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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 TAXE
2024-03-15 Fri 09:11
 所得税の確定申告は今日(15日)までですが、皆さんは無事に済まされましたか?手回し良く2月中に済ませたという方も多いのでしょうが、僕は今年もまた〆切ギリギリの申告となりました。というわけで、毎年恒例“TAX”ネタの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      カンボジア・不足料(1957)

 これは、1957年にカンボジアが発行した不足料切手で、龍王や龍神、蛇神などのもとになった七頭の“ナーガ”が描かれています。

 近代郵便が料金の前納を原則としている以上、料金の未納・不足というのは一定の割合で必ず発生します。そうした場合、郵便サービスを提供する側としては、不足分+ペナルティを受取人から徴収しようとするわけですが、そうしたペナルティ込みの料金を徴収するための切手、すなわち不足料切手を発行している国というのは少なからずあります。(日本では発行されたことがありません)

 今回ご紹介のカンボジアの切手もその一例で、フランス語の“TIMBRE-TAXE”の文言が入っています。この“TAXE”は英語の“TAX"に相当する語ですが、ここでは“郵税(=郵便料金)”の意味です。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。

 また、ナーガについては、拙著『龍とドラゴンの文化史』でも1章を設けていろいろご説明しております。同書につきましては、 オンラインサロン・内藤総研にて会員の方向けにサイン本の割引販売も行っておりますので、よろしかったら、こちらで会員登録(無料会員で可)の上、ご利用いただけると幸いです。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 3月22日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 3月27日(水) 10:00~ ニッポンジャーナル
 インターネット番組「ニッポンジャーナル」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。皆様、よろしくお願いします。

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。

 謀略の世界史 原則毎月第1土曜日 13:00~14:30
 MI6、CIA、モサドなど各国の情報機関のあらましや、現代史の中で彼らが実際に関与した事件などを幅広くご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。

 武蔵野大学のWeb講座 
 大河企画の「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」、引き続き開講中です。詳細はこちらをご覧ください。 

 「龍の文化史」、絶賛配信中です。龍/ドラゴンにまつわる神話や伝説は世界各地でみられますが、想像上の動物であるがゆえに、それぞれの物語には地域や時代の特性が色濃く反映されています。世界の龍について興味深いエピソードなどを切手の画像とともにご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。


 ★ 『今日も世界は迷走中』 オーディオブックに! ★

      今日も世界は迷走中audible

 拙著『今日も世界は迷走中』がAmazonのオーディオブック“Audible”として配信されました。会員登録すると、最初の1冊は無料で聴くことができます。お申し込みはこちらで可能です。

★ 『龍とドラゴンの文化史』 好評発売中!★

      龍とドラゴンの文化史・帯なし

 辰年にちなんで、中国 の龍を皮切りに、 日本 、朝鮮、琉球、東南アジア、キリスト教世界など、世界の龍について、そのベースとなる文化史や興味深いエピソードなどを切手とともにご紹介します。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 カンボジア、フン・セン首相の長男が権力世襲
2023-08-08 Tue 08:44
 カンボジアのシハモニ国王は、きのう(7日)、フン・セン首相の長男、フン・マネット陸軍司令官を新首相に指名する勅令を出しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      カンボジア・プレアヴィヒア寺院(2008)

 これは、2008年11月9日、プレアヴィヒア寺院が同年7月7日にユネスコの世界遺産に登録したことを記念してカンボジアが発行した記念切手です。同寺院はタイとカンボジアの国境紛争の象徴的な存在となっており、2008年、カンボジアによる世界遺産登録が認められたことをきっかけに両国の関係が緊張し、2011年には武力衝突も発生しました。

 今回、新首相の大命が下ったフン・マネットは、その停戦交渉に尽力し、実績を上げたことで、父親であるフン・センの後継者としての地位を確立したとカンボジア当局は説明していますので、ピックアップしてみました。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。


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 新講座「龍の文化史」 8月9日配信開始!
 武蔵野大学の新たなWeb講座「龍の文化史」が8月9日から配信開始になります。龍/ドラゴンにまつわる神話や伝説は世界各地でみられますが、想像上の動物であるがゆえに、それぞれの物語には地域や時代の特性が色濃く反映されています。今回の講座では、日本の龍を皮切りに、中国、朝鮮、琉球、東南アジア、キリスト教世界など、世界の龍について興味深いエピソードなどを切手の画像とともにご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。

 8月11日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 8月13日(日) 21:55~  拉致被害者全員奪還ツイキャス
 8月13日(日)、拉致被害者全員奪還ツイキャスのゲストで内藤が出演しますので、よろしかったら、ぜひ、こちらをクリックしてお聴きください。

 ジョン・F・ケネディとその時代
 毎月第4土曜日開催のよみうりカルチャー北千住での講座です。今から60年前の1963年11月に暗殺されたケネディ大統領とその時代について、様々な角度から解説をします。詳細はこちらをご覧ください。

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。
 
 武蔵野大学のWeb講座 
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★ 『今日も世界は迷走中』 好評発売中!★

      今日も世界は迷走中

 ウクライナ侵攻の裏で起きた、日本の運命を変える世界の出来事とは!内藤節炸裂。

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 シアヌークヴィル
2020-02-15 Sat 03:16
 新型コロナウイルスに感染した疑いのある乗客がいるとして、今月1日、香港を出発して日本に向かったものの日本が事実上入国を拒否。その後、フィリピン、タイ、米領グアムも入港を拒んでいたクルーズ船“ウエステルダム”の乗客が、きのう(14日)、カンボジア南部シアヌークヴィル港で下船を開始しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      カンボジア・シヌークヴィル(1960)

 これは、1960年にカンボジアが発行した“シアヌークヴィル港建設計画”の切手、港湾地区の地図と、地名の由来となったノロドム・シハヌーク(当時の地位は“国家元首”)の肖像が描かれています。

 フランス領インドシナ時代、国際港は現在のヴェトナム沿岸に集中していました。このため、1953年11月9日、フランスから完全独立を達成したカンボジアは、新たに独自の国際港を確保する必要が生じ、1955年8月、コンポンソム湾(タイランド湾)に面したジャングルが伐採され、シアヌークヴィル市の開発が始まりました。大深度岸壁を備える深水港の建設が本格的に始まったのは1964年のことで、1969年にはシアヌークヴィル=プノンペン間の鉄道が全線開通したほか、ソ連の支援により、国際空港も建設されています。

 その後、カンボジアの内戦で開発は頓挫していましたが、そのためにかえって手つかずの自然が残されたこともあって、内戦終結後の1990年代後半から、リゾートとして脚光を浴びることになります。

 ところで、カンボジアの支配政党である人民党は、ヴェトナムとの関係が深い人民革命党政権の流れを汲んでおり、ポル・ポト派政権および三派連合(ポル・ポト派、シハヌーク派、ソン・サン派)を支援してきた中国とは長らく対立関係にありました。しかし、1997年7月、王族で第1首相のノロドム・ラナリット(フンシンペック党)の外遊中、第2首相のフン・セン(人民党)が武力クーデターを起こて権力を掌握。このため、ラナリットは国際社会に対して介入を訴え、フンシンペック派の兵士はポル・ポト派とともにタイ国境地帯で戦闘を続け、フン・セン政権は国際社会から孤立します。この事態に対して、中国はいち早くフン・センを支援し、以後、カンボジアは中国に接近していくことになりました。

 さらに、2000年代半ば以降、中国からカンボジアへの援助は拡大の一途をたどり、2010年には対カンボジア支援で中国は日本を抜いて最大の援助国となりました。具体的には、第2チュロイチョンヴァー橋、国道7、8、9号線などの大型インフラの整備が中国の資金によって建設されたほか、交通インフラ、農業、エネルギー・電力、水・衛生等の分野には借款、教育分野には無償援助が行われています。

 さらに、2014年に中国の習近平政権が“一帯一路”構想を打ち出すと、カンボジア唯一の国際港であるシアヌークビルはその重要拠点と位置付けられ、中国資本による大規模な不動産開発がすすめられたほか、中国人労働者・観光客が大挙して流入。この結果、現在のシアヌークヴィルは、事実上、中国の“植民地”になっています。

 こうした状況の下、2012年12月1日、マカオの犯罪集団“14K”の元ボスで、“返還”前年の1998年に逮捕・収監された崩牙駒(歯欠けの駒)こと尹國駒が刑期を終えて出獄。出獄後の尹は中共と結びつき、一帯一路の尖兵として中国文化を広めるため世界各地に学校を建設する一方、カンボジアを拠点に、詐欺やマネーロンダリングが主目的とみられる独自仮想通貨“ドラゴン・コイン”を立ち上げ、Eコマース、ホテルとカジノ、セキュリティ会社を展開して、カンボジアで隠然たる勢力を築いています。

 ちなみに、現在、シアヌークヴィル港に停泊中のクルーズ船“ウエステルダム”にはカジノの施設もあり、それを目的に乗船している乗客も少なくありません。新型コロナウィルスの影響でマカオのカジノが少なくとも2月20日まで閉鎖に追い込まれる中、シアヌークヴィルのカジノ利権を握っている尹にとって、乗客たちの下船が美味しいビジネスになるという側面があることにも留意しておいた方が良いかと思います。

 このほかにも、シアヌークヴィルに関しては、中国人による不正な臓器売買の温床になっているとの指摘もあり、感染を理由に“隔離”された乗客がその犠牲になる恐れもありそうです。

 いずれにせよ、情報統制を含め、中国がコントロールしやすい“なんでもあり”の土地柄だけに、シアヌークヴィルで下船した乗客の方々が、最終的には、無事に故郷へ帰還されることをお祈りしております。


★ 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★

 2月21日(金)05:00~  文化放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。

★★ イベント・講座等のご案内 ★★

 今後の各種イベント・講座等のご案内です。詳細については、イベント名・講座名をクリックしてご覧ください。

・よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治
 毎月第1火曜日 15:30~17:00
 3/3(1回のみのお試し受講も可)

★★  内藤陽介の最新刊 『日韓基本条約』 ★★

      日韓基本条約・表紙 本体2000円+税

 出版社からのコメント
 混迷する日韓関係、その原点をあらためて読み直す!
 丁寧に読むといろいろ々発見があります。

 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 クメール正月
2019-04-14 Sun 01:30
 きょう(14日)は、インドシナ諸国では伝統的な暦で新年にあたります。というわけで、カンボジアの“クメール正月”に関する切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      カンボジア・クメール正月

 これは、1960年にカンボジアで発行された“ボン・スロン・タック・プレア(クメール正月の水かけの儀式)”の切手です。

 カンボジアを含むインドシナ諸国では、もともと、春に太陽が白羊宮に入る日をもって新年のスタートとしていました。当然のことながら、その日附はグレゴリオ暦では年により異なるのですが、現在では、4月14日が伝統的な暦の新年として固定されています。

 カンボジアのクメール正月の期間は、4月14-16日の3日間で、初日の14日(モハサンカラン)は、新旧の神が交代する日で、人々は身を清め、お盆の上に花や果やお菓子を載せて家の前に置き、寺院に参拝します。2日目の15日(ヴィラク・ワンナバット)は、貧しい人や体の不自由な人に施しを行う日で、3日目の16日(ヴィラク・ルンサク)に水かけの儀式が行われます。

 水かけの儀式では、まず、敬意を込めて仏像にお清めの水を、ついで、白いベビーパウダーまでふりかけます。その後、参加者は、今度は一列に並んだ僧に1人ずつ水をかけます。僧への水かけが終わると、今度は僧が読経しながら人々へ水をふりかけ、人々は合掌して祈りながら水をかけてもらうのが伝統的な段取りです。ただし、現在では、そうした寺院での儀式とは別に、街中で旅行者を含めて互いに水を掛け合うイベントも盛んに行われています。

 本来、在家の信者が僧に水をかける際には、履き物を脱いで裸足になるのがマナーなのですが、今回ご紹介の切手では、僧に水をかけているのが、傘をさす侍従を従えたコサマック王妃(シソワット・コサマック・ニヤリリヤット)であるため、例外的に靴を履いた姿となっています。

 シソワット・コサマック・ニヤリリヤットは、1904年、シソワット・モニヴォン王の娘としてプノンペンで生まれました。1920年、いとこのノロドム・スラマリットと結婚。1941年、父王の死後、息子のシハヌークが国王に即位しましたが、1953年のカンボジア独立を経て、1955年、シハヌークは政務に専念するために退位。このため、代わりにスラマリットが国王として即位したため、コサマックも王妃となります。

 1960年、スラマリットが崩御すると、カンボジア国王は空位となり、シハヌークが新設の“国家元首”に就任。皇太后となったコサマックは国王の“象徴”として国王に準じる待遇を受けました。1970年、シハヌークの外遊中に発生して政変で王制が廃止され、シハヌークは北京に亡命した後も、彼女は王宮に留まっていました。しかし、1973年、彼女も北京に渡り、1975年、クメール・ルージュによるプノンペン陥落の直後、滞在先の北京で病死しました。


★★★ メディア史研究会で発表します! ★★★

 4月20日(土) 14:00から、東京・水道橋の日本大学法学部三崎町キャンパス4号館地下1階 第4会議室A(地図はこちらをご覧ください)にて開催のメディア史研究会月例会にて、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』の内容を中心に、「メディアとしての“英雄的ゲリラ”」と題してお話しします。

 なお、メディア史研究会はまったく自由な研究会で、会員以外の方でも気楽にご参加いただけますので(もちろん、無料)、よろしかったら、ぜひ、遊びに来てください。

      
★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★

      チェ・ゲバラとキューバ革命 表紙カバー 本体3900円+税
 
 【出版元より】
 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。

 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 カンボジアで総選挙
2018-07-30 Mon 03:35
 きのう(29日)、カンボジア総選挙(下院、定数125)の投開票が行われ、与党・カンボジア人民党のソク・イーサン広報官は「投票数の80%を獲得した」と発表しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      カンボジア・UNTAC(武装解除)

 これは、1993年にカンボジアが発行した“国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)”の切手のうち、UNTACによる武装解除を描いた1枚です。

 1991年10月23日、カンボジア内戦を終結させるための「カンボジア紛争の包括的な政治解決に関する協定」(パリ和平協定)が調印されました。同協定にもとづき、国際連合事務総長の下、自由で公正な選挙で選ばれた議会が憲法を制定し政府を設立するまでの間、カンボジアの統治を担う機関として設立されたのがUNTACで、自衛隊にとっては初の国連PKOへの参加となりました。

 すでに、1991年10月、国連はカンボジア先遣隊 (UNAMIC) を設立していましたが、UNTACの任務はこれを拡大し、選挙の組織・管理を初めとして、停戦の監視、治安の維持、武装勢力の武装解除、難民・避難民の帰還促進など、多岐に渡る業務を担当。1992年3月15日から現地に展開し、UNAMICはこれに改編・吸収されました。

 その後、1993年5月、UNTAC監視の下、憲法を制定するための国民議会選挙が行なわれてフンシンペックが第一党となり、9月23日に新憲法が公布され、翌24日にはノロドム・シハヌークが国王に復位してカンボジア王国が再建されたことを受け、UNTACは同日付けで任務を終了。同年末までに撤収されしています。

 さて、今回の選挙は、1993年の制憲議会選挙から数えて通算6回目となります。前回2013年の選挙では、全議席(当時の定数は123)を人民党(68議席)と野党のカンボジア救国党(55議席)の2党が分け合いったほか、昨年(2017年)の地方選挙でも救国党が躍進。1998年以来の長期政権を担ってきたフン・セン首相は、これに危機感を抱き、救国党の党首を逮捕し、最高裁は同党に解散を命じるなど、強引な手法で野党を抑え込みました。さらに、今月27日以降は、政権に批判的な複数のメディアのウェブサイトの閲覧できなくなっていました。

 このため、元救国党幹部らは逃亡先の国外から、国民に投票ボイコットを呼び掛けていましたが、人民党は選挙の“正統性”を示すため、国民に対して投票を行くようさまざまな圧力をかけたため、投票率は前回の69.61%を大きく上回る80%超(選管発表による)を記録。これにより、計算上は、人民党の獲得議席も100議席となる見通しだそうです。

 ただし、上述のような状況のため、米国やEUは選挙支援を停止。わが国も、投票箱提供などの選挙協力を続けるものの、監視員派遣は見送り、最大野党の解体などについて懸念を伝えています。UNTAC監視下の政権選挙から、ことしはちょうど25周年ですが、その節目の年に、“自由で公正な選挙”がカンボジアで行われなくなってしまったのは、何とも残念な話ですね。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 

★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

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 石澤良昭氏にマグサイサイ賞
2017-09-01 Fri 14:51
 “アジアのノーベル賞”といわれるマグサイサイ賞の授賞式が、きのう(31日)、マニラで開かれ、カンボジアの世界遺産アンコール遺跡群の修復・保全に尽力してきた上智大の石澤良昭教授ら、個人5人と1団体に授与されました。というわけで、今日は、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      カンボジア・アンコールのアプサラス

 これは、1973年にカンボジア(当時の国号はクメール共和国)で発行された“アンコール・ワットのアプサラス像”を取り上げた切手です。アンコール遺跡関連の切手はいろいろあって何を持ってこようか迷ったのですが、今回、マグサイサイ賞を受賞した石澤教授は碑刻文研究がご専門ということですので、物語のレリーフを取り上げた1枚の中から選んでみました。

 アンコール・ワットは、12世紀前半、アンコール王朝のスーリヤヴァルマン2世(在位1113-45)によって、ヒンドゥー寺院として建立されました。ちなみに、アンコールは、サンスクリットの“ナガラ(都市)”に相当するクメール語で、ワットは“寺院”を意味しています。

 寺院の境内は東西1500m、南北1300m、幅190mの濠で囲まれており、正門は西側に位置しており、伽藍は、主として砂岩とラテライトで築かれており、近隣の製鉄技術も活用されています。また、前庭の南北には経蔵と聖池があり、前庭の奥には三重の回廊に囲まれ5つの祠堂がそびえています。

 第一回廊の壁面には精緻な彫刻が施されていますが、その題材は、西面南がインド古典文学の『マハーバーラタ』および『ラーマーヤナ』の場面、南面西が施主のスーリヤヴァルマン2世の行幸風景、南面東が天国・地獄図、東面南が乳海攪拌(ヒンドゥーにおける天地創造神話)です。なお、東面北と北面には、16世紀頃のアンチェン1世の時代に彫られた、クリシュナ(ヒンドゥーの最高神の1人、ヴィシュヌの化身)が怪物バーナを討伐する場面の像があります。

 第一回廊と第二回廊の間には、かつては、信者から寄進された無数の仏像が置かれており、それゆえ“千体仏の回廊”を意味する“プリヤ・ポアン”と呼ばれていましたが、それらは、ポル・ポト政権時代に破壊されてしまいました。また、第二回廊には彫刻などはなく、ここを抜けて急勾配の石段を登って第三回廊に入る構造になっています。

 第三回廊は中央と四隅に須弥山(古代インドの神話で世界の中心とされた山)を模したトウモロコシ型の祠堂がそびえ、本堂となる中央の祠堂の高さは65m。かつて本堂にはヴィシュヌが祀られていましたが、現在は壁で埋められ4体の仏像が祀られています。また、第三回廊の壁面には、今回ご紹介の切手に見られるようなアプサラスの像が数多く施されています。
 
 アプサラスはインド神話に登場する女の水精で、もともとの意味は“水のなかで動くもの、雲の海のあいだを行くもの”です。その後、仏教を通じて中国へと伝わり、天女、天人、飛天nなどと漢訳されるにつれ水の属性は薄れ、空の属性が強調されていったと考えられています。ちなみに、拙著『切手が伝える仏像』では、今回の切手を含め、各国のアプサラスと天女・飛天の切手を並べてご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  次回は7日!★★★ 

 9月7日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第8回が放送予定です。今回は、1999年のパナマ運河返還を決めた新パナマ運河条約の調印(1977年9月7日)から40周年ということで、パナマにスポットを当ててお話をする予定ですので、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。

 ★★★ トークイベントのご案内  ★★★ 

      タウンミーティング in 福山

  2017年9月17日(日) 14:00~、広島県立ふくやま産業交流館で開催の「日本のこころタウンミ-ティング in 福山」に憲政史家の倉山満さんとトークイベントをやります。お近くの方は、ぜひ、ご参加ください。なお、イベントそのものの詳細は、こちらをご覧ください。
      
 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 カンボジアの翼
2015-04-07 Tue 12:38
 日本の政府開発援助(ODA)による無償供与約120億円によるプロジェクトとして、カンボジア南東部ネアックルンのメコン川に架けられていた“つばさ橋(全長2200m)”が完成し、昨日(6日)、フン・セン首相らが出席して開通式が行われました。というわけで、カンボジアの“つばさ”ということで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       カンボジア・ガルーダ

 これは、1973年にカンボジアで発行されたガルーダを描く航空切手です。

 カンボジアは、1953年11月9日に“カンボジア王国”として独立しましたが、1960年3月以降、“国家元首”となったシハヌークは“王制社会主義”を掲げ、左派色の強い開発独裁政策を推進しました。これに対して、左派・リベラル色の強いシハヌークを嫌った米国は、1970年3月、シハヌークが北京に外遊している隙をついて、首相兼国防相ロン・ノル将軍と副首相シリク・マタク(シハヌークの従兄弟)らにクーデターを敢行させます。シハヌークは国家元首から解任され、王制は廃止され、“クメール共和国”の樹立が宣言されました。これに伴い、以後、1975年にポルポト派がカンボジア全土を制圧し、“民主カンプチア”の成立を宣言するまでは、今回ご紹介している切手のように“クメール共和国”の表示の切手が発行されることにとなりました。

 切手の題材となっているガルーダは、インド古典文学『マハーバーラタ』に登場する半鳥半人の半神は、頭・翼・爪・口はワシ、胴・腕・脚は人間の姿で表現されるのが一般的です。仏教・イスラム伝来以前よりヒンドゥー教圏であった東南アジア諸国では他のヒンドゥー諸神と併せて祀られており、タイでは国章などにも用いられています。ちなみに、切手に描かれたガルーダのレリーフは、アンコール・トムの遺跡にある12世紀の像です。

 なお、ガルーダについては、東南アジア各国で様々な切手が発行されていますが、その一部は、拙著『切手が伝える仏像』でもご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 ・4月25日(土) 11:00-12:00 スタンプショウ
 於 東京都立産業貿易センター台東館(浅草) 特設会場
 出版記念のトークを行います。入場は完全に無料ですので、ぜひ、遊びに来てください。スタンプショウについての詳細はこちらをご覧ください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』 発売! ★★★ 

         日の本切手 美女かるた・表紙 税込2160円

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾンboox storee-honhontoYASASIA紀伊國屋書店セブンネットブックサービス丸善&ジュンク堂ヨドバシcom.楽天ブックスをご利用ください。


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 世界の国々:カンボジア
2014-11-19 Wed 12:44
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2014年11月19日号が、先週、刊行されました。僕が担当しているメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はカンボジアの特集です。その記事の中から、この切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      カンボジア・松葉杖

 これは、内戦終結後の1996年に発行された800リエル切手で、国民和解の象徴として、内戦時に埋められた地雷で負傷する人々のために松葉杖を作る障碍者が取り上げられています。

 1945年3月、日本軍がインドシナ半島のフランス軍を駆逐すると、ノロドム・シハヌークはカンボジアの独立を宣言します。しかし、同年8月15日、日本は連合国に降伏し、ヴェトナムではホーチミンがヴェトナム民主共和国(ヴェトミン)の独立を宣言。その際、歴史的にヴェトナムの圧迫を受け続けてきたカンボジアは、ヴェトミンの侵略を恐れて、一旦フランスの帰還を制限つきで承認するとともに、シハヌークがみずから米国を始めとする諸外国を歴訪してカンボジアの現状と独立を国際世論に訴えました。

 その結果、1949年、カンボジアはフランス連合内での形式的な独立を認められましたが、フランスは警察権・軍事権を手放しませんでした。このため、シハヌークは離宮に籠もり「完全独立が達成されるまで首都・プノンペンには戻らない」と宣言。これを機に、カンボジア国内では反仏デモが盛り上がり、1953年11月9日、カンボジア王国の完全独立が達せられます。

 独立後の1955年3月、立憲君主国の象徴的な元首としての“国王”の地位にあきたらなくなったシハヌークは退位し、父親のノロドム・スラマリットを国王として即位させました。

 退位後のシハヌークは“殿下”の称号を使いつつ、政治団体・社会主義人民共同体(サンクム・リアハ・ニヨム)を結成。同年の総選挙は与党が全議席を獲得するという圧勝となり、シハヌークは首相兼外相に就任します。さらに、1960年3月、国王が崩御すると、王位を空位として新設の“国家元首”となり、“王制社会主義”の看板を掲げ、左派色の強い開発独裁政策を推進しました。

 これに対して、左派・リベラル色の強いシハヌークを嫌った米国は、1970年3月、シハヌークが北京に外遊している隙をついて、首相兼国防相ロン・ノル将軍と副首相シリク・マタク(シハヌークの従兄弟)らにクーデターを敢行させます。シハヌークは国家元首から解任され、王制は廃止され、“クメール共和国”の樹立が宣言されました。

 これに対して、シハヌークはクーデター後も北京に留まって、亡命政権“カンボジア王国民族連合政府”を結成。ロン・ノル政権打倒を掲げて、中国・北朝鮮の仲介でクメール・ルージュ(ポル・ポト派)と提携し、カンボジアは本格的な内戦の時代に突入します。

 ロン・ノル政権と反政府勢力との内戦は、1975年、カンボジア全土を制圧したポル・ポト派が、シハヌークを国家元首とする共産主義国家“民主カンプチア”の成立を宣言することでいったん終結。シハヌークも滞在先の平壌から帰国しました。

 しかし、1979年までに100万人以上の国民が亡くなったとされるポル・ポトの恐怖支配の下では、シハヌークの“国家元首”も名目的なものにすぎず、彼と家族はプノンペンの王宮での事実上の幽閉生活を余儀なくされました。

 シハヌークは病気療養を理由に海外出国を望んだものの許されず、1976年4月、国家元首の辞任が認められただけでした。結局、1979年にヴェトナム軍がカンボジアに侵攻すると、彼は、国連でヴェトナム軍の不当性を訴えるという名目で国外に脱出します。

 1979年、ポル・ポト政権が崩壊し、ヴェトナムの支援を受けたカンプチア人民共和国が成立すると、ポル・ポト派とシハヌーク派、ロン・ノル派の流れをくむソン・サン派の3派は連合し、ヴェトナム軍およびヘン・サムリン軍との内戦が続くことになります。

 その後、1991年10月、カンボジアの内戦はパリ和平協定が締結されまで続きましたが、和平協定の調印後は、国家再建のため、1992年3月から、明石康を事務総長特別代表とする国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)による統治がスタート。1993年5月には国連の監視下で民主選挙が実施されました。選挙は無事に終了し、選挙後の制憲議会は、同年9月、新憲法を発布し、シハヌークを国王とする立憲君主制が復活しました。

 さて、『世界の切手コレクション』11月19日号の「世界の国々」では、シハヌークを軸にしたカンボジア現代史について概観しているほか、アンコール遺跡を取り上げた世界最初の仏像切手、伝統的な銀細工や民族衣装、隣国タイとの係争地にあるプレアヴィヒア寺院の切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、本日発売の11月26日号では、「世界の国々」はアフガニスタンにフォーカスを当てておりますが、こちらについては、来週水曜日に、このブログでもご紹介する予定です。


 ★★★ インターネット放送出演のご案内 ★★★

      チャンネルくらら写真

 毎週水曜日、インターネット放送・チャンネルくららにて、内藤がレギュラー出演する番組「切手で辿る韓国現代史」が配信されています。青字をクリックし、番組を選択していただくとYoutube にて無料でご覧になれますので、よろしかったら、ぜひ、ご覧ください。(画像は収録風景で、右側に座っているのが主宰者の倉山満さんです)

 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 毎月1回(原則第1火曜日:1月6日、2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 次回開催は1月6日(都合により、12月はお休みをいただきます)で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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 シハヌーク前国王崩御
2012-10-15 Mon 11:17
 カンボジアの前国王、ノロドム・シアヌーク陛下(以下、“シハヌーク”と敬称略)が、きょう(15日)未明、療養先の北京で崩御されました。享年89。謹んでご冥福をお祈りいたします。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       シハヌーク(1964)

 これは、1964年、カンボジアで発行された“社会主義人民共同体(サンクム・リアハ・ニヨム)10周年”の記念切手で、国家元首としてのシハヌークの肖像が大きく取り上げられています。シハヌークの切手は、フランス領インドシナ(仏印)時代にも発行されていますが、今回は、独立後の切手を持ってきました。

 ちなみに、今回ご紹介の切手は、1964年当時、カンボジア政府が国家元首としての正式の肖像として認定していた写真をもとに制作されました。その後、ロン・ノルのクーデターで亡命を余儀なくされ、ポル・ポト政権下で事実上の幽閉状態に置かれ、さらには延々と内戦が続くという状況の中で、1993年に彼が国王として再即位するまで、政府として公認のシハヌークの肖像というのはアップデートされないままになっていましたので、新聞などでこの肖像を目にした記憶のある方も多いのではないかと思います。

 さて、シハヌークは、1922年、カンボジア王族ノロドム・スラマリットとシソワット・コサマック妃の息子としてプノンペン生まれ。同じく腐乱氏の支配下にあったサイゴンに留学中の1941年、祖父のシソワット・モニヴォン国王(コサマック妃の父)の崩御に伴い、請われて帰国し、18歳で即位しました。

 1945年3月、いわゆる明号作戦によって、インドシナ半島に進駐していた日本軍がフランス軍を駆逐すると、日本軍の影響下で、シハヌークは、ヴェトナム(バオ・ダイ)、ラオス(シーサワーンウォン)と相前後してカンボジアの独立を宣言。同年6月には、コーチシナの約半分の領有を主張し、日本へ仲介を依頼しています。

 1945年8月15日の日本の敗戦後、ヴェトナムではホーチミンがヴェトナム民主共和国(ヴェトミン)の独立を宣言しますが、フランス支配以前、歴史的にヴェトナムの圧迫を受け続けてきたカンボジアは、ヴェトミンの侵略を恐れて、一旦フランスの帰還を制限つきで承認。アメリカを始めとする諸外国を歴訪してカンボジアの現状と独立を国際世論に訴えました。

 その後、カンボジアは1949年にフランス連合内での独立を認められますが、フランス側は警察権・軍事権を手放さなかったため、シハヌークは離宮に籠もり「完全に独立が達成されるまで首都・プノンペンには戻らない」と宣言。これを機に、カンボジア国内では反仏デモが盛り上がり、1953年11月9日、カンボジア王国の完全独立が達せられました。

 独立後の1955年3月、立憲君主国の象徴的な元首としての“国王”の地位にあきたらなくなったシハヌークは退位し、父親のノロドム・スラマリットを国王として即位させました。退位後のシハヌークは“殿下”の称号を使いつつ、政治団体“社会主義人民共同体(サンクム・リアハ・ニヨム)”を結成。同年の総選挙で圧勝(全議席を制したそうです!)し、首相兼外相に就任しました。さらに、1960年3月、国王が崩御すると、王位を空位とし、自身は新設の“国家元首”となり、“王制社会主義”を推進しました。

 王制社会主義というのは、一種の語義矛盾ですが、仏教の保護と王室(実質的にはシハヌーク)の指導の下、対外的には中立政策を守り、国内では社会主義的な政策を進めるというもので、要するに、東寄りないしはリベラル色の強い開発独裁体制と言えましょう。じっさい、隣国ヴェトナムでの戦争に関して、シハヌーク政権は、ヴェベトナム解放民族戦線の補給基地や北ベトナムから南ベトナムへの人員物資補給路であるホーチミンルートの存在を黙認し、その結果として、アメリカ軍と南ベトナムの攻撃を受けています。

 こうしたシハヌークの容共姿勢に対して、1970年3月、首相兼国防相ロン・ノル将軍と副首相シリク・マタク(シハヌークの従兄弟)らは、アメリカの支援を受けてクーデターを敢行。北京に外遊中のシハヌークを国家元首から解任し、王制廃止と共和制施行を宣言しました。これに伴い、国名は“クメール共和国”と改められています。

 これに対して、シハヌークはクーデター後も北京に留まって、亡命政権“カンボジア王国民族連合政府”を結成。ロン・ノル政権打倒を掲げて、中国・北朝鮮の仲介でクメール・ルージュ(ポル・ポト派)と提携することになりました。

 1975年、カンボジア全土を制圧したポル・ポト派が、シハヌークを国家元首とする共産主義国家“民主カンプチア”の成立を宣言すると、シハヌークは平壌から帰国しました。1979年までに100万人以上の国民が亡くなったとされる悲惨な状況の下で、シハヌークの“国家元首”は名目的な地位にとどまり、事実上、プノンペンの王宮に幽閉されてしまいます。第6夫人のモニク妃と2人の間に生まれた2人の王子(シハモニ、ナリンドラポン)とわずかな側近・従者以外との同居は許されず、残りの王族は容赦なく虐殺されました。このため、シハヌークは病気療養を理由に海外出国を望んだものの許されず、1976年4月、国家元首の辞任が認められただけでした。結局、1979年にヴェトナム軍がカンボジアに侵攻すると、彼は、国連安保理でヴェトナム軍の不当性を訴えるという名目で、ようやく、国外に脱出しました。

 その後、カンボジア国内では、クメール・ルージュとシハヌーク国王派、ロン・ノル派の流れをくむソン・サン派の三派は連合し、ベトナム軍およびヘン・サムリン軍との内戦が続きましたが、1992年3月、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)が平和維持活動を開始。翌1993年4月から6月まで国連の監視下で総選挙が行なわれ、シハヌークの二男ラナリット王子の率いるフンシンペック党が第一党となり、同年9月に制定された新憲法で立憲君主制が復活。シハヌーク国王として再即位しました。

 なお、シハヌークは2004年10月29日に国王を退位し、癌治療のため、定期的に北京を訪れる生活を送っていましたが、きょう、崩御したというわけです。ちなみに、ギネスブックでは「世界の政権で最も多くの経歴を持つ政治家」として、シハヌークが認定されています。


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・よみうりカルチャー荻窪
 10月30日、12月4日、1月29日、2月5日、3月5日 13:00-14:30

 8月の韓国取材で仕入れたネタを交えながら、ソウルの歴史散歩を楽しんでみようという一般向けの教養講座です。詳細につきましては、青色太字をクリックしてご覧いただけると幸いです。皆様のご参加を心よりお待ちしております。

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 猫ひろし、五輪出場不可
2012-05-09 Wed 22:08
 カンボジア国籍を取得し、いったんはロンドン五輪男子マラソンの同国代表に選ばれたタレント、猫ひろしについて、国際陸上競技連盟は「参加資格を満たしていない」と判断。猫のロンドン五輪出場の可能性は消滅しました。というわけで、きょうは、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        キンナリー小型シート(カンボジア)

 これは、1953年4月に発行されたカンボジアの航空切手の小型シートで、それぞれの切手にはキンナリーが描かれています。

 キンナリーは、もとはヒマラヤに住む精霊の一種で、一般には、上半身が人間、下半身が鳥の姿で表現されることが多いようです。歌と踊りで神々に仕え、古典文学では美人の象徴として女性の姿で登場しますが、単語としては男性形のキンナラもあります。今回ご紹介の切手に描かれているのは中性的な顔つきですが、キンナリーとなっていますので、女性の姿ということなのでしょう。なお、キンナリーを取り上げた各国の切手については、拙著『切手が伝える仏像』でもいろいろとご紹介しておりますので、ぜひ、見比べていただけると幸いです。

 さて、ついでなので、この切手が発行されるまでのカンボジア近代史についてもおさらいしておきましょう。

 フランスによるインドシナ植民地化の過程で、1863年8月、フランスはカンボジア王と「修好、通商及びフランス国の保護に関する条約」を締結し、カンボジアを保護国化します。1867年7月には、カンボジアの宗主国であったシャム(現タイ)もカンボジアに対するフランスの保護権を承認。1887年には現在のカンボジア領の大半がフランス領インドシナの一部となり、1893年のパークナーム事件を経て、バッタンバン、シェムリアップ、シソポンの各地域もフランスに割譲され、カンボジア全土がフランス領インドシナに編入されました。

 こうした経緯もあって、第2次大戦でフランス本国が敗れた後の1940年11月、タイ・フランス領インドシナ間で、カンボジア、ラオスの領土をめぐり国境紛争が勃発。1941年5月、日本の調停によりタイ・フランス両国間で平和条約(東京条約)が結ばれ、タイはバッタンバンなどカンボジアの失地を回復します。さらに、1945年3月、カンボジア王ノロドム・シハヌークが日本軍の明号作戦に呼応してカンボジアの独立を宣言しましたが、日本の敗戦により、カンボジアは再びフランスの支配下に置かれることになりました。

 これに対して、シハヌークは粘り強く独立運動を続け、1947年には憲法を公布、1949年にフランス連合内での独立を獲得。1953年には警察権・軍事権を回復してカンボジア王国として完全独立を達成し、今回ご紹介の切手が発行されるに至ったというわけです。

 その後のカンボジアは、1970年のロン・ノルによるクーデターで発足したクメール共和国、1976-79年のポルポト時代、1979年に始まるヘン・サムリン政権と1982-91年の内戦を経て、1991年に現在のカンボジア王国が成立するという激動の歴史をたどることになります。

 さて、“カンボジア人”になったばかりの猫ひろしが、カンボジアの近現代史についてどの程度の知識を持っているのか、テレビのインタビューなどを見る限りでは良くわからないのですが、報道によれば、ご本人いわく「カンボジア人として4年後のリオデジャネイロ五輪を目指す」ということだそうです。そういうことなら、その間、近現代史の概説を含めたカンボジア入門の番組なり書籍なりを、ぜひ、作っていただきたいものですな。

 *けさ、カウンターが103万PVを越えました。この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。

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 タイ=カンボジア国境で交戦
2011-02-05 Sat 19:21
 世界遺産のプレアヴィヒア寺院周辺にあるタイとカンボジアの国境未画定地域付近で、きのう(4日)からきょう(5日)にかけて両国軍が2度交戦し、カンボジア側によると、カンボジア人兵士2人と民間人1人が死亡、12人が負傷し、タイ軍兵士が23人死亡、数十人が負傷したとのことです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        プレアヴィヒア寺院(1963)

 これは、1963年にカンボジアが発行したプレアヴィヒア寺院の切手です。

 現在のタイとカンボジアならびにラオスとの国境は、基本的に、1893年のパークナーム事件の後、フランスがタイの領土や属国の一部を併吞した結果として、1904年に画定されたものですが、カンボジアとタイ国境にあるダンレク山地内については未確定なままになっていました。

 このため、プレアヴィヒア寺院を含む山地内土地については、タイと仏印ならびに独立後のカンボジアがそれぞれ領有権を主張していました。このため、問題はハーグの国際司法裁判所に持ち込まれ、1962年、とりあえず寺院そのものはカンボジア領とされましたが、周辺の土地の帰属は確定されませんでした。

 その後、カンボジアは1970年代から内戦に突入し、この問題も棚上げとなっていましたが、1993年に内戦が終結し、カンボジアが急速に復興を遂げていく中で、2008年、カンボジアはプレアヴィヒア寺院のユネスコ世界遺産への登録申請を行います。これに対して、もともとカンボジアそのものがタイの属国であったという歴史認識をもつタイ国民の多くが激昂。同年7月、外務大臣がカンボジアによる世界遺産登録に反対しなかったため辞職に追い込まれると、それに報復するかのように、カンボジア側はタイ人3人が寺院に不法侵入したとして彼らを拘束し、一事、国境地帯で両国の軍隊がにらみ合う状況となりました。

 以来、プレアヴィヒア寺院問題は、タイとカンボジアの間の火種としてくすぶっており、それが今回の衝突につながったというわけです。

 なお、タイ側が主張するように、かつてカンボジア西部のバッタンバンやシェムリアップなどはタイ領としてタイの切手が使われていましたが、その実例については、拙著『タイ三都周郵記』でもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

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