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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 イスラエルとハマス、ガザ停戦で合意
2025-01-16 Thu 07:36
 2023年10月に始まったガザ紛争の仲介を行っていたカタールのムハンマド・ビン・アブドゥッラフマーン・アール=サーニー首相兼外相は、15日(現地時間。日本時間16日)、イスラエルとハマス(ハマースとも)が一時停戦で合意(19日発効)したと発表しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      カタール・ガザと共に(田型)

 これは、アラブ諸国が共通図案として発行した“ガザと共に”の切手のうち、2024年10月7日にカタールが発行した切手シートで、パレスチナ“国旗”をデザインしたシートに“ガザと共に”の切手が田型で収められています。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。


 ★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 1月21日(火) 10:00~ ニッポンジャーナル
 インターネット番組「ニッポンジャーナル」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。皆様、よろしくお願いします。

 1月24日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。

 謀略の世界史 原則毎月第1土曜日 13:00~14:30
 MI6、CIA、モサドなど各国の情報機関のあらましや、現代史の中で彼らが実際に関与した事件などを幅広くご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。

 武蔵野大学のWeb講座 
 「切手・郵便物でみる朝鮮半島現代史 1956-61」と巳年にちなむ新企画「蛇の文化史」の配信中です。詳細は各講座名をご覧ください。 


 ★ 『蛇の文化史』 好評発売中!★

      蛇の文化史・表紙

 「干支の文化史」シリーズ第2作。巳年にちなんで、蛇をめぐるポジティヴ・ネガティヴ、さまざまなイメージの背景にある歴史的・社会的文脈について、主に切手を手掛かりとして読み解いています。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


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 きょうから2022FIFAワールドカップ・カタール大会
2022-11-20 Sun 02:04
 サッカーの FIFAワールドカップ(W杯)カタール2022が、現地時間20日(日本時間21日午前0時)開幕します。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      カタール・サッカーW杯(2022・地図)

 これは、2021年4月1日に開催国のカタールが今大会の事前周知を兼ねて発行した記念切手シートで、カタール地図をかたどったシートの中に、大会ロゴマークの切手2種が収められています。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 11月25日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 12月24日(土) 13:00~  大英帝国のクリスマス
 英国は、1840年に世界で最初に郵便切手を発行した国で、かつて”日の沈まぬ国”と呼ばれたその広大な領土では、ヴィクトリア女王からエリザベス女王に至るまで、歴代の国王の切手を貼った郵便物が縦横無尽に往来していました。今回は、クリスマスに関する切手・郵便物をピックアップし、それぞれの時代の英国・英領の歴史や社会を読み解きます。お申込などの詳細はこちらをご覧ください。

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。

 武蔵野大学のWeb講座 
 「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」と「日本郵便150年の歴史」の2種類の講座をやっています。詳細はこちらをご覧ください。 


★ 『現代日中関係史 第1部 1945-1972』 好評発売中! ★

      現代日中関係史表_第1部

 日本郵趣出版の新レーベル「郵便×歴史シリーズ」の第一弾の企画として、切手という切り口から第二次大戦後の日中関係を読み解く『現代日中関係史』。その第1巻となる本書は、第二次大戦後、わが国が中華人民共和国と国交を樹立(いわゆる国交正常化)する1972年9月以前を取り扱っています。なお、1972年の国交”正常化”以降については、2023年3月に刊行予定の第2巻でまとめる予定です。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページのリンクがあるほか、主要書店の店頭在庫も確認できます。また、販売元の郵趣サービス社のサイト、スタマガネットの特設サイトサイトでは、本書の内容見本をご覧いただけます。 

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 カタール、LNG供給で“限界到達”
2021-10-12 Tue 08:05
天然ガスの需給が逼迫し、価格が高騰する中で、きのう(11日)、世界最大の液化天然ガス(LNG)供給国、カタールのアルカービ・エネルギー担当相が「われわれは限界に達している」、「全ての消費国にLNGを適切に供給している」として、カタールとしてはもはやなすすべなしとの立場を示しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      カタール・天然ガス7700万トン(2010・プラント)

 これは、2010年12月13日、カタールが発行した“カタール、LNG年間7700万トン供給”の記念切手のうち、同国のLNGプラントを背景に、カタール国旗をデザインした“77”の数字が配されています。

 カタールの天然ガス埋蔵量は880兆立方フィートで、産出量は日量1780億立方フィート、年間輸出能力7700万トン超で全世界のLNG輸出量の32%を占め、世界最大のLNG輸出国になっています。輸出先は日本が第1位で全体の約21%、韓国が約18%で2位、インドが約15%で第3位です。

 なお、LNGはメタンを主成分とする天然ガスをマイナス162度まで冷却して液体にしたもので、液化すると体積が気体の約600分の1となるため、専用船での大量輸送や、需要地の近くのタンクでの貯蔵も可能になり、夏場に余剰なガスを液化してLNGとして貯蔵し、冬場に再ガス化するなど、季節変動のある発電需要に対応する手段にも使われています。

 天然ガス生産の主力となっているのは、1974年にペルシャ湾沖合でロイヤル・ダッチ・シェルが発見した“ノース・フィールド”ガス田で、同ガス田とつながっているイランのサウス・パルス・ガス田とあわせて世界最大の天然ガス田になっています。

 米エネルギー情報局(EIA)によると、天然ガス先物取引価格は昨年(2020年)6月にmmBtu(百万英国熱量単位)当たり1.482ドルで底を打ってから上昇し始め、今年9月14日には3.55倍の同5.26ドルを記録。その背景には、昨冬の大寒波とコロナ危機からの回復に伴う中国やアジアの需要増大があるとされています。

 この間、ことし3月、カタールは、287億ドル(約3兆円)を投じてLNGの生産量を4割引き上げることを決定。これに先立ち、2月にはわが国の千代田化工建設に対して、年産能力が計3200万トンで、二酸化炭素(CO2)を回収・貯留する設備を備えたLNGプラントを推定1兆数千億円を発注(完成は2025-27年の予定)するなど、カタールとしてはは、圧倒的な競争力をテコにLNG大国としての地位を固める戦略を取ってきたわけですが、市場の高騰には追い付かなかった格好です。

 なお、強引ともいうべきペースで“脱炭素”の潮流が世界的に加速していく中で、石炭や石油に比べ燃焼時の二酸化炭素(CO2)排出量が少ない天然ガスは“クリーンな化石燃料”として注目を集めていますが、このことも天然ガス高騰の一因となっていることはいうまでもありません。「人類の未来のために温暖化を防ぐ」との美辞麗句の下、無理な“脱炭素”を強行した結果、燃料の異常な高騰を招き、冬場に暖房を使えない貧困層の凍死が続出するような事態は避けなければならないと思うのですが…。

 * 昨日(11日)の文化放送「おはよう寺ちゃん」の僕の出番は、無事、終了いたしました。リスナーの皆様には、この場をお借りして御礼申し上げます。次回は来週月曜日・18日に登場の予定です。引き続きよろしくお付き合いください。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内★

 10月18日(月) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。

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 8月11日から10月12日まで、計6時間(30分×12回)の講座です、お申し込みなどの詳細は、こちらをご覧ください。


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 カタールで初の国政選挙
2021-10-03 Sun 01:35
 カタールで、きのう(2日)、同国としての初めての“国政選挙”となる諮問評議会選挙が行われました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      カタール・地方評議会10年

 これは、2009年3月15日にカタールが発行した“選挙による地方自治評議会10周年”の記念切手です。

 1971年のカタール独立に先立ち制定された“暫定憲法”では、立法権は首長に属することが明記され、首長の指名による議員(35名)で構成される“諮問評議会”は首長や閣僚を補佐するための組織として、立法権を与えられていませんでした。

 これに対して、2003年4月29日に承認された“恒久憲法(2005年施行)”では三権分立が謳われ、将来的には、諮問評議会の定数を45名に拡大し、そのうちの30名を直接選挙で選ぶ(残りの15名は首長による指名)こととして、諮問評議会に立法権を付与することが決まりました。ただし、恒久憲法においても、首長には議会で可決した法案に対する承認拒否権が認められており、その場合、法案可決には議会の3分の2以上(=民選議員の全員に相当)の賛成なうえ、再可決後も、首長には法律の停止権があたえられているなど、現行の首長制度を維持するための網が幾重にも張り巡らされています。

 今回ご紹介の切手の題材となった第1回地方自治評議会選挙は、国政選挙実施の前段階として、1998年にハマド首長の出した勅令により、カタール最初の全国選挙として1999年3月8日に実施されました。

 選挙権は①カタール生まれ、もしくはカタール市民権を取得して15 年以上の男女、②18 歳以上、③悪質な犯罪歴なし、④選挙区に居住実態がある、⑤軍・警察関係の職務に就いていない、の要件を満たしていることが必要で、選挙権を有する男女のうち25歳以上となっています。

 1999年の第1回総選挙の投票率は79.7%で、議席数に対する立候補者 248 名でうち女性が6名(ただし、全員落選)でした。もっとも、地方自治評議会は、地方行政(建物・土地の開発、道路整備、農業等)に関する農業省と地方自治省の諮問・助言機関にすぎず、立法権は与えられていなかったため、”民主化”にはほど遠いものでした。
 
 2013年6月25日、ハマド首長の退位を受けてタミーム首長(ハマド前首長の4男)が即位した後も、恒久憲法で定められていた国政選挙の実施は延期され続けてきました。しかし、ことし7月、タミム首長の意向を受けて、恒久憲法の規定を実施するための新選挙法が承認されたことで、今回、選挙が行われることになりました。地元メディアによれば、立候補者は約280人で、女性は約1割だそうです。

 カタールとしては、来年(2022年)に予定されているサッカーW杯を成功させるためにも、国際社会に対して“民主化”をアピールする必要があることはいうまでもありません。また、カタールが長年にわたって対立関係にあるサウジアラビアは、現在、人権問題等で米国との関係が冷却しており、“まともな憲法や議会のない野蛮国家(=サウジアラビア)”との差異を際立たせることは外交上も大いに意味のあることといえましょう。

 なお、サウジアラビアと周辺の湾岸諸国との関係については、拙著『世界はいつでも不安定』もまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


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 10月4日(月) 05:00~  おはよう寺ちゃん
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 カタール独立50年
2021-09-03 Fri 02:25
 ペルシャ湾岸の首長国、カタールが1971年9月3日に独立してから、ちょうど50年になりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      カタール・最初の正刷切手(1961年・10ルピー)

 これは、1961年9月2日、英保護領時代のカタールで発行された最初の正刷切手のうち、最高額の10ルピー切手で、当時の首長シャイフ・アフマド・ビン・アリー・アール・サーニーの肖像とグランド・モスクが描かれています。

 カタール半島では紀元前3000年から紀元前2000年頃の遺物も出土しているものの、近代以前の歴史はほとんどわかっていません。都市としてのドーハの歴史も比較的新しく、現在のカタール王家にあたるサーニー家がビーダとして都市を建設したのは1850年のことでした。

 当時のサーニー家はカタール半島全域を支配していたわけではなく、半島の北部はバハレーンのハリーファ家が支配していました。1868年、英国の仲介で、サーニー家がハリーファ家に貢納する代わりに、ハリーファ家はカタール半島から撤退することが決められ、サーニー家が半島全域を掌握します。なお、1872年にはオスマン帝国がカタール半島を占領しますが、カタール側の抵抗もあり、オスマン帝国はサーニー家による半島支配を実質的に認めていました。

 第一次大戦中の1916年、オスマン帝国と戦っていた英国はサーニー家と条約を調印。以後、カタールは英保護領となり、ビーダはドーハと改称されて保護領カタールの首府になります。

 1935年、英蘭仏米の共同経営による“カタール石油会社”はカタールでの75年間の石油掘削権を獲得しますが、石油の本格的な輸出が始まるのは1950年代のことで、それまで小さな港町だったドーハは急速に開発が進められ、1957年には今回ご紹介の切手に描かれているグランド・モスクも建てられました。

 郵便に関しては、1950年まではカタール半島内には郵便局は設置されず、カタールと域外との郵便交換は対岸のバハレーン経由で行われていましたが、1950年5月18日、英国人郵便局長の下、ドーハに郵便局が開設され、同年8月から本格的な郵便業務が始まりました。なお、当時はカタール独自の切手というものはなく、バハレーン加刷ないしは英国東アラビア郵政庁の加刷切手が使用されていました。また、カタール2番目の郵便局がウンム・サイドに開設されたのは、1956年2月のことです。

 カタール独自の切手としては、1957年4月1日、英本国の切手にカタールの地名とインド・ルピーでの額面表示(英領インド帝国以来、この地域では、インド・ルピーが通貨として用いられていました)を加刷した切手が発行されたのが最初で、正刷切手は1961年9月2日に最初の11種が発行されています。

 1968年、英国の労働党政権が1971年末をもってスエズ以東から軍事的に撤退することを発表すると、カタールを含むペルシャ湾岸の9首長国が連邦を結成するというプランが浮上します。しかし、実際には、カタールは連邦に参加せず、1971年9月3日、単独で独立し、国際連合とアラブ連盟に加盟しました。このため、カタールでは長年にわたって9月3日が独立記念日としてナショナル・デーになっていましたが、2007年以降、ナショナル・デーは建国記念日の12月18日(1825年12月18日、サーニー・ビン・ムハンマドがカタールの初代首長となったことに由来)に変更され、現在にいたっています。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内★

 9月6日(月) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。

 9月11日(土) 17:00~  日本ウイグル協会・緊急特別講演会
 東京・四谷のワイム貸会議室にて、日本ウイグル協会主催の緊急特別講演会にて、「タリバン政権と急接近した中共の思惑ーーテロとの口実で弾圧されてきたウイグル人」と題して、内藤がお話します。資料代1000円。お申し込みなどの詳細はこちらをご覧ください。

 武蔵野大学のWeb講座 「切手と浮世絵」 配信中です!
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 サウジなど4ヵ国、カタールと国交完全回復
2021-01-06 Wed 05:00
 きのう(5日)、サウジアラビア北西部のウラーでペルシャ湾岸のアラブ諸国で構成する湾岸協力会議(GCC)の首脳会議が開かれ、2017年6月以来、カタールと断交していたサウジアラビア、UAE、バハレーンのGCC加盟国とエジプトの4ヵ国がカタールとの国交を完全に回復したことが発表されました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      カタール・カタール航空20年

 これは、2017年にカタールが4種セットで発行した“カタール航空20年”の記念切手の1枚です。

 カタール航空は、1993年11月22日、王族所有の航空会社として設立され、1994年1月20日、ドーハ-アンマン線で運航を開始しました。その後、1997年4月、出資比率がカタール政府50%、民間投資家50%という現在の体制になりました。今回ご紹介の切手は、ここから起算して20周年になるのを記念して発行されたもので、同社の歴史を振り返る4種セットのうち、2011年にカタール航空の目的地がコードシェアを含め100都市に到達ことをしたことを示すため、世界地図が描かれた滑走路に駐機中のカタール航空機が描かれています。

 さて、もともと、カタールは、長年にわたって(事実上の)敵対関係にあるバハレーンに対抗するため、その後ろ盾となっているサウジの影響力をいかに抑え込むかということを外交政策の基本としてきました。ちなみに、バハレーンの首長家とサウジ王家は縁戚関係にあり、それゆえ、バハレーンは“サウジの事実上の保護国”と呼ばれることもあります。

 このため、サウジをはじめとする湾岸首長国の大半が安全保障上の最大の脅威としてイラン敵視政策を採る中で、カタール・イラン関係は比較的良好な関係を保ってきました。なお、イランは「バハレーンは歴史的にイランの領土だった」と主張しており、バハレーンにとっては天敵のような存在ですから、対バハレーン戦略上、カタールにとっては、サウジよりもイランの方がはるかに“話の分かる相手”ということになります。

 また、2014年に勃発したイエメン内戦では、カタールは、シーア派系武装組織“フーシ派”と戦うために結成されたサウジアラビア主導の国際連合軍に参加していながら、フーシ派とも密かに関係を維持していたとされています。また、パレスチナのガザ地区を実効支配しているハマースとは、現在のハマースがサウジを敵対関係にあることを踏まえ、彼らとも一定のパイプを維持しておくことで、湾岸アラブ諸国の中で圧倒的なプレゼンスを有するサウジに対抗する手段として活用したいとの思惑を持っていました。

 これに対して、2017年5月、トランプ米大統領のサウジ訪問後、カタールのタミーム首長が、米大統領とサウジ国王はイランを世界の主要テロ支援国と名指しし、反イランの機運を醸成していると非難。あわせて、ハマースを支持する発言も行ったとの主旨の報道が流れます。報道内容について、カタール政府は事実関係を否定し、ハッキング被害に遭ったものだと主張しましたが、サウジや他の湾岸諸国はアルジャジーラなどカタールのメディアを遮断。各国のマスコミはカタールの外交姿勢を痛烈に批判する報道を展開しました。

 そして、同年6月5日朝、まず、長年の宿敵であるバハレーンがカタールとの国交断絶を宣言し、これに、サウジ、エジプト、UAEが続き、さらにイエメン、モルディヴ、リビア臨時政府が加わるというかたちで、カタール包囲網が形成されます。その際、サウジ外務省は、カタール政府が①国内にテロ組織を住まわせテロを支援している、②報道機関でテロ組織の宣伝を行っている。③カティーフ県にいるイランと関わりがあるテロ行為を支援している、④過激派組織に居住許可を与えている、⑤イエメンのフーシ派を支援している、ことから、“国の治安のため”カタールとの断交に踏み切ったと説明しました。

 断交措置を受けて、サウジ、UAE、エジプト、バハレーンは、カタール籍の航空機や船舶が自国の領空や領海を通過することを禁止し、在留カタール人は2週間以内の国外退去を命じるとともに、自国民のカタールを訪問も禁止。この結果、カタール航空の飛行ルートも大幅な変更を迫られ、イランやトルコ上空から地中海上空を通るルートや、オマーン上空からアデン湾上空に抜けるルートなど、上記4ヵ国の上空を通らずに大きく迂回する形での飛行となっていました。

 個人的な話ですが、僕は、2017年10月にブラジルのブラジリアで開催された世界切手展<Brasilia 2017>に参加した際、現地へのフライトにはカタール航空を利用しました。その際、機内でのフライトマップで、自分の乗った飛行機が迂回ルートで飛んでいることを実際に確認できたのが印象に残っています。せっかくですので、その時にスマホで撮った写真を下に貼っておきます。

      カタール航空:ドーハ⇔東京 
      成田→ドーハ

      カタール航空:ドーハ→ブエノスアイレス 
      ドーハ→ブエノスアイレス

      カタール航空:リオ→ドーハ 
      リオデジャネイロ→ドーハ

 今月下旬に米国でバイデン政権が発足すれば、トランプ政権が進めてきたイラン封じ込め政策を大幅に修正し、いわゆる核合意の復活も含め、米国の対イラン政策が宥和路線に大きく傾くのではないかとみられています。このため、トランプ政権としては、任期中に少しでもイラン包囲網を強固なものとすべく、UAEを始め複数のアラブ諸国とイスラエルの国交樹立に続いて、カタールとサウジの関係改善を仲介したわけです。

 一方、カタールとしても、新型コロナウイルス問題で先が見通せないとはいえ、とりあえずは2022年に予定されているサッカーW杯を控え、いつまでも、サウジやエジプトとの断交状態が続くのは望ましいことではありませんから、アメリカの仲介は好都合だったといえます。

 いずれにせよ、先日のモロッコとイスラエルの国交正常化もそうですが、大統領選挙後もトランプ政権が着実に実績を積み上げていることには驚かされるばかりです。この辺りについては、トランプ個人に対する好悪とは別に、もっと評価する声があっても良いはずなのですが…。


★ 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★

 1月8日(金)05:00~  文化放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。


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      日本人に忘れられたガダルカナル島の近現代史カバー 本体1600円+税

 出版社からのコメント
 【中国の札束攻勢にソロモン諸島は陥落寸前!】
 日本軍の撤退後、悲劇の激戦地は
 いかなる歴史をたどり、
 中国はどのように浸透していったのか

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 7国・地域がカタールと断交
2017-06-06 Tue 11:41
 アラブ首長国連邦(UAE)、バーレーン、イエメン、サウジアラビア、エジプト、モルディブのイスラム圏6ヵ国とリビア東部を支配するリビア臨時政府は、昨日(5日)、カタールとの国交断絶を発表しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      カタール・ガザの涙

 これは、2009年にカタールが発行した“ガザの涙”と題する切手です。

 パレスチナ自治政府内部では、発足当初から、PLO傘下のファタハとイスラム原理主義勢力のハマース(ハマス)が対立し、各地で散発的な戦闘が発生していました。2007年6月、ハマースがガザ地区を武力制圧。現在に至るまで、ガザ地区はハマースが、ヨルダン川西岸地区はファタハが事実上支配しています。
 
 さて、対イスラエル強硬派のハマスがガザ地区を支配下に置くと、イスラエルはガザへの人や物の出入りを従来にもまして厳しく制限。これに反発したハマースは、2008年1月9日、ブッシュ米大統領のイスラエル・パレスチナ歴訪に合わせてイスラエルへのロケット弾攻撃を敢行し、イスラエルがその報復としてガザを完全封鎖。さらに、同年12月27日から翌2009年1月18日まで、イスラエルはガザ地区に対して大規模な攻撃を行いました。

 今回ご紹介の切手は、そうした状況を踏まえ、イスラエルのガザ攻撃を非難し、ハマス政府を支持する意図を込めてカタールが発行したものです。

 ところで、ハマースの最大の支援国は、かつては、シリアとイランで、サウジも一定の資金援助と軍事支援を行っていました。しかし、世界的に反テロ気運が盛り上がってきたことにくわえ、サウジにとっては最大の敵国であるイランがハマースを支援していることもあり、現在のサウジは反ハマースの立場を船名にしています。

 2011年にシリア内戦が勃発し、諸勢力が血みどろの戦闘を展開する中で、スンナ派原理主義勢力としてのハマスは、シリアのアサド政権(アサド本人はシーア派系のアラウィー派ですが、政権全体としては世俗主義)と距離を置き、スンナ派系の反体制派への支持を表明。この結果、ハマースはアサド政権と決別しましたが、イランがこの“背信”を批難すると、イランとハマスの関係も冷却化します。

 こうした状況の中で、2012年10月23日、カタールのハマド首長(当時)は、ハマースのガザ制圧以来、外国元首として初めてガザ地区を訪問してハマースを支持する姿勢を鮮明にしました。

 もともと、カタールの外交政策は、長年にわたって(事実上の)敵対関係にあるバハレーンに対抗するため、その後ろ盾となっているサウジの影響力をいかに抑え込むかということを基本方針の一つとしています。ちなみに、バハレーンの首長家とサウジ王家は縁戚関係にあり、それゆえ、バハレーンは“サウジの事実上の保護国”と呼ばれることもあります。

 このため、サウジをはじめとする湾岸首長国が、安全保障上の最大の脅威(ちなみに、イランに言わせると「バハレーンは歴史的にイランの領土だった」そうです)としてイラン敵視政策を採る中で、カタール・イラン関係は比較的良好な関係を保ってきました。また、2014年以来のイエメン内戦では、カタールは、シーア派系武装組織“フーシ派”と戦うために結成されたサウジアラビア主導の国際連合軍に参加していながら、フーシ派とも密かに関係を維持していたとされています。ハマースとの関係も、反サウジ勢力とも一定のパイプを維持しておくことで、湾岸アラブ諸国の中で圧倒的なプレゼンスを有するサウジに対抗する切り札として、これを活用したいとの思惑があったものと考えられます。

 今回の断交の直接のきっかけは、今年5月のトランプ米大統領のサウジ訪問後、タミーム現首長が、米大統領とサウジ国王はイランを世界の主要テロ支援国と名指しし、反イランの機運を醸成していると非難。あわせて、ハマスを支持する発言も行ったとの主旨の報道が流れたことにあるとされています。報道内容について、カタール政府は事実関係を否定し、ハッキング被害に遭ったものだと主張しましたが、サウジや他の湾岸諸国はアルジャジーラなどカタールのメディアを遮断。各国のマスコミはカタールの外交姿勢を痛烈に批判する報道を続けていました。

 ちなみに、今回のカタールとの断交は、まず、長年の宿敵であるバハレーンが5日朝に国交断絶を宣言し、これに、サウジ、エジプト、UAEが続き、さらにイエメン、モルディヴ、リビア臨時政府が加わるというかたちになりました。サウジ外務省は、カタール政府が①国内にテロ組織を住まわせテロを支援している、②報道機関でテロ組織の宣伝を行っている。③カティーフ県にいるイランと関わりがあるテロ行為を支援している、④過激派組織に居住許可を与えている、⑤イエメンのフーシ派を支援している、ことから、“国の治安のため”カタールとの断交に踏み切ったと説明しています。

 今回の断交措置を受けて、サウジ、UAE、エジプト、バハレーンは、カタール籍の航空機や船舶が自国の領空や領海を通過することを禁止し、在留カタール人は2週間以内の国外退去を命じるとともに、自国民のカタールを訪問も禁止しています。郵便史的な関心からすると、上記4カ国経由でのカタール発着の郵便物の取り扱いも停止されるわけで、返戻便や大幅な迂回ルートで逓送されたカバーなど、興味深いマテリアルがいろいろと生まれそうです。

 いずれにせよ、今回の一件は今後もしばらく尾を引きそうですので、状況の変化に合わせて、このブログでもいろいろフォローしてみたいと思います。

 
 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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 カタールで世界最大の国旗
2013-12-18 Wed 10:32
 きょう(18日)は、1825年12月18日にサーニー・ビン・ムハンマドがカタールの初代首長となったことにちなみ、カタールの建国記念日になっていますが、これに合わせて、同国ではサッカー場7面分の面積に相当する“世界最大の旗”が用意されたそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       カタール・スカウト

 これは、1965年、英保護領時代のカタールで発行されたボーイ・スカウトの切手で、カタール国旗を持つスカウトの少年が描かれています。

 ペルシャ湾に突き出たカタール半島は、19世紀前半まで、半島北部は現在のバハレーン首長家であるハリーファ家が、南部はカタールの首長家であるサーニー家が支配していました。サーニー家が半島全域を掌握するのは、1868年、英国の仲介で、サーニー家がハリーファ家に貢納する代わりに、ハリーファ家はカタール半島から撤退するということが決められてからのことです。なお、1872年、カタール半島はオスマン帝国によって占領されますが、カタール側の抵抗もあり、オスマン帝国はサーニー家による半島支配を実質的に認めていました。

 第一次大戦中の1916年、オスマン帝国と交戦中であったイギリスはサーニー家と条約を調印し、以後、カタールはイギリスの保護領となります。

 これに伴い、それまで赤一色だったカタールの国旗は、白と赤を組み合わせたデザインとなります。なお、現在のカタール国旗は、赤と白ではなく赤茶色と白の組み合わせですが、これは、1936年に改色されたものです。改色の理由には諸説ありますが、太陽の強い日差しで赤茶色に色褪せた国旗を見た首長が「この色も悪くない」と言ったともいわれています。

 郵便に関しては、1950年まではカタール半島内には郵便局は設置されず、カタールからの郵便物は対岸のバハレーンに運ばれ、そこから域外へ配達されるというシステムになっていました。

 首都のドーハに郵便局が開設され、一般向けの郵便サービスが実施されるようになったのは1950年のことですが、当時はカタール独自の切手というものはなく、英国東アラビア郵政庁の加刷切手が使用されていました。ちなみに、カタール2番目の郵便局がウンム・サイドに開設されたのは、1956年2月のことです。

 カタール独自の切手としては、1957年4月1日、英本国の切手にカタールの地名とインド・ルピーでの額面表示(英領インド帝国以来、この地域では、インド・ルピーが通貨として用いられていました)を加刷した切手が発行されたのが最初です。なお、今回ご紹介の切手の額面は、インド・ルピーではなく、1959年5月に導入されたガルフ・ルピー(インド・ルピーと連動した不換紙幣)によるものです。

 現在のカタール経済を支えている石油産業は、1935年に英蘭仏米の共同国益会社「カタール石油会社(Qatar Petroleum Company)」に対して、カタールでの75年間の石油掘削権を承認したところから本格的に始まります。その後、1940年には高品質の石油が半島西岸で発見されますが、第2次大戦の影響で1949年までカタール産の石油が輸出されることはありませんでした。石油の輸出により、それまで小さな港町だったドーハは急速に都市開発が進められるようになったのは、1950年代以降のことです。

 さて、1968年、英国の労働党政権が1971年末をもってスエズ以東から軍事的に撤退することを発表すると、カタールを含むペルシャ湾岸の9首長国が連邦を結成するというプランが浮上します。しかし、実際には、カタールは連邦に参加せず、1971年9月3日、単独で独立し、国際連合とアラブ連盟に加盟しました。このため、カタールでは長年にわたって9月3日が独立記念日としてナショナル・デーになっていましたが、2007年以降、ナショナル・デーは建国記念日の12月18日に変更され、現在にいたる、というわけです。


 ★★★  絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩  ★★★

 2014年1月11日・18日・2月8日のそれぞれ13:00-15:00、文京学院大学生涯学習センター(東京都文京区)で、「絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩」と題する講座をやります。(1月18日は、切手の博物館で開催のミニペックスの解説)

 新たに富士山が登録されて注目を集めるユネスコの世界遺産。 いずれも一度は訪れたい魅力的な場所ばかりですが、実際に旅するのは容易ではありません。そこで、「小さな外交官」とも呼ばれる切手や絵葉書に取り上げられた風景や文化遺産の100年前、50年前の姿と、講師自身が撮影した最近の様子を見比べながら、ちょっと変わった歴史散歩を楽しんでみませんか? 講座を受けるだけで、世界旅行の気分を満喫できることをお約束します。

 詳細はこちら。皆様の御参加を、心よりお待ちしております。


 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は1月7日(原則第1火曜日)で、以後、2月4日と3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


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 2022年W杯はカタール
2010-12-03 Fri 22:08
 サッカーW杯2022年の開催地がカタールに決まりました。日本が落選したのは残念ですが、気を取り直して、きょうはカタールの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      カタール・1957年加刷(10ルピー)

 これは、1957年、英本国の切手に加刷して発行されたカタールの10ルピー切手です。

 カタールが正式にイギリスの保護領となったのは第一次大戦中の1916年のことでしたが、1950年まではカタール半島内には郵便局は設置されず、カタールからの郵便物は対岸のバハレーンに運ばれ、そこから域外へ配達されるというシステムになっていました。

 ドーハに郵便局が開設され、一般向けの郵便サービスが実施されるようになったのは1950年のことですが、当時はカタール独自の切手というものはなく、イギリス東アラビア郵政庁の加刷切手が使用されていました。ちなみに、カタール2番目の郵便局がウンム・サイドに開設されたのは、1956年2月のことでした。

 カタール独自の切手としては、1957年4月1日、英本国の切手にカタールの地名とインド・ルピーでの額面表示(英領インド帝国以来、この地域では、インド・ルピーが通貨として用いられていました)を加刷した切手が発行されたのが最初のことで、今回ご紹介の10ルピー切手は、その最高額面となります。

 カタールといえば、2012年には首都のドーハで世界切手展が開かれることになっています。2012年まではまだまだ間がありますし、まずは、切手展にあわせてドーハに行き、そこから湾岸諸国周りをしてみるのも、悪くはないかもしれません。
 

* 本日午前中、カウンターが78万PVを超えました。いつも、遊びに来ていただいている皆様には、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。


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 アラブの都市の物語:ドーハ
2007-01-20 Sat 00:47
 NHKのアラビア語会話のテキスト2・3月号が出来上がってきました。僕の連載「切手に見るアラブの都市の物語」では、今回は、先ごろおこなわれたアジア大会にちなみ、カタールのドーハを取り上げました。

グランドモスクと時計塔

 ドーハは、ペルシャ湾に突き出た半島の国、カタールの首都で、同国東岸の中央よりやや南に位置しています。

 カタール半島では紀元前3000年から紀元前2000年頃の遺物も出土しているのですが、近代以前の歴史はほとんどわかっていません。都市としてのドーハの歴史も比較的新しく、現在のカタール王家にあたるサーニー家がビーダとして都市を建設したのは1850年のことでした。

 当時のサーニー家はカタール半島全域を支配していたわけではなく、半島の北部はバハレーンのハリーファ家が支配していました。サーニー家が半島全域を掌握するのは、1868年、イギリスの仲介で、サーニー家がハリーファ家に貢納する代わりに、ハリーファ家はカタール半島から撤退するということが決められてからのことです。なお、1872年、カタール半島はオスマン帝国によって占領されますが、カタール側の抵抗もあり、オスマン帝国はサーニー家による半島支配を実質的に認めていました。

 第一次大戦中の1916年、オスマン帝国と交戦中であったイギリスはサーニー家と条約を調印し、以後、カタールはイギリスの保護領となり、ビーダはドーハと改称されて保護領カタールの首府になりました。

 現在のカタール経済を支えている石油産業は、1935年に英蘭仏米の共同国益会社「カタール石油会社(Qatar Petroleum Company)」に対して、カタールでの75年間の石油掘削権を承認したところから本格的に始まります。その後、1940年には高品質の石油が半島西岸で発見されますが、第二次大戦の影響で1949年までカタール産の石油が輸出されることはありませんでした。

 1950年代に入り、石油の輸出が本格化すると、それまで小さな港町だったドーハは急速に都市開発が進められ、いまからちょうど50年前の1957年にはランドマークとしてのグランド・モスクと時計塔が建てられています。今回ご紹介の切手は、1973年発行の“独立2周年”の記念切手で、グランド・モスクと時計塔が描かれています。(画像はクリックで拡大されます)

 1968年、イギリスの労働党政権が1971年末をもってスエズ以東から軍事的に撤退することを発表すると、カタールを含むペルシャ湾岸の9首長国が連邦を結成するというプランが浮上しました。しかし、実際には、カタールは連邦に参加せず、1971年9月3日、単独で独立し、国際連合とアラブ連盟に加盟しました。

 潤沢な石油収入を背景に急成長を遂げてきたカタールですが、近年は石油依存型の経済構造を改善すべく、産業の多角化に力を注いでいます。

 中でも注目すべきはスポーツ産業でしょう。1993年10月のFIFAワールドカップ・アメリカ大会アジア地区最終予選の日本対イラク戦で、日本代表がロスタイムで同点に追いつかれてワールドカップへの初出場を逃した“ドーハの悲劇”はご記憶の方も多いかもしれません。このほかにも、テニスのドーハ・カップや二輪ロードレースのモトGP、昨年の陸上競技グランプリやアジア競技大会などの国際スポーツイベントが、アスパイア・ゾーンにあるハリーファ国際競技場をはじめ、市内ならびに近郊で行われています。また、アスパイア・ゾーンには、世界クラスのアスリート養成を目指して設立されたスポーツ学校のアスパイア・アカデミー(ASPIRE Academy)が2004年に開校し、ドーハは世界的にも重要なスポーツ産業の拠点としての地位を確立しています。

 また、1996年に国王から1億5000万米ドルの支援を受けて設立された衛星放送、アル・ジャジーラの存在も見逃せません。ウサーマ・ビンラディンのメッセージの映像を独占放映や、アフガニスタン国内からの戦争の実況中継、イラク戦争に関する独自の報道などで世界的にも注目を集めたことは有名ですが、アラブ世界では「公正で政治的圧力を受けない、中東の唯一の報道機関」として高く評価されています。実際、多くのアラブ諸国では政府批判がタブー視されているため、アラブの一般市民にとってはアル・ジャジーラが貴重な情報源となっています。したがって、アル・ジャジーラの本社が置かれているドーハは、アラブ世界への情報発信基地としてもきわめて重要な存在だといえるのです。

 今回の「アラブの都市の物語」では、そうしたドーハの過去と現在を物語る切手をいくつかご紹介しています。機会があれば、是非、ご一読いただけると幸いです。

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 誦め!
2006-12-02 Sat 00:52
 アラブ圏では初、カタールの首都ドーハで行われるアジア大会が開幕しました。というわけで、カタールの切手の中から、ちょっと面白いものを拾ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

識字の日

 これは、1984年にカタールが発行した国際識字の日の切手で、黒板に「誦め(声に出して読め)」という意味のアラビア語を書いて識字教育を行っている場面が取り上げられています。

 「識字キャンペーンの切手で“誦め”という単語が出てくるのは当たり前じゃないか、それがどうした」といわれそうですが、実は、この“誦め”というアラビア語は、イスラムの預言者ムハンマド(マホメット)に対して神が下した最初の啓示の文言とされているものというのがミソです。

 たとえば、かつてイランは大天使ガブリエルが啓示を下したイメージを表現した切手を発行したことがあるのですが、この切手にも、しっかり、ガブリエルを表す翼の間に“誦め”というアラビア語が記されており、ここからコーランの歴史が始まったという認識が示されています。

 さて、イスラム教徒はコーランを神の言葉として理解していますが、それはコーランがアラビア語として完成されたものであるから、すなわち、人間には真似することのできない韻律を備えたものであるから、ということが根拠になっています。そもそも、コーラン(アラビア語ではアル・クルアーン)という言葉自体が「声に出して読まれるもの」という意味であって、コーランの真の魅力はアラビア語で朗誦してこそ味わうことができるというのが彼らの主張です。

 ちなみに、預言者ムハンマドは文字が読めなかったとされていますが、そのことはイスラム世界では肯定的にとらえられています。というのも、文字が読めないがゆえに、ムハンマドが密かにアンチョコを見てコーランの章句に相当する文言を唱えることは不可能であり、それゆえ、彼の口から発せられたコーランの章句は、まぎれもなく、神から下された啓示に他ならない、と彼らは理解しているからです。

 こうしたことを考えると、文字の読めない人に対しては、まず、“誦め”という単語の読み書きから覚えてもらおうというのも、イスラム教徒の発想としてはごくごく自然なものなのかもしれません。

 なお、この辺のコーランの話については、以前『コーランの新しい読み方』という本(表紙には切手を使っています)を友人との共訳で出版したことがありますので、機会があれば、ご覧いただけると幸いです。

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