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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 世界遺産破壊の過激派に判決
2016-09-28 Wed 10:47
 2012年にマリ北部の世界遺産都市・トンブクトゥの文化遺産の破壊を主導したとして戦争犯罪の罪に問われていたイスラム過激派組織、アンサール・ディーンの元指導者アフマド・ファキ・マフディ被告に対し、きのう(27日)、国際刑事裁判所は禁錮9年の判決を言い渡しました。文化財の破壊が戦争犯罪として裁かれたのは初めてのことです。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      トンブクトゥ・シディヤフヤーモスク(1914)

 これは、現在のマリ共和国が仏領オート・セネガル・ニジェールだった時代の1914年、トンブクトゥから差し出された絵葉書で、2012年にアンサール・ディーンによって破壊された同地のシディ・ヤフヤー・モスクの往時の姿が取り上げられています。

 トンブクトゥの起源については諸説ありますが、11世紀前半、遊牧民であるトゥアレグ人がサハラ交易の冬の宿営地として始まったと考えられています。

 トゥアレグ人たちのサハラ交易は、サハラ砂漠の西部の大塩床タガザから駱駝で運ばれてくる塩板(板状の岩塩)と南のアカン金山やセネガル川上流で採掘される金などを商品にして、それを北アフリカからやってくるアラビア商人のもたらす衣類・刀剣などの手工業製品や馬などと交換するものでした。サハラを越えてやってきたトゥアレグ人の隊商は、ニジェール川にも近いサハラ南縁の地に大きな井戸を見つけ、その周辺を宿営地として選びました。

 井戸の周囲には、その昔、ブクトゥという女性が住んでおり、彼女は交易に出るトゥアレグの隊商たちの荷物を預かっていたといわれています。そこで、いつしかこのオアシスの周囲は“ブクトゥの井戸”を意味するトンブクトゥの名前で呼ばれるようになり、次第に集落がつくられていったと考えられています。

 1230年頃、カンガバ(ニアニ)の王子として生まれたスンジャータ・ケイタはクリコロ(現在のマリの首都、バマコの近郊)で王として即位。彼の国は“王の在所”を意味する“マリ”の名で呼ばれるようになりました。その後、マリ帝国はサハラ交易の富によって繁栄してその版図を拡大し、13世紀末までにはトンブクトゥもその支配下に入ります。

 当時のトンブクトゥでは、城内に持ち込まれる塩に対しては、ラクダ1頭当たり金貨で約4gの税が、城内から持ち出される塩には金貨で約8gの税が課されていました。塩を運んで町を往来するラクダの数は毎年2万頭以上もありましたから、それだけで、町は莫大な税収を手にしていたことになります。

 帝国は、マンサ・ムーサ(在位1312-37年)からマンサ・スレイマン(在位41-60年)の治世下、大西洋岸からトンブクトゥおよびガオまで及び、ブレおよびバンブクの金鉱もおさえて、帝国は絶頂期を迎えました。当時の総資産は、金の価格などから推定すると、現在の貨幣価値にして約4000億ドルにも達したといわれています。

 マンサ・ムーサは、1324年にメッカ巡礼を行い、その帰途、エジプトやモロッコから著名な学者や文化人、建築家などを連れ帰り、帰国後、トンブクトゥとガオに巨大なモスクや学院を建立しました。

 このうち、トンブクトゥでは、1325年、マンサ・ムーサがメッカから連れ帰ったアンダルス(イスラム支配下のスペイン)の建築家、サヘリーによって、井戸の南方に巨大モスクのジンガレー・ベルが建立されています。

 ジンガレー・ベルから北西の方角には、やはりマンサ・ムーサ時代に建立されたサンコーレ・モスクと、その南側には1400年から1441年にかけて、40年もの歳月をかけて建造されたシディ・ヤフヤー・モスク(今回ご紹介の葉書に取り上げられたモスクです)があります。ふたつのモスクはもともと学院として建てられたもので、往時には2万5000人もの学生・学者が学び、膨大な数の書物が集められました。また、モスクの周囲には、地元の聖者音墓廟が設けられ、人々の信仰を集めていました。

 16世紀末、トンブクトゥを占領したモロッコの軍勢は膨大な量の書物を略奪していきましたが、地元の人々は書物を土壁の中に隠したり、砂漠の中に埋めたりするなどして、相当数の写本を略奪者の手から守りました。19世紀以降のフランス植民地時代にも、相当数の写本がフランスへ持ち出されましたが、それでも、1万点を超える写本がトンブクトゥに残され、それらは、市内のアハメド・ババ研究所などに保管されていました。

 2012年夏、トンブクトゥを支配下に置いていたイスラム武装勢力、アンサール・ディーンは、これらモスクとその周辺の聖者廟を破壊します。いわゆるイスラム原理主義者たちの理解によれば、聖者廟への参詣は偶像崇拝を禁じたイスラムの教義に反するというのがその理由です。

 このため、危機感を抱いたアハメド・ババ研究所のスタッフは秘密裏に写本を首都のバマコへと運び出しました。その結果、2013年2月、アンサール・ディーンは、フランス軍の攻撃を受けてトンブクトゥから撤退する際に研究所に火を放ちましたが、写本などの焼失被害を5%に食い止めることができたそうです。

 なお、世界遺産のトンブクトゥを含むマリとその歴史については、拙著『マリ近現代史』で詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 


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 10月から毎月第1火曜の15:30より、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で講座「宗教と国際政治」がスタートします。初回は10月4日です。ぜひ、遊びに来てください。詳細は、こちらをご覧いただけると幸いです。

 ・毎日文化センター
 それぞれ、1日講座をやりますので、よろしくお願いします。(詳細は講座名をクリックしてご覧ください)

 10月11日(火) 19:00-20:30 リオデジャネイロ歴史紀行
 11月17日(木) 10:30-12:00 ユダヤとアメリカ 
  

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 トンブクトゥのパリ祭
2013-07-14 Sun 14:42
 きょうはパリ祭の日です。というわけで、ストレートにこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       トンブクトゥのパリ祭

 これは、現在のマリ共和国が仏領オート・セネガル・ニジェールだった時代の1918年7月14日のトンブクトゥ市内中心部のジョフル広場での祝祭の様子を取り上げた絵葉書です。ちなみに、フランス革命の記念日を“パリ祭”と呼ぶのは日本だけの現象で、フランス語ではただ単に日付を意味する“Quatorze(14) Juillet”と呼ばれており、この葉書でもそうした表記になっています。

 1893年12月、フランス軍のオーブ中尉が遊牧民のトゥアレグ人に殺害される事件が起きると、ユージン・ボニエ中佐ひきいるフランス軍はセグーを出発し、翌1894年1月10日、トンブクトゥに入城しました。

 ただし、ボニエが到着するより早く、部下のガストン・ボワトーがトンブクトゥを占領していたため、自らの手で戦功をあげようと考えたボニエは、少数のセネガル狙撃兵部隊を率いて近郊のグンダムを攻撃し、同月14日にはここを占領します。その際、フランス軍は、トンブクトゥとの往復の間に、遊牧民であるトゥアレグ人の宿営地で500頭の羊を半ば強制的に徴発したため、今度はトゥアレグ人が報復のためボニエの宿営地を襲撃。ボニエ以下、11名の将校と2名の下士官、68名のアフリカ狙撃兵と通訳を殺害しました。フランスが“グンダムの虐殺”と呼んでいる事件です。

 このため、フランス当局はジョゼフ・ジャック・セゼール・ジョフル少佐ひきいる救援部隊を派遣し、2月8日にグンダムを、同月12日にはトンブクトゥを奪還しました。葉書に写っているジョフル広場は、こうしたジョフルの功績をたたえて設けられました。

 ちなみに、ジョフルは1852年、リヴサルト生まれ。1869年にエコール・ポリテクニークを卒業し、陸軍少尉に任官。砲兵連隊に配属され、普仏戦争に従軍しました。その後、工兵連隊の所属となり、パリ城壁の再構築やモントリニョンの要塞建築に携わった後、台湾やトンキン(ヴェトナム)の勤務を経て、仏領スーダンへは1892年に赴任し、グンダムの虐殺事件に遭遇。グンダムならびにトンブクトゥ奪還の功績が認められ、以後、順調に栄達を重ね、1911年にはフランス陸軍総司令官となり、第一次大戦初期の対独戦争を指揮しました。

 なお、現在のマリ共和国に相当する地域の仏領時代の状況については、拙著『マリ近現代史』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
  

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 ニジェール・ウラン鉱山でテロ
2013-05-24 Fri 11:20
 きのう(23日)、マリの北部地域で仏軍が展開するイスラム過激派掃討作戦にニジェールが協力していることへの報復という名目で、イスラム過激派の“西アフリカ統一聖戦運動”が、ニジェール北部アガデズの軍施設とアーリットのウラン鉱山に対して連続自爆テロを行い、ニジェール軍兵士20人が亡くなるなどの犠牲が出ました。というわけで、今日はこの切手です。

       オート・セネガル・ニジェール

 これは、1906年に仏領オート・セネガル・ニジェールで発行された1フラン切手で、現地の女性とバライ総督の肖像が描かれています。オート・セネガル・ニジェールの地域は、現在の国名でいうと、セネガル・マリ・ニジェールにまたがる広大なもので、遊牧系のトゥアレグ人の居住地域ともほぼ重なっています。

 さて、今回襲撃されたアーリットは、ニジェール北西部、アイル産地の西麓に位置しており、1969年にウラン鉱山が発見されました。そして、翌1970年から近郊のアクータで、わが国の海外ウラン資源開発株式会社、フランス原子力庁、ニジェール政府の3者による調査が開始。1974年にアクータ鉱業株式会社が設立され、1978年から採掘が始まりました。なお、アクータ鉱業株式会社の出資比率は、フランスが34%でトップを占め、ニジェールとわが国は25%ずつ、他にスペインが10%などとなっています。

 ニジェール国内のアーリットとアクータの鉱脈は豊かで、最盛期の1980年代には両鉱山で世界のウラン需要の40%を占めるほどでした。ニジェールの総輸出額の90%はウランによって得られたもので、その豊富な資金は1974年に始まるセイニ・クンチェ、アリー・セブの2代に渡る軍事政権を支える原資となりました。

 ところが、1989年秋の東欧革命により東側社会主義諸国が崩壊。同年末には地中海のマルタ島で東西冷戦の終結が宣言されると、戦略物心としてのウランの価値が急落。さらに、ニジェールの軍事政権は、ウラン開発には熱心だったものの、地元民の福祉には無関心であったことから、鉱山周辺では乱開発による砂漠化が進行し、トゥアレグ人たちが遊牧生活を行うこと自体が環境的に困難になっていました。

 このため、生活の基盤を失ったトゥアレグ人の中には、都市に移住する者だけでなく、リビアやアルジェリアに難民として逃れる者が急増。特に、リビアのカダフィ政権は、亡命トゥアレグ人を傭兵として積極的に受け入れ、在リビアのトゥアレグ人が1985年に組織した“ニジェール解放人民戦線”を支援すると言う構図ができあがりました。

 ところで、ニジェール国内では、1989年は9月に新憲法が制定され、12月の総選挙では最高軍事評議会議長(軍事政権のトップ)だったアリー・セブが新憲法下の大統領に当選し、形式的な“民政移管”が行われましたが、その実態は軍事政権とほとんど変わりませんでした。

 こうした状況の下で、1990年2月9日、ニジェールの首都、ニアメのケネディ橋で学生のデモ隊を警官が鎮圧し、3人以上が亡くなるという事件が発生すると、これを機に、学生・労働者による政府への抗議行動が全土に拡大。このため、アリー・セブ政権は国内の宥和のため、難民として海外に逃れたトゥアレグ人に対して帰還して政府に協力すれば援助を行うと約束し、これを信用してアルジェリアから数千人規模のトゥアレグ人がニジェールに帰還したが、期待したような定住支援は受けられませんでした。

 このため、ニジェール政府の対応に不満を持ったトゥアレグ人グループが、1990年5月、リビアならびにアルジェリアとの国境に近いチン・タバラデンの警察署を襲撃。襲撃側の25人を含む計31人が亡くなります。当初、襲撃グループは、トゥアレグの子供たちに対して、学校で彼らの言語であるタマシェク語の教育を行うことを要求していましたが、戦闘を通じて全般的な自治権の要求へとエスカレートしていきます。

 これに対して、ニジェール国軍はアルジェリア国境から近いチン・タバラデンとその周辺のトゥアレグ人数百人を逮捕・拷問・殺害するなど、徹底的な弾圧で応じました。いわゆる“チン・タバラデンの虐殺”です。

 虐殺を逃れたトゥアレグ人たちは、トラオレ独裁政権の統制が弱まりつつあったマリへと拠点を移して抵抗を続けましたが、そのことは、マリ国内のトゥアレグ人の反政府闘争を刺激することになり、1990年6月、アザワド解放国民運動を中心とした武装蜂起が発生しました。

 この時のマリ国内での政府とトゥアレグ人勢力との内戦は1996年に和平合意が成立したものの、隣接するニジェールでは同国政府とトゥアレグ人の対立は解消されず、そのことが、しばしば、マリ国内にも深刻な影響を及ぼすという状況が続くことになります。

 2012年以来のマリ北部での騒乱は、カダフィ政権の崩壊後、マリないしはニジェールからリビアに逃れていた反政府系のトゥアレグ人傭兵が大量にアザワド地域に帰還したことが発端となりましたが、ニジェール大統領のマハマドゥ・イスフによれば、すでに昨年6月の段階で、アザワドのイスラム勢力の中にはアフガニスタンとパキスタンからの原理主義系の義勇兵が参加していたといわれており、反政府闘争の主導権が次第にイスラム過激派に移っていったことで、フランスが軍事介入せざるを得なくなったという構図になっています。

 いずれにせよ、かつてニジェールの混乱がマリに影響を及ぼしたのと同様に、マリ国内の混乱が世界有数のウラン鉱山を抱えるニジェールの不安定化をもたらす可能性は十分にあるわけで、今後の推移が注目されるのは言うまでもありません。

 なお、このあたりの事情については、拙著『マリ近現代史』でもご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 ・6月1日(土) 11:00- 切手市場
 於 東京・浅草 台東民会館 9階ホール
 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『マリ近現代史』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しておりますので、ぜひ、遊びに来てください。


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 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

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 食べられちゃったラクダ
2013-04-11 Thu 11:55
 イスラム反政府勢力の掃討作戦で軍事介入したフランスへのお礼として、マリ政府がオランド仏大統領に贈ったラクダが現地で食用として殺されていたことが分かり、新たなラクダが再び贈られることになったそうです。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        オート・セネガル・ニジェール(トゥアレグ人)

 これは、現在のマリの前身にあたるオート・セネガル・ニジェールで1914年から発行された普通切手のうち45フラン切手で、ラクダに乗ったトゥアレグ人を描かれています。

 現在のマリ国家に相当する地域は、フランスによる植民地統治が始まった当初、“上セネガル”という意味で“オート・セネガル植民地”と呼ばれていました。1895年、ガボンより西側の各植民地を統括するため、在セネガル(1902年まではサン・ルイ、以後はダカール)の総督の下に、セネガル、仏領スーダン(現マリ)、仏領ギアナ、コート・ディヴォワールの緩やかな“連邦”が組織されましたが、このうち、仏領スーダンについては、1899年10月、その一部が仏領ギニア、コート・ディヴォワール、ダホメに編入され、残りは、1902年、仏領セネガンビア・ニジェールに再編成されます。

 ところが、1895年に発足した連邦は、1904年にダホメが加わり、正式に“仏領西アフリカ連邦”となったことを受けて、仏領セネガンビア・ニジェールは、旧仏領スーダンの古称であるオート・セネガルの名を冠した仏領オート・セネガル・ニジェールへと再編されました。

 オート・セネガル・ニジェールの地域は、現在の国名でいうと、セネガル・マリ北部・ニジェールにまたがる広大なもので、トゥアレグ人の居住地域ともほぼ重なっています。ラクダに乗るトゥアレグ人というモチーフが切手にも取り上げられたのも、この地域の典型的な風景のひとつとフランス当局が考えていたためでしょう。ちなみに、現在のマリ共和国が独立した当初の1961年に発行された航空切手も、トンブクトゥのサンコーレ・モスクを背景にラクダに乗るトゥアレグ人という、いかにもなデザインとなっています。

 さて、今回問題となったマリのラクダですが、2月初めにオランド大統領がマリを訪問した際、マリ政府から大統領にプレゼントされ、大統領もパリの交通渋滞を避けるために使おうなどと冗談を飛ばしていたそうです。ただし、実際には大統領はラクダをパリに連れ帰らず、トンブクトゥに住む家族に譲り、現地駐留のフランス軍が定期的にラクダの様子を報告することになっていました。

 ところが、先週になってラクダが殺されたことが分かり、マリ政府は慌てて、新たなラクダをパリに送ることになったのだとか。まぁ、いかにものんびりした話といえばそれまでですが、こういうことの積み重ねが、バマコ政府と北部の軋轢の底流にあるということなのかもしれません。

 さて、4月下旬の刊行予定の『マリ近現代史』では、仏領植民地の時代から、今年に入ってからのフランスの軍事介入まで、文字通り、マリの近現代史を切手や絵ハガキなどを使って、わかりやすく解説しております。連休前後には書店への配本も始まる予定で(正式な配本日が決定しましたら、またご案内します)、今月27-29日に東京・浅草で開催のスタンプショウでも、実物をご覧いただける手はずになっております。また、27日の15時からはスタンプショウ会場内の特設コーナーで刊行記念トークも行いますので、ぜひ、遊びに来てください。

 
 ★★★ イベントのご案内 ★★★

・4月14日(日) 15:00- 東京五輪と切手
 於 東京国立近代美術館 ギャラリー4(2F)
 現在開催中の展覧会東京オリンピック1964 デザインプロジェクトの4月のギャラリートークに内藤が登場します。展覧会本体も、東京五輪関連の切手原画の展示をはじめ見ごたえのある内容ですので、ぜひ、遊びに来てください。(展覧会へ入場するための観覧券は必要になります)

・4月27日(土) 15:00- 『マリ近現代史』出版記念トーク
 於 東京・浅草 都立産業貿易センター台東館6階特設会場
 スタンプショウのイベントの一つとして、出版記念のトークを行います。書店に並ぶ前の先行販売はスタンプショウ会場内が最初となります。入場は完全に無料です。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

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 世界水の日
2013-03-22 Fri 18:22
 きょう(22日)は“世界水の日”です。今年は“国際水協力年”でもありますので、現在、4月下旬の刊行を目指して制作作業をしている拙著『マリ近現代史』に関連して、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        トンブクトゥの水汲み

 これは、オート・セネガル・ニジェール時代の1909年に、トンブクトゥからフランス宛に差し出された絵葉書で、トンブクトゥの水運び人が取り上げられています。

 現在のマリに相当する地域は、フランスによる植民地統治が始まった当初、“上セネガル”という意味で“オート・セネガル植民地”と呼ばれていました。1895年、ガボンより西側の各植民地を統括するため、在セネガル(1902年まではサン・ルイ、以後はダカール)の総督の下に、セネガル、仏領スーダン(現マリ)、仏領ギアナ、コート・ディヴォワールの緩やかな“連邦”が組織されましたが、このうち、仏領スーダンについては、1899年10月、その一部が仏領ギニア、コート・ディヴォワール、ダホメに編入され、残りは、1902年、仏領セネガンビア・ニジェールに再編成されます。その地域は、おおむね、現在のセネガル・マリ・ニジェールにまたがる広大なものでした。

 ところが、1895年に発足した連邦は、1904年にダホメが加わり、正式に“仏領西アフリカ連邦”となったことを受けて、仏領セネガンビア・ニジェールは、旧仏領スーダンの古称であるオート・セネガルの名を冠した仏領オート・セネガル・ニジェールへと再編されました。今回ご紹介の葉書は、そうした経緯を経て誕生した仏領オート・セネガル・ニジェール時代のモノというわけです。

 さて、現在のマリでは、清潔で安全な水へアクセスできる人の割合は、現在の北部紛争が勃発する以前の2008年の統計で、全国で50%、人口の70%を占める農村部では36%しかありません。清潔で安全な水が得られる井戸が1基でも設置されている村の割合は、砂漠地帯の北部では30%以下で、全国にある約1万2000の村のうち、2200の村に未だ清潔で安全な水源がなく、5歳未満の子供たち1000人あたりの死亡率191人のうち、15%が汚染された水が原因の下痢かそれに類する病気というデータが出ています。

 したがって、今回ご紹介している絵葉書のような光景は、現在のトンブクトゥ市内でも見られるかどうかはともかく、まだまだマリ国内全体では珍しくないものといえそうです。

 ちなみに、2000年9月、ニューヨークで開催された国連ミレニアム・サミットでは「ミレニアム開発目標」がまとめられ、その目標のひとつとして、2015年までに、安全な飲料水および衛生施設を継続的に利用できない人々の割合を半減することが掲げられました。この期限までに、マリ国民の置かれている悲惨な水環境が少しでも改善されるためにも、一日も早い、北部紛争の終結と安定の回復をお祈りしております。


 ★★★ 『FLASH』グラビア特集“「趣味の切手」進化論!”の御案内 ★★★

        FLASH 切手特集号表紙     FLASH 切手特集扉

 現在発売中の雑誌『FLASH』4月2日号の「新シリーズ『いま』を究める!FLASHグラビア新書Vol.12」では“「趣味の切手」進化論!”と題して、7ページの切手特集が組まれています。記事では、昭和30-40年代に発行された記念切手の現状や中国の切手バブルの話、そして、各国事情が反映された“世界のオモシロ切手”の話など、盛りだくさんの内容となっており、僕も搭乗してコメントしております。雑誌は全国書店はもとより、駅売店・コンビニなどでも実物をお手に取っていただけますので、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 内藤陽介、カルチャーセンターに登場 ★★★   

 4月から、下記の通り、首都圏各地のよみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)で一般向けの教養講座を担当します。詳細につきましては、各講座名(青色)をクリックしてご覧いただけると幸いです。皆様のご参加を心よりお待ちしております。(掲載は開催日順)

・よみうりカルチャー荻窪
 4月2日、5月7日、6月4日、7月2日、7月30日、9月3日
 (原則・毎月第1火曜日)13:00~14:30
 予算1日2000円のソウル歴史散歩

・よみうりカルチャー川崎
 4月12日、5月10日、6月14日、7月12日、8月30日、9月13日
 (原則・毎月第2金曜日)13:00~14:30
 切手で歩く世界遺産


 【世界切手展BRASILIANA 2013・出品募集期間延長!】

 今年11月、ブラジル・リオデジャネイロで世界切手展 <BRASILIANA 2013> が開催される予定です。当初、現地事務局への出品申し込みは2月28日〆切(必着)でしたが、〆切日が3月31日まで延長されました。つきましては、2月14日に締め切った国内での出品申し込みを再開します。出品ご希望の方は、3月20日(必着)で、日本コミッショナー(内藤)まで、書類をお送りください。なお、同展の詳細はこちらをご覧ください。


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