り上げられていますが、その最初となったのが、今回ご紹介の切手を含む1969年のオランダ児童福祉切手です。

 さて、ブルーナは、1927年8月23日、オランダのユトレヒト市で、出版社“A・W・ブルーナ&ズーン(以下ブルーナ社)”を経営する父アルバートと母ヨハナのもとに生まれました。

 幼少時から絵を描くことが好きで、中学生時代、レンブラントやファン・ゴッホの作品に強い衝撃と感銘を受けたことで、ブルーナ社のデザイナーの下で、絵の基本を学び、油絵を描くようにりました。

 1945年にオランダがナチス・ドイツの占領から解放されると、ブルーナは画家になるべく、“後継者としての研修をするならば”との条件で父親を説得し、通っていた高校を退学。オランダの書店や、イギリス、フランスの出版社に研修に出向き、出版の基礎を学びました。

 1947年、20歳でオランダに帰国したブルーナは、経営者ではなくアーティストになることを宣言。アムステルダムの国立美術アカデミーに入学するものの、ほどなく退学し、アンリ・マティス、レイモン・サヴィニャック、カッサンドルなどのシンプルで訴求力のある作品を独学で研究し、自らのデザインスタイルを確立させていきました。

 1951年頃からはブルーナ社の専属デザイナーとして働くようになり、同社が発行するさまざまな書籍の装丁を担当します。ブルーナの装丁はシンプルで斬新なデザインスタイルで注目されたほか、彼のデザインした同社のシンボルの熊は、デザインの一部を修正して、ブラック・ベア(Zwarte Beertjes)として、読書週間のポスターなどに使用されました。

 代表作となったナインチェ・ブラウス(ミッフィー)は、1955年に発表された絵本『ナインチェ』の主人公です。『ナインチェ』は、当時は画期的な“文字のない絵本”で、子供たちの支持を獲得。この成功を受けて、ナインチェ・ブラウスを主人公とした字のある絵本も制作されるようになります。1963年以降、それらは各国語に翻訳され、1964年には日本でも石井桃子訳の『ちいさなうさこちゃん』(福音館)が刊行されました。ちなみに、日本で定着してる“ミッフィー”との名前は、1960年に英国で英訳版が発売される際に付けられた英語風の名前で、わが国では、1979年に講談社の絵本で使われたのが初出です。なお、現在でも、絵本のタイトルとしては、福音館が“うさこちゃん”、講談社が“ミッフィー”と異なる名前が使われています。

 1971年には、作品の著作権管理会社のメルシス社を設立。1975年には創作に専念するため、1975年にブルーナ社を退職します。その後は、2011年に引退するまで、社会福祉関係の仕事にも力をいれ、障害者向けの案内記号、歯の健康、献血、赤十字などの公共広告のポスター、デザインを数多く手がけました。その意味では、日本の“ふみの日”やパンのキャラクターではなく、今回ご紹介の児童福祉切手の方が、ブルーナ追悼にはふさわしいのかもしれません。 


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 元祖・名誉革命の切手
2016-12-10 Sat 15:30
 きのう(9日)、韓国の朴槿恵大統領の弾劾訴追案が可決されたことについて、朝鮮日報や中央日報など、韓国の主要メディアはこれを“(国民の)名誉革命”と報じているそうです。まぁ、流血を伴わずに現政権を(事実上)打倒したという意味なのでしょうが、“名誉革命”というと、僕などはこの切手の題材となっている方を思い出しますな。(画像はクリックで拡大されます)

      オランダ・名誉革命300年

 これは、1988年にオランダで発行された“名誉革命300年”の記念切手で、同革命で英国に渡ったオレンジ公ウィリアムと妻マリーの肖像が描かれています。

 1660年にイングランド王として即位したチャールズ2世は艶福家で庶子には恵まれていましたが、正室でポルトガルのブラガンザ王家出身の王妃キャサリンとの間には子がありませんでした。このため、弟でヨーク公のジェームズが有力な後継候補となりましたが、彼はカトリックであったことから、その王位継承に反対する人々はホイッグ党を組織しました。一方、ホイッグ党とは逆に、チャールズ2世の後継者としてヨーク公の即位を認める勢力はトーリー党を組織します。

 ちなみに、1680年、ロンドン市内とその近郊でウィリアム・ドクラが創業した郵便の戸別配達サービス(ドクラのペニー・ポスト)の大口スポンサーであったロバート・マレイはホイッグ党の有力な活動家で、ドクラのペニー・ポストには、王室郵便の利益を独占的に与えられていたヨーク公の“財布”に打撃を与えようという意図もあったとみられています。

 さて、ドクラのペニー・ポスは、創業当初こそ、初期投資の必要もあって赤字運営でしたが、1682年初頭には事業収支は黒字に転換しました。すると、この機会をとらえて、1682年11月、ヨーク公は政府を動かし、ドクラに対して、彼の事業は郵便憲章が定める郵便事業の政府独占に違反しているとして、事業の特許を放棄し、2000ポンドの罰金を支払うよう要求。さらに、ペニー・ポストの事業を無償で没収し、強引に国有化したうえで、翌12月、ドクラの組織をそのまま引き継ぐかたちで官営のペニー・ポストを再開しました。

 その後、ヨーク公は、1685年、チャールズ2世の崩御を受けて、イングランド国王ジェイムズ2世として即位します。

 即位当初、ジェイムズ2世には嫡子がなかったため、国教会派の拠点である議会も、ジェイムズ2世1代限りであればカトリックの王もやむなしという立場でしたが、1688年、王妃が王子を産むと状況は一変。次の国王もカトリックとなることは絶対に許容できないと考えた議会は、ホイッグ・トーリーの党派対立を超えて、ジェイムズ2世の後継者として、国王の長女メアリとその夫で新教徒のオランダ総督ウィレム(英語読みでオレンジ公ウィリアム)を国王として招聘し、ジェイムズ2世を王位から追放しました。

 これが、いわゆる名誉革命で、今回ご紹介の切手はここから起算して300年になるのを記念して発行されたものです。

 翌1689年、イングランド議会は「権利の宣言」を提出。ウィレムとメアリはこれを承認してウィリアム3世とメアリ2世として即位します。さらに議会は権利宣言を「権利の章典」として制定し、イングランドにおける立憲君主制が成立しました。

 こうした時代の変化を受けて、1690年以降、ドクラもペニー・ポストの考案者として、毎年500ポンドの年金を受け取れるようになり、名誉を回復。さらに、1697-1700年にはペニー・ポストの監査官も務めました。

 なお、このあたりの事情については、拙著『英国郵便史 ペニー・ブラック物語』でもご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 * 昨晩、アクセスカウンターが173万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。


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 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

       リオデジャネイロ歴史紀行(東京新聞)


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 シーボルト没後150年
2016-10-18 Tue 16:46
 江戸時代にオランダ商館医として来日し、長崎で鳴滝塾を開き西洋医学や自然科学などを教えたドイツ人の医師・博物学者、フィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト(以下、シーボルト)が、1866年10月18日に亡くなってから、きょうで150年です。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      オランダ・シーボルト

 これは、2014年、オランダが発行したシーボルトの切手です。

 シーボルトは、1796年2月17日、神聖ローマ帝国の司教領ヴュルツブルク(現バイエルン州北西部)、祖父・父ともに医学者の家系に生まれました。
1815年にヴュルツブルク大学に入学して医学を学び、1820年の卒業後、国家試験を受けてハイディングスフェルトで開業しました。

 しかし、開業医の仕事には飽きたらず、1822年7月、国王ウィレム1世の侍医の斡旋でオランダ領東インド陸軍病院の外科少佐に任じられると、同年9月、ロッテルダムから出航し、喜望峰を経由して翌1823年3月にバタヴィア近郊のヴェルテフレーデンの第五砲兵連隊付軍医に配属され、東インド自然科学調査官を兼任しました。さらに、同年6月末には日本研究を希望してバタヴィアを出航して8月に来日し、当時の日本の対外貿易窓であった長崎の出島のオランダ商館医となりました。

 来日翌年の1824年には出島外に鳴滝塾を開設し、日本各地から集まってきた多くの医者や学者に西洋医学(蘭学)を講義したほか、1825年には出島に植物園を作り、日本を退去するまでに1400種以上の植物を栽培しています。ちなみに、ジャワ島での茶の栽培は、シーボルトが日本茶の種子をジャワに送ったことがきっかけとなりました。

 1826年4月にはオランダ商館長(カピタン)の江戸参府に随行し、道中を利用して日本の地理や植生、気候や天文などを調査し、それまでに収集した博物標本6箱をライデン博物館へ送っています。

 しかし、1828年の帰国に際して、先に荷物を送った船が難破し、日本の海岸に流れ着いた積み荷の一部から、幕府禁制の日本地図が見つかり、返却を要請されたものの、それを拒否したため、出国停止処分を受けたのち、国外追放処分となりました。これがいわゆるシーボルト事件です。

 1830年、オランダに帰着した際に、シーボルトが持ち帰った収集品は、文学・民族学的資料が5000点以上、哺乳動物標本200、鳥類900、魚類750、爬虫類170、無脊椎動物標本5000以上、植物2000種、植物標本12000点という膨大なもので、ヨーロッパにおける日本研究の基礎資料となりました。

 1840年代になると、ヨーロッパ随一の日本専門家として、一方で日本の開国を促すために運動し、1844年にはオランダ国王ウィレム2世の親書を起草し、1853年にはアメリカ東インド艦隊を率いて来日するマシュー・ペリーに日本の資料を提供し、早急な対処(軍事)を行わないように要請したほか、1857年にはロシア皇帝ニコライ1世の書簡も起草しています。

 日本の開国後、1858年に日蘭修好通商条約が結ばれたことで、シーボルトに対する幕府の追放令も解除されると、翌1859年、オランダ貿易会社顧問として再来日し、1861年には対外交渉のための幕府顧問となります。その後も、欧米諸国に日本情勢についての情報を提供する一方、博物収集や自然観察なども続行し、風俗習慣や政治など日本関連のあらゆる記述を残し、1862年5月、多数の収集品とともに長崎から帰国。1866年10月18日、ミュンヘンで風邪をこじらせ敗血症を併発して亡くなりました。


★★★ イヴェントのご案内 ★★★

 10月29日(土) 13:45-15:15 ヴィジュアルメディアから歴史を読み解く

 本とアートの産直市@高円寺フェス2016内・会場イヴェントスペースにて、長谷川怜・広中一成両氏と3人で、トークイヴェントをやります。入場無料ですので、よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。(本とアートの産直市@高円寺については、主催者HPをご覧ください)


★★★ 講座のご案内 ★★★

 11月17日(木) 10:30-12:00、東京・竹橋の毎日文化センターにてユダヤとアメリカと題する一日講座を行います。詳細は講座名をクリックしてご覧ください。ぜひ、よろしくお願いします。 
 

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 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

       リオデジャネイロ歴史紀行(東京新聞)


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 世界の国々:オランダ
2015-12-30 Wed 14:58
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2015年12月30日号が先週刊行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はオランダの特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      オランダ・ハイネケン

 これは、2006年に発行された“オランダ製品”の切手帳(シール式)のうち、ハイネケンのグリーン・ボトルを取り上げた1枚です。

 オランダのビール会社ハイネケンは、1864年、ジェラルド・ハイネケンがアムステルダム最大のビール醸造所ザ・ヘイスタックを買収したのが起源です。1869年にはドイツ人技術者のウィルヘルム・フェルトマンを招き、下面発酵ビールを開始するとともに、当時としては画期的な独自の研究所システムを導入。その成果として、1873年には切手にも描かれているグリーン・ボトルの製造を開始しました。さらに、1886年、ルイ・パストゥールの弟子だったエリオン博士によって、オリジナル酵母の“ハイネケンA酵母”の分離培養に成功したことで、他社にはない独特の風味を出すことに成功しています。

 第一次大戦中の1917年、ハイネケン社の経営は、2代目のヘンリー・ハイネケンが継承。1933年には禁酒法撤廃後のアメリカに初めてビールを輸出して世界進出の発端を築きました。また、1953年に役員に就任した3代目のアルフレッド・ハイネケンは、広報戦略としてスポーツ・文化イベントを積極的に後援。その結果、ハイネケンの世界的な知名度は飛躍的に向上し、現在は世界170以上の国・地域でビールを販売し、世界第3位のシェアを誇る巨大企業になっています。

 さて、 『世界の切手コレクション』12月30日号の「世界の国々」では、江戸時代および第二次大戦中の日蘭関係についての2本の長文コラムのほか、レンブラントの「夜警」、チューリップ、風車の風景で有名なザーンセ・スカンス、哲学者スピノザ、女性の民族衣装の切手などもご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。

 なお、僕が担当する「世界の国々」は、次回は12月26日発売の2016年1月6日号でのニュージーランドの特集になります。こちらについては、来週以降、このブログでもご紹介する予定です。


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       ペニーブラック表紙 2350円+税

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 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。

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       アウシュヴィッツの手紙・表紙 2000円+税

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 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。

 インターネット放送「チャンネルくらら」にて、本書の内容をご紹介しております。よろしかったら、こちらをクリックしたご覧ください。

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 スノボ大回転で竹内が銀
2014-02-20 Thu 12:29
 ソチ五輪は、きのう(19日)、スノーボードの女子パラレル大回転が行われ、竹内智香が銀メダルを獲得しました。オリンピックのスノーボード女子での日本選手のメダルとして初めてというだけでなく、今回のソチ五輪での日本の女子選手が獲得したメダルの第1号となりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       オランダ・ニコリーン

 これは、2012年にオランダで発行された“オランダオリンピック委員会=オランダ体育連盟創立100年”の記念切手のうち、ヴァンクーヴァー五輪のスノーボード女子パラレル大回転で金メダルを獲得したニコーリン・ザウエルブライを取り上げた1枚です。スノーボードを描いた切手はそれなりに種類があるのですが、競技中の選手は、ヘルメットにゴーグルで顔が見えず、ユニフォームも男女の差があまりないので、確実に女子選手であることがわかる切手を探そうとすると結構苦労します。その点、この切手については“女子パラレル大回転”の切手であることが確実な1枚ということで、ご紹介してみました。

 スノーボードのパラレル大回転は1998年の長野五輪から公式競技となりました。“パラレル”というのは、並行して設定されたコースを2人が並んで同時に滑走することからつけられた種目名で、スキーの大回転のように選手が一人ずつ滑走するのと異なり、勝者と敗者が一目瞭然なのが魅力となっています。

 切手に取り上げられたザウエルブライは1979年7月31日生まれ。2008年のW杯を制したこともあります。ウィンタースポーツの世界では、オランダはスケートの強豪国として有名ですが、国土が平坦であることもあってスキーやスノーボードでは実績に乏しく、彼女の金メダルは“雪のスポーツ”での同国初の快挙となりました。また、彼女の金メダルは、オランダが五輪で獲得した通算100個目の金メダルでもありました。こうしたこともあって、彼女は2010年にオランダの“スポーツマン・オブ・ザ・イヤー(Sportman van het jaar)”に選ばれたほか、2012年には“オランダオリンピック委員会=オランダ体育連盟創立100年”の切手の1枚に取り上げられたというわけです。

 ちなみに、今回銀メダルを獲得した竹内は、前回のヴァンクーヴァー五輪は13位でしたが、今回、彼女の銀メダル獲得に貢献したサービスマン(板の管理やワックスがけを行うスタッフ)の広瀬智晴は、前回のヴァンクーヴァー五輪ではザウエルブライのスタッフとして彼女に金メダルをもたらしています。サービスマンの部門でメダリストを選ぶとしたら、ほぼ確実に、広瀬が金メダルということになりそうです。

 なお、オランダの切手は、2010年7月から、ユーロでの額面表示がなくなり、“1”または“2”の番号を表示した永久保証切手になりました。このうち、1はオランダ国内宛の20gまでの料金、2は同じく20g~50gまでの料金に相当しており、今回ご紹介の切手が発行された時点では、1が95セント、2が1ユーロ90セントでした。
 

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 さらば、ギルダー切手
2013-11-01 Fri 15:12
 オランダで、2002年のユーロへの完全移行(決済通貨としての導入は1999年)後も有効とされていた旧ギルダー額面の切手が、本日(1日)をもって、無効となりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       オランダ・1ギルダー加刷

 これは、1923年にオランダで発行された1ギルダー加刷の切手です。当時のオランダでは、1910年発行の17セント半切手に“DIENSTZEGEL PORTEN AANTEEKENRECHT”の文言を加刷し公用切手として使用することを計画していましたが、実際には加刷の公用切手は発行されず、1923年に1ギルダー切手の在庫が不足した際に、あらためて、1ギルダーの額面を加刷した暫定切手として発行されました。“1ギルダー”の加刷文字が派手なので、持ってきてみました。

 さて、ユーロへの完全移行時の旧オランダ・ギルダーとユーロの法定交換レートは1ユーロ=2.20371ギルダー(1ギルダー=0.453780ユーロ)で、2032年1月1日まで、旧ギルダー紙幣はユーロに交換することが可能です。これに対して、コインの交換は2007年1月1日で終了しています。

 切手に関しては、ドイツ、スペイン、ポルトガル、アイルランドなどが、2002年以降、すぐに旧通貨額面の切手を無効にしたのに対して、オランダ郵政は旧ギルダー切手を有効なものとして扱い続けていました。このため、郵便局の現場では、ユーロ額面の切手と旧ギルダー額面の両方を処理するため、郵便物の仕分けや料金計算などに大きなコストがかかっていました。しかし、ユーロへの移行10年を経て、旧ギルダー額面の切手の使用が大きく減少したことから、今回、ユーロ額面の切手のみを有効とすることで、郵便システムを簡略化し、コスト削減を図ったというのが当局の説明です。

 さて、最近、オランダから僕宛に送られてくる郵便物(『蘭印戦跡紀行』の制作時には、結構、オランダの業者さんのお世話になりました)には旧ギルダー額面の切手をべたべた貼ったものが多く、皆さん、有効期限内にできるだけ使い切ってしまおうと頑張っているのがよくわかりました。もっとも、明日以降、無効になった旧ギルダー額面の切手を貼って料金不足となったカバーを送っていただくというのも、それはそれで僕としては楽しめるのですがね。

 
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 また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


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 123年ぶりの男性国王
2013-05-01 Wed 10:02
 オランダでは“女王の日”にあたるきのう(30日)、在位33年を迎えたベアトリックス女王から長男のウィレム・アレクサンダー皇太子に王位が継承され、123年ぶりに男性の国王が誕生しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       オランダ最初の切手

 これは、1852年に発行されたオランダ最初の切手のうち、当時の国王ウィレム3世の肖像を描く5セント切手です。このウィレム3世が1890年に崩御されて以来、オランダではウィルヘルミナ、ユリアナ、ベアトリクスの3代にわたって女王が続き、ようやく、今回の新国王で男性国王が復活したということになります。

 ちなみに、ウィレム3世のお名前は、正式には、“ウィレム・アレクサンダー・ポール・フレデリック・ローデウェイク”で、新国王のお名前は“ウィレム=アレクサンダー・クラウス・ジョージ・フェルディナンド”です。ウィレム3世の場合は、ウィレムとアレクサンダーの間にスペースがあって別の単語扱いですが、新国王は二つの単語の間はハイフンでつながっていて分離できないので、今後は“国王ウィレム・アレクサンダー”と呼ばれることになるのでしょう。先日のローマ教皇の例に懲りて、今回の報道では、“1世”をつけるメディアはなかったようですが、僕がたまたま見ていたフジテレビの朝のニュースでは“ウィレム”を取って“アレクサンダー”と国王の名前を紹介しており、妙な感じがしました。あまりにも自信たっぷりで、字幕も含めて何度も繰り返していたので、何か理由があるのかもしれません。

 なお、オランダ最初の切手が発行されたのは1852年1月1日のことで、5セント、10セント、15セントの同図案・色違いの3額面があり、ポストホルンの透かしが入っています。印刷はユトレヒトの王立造幣局で行われ、1シートは25面ブロック4つからなる100面で、5セントは6版、10セントは10版ありますが、15セントは1版のみでの印刷でした。

 
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 4月から、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は5月7日、6月4日、7月2日、7月30日、9月3日(原則第一火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 20年、よくもった
2012-02-07 Tue 22:09
 1992年2月7日に欧州連合条約(マーストリヒト条約)が調印されてから、きょうでちょうど20年です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        マーストリヒト条約

 これは、1992年10月6日、オランダで発行された“ヨーロッパ単一市場”の切手です。1992年秋、EU加盟各国では同様の趣旨の切手を発行していますが、今回は、マーストリヒトのあるオランダの切手を持ってきました。

 欧州連合条約は、欧州連合(EU)創設のため、1991年にオランダのマーストリヒトで開かれたEC(ヨーロッパ共同体)首脳会議で合意された条約で、1991年12月9日、EC加盟国間での協議がまとまり、1992年2月7日に調印され、各国での批准を経て、1993年11月1日にドロール委員会の下で発効しました。

 その骨子は、①ECを発展的に解消し、EUを創設する、②ヨーロッパ共通通貨としてEURO(ユーロ)を導入する、③外交・安全保障政策の共通化および警察協力・難民対策などにおける各国協調を目的とした司法・内務協力を促進する、の3店となります。

 このうち、1999年に導入されたユーロに関しては、自国通貨を放棄してユーロに参加するためには、ERM2(為替相場変動メカニズム)に参加していることや、財政赤字が国内総生産(GDP)の3%以内であることなどの条件があります。たとえば、慢性的な財政赤字を抱えていたギリシャが、1999年の時点でユーロに参加できなかったのは、この条件を満たしていなかったためです。

 しかし、ドルに対抗しうる強大なユーロの創設を目指していた欧州理事会は、ユーロ圏を拡大させることを優先し、翌2000年6月19日、「ギリシャは高い水準で持続的な収斂性を有しており、ユーロの導入に必要な状況になった」として、2001年1月1日からのギリシャでのユーロ導入を承認。かくして、ユーロ圏に加盟したギリシャは、信用力の低い自国通貨ドラクマに代わって信用力の高いユーロ建て国債を発行し、低利で資金を融通して放漫財政を継続します。その結果が、2010年に表面化したギリシャ危機であることは、周知のとおりです。

 まぁ、国家そのものを統合することなく、各国の経済力の格差をそのままにして通貨のみ共通にしてしまえば、さまざまなゆがみが出てくるのは当然、予想できたはずなのですが、やはり、アメリカの一極支配に対抗する大ヨーロッパの理想が優先されたということなんでしょう。じっさい、ギリシャ危機のほかにも、オーストリア・ハンガリー問題(ハンガリーは非ユーロ圏ですが、通貨のフォリントは実質的にユーロとペッグしています)、アイルランド問題、スペイン問題などが相次いで起こっているのをみると、これまでの無理が一挙に噴出したという印象を強くしますな。逆にいえば、よくも20年もったということでしょうか。

 今後、ユーロが生き残るためには、EU域内で圧倒的な経済力を持つドイツが中心となって再建策を進めていくしかないのでしょうが、その結果として、ドイツの前にEU諸国がひれ伏すということになるのであれば、実質的に、ドイツ第4帝国が誕生するという事態になるのかもしれません。両大戦の経験から欧州諸国がドイツの強大化を阻止してしようとしてきた結果としては、なんとも皮肉な話です。

 なお、EUをめぐる諸問題については、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。
 

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 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(2011年11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、12月1日付『全国書店新聞』『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星、TBSラジオ鈴木おさむ 考えるラジオ(12月10日放送)、12月11日付『京都新聞』読書欄、同『山梨日日新聞』みるじゃん、12月14日付『日本経済新聞』夕刊読書欄、同サイゾー、12月15日付『徳島新聞』鳴潮、エフエム京都・α-Morning Kyoto(12月15日放送)、12月16日付『岐阜新聞』分水嶺、同『京都新聞』凡語、12月18日付『宮崎日日新聞』読書欄、同『信濃毎日新聞』読書欄、12月19日付『山陽新聞』滴一滴、同『日本農業新聞』あぜ道書店、[書評]のメルマガ12月20日号、『サンデー毎日』12月25日号、12月29日付エキレピ!、『郵趣』2012年1月号、『全日本郵趣』1月号、CBCラジオ「朝PON」(1月26日放送)、『スタンプマガジン』2月号、『歴史読本』2月号、『本の雑誌』2月号で紹介されました。

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 さくらんぼと小学生
2010-09-09 Thu 23:42
 山形県東根市で来春開校予定の市立“さくらんぼ小学校”について、同名のアダルトサイトが存在していることかた改名を求める声が上がっていた問題で、土田正剛市長はきょう(9日)の記者会見で「児童の登下校時に不審者が現れる可能性がある」として、校名を変更する方針を明らかにしました。というわけで、きょうはこんなモノをもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         オランダ児童福祉1994

 これは、1994年にオランダが発行した児童福祉切手3種を収めた小型シートで、右側の3枚に、さくらんぼ取りに興じる子供たちが描かれています。ちなみに、左の上2枚はペンキ塗りを手伝って梯子をもつ子どもが、下1枚はおもちゃの家で遊ぶ子供たちで、どれもかわいらしいデザインです。やはり、子供とさくらんぼという組み合わせは相性が良いですね。

 さて、今回問題となった校名は、東根市がさくらんぼの名産地であることに加え、昨年12月に行われた市民からの公募で決定されたもので、校歌の作詞・作曲を担当した作曲家の服部公一さん(山形県出身)も「これ以上、良い名前はない。改名に反対したが、子供の安全ということならば、仕方がない」とがっかりしているのだとか。

 もっとも、“さくらんぼ”という単語は、その昔の「黄色いサクランボ」以来、お色気イメージと重なる用例がいくつもありますから、当然、“さくらんぼ××”という風俗店やアダルトサイトが少なからず存在していることも、十分に予想できたような気もします。その点で、市当局の判断は、やはり甘かったといわれてもしかたのない面はあるでしょうな。ただし、問題のアダルトサイトは今回の一件でいちやく全国にその名をとどろかすことになり、結果的に、宣伝効果という点で彼らが一番得をしたというのも、納得できない話ですが…。

 ところで、校名変更の理由が理由だけに関係者の無念は十分にわかりますが、そもそも、実際にその学校に通う子供たちは“さくらんぼ小学校”という名前をどういう風に感じていたんでしょうか?低学年や高学年でも女子児童は抵抗なく受け入れらるのでしょうが、思春期にさしかかった高学年の男子児童にとっては、「さくらんぼ小学校6年生の●野×夫です」などと自己紹介するのは、かなり恥ずかしいんじゃないかなぁ。

 その意味では、今回の一件で、“さくらんぼ小学校”に通えなくなった生徒たちの中には、案外、ホッとしている子も多いのかもしれませんがね。

  ★★★ お知らせ ★★★

 9月16日(木)、夜9時からTOKYO MXテレビの番組ザ・ゴールデンアワー『事情のある国の切手ほど面白い』の著者として登場します。僕の出番は9時10分頃で、約20分間の特集コーナーとなる予定。生放送への出演は久しぶりなので、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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