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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 メイフラワー誓約400年
2020-11-21 Sat 12:23
 1620年11月21日、メイフラワー号が現在の米マサチューセッツ州ケープコッドに投錨し、乗客の男性たちが後の米国の連邦制の基礎の一つとなった文書の“メイフラワー誓約”に署名してから、400年になりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      米・メイフラワー号(1920)

 これは、いまから100年前の1920年12月21日に米国で発行された“ピルグリム上陸300年”の記念切手のうち、メイフラワー号を描く1セント切手です。

 1534年にイングランド国教会が確立されると、イングランドでは、カトリックはもとより、プロテスタントの中でも国教会からの分離を求めるグループは“分離派”と呼ばれ、弾圧を受けていました。

 このため、信仰の自由を求めた清教徒を含む102人は、貨物船として、フランスを中心に欧州大陸とイングランドの間を往来していたメイフラワー号に乗り、1620年9月16日、北米・北ヴァージニアのハドソン川河口付近を目指して英プリマス港を出港。しかし、66日間の航海の後、船は予定のコースを外れて目的地よりもはるか北方のケープコッドに到着。この時点で、すでに現地は厳しい冬の時季になっており、当初の目的地に向かうことは危険と判断されたため、11月21日にケープコッドの先端に錨をおろします。そして、乗船客のうち41人の男性が船上で「神と互いの者の前において厳粛にかつ互いに契約を交わし(中略)公正で平等な法、条例、法、憲法や役職をつくり、それらに対して我々は当然の服従と従順を約束する」とするメイフラワー誓約を結びました。その後、彼らは同地に上陸して雪で覆われた周辺を探検し、アメリカ先住民の作った塚を掘り起こし、埋めていたトウモロコシと発見するとともに、結果的に墓を暴いて、船に戻っています。

 メイフラワー号は1620年12月に湾の対岸のプリマスへ移り、冬の間、乗客らはメイフラワー号の船内で過ごしましたが、船内では壊血病、肺炎、結核などの病気が発生したため、乗客の約半数が命を落とし、生き延びた53人は春が来るのを待って海岸に小屋を建て、1621年3月31日、メイフラワー号を離れ、イングランドからニューイングランド地方への最初の永久移民となり、後に“ピルグリム・ファーザーズ(巡礼始祖)”と呼ばれるようになりました。なお、メイフラワー号は、4月15日にイングランドへ向かって入植地を出航し、5月16日、帰国しています。

 米国の建国神話では、彼らピルグリム・ファーザーズが入植したプリマスが合衆国のルーツとされており、そこから、米国は、プロテスタントの白人がみずからの信仰を守るために建国した国であるから、WASP(=White:白人、 Anglo-Saxon:アングロ・サクソン、 Protestant:プロテスタント)が国家の指導層を独占するのは当然という考え方がかつては常識とされていました。しかし、1970年代以降になると公民権運動の影響もあってWASPの社会的影響力は徐々に低下。大統領選挙で共和・民主両党の大統領候補がともにWASP男性だったのは、ジョージ・ブッシュJrとアル・ゴアが戦った2000年の選挙が最後で、以後は、どちらか一方は非WASP候補となっています。

 ちなみに、非WASPの大統領は、1961年に就任したアイルランド系でカトリックジョン・F・ケネディが最初で、2009年に就任したアフリカ系のバラク・オバマが2人目(宗教的にはプロテスタント)。今回の大統領選挙で、民主党候補として多数の選挙人を確保した(とされる)ジョゼフ・バイデンはアイルランド系のカトリックですので、来年(2021年)1月に大統領に就任すれば、3人目の非WASPの米国大統領ということになります。


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 宙返りじゃないジェニー
2009-03-05 Thu 15:13
 きのう、イギリスのオークションにアメリカの“宙返り”が出品され、18万4000ポンド(約2600万円)で落札されました。というわけで、今日はこの一枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      アメリカ航空24セント

 これは、1918年5月14日に発行されたアメリカ最初の航空切手のうちの24セント切手です。当然のことながら、僕自身は“宙返り“を持っていませんので、今回は正規のモノの画像で勘弁してください。

 切手に描かれているのは、郵便飛行機のカーティスJN-4H“ジェニー”機です。ニューヨー・フィラデルフィア・ワシントンDC間に航空路が開設されたことに対応して、それぞれの料金に合わせた6セント、16セント、24セントの3種が発行されています。いわゆる宙返りは、今回ご紹介の24セントの飛行機を印刷した青い版が逆刷になっているものです。まぁ、ウィキペディアにもスミソニアンの1枚(ただし右辺がストレートエッジになっていて、あまり状態がよくありません)のほか、田型と偽物の画像が出ていますので、ご興味がおありの方はご参照ください。

 さて、“宙返り”のシートは、切手の発行初日にワシントンDCの郵便局で売り出され、アルバイトで新切手の取り次ぎを行っていたウィリアム・ロービィが1シートを額面(24ドル)で入手。1週間後に、1万5000ドルでフィラデルフィアの収集家が購入。これを分割して、1枚250ドル(ストレート・エッジのモノは175ドル)で販売すべく新聞に広告を出したものの、購入希望者がなかったため、ニューヨークの著名な収集家であったグリーン大佐が2万ドル(新聞広告に出した切手の総額は2万3575ドル)で引き取りました。

 その後、グリーンは反番号付きの8枚ブロックを切り取り、3つの田型と単片1枚の計21枚を自分のコレクションとして保存し、残りを販売しました。なお、シートが分割される前に、切手の裏面には鉛筆で1~100のポジションが記されましたが、今回、オークションに出品されたものが何番の切手だったのか、報道だけではわかりません。

 “宙返り”の現存数は80枚強と言われています。現存1桁の珍品も数多く存在しているわけですから、枚数的には極端な珍品とはいえないのですが、飛行機が宙返りしているように見えるというわかりやすさのゆえに人気が高く、オークションに出品されれば、日本円で8ケタ以上で落札されるのが常となっています。

 *“読者”様(そのようなハンドルネームでコメントを頂戴しました)からのご指摘で、記事の一部が誤りだとわかりましたので、該当個所を削除いたしました。当方の調査不足をお詫びいたします。

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 感謝祭の絵葉書
2005-11-24 Thu 15:45
 今日は米国の感謝祭(Thanks-giving Day)の日です。というわけで、単純素朴にこんな絵葉書をご紹介しましょう。

      感謝祭絵葉書

 感謝祭恒例のご馳走である七面鳥に追いかけられる子供の姿がなんともかわいらしい1枚です。第一次大戦中につくられたものですが(裏面には1917年の消印が押されています)、戦時下ということを全く感じさせない出来栄えです。アメリカという国の底力を感じさせる1枚といってよいでしょう。

 間抜けな話なのですが、あるオークション誌で「Turkey, PPC, used in 1917」という記述が目に飛び込んできて、第一次大戦中のオスマン帝国に関する絵葉書のつもりで入札したところ、落札してきたのがこの葉書でした。まぁ、落札してきたのはこの1点だけではなかったし(本命のマテリアルはきちんと手に入りました)、この葉書じたいもせいぜい5ドル位の安いものでしたので、あまりトサカに来ませんでしたが・・・。それよりも、“怪我の功名”ですが、ぱっと見た瞬間、この絵が妙に気に入ってしまい、いつかはどこかで使ってやろうとずっと思っていたものですから、今日は感謝祭にちなんでブログに画像を貼り付けてみたというわけです。

 そういえば、その昔、クリスマスに七面鳥を1羽丸々買ってきてオーブンで焼いてみたことがあります。オマケにつけられていたレシピに忠実に作ったので、味のほうはそこそこ上手くできたのですが、何せ量が多くて一度には食べきれませんでした。そこで、残った身をわさび醤油で食べてみたり、サラダのトッピングにしたり、サンドイッチに入れたり、チャーハンの具にしたり・・・といった感じで、都合、年内一杯いろいろといじって楽しんでいたのですが、さすがに、紅白歌合戦を見ることになると、いい加減、普通の鶏が無性に恋しくなったことを思い出します。

 以来、七面鳥の丸焼きを自宅で作るのは自粛しているのですが、今日のような葉書を見ていると、またぞろ、七面鳥が食べたくなってきました。まぁ、今日のところは、七面鳥の肉は止めておいて、野生の七面鳥のラベルがついたウイスキー(=ワイルド・ターキー)でお茶を濁すことにしますか。

 さて、昨日のブログで予告した今朝のラジオ放送は、無事、終了しました。なにぶんにも、収録は約1月前の10月27日でしたので、自分でも話した内容を忘れていましたが、まずは無難にこなしていたように思います。お聴きいただきました皆様には、この場をお借りしてお礼申し上げます。
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