2024-12-01 Sun 08:52
2011年以来の内戦が続いているシリアで、きのう(30日)、反体制派武装勢力が2016年以来8年ぶりにシリア第2の都市、アレッポに進入し、政府機関を含む市内の大部分を制圧しました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1937年9月1日、フランス委任統治下のシリアで発行された航空切手で、アレッポ城の上空を飛ぶ飛行機が描かれています。 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。 ★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★ 12月10日(火) 10:00~ ニッポンジャーナル インターネット番組「ニッポンジャーナル」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。皆様、よろしくお願いします。 12月13日(金) 05:00~ おはよう寺ちゃん 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。 よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。 謀略の世界史 原則毎月第1土曜日 13:00~14:30 MI6、CIA、モサドなど各国の情報機関のあらましや、現代史の中で彼らが実際に関与した事件などを幅広くご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。 武蔵野大学のWeb講座 大河企画の「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」、引き続き開講中です。詳細はこちらをご覧ください。 「龍の文化史」、絶賛配信中です。龍/ドラゴンにまつわる神話や伝説は世界各地でみられますが、想像上の動物であるがゆえに、それぞれの物語には地域や時代の特性が色濃く反映されています。世界の龍について興味深いエピソードなどを切手の画像とともにご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。 ★ 『切手もの知り図鑑 一番切手50のエピソード』 好評発売中!★ 「動物と植物」「科学技術」「社会と文化」「神話/伝説と宗教」の4章立てで、犬、猫、宇宙開発、飛行機、クリスマスといったテーマで、初めて描かれた切手図案にまつわる秘話、思いがけない発行に至る背景に加え、シーラカンスやテレビ、警察官、タトゥー、髑髏といった、あっと驚く意外なテーマの一番切手も登場します! * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2018-04-14 Sat 16:41
トランプ米大統領は、日本時間14日午前10時ごろ、シリアのアサド政権が化学兵器を使用したとして、“精密攻撃”を命令。英仏両軍もこれに参加し、ダマスカスや中部ホムス県の化学兵器関連施設計3ヵ所を攻撃しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1931年にフランス委任統治領時代のシリアで発行された航空切手(無目打)で、ホムス上空を飛ぶ飛行機が描かれています。 ホムスはシリア第3の都市で、ダマスカスからは北へ160km、アレッポからは南に190kmの地点に位置しており、地中海沿岸都市とダマスカスやアレッポなど内陸の都市を結ぶ結節点になっています。 2011年以降のシリア内戦では、政府軍と反体制派による激しい市街戦の舞台となり、2012年6月以降、約3000人の一般市民が取り残されていましたが、2014年2月、3日間の人道的停戦が実現。1年6ヶ月ぶりに旧市街地の住民に対する援助物資の供与と避難が開始され、最終的に高齢者や婦女子を中心に約1400人が旧市街地から脱出しました。その後、政府軍と反政府軍との間で和平交渉が断続的に行われ、同年5月9日までに反政府軍側が旧市街地からの撤退を完了。この間、市街戦で約2200人が亡くなり、町並みも破壊されています。 今回の攻撃では、ホムスがアサド政権による化学兵器の原料物質の集積場所となっているとの認識の下、ホムス西部の化学兵器保管施設とホムス近くの化学兵器材料保管・主要司令拠点(ホムス市街地から西へ約24km離れた旧ミサイル基地に設置)に巡航ミサイルが撃ち込まれました。その後、マティス米国防長官は攻撃の第一波は終了したと述べ、「今のところ、これは一度限りの攻撃で、非常に強力なメッセージを相手に伝えたと思っている」と述べています。 これに対して、シリア側は「米英仏の侵略は国際法違反であり、必ず失敗する。対テロと同じ決意で侵攻に立ち向かう」と強調。化学兵器使用が疑われる首都近郊の東グータ地区で、現地時間14日から化学兵器禁止機関(OPCW)の現地調査が始まる前に空爆が行われたため、「うそを隠すことが狙いだ」と批判。アサド政権の後ろ盾となっているロシアも米英仏を非難しており、今回の空爆がアサド政権に対する抑止効果を上げられるか否かは、現時点では不透明です。 ★★★ トークイベントのご案内 ★★★ 4月21日(土)12:30より、東京・浅草で開催のスタンプショウ会場内で、5月刊行予定の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』の事前プロモーションのトークイベントを行います。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。 (画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) ★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★ 本体2500円+税 【出版元より】 中東100 年の混迷を読み解く! 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史! 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2017-10-18 Wed 09:50
“イスラム国”を自称する過激派組織、ダーイシュが“首都”として占拠しつづけていたシリア北部の都市、ラッカが、昨日(17日)、シリア民主軍(シリアのクルド人軍事組織を主体とする連合部隊)によって解放されました。というわけで、ラッカ関連のマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、いわゆるシリア大叛乱最中の1926年6月、ラッカから差し出されたフランス軍の軍事郵便で、アレッポ経由でフランス本国に逓送されています。 1920年8月10日、セーヴル条約(第一次大戦での対オスマン帝国講和条約)が調印され、歴史的シリア北部でのフランスの委任統治が正式に確定します。これを受けて、フランスは同月31日、“大レバノン”の設置を布告し、シリアとレバノンを分割しましたが、残る“シリア”地域に関しては、当初は①ダマスカス国(ジャバル・ドゥルーズ地区を含む)、②アレッポ国、③アラウィー自治地区に分割されたものの、1921年5月にはジャバル・ドゥルーズ地区が別個の国としてダマスカス国から分離されるなど、複雑な宗派事情を反映して、大勢はなかなか安定しませんでした。 そうした中で、1925年7月 南西部ハウラーン地方でドルーズ派の蜂起が発生。これを機に反仏叛乱はレバノン全域に拡大していきます。そして、同年10月、叛乱軍がダマスカスに侵入すると、フランス軍はダマスカス市街に対し砲撃と空襲を加えて鎮圧。ハミディヤ市場(スーク)とミドハト・パシャ市場の間の古い町並みは炎上し、旧市街は有刺鉄線で囲まれ、装甲車が通行可能な新道路が北部郊外に建設されました。 その後、叛乱はレバノンにも拡大しましたが、1926年4月、フランスの鎮圧作戦でドルーズ地区の首都スワイダが陥落。叛乱はほぼ終息しましたが、その後も1927年6月の完全終結間で散発的な戦闘が続きました。叛乱の全期間を通じての死者は6000人、難民は10万人でした。 今回ご紹介の葉書は、この時期、反乱鎮圧のためにシリア北部に派遣されていたフランス軍の軍事郵便で、郵便印としては、1926年6月15日付の“CAD VAGUEMESTRE D'ETAPES 10-LEVANT”がラッカ、18日付の“CAD POSTE AUX ARMEES*615*”がアレッポで押されています。 ちなみに、ラッカはユーフラテス川中流域の北岸に位置しており、アレッポまでの距離は約160キロです。セレウコス朝の王セレウコス2世カリニコス(在位紀元前246-225年 - 紀元前225年)の時代に建設された都市、カリニクムがそのルーツで、南はパルミラを通ってダマスカスへ、北はハッラーンの街をエデッサ(現トルコ領シャンルウルファ)へ、東はイラクやペルシャへ、西は東ローマ帝国との国境への道が走る交通の要衝として繫栄しました。1260年代にはモンゴル軍によって破壊されましたが、オスマン帝国の支配下で再建され、ロシア帝国の北カフカース征服から逃れてきたムスリムのチェチェン人難民やベドウィンの元遊牧民が定住するようになりました。 ★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” 次回は19日!★★ 10月19日(木)16:05~ NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第10回が放送予定です。今回は、10月18日が米国によるアラスカ領有150年の記念日ということで、アラスカを買った米国務長官、ウィリアム・スワードにスポットを当ててお話をする予定です。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。 ★★★ トークイベントのご案内 ★★★ 11月4日(土) 12:30より、東京・浅草で開催の全国切手展<JAPEX>会場内で、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。 ★★★ 世界切手展<WSC Israel 2018>作品募集中! ★★★ 明年(2018年)5月27日から31日まで、エルサレムの国際会議場でFIP(国際郵趣連盟)認定の世界切手展<WSC Israel 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。 現在、出品作品を11月10日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、待ちしております。 ★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★ 本体2500円+税 【出版元より】 中東100 年の混迷を読み解く! 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史! 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2013-05-27 Mon 10:57
レバノンの首都ベイルート近郊のイスラム教シーア派居住区に、きのう(26日)、ロケット弾2発が撃ち込まれました。シリアの民主化要求デモが2011年3月に起きて以来、ベイルート近辺が攻撃されるのは初めてのことで、前日(25日)、レバノンのシーア派武装組織・ヒズボラがアサド政権を支援して戦闘を続けると明らかにしたことに対して、シリア反政府側についたアルカイダ系組織が報復したとみられており、シリア内戦がイスラム過激派を巻き込んで隣国レバノンに波及した格好です。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1923年12月にアレッポからパリ宛に差し出された書留便で、シリアO.M.F.加刷切手とシリア=大レバノン共用切手が貼られています。 第一次大戦中、英仏が結んだサイクス・ピコ秘密協定により、戦後、現在のシリア・レバノンならびにイラクの北部にほぼ相当する地域はフランスの勢力圏とすることが規定されます。しかし、大戦が終結した時、フランスはベイルートやアレキサンドレッタ、ラタキア対岸のルアド島などを占領していたものの、その占領地域はごくわずかで、ダマスカスを解放したのはファイサルのアラブ軍とアレンビーのイギリス軍でしたし、内陸部の広大な地域はイギリスの占領下に置かれていました。さらに、フサイン・マクマホン書簡での密約(アラブがイギリスと共にオスマン帝国と戦えば、戦後、アラブの独立国家樹立を認めるというもの)もあって、シリア地域では、ダマスカスの陥落とともに、ファイサルを首班とするアラブ政府の樹立が宣言されていました。 そこで、大戦の終結によりフランスとアラブの双方から密約の履行を迫られたイギリスは、ヴェルサイユ会議で、戦後のシリア・パレスチナ地域を、①イギリス支配の南部OETA(敵国領土占領行政区域:Occupied Enemy Territory Administration):現在のイスラエル国境とほぼ同じパレスチナ、②アラブ支配の東部OETA:アカバからアレッポにいたる内陸部、③フランス支配の西部OETA:ティールからキリキア(シリアとトルコの国境地帯で、現在はトルコ領)にいたるレバノンとシリアの海岸地帯、に分割するという妥協案を通します。 これに対して、フランスは、あくまでもサイクス・ピコ協定の遵守を求め、シリアにおける自国の権利を主張。このため、フランスとアラブの板ばさみとなったイギリスは、1919年9月、シリア地方からの撤兵を表明。これを受けて、同年11月以降、西部OETAではフランス軍が、東部OETAではアラブ軍が、それぞれ、イギリスに代わって占領行政を担当することになりました。 なお、イギリス軍の撤退を受けて、ファイサルのアラブ政府は自らの存在を既成事実化して国際社会の認知を受けるべく、1920年3月、ダマスカスでシリア国民大会を開催し、ファイサルを国王とする立憲君主制のアラブ王国の独立を宣言します。 しかし、英仏両国はアラブ王国の存在を無視し、1920年4月に始まったサンレモ会議(同年1月に発足した国際連盟の最高理事会)では、フランスは、イラク北部のモースルの支配を放棄する代償として、イギリスに対して現在のシリア・レバノンの地域を自らの勢力圏とすることを最終的に承認させることに成功。当然、アラブ側は完全独立の要求と委任統治の拒否を決議してこれに抗議しましたが、同年6月、英仏両国は、これを無視して、それぞれの勢力圏内での委任統治を開始。全シリアを軍事占領したフランスは、同年7月、ファイサルを放逐してアラブ王国を崩壊させました。 フランスはこうして支配下に置いた委任統治地域を、レバノン国・ダマスカス国・アレッポ国・アラウィ自治区に分割。各地域に知事を置き、これを高等弁務官が統括するという古典的な分割統治政策を行います。 このうち、レバノンに関しては、1920年8月、“大レバノン”が設置され、オスマン帝国時代の1860年に設置された旧レバノン県(キリスト教徒自治区)にトリポリ、ベイルート、シドンなどの海岸地区とベカー高原を加えた区域が、内陸シリアとは別の行政単位となりました。この“大レバノン”は、旧レバノン県に比べて面積は2倍以上になりましたが、キリスト教系住民が人口の過半数を維持することを最優先にして、これ以上は拡大されませんでした。これは、フランスが“大レバノン”を、イスラム教徒が多数を占める内陸シリアから分離して、中東支配の拠点として育成しようとしたためです。 しかし、経済や物流の面で、それまで“(歴史的)シリア”として一体性を持っていた大レバノンとその他の地域をただちに分断してしまうことは不可能だったため、当初は、フランス軍事占領下の“シリア”全域で使用するためのものとして、本国切手に「フランス軍事占領(地域)」を示すフランス語(Occupation Militaire Francais)の頭文字O.M.F.ならびに「シリア」の文字を加刷した切手が、ついで、大レバノンと(それ以外のフランス委任統治領)シリアは別の地域であることを明示したうえで、両地域共用の「シリア=大レバノン」加刷を施した切手が発行されました。今回ご紹介のカバーは、そうしたシリア・レバノン分割の過渡期に、シリア側で使用されたものです。 さて、今回のベイルートへの砲撃により、シリアの内戦はレバノンにも拡大した格好ですが、ヒズボラの最高指導者、ハサン・ナスララは「シリアは(イスラエルのパレスチナ占領に対する)抵抗運動の後ろ盾であり、行動しないことは許されない。必ず勝利する」と訴えています。こういう話を聞くと、あらためて、現在の国境に分割される前の“歴史的シリア”という枠組について考えさせられますな。 ★★★ イベントのご案内 ★★★ ・6月1日(土) 11:00- 切手市場 於 東京・浅草 台東民会館 9階ホール 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『マリ近現代史』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しておりますので、ぜひ、遊びに来てください。 ★★★ 内藤陽介の最新作 ★★★ 『マリ近現代史』 北アフリカ・マリ共和国の知られざる歴史から混迷の現在まで、 切手・絵葉書等で色鮮やかに再現したオールカラーの本格的通史! amazon、e-hon、hontoネットストア、Honya Club、JBOOK、7ネット・ショッピング、紀伊國屋書店、版元ドットコム、ブックサービス、文教堂、丸善&ジュンク堂書店、楽天ブックスなどで好評発売中! ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★ 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は6月4日、7月2日、7月30日、9月3日(原則第一火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2012-08-21 Tue 16:13
内戦状態のシリアの北部アレッポで、きのう(20日)、日本人女性ジャーナリストの山本美香さんが取材中に戦闘に巻き込まれ死亡しました。謹んでご冥福をお祈りいたします。というわけで、きょうはアレッポ関連のマテリアルを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1921年6月4日、アレッポからイスタンブール宛に差し出されたカバーで、仏領委任統治下のOMF加刷切手が3枚貼られています。 第一次大戦中、英仏が結んだサイクス・ピコ秘密協定により、戦後、現在のシリア・レバノンならびにイラクの北部にほぼ相当する地域はフランスの勢力圏とすることが規定されます。しかし、大戦が終結した時、フランスはベイルートやアレキサンドレッタ、ラタキア対岸のルアド島などを占領していたものの、その占領地域はごくわずかで、ダマスカスを解放したのはファイサルのアラブ軍とアレンビーのイギリス軍でしたし、内陸部の広大な地域はイギリスの占領下に置かれていました。さらに、フサイン・マクマホン書簡での密約(アラブがイギリスと共にオスマン帝国と戦えば、戦後、アラブの独立国家樹立を認めるというもの)もあって、シリア地域では、ダマスカスの陥落とともに、ファイサルを首班とするアラブ政府の樹立が宣言されていました。 そこで、大戦の終結によりフランスとアラブの双方から密約の履行を迫られたイギリスは、ベルサイユ会議で、戦後のシリア・パレスチナ地域を、①イギリス支配の南部OETA(敵国領土占領行政区域:Occupied Enemy Territory Administration):現在のイスラエル国境とほぼ同じパレスチナ、②アラブ支配の東部OETA:アカバからアレッポにいたる内陸部、③フランス支配の西部OETA:ティールからキリキア(シリアとトルコの国境地帯で、現在はトルコ領)にいたるレバノンとシリアの海岸地帯、に分割するという妥協案を通します。 これに対して、フランスは、あくまでもサイクス・ピコ協定の遵守を求め、シリアにおける自国の権利を主張。このため、フランスとアラブの板ばさみとなったイギリスは、1919年9月、シリア地方からの撤兵を表明。これを受けて、同年11月以降、西部OETAではフランス軍が、東部OETAではアラブ軍が、それぞれ、イギリスに代わって占領行政を担当することになりました。 なお、イギリス軍の撤退を受けて、ファイサルのアラブ政府は自らの存在を既成事実化して国際社会の認知を受けるべく、1920年3月、ダマスカスでシリア国民大会を開催し、ファイサルを国王とする立憲君主国アラブ王国の独立を宣言します。 しかし、英仏両国はアラブ王国の存在を無視し、1920年4月に始まったサンレモ会議(同年1月に発足した国際連盟の最高理事会)では、フランスは、イラク北部のモースルの支配を放棄する代償として、イギリスに対して現在のシリア・レバノンの地域を自らの勢力圏とすることを最終的に承認させることに成功。当然、アラブ側は完全独立の要求と委任統治の拒否を決議してこれに抗議しましたが、同年6月、英仏両国は、これを無視して、それぞれの勢力圏内での委任統治を開始。全シリアを軍事占領したフランスは、同年7月、ファイサルを放逐してアラブ王国を崩壊させました。 今回ご紹介のカバーに貼られている切手は、こうした状況の下、フランス軍事占領下の“シリア”全域で使用するためのものとして、本国切手に「フランス軍事占領(地域)」を示すフランス語(Occupation Militaire Francais)の頭文字O.M.F.ならびに「シリア」の文字が加刷されています。 第一次大戦後のフランスの中東政策の基本は、キリスト教徒が住民の過半数を占める大レバノンを創設し、これを残りの“シリア”から切り離して分割統治を行うというものでしたが、そうした方針とは裏腹に、初期の段階ではO.M.F.加刷切手がフランスの占領地域全域で使用されています。 ★★★ 内藤陽介・韓国進出! ★★★ 『韓国現代史』の韓国語訳、出ました 우표로 그려낸 한국현대사 (切手で描き出した韓国現代史) ハヌル出版より好評発売中! 米国と20世紀を問い直す意欲作 우표,역사를 부치다 (切手、歴史を送る) 延恩文庫より好評発売中! *どちらも書名をクリックすると出版元の特設ページに飛びます。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2012-07-20 Fri 09:29
内戦状態が続くシリアでは、おととい(18日)、首都のダマスカスでダウド・ラジュハ国防相や、アサド大統領の義兄アーセフ・シャウカト国防次官、ハッサン・トルクマニ元国防相ら政権幹部が死亡する事件が起きましたが、これと前後して(正確な時期は現時点では不明)、大統領が首都ダマスカスを離れ、北西部のラタキアに逃れていたことが、きのう(19日)になってわかりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1931年、フランス委任統治下で発行されたラタキア加刷の切手です。 ラタキアは、現在のシリア北西部、地中海に突き出した半島に位置する港湾で、人口の規模としては、ダマスカス、アレッポ、ホムスに次ぐシリア第4位の都市となっています。 オスマン帝国の時代以来、ラタキア周辺はイスラムの一分派で、アサド大統領も属するアラウィー派の多い地域でした。 第一次大戦後、フランスは現在のシリア国家の領域を委任統治下に置き、典型的な分割統治を行いました。その一環として、1922年、シリアはダマスカス国、アレッポ国、エッドゥルーズ(ドゥルーズ派国)、アラウィー派国)の緩やかな連邦に再編されます。このうち、アラウィー派国はラタキアを中心とする海岸部に設定され、アラウィー派住民による自治が認められました。 その後、1930年9月、アラウィー派国はラタキア国と改称され、その領域は地中海岸から内陸の山脈までの範囲と設定されました。今回ご紹介の切手は、これに伴い、ラタキア国用の切手として、フランス委任統治領シリア切手に加刷して発行されたものです。 その後、シリアでフランスからの独立運動を求める民族主義運動が発生すると、1936年、フランスは妥協策としてフランス・シリア友好条約を締結。結果的に第二次大戦により延期されたものの、3年後の完全独立が決められ、アラウィー派国とドゥルーズ派国はシリア本土に合流することになりました。 ところで、旧ラタキア国ではアラブ系が多数派を占めていましたが、例外的に、アレクサンドレッタ県ではトルコ系住民が多かったため、アラブが圧倒的多数を占めるシリアへの合流に反対が強く、分離運動が展開されていました。このため、1937年、国際連盟は、アレクサンドレッタ県をハタイ自治州とし、トルコ語を公用語として自治政治を行う一方、財政・外交をシリアが管理する仲裁案を提示します。 ところが、国際連盟の仲裁案を受けて、1938年にフランスの監視下でこの地域で議会選挙が行われると、トルコ系議員が過半数を獲得。同議会はハタイ独立共和国の独立を宣言してしまいます。その後、トルコとフランスの軍事的管理下を経て、1939年7月、ハタイは国民投票に基づいてトルコの県となり、この地域のアラブやアルメニア人はハタイから離れ、シリアの他の地域に移住していくことになりました。 一方、旧ラタキア国のうち残りの地域は、1946年4月のシリア独立に伴い、ラタキア県となり、現在にいたっています。 さて、現在、大統領が反体制派掃討作戦を指揮しているとされるラタキアは、上述のように、伝統的に大統領の属するアラウィー派の拠点で、情勢は比較的安定しているようです。もともと、ダマスカスやアレッポなど、シリア本土とは背景が異なる地域であるうえ、天然の良港で近郊には豊かな農地が広がっており、陶磁器・タバコなどの輸出産業もあることなどを考えると、反体制派が他の地域を制圧しても、大統領と現政権はラタキアとその周辺を基盤に抵抗をつづけ、シリア国家が分裂することも起こりうるかもしれません。そうなった場合、ラタキアを拠点とするアサド政権の切手は、“ラタキア切手”と俗称されることになるのでしょうか。もっとも、アサド政権としては、自分たちこそがシリアの正統政府であるという建前を崩さないでしょうから、みずから“ラタキア”表示の切手を発行することはないでしょうけれど。 【アジア国際切手展SHARJAH 2012のご案内】 僕が日本コミッショナーを仰せつかっているアジア国際切手展 <SHARJAH 2012> の作品募集要項が発表になりました。国内の応募〆切は8月3日です。くわしくはこちらをご覧ください。 ★★★ 内藤陽介・韓国進出! ★★★ 『韓国現代史』の韓国語訳、出ました 우표로 그려낸 한국현대사 (切手で描き出した韓国現代史) ハヌル出版より好評発売中! 米国と20世紀を問い直す意欲作 우표,역사를 부치다 (切手、歴史を送る) 延恩文庫より好評発売中! *どちらも書名をクリックすると出版元の特設ページに飛びます。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2009-10-11 Sun 11:59
日本時間のきょう(11日)未明、トルコ、アルメニア両国の外相が国交樹立などをうたった合意文書に署名し、歴史的和解に向けて第1歩を踏み出しました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1921年4月、キリスで発行された暫定切手を貼って、フランス委任統治下のアレッポ宛に差し出されたカバーです。 キリスはアナトリア半島東南部のトルコ=シリア国境の都市で、アレッポにいたる街道沿いにあります。現在はトルコ領となっていますが、第一次大戦後、1923年9月まではフランス委任統治下のシリアの管轄下に置かれていました。 第一次大戦中の1915年から1917年にかけて、当時のオスマン帝国はアナトリア半島に住むアルメニア人が敵国・ロシアに内通しているとの理由で、アルメニア人を強制移住させましたが、その際、多くのアルメニア人が犠牲になりました。これが、いわゆる“(第2次)アルメニア人大虐殺”と呼ばれているもので、アルメニア人社会が“トルコ人による組織的虐殺”として現在なおトルコ政府を非難しているのに対して、トルコ側は「あくまでも戦時下の強制移住により、結果的に多くのアルメニア人が犠牲になった」として“虐殺”の事実を否定し、謝罪と賠償を断固拒否しており、両者の対立の原因となっています。 さらに、第一次大戦後、アルメニア人民族主義者が(旧)オスマン帝国領のアルメニア人居住地域を含むアルメニア国家の建設運動を起こしたのに対し、ロシアとトルコが介入してこれを粉砕。その結果として、さらに多くのアルメニア人が犠牲となっています。 今回ご紹介のカバーに貼られている切手は、こうした状況の中で、フランス管轄下のキリスに大量のアルメニア難民が流入したため、切手の需要が急増。それを賄うため、1921年に現地で暫定的に製造・発行されたもので、第一次大戦後のアルメニア人問題を語る際には定番のマテリアルです。 さて、今回の和平に向けての合意文書は、今後、両国議会での承認手続きに入ることになりますが、両国間には上記の“アルメニア人虐殺”問題に加え、旧ソ連末期から続くアゼルバイジャンでのナゴルノカラバフ紛争(アルメニア人が多数派を占める同地域の独立をめぐる紛争)なども残されています。今回の文書に署名した後も、両国の外相は握手こそ交わしたものの、集まった記者団には一言も発せず式典は終了し、非常に寒々とした雰囲気だったとか。どうやら、最終的な和平への道のりはかなり険しそうですな。 ☆☆ お待たせしました! 半年ぶりの新刊です ☆☆ 全世界に衝撃を与えた1989年の民主革命と独裁者チャウシェスクの処刑から20年 ドラキュラ、コマネチ、チャウシェスクの痕跡を訪ねてルーマニアの過去と現在を歩く! “切手紀行シリーズ”の第2弾 オールカラーで10月下旬、いよいよ刊行! 『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行:ルーマニアの古都を歩く』 (彩流社 オールカラー190ページ 2800円+税) 10月31日(土) 11:00から、<JAPEX09>会場内(於・サンシャイン文化会館)で刊行記念のトークイベントを行いますので、よろしかったら、ぜひ、遊びに来てください。 ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★ 異色の仏像ガイド決定版 全国書店・インターネット書店(アマゾン、bk1、7&Yなど)・切手商・ミュージアムショップ(切手の博物館・ていぱーく)などで好評発売中! 『切手が伝える仏像:意匠と歴史』 彩流社(2000円+税) 300点以上の切手を使って仏像をオールカラー・ビジュアル解説 仏像を観る愉しみを広げ、仏教の流れもよくわかる! |
2007-01-06 Sat 00:49
年賀状(年内に出したと思われるものが、まだチラホラと届きます。なんだか、年々、配達が遅くなっているような気がするのは僕だけでしょうか)に混じって、年末にオークションで落札したカバー(封筒)が届きました。僕にとっては、今年の初荷ですから、ご紹介してみましょう。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1920年1月25日、フランス占領下のキリキア(Cilicia:アナトリア半島南部の地中海沿岸、シリアとの国境に近いトルコの一地方)のアダナから差し出されたカバーです。 第1次大戦でオスマン帝国が敗れると列強諸国は帝国の分割を画策して各地に進駐します。このうち、現在のシリア・レバノン地域を勢力圏内に治めようとしていたフランスは、1919年1月、キリキアに進駐し、この地を占領しました。 ベルサイユ会議では、戦後のシリア・パレスチナ地域は、①イギリス支配の南部OETA(敵国領土占領行政区域:Occupied Enemy Territory Administration)、②アラブ支配の東部OETA:アカバからアレッポにいたる内陸部、③フランス支配の西部OETAに3分割されましたが、キリキアは、このうちの西部OETAに組み込まれ、オスマン帝国の戦後処理を決めた1920年のセーブル条約によって、フランス委任統治領のシリアに属するものとされます。 今回ご紹介しているカバーは、この時期のアダナからのカバーで。旧オスマン帝国時代の切手つき封筒にCiliciaと加刷したものに、フランスの占領切手(キリキア専用のもの+全占領地域共通のもの)を貼って、フランス本国のマルセイユ宛に差し出されたものです。 カバー上部の開け方がちょっと乱暴なのが気に入らないのですが、切手にはダメージを与えているわけではありませんし、イタリアの検閲印と思われる印も押されているので、気の利いたものが少ないキリキアのカバーとしては十分に合格点の部類に入るでしょう。 なお、セーブル条約の内容は、オスマン帝国の解体のみならず、アナトリアにトルコ人の国民国家を作ることも否定したものであったため、ムスタファ・ケマル(ケマル・パシャとかアタテュルクとか呼ばれている人物です)のアンカラ政府はこれに抵抗。1923年にはセーブル条約に代わる講和条約としてローザンヌ条約の締結に成功し、現在のトルコ共和国の枠組と基盤を作り上げることに成功します。 なお、このローザンヌ条約により、キリキアはトルコに帰属するものとされたため、フランスの占領加刷切手もその役割を終えることになりました。 オスマン帝国解体後の東地中海、なかでも、現在のシリアの枠組が作られていく過程では、郵便史的にもいろいろと面白いマテリアルが生まれていますので、いずれは、それらを集めてまとまったコレクションを作ってみたいと考えています。もっとも、それが実現できるようになるまでには、まだ当分時間がかかりそうです。まぁ、あせらずにぼちぼち行くしかないですね。 |
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