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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 切手歳時記:タンチョウ
2021-11-30 Tue 00:31
 ご報告が遅くなりましたが、公益財団法人・通信文化協会の雑誌『通信文化』2021年11月号が発行されました。僕の連載「切手歳時記」は、今回は、毎年11月になると北海道の釧路湿原を中心にタンチョウの飛来が本格化することから、こんな切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

      タンチョウ100円(1963)

 これは、1963年7月25日に発行されたタンチョウを描く100円切手(普通切手)です。

 中国古典では、単に“”と言えばタンチョウのことを意味し、古い時代の日本でも、鶴の種類を特に区別せず“たづ”とか“つる”と呼び、基本的にはタンチョウを指していたようです。日本の文献上で“丹頂”という語が確認できるのは、平安時代の1133年頃に編まれた『詩序集』に朱慶余(中唐の詩人)の「台州鄭員外郡斎双鶴詩」のなかから「丹頂已老、宜列籍於丹台一」が引用されているのが最初とされています。

 一方、丹頂の飛来する北海道のアイヌの間では、タンチョウは“葦原の神”を意味する“サロルンカムイ”と呼ばれていましたが、これに近いイメージなのが、江戸時代の1697年に人見必大が刊行した『本朝食鑑』で、「鶴は和名類聚抄にある葦鶴(あしたづ)で、俗称は丹頂である」という趣旨の記述があります。

 『本朝食鑑』は、日本の食物全般について、その性質や食べ方などを詳しく説明した書物なので、タンチョウについても食材としての関心から取り上げられています。

 江戸時代、鶴は“三鳥二魚”と呼ばれる五大珍味の一つに数えられた高級食材で、将軍家は冬場に江戸へ渡ってきた鶴を鷹狩りで仕留め、最初の獲物を“初鶴”として宮中に献上したほか、諸大名や公卿の間では贈答品として鶴肉が行き交っていました。鶴を生きた姿のまま塩漬けにした“塩鶴”は、松前藩など北方諸藩から江戸や上方にもたらされており、『西鶴置土産』には、歌舞伎役者の坂田藤十郎が大津で鶴を1羽、銀10枚で買い、日常的に吸い物にしていたという話が紹介されています。

 西鶴の時代の銀10枚はだいたい7両。単純な比較はできませんが、1両は現在の感覚で10万円くらいとされることが多いので、藤十郎は70万円の吸い物を普段から飲んでいたということになりましょうか。少し古い情報ですが、2009年に米国メディアが発表した「世界で最も高価な9種類の食べ物」では、神戸牛の“金箔”が一ポンド150ドルで6位にランクされていますが、それでも、当時の為替レートでざっくり計算して500グラムで1万4000円強ですから、文字通り、鶴肉は桁違いの高級食材だったことがわかります。

 なお、『本朝食鑑』によると、最も美味い(でそれゆえ効果で取引される)のは黒鶴で、次いで白鶴(全身純白で風切り羽だけが黒いソデグロヅル)、真鶴(マナヅル)が賞味されるものの、タンチョウの肉は肉は硬くてまずいので、食べる者は少ないのだとか。もっとも、中国の故事に倣ってタンチョウを仙人や不老長寿の象徴とみるなら、タンチョウの肉が拙いのも“良薬口に苦し”で仕方がないのかもしれませんが。

 * 昨日(29日)の文化放送「おはよう寺ちゃん」の僕の出番は、無事、終了いたしました。リスナーの皆様には、この場をお借りして御礼申し上げます。次回は来週月曜日・12月6日に登場の予定です。引き続きよろしくお付き合いください。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内★

 12月6日(月) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。

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 12月1日から2月8日まで、計7.5時間(30分×15回)の講座です、お申し込みなどの詳細は、こちらをご覧ください。

 三鷹市生涯学習センター 「宗教と国際政治」 2022年1月10~23日
 国際紛争や諸外国のタイムリーな重大ニュースを取り上げ、その背後にある「宗教」をめぐる諸問題をじっくり解説する講座です。今回は、混迷続くアフガニスタンとその歴史に焦点を当ててお話します。お申し込みは12月11日(土)までで、ご応募多数の場合は抽選になります。詳細はこちらをご覧ください。


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 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 

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 内藤および拙著の出版元・販売元ではこのような行為は一切認めておらず、フィッシング詐欺等に巻き込まれる可能性もありますので十分ご注意ください。

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 HAPPY HANUKKAH!
2021-11-29 Mon 00:26
 昨日(28日)の日没から、ユダヤ教の冬の祭礼、ハヌカーが始まりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イスラエル・ハヌカ―(2014)

 これは、2014年12月16日にイスラエルが発行したハヌカ―の切手で、切手部分にはハヌカーの際に使用される8枝の燭台“ハヌッキーヤ”と少年少女が、タブの部分には、ハヌカ―の際に食べられる伝統菓子のスフガーニーヤー(ジャム入り揚げドーナツ)が描かれています。また、切手とタブの双方には、背景の装飾として、ハヌカ―の遊びで使われるドレイドル(ヘブライ文字の描かれた木製のコマ)のシルエットが描かれています。

 マカバイ戦争中の紀元前164年キスレウ月(ユダヤ歴第9月)25日、マカベア家のユダ(ユダス・マカバイオス)がエルサレム神殿を奪回し、セレウコス朝のアンティオコス4世エピファネスによって汚された神殿を潔め、再びユダヤ教の聖地として奉献しました。ユダス・マカバイオスが神殿に入ったとき、汚されていない聖油は甕一つ、すなわち1日分しか残っていませんでしたが、その聖油は8日間、燃え続けたとされています。

 これを記念して、キスレウ月25日から8日間、毎日1本ずつ蝋燭を灯す“光の祭り”として、ヘブライ語で“奉献”、“奉納”を意味する“ハヌカー”の祭礼が行われるようになりました。ユダヤ教の一般的な燭台としてのメノーラーは7枝(厳密には中央の1本は枝ではないので6枝)ですが、ハヌカーに使用されるハヌッキーヤが8枝(中央の1本を含めると9枝)となっているのは、このためです。

 また、1日分の聖油で8日間、蝋燭が灯ったという故事に加え、イスラエルではハヌカ―はオリーブの収穫後まもない時季の行事となるため、ハヌカーの期間中(8日間)は油を使った料理が作られます。タブに揚げ菓子のスフガーニーヤーが描かれているのは、こうした事情を踏まえてのことです。

 なお、ユダヤ人/ユダヤ教徒とその歴史については、いわゆるユダヤ陰謀論を否定する立場から、拙著『みんな大好き陰謀論』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


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 スワローズが20年ぶり日本一
2021-11-28 Sun 01:02
 プロ野球の日本シリーズは、ヤクルト・スワローズがオリックス・バファローズを4勝2敗で下して20年ぶりの日本一となりました。というわけで、燕を描いた切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      郵便創始75年1円

 これは、1946年12月12日、戦後最初の記念切手として発行された“郵便創始75年”の切手のうち、”将来の通信の象徴”として電波塔と郵便旗に燕を描いた1円切手です。

 1946年はわが国の近代郵便創業から75周年にあたっていました。したがって、本来であれば、創業の記念日にあたる4月20日 を中心に、盛大な記念行事が開催されていたことでしょう。

 もっとも、この年の4月は、まだ終戦から日も浅く、逓信院は戦後の新体制の構築や戦災復興に追われており 、実際には、とても記念行事を行えるような状況ではありませんでした。しかし、その一方で、逓信院の内部では、戦後の事業再建に国民の理解と協力を求めるためにも、なんらかのかたちで創業75周年の記念行事を行うべきとの意見も根強かったようです。

 こうしたことから、郵便創業75周年の記念事業としては、当初、内々に記念出版や記念キャンペーンの実施なども検討されていました。しかし、いずれも準備期間や資材の関係から無理と判断され、結局、消去法の選択により、記念展覧会の開催くらいしか実現できないだろうということで部内の意見は集約されます。

 展覧会の開催ということになれば、まず、問題となるのが会場の確保です。身内の逓信博物館を利用するのは当然としても、一般国民に対するアピールという点からすると、より、集客力の高い会場を選ばねば、展覧会を開催する意義は半減してしまいます。そこで、東京・日本橋の三越百貨店に白羽の矢が立てられ、日程の調整の結果、年末の12月12日から21日までの10日間という会期が決定されました。

 こうして、記念展覧会(正式名称は「郵便創始七十五周年記念逓信文化展覧会」)の実施計画の概要が固まったのが1946年6月のことで、すでに実質的な準備期間は半年しか残されていませんでした。

 このため、当初、展覧会に合わせて記念切手を発行することは想定されていませんでしたが、準備が進むにつれ、7月1日に逓信省が復活したこともあり、展覧会を全国的なものとして後世に残したいとの声が関係者の間でも強まり、8月6日、展覧会初日の12月12日に記念切手を発行することが正式に採決されました。

 当時、逓信省郵務局の現場では、記念切手の発行が正式に決定されたとき、封書用(30銭)と葉書用(15銭)の2種類を用意するといった漠然とした案しかなく、具体的な図案のイメージなどは何もなかったようです。

 このため、木村勝によれば、準備期間が短いこともあり、記念切手も記念銘などを加刷した簡単なもので済ませることも検討されましたが、印刷局との打ち合わせの過程で、せっかくなら凹版印刷の凝ったものを発行すべきではないかとの意見が強くなり、木村みずからが筆を執って凹版切手用の下図の作成されました。

 図案の候補として木村がまず思い描いたのは、日本最初の龍切手を再現することで、木村の下図を元に、加曾利鼎造が龍切手を再現した15銭切手の原画を作成しました。一方、封書用の30銭切手に関しては、郵便創業の功労者・前島密の功績をたたえるものとして、当時、逓信博物館の前にあった彼の銅像が題材として取り上げられています。

 こうして、2種類の切手の制作が進められていたところ、8月下旬になって、郵務局の事務方は突如、現場の制作サイドに対して、「(戦後最初の記念切手が)2種類だけではさびしいし、高額のものも欲しい」との理由で、書留用の1円切手を加えるよう、木村らに要求します。このため、急遽、1円切手の図案が作成されることになり、新時代の通信を表現するものとして、東京工芸学校図案科を卒業して逓信省に入ったばかりの新人・久野実が9月6日までに原図を完成させます。

 ところが、9月中旬になって、さらにもう1種類、記念切手が追加されることになりました。これは、9月10日に外国郵便が再開されたため、その葉書用の額面として50銭切手の追加が求められたためです。(なお、外信の封書料金は1円でしたので、こちらは、先に用意されていたもので充当されることになりました)

 結局、9月13日になって、50銭切手の追加が決定されましたが、もはや、新たな図案を作成していては12月の展覧会に切手発行を間に合わせることは不可能でした。このため、部内での検討の結果、戦前の楠公葉書に代わる“平和図案”の葉書を発行するために準備していた原図のうち、不採用のままお蔵入りとなっていた原図の中から、菊と駅鈴を描くものに記念銘などの文字を加えて(この文字は加曾利鼎造が担当)15銭切手の図案として流用することとしました。

 新たに加えられた菊と駅鈴のデザインが、50銭切手ではなく、15銭切手の原図とされたのは、すでに原図の下部中央に葉書用の額面として“15”の文字が入っていたためで、制作期間の短縮を考えての措置でした。そもそも、このデザインは、もともと、葉書の印面用として、凸版印刷されることを想定して日置勝俊が作成したため、木版の雰囲気を漂わせており、それゆえ、凹版印刷に適した図案とはいいがたい面もありましたが、ことここにいたっては、12月12日の発行期日に間に合わせるということが最優先されたのです。なお、15銭切手が菊と駅例の図案となったことに伴い、当初、15銭切手として予定されていた龍切手を描くものは、50銭切手の図案として流用されることになりました。

 こうしたドタバタの末に、1946年12月12日、戦後最初の記念切手として“郵便創始75周年”の記念切手が発行され、戦後日本の記念切手の歴史がスタートすることになります。なお、このあたりの事情などにつきましては、拙著『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.2 戦後編』でもまとめてありますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。
 

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 南アで新変異株
2021-11-27 Sat 06:21
 世界保健機関(WHO)は、きのう(26日)、南アフリカ共和国(以下、南ア)などで検出された新型コロナウイルスの新たな変異株“B.1.1.529”を“懸念される変異ウイルス(VOC)”に指定し、“オミクロン(ギリシャ文字の5番目)”と命名。これを受けて、きょうから、英国、スペイン、イタリア、ギリシャなどで南アおよび周辺国(その範囲は国によって異なります)からの入国が制限されます。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ボーア戦争返戻便18990928
      ボーア戦争返戻便18990928裏

 これは、1899年9月29日、英国のフォルカークからヨハネスブルク(当時はトランスヴァ―ル共和国領)宛に差し出されたものの、同年10月11日に第2次ボーア戦争が勃発したため、11月11日に経由地のケープタウンに到着後、翌1900年2月9日まで同地に留め置かれ、配達不能として英国に返戻された郵便物とその裏面(部分)です。

 なお、この郵便物の差出人は、トランスヴァ―ル宛の通常の郵便物として2ペンス半の切手を貼っていますが、途中で、コインが同封されていることが発覚したため、強制的に書留扱いとされ、返戻時に8ペンス(書留料金4ペンスの倍額)が徴収されています。

 今回の変異株に関して、英国は、きょうから南アと隣接するナミビア、ボツワナ、ジンバブエ、レソト、エスワティニの計6国からの航空機乗り入れと外国人の入国を一時的に禁止し、これらの国から帰国した英国人に隔離を義務付けるとしています。おそらく、英国と関係国の間の航空便も停止されることになるでしょうから、ここに示すように、英国から各国に差し出されたもののサービス停止で返戻される郵便物が出てくるかもしれません。

 オミクロンは、今月11日、ボツワナで初めて見つかり、26日までに、南アでは最大都市ヨハネスブルクがあるハウテン州で77例が確認されているほか、香港でも旅行者らから見つかっています。ワクチン開発の基になってきた従来のウイルスとは大幅に異なるスパイクたんぱく質を持ち、ヒトの免疫反応を回避する特性を持つ恐れがあるため注意が必要ですが、現時点では急速に広がっているわけではないので、心配しすぎる必要はないというのが専門家の見方だそうです。

 さて、南アでは、ことし11月9-13日にケープタウンで世界切手展<Cape Town 2021 (IPEX2021) >が開催予定でしたが、新型コロナウイルス禍で1年延期され、2022年11月8-12日に<Cape Town 2022 (IPEX2022) >として開催予定となっていました。実は、僕は同展の日本コミッショナーを仰せつかっているのですが、現地の組織委員会からは、つい先日、2022年11月には予定通り展覧会をやるつもりなので、そのつもりで作品募集など準備を進めておいてほしいとのメールが来たのですが、今回の一件でまたしても雲行きが怪しくなってきましたね。まぁ、出品の申込締切は2022年5月末に組織委員会必着となっていますので、それまでには結論が出るのでしょうが…。


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 キュリオ・沖縄切手物語⑥
2021-11-26 Fri 01:01
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、『キュリオマガジン』2021年11月号が発行されました。僕の連載「沖縄切手物語」では、今回は1968-69年に発行された“蟹シリーズ”をご紹介しましたが、その記事の中から、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      リュウキュウシオマネキ

 これは、1969年2月5日に発行されたリュウキュウシオマネキの切手です。

 リュウキュウシオマネキは、奄美大島から台湾、フィリピン、シンガポールからオーストラリア北部やフィジーにかけてのマングローブ湿地内の泥質干潟に生息するカニで、甲幅は2センチほど。オスは左右どちらかのはさみが大きくなりますが、メスの気を引くため、この大はさみを大きく振り(ウェービング)、その動作が満ち潮を招いているように見えることがシオマネキの名の由来です。

 濃い紫の個体が多いのですが、濃い紫、水色、褐色、白などが入り交じったり、斑紋が3カ所が入ったりしているものもあります。オスの特徴的な大はさみは上が白く下が朱色で、付け根周辺が青みがかり、上下とも細かい鋸歯がありますが、下の中央に突起が1カ所あります。

 砂泥に含まれる有機物(動物の死骸や植物のかけら)、プランクトンなどを砂泥ごと口に含み、こしとって食べます。夏から秋に産卵すると思われますが、幼生の大半は外洋に流出してしまうため、おそらく島内より南からプランクトン(幼生)の状態で漂着し成長すると考えられています。

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 ソロモン諸島の首都で焼討事件
2021-11-25 Thu 02:33
 南太平洋のソロモン諸島の首都ホニアラ(ガダルカナル島)で、きのう(24日)、マナセ・ソガヴァレ首相の退陣を求める大規模なデモが発生し、国会議事堂の敷地内の建物と隣接する警察署などが焼討被害に遭いました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ソロモン諸島・独立20年

 これは、1998年7月7日、“独立20年”を記念してソロモン諸島が発行した切手シートで、切手部分には1993年に日本の北野建設が建てた国会議事堂が、シート下部のマージンには高等裁判所が描かれています。ちなみに、今回の焼討事件の写真(下の画像。11月24日付『ガーディアン』紙より)をみると、敷地内の建物が燃え、議事堂が黒煙に包まれているのがわかります。

      ホニアラ・黒煙に包まれる議事堂
 
 1978年に独立したソロモン諸島は、1983年に台湾と国交を樹立し、台湾もこれに応えてソロモン諸島に対してさまざまな支援を行ってきました。特に、農業に関しては伝統的な焼き畑農業からの脱皮を定着させるべく、台湾人による技術指導が行われたほか、養豚場では、在来種と台湾から持ち込まれた品種を掛け合わせた“SOLROC”(ソロモンのSOLと台湾=中華民国のROCが名前の由来)種のブタが生産され、両国友好のシンボルともなってきました。

 ところが、近年、中国が台湾を外交的に追い詰めるべく、ソロモン諸島への進出を急速に拡大。この結果、中国はソロモン諸島の輸出額の6割超を占め、貿易相手国として第1位となります。また、2017年には、中国の通信機器大手、華為技術(ファーウェイ)がソロモン諸島に高速インターネットの敷設を提案。このときは、域内大国であるオーストラリアが直ちに対抗策を提案し、1億3700万豪ドル=約103億円を投じ、パプアニューギニアを含む海底インターネットケーブルを建設しましたが、その過程で、マナセ・ソガヴァレ(2000-01年、2006-07年、2014-17年、2019ー現在の4次に渡り首相)ひきいるソロモン諸島社会信用党が華為技術から巨額の政治献金が受け取っていた疑惑が浮上。さらに、ソガヴァレ本人も“複数の中国企業と親密な関係”にあることが明らかになりました。

 こうした中国の浸透工作が功を奏し、ソロモン諸島の政界では徐々に中国派が台頭。2019年4月、ソガヴァレが組織した連立政権の与党議員の一部は、半年以内に中国と国交を樹立しなければ不信任案を提出すると圧力をかけ、これを容れるかたちで、ソロモン諸島議会内には特別委員会が設けられ、中台いずれかの国との国交を樹立することのメリット・デメリットが審議されることになります。

 こうした状況に危機感を抱いたオーストラリアのモリソン首相は、6月3日、ソガヴァレと会談し、「太平洋島嶼国の平和的な独立と主権のための支援」を表明。今後10年間で2億5000万豪ドル(約188億円)の経済支援やソロモン諸島首相府の建築補助などを約束し、中国の浸透に対抗しようとします。また、米政府も、ソロモン諸島に対し、中国の資金拠出の約束には慎重に対応し、台湾との断交を強制されないよう注意が必要だと呼びかけていたほか、2019年9月に行われた現地の世論調査でも、国民の8-9割が台湾との外交関係の維持を支持しているとの結果が出ていました。

 しかし、2019年9月13日、議会特別委員会は、台湾との外交関係を絶ち、中国との国交樹立を勧告する答申書を政府に提出。同16日、ソロモン諸島政府は台湾と断交したうえで、同21日、中国と正式な国交を樹立します。さらに、翌22日、ソロモン諸島政府は、ガダルカナル北方、第二次世界大戦以前の英領ソロモン諸島の首府が置かれていたツラギと周辺の島々を”経済特区“として開発すべく、中国の複合企業、”中国森田“に75年間賃貸する契約を結びました。

 こうした中央政府の“暴走”に対して、ソロモン諸島各地では強い反発の声が上がりましたが、中でも、歴史的経緯から、ガダルカナルと中央政府と対立してきたマライタ州では、10月23日、州政府のダニエル・スイダニ主席がニュージーランドのラジオ放送局RNZの取材に応じ、「借金となる海外からの資金提供に関わりたくはない。これは、よく知られている中国からの資金提供による“債務の罠”に陥る可能性がある」と述べ、ツラギの賃貸契約と台湾との断交に真っ向から反対を表明。これに対して、ソガヴァレ政権はマライタ州に対して中国を受け入れるよう圧力をかけ続けていました。

 2020年に入ると、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大により、ソロモン諸島は中国をはじめ、過去に感染者が出た国からの入国を禁止するなどの制限措置をとっていましたが、親中路線を推し進めるソガヴァレ政権は、中国本土ではウイルス禍がほぼ終息したとする中国側の主張に追従して、8月31日、入国制限措置を緩和して、廣州からホニアラの直行便を受け入れました。

 ここにいたり、もともと、中国を信用せず、台湾との断交に反対していたマライタ州のスイダニ主席は猛反発し、ソロモン諸島からの独立の是非を問う住民投票の実施を主張し、ホニアラの中央政府との対立が続いていました。

 今回のデモは、そうした背景の下、中国との国交樹立に際して約束されていたインフラ整備が一向に進まないことを理由に、マライタ州出身者が中心になってソガヴァレ首相の退陣を求めて行われたものです。当初、ホニアラの国会議事堂前に集まった参加者は平和的な集会を行っていましたが、午後になって参加者の一部が審議中の議事堂内に侵入しようとしたことから騒擾が発生し、議事堂の敷地内の建物や警察署のほか、市内の中国人所有の建物が焼き討ちに遭っています。

 なお、ソロモン諸島をはじめ南太平洋における近年の中国の動きについては、拙著『日本人に忘れられたガダルカナル島の近現代史』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


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 全斗煥元大統領、亡くなる
2021-11-24 Wed 01:04
  韓国の全斗煥元大統領が、きのう(23日)、ソウル市の自宅で亡くなりました。享年90歳。というわけで、謹んでご冥福をお祈りしつつ、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・第11代大統領就任(小型シート)

 これは、1980年9月1日に韓国が発行した”第11代大統領就任”の記念切手の小型シートです。全の肖像切手としては最初の1枚で、肖像の脇には、“新しい時代 新しい意志”の韓国語と、工業地帯と太陽を背景に前進する男女のイメージが表現されています。

 全斗煥は、日本統治委時代の1931年3月6日、慶尚南道陜川で民間療法の医師の家に生まれました。生家は没落両班の家柄で生活は苦しく、全は大邱公立本町尋常小学校を4年生で休学し、納豆売りなどで生計を助けていました。その後、一家は一時満洲に移住しましたが、1941年に大邱へ戻り、全本人は独立後の1950年に大邱公立工業学校を卒業しました。

 朝鮮戦争勃発後、陸軍士官学校に入学(11期)し、1960年6月、陸軍大尉として米国に留学し、ジョージア州フォート・ベニングの特殊戦教育機関でレインジャー訓練、落下傘降下訓練などを受けて帰国しました。

 1961年5月16日、朴正煕による“516革命”のクーデターが発生すると、早い段階で支持を表明し、朴正煕が政権を掌握すると最高会議議長(=朴正煕)秘書官に任命されます。

 韓国がヴェトナム戦争に派兵すると、第9師団]第29連隊長として出征。帰国後の1969年、特戦団司令部が創設されると、第一空挺旅団長となり、1979年、国軍保安司令官に任命されました。

 1979年10月26日、朴正煕暗殺事件が起きると、事件後の非常戒厳令下で保安司令官として捜査の陣頭指揮を執り、暗殺犯の金載圭を逮捕。さらに、国軍トップの陸軍参謀総長で鄭昇和で、彼が非常戒厳令の施行に伴い戒厳司令官に就任していましたが、12月12日、全は軍内の中堅将校で組織される一心会を率いて“粛軍クーデター”を敢行。崔圭夏大統領の裁可なしに鄭を逮捕し、陸軍本部を制圧しました。

 軍の実権を掌握した全らは、1980年4月、保安司令官のまま中央情報部長代理に就任し、国軍の上級幹部を次々に退役に追い込むとともに、5月17日、全軍主要指揮官会議を招集し、国会解散・国家保衛非常機構の設置・非常戒厳令の全国拡大を崔大統領に要求。崔は全らの要求に抵抗できず、翌18日、全国非常戒厳令公布を公布します。

 こうして、すべての政治活動は禁止され、大学は無期限休校、金大中・文益煥・金東吉などの民主活動家が逮捕され、金鐘泌(共和党総裁)・李厚洛(元中央情報部長)・朴鐘圭(元大統領警護室長)・金泳三も軟禁されました。

 これに対して、5月18日、光州では金大中逮捕に抗議する数十万人が大規模な抗議行動を起こしましたが、軍部は空輸第二旅団1200人を投入してデモを弾圧。以後、5月27日に戒厳軍が光州市内に突入するまでの10日間、光州市内では激しい市街戦が展開され、全羅南道の道庁舎をめぐる戦闘では、庁舎に立てこもっていた市民、少なくとも200人が死亡し、2000人が負傷したといわれています。これが、いわゆる光州事件です。

 光州事件を通じて全は軍と政府における最高実力者としての地位を実質的に確保。5月31日、行政・司法の全般にわたって指揮・監督・統制・調整を行う国家保衛非常対策委員会(以下、国保委)が設置されると、全はその常任委員会委員長に就任し、6月13日には“権力型不正蓄財者”への処罰という形式をとって、金鐘泌(前共和党総裁・元国務総理)や李厚洛(元中央情報部長)など、朴政権時代の実力者をあいついでパージします。

 こうした経緯を経て、8月5日、大将に昇格した全は、「困難な国運を切り開き、福祉国家を子孫に残すべきだ」と演説し、政界進出への意欲を正式に表明。同16日、現職大統領の崔が「この国における平和的な政権交代の模範を示すため、大統領を辞任する」として辞任表明を余儀なくされ、同21日には「全斗煥国保委常任委員長の大統領就任を支持する」との声明を発表します。

 こうしてお膳立てが整ったところで、翌22日、全は軍を退役し、27日の統一主体国民会議による大統領選挙によって、正式に第11代大統領に選出され、9月1日、大統領に就任しました。今回ご紹介の切手はこれにあわせて発行されたもので、そのタイミングから考えて、国保委の発足以来、韓国の最高実力者となった全が大統領に就任することは既定の路線として切手発行の準備が進められていたとみて間違いないでしょう。

 新大統領に就任した全は、政治風土の刷新、世代交代、韓国的民主主義や社会浄化を掲げ、9月29日、政府法制処作成の憲法草案を公示。その主なポイントは、①大統領の任期は1期7年(再選は禁止)、②大統領制が基本だが、独裁を防ぐため、大統領の国会議員推薦権は廃止、③大統領による非常措置権の発動を制限、④国政諮問会議の新設、⑤選挙人団による大統領間接選挙制の導入、⑥平和統一諮問会議の新設、⑦国会による国勢調査権の確保、⑧刑法の連座制の廃止、⑨裁判官の独立性の保障、⑩憲法改正は国民投票によって確定するものとする、という点にありました。

 この憲法改正案の賛否を問う国民投票は10月22日に実施され、投票率95・5%のうち91・6%の賛成票を得て新憲法は可決。5日後の10月27日から施行され、朴正煕の維新体制(第4共和制)に代わる第5共和国が発足しました。

 大統領となった全は、朴正煕暗殺後の混乱で、経済成長率マイナス4.8%、物価上昇率42.3%、貿易赤字44億ドルという苦境に陥っていた韓国経済の再建を最優先課題とし、「国民総生産600億ドルを目指し、日本から学んで、日本に追いつこう」とのキャッチフレーズを掲げました。また、1981年8月15日の光復節記念式典では「我々は国を失った民族の恥辱をめぐり、日本の帝国主義を責めるべきではなく、当時の情勢、国内的な団結、国力の弱さなど、我々自らの責任を厳しく自責する姿勢が必要である」と演説し、日本でも注目されました。

 また、東西冷戦下の反共の防波堤として北朝鮮に対しては一貫して強硬姿勢を貫いたため、北朝鮮側は1983年のラングーン爆弾テロ事件や1987年の大韓航空機爆破事件などのテロを起こしましたが、毅然とした対応で乗り切っています。

 1984年には戦後の韓国元首として初めて日本を訪れ、昭和天皇との晩餐会に出席。日米との連携に加え、1988年のソウル五輪の招致成功とそれに伴う大規模なインフラ整備などにより経済の活性化に成功し、1987年には、経済成長率は12.8%、物価上昇率0.5%、貿易黒字は114億ドル、国民一人当たりGNPは3098ドル、国民総生産は1284億ドルと、韓国経済を大きく成長させました。

 その反面、全政権は反政府活動の取り締まりも強化し、主要メディアを徹底的に統制。全の大統領在任中テレビでは、政権批判を一切許しませんでした。

 ところが、1986年4月、街頭デモで逮捕されたソウル大学生の朴鐘哲が、有罪判決を受けて執行猶予中の1987年1月14日、手配中の友人の居所について警察の取調べを受け、取調べ中に拷問で死亡する事件が発生。警察当局がそのことを隠蔽しようとしたことが露見すると、野党は、この事件を“軍事独裁体制”の強権支配を象徴するものとして糾弾し、事件に対する抗議活動は、大統領の直接選挙を求める民主化運動と結びつきます。

 ソウル五輪を前に、国際世論の批判を恐れた全は民主化運動を力で抑え込むことができず、6月10日、大統領の後継候補として腹心の盧泰愚を指名。大統領直接選挙の実施は否定したものの、従来の大統領とは異なり自らは1期で退陣することを明らかにして事態の沈静化をはかりましたが、民主派は納得せず、翌11日に韓国全土で行われたデモには、のべ70万人が参加し、1万数千人が警察に連行されました。

 さらに、6月26日には民主化運動はピークに達し、全国37都市で180万人が参加する国民平和大行進が行われ、翌27日、全は戒厳令の施行を断念。与党の大統領候補となった盧泰愚は、6月29日、「国民大和合と偉大なる国家への前進のための特別宣言」(6・29民主化宣言)を発し、与党の政治家として大統領直接選挙制と言論の自由化を提案します。そして、7月1日、全がこの提案を受け入れたことで、韓国は民主化に向けて大きく動き出すことになりました。

 1988年2月、全は大統領を退任。その後も、自ら財団を設置して院政を狙ったものの、利権介入などが発覚し親族が逮捕されたため、同年11月23日、私財の国庫への献納と隠遁を表明しましたが、その後も光州事件や不正蓄財疑惑への追及は止まず、ついには訴追されて死刑判決を受けました。(ただし、後に減刑され特赦)

 その後、2013年には、いわゆる「全斗煥追徴法」が成立。一族の不正蓄財に対する強制捜査が行われ、2020年11月30日、光州地裁は全に対し懲役8ヵ月、執行猶予2年の判決を下しましたが、全はこれを不服として控訴中でした。

 なお、全斗煥とその時代については、拙著『韓国現代史:切手でたどる60年』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


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 勤労感謝の日
2021-11-23 Tue 09:00
 きょう(23日)は勤労感謝の日(もともとは収穫を祝い、翌年の豊穣を祈願する新嘗祭の日)です。というわけで、農家の方々に感謝して、農村を題材にした切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アフガニスタン・土地改革

 これは、1980年3月21日、親ソ政権時代のアフガニスタンで発行された“農民の日”の切手で、”土地改革で耕作地を与えられて喜ぶ農民たち”が描かれています。

 アフガニスタンでは、王制時代の1966年4月、アフガニスタン人民民主党(共産党)が機関紙『ハルク(人民)』において、党の目玉公約として農地改革を主張したことがありました。しかし、アフガニスタンの農村では部族的な結合が強く、族長が部族の土地を管理し、農民に指示を出すという意味での“地主”であるのが一般的でしたから、共産主義者のイメージにあるような、地主から土地を取り上げて貧農に分配するというスタイルの“農地改革”は社会の根幹を否定するものとして、社会の大半に取って受け入れがたいものでした。もちろん、アフガニスタン政府も農地改革には反対の立場で、『ハルク』は六週間で発禁処分になりますが、ヌール・ムハンマド・タラキーら党指導部は農地改革の要求を撤回しませんでした。

 1978年4月27日、人民民主党による“4月革命”が発生。同党中央委員会書記長のヌール・ムハンマド・タラキーは国家元首である革命評議会議長兼首相に就任し、5月6日、革命政権として”土地改革”を実施する方針を明らかにします。この方針は、同年12月2日、革命評議会布告第8号により「封建的土地所有を解体する土地改革」として実施されました。

 布告第8号の土地改革では、耕地としての価値を7等級に分類したうえ、等級ごとに所有面積の上限を設け、その限度枠を越えた土地は無償で没収のうえ農民に無償で分配するというもので、1979年1月の制度実施から4月までの間に、13万2264家族に対して、26万866.4ヘクタールの土地が分配されました。今回ご紹介の切手はその”成果”をアピールするために発行されたもので、「民主的な土地改革は封建主義を根絶した」との文言が入っています。

 土地改革の実施に際して、政府は部族の反対を抑え込むため、現地に軍隊を派遣しただけでなく、土地を分配されることになる貧農に武器を配ることで部族を基本とする農村社会の分断を扇動しましたが、こうした施策に対する一般国民の反発も強く、各地でムジャーヒディーン(イスラム戦士)らによる反政府暴動が頻発しました。

 ところで、タラキー政権の後ろ盾と目されていたソ連にとって、アフガニスタンは国境を接する隣国として安定した親ソ政権となっていることが重要であって、その担い手が国王であろうと、4月革命で打倒されたムハンマド・ダーウード(前大統領)であろうと、人民民主党であろうと、そのこと自体は二次的なことでしかありませんでした。したがって、ソ連が極秘裏に支援してきたタラキー以下、人民民主党が政権を獲得したこと自体は歓迎すべきことであるにせよ、彼らの存在がアフガニスタンの不安定要因になるのであれば、それはまさしく本末転倒です。

 また、人民民主党政権が発足した1978年4月は、1979年2月のイラン革命を前に隣国イランの情勢が緊迫していたこともあり、ソ連としては、ともかくもアフガニスタンの情勢が安定することを望んでいましたが、事態は彼らの希望とは正反対の方向に進み、人民民主党は激しい党内抗争を始め、タラキーらハルク派は反対派であるパルチャム派の粛清に血道をあげていました。

 このため、ソ連の対外諜報の責任者、ウラジーミル・クリュチコフKGB第一総局長がタラキーを含むハルク派の幹部と接触し、アフガニスタンの安定化に向けて介入し、1978年12月5日、ソ連・アフガニスタン友好善隣協力条約が調印されます。

 同条約は期限20年で、アフガニスタンの非同盟の立場を容認(第5条)する一方、「両締約国は国連憲章とともに、友好善隣の伝統の精神に基づき、両国の安全、独立、領土保全、主権の確保のため、協定により相互に協議し、妥当な措置を取る。両締約国の防衛力強化のため、双方によって締結される適切な協定を基礎に、軍事面での協力を発展させる」(第4条)、「双方は相手国に向けられたいかなる軍事同盟、国家の集団行動、措置にも参加しない」(第6条)と規定することで、後にソ連の軍事介入を正当化する根拠となりました。

 一方、人民民主党政権の内部では、ハルク派がパルチャム派を粛清して主導権を握った後、今度は、ハルク派内の主導権をめぐってタラキーと左翼最強硬派のハフィーズッラー・アミーンの熾烈な権力闘争が展開され、1979年3月27日、アミーンが副首相から首相に昇格し、タラキーを首相から解任され、象徴的な地位としての革命評議会議長に留まるのみとなりました。

 ソ連はアミーンの能力を評価していませんでしたが、ともかくも、権力闘争が一段落してアミーンに権力が一本化されたことで、アフガニスタン情勢が安定することを期待し、アフガニスタンへの支援を拡大。しかし、アミーン政権はより一層の社会主義的政策を強行して国民のさらなる反発を招き、ムジャーヒディーンらによる反政府闘争もますます激化しました。

 混乱を収拾できないアミーンに苛立ったソ連は、アフガニスタン政府に圧力をかけ、タラキーを復権させて政府軍最高司令官に、アミーンは首相の地位に留まるものの外相の兼任を解いて、副首相を新設して外相との兼任でシャー・ワリーを任命する内閣改造を行わせて体制の立て直しを図ります。

 ソ連の後押しで復権した復権したタラキーは、1979年9月、アミーンの逮捕・殺害を計画しますが、これを辛くも逃れたアミーンは、逆に、政府軍を動員してタラキーを拘束。タラキーを政府・党における善役職から解任したうえ、10月8日にタラキーを殺害したうえで、同10日、彼の“病死”を発表しました。

 タラキーによる自身の暗殺未遂事件はソ連が黒幕になっていると理解したアミーンは、タラキーを排除した後、ソ連とは距離を置く“均衡外交”を志向し、10月19日には経済支援を求めて米国に接触。こうした権力中枢部での政変劇の間も、ムジャーヒディーン勢力の攻勢はまずます激しくなり、12月初めには、アフガニスタン難民も急増します。

 こうなってくると、アフガニスタンに“安定的な親ソ政権”を樹立することを求めていたソ連にとって、独断的な急進改革を強行して国内を大混乱に陥れながら、ソ連からの自立志向を強めていたアミーンの存在は、もはや害悪でしかありません。

 そこで、11月以降、ソ連はアミーンの排除を検討するようになり、ハルク派との権力闘争に敗れて亡命生活を送っていたバブラク・カールマルらパルチャム派幹部をモスクワに呼び寄せるとともに、友好善隣協力条約を根拠として、アフガニスタンへの軍事介入を計画。12月27日、「アミーン政権の腐敗と統治能力の欠如」、「1978年12月のソ連・アフガニスタン友好善隣協力条約に基づくカールマルの軍事援助要請」を主な理由として、アフガニスタンへの侵攻を開始しました。

 これにより、アミーンは殺害され、ソ連の手引きによりカールマルが革命評議会議長(国家元首)兼人民民主党中央委員会書記長に就任。カールマルはソ連の傀儡として、1986年まで政権を維持することになります。

 ちなみに、今回ご紹介の切手はアミーン時代に準備されていたものですが、実際の発行は、カールマル政権の発足後のことです。カールマル政権は、発足当初から、アミーン時代の混乱の要因のひとつであった土地改革の抜本的な見直しに着手しており、1981年9月7日の革命評議会布告第八号(土地改革令)の改正令でモスクや部族長など“(アミーンの認定による)封建地主”の土地所有制限を大幅に緩和されることになります。

 さて、現在、12月下旬を目標に、『アフガニスタン現代史(仮)』と題する書籍を刊行すべく、作業を進めています。今後、正式なタイトルや発売日、販売価格などの詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いします。

 * 昨日(22日)の文化放送「おはよう寺ちゃん」の僕の出番は、無事、終了いたしました。リスナーの皆様には、この場をお借りして御礼申し上げます。次回は来週月曜日・29日に登場の予定です。引き続きよろしくお付き合いください。
 

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 切手に見るソウルと韓国:韓国の尿素水不足
2021-11-22 Mon 03:02
 『東洋経済日報』2021年11月12日号が発行されました。僕の月一連載「切手に見るソウルと韓国」は、今回は、昨今話題の韓国の尿素水不足にちなんで、ディーゼル車関連の切手の中から、こんなものを取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・ロボカーポーリー(ポリー)

 これは、2013年3月12日に韓国が発行した『ロボカーポリー』の切手のうち、主人公でパトカー型のロボカー、ポリーを取り上げた1枚です。

 韓国で尿素水不足が深刻な問題となったのは、ディーゼル車を運転するうえで尿素水が欠かせないものになっているためです。

 ディーゼル車は馬力・トルクがあり、燃費が良いというメリットがある反面、排出ガスによる大気汚染が深刻というデメリットがあり、現在の排ガス規制をクリアするためには、ガスの有害物質を除去しなければなりません。

 排出ガスに含まれる窒素酸化物などを無害化するためにはアンモニアが有効ですが、アンモニアは可燃性が高く、そのまま車に積み込むのは危険です。そこで、アンモニアを無色・無臭で常温保存が可能な液体、“尿素水”に加工して、排出ガスを浄化するシステムがディーゼル車には搭載されるようになりました。

 したがって、尿素水が不足すると、この排ガス浄化のシステムが十分に機能させられず、ディーゼル車の使用に大きな支障が生じるわけです。

 韓国では、これまで、国内の尿素水需要の97パーセントを中国からの輸入で賄ってきたが、10月11日、中国が輸出検査を理由に尿素水輸出を事実上中断。さらに、在中韓国大使館が、当初、「通常の手続きが進行中で心配する必要はない」との誤った楽観論を報告し、韓国政府も十分な対策を講じなかったことから、1ヵ月で尿素水の価格は10―20倍以上に暴騰。それでも、尿素水の供給量が絶対的に不足しているため、そもそも代金を上乗せしても尿素水が確保できないという状況になりました。
 
 ちなみに、わが国では、尿素水の主原料であるアンモニアの80%を自国生産する上、ディーゼル車の割合が少ないうえ、中国からの尿素水輸入がほぼゼロなので、韓国のような尿素水不足の問題は起きていません。

 これに対して、韓国国内の物流の主軸を担うトラックや産業用ダンプトラックの大半はディーゼル車なので、尿素水不足でディーゼル車が使えなくなると、物流面だけで一日3000ウォンもの損害が発生します。さらに、消防車やパトカーなどの緊急車両についても、韓国ではディーゼル車の占める割合が高いため、それらが使用できなくなることへの不安も大きく、全国各地では救急センターに尿素水を寄付する人も現れました。

 さて、今回ご紹介の切手の題材となった『ロボカーポリー』は、ロボットに変形できる車“ロボカー”の生活を描いた幼児向けのテレビアニメで、テーマは「助け合い」と「交通安全」。 ロボットの変形パターンは、日本アニメの変形物や勇者シリーズの系譜に連なるものです。

 番組は2011年2月28日からEBSで放送され、日本でも、2013年4月から2014年3月まで1年間、テレビ東京・テレビ大阪ほかで15分の番組として放送されました。

 物語の主役となるロボカーのレスキューチームは、青いパトカー型のポリーをリーダーに、赤い消防車型のロイ、ピンクの救急車型のアンバー、緑の救助用ヘリコプター型のヘリ―、そして人間女性のオペレーター、ジンで構成されていますが、このうち、ポリー、アンバー、ロイの3体はおそらくディーゼル車という設定なので、尿素水不足によって活動できなくなる可能性があります。

 なお、番組は、レスキューチームという設定ゆえ、事故などの“救出”が物語の中心となり、悪役は登場せず、戦闘や暴力シーンもないことから「変身するけど戦わない」(番組のキャッチコピー)という斬新な内容で、 対象視聴者の幼児たちはもちろん、親たちの評判も上々でした。このため、日本を始め世界80か国以上でアニメ展開されるなどの大成功を収め、その結果、韓国を代表するアニメ・コンテンツとして切手にも取り上げられたわけです。

 ちなみに、韓国政府は尿素不足対策として、11月12日、「緊急需給調整措置」を制定し、①尿素水を輸入、生産、販売する業者は当日の生産量、輸入量、出庫量、在庫量、販売量などの情報を翌日正午までに環境部長官に届け出なければならない、②販売業者が尿素水を納入できる販売先はガソリンスタンドに限定する(ただし、販売業者が販売店を経ず、建設現場、大手運輸会社など特定の事業者と直接供給契約を結んで販売する場合は、例外として認める)、③ガソリンスタンドで車両1台当たりの購買できる尿素水の量は、乗用車で最大10リットルまで、貨物・ワゴン車、建設機械、農業機械などは最大30リットルまでとする、④車両用尿素水の購入者が第三者に転売することは禁止する、⑤違反者は、3年以下の懲役または1億ウォン(約965万円)以下の罰金に処せられることがある、などの規制を年末までの期限付きで実施しています。

 また、11月14日に発表された韓国の点検結果によると、生産業者は現場点検の過程で確認された車両用尿素700トンで200万リットルの尿素水を生産中で、前日(13日)までに37ヵ所に8万2000リットルの尿素水が出荷。15日までに尿素水180万リットルを100か所のガソリンスタンドに供給し、生産量が確保され次第、供給するガソリンスタンドを拡大することを明らかにしました。

 実際、今月15日の尿素水生産量は、1日平均の国内消費量である60万リットルを上回る68万3000リットルを記録したことから、16日、韓国政府は「現場点検などを通して尿素水メーカーの隘路を直ちに把握し迅速に解消するなど、生産能力が最大化されるよう支援を続け、今後も尿素水の生産・流通・販売量が急速に増加するよう誘導する」と発表しています。

 もっとも、毎日午後2時と8時に政府がウェブ上で公開している尿素水の在庫現況は、いずれも2時間前(正午基準と午後6時基準)のため、この情報をを信じてガソリンスタンドに来ても尿素水を入手できずに無駄足となるトラックが相次ぐなど、現場の混乱は続いており、大林大学自動車学科のキム・ピルス教授は「今回の需給不足事態は完全な解決までに6カ月以上かかるものと思われる」と指摘しています。

 
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 明治4年3月1日(1871年4月20日)にわが国の近代郵便が創業され、日本最初の切手が発行されて以来、150年間の歴史を豊富な図版とともにたどる3巻シリーズの第2巻。まずは、1945年の第二次大戦終戦までの時代を扱った第1巻に続き、第二次大戦後の1946年から昭和末の1989年までを扱っています。なお、2022年3月刊行予定の第3巻では平成以降の時代を取り扱う予定です。

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 二の酉
2021-11-21 Sun 02:16
 きょう(21日)は二の酉です。というわけで、一の酉の時同様、拙著『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.2 戦後編』の重版を祈念して、同書で取り上げた“鳥”関連の切手の中から、表紙に掲載のこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      月に雁・シート

 これは、1949年11月1日に発行された郵便週間の切手(月に雁)の5面シートです。

 郵便週間は、前年までの「切手趣味週間」を吸収し、郵便事業全般について一般の理解を得るために企画されたもので、1949年11月1日から7日まで、「伸びゆく郵便 明るい世界」の標語の下に各種のイベントが全国各地で行われました。

 そのメインイベントとして、11月2日から9日まで、東京・日本橋の三越百貨店で「世界を結ぶ郵便展」が開催されたほか、同月1日から9日までの間、東京・飯田橋の逓信博物館でも「郵便早わかり展」が開催されています。
 
 このうち、世界を結ぶ郵便展は万国郵便連合(UPU)創始75周年の記念行事としても企画されたため、明治天皇の御名御璽のある皇米郵便条約の原本が外務省の特別出品として展示され、参観者の注目を集めていました。また、関東郵趣連合のメンバーによる賛助出品として、手彫切手の大桜20銭をはじめとする珍品も多数出品され、“100万円展覧会”として話題になりました。
 
 郵便週間の期間中、郵政省は11月1日に今回ご紹介の“月に雁”の記念切手と万国郵便連合75年の低額2種を収めた小型シートを、同3日に「文化切手」の第一陣として野口英世を描く特殊切手を発行しています。

 このうち、小型シートに関しては、告示上は「万國郵便連合七十五年記念のため」となっていますが、シート状には記念銘もなく、また、切手本体の発行よりも20日も後れてわざわざ11月1日に発行されていることから考えると、実質的には郵便週間にために発行されたものと考えるのが妥当と思われます。

 とはいえ、郵便週間の記念切手といえば、やはり、今回ご紹介の「月に雁」の切手がメインであったことはいうまでもありません。

 今回の記念切手は、前年の「見返り美人」同様、取引高税(売上税)用の一万円印紙(横長)と同型で、頭合わせの上下2面・左右3面の計6面がけの実用版で印刷され、穿孔作業が行われました。このため、シートには目打ちが右に抜けたものと左に抜けたものとがあります。また、30枚の切手には、細かな定常変種が確認されていますが、その特徴は「見返り美人」と比べると格段に細かくなっており、1年間で戦後復興が進み、切手の製版品質も大きく向上したことがうかがえます。

 なお、「見返り美人」が発売早々に売り切れとなったことから、郵政省は、「月に雁」の発行枚数を「見返り美人」よち50万枚多い200万枚に増やしました。しかし、同年5月1日の料金改正(書状基本料金が5円から8円になりました)の影響もあって、「月に雁」は年内には完売できず、一部の郵便局では翌年になっても発売されていました。「月に雁」の人気に火がつくのは、1950年代後半に始まった切手ブーム以降のことで、発行当時の「月に雁」は必ずしも人気切手ではなかったわけです。

 PS 私事ですが、今年は一の酉の時に東京・新宿の花園神社にお参りして熊手をいただいてきたのですが、その際、拙著の重版を祈念して、「月に雁」がデザインされた岡山デニムのジーンズを履いて行きましたので、その時の写真も貼っておきます。

      酉の市2021・ジーンズ


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 世界こどもの日
2021-11-20 Sat 04:37
 きょう(20日)は、1959年11月20日に「児童の権利に関する宣言」が、1989年11月20日に「児童の権利に関する条約」が国連で採択されたことにちなむ“世界こどもの日”です。というわけで、子供を題材にした切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アフガニスタン・ハザラ人少年(1950)

 これは、1950年5月28日にアフガニスタンが発行した“児童福祉基金”の切手で、アフガニスタンの少数民族、ハザーラ人の少年が描かれています。

 ハザーラ人はアフガニスタンを中心に居住するモンゴル系の民族で、アフガニスタン国内の人口比では1割程度のマイノリティです。宗教的には、ハナフィー派(スンナ派4法学派のひとつ)が主流を占めるアフガニスタン国内では例外的に、シーア派が大半を占めています。

 このため、アフガニスタン国内では歴史的にハザーラ人に対する差別や弾圧が繰り返されてきましたが、特に、1880年代のアマーヌッラー・ハーン時代の弾圧は苛烈で、ハザーラ人の約6割が国外に脱出するか、奴隷として売られたと推定されています。
 
 また、1929年に即位したムハンマド・ナーディル・シャーは、1931年10月21日、アマーヌッラー・ハーン時代(1919-29)の『アフガニスタン政治の基本原則』(憲法に相当)の改正として新原則を施行しましたが、この新原則はハナフィー派を“国教”に準ずるものと位置付けていたため、ナーディル・シャーの意図とは無関係に、国民のシーア派差別ならびにシーア派信徒の多いハザーラ人差別を助長する結果をもたらしました。

 ナーディル・シャー本人は、1931年10月に創設された常備軍の中核にハザーラ人を登用しており、ハザーラ人を排斥しようとは考えていなかったとみられていますが、権力闘争の過程でアマーヌッラー・ハーンの寵臣だったグラーム・ナビ・ハーンが粛清されると、その恩顧を受けていたハザーラ人学生のアブドゥル・ハーリクは、1933年11月8日、ネジャート高等学校の優秀生徒表彰式に出席したナーディル・シャーを暗殺しました。潜在的にハザーラ人差別が横行しているアフガニスタン社会において、ハザーラ人が“テロリスト”としてパシュトゥン人の国王を暗殺した事件のインパクトはきわめて大きく、それだけに、社会的な処罰感情もすさまじいものがあり、ハザーラ人に対する差別も増幅されていくことになりました。

 ナーディル・シャーの死後、王位に就いたザーヒル・シャーは、ハザラ人に対する宥和政策を進め、その一環として今回ご紹介の切手を発行したわけですが、1996年にアフガニスタンのほぼ全土を実効支配に置いた第一次タリバン(ターリバーン)政権下ではハザーラ人に対する迫害が深刻化。今月13日には、首都・カブールのハザラ人居住区で、多くの市民を乗せた小型バスが爆発する事件も発生しています。

 さて、現在、来月下旬を目標に、『アフガニスタン現代史(仮)』と題する書籍を刊行すべく、作業を進めています。今後、正式なタイトルや発売日、販売価格などの詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いします
 

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 旧グラバー住宅、リニューアル完了
2021-11-19 Fri 07:35
 世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」を構成する“旧グラバー住宅”(長崎市南山手町)で2018年12月から行われていた大規模改修工事が完了し、きのう(18日)から一般公開が始まりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      旧グラバー住宅(1983)

 これは、1983年6月23日、近代洋風建築シリーズ第8集として発行された旧グラバー住宅の切手です。

 旧グラバー住宅は、幕末の長崎で武器商人として活躍したトーマス・ブレイク・グラバー(グラヴァー、グローヴァ―とも)が住んでいた日本最古の木造洋風建築で、1863年に竣工しました。ちなみに、私事ですが、今回の大規模改修工事が始まる直前の2018年9月、僕自身もグラバー園を訪れる機会がありましたので、その時に撮った写真を下に貼っておきます。

      旧グラバー住宅・実物(2018B)
      旧グラバー住宅・実物(2018A)

 旧グラバー住宅の主だったグラバーは、1838年、スコットランド生まれ。ギムナジウム卒業後、1859年に上海へ渡り、ジャーディン・マセソン商会に入社。同年9月19日(安政6年8月23日)、開港後まもない長崎に移り、2年後にはフランシス・グルームと共にジャーディン・マセソン商会の長崎代理店として“グラバー商会”を設立しました。

 当初は生糸や茶の輸出を中心として扱っていましたが、1863年の“八月十八日の政変(尊攘派公卿と長州藩が追放されました)”後の政治的混乱に着目して討幕派・佐幕派・幕府問わず、武器や弾薬を販売して巨額の利益を上げました。今回ご紹介の切手の邸宅は、この時期に建てられたもので、グラバー自身が設計し、裏手には馬小屋や貯蔵庫なども残っています。

 1865年4月12日(元治2年3月17日)、大浦海岸で蒸気機関車(アイアン・デューク号)を走らせ、1866(慶応2)年には、大規模な製茶工場を建設したほか、1868年(明治元年)には肥前藩(=佐賀藩との合弁)と契約して高島炭鉱開発に着手。さらに、長崎の小菅に船工場(史跡)を建築したほか、薩摩藩の五代友厚・森有礼・寺島宗則、長澤鼎らの海外留学、長州五傑の英国渡航を仲介するなど、幕末維新期の西洋文明の移入に大きく貢献しました。

 明治維新後も造幣寮の機械輸入に関わるなど明治政府との関係を深めましたが、武器が売れなくなったことや諸藩からの資金回収が滞り、グラバー商会としては1870年に破産。しかし、グラバー自身は高島炭鉱(のち官営になる)の実質的経営者として日本に留まり、1881年、官営事業払い下げで三菱の岩崎弥太郎が高島炭鉱を買収してからも所長として経営を担当します。また、1885年以降、三菱財閥の相談役となり、経営危機に陥ったスプリング・バレー・ブルワリーの再建参画を岩崎に勧めて後の麒麟麦酒(現・キリンホールディングス)の基礎を築きました。

 グラバー本人は晩年は東京で過ごし、1908年、勲二等旭日重光章を受章し、1911年に亡くなります。切手に取り上げられた旧宅は1939年に長崎造船所の所有となりましたが、1957年、同造船所の創業100周年を記念して長崎市へ寄贈され、1961年、重要文化財に指定されました。

 なお、今回のグラバーの話を含む幕末維新期の外国人居留地については、12月1日から武蔵野大学Web講座の一コマとして配信予定の「日本の歴史を学びなおす― 近現代編その1 ― 黒船来航」でも詳しくご説明する予定です。同講座の詳細につきましては、こちらをご覧ください。皆様のご参加をお待ちしております。


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 幻のアフガニスタン・ワイン
2021-11-18 Thu 02:13
 きょう(18日)は11月の第3木曜日。いわずと知れたボジョレ(ボージョレ、ボジョレーとも)・ヌーヴォーの解禁日です。というわけで、毎年恒例、「ボジョレだけがワインじゃないよ」ということで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アフガニスタン・ブドウ(1961)

 これは、1961年にアフガニスタンが発行した赤十字切手で、アフガニスタンの特産品としてブドウが取り上げられています。

 アフガニスタンの地は気候・土壌の両面からブドウの栽培に適しており、紀元前4世紀にはすでにワインが生産されていました。ムガール帝国初代皇帝のバーブル(在位1526-30)は、1504年にカブールを征服し、同地でワインの味を覚えたと伝えられており、彼の回想録『バーブル・ナーマ』には、カブールの北西29キロの村、イスターリフは「川の水は冷たく清浄で、その両脇にはブドウ園と果樹園がある」との記述があります。また、ムガール帝国の時代、アフガニスタンの地ではワイン生産が盛んに行われており、宮廷にはアフガニスタンの地から上質はワインが献上されていましたが、1722年、アフマド・シャーの興したドッラーニー朝がアフガニスタンを制圧すると、ワインの生産も禁止されました。

 その後長らく、アフガニスタンではワインの生産は途絶えていましたが、第二次大戦後、国王ザーヒル・シャーの下でワイン生産が復活。1968年にはアフガニスタン国内のブドウ園は、ヘラート、カンダハール、カブールなどを中心に、北部の国境地帯の小規模なものを含めると、全土で6万ヘクタールにまで拡大しました。今回ご紹介の切手も、こうした背景の下、アフガニスタンのブドウをアピールする意図を込めて発行されたものです。

 1978年の共産革命に始まる混乱でアフガニスタンのワイン生産も大きな打撃を受けましたが、1996年、タリバン(ターリバーン)が全土を制圧したことで生産は全面的に禁止され、ブドウ園の多くも破壊されました。2001年に第一次タリバン政権が崩壊した後も、アフガニスタン国内では法律による禁酒政策が続けられており、現在、国内で生産されたブドウは、生食用以外には、ジュースもしくは干しブドウに加工されているというのが建前です。

 ただし、ことし8月に新共和国が崩壊するまでは、在留外国人を対象に酒類の販売・提供が例外的に認められていましたし、カブールおよびヘラートでは非合法の密造ワインが闇市場で販売されていたほか、北部の世俗主義軍閥、アブドゥッラシード・ドスタムの支配地域ではウズベキスタンからの酒の密輸が横行し、マザーリシャリフ市内では半ば公然と飲酒が行われていたとの報告もありますが、8月以降の現状については不明です。

 さて、現在、来月下旬を目標に、アフガニスタンを題材とした書籍を刊行すべく、作業を進めています。今後、正式なタイトルや発売日、販売価格などの詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いします。


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      切手でたどる郵便創業150年の歴史②表紙 2530円(本体2300円+税)

 明治4年3月1日(1871年4月20日)にわが国の近代郵便が創業され、日本最初の切手が発行されて以来、150年間の歴史を豊富な図版とともにたどる3巻シリーズの第2巻。まずは、1945年の第二次大戦終戦までの時代を扱った第1巻に続き、第二次大戦後の1946年から昭和末の1989年までを扱っています。なお、2022年3月刊行予定の第3巻では平成以降の時代を取り扱う予定です。

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 夏間近のタスマニアで大雪
2021-11-17 Wed 07:38
 夏も間近な南半球のオーストラリアのタスマニア島で、15日、68年ぶりに11月の最低気温の記録が更新され、島の西部や中央部で、最大30センチの積雪がありました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      タスマニア・1ペニー(1853)

 これは、1853年11月1日、当時は”ヴァン・ディーメンズ・ランド”と呼ばれていたタスマニアで発行された最初の切手のうち、1ペニー切手です。

 1642年、オランダの探検家、アベル・タスマンは、オランダ東インド会社の依頼を受け、すでにオランダが発見していた“ニュー・ホーランド(現在のオーストラリア西海岸)”が、南半球の大半を占める大陸の“テラ・アウストラリス”であるか否かを確認するため、モーリシャスを経由して、11月24日、オーストラリア大陸南東部から240キロ南方、現在のタスマニアの西海岸に到達しました。その際、島の名をオランダ東インド会社総督のアントニオ・ヴァン・ディーメンにちなんで“ヴァン・ディーメンズ・ランド”と命名します。

 ナポレオン戦争中の1803年、英国は、ヴァン・ディーメンズ・ランドを流刑地とし、シドニーから流刑囚と看守を中心とした入植を開始。当初、ヴァン・ディーメンズ・ランドはニューサウスウェールズの一部とされていましたが、1826年12月にニューサウスウェールズから分離し、独自の植民地政府を構成することになりました。そして、1856年、英国は、ヴァン・ディーメンズ・ランドを、発見者のタスマンにちなんでタスマニア島と改名。現在にいたっています。

 1853年11月1日以降、植民地のヴァン・ディーメンズ・ランドでも、英本国に倣い、郵便料金は切手を用いて前払いすることになったため、首府ホバート・タウン(現ホバート)のベスト兄弟が経営する地元新聞社“ホバート・タウン・クーリエ”で製造された1ペニー(今回ご紹介の切手)および4ペンスの切手が発行されました。これがタスマニア最初の切手で、印刷所の名前から“クーリエ”のニックネームで呼ばれています。なお、1ペニー市内宛、4ペンスは島内の他地域および島外宛の郵便料金でした。

 その後、1856年に英国はヴァン・ディーメンズ・ランドをタスマンにちなむ“タスマニア島”に改名。これに伴い、1858年以降、“タスマニア”表示の切手が発行されるようになりました。そして、1901年のオーストラリア連邦結成を経て、1913年以降は連邦統一の切手が使用されています。


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 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。

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 12月1日から2月8日まで、計7.5時間(30分×15回)の講座です、お申し込みなどの詳細は、こちらをご覧ください。


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 シェル、社名から“ロイヤル・ダッチ”を外す
2021-11-16 Tue 05:22
 石油大手のロイヤル・ダッチ・シェルは、きのう(15日)、英国とオランダに分かれていた本社機能を英国に集約し、社名から“ロイヤル・ダッチ”を外し、“シェル”に改めることを発表しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      オマーン・シェル60年

 これは、2018年12月12日、オマーンが発行した“シェル・オマーン・マーケティング社60年”の記念切手のうち、シェルのマークのガソリンスタンドを取り上げた1枚です。

 1880年、オランダ人のA.J.セイクラーは、オランダ領東インド(現インドネシア。以下、蘭印)の北スマトラのスルターン(イスラム系の地方君主)、ランカットからパンカラン・ブランダンに近いトゥラガ・サイドの開発権益を与えられ、石油開発事業を始めました。

 セイクラーは、1883年、スマトラ東海岸のトゥラガ・ティガとパンカラン・ブランダンでの石油試掘を開始し、2年後の1885年、テラガ・トゥンガルNo.1油井での採掘に成功して原油の生産を開始。これを受けて、1890年、セイクラーの事業を引き継ぐかたちで、蘭印を拠点に活動していたジャン・バプティスト・オーガスト=ケスラーは、1890年にオランダ王室からの特許状(ちなみに、1899年以降は、蘭印鉱業法に基づきオランダ政府から採掘権を得る制度となります)を得て、オランダ領東インド石油開発会社を設立しました。これが“ロイヤル・ダッチ社”の起源です。

 同社は、1892年にはパンカラン・ブランダン製油所の操業を開始し、シンガポールやマレー半島向けの灯油のを輸出。4年後の1896年には、蘭印からアジア・大洋州(日本、中国、東インド、オーストラリア)向けの輸出量は300万バレル以上に達し、米国からの同地域向け輸出量にほぼ匹敵するまでに急成長を遂げました。

 一方、この頃、ボルネオ島では、1898年にシェル運輸貿易会社(以下、シェル)の石油部門がバリクパパンで製油所を操業し、成功を収めていました。

 シェルの創業者、マーカス・サミュエルは、1853年、ロンドン生まれのユダヤ人。1871年、18歳の時に、高校の卒業祝いに父親からもらった片道切符で来日。三浦海岸で拾った貝の美しさに魅せられ、これを加工して父親の元に送り、それを父親がロンドンで宝飾品として販売するというビジネスで大きな利益を上げ、1873年、横浜にマーカス・サミュエル商会を設立します。

 同商会は、日本の雑貨類を英国に販売するだけでなく、日本の石炭をマレー半島へ輸出したりするなど、アジア各地に事業を拡大。その一環として、サミュエルはカスピ海などからの貝殻の輸入のために貨物船を運航していましたが、カスピ海からはバクーの石油をスエズ運河経由でバルク輸送し東洋で販売することを思いつき、8隻のタンカーを発注。1882年、その最初の船であるミューレックス号がスエズ運河を無事に通過すると、サミュエル商会は極東の主要港に石油のバルク貯蔵所を設置し、1888年にはバクー産原油を日本市場にも届けています。

 当時、欧州の石油市場では、米国ロックフェラー系のスタンダード・オイル(現エクソン・モービル)やノーベルなどの先行企業との競争が激しかったため、ロックフェラーはアジア方面での販路の開拓を模索しており、海運仲買人のフレッド・レーンに協力者を探すよう依頼していました。レーンはサミュエルの活動に目をつけ、彼をロスチャイルドに紹介。1891年、サミュエルはロスチヤイルド系のブニトとの間で1900年を期限とするロシア灯油の独占販売契約を締結しました。こうした経緯を経て、1897年、サミュエルはシェル運輸交易会社を創設。これが、石油会社としてのシェルの起源になります。

 さて、石油各社の熾烈な競争の中で、シェルは、消耗戦を早期に終了させて生き残るべく、スタンダード・オイル、ロイヤル・ダッチの双方と並行的に提携交渉を開始。そして、1901年12月、スタンダード・オイルとの交渉を打ち切って、ロイヤル・ダッチとの提携について原則的に合意しました。いわゆる“英蘭協定”の締結です。

 ところが、英蘭協定の締結後も、シェルとロイヤル・ダッチの販売競争は収まらなかったため、1903年6月、ロスチャイルドの仲介により“東方でのお互いの競争をやめる”ことを目的として三者合弁(出資比率は対等)のアジアティク・ペトロリアムが設立。その後、1907年にはロイヤル・ダッチとシェルの一本化が成立し、アジアティク・ペトロリアムを包摂するかたちで、“ロイヤル・ダッチ/シェル”グループが結成されました。ちなみに、共同事業としての持ち分は、ロイヤル・ダッチが60%、シェルが40%でした。

 さて、ロイヤル・ダッチ/シェルは長らくロイヤル・ダッチとシェルの2社提携による二元上場会社の形態をとっていましたが、2001年ごろから傘下の油田の埋蔵量を下方修正するなど財務上の問題が明らかになり、株主からは透明性向上のため単一法人化を求める圧力が高まっていました。このため、2005年5月、両社は合併して単一の法人として“ロイヤル・ダッチ・シェル”となりましたが、その後も英国に本社を置く一方、税務上の拠点はオランダとし、取締役会も同国で開催するなど、本社機能が分散していました。今回の本社機能集約により、税務上の拠点も英国に移り、これに伴い“ロイヤル・ダッチ”が外れたというわけです。

 * 昨日(15日)の文化放送「おはよう寺ちゃん」の僕の出番は、無事、終了いたしました。リスナーの皆様には、この場をお借りして御礼申し上げます。次回は来週月曜日・22日に登場の予定です。引き続きよろしくお付き合いください。


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 きものの日
2021-11-15 Mon 00:29
 きょう(15日)は、全日本きもの振興会が1966年に制定した“きものの日”です。というわけで、和服姿の女性を描いた切手の中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      見返り美人シート

 これは、1948年11月29日に発行された切手趣味週間の切手(見返り美人)の5面シートです。

 切手趣味週間は切手収集のプロモーションとして1947年に第1回が開催され、北斎の「山下白雨」を取り上げた当時の1円切手を5枚収めた記念の小型シートが発行されました。第2回にあたる1948年の趣味週間には、当初、三角形の特殊切手を発行する計画もありましたが、この企画は印刷局での目打作業が不可能であるとして早々に撤回されています。

 その後、取引高税(売上税)用の一万円印紙(横長)の穿孔機が切手用にも使用できることが判明したため、このサイズ(縦長もしくは横長で68ミリ×30ミリ)の切手に適した図案が選ばれ、かねてから要望のあった浮世絵の中から「見返り美人」に白羽の矢が立てられました。なお、今回ご紹介の画像をご覧いただけばお分かりのように、1シートが5面という構成も取引高税印紙と同じフォーマットです。

 さて、「見返り美人」の作者、菱川師宣は浮世絵の祖とも言われていますが、もともとは絵師ではなく、刺繍と金銀の箔で布地に装飾を施す“縫箔師”でした。その経験を生かして、彼が描いた江戸の女性は、榎本其角が編んだ俳諧集『虚栗』で服部嵐雪が「菱川やうの吾妻俤」と詠むほど持てはやされました。

 嵐雪のこの句は其角の発した「山城の吉弥結びに松もこそ」に応じたものですが、ここでいう吉弥結びは、延宝年間(1673-81)、女形の人気役者・初代上村吉が考案した帯の結び方のことです。1丈2尺の帯を後ろで片結びにするもので、結び目の両端を犬の耳のように垂らしたスタイルは、それまで6尺5寸の規格品しかなく、ただ横に結ぶだけだった女帯のスタイルに革命をもたらしました。

 今回ご紹介の切手に取り上げられた「見返り美人」では、この吉弥結びを中心に、娘の着物が細かく描かれている点が特に注目されます。

 すなわち、単色刷りの切手ではわかりにくいのですが、娘の振袖は緋色に花の地文を織りだした綸子に、桜と菊の花丸模様を刺繍で表わしたもので、大型の桜と菊の花丸模様は貞享年間(1684-87)に流行したデザインです。桜の花丸は、金糸による大桜を中心に浅葱と小桜を周囲に配し、菊の花丸は金糸縫いの菊花を巡らせた中央を鹿の子絞りで埋めており、まさに、縫箔師としてスタートした師宣ならではの緻密な描写といえましょう。

 ちなみに、「見返り美人」という絵の題名は明治以降の命名で、原題は不明です。そこで、あらためて近衛を見直してみると、着物の部分に比べて、娘の顔の描き方は至極淡白で、師宣の意識ではこの作品の主役は“美人”ではなく、着物と帯だったのではないかと思われます。娘を正面からではなく、歩きながら振り返って後方に視線を送る姿で描いているのも、着物と帯の美しさを強調するための演出だと考えると合点がいくのですが、いかがでしょうか。

 なお、「月に雁」と並んで戦後記念切手の両横綱の一方とされる「見返り美人」については、拙著『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.2 戦後編』の表紙でも取り上げているほか、その背景などもご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。

 * 昨日(14日)、アクセスカウンターが243万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。


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 沖縄切手モノ語り⑮
2021-11-14 Sun 01:06
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、『本のメルマガ』第802号が配信されました。僕の連載、「沖縄切手モノ語り」は、今回はこの切手について取り上げました。(画像はクリックで拡大されます。)

      沖縄・ドル数字1ドル

 これは、1958年9月16日、B円から米ドルへの通貨切り替えに伴い発行されたドル表示数字切手のうちの1ドル切手です。

 1952年のサンフランシスコ講和条約発効に伴い、沖縄は戦時体制から平時の体制に移行したため、それまで米軍が占有していた土地を引き続き使用するためには、そして、新たな用地を拡大するためには法的な根拠が必要になりました。また、当然のことながら、軍用地の地主は地代支払いを要求するようになります。

 そこで、琉球列島米国民政府(USCAR)は、1954年3月、米軍の軍用地料を10年分1括で支払うとの方針を示しましたが、立法院はこれに反対。1954年4月30日、以下のような「土地を守る四原則」を決議します。

 ①一括払い反対:米国の軍用地買い上げ、または永久使用、借地料の一括支払いは行わないこと。
 ②適正補償:使用中の軍用地は、住民の要求する相応の金額で、一年ごとに支払うこと。
 ③損害賠償:米軍による一切の損害は、住民の要求する適正な賠償額で支払うこと。
 ④新規接収反対:米軍が収用している土地で使用していない分は出来るだけ早く返還し、新たな土地の収用は絶対にしないこと。

 この決議を受けて、行政府・立法院・市町村会・土地連合会による四者協議会が組織され、6名の代表が米本国政府との直接交渉を開始しました。

 これに対して、同年10月、米下院軍事委員会はM.プライスを委員長とする調査団を沖縄に派遣。1956年、調査団は議会に対して「プライス勧告」を提出。勧告は、沖縄の祖国復帰については一言も触れず、米国による沖縄統治の経緯と現状をのべ、米軍が今後も長期にわたって沖縄を統治することの利点を挙げたうえで、土地問題に関しては以下の骨子が6月7日に発表されます。

 ・土地料の値上げを認める
 ・不要の土地は返還する
 ・軍用地は絶対所有権を確保して、土地代は一括払いとする
 ・新規接収は最小限にとどめる

 米国側としては、提案は沖縄側に大幅に譲歩したものという認識でしたが、沖縄の世論は“一括払い方式”が明記されていたことに強く反発し、6月7日、立法院は緊急本会議を開催して「四原則貫徹」を決し、日本国政府にも断固たる態度を要求しました。

 その後、6月20日にプライス勧告全文が発表されると、沖縄の全64市町村のうち56で市町村住民大会が開かれ、土地をめぐる“島ぐるみ”の闘争が開始されます。その過程で、7月28日、那覇高校グラウンドで開催された「四原則貫徹県民大会」には約15万人が集まったそうです。

 これに対して、米軍は、中部地域に軍関係者の民間地域への無期限立ち入り禁止(オフ・リミッツ)措置を行いましたが、これは米軍人を顧客とする事業にとっては事実上の経済封鎖となり、沖縄側も一定の譲歩を余儀なくされました。

 結局、1958年4月12日、ジェームス・E・ムーア高等弁務官は一括払い中止を公表し、同年、土地使用料は大幅に値上げされます。その一方で、新規接収は黙認され、損害賠償は未解決のまま、土地使用料は原則毎年払いとされました。そして、同年12月末、立法院は関係法案を可決し、土地問題はとりあえず決着しました。

 この間、1958年1月に琉球列島高等弁務官として着任したドナルド・ブースは、一連の経緯を踏まえて、沖縄経済をある程度成長させることで、住民の反米感情を和らげようと考え、同年8月23日、それまで沖縄で流通していたB円を米ドルに切り替えるとの命令を発します。沖縄の経済発展のためには外国資本を積極的に導入して、雇用創出と新しい技術知識の導入を図ることが必要であり、国際基準通貨であるドルへの移行することで外資導入が促進されるという発想です。

 ドル通貨制については米国による支配の強化につながるとの理由から、沖縄内でも反対の世論が少なくなからずありましたが、米軍はこれを無視して、9月15日からのドル通貨制への意向を決定します。

 これを受けて郵政当局も切り替えのための作業に忙殺され、急遽、那覇の旭堂印刷所で、1/2、1、2、3、4、5、10、25、50セントおよび1ドルの額面数字のみを表示した簡易な切手(ドル数字切手)が製造されました。今回ご紹介の切手は、そのうちの1ドル切手です。

 当初、通貨切り替えは9月15日の予定でしたが、台風により1日おくれの16日に実施され、1ドル=120B円のレートで20日まで、通貨の交換が行われます。

 ドル数字切手は、通貨切り替え初日の9月16日に発行されましたが、B円時代の切手も同月20日までは有効とされ、30日まで郵便局の窓口でドル数字切手と上記レートで交換されました。新旧通貨の切手の交換は9月末で一旦停止されましたが、すでに販売済みで公衆手持ち分のB円切手も少なからずあったため、11月5日から29日まで、あらためて交換が行われています。


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 漆の日
2021-11-13 Sat 06:12
 きょう(13日)は、文徳天皇の第一皇子・惟喬親王が京都・嵐山の法輪寺に参籠し、その満願の日である11月13日に漆の製法を菩薩から伝授されたとの伝説にちなみ、“漆の日”です。というわけで、漆器の切手の中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      春日山蒔絵硯箱・70円

 これは、1982年12月6日に発行された“春日山蒔絵硯箱”を取り上げた70円切手(普通切手)です。

 春日山蒔絵硯箱は、室町幕府第8代将軍・足利義政が愛用していた硯箱で、蓋には『古今和歌集』巻4に収められている壬生忠岑の「山里は秋こそことにわひしけれ 鹿の鳴く音に目をさましつつ」を題材にした装飾がなされています。

 切手に取り上げられているのは、その表面の装飾で、満月の下、女郎花や桔梗、薄、菝葜が生い茂り、三頭の鹿がたたずむ秋の野の風景が金研出蒔絵と高蒔絵で表現されています。文様の中には、歌の中の“盤(は)”、“こ・と・尓(に)”、“け”、“連(れ)”の文字が葦手(装飾文様の一種で、文字を絵画的に変形し、葦・水鳥・岩などになぞらえて書いたもの)の手法で表されています。また、裏面(蓋の内側)には、山中の茅屋で鹿の声に耳を傾けているかのような男が描かれています。現在は根津美術館の所蔵品です。

 ところで、1970年代末まで、郵政省は、普通切手のデザインを一定のコンセプトの下に構成するのではなく、その時々の料金体系に応じて必要な額面の切手を五月雨式に発行していました。このため、郵便局の窓口では新旧さまざまな図案の切手が混在し、シリーズとして統一的な図案の普通切手を使用している諸外国に倣って普通切手の図案統一を望む声が上がっていました。

 そこで、1981年1月20日の郵便料金改正を前に、郵政省は、新発行の普通切手について、書状料金未満の低額面については花、書状料金以上の中高額面については文化財を題材とする“図案統一”を発表。まず、1980年10月1日、“つばき”を描く30円切手、“菜の花”をえがく40円切手、“さくら”を描く50円切手が発行され、11月25日には料金改正後の書状基本料金となる60円切手(図案は平等院の梵鐘)が発行されました。ただし、新普通切手の発行後も従来の切手の多くは販売が継続されたため、“図案統一”は中途半端に終わっています。

 この時の図案統一では、当初、1980年11月25日に発行された70円切手には“法隆寺金堂小幡”が取り上げられていましたが、子に炉の刷色が濃く消印が見づらかったため、1982年12月6日、今回ご紹介の切手が新たに発行されたという経緯があります。

 なお、この辺りの事情については、拙著『切手でたどる郵便創業の歴史 vol.2 戦後編』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


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 南アのデクラーク元大統領、亡くなる
2021-11-12 Fri 07:31
 南アフリカ共和国(以下、南ア)最後の白人大統領で、アパルトヘイト(人種隔離政策)の廃止に尽力したとして、ネルソン・マンデラと共にノーベル平和賞を受賞したフレデリック・ウィレム・デクラーク元大統領が、きのう(11日)、ケープタウンの自宅で亡くなりました。享年85歳。というわけで、謹んでご冥福をお祈りしつつ、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます。以下、文中敬称略)

      南ア・デクラーク大統領(1989)

 これは、1989年9月20日、南アが発行したデクラーク大統領就任の記念切手です。

 デクラークは、1936年3月18日、ヨハネスブルグで生まれました。父親のヨハンネスは1969-76年に上院議長を務めた大物政治家です。

 1958年にポッチェフストローム大学を卒業後、弁護士を経て、1972年に父親と同じ国民党の国会議員に初当選を果たして政界入り。1978年に郵政相として初入閣した後、内相、国民教育相、白人閣僚評議会議長などを歴任。1989年2月、大統領のピーター・ウィレム・ボータの後任として国民党党首に指名され、同年9月、大統領に選出されました。

 さて、第二次大戦後の南アでは、1948年、連合党政権の“対英従属・(オランダにルーツを持つ)アフリカーナー軽視”を徹底的に批判する国民党が総選挙で第一党に躍進し、政権を獲得しました。このときの選挙キャンペーンとして、国民党が大々的に掲げたのが、アフリカーンス語で分離ないしは隔離を意味する“アパルトヘイト”のスローガンです。

 首相となった国民党のマランは、もともとオランダ改革派教会の聖職者で、「アフリカーナーによる南ア統治は神によって定められた使命である」との信念の下、「国内の諸民族をそれぞれ別々に、純潔を保持しつつ存続させることは政府の義務である」と主張。1950年、全国民をいずれかの“人種”に分類するための人口登録法を制定し、これと前後して、人種間通婚禁止法や背徳法(異人種間の性交渉を禁止する法律)を制定。さらに、都市およびその近郊の黒人居住地から黒人を強制移住させ、その跡地を白人(主としてアフリカーナー)のために区画整理するなどの、人種差別政策を強行していきました。

 こうしたアパルトヘイト政策に対しては、人権の観点から全世界が南ア政府を非難。制裁措置として1960年のローマ五輪を最後に南ア選手はオリンピックから締め出されています。(アパルトヘイト撤廃後、1992年のバルセロナ大会で復帰)

 また、資源大国である南アに対しては、当初、西側諸国は経済制裁に及び腰でしたが、1976年のソウェト蜂起で多くの市民が犠牲になったことから態度を硬化させ、国際的な経済制裁が本格化。南ア経済は大きな打撃を受けました。

 このため、1984年に発足したピーター・ボータ政権は、白人・インド人・カラードによる3人種議会を開設。さらに、1985年には雑婚禁止法と背徳法、分離施設法を、1986年にはパス法を1986年に廃止するなどの部分的改革に着手しました。しかし、アパルトヘイトの根拠となる基幹三法(人口登録法、原住民土地法、集団地域法)の撤廃は拒否したため、南ア全土に黒人暴動が拡大。このため、ボータ政権は非常事態を宣言し、軍と警察を動員して暴動を抑え込もうとしました。

 その一方で、国民党政権はコビー・クッツェー法務大臣を窓口として、獄中にあったアフリカ民族会議(ANC)の指導者、ネルソン・マンデラと交渉を進め、1988年5月、政治犯の釈放とANCの合法化に同意。さらに、同年12月、1975年から南ア軍が介入していたアンゴラ内戦に関して、キューバ軍のアンゴラからの撤退を条件にナミビアの独立を承認し、アンゴラから撤兵しました。

 こうした経緯を経て大統領に就任したデクラークはアパルトヘイトの完全放棄を決断。黒人を始め有色人種との交渉を重視する民主改革路線を採用し、ANC、パン・アフリカニスト会議(PAC)、南アフリカ共産党の非合法化を解除し、1990年2月にはマンデラを釈放しました。さらに、同年6月には非常事態宣言も解除し、1991年2月、国会開会演説ですべてのアパルトヘイト法を廃止すると宣言。その通り、同年6月には基幹三法を廃止し、アパルトヘイト制度は完全に撤廃されました。1993年にはこの功績により、マンデラと共にノーベル平和賞を受賞しています。

 1994年、全人種参加の選挙を経てマンデラ政権が発足すると、デクラークは連立政権の副大統領としてマンデラを支えましたが、1996年5月には連立政権から離脱。翌1997年には国民党首を辞任して政界から引退していました。

 なお、アパルトヘイトとその時代については、拙著『喜望峰:ケープタウンから見る南アフリカ』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


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 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。

 武蔵野大学のWeb講座 2021年12月1日~2022年2月8日
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 12月1日から2月8日まで、計7.5時間(30分×15回)の講座です、お申し込みなどの詳細は、こちらをご覧ください。


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 明治4年3月1日(1871年4月20日)にわが国の近代郵便が創業され、日本最初の切手が発行されて以来、150年間の歴史を豊富な図版とともにたどる3巻シリーズの第2巻。まずは、1945年の第二次大戦終戦までの時代を扱った第1巻に続き、第二次大戦後の1946年から昭和末の1989年までを扱っています。なお、2022年3月刊行予定の第3巻では平成以降の時代を取り扱う予定です。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 

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 ドストエフスキー生誕200年
2021-11-11 Thu 01:44
 1821年11月11日、『罪と罰』、『カラマーゾフの兄弟』などで知られるロシアの文豪、フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキーが生まれてから、ちょうど200年になりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ソ連・ドストエフスキー(1971)

 これは、1971年8月8日にソ連が発行した“肖像画”の切手のうち、ヴァシリー・ペロフによるドストエフスキーの肖像画を取り上げた1枚です。

 ドストエフスキーは、1821年11月11日、モスクワのマリヤ貧民救済病院の医師の次男として生まれました。モスクワの私塾で学んだのち、サンクトペテルブルクの工兵士官学校を経て工兵廠に勤めたものの、1年ほどで退職。1846年に発表した処女作『貧しき人々』が批評家のヴィッサリオン・ベリンスキーに激賞され、以後、文筆活動に専念するようになりました。

 その後、空想的社会主義思想を奉じるペトラシェフスキーのサークルに接近しましたが、1849年春に逮捕され、同年末に死刑判決を受けて刑が執行される直前、皇帝の特赦で減刑され、シベリアのオムスク監獄で4年間過ごしました。出獄後は中央アジアのセミパラチンスクで兵卒として5年間勤務し、この間、マリヤ・イサーエワと結婚しました。

 1959年末、10年ぶりにサンクトペテルブルクへの帰還を許されると、1861年、兄ミハイルとともに雑誌『時代(ブレーミヤ)』を創刊。時事問題、文学論のほか、シベリアの獄中体験に基づく『死の家の記録』、『虐げられた人々』などの作品を連載し、文壇に復帰しました。

 1862年、最初の西欧旅行を体験。1863年に『時代』が発禁処分になり、翌1864年にミハイルが亡くなると、新たに雑誌『世紀(エポーハ)』を創刊したものの、経営的には失敗。このため、借金の取り立てを逃れて国外生活を送りました。この間、借金と癲癇の持病、賭博壁等に悩まされながら、『罪と罰』(1866)、『白痴』(1868)、『悪霊』(1871-72)、『永遠の夫』(1870)などの作品をあいついで発表しました。

 その後ロシアに帰国し、『未成年』(1875)、『カラマーゾフの兄弟』(1879-80)などを発表しましたが、1881年2月9日、肺動脈破裂で亡くなりました。

 切手に取り上げられた肖像画は、ロシアのアカデミー会員でモスクワ美術学校教授のヴァシリー・ペロフが、実業家で美術収集家のパーヴェル・トレチャコフの依頼を受けて1872年に制作したもので、ドストエフスキーの肖像画としては最も有名な作品として知られています。ちなみに、当時のドストエフスキーは50歳で、この肖像の顔の部分は新潮文庫の作品の旧表紙にも取り上げられています。


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 ニカラグア、オルテガ大統領が再選
2021-11-10 Wed 08:00
 中米ニカラグアで今月7日(以下、日付などは現地時間)に行われた大統領選挙で、選挙管理委員会は、8日、開票率97%で、現職のダニエル・オルテガ候補が勝利したとの勝利を発表しました。オルテガ大統領は、2006年から連続4期当選で、1985-90年の第1次政権も含めると、通算5期目となります。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ニカラグア・モニンボを忘れるな(2012)

 これは、2012年9月6日にニカラグアが発行した現代絵画の切手のうち、ロヘル・ペレス・デ・ラ・ロチャの2009年の作品「モニンボを忘れるな」を取り上げた1枚です。

 ロヘル・ペレス・デ・ラ・ロチャは、1949年3月27日、ニカラグアの首都、マナグア生まれ。1964年にマナグアの国立芸術アカデミーに入学し、1968年、マドリードの王立サン・フェルナンド美術アカデミーに留学。帰国後の1971年、ニカラグア国立自治大学レオン校の芸術学科の教員となりました。1979年のニカラグア革命後は国立芸術協会の責任者となり、革命政権の肖像画家として多くの作品を残しました。

 今回ご紹介の「モニンボを忘れるな」は、ソモサ政権末期の1978年、マサヤ(マナグアから17キロ南方の都市)のモニンボ地区で起きた虐殺事件を題材にしたものです。

 ニカラグアでは、1936年以降、親米・反共を前面に打ち出していたソモサ独裁政権の支配が続いていました。これに対して、1961年、キューバ革命の影響を受けたトマス・ボルヘ、カルロス・フォンセカらが、左翼系の反政府組織としてサンディニスタ民族解放戦線(FSLN)を結成します。組織名は、1934年、米国の内諾を得た国家警備隊長のアナスタシオ・ソモサ・ガルシアに暗殺されたニカラグア反米闘争の志士、アウグスト・セサル・サンディーノにちなむものです。

 1963年、FSLNは本格的な反政府武装闘争を開始し、若き日のダニエル・オルテガも同年、これに参加します。当初、彼らの闘争は、米国の支援を受けたソモサ政権に全く歯が立ちませんでしたが、1972年12月23日、マナグア近郊を震源とするマグニチュード6.2の巨大地震が発生。この地震により、マナグア市街地の90%が倒壊し、1万9120人が亡くなり、世界中から救援物資がニカラグアに送られましたが、ソモサ一派はそれらを着服し、マナグアのダウンタウンの再建は放棄されました。これに対して、国際社会は独裁政権を批難し、ニカラグア国内でもFSLNが国民の支持を集めるようになります。

 さらに、1978年、独立系日刊紙『ラ・プレンサ』の社主として、穏健保守の立場からソモサ独裁政権を批判していたペドロ・ホアキン・チャモーロが、ソモサ政権が兵士から募った献血で集めた血液を米国に不正に転売していることを暴露すると、政権側がチャモーロを暗殺。これにより、反ソモサの国民感情が爆発し、モニンボでは住民が国家警備隊を追い出し、バリケードを作って立てこもり、政府への反抗を開始します。FSLNはモニンボの抵抗を支援すべく幹部らを派遣しましたが、国家警備隊は重火器による砲撃と無差別空爆を行った末に市内へ突入し、住民約200人が死亡する惨事となりました。

 その後、1979年7月19日にソモサ政権が打倒され、ニカラグア革命が達せられると、モニンボの悲劇は革命史の重大事件と位置付けられるようになり、今回ご紹介の切手のような作品も作られるようになったわけです。

 さて、FSLNによる革命政権は左翼的な色彩が強く、キューバとも関係が緊密だったため、1981年に発足した米国のレーガン政権はニカラグアの“キューバ化”を阻止すべく、旧ソモサ軍など革命政権に不満を持つ勢力に資金を提供し、“コントラ”と総称される反革命民兵組織を支援。ニカラグアはFSLN政権とコントラとの内戦に突入します。

 内戦はFSLNを支援するソ連・キューバとコントラを支援する米国との代理戦争の様相も呈して長期化し、1989年の停戦合意成立まで、多くの国民が犠牲になっただけでなく、自然環境や社会インフラも破壊されました。さらに、米国がFSLNに対する経済制裁を発動したため、ニカラグアは国際市場から締め出され、通貨コルドバは暴落。ハイパー・インフレが発生し、ニカラグアは事実上に国家破綻に陥り、その後遺症ゆえ、現在なお、ニカラグアの国民所得や識字率は中米でも低い水準にとどまっています。

 オルテガが最初の大統領に当選したのは、そうした内戦末期の1985年のことでしたが、内戦終結後の1990年2月、国連の監視下で行われた大統領選挙でオルテガは僅差で敗れ、国民野党連合のビオレータ・チャモーロ(ソモサ政権に殺害されたペドロ・ホアキン。チャモーロの妻)が当選。チャモーロ政権はFSLN政権からの転換をアピールするために親米政策を採り、その一環として中国と断交し、台湾との国交も復活させています。

 その後、オルテガは野党となったFSLNを率い、2006年11月の大統領選挙で当選を果たして、2007年、16年ぶりに政権に復帰。以後、今回の選挙に至るまで連続4期当選を果たしていますが、この間、長期独裁政権にありがちな政治の私物化と腐敗が蔓延しました。ちなみに、2017年以降、ニカラグアの副大統領は、オルテガの妻、ロサリオ・ムリーリョが務めています。

 今回の大統領選挙に関しても、オルテガを当選させるため、投票前に少なくとも6人の有力候補者が拘束され、オルテガの対立候補としては、到底当選の見込みがない候補者5人しか残っていませんでした。また、大統領候補者以外にも政権に批判的な著名人や野党の指導者が数十人拘束されました。

 このため、選管の発表では投票率は65.23%となっていますが、実際には、多くの人々は、政治に関わることによる後難を恐れて投票に行かず(行けず)、投票期間中は外出を控えたため、全国の棄権率は平均で80%超との民間の選挙監視グループの報告もあります。

 当然のことながら、オルテガ政権に対する反政府デモなども頻発しており、特に、かつてソモサ政権転覆の狼煙をあげたモニンボでも、2018年7月には市民による大規模な反政府デモが発生。これに対して、オルテガ政権は、警官隊、鎮圧部隊、(政権支持の)民兵組織を動員して武力制圧を試みたため、市民は舗道の敷石を積み上げてバリケードを築いて応戦し、銃撃戦で多数の犠牲者が出ました。

 オルテガの独裁政権もいつかは終わりが来るでしょうが、そのときには、「モニンボを忘れるな」の作品も、ソモサ政権時代ではなく、オルテガ政権時代の惨劇を題材にしたものと”誤解”する人が出てくるかもしれません。


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 明治4年3月1日(1871年4月20日)にわが国の近代郵便が創業され、日本最初の切手が発行されて以来、150年間の歴史を豊富な図版とともにたどる3巻シリーズの第2巻。まずは、1945年の第二次大戦終戦までの時代を扱った第1巻に続き、第二次大戦後の1946年から昭和末の1989年までを扱っています。なお、2022年3月刊行予定の第3巻では平成以降の時代を取り扱う予定です。

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 一の酉
2021-11-09 Tue 05:45
 きょう(9日)は“一の酉”です。というわけで、最新の拙著『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.2 戦後編』の重版を祈念して、同書で取り上げた切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      尾長鶏5円(初期)

 これは、1951年12月25日に発行された尾長鶏の5円切手(普通切手)です。

 1948年から発行が開始された普通切手の産業図案切手は、戦後復興のための傾斜生産方式を背景に労働者を図案としたものでした。しかし、同年10月、傾斜生産方式を資金面で支える復興金融金庫をめぐる汚職事件の昭和電工事件(昭電事件)で芦田均内閣(芦田の民主党と日本社会党、国民協同党の連立政権)が総辞職したことに加え、1949年1月の総選挙で、保守系の民主自由党が264議席を獲得する一方、日本共産党(以下、日共)が4議席から35議席に躍進。選挙後に成立した第3次吉田茂内閣が、ドッジ・ライン(日本経済の自立と安定のために実施された財政金融引き締め政策)に沿って、極端な緊縮型の超均衡予算を編成すると、終戦以来のインフレは終息したものの、深刻な不況が到来して労働者の解雇が急増し、労働運動は尖鋭化しました。

 こうした情勢の下、社会党を含む連立政権の時代の産物で、“労働者”を強調した図案の切手がそのまま使用されていることに対して、問題視する声も出始めていましたが、1949年春頃、占領軍の少佐として滞日経験があり、日本切手を収集していたブルース・コンデは吉田首相と小沢佐重喜逓信相に“国宝切手”の発行を提案。また、郵政省発足直後の同年6月に開催された郵便切手図案審査委員会でも、出席委員から“産業シリーズ(産業図案切手)”への不満が出され、これに代わるものとして、コンデの提案した“国宝切手”の企画が注目されます。

 1950年5月、マッカーサーが日共の非合法化を示唆すると、同30日には皇居前広場で日共支持の大衆と占領軍が衝突する人民広場事件が発生。これを受けて、6月6日、日共中央委員等が公職追放となり、機関紙『アカハタ』も停刊処分になりました。さらに、同25日には北朝鮮の南侵により朝鮮戦争が勃発。日本に進駐していた米軍が朝鮮の戦場に派遣された空白を埋めるため、同年8月には警察予備隊も組織されます。

 こうした状況を踏まえて、“国宝切手”の制作も急ピッチで進められ、①著名なもの、②日本の美を世界に知らしめるもの、③各種条件から支障の少ないもの、④これまで切手に取り上げられていないもの、等を満たすものとして、昭和25年11月1日、平等院鳳凰堂を描く24円切手が発行されました。

 なお、この日は同年の切手趣味週間の初日だったため、事実上その記念切手として、鳳凰堂の切手を1点収めた小型シートが発行されています。その後、この先例に倣い、昭和26(1951)年5月まで発行された国宝図案の普通切手に関しては、同形式の小型シートも同時に発行されました。

 さて、朝鮮戦争の勃発後、わが国は米軍を中心とする国連派遣軍の兵站基地となり、繊維産業を中心に特需景気とよばれる好景気が到来し、経済復興も急速に進みました。これに伴い、印刷物としての切手の品質も向上し、1951年4月20日には、わが国初のグラビア普通切手として前島密の1円切手と、その切手の田型を収めた“郵便創始80年”の記念小型シートも発行されています。

 その後、同年11月1日の郵便料金改正(書状基本料金が8円から10円に、葉書料金が2円から5円になりました)を受けて、12月25日、今回ご紹介の尾長鶏の5円切手が発行されます。その結果、“国宝切手”としてスタートしたはずの新普通切手は、人物や動物も混じった“動植物国宝”という不統一図案の時代に突入するのです。

 * 昨日(8日)の文化放送「おはよう寺ちゃん」の僕の出番は、無事、終了いたしました。リスナーの皆様には、この場をお借りして御礼申し上げます。次回は来週月曜日・15日に登場の予定です。引き続きよろしくお付き合いください。


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 泰国郵便学(70)
2021-11-08 Mon 02:05
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、公益財団法人・日本タイ協会発行の『タイ国情報』第55巻第5号ができあがりました。というわけで、僕の連載「泰国郵便学」の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      タイ・クメール遺跡(ピマーイ)

 これは、1980年の国際文通週間の切手のうち、ナコーンラーチャシーマー県のピマーイ遺跡を取り上げた2バーツ75サタン切手です。

 802年、プノン・クーレン(現カンボジア・シェムリアップ州の丘陵地帯)を拠点に成立したクメール王朝(アンコール王朝とも)は、その後勢力を拡大し、最盛期の版図は、現在のカンボジアのみならず、ビルマ、タイ中部、マレー半島、ヴェトナム南部にまで及んでいました。しかし、1218年、ジャヤーヴァルマン7世(在位1181-1218年)が崩御すると後継者争いの混乱から徐々に衰退し、1431年、アユッタヤー王朝の侵攻により滅亡します。こうした歴史的経緯があるため、現在のタイ国内には東部・東北部を中心にクメール王朝時代の遺跡が残されています。

 今回ご紹介の切手に取り上げられたピマーイ遺跡は、パノムルン、プラウィハーン遺跡(プレアヴィヒア遺跡。タイ-カンボジア国境にある)とともにタイ国内の代表的なクメール遺跡です。

 かつて、ピマーイはクメール王朝の都市としてヴィマヤプラ(ヴィマヤの町)と呼ばれており、アンコールを起点とするクメール古道の終着点でした。アンコール遺跡からは北西260kmの地点に位置し、アンコール・ワットとパノムルン遺跡を結ぶ線の延長上に位置しています。また、クメール遺跡の多くは東を向いて作られていますが、ピマーイ遺跡はクメール王朝の都、ヤショダラプラに向けて南面して作られています。

 遺跡内の多くの建造物は、11-12世紀にスーリヤヴァルマン1世(在位1011-50年)によってヒンドゥーの寺院・宗教施設として建てられましたが、クメール王朝初の仏教徒の国王であり、仏法による統治を志したジャヤーヴァルマン7世によって大乗仏教の寺院に改宗されています。

 クメール王朝の滅亡後、ピマーイ遺跡は長らく忘れられた存在となっていましたが、1901年、フランスの地理学者、エティエンヌ・エイモニエによって発見され、1936年9月27日、タイ政府が遺跡としての保存を決定。1964-69年の大規模修復作業を経て、遺跡の出土品は近隣のピマーイ国立博物館に保存・展示されています。

 切手に描かれているのは、タイ・クメール建築の最高傑作とされるピマーイ寺院の中央祀堂で、11-12世紀ごろの建立。礼拝室と仏舎利室の2室で構成されており、まぐさ石(柱の上に水平に渡されたブロック)、屋根飾りには、ラーマヤナ、仏教説話などをモチーフにした装飾が、南面にはナタラージャ(シヴァ神)の装飾があります。

 さて、1980年の国際文通週間の切手はクメール遺跡を題材に4種発行されましたが、その背景には、前年の1979年1月、タイの隣国のカンボジアではヴェトナム軍の侵攻によりポル・ポト政権が崩壊し、ヘン・サムリンを国家元首、ペン・ソバンをカンプチア人民革命党書記長とする親越カンボジア国家、“カンプチア人民共和国”が樹立されていたという事情があったのではないかと考えられます。

 すなわち、ヴェトナム戦争で米軍の兵站基地になっていたというだけでなく、インドシナ半島の一方の雄として歴史的にヴェトナムと対立関係にあったタイは、ポル・ポト派をヴェトナムに対する抵抗運動として認識し、カンボジアからの難民を受け入れ、トラット県のカオラルンキャンプで保護するとともに、彼らがルビーと材木の密輸で資金を稼ぐことを黙認していました。その一方、ヴェトナムに対しては、カンボジアからの即時撤退と、カンボジア国民が“外国(=ヴェトナム)”の干渉を受けずに政権を選べるよう要求しています。

 タイの主張は、インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポールの反共諸国から支持され、ASEANはヴェトナムのカンボジア侵攻とその後の占領を“この地域の安全と安定に対する我慢の限界を超えた脅威”とみなしてヴェトナムを非難。さらに中ソ対立の文脈で中国もヴェトナムを非難し、1979年2月17日から3月16日にかけて、“懲罰戦争”と称して3ヵ所の国境を越えてヴェトナム領内に侵攻します。米国もヴェトナムをソ連の手先として敵視していたため、ASEANや日本をはじめとする西側諸国はクメール・ルージュをカンボジアの“正統政権”とみなしており、国連の代表権に関しても、ヘン・サムリン政権ではなく、クメール・ルージュを支持・承認していました。

 こうした背景の下、外国郵便に使用されることを想定した“国際”文通週間の切手に、タイ国内のクメール遺跡、特に、カンボジアの象徴として同国の国旗にも描かれているアンコール・ワットと一直線上に位置しているピマーイの遺跡が取り上げられたのは、(ヴェトナムに対抗するための)タイとカンボジアの歴史的な絆を強調しようとの意図があったためとみるのが自然なように思われます。

 *昨日(7日)の<JAPEX>会場内での講演『アフガニスタン現代史』は、無事、盛況のうちに終了しました。ご参加いただいた皆様、開催の労を取ってくださったスタッフの方々には、改めて、この場をお借りしてお礼申し上げます。


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 11月8日(月) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。


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 明治4年3月1日(1871年4月20日)にわが国の近代郵便が創業され、日本最初の切手が発行されて以来、150年間の歴史を豊富な図版とともにたどる3巻シリーズの第2巻。まずは、1945年の第二次大戦終戦までの時代を扱った第1巻に続き、第二次大戦後の1946年から昭和末の1989年までを扱っています。なお、2022年3月刊行予定の第3巻では平成以降の時代を取り扱う予定です。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 
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 共産主義犠牲者の国家的記念日
2021-11-07 Sun 03:39
 きょう(7日)は、1917年11月7日(ロシア暦10月25日)にロシア10月革命が起こり、ボリシェヴィキ政権(ソヴィエト社会主義ロシア共和国)が発足したことにちなむロシア革命記念日であると同時に、米国では“共産主義犠牲者の国家的記念日”とされています。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アフガニスタン・ロシア革命70年

 これは、1987年11月7日、親ソ政権下のアフガニスタンが発行した“ロシア革命70年”の記念切手で、アフガニスタンを代表する芸術家、アブドゥル・ガフール・ブレーシュナーが1970年に描いたレーニンの肖像が取り上げられています。

 ブレシュナーは、1907年4月10日、英保護国時代のカブールで生まれました。独立後の1921年、国王アマーヌッラー・ハーンにより留学生としてドイツに留学し、ミュンヘンで絵画と石版画を学び、1931年、ドイツ人の妻を伴い帰国しました。画家としてのみならず、詩人、作曲家、映画監督としても活躍。共和革命後、1973-78年のムハンマド・ダーウード政権下でのアフガニスタン国歌には彼の作品が採用されていました。1974年、カブールで没。

 さて、1978年の4月革命により、アフガニスタン人民民主党(共産党)がダーウード政権を打倒して政権を掌握。人民民主党は革命以前からソ連の支援を受けていたため、同年12月、革命評議会議長のムハンマド・タラキーはモスクワを訪問し、内乱条項を含むソ連=アフガニスタン友好善隣協力条約を締結して、アフガニスタンは完全にソ連の勢力圏内に組み込まれることになります。

 ソ連のアフガニスタン政策は、アフガニスタンは安定的な親ソ政権(共産主義政権である必要はない)の支配下に置き、インド洋につながるルートの安全な通行を確保することが最も重要な課題でした。ところが、4月革命で成立した人民民主党政権は、党内にタラキー率いるハルク派とバブラク・カールマル(カルマルとも)の主導するパルチャム派の深刻な対立があったことに加え、土地改革をはじめとする急進的な社会主義政策を強行して国民各層の反感は招いていました。このため、急激に沸点に達します。

 このため、はやくも1978年10月、クナールでムスリムの反乱が発生したのを皮切りに、各地でムジャーヒディーン(ジハードを戦うイスラム戦士)の抵抗運動が頻発。翌1979年3月、ヘラートでイスラム主義者による大規模な武装デモが展開され、5000人もの死者が発生したことで、反政府闘争は公然化し、アフガニスタン全土は実質的な内戦に突入します。

 混乱の中で、1979年9月、大統領のタラキーが殺害され、政権ナンバー2のハフィーズッラー・アミーンが全権を掌握。アミーン政権は、ソ連のさらなる支援を得てアフガニスタンの社会主義化を強行しようとしていましたが、ソ連としては、急進的な社会主義化政策を強行することによって、アフガニスタン国内のイスラム抵抗運動をさらに激化させていたアミーン政権は大いなる懸念材料でした。

 また、1979年2月の革命を経てイスラム共和国体制を樹立していたイランは、親米国家から反米国家へと変質したとはいえ、東西冷戦の二極構造を前提とする既存の国際秩序に異議を唱え、周辺にイスラム的な世界秩序を拡大する姿勢(“革命の輸出”路線)を示していました。イラン発のイスラム原理主義運動がアフガニスタンに波及し、さらには、連邦を構成する中央アジア諸国へと波及することになれば、それはただちに「社会主義共和国連邦」というソ連の体制の根幹を揺るがしかねません。

 そこで、ソ連は、性急な社会主義化を強行して国内のイスラム抵抗運動を激化させているアミーン政権を排除し、イスラム抵抗運動を緩和しうる穏健な共産主義政権の樹立を企て、1979年12月27日、前年に締結した善隣協力条約に基づいてアフガニスタンに軍事介入。アミーンを暗殺し、ソ連の意向に忠実なバブラク・カールマルを革命評議会議長(国家元首)とする親ソ体制を樹立します。

 友好善隣協力条約が締結されていたとはいえ、ソ連正規軍がアフガニスタンに直接侵攻するという異常事態は、全世界から衝撃をもって受け止められ、多くの国がソ連を非難し、西側諸国は1980年のモスクワ五輪をボイコット。ムジャーヒディーンはパキスタン、サウジアラビア、米国、中国などの支援を得て反ソ闘争を展開し、アフガニスタン情勢は泥沼化します。

 1985年3月11日、ソ連共産党書記長に就任したミハイル・ゴルバチョフは、ソ連の国力ではこれ以上アフガニスタンに軍事介入し続けることは困難と考えていたことから、撤退に反対する国内の保守派とも妥協を重ねつつ、アフガニスタンからのソ連軍の“名誉ある撤退”の道を模索。1986年2月のソ連共産党27回党大会で、アフガニスタンからの出口戦略について、ソ連軍は「アフガニスタン政府の要請により」撤退することを表明します。

 これに対して、カールマルはあくまでも駐留ソ連軍の支援で自らの権力を維持することに執着したため、5月4日、ソ連軍包囲下のカブールで開催された人民民主党中央委員会で、カールマルは党書記長の辞任に追い込まれ、ムハンマド・ナジーブッラーが新書記長として選出されました。(革命評議会議長の職務は、チャムカーニーが議長代行として遂行)

 ナジーブッラーは、ソ連撤退後のアフガニスタンの新たな政治的枠組みを提示するため、1987年6月14日、「アフガニスタンは完全に統一された独立、非同盟中立、イスラムの国になるべきだ」と発言し、国民和解のため、旧王党派とも接触の用意があることを明言。さらに、同27日には“アフガニスタン共和国”の新国名(従来の“アフガニスタン民主共和国”から社会主義国の象徴としての“民主”をはずす)を採用する方針を、翌28日には人民民主党の一党独裁体制を廃して複数政党制を導入する方針を発表します。

 新体制に向けての準備が進められていく過程で、9月30日、ナジーブッラーは革命評議会定例会議で正式に革命評議会議長(兼同幹部会議長)に選出され、晴れて国家元首の身分で訪ソし、11月2日、今回ご紹介の切手の題材であるロシア革命70周年記念式典に参加。モスクでゴルバチョフとも会談。ゴルバチョフがソ連軍のアフガニスタンからの全面撤退への同意をアフガン側に求めると、ナジーブッラーはこれを了承したうえで、ソ連軍撤退後のアフガニスタンの新体制(案)について報告し、ソ連側の了解を得ました。

 そして、1978年2月、ゴルバチョフは、同年3月15日までにアフガニスタン問題での和平合意に調印し、5月15日からソ連軍の撤退を開始、十ヵ月以内に撤兵を完了するとの声明を発表。これを受けて、当初予定よりは一月遅れたものの、4月14日には、アフガニスタン、パキスタン、米国、ソ連の4国による和平合意が成立します。こうして、ソ連軍のアフガニスタンからの撤兵は予定通り同年5月15日から開始され、1989年2月15日までに完了。9年に及んだ”ソ連軍のアフガニスタン侵攻”は、ソ連軍1万4453、アフガニスタン国軍1万8000、ムジャーヒディーン7万5000ー9万を出してようやく終結しました。ただし、ソ連軍の撤退後も、政府軍やムジャーヒディーン同士による戦闘が続き、アフガニスタンでは延々と紛争が続いていくことになります。

 さて、現在、今月末までを目標に、アフガニスタンを題材とした書籍を刊行すべく、作業を進めています。その事前プロモーションとして、本日・11月7日13時から、東京・浅草の都立産業貿易センター台東館で開催の全国切手展<JAPEX2021>会場内にて、「アフガニスタン現代史」と題するトークイベントを行いますので、ぜひ、遊びに来ていただけると幸いです。(切手展の詳細はこちらをご覧ください) 

 *昨日(6日)の<JAPEX>会場内での拙著『切手でたどる郵便創業の歴史 vol.2 戦後編』の出版記念イベントは、無事、盛況のうちに終了しました。ご参加いただいた皆様、開催の労を取ってくださったスタッフの方々には、改めて、この場をお借りしてお礼申し上げます。


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 全国切手展<JAPEX 2021> 於・都立産業貿易センター台東館
 11月7日(日) 13:00~ 「アフガニスタン現代史」
 * 12月下旬にえにし書房から刊行予定の「アフガニスタン近現代史(仮)」の事前プロモーションを兼ねたイベントです。

 イベントそのものは事前予約不要・参加費無料ですが、会場の切手展へは入場料が必要です。切手展の詳細は、主催者サイトをご覧ください。

 11月8日(月) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。


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      切手でたどる郵便創業150年の歴史②表紙 2530円(本体2300円+税)

 明治4年3月1日(1871年4月20日)にわが国の近代郵便が創業され、日本最初の切手が発行されて以来、150年間の歴史を豊富な図版とともにたどる3巻シリーズの第2巻。まずは、1945年の第二次大戦終戦までの時代を扱った第1巻に続き、第二次大戦後の1946年から昭和末の1989年までを扱っています。なお、2022年3月刊行予定の第3巻では平成以降の時代を取り扱う予定です。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 
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 独フリゲート“バイエルン”が日本寄港
2021-11-06 Sat 00:55
 ドイツ海軍のフリゲート“バイエルン”が、きのう(5日)、東京都江東区の東京国際クルーズターミナルに寄港しました。独海軍艦艇が日本に寄港するのは約20年ぶりのことです。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ドイツ・バイエルン(フリゲート)カバー

 これは、2021年7月14日、“不朽の自由”作戦に参加中の“バイエルン”からオーストリア・ウィーン宛に差し出されたカバーで、左上にはバイエルンの船影の入ったカシェが押されています。

 フリゲート“バイエルン”はブランデンブルク級フリゲートの3番艦として、1993年12月16日、ティッセン=ノルトゼーヴェルケエムデン工場で起工。し、1994年6月30日に進水、1996年6月15日に就役し、第6フリゲート戦隊に配属されました。満載排水量は4500トン、全長は138.85m、乗員数は約230名。最大速力は29ノットで、航続距離は巡航速度18ノットで4000海里。艦載ヘリコプターの運用能力も有しています。

 1999年、NATOによるコソヴォ空爆(アライド・フォース作戦)に参加してアドリア海に展開。その後、2001年9月11日の米国同時多発テロ事件の発生を受けて、NATOが対テロ戦争の一環として、同年10月6日、“アクティブ・エンデバー”作戦を発動すると、“バイエルン”も東地中海に派遣されました。

 2002年1月以降は、“不朽の自由作戦”の一環として、2014年12月28日に同作戦が終了するまで、アフリカの角やアデン湾に派遣されていました。今回ご紹介のカバーは、この期間に“バイエルン”から差し出されたものです。
 
 さて、昨年(2020年)9月、ドイツ政府は「インド太平洋ガイドライン」を策定し、インド太平洋地域への関与強化の方針を打ち出しました。これを受けて、ことし(2021年)3月には、日独間で軍事やテロに関する機密の漏洩を防ぐ情報保護協定が発効に至り、4月には初めての外務・防衛閣僚会合(2プラス2)がテレビ会議形式も行われました。

 “バイエルン”の寄港は、こうした防衛協力関係の進展の上に実現したもので、ことし(2021年)8月2日、北海に面した母港のウィルヘルムスハーフェンを出発した“バイエルン”は、地中海からスエズ運河を抜けインド洋を横断、オーストラリアやグアムなどに経由して、今月4日から関東南方で海上自衛隊と共同訓練を行っていました。なお、この間、ドイツ側は中国への配慮から、“バイエルン”の上海寄港を打診していますが、中国政府は同艦の上海入港を拒否しています。


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 全国切手展<JAPEX 2021> 於・都立産業貿易センター台東館
 毎年恒例、全国切手展<JAPEX>ですが、今回は会期中、以下の2回のトークイベントに登場します

 11月6日(土) 11:00~ 「切手でたどる郵便創業150年の歴史Vol.2 戦後編」
 * 11月20日付で刊行の『切手でたどる郵便創業の歴史』第2巻の会場内先行販売を兼ねた出版記念イベントで、同書の内容の一部をご紹介します。

 11月7日(日) 13:00~ 「アフガニスタン現代史」
 * 12月上旬にえにし書房から刊行予定の「アフガニスタン近現代史(仮)」の事前プロモーションを兼ねたイベントです。

 両イベントとも、イベントそのものは事前予約不要・参加費無料ですが、会場の切手展へは入場料が必要です。切手展の詳細は、主催者サイトをご覧ください。

 11月8日(月) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。


★ 『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.2 戦後編』 11月20日刊行! ★

      切手でたどる郵便創業150年の歴史②表紙 2530円(本体2300円+税)

 明治4年3月1日(1871年4月20日)にわが国の近代郵便が創業され、日本最初の切手が発行されて以来、150年間の歴史を豊富な図版とともにたどる3巻シリーズの第2巻。まずは、1945年の第二次大戦終戦までの時代を扱った第1巻に続き、第二次大戦後の1946年から昭和末の1989年までを扱っています。なお、2022年3月刊行予定の第3巻では平成以降の時代を取り扱う予定です。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 
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 いいりんごの日
2021-11-05 Fri 00:18
 きょう(5日)は、“いい(11)りんご(5)”の語呂合せで、いまから20年前の2001年に青森県が制定した“いいりんごの日”です。というわけで、青森とリンゴを組み合わせたこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      青森・新聞と切手展

 これは、1948年5月20日、青森市で開催された“新聞と切手展”を記念して発行された小型シートです。

 1948年5月20日から27日まで、青森郵便局・東奥日報社・青森郵燈会の主催により、「新聞と切手展覧会」(以下、青森展)が開催されました。

 この展覧会は、本来、東奥日報社主催の新聞展を中心として企画されたもので、切手展の部分は、5月22日から25日までの日程で日本赤十字社青森支部で行われ、残りは青森市の緑会館で行われた新聞展覧会に合同したという形式が取られています。

 1948年2月、切手展の開催が決定されたことを受け、地元の郵趣団体・青森郵燈会は、前年(1947年)の切手趣味週間の小型シートの残部に加刷した記念小型シートを発行してほしいと申請します。これに対して、逓信省は、青森展が一地方小都市の展覧会にすぎないことや売れ残りの小型シートに加刷して新切手とするのはあまりにも安易であることなどを理由に地元の申請をいったん却下しました。

 しかし、1948年4月、静岡県三島で開催された郵便切手展覧会に際して、同年3月の名古屋逓信展覧会の売れ残り小型シートに加刷した記念小型シートが発行されると、逓信省は青森側の主張を認め、小型シートの発行を決定します。

 ただし、三島展の小型シートの場合、地元の民間業者が作業を行ったために管理体制が甘く、大阪展の小型シートへの誤加刷や逆加刷などが少なからず出現して問題となったことから、地元が臨んでいた趣味週間小型シートへの加刷という形式は廃され、東京で開催された「明るい逓信展覧会」と同様、外信用葉書の印面に用いられていた凹版の「瀬戸内海舞子の浜」を2枚収めた形式の小型シートが発行されることになりました。

 青森展の小型シートでは、東京の「明るい逓信展覧会」の小型シートの記念銘・会期・開催地が改められたほか、周囲の輪郭には開催地にちなんで「りんご」を配されています。

 なお、小型シートは地元からの申請にしたがって5月20日に発行されましたが、肝心の展覧会が準備の都合上、21日からの開催となったため、小型シートは会期前日から発売されるという異例の事態となりました。また、展覧会は主催者側の予想以上に好評を博し、15万枚発行された小型シートの大半は、会期中に売り切れたといわれています。

 ちなみに、今回ご紹介の青森展を含め、終戦後の占領下で濫発された地方展覧会の小型シートについては、拙著『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.2 戦後編』でもご説明しております。また、同書に関しては、本日(5日)から開催の全国切手展<JAPEX>会場内で先行発売を行うとともに、あす・6日(土)11:00からは会場内で出版記念のトークイベントを行います。つきましては、ぜひ一人でも多くの方に会場までお運びいただけると幸いです。

 
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 全国切手展<JAPEX 2021> 於・都立産業貿易センター台東館
 毎年恒例、全国切手展<JAPEX>ですが、今回は会期中、以下の2回のトークイベントに登場します

 11月6日(土) 11:00~ 「切手でたどる郵便創業150年の歴史Vol.2 戦後編」
 * 11月20日付で刊行の『切手でたどる郵便創業の歴史』第2巻の会場内先行販売を兼ねた出版記念イベントで、同書の内容の一部をご紹介します。

 11月7日(日) 13:00~ 「アフガニスタン現代史」
 * 12月上旬にえにし書房から刊行予定の「アフガニスタン近現代史(仮)」の事前プロモーションを兼ねたイベントです。

 両イベントとも、イベントそのものは事前予約不要・参加費無料ですが、会場の切手展へは入場料が必要です。切手展の詳細は、主催者サイトをご覧ください。

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 ユネスコ創立75年
2021-11-04 Thu 01:55
 1946年11月4日にユネスコ憲章が発効し、ユネスコ(国連教育科学文化機関)が発足して、ちょうど75年になりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ユネスコ創立20年(1966)

 これは、1966年7月2日に発行された“ユネスコ創立20周年”の記念切手です。

 ユネスコ(UNESCO:United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization 国際連合教育科学文化機関)は、教育・科学・文化の発展と推進を目的とした国連の専門機関で、経済社会理事会の下に置かれており、本部はパリにあります。

 第二次大戦中、連合諸国は定期的に文部大臣会議を開催していましたが、大戦終結後の1945年11月、英仏両国がその拡大版として“ロンドン会議”を招集。同会議で、国連憲章にしたがって、教育・科学・文化を担当する専門機関の樹立が合意されました。この決定に従い「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」との一節を前文に含む“ユネスコ憲章”が起草されます。同憲章は、翌1946年11月4日、20ヵ国が受諾したことで発効し、ユネスコが正式に発足しました。

 わが国は第二次大戦の敗戦国であったためユネスコの原加盟国となることはできませんでしたが、ユネスコ憲章の趣旨に賛同した桑原武夫らによって、1947年、世界初の民間ユネスコ協力会(現ユネスコ協会)として“仙台ユネスコ協力会”が設立され、熱心な加盟運動が続けられました。この結果、1956年の国連加盟に先立ち、1951年、六60番目の加盟国としてユネスコに正式加盟を果たしています。

 さて、1966年はユネスコの創立20周年にあたっており、ユネスコ本部は加盟各国に記念切手の発行を呼びかけました。これを受けて、万国郵便連合(UPU)は、ユネスコ記念切手の統一図案を作成し、1965年11月、わが国を含む各国のユネスコ関係機関に送付しています。このため、1965年の“国際協力年”と同様に、各国で似たようなデザインの記念切手が発行されることが予想されていました。

 しかし、わが国の場合は、1966年はユネスコの創立20周年であると同時に、加盟25周年でもあるということから、UPU作成の雛形とは別に、独自のデザインとして、大塚均によりユネスコと国連のマークを組み合わせた原画が作られました。

 ところで、今回ご紹介の記念切手は1966年7月2日に発行されましたが、前日の7月1日には、改正郵便法が施行されて、郵便物の定型制度が始めて導入されるとともに、書状の基本料金が10円から15円に値上げされる郵便料金の改定が行われました。

 この郵便法の改正をめぐっては、野党が主として定型制度の導入などをめぐって強硬な反対活動を展開していたため、一時は法案の成立が危ぶまれていたため、郵政当局は部内に強い緘口令を敷いて、新料金に関する事項については国会通過まで一切の情報を外部に漏らさないという方針を採っています。

 結局、郵便法の改正案に関しては、料金の値上げが行われなければ公共企業体等労働委員会(公労委)の裁定どおりの賃上げが不可能ということで、全逓信労働組合(全逓)からの突き上げで、社会党も最終的に妥協し、国会を通過・成立。このため、通常であれば、数カ月前に発表されていた切手の原画写真は、今回に限っては発表されず、発行直前の6月17日になって、いきなり、実物の見本が発表されるという、当時としては異例の経緯をたどっています。

 なお、1966年の定形制度導入については、拙著『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.2 戦後編』でもその経緯についてご説明しております。同書に関しては、明日(5日)から開催の全国切手展<JAPEX>会場内で先行発売を行うとともに、切手展会期中の6日(土)11:00からは会場内で出版記念のトークイベントを行います。つきましては、ぜひ一人でも多くの方に会場までお運びいただけると幸いです。


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 全国切手展<JAPEX 2021> 於・都立産業貿易センター台東館
 毎年恒例、全国切手展<JAPEX>ですが、今回は会期中、以下の2回のトークイベントに登場します

 11月6日(土) 11:00~ 「切手でたどる郵便創業150年の歴史Vol.2 戦後編」
 * 11月20日付で刊行の『切手でたどる郵便創業の歴史』第2巻の会場内先行販売を兼ねた出版記念イベントで、同書の内容の一部をご紹介します。

 11月7日(日) 13:00~ 「アフガニスタン現代史」
 * 12月上旬にえにし書房から刊行予定の「アフガニスタン近現代史(仮)」の事前プロモーションを兼ねたイベントです。

 両イベントとも、イベントそのものは事前予約不要・参加費無料ですが、会場の切手展へは入場料が必要です。切手展の詳細は、主催者サイトをご覧ください。

 11月8日(月) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。


★ 『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.2 戦後編』 11月20日刊行! ★

      切手でたどる郵便創業150年の歴史②表紙 2530円(本体2300円+税)

 明治4年3月1日(1871年4月20日)にわが国の近代郵便が創業され、日本最初の切手が発行されて以来、150年間の歴史を豊富な図版とともにたどる3巻シリーズの第2巻。まずは、1945年の第二次大戦終戦までの時代を扱った第1巻に続き、第二次大戦後の1946年から昭和末の1989年までを扱っています。なお、2022年3月刊行予定の第3巻では平成以降の時代を取り扱う予定です。

別窓 | 日本:昭和・1966-71 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 おかげさまで6000回
2021-11-03 Wed 08:42
 2005年6月1日にスタートしたこのブログですが、毎日1つずつ記事をアップしていたら、今日の記事でちょうど6000回目になりました。日頃、このブログを応援していただいている皆様には、あらためて、この場をお借りしてお礼申し上げます。というわけで、きょうは額面“6000”のこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      イラン・Q(2015)

 これは、ペルシャ語の文字を題材にしたイランの普通切手のうち、2015年9月15日に発行された ق(カーフ)の6000リヤール切手です。ちなみに、本日(3日)の為替レートだと1リヤールが0.0027円なので6000リヤールは16円強。現行のイランの郵便料金(基本料金)は1万8000リヤールなので48.52円です。
 
 さて、イランの公用語となっているペルシャ語の表記にはアラビア文字が使われます。ただし、アラビア語を表記するためのアラビア文字は28文字ですが、ペルシャ語の表記には、アラビア語にない音を表記するための4文字が追加されているので、ペルシャ語の文字としては32文字が使われます。

 今回ご紹介の切手に取り上げられた ق は、アラビア語、ペルシャ語に共通の文字で、ラテン文字(ローマ字)のアルファベットではQに相当します。ただし、その発音に関しては、アラビア語の ق が日本語のカタカナ表記ではカ(クァ)行となるのに対して、ペルシャ語ではガ行になるのが一般的(前後の文字のつながりでカ行で読まれることもありますが)です。

 この違いが最も分かりやすいのが、エルサレムを意味する القُدس (ペルシャ語の場合は、アラビア語の冠詞の ال を除いてقُدس)です。この語をラテン文字に転写すると”al-Quds”となりますが、これをアラビア語としてカタカナ表記する場合は、“アル・クドゥス”となるのが一般的ですが、ペルシャ語での発音をカタカナ表記する場合は”ゴドゥス”が近くなります。

 地名としてのエルサレムをあえてペルシャ語読みする必要はないじゃないかと言われそうですが、実は、泣く子も黙るイラン革命防衛隊の特殊部隊には日本語訳すると“エルサレム部隊”というのがあって、そのقُدس のカタカナ表記はなかなか頭の痛い問題なのです。つまり、قُدس のカタカナ表記には、もともとクドゥスとゴドゥスの揺れがあるうえ、ラテン文字に転写した“Quds”を英語読みした場合、クッズ、コッズ、ゴッズといったカタカナ表記も出てくるので、なかなか厄介です。

 ちなみに、アフガニスタンで広く使われているダリー語は、もともと、1964年にアフガニスタン政府がそう命名するまでは“アフガン・ペルシャ語”と呼ばれており、新ペルシャ語(現在一般に使われているペルシャ語)の標準形の一つとして、ペルシャ語と同じ文字が使われていました。ところが、発音に関しては、ダリー語はかなり保守的で、新ペルシア語の初期の時代に使われていた音の区別が現在でも残っています。

 ق はその一つで、現在のペルシャ語では上述のように、この文字の音がカタカナ表記のガ行の音に合流しているのに対して、ダリー語ではカ(クァ)行の発音がそのまま残っています。このため、アフガニスタン第2の都市カンダハールの表記も、ダリー語では قندهار となり、これをそのままラテン文字に転写すると”Qandahar”になります。ただし、カンダハールに関しては、やはりアフガニスタンの公用語であるパシュトゥー語の表記 کندهار‎ が、ラテン文字に転写する場合に”K”を使う ک‎ で始まることもあって、ラテン文字表記ではKandaharとするのが一般的です。

 さて、現在、11月中をめどにアフガニスタンを題材とした書籍を刊行すべく、作業を進めています。その事前プロモーションとして、11月7日13時から、東京・浅草の都立産業貿易センター台東館で開催の全国切手展<JAPEX2021>会場内にて、「アフガニスタン現代史」と題するトークイベントを行いますので、ぜひ、遊びに来ていただけると幸いです。(切手展の詳細はこちらをご覧ください) 


★ 放送出演・講演・講座などのご案内★

 全国切手展<JAPEX 2021> 於・都立産業貿易センター台東館
 毎年恒例、全国切手展<JAPEX>ですが、今回は会期中、以下の2回のトークイベントに登場します

 11月6日(土) 11:00~ 「切手でたどる郵便創業150年の歴史Vol.2 戦後編」
 * 11月20日付で刊行の『切手でたどる郵便創業の歴史』第2巻の会場内先行販売を兼ねた出版記念イベントで、同書の内容の一部をご紹介します。

 11月7日(日) 13:00~ 「アフガニスタン現代史」
 * 12月上旬にえにし書房から刊行予定の「アフガニスタン近現代史(仮)」の事前プロモーションを兼ねたイベントです。

 両イベントとも、イベントそのものは事前予約不要・参加費無料ですが、会場の切手展へは入場料が必要です。切手展の詳細は、主催者サイトをご覧ください。

 11月8日(月) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。


★ 『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.2 戦後編』 11月20日刊行! ★

      切手でたどる郵便創業150年の歴史②表紙 2530円(本体2300円+税)

 明治4年3月1日(1871年4月20日)にわが国の近代郵便が創業され、日本最初の切手が発行されて以来、150年間の歴史を豊富な図版とともにたどる3巻シリーズの第2巻。まずは、1945年の第二次大戦終戦までの時代を扱った第1巻に続き、第二次大戦後の1946年から昭和末の1989年までを扱っています。なお、2022年3月刊行予定の第3巻では平成以降の時代を取り扱う予定です。

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 キュリオ・沖縄切手物語⑤
2021-11-02 Tue 01:50
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、『キュリオマガジン』2021年10月号が発行されました。僕の連載「沖縄切手物語」では、今回は1967-68年に発行された“貝シリーズ”をご紹介しましたが、その記事の中から、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      沖縄・ホネガイ

 これは、1967年8月30日に発行された“ホネガイ”の切手です。

 ホネガイ(骨貝)は、インド太平洋、熱帯西太平洋、房総半島以南の水深20~50メートルの砂底に棲息するアッキガイ科の巻貝で、前水管溝が棘状に長く発達して魚の骨のように見えることが和名の由来です。また、西洋では“ヴィーナスの櫛”とも呼ばれています。

 棘は120度ごとに形成されており、二つ前に形成した成長の妨げとなる棘を自分で切断。二枚貝などを捕らえてヤスリ状の舌で貝殻に穴を開けて中身を食べます。

 ホネガイを含むアクキガイ科の貝の分泌液は、取り出して日光に当てると、酸化して黄色から紫色になるため、古くから染色に用いられてきました。古代フェニキアでは、メルカルト神(ヘラクレス)の飼い犬が海岸でホネガイに噛みつき、その口中がきれいな紫色に染まったのを見て、メルカルトは布を染めて王妃に贈ったという伝説もあります。

 * 昨日(1日)の文化放送「おはよう寺ちゃん」の僕の出番は、無事、終了いたしました。リスナーの皆様には、この場をお借りして御礼申し上げます。次回は来週月曜日・11月8日に登場の予定です。引き続きよろしくお付き合いください。


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 全国切手展<JAPEX 2021> 於・都立産業貿易センター台東館
 毎年恒例、全国切手展<JAPEX>ですが、今回は会期中、以下の2回のトークイベントに登場します

 11月6日(土) 11:00~ 「切手でたどる郵便創業150年の歴史Vol.2 戦後編」
 * 11月20日付で刊行の『切手でたどる郵便創業の歴史』第2巻の会場内先行販売を兼ねた出版記念イベントで、同書の内容の一部をご紹介します。

 11月7日(日) 13:00~ 「アフガニスタン現代史」
 * 12月上旬にえにし書房から刊行予定の「アフガニスタン近現代史(仮)」の事前プロモーションを兼ねたイベントです。

 両イベントとも、イベントそのものは事前予約不要・参加費無料ですが、会場の切手展へは入場料が必要です。切手展の詳細は、主催者サイトをご覧ください。

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 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。


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 明治4年3月1日(1871年4月20日)にわが国の近代郵便が創業され、日本最初の切手が発行されて以来、150年間の歴史を豊富な図版とともにたどる3巻シリーズの第2巻。まずは、1945年の第二次大戦終戦までの時代を扱った第1巻に続き、第二次大戦後の1946年から昭和末の1989年までを扱っています。なお、2022年3月刊行予定の第3巻では平成以降の時代を取り扱う予定です。

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 犬の日
2021-11-01 Mon 00:42
 きょう(1日)は、“ワン(1)ワン(1)ワン(1)”の語呂合せで“犬の日”だそうです。というわけで、犬の切手の中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      アフガニスタン・アフガンハウンド(1962)

 これは、1962年4月21日にアフガニスタンが発行したアフガン・ハウンドの切手です。

 アフガン・ハウンドは、その名の通り、アフガニスタン原産の大型狩猟犬で、体高は63-73センチ、体重は23-27キロ。口吻が長く細面で腰が高く、全身が長く美しい毛で覆われているのが特徴です。毛色はさまざまで、ブラック、クリーム、レッドが中心ですが、フォーン(金色がかった茶色)やゴールデン、チンチラ、ホワイト、グレー、ブリンドル(基本の毛色に差し色あり)、白・黒・黄褐色のトライ・カラー(3色)などがあります。

 ペルシャを原産とするサルーキが祖先と推測されていますが、古くから狩猟犬や護畜犬として利用され、アフガニスタンの山岳や砂漠地帯の気温差の激しい環境に順応するため、独特の長い被毛を持つようになったと考えられています。

 古代の原始的な狩猟犬の姿を残し、現存する犬種の中でも最も古い犬として、旧約聖書の“ノアの方舟”に乗った犬との伝承もありますが、西洋社会に知られるようになったのは、アングロ・アフガン戦争を機に英国に持ち込まれてからのことで、19世紀末以降、その美しい容姿からショードッグとしての改良が重ねられ、世界の富裕層を中心に広く飼育されるようになりました。

 特に、1907年に英国に持ち込まれた“ザルディン”はその優美な姿が同年のクリスタル・パレス・ショーで話題になった名犬として知られています。なお、現在のアフガン・ハウンドの祖となったのは、1920年代に英国で紹介された“ガズィーニ号”で、1926年にザ・ケネルクラブに登録されました。

 さて、現在、11月中をめどにアフガニスタンを題材とした書籍を刊行すべく、作業を進めています。その事前プロモーションとして、11月7日13時から、東京・浅草の都立産業貿易センター台東館で開催の全国切手展<JAPEX2021>会場内にて、「アフガニスタン現代史」と題するトークイベントを行いますので、ぜひ、遊びに来ていただけると幸いです。(切手展の詳細はこちらをご覧ください) 


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 11月1日(月) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。

 全国切手展<JAPEX 2021> 於・都立産業貿易センター台東館
 毎年恒例、全国切手展<JAPEX>ですが、今回は会期中、以下の2回のトークイベントに登場します

 11月6日(土) 11:00~ 「切手でたどる郵便創業150年の歴史Vol.2 戦後編」
 * 11月20日付で刊行の『切手でたどる郵便創業の歴史』第2巻の会場内先行販売を兼ねた出版記念イベントで、同書の内容の一部をご紹介します。

 11月7日(日) 13:00~ 「アフガニスタン現代史」
 * 12月上旬にえにし書房から刊行予定の「アフガニスタン近現代史(仮)」の事前プロモーションを兼ねたイベントです。

 両イベントとも、イベントそのものは事前予約不要・参加費無料ですが、会場の切手展へは入場料が必要です。切手展の詳細は、主催者サイトをご覧ください。


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      切手でたどる郵便創業150年の歴史②表紙 2530円(本体2300円+税)

 明治4年3月1日(1871年4月20日)にわが国の近代郵便が創業され、日本最初の切手が発行されて以来、150年間の歴史を豊富な図版とともにたどる3巻シリーズの第2巻。まずは、1945年の第二次大戦終戦までの時代を扱った第1巻に続き、第二次大戦後の1946年から昭和末の1989年までを扱っています。なお、2022年3月刊行予定の第3巻では平成以降の時代を取り扱う予定です。

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