2024-09-12 Thu 07:28
1974年9月12日、エチオピアで空軍・警察・領土軍のクーデターが発生し、皇帝ハイレ・セラシエ1世が退位に追い込まれ、エチオピア帝国が(事実上)滅亡してから、ちょうど50年になりました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1894年に発行されたエチオピア最初の切手のうち、エチオピア帝国の象徴としての“ユダの獅子”を描く16ケルシュ切手です。 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。 * 昨日(11日)のニッポンジャーナルの内藤出演回は無事に終了しました。次回は9月20日(金)に登場の予定です。引き続きよろしくお願いします。 ★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★ 9月13日(金) 05:00~ おはよう寺ちゃん 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。 9月20日(金) 10:00~ ニッポンジャーナル インターネット番組「ニッポンジャーナル」に内藤藤がコメンテーターとして出演の予定です。皆様、よろしくお願いします。 よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。 謀略の世界史 原則毎月第1土曜日 13:00~14:30 MI6、CIA、モサドなど各国の情報機関のあらましや、現代史の中で彼らが実際に関与した事件などを幅広くご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。 武蔵野大学のWeb講座 大河企画の「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」、引き続き開講中です。詳細はこちらをご覧ください。 「龍の文化史」、絶賛配信中です。龍/ドラゴンにまつわる神話や伝説は世界各地でみられますが、想像上の動物であるがゆえに、それぞれの物語には地域や時代の特性が色濃く反映されています。世界の龍について興味深いエピソードなどを切手の画像とともにご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。 ★ 『切手もの知り図鑑 一番切手50のエピソード』 好評発売中!★ 「動物と植物」「科学技術」「社会と文化」「神話/伝説と宗教」の4章立てで、犬、猫、宇宙開発、飛行機、クリスマスといったテーマで、初めて描かれた切手図案にまつわる秘話、思いがけない発行に至る背景に加え、シーラカンスやテレビ、警察官、タトゥー、髑髏といった、あっと驚く意外なテーマの一番切手も登場します! * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2022-03-25 Fri 09:55
エチオピア北部で続いている内戦について、エチオピア政府は、きのう(24日)、“無期限の人道的休戦”の即時発効を宣言しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1972年にエチオピアが発行した民家シリーズの切手のうち、現在の内戦で紛争地域になっているティグライ(ティグレ)州の民家を描いた1枚です。 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。なお、内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。 ★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★ 3月28日(月) 05:00~ おはよう寺ちゃん 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。 武蔵野大学のWeb講座 4月6日-7月12日 鏑木清方と江戸の残り香 詳細はこちらをご覧ください。 4月13日-7月19日 日本の郵便150年の歴史2 占領時代(1945年の終戦から1952年) 詳細はこちらをご覧ください。 5月18日-8月23日 日本の歴史を学びなおす― 近現代編その2― 幕末 詳細はこちらをご覧ください。 5月4日(水・祝) 13:00~ よみうりカルチャー北千住 公開講座 よみうりカルチャー北千住にて、公開講座「アフガニスタン現代史」を行います。拙著『アフガニスタン現代史』の内容を90分にギュッと凝縮した内容をお届けいたします。お申込など詳細は、こちらをご覧ください。 ★ 最新作 『アフガニスタン現代史』 3月5日発売!★ 出版社からのコメント 混迷のアフガニスタン情勢の理解に必須の通史! 911同時多発テロ事件とその後のアフガニスタン空爆から20年。西側が支援した新共和国が崩壊し、再びタリバンが実効支配下に置いたアフガニスタン。英国、ソ連、米国…介入してきた大国の墓場と呼ばれてきたこの国の複雑極まりない現代史を、切手や郵便資料も駆使しながら鮮やかに読み解く。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 ★ 期間限定の無料サービス、ぜひご活用ください! ★ 2月1日から3月31日まで、拙著『世界はいつでも不安定 国際ニュースの正しい読み方』(ワニブックス)が電子書籍版アマゾン・アンリミテッドの対象になっております。期間中、アマゾンKindle Unlimited会員限定ですが、無料で読み放題となりますので、この機会に、ぜひ、こちらをクリックしてご活用ください。 |
2021-03-01 Mon 02:36
1896年3月1日、エチオピア軍がイタリア軍に大勝し、第一次エチオピア戦争におけるエチオピアの勝利と独立の確保を決定づけた“アドワの戦い”から、ちょうど125年になりました。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、いまから50年前の1971年にエチオピアが発行した“アドワでの勝利75周年”の記念切手です。エチオピア軍がイタリア軍を圧倒する戦闘場面を描いたものですが、おもちゃの兵隊を描いた絵本のような絵柄が良い感じで、個人的に気に入っている1枚です。 さて、1889年、エチオピアはイタリアとウチャリ条約を結び、イタリアによるエリトリアの保護領化を承認。その後、イタリアはエチオピア本土への侵攻を企図し、1893年以降、エチオピア北部、エリトリアとの国境に位置するティグレ州への攻撃を繰り返しました。 これが第一次エチオピア戦争です。 エチオピア軍が常備軍制度ではなく、長期にわたって軍を動員し続けることがられないことから、イタリア軍の指揮官であったオレステ・バラティエリは長期の持久戦に持ち込む戦術を取りました。しかし、イタリア本国の首相、フランチェスコ・クリスピは、アフリカ人相手の戦いにイタリア軍が“苦戦”していると誤解し、バラティエリに決戦を命じます。 本国からの圧力に屈したバラティエリは、結局、2月29日の夜、エチオピア軍主力の駐屯していたティグレ州アドワへの進軍を開始。しかし、1万4527名のイタリア軍(と若干のエリトリア兵)が複雑な地形に手間取っているのを察知したエチオピア軍は、指揮官、ラス・マコネンの下、全面攻撃を開始。夜が明けると、エチオピア皇帝メネリク2世と皇后タイトゥの軍も戦闘に参加し、総勢12万以上のエチオピア軍は、アドワ北方でイタリア軍に壊滅的な打撃を与えました。ちなみに、イタリア軍は9500人から1万2000人が戦死・負傷し、エチオピア側も死者・負傷者合わせて1万名前後の損害を出しています。 アドワの戦いで惨敗を喫したことで、イタリア国内では責任論が浮上し、3月10日、クリスピ政権は退陣に追い込まれました。その後、後継のアントニオ・ルディニ政権はエチオピアを外交団を派遣。メネリク2世との間でアディスアベバ条約が締結され、1896年10月23日、第一次エチオピア戦争はエチオピアの勝利で終結しました。以後、1936年のイタリアによるエチオピア併合まで、アフリカ諸国の中で例外的に独立を維持することになります。 * おかげさまで、オンラインで開催しておりました第12回テーマティク切手展は、28日24:00をもって無事、公開を終了いたしました。ご出品者の皆様、閲覧していただいた皆様、開催の労を取っていただきました皆様には、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。2022年に開催予定の第13回展覧会は、通常通り、東京・目白の切手の博物館での開催を予定しておりますので、引き続き、よろしくお願いいたします。 ★★ 『世界はいつでも不安定』 3月10日発売!★★ 本体1400円+税 出版社からのコメント 教えて内藤先生。 地上波では絶対に伝えられない国際情勢の事実をユーモアを交えて解説! チャンネルくらら人気番組「内藤陽介の世界を読む」が完全書籍化! ご予約は、アマゾンまたは honto で受付中です。 ★ 内藤陽介の最新刊 『日本人に忘れられたガダルカナル島の近現代史』 ★ 本体1600円+税 出版社からのコメント 【中国の札束攻勢にソロモン諸島は陥落寸前!】 日本軍の撤退後、悲劇の激戦地は いかなる歴史をたどり、 中国はどのように浸透していったのか 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2020-12-05 Sat 03:19
ユダヤ系エチオピア人(ベタ・イスラエル)のキリスト教徒、“ファラシュ・ムラ”のエチオピアからイスラエルへの移民第1陣となる316人が、3日(現地時間)、イスラエルに到着しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、2012年にエチオピアが発行した「アディスアベバの記念碑」の切手のうち、ユダの獅子像を取り上げた1枚です。 旧約聖書「創世記」第49章には、ヤコブの第4子にしてユダ族(ユダヤの語源)の祖であるユダは“獅子の子”とされており、それゆえ、獅子はユダ族の象徴とされてきました。 エチオピアの建国神話によれば、紀元前10世紀、エルサレムのソロモン王を訪ねたシバの女王がソロモン王の子を宿し、帰国後、メネリク1世を産んだことになっています。メネリクは成人後、父のソロモン王を訪ね、多数のユダヤ人をエチオピアの地に招いたとされており、こうした経緯から、歴代のエチオピア王、皇帝はメネリク1世の子孫を名乗り、ユダ族の象徴である“ユダの獅子”を国のシンボルとして用いています。 1948年のイスラエル建国後、イスラエル国家は帰還法に基づき、エチオピアからベタ・イスラエルの移民を受け入れてきました。特に、1974年にソロモン王朝が崩壊した後、内戦や社会主義政権下でベタ・イスラエルが激しい迫害を受けたことから、イスラエル政府は彼らの救出作戦として、1984年のモーゼ作戦や1991年のソロモン作戦などを実施。この結果、ベタ・イスラエルの85%以上にあたる11万700人以上がイスラエルに移住しました。 ただし、この時期にイスラエルに移住したベタ・イスラエルは原則としてユダヤ教徒で、主として18-19世紀にキリスト教に改宗した人々の子孫である”ファラシュ・ムラ”については、イスラエル国内でも、彼らを“ユダヤ人”として認め、移住を受け入れることへの反対論が根強くありました。このため、2012年、イスラエル政府はファラシュ・ムラの帰還移民を推進する方針を決定したうえで、彼らがイスラエル到着時にユダヤ教への改宗を義務付けることとしたうえで、2000年10月、ファラシュ・ムラ2000人の受け入れ計画を承認。今回、その第一陣がイスラエルに到着し、残りの約1700人も2021年1月末までに到着する見通しとなっています。 今回ご紹介の切手に取り上げられたユダの獅子像は、アディスアベバ中心部、鉄道のアディスアベバ駅前広場に設置されているもので、1930年、皇帝ハイレ・セラシエの即位を記念して、フランス人彫刻家のジョルジュ・ガルデが制作しました。1935-36年の第二次エチオピア戦争でエチオピアがイタリアに敗れ、国土がイタリアによって占領されると、この像はローマに移送され、1937年、第一次エチオピア戦争(1895-96年)の記念碑の下に設置されました。 1941年、エチオピアは連合国の支援を受けて独立を回復しましたが、獅子像は1960年代にエチオピアに返還されるまで、ローマ市内にそのまま置かれ続けました。また、1974年の帝政崩壊後、社会主義政権は獅子像を帝政時代の遺物とみなして撤去を試みましたが、国民の反対も強かったことから、「この像はファシストに対する抵抗と独立回復の象徴である」として存続が決定。現在にいたっています。 ★ 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★ 12月11日(金)05:00~ 文化放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。 ★ 内藤陽介の最新刊 『日本人に忘れられたガダルカナル島の近現代史』 ★ 本体1600円+税 出版社からのコメント 【中国の札束攻勢にソロモン諸島は陥落寸前!】 日本軍の撤退後、悲劇の激戦地は いかなる歴史をたどり、 中国はどのように浸透していったのか 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2020-04-26 Sun 03:20
新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、国境を封鎖されていた南アフリカ共和国に駐在する日本人など156人を乗せたエチオピア航空のチャーター機が、昨夜(25日夜)、成田空港に到着しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、2014年12月25日にエチオピアが発行した「エチオピア航空」の切手のうち、“アフリカ発のボーイング787ドリームライナー就航”を取り上げた1枚です。 エチオピアのフラッグ・キャリアであるエチオピア航空は、皇帝ハイレ・セラシエの勅命により、TWA航空の支援を受けて1945年12月30日に設立され、1946年4月8日、5機のDC-3によりアディスアベバ=カイロ間の定期運航を開始しました。その後、1958年にはフランクフルトへの長距離路線の運航を開始し、1963年1月にはナイロビへの路線で初のジェット機の運航を開始しました。 当初、エチオピア航空は政府の直轄事業で、TWA航空の支援を受けていることもあって、運航スタッフは全員米国人でした。その後、1965年にエチオピア政府100%出資会社への業態変更を経て、1971年以降はエチオピア人が全運航を担当しています。 今回ご紹介の切手に取り上げられたボーイング787の同社向け初号機は、2012年8月14日に受領済みとなりました。これは、全日空、日航に次いで、世界で3番目(アフリカでは初)の導入例です。なお、ボーイング787に関しては、2013年1月、世界各地でほぼ同時にバッテリー・システムのトラブルが発生したため、エチオピア航空でも同型機の一時停止。その後、新バッテリー・システムへの回収を経て、同年4月27日、エチオピア航空が世界で初めて商業運航を再開したものの、同年7月12日、アディスアベバ近郊のボレ国際空港からロンドン・ヒースロー国際空港に到着後、全電源を落として数時間後、機体後部にて火災が発生し、機体上部が損傷し、外部からも外板が薄く焦げて変色する事故を起こしています。 日本便に関しては、2014年10月26日から全日空(ANA)とのコードシェアが開始され、2015年4月22日、アディスアベバ=香港=成田線が就航しました。2018年6月2日以降、寄港地がソウルに変更されていますが、成田=ソウル間での利用も可能です。 南ア日本商工会議所(CCIJ)と南ア日本人会が中心になって手配したもので、エチオピア航空(ETH/ET)のボーイング787-9型機(登録記号ET-AUR)が使用された。 さて、当初、南ア駐在の日本人の帰国に関しては。日本商工会議所(CCIJ)と南ア日本人会が中心になってチャーター便を手配。当初は、現地を今月22日か23日に出発し、南アフリカ航空でケープタウンおよびダーバンからヨハネスブルグ、第三国を経由して成田へ向かう計画でしたが、最終的に、24日に現地出発のエチオピア航空が利用されました。乗客は企業や政府系機関などの駐在員とその家族が中心で、乗客によるとジャカルタへ向かうインドネシア人たちも搭乗していたとのこと。チャーター便の費用は乗客負担で、ケープタウン発が5875米ドル(約63万円)、ヨハネスブルグ発が5210米ドル(約56万円)ですが、予定よりも利用者が多かったことから1人あたりの負担は減り、若干の払い戻しがある見通しだそうです。 ★★ 内藤陽介の最新刊 『日韓基本条約』 ★★ 本体2000円+税 出版社からのコメント 混迷する日韓関係、その原点をあらためて読み直す! 丁寧に読むといろいろ々発見があります。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2018-04-28 Sat 01:10
ご報告がすっかり遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』4月18日号が発行されました。僕が担当しているメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はエチオピア(と一部ザイール)を取り上げました。その記事の中から、この切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1944年にエチオピアで発行された“メネリク2世100年”の記念切手のうち、メネリク2世の肖像を描く10サンティーム切手です。 後にエチオピア皇帝メネリク2世となるサーレ・マリアムは、1844年、ショアのネグ(地方君主)、ハイレ・マラコトの子として生まれました。 エチオピアでは1769年以降、“諸侯(ラス)の時代”と呼ばれる群雄割拠の戦国時代が続いていましたが、1855年、テオドロス2世が統一戦争を敢行し、再統一を達成します。その過程で、ショアも征服され、マリアムは捕虜となりましたが、その英明さゆえにテオドロス2世の寵愛を受け、為政者としての訓練を積みました。 1865年、マリアムはマグダラ(当時の首都)からショアに戻り、亡くなった父王の跡を継いでショア王を宣言。エチオピア南部、オロモ人の領土を征服したほか、1877年にはエジプト人に占領されていたハラールを奪還。フランス人の設立したバルデー商会との武器取引を通じて力を蓄えていきます。 1868年にテオドロス2世が崩御した後、エチオピアの帝位はギヨルギス2世(在位1868-71)、ヨハンネス4世(1871-89)が継承しましたが、これに対して、マリアムは1870年代後半以降 “メネリク2世”を自称します。ソロモンとシバの子でエチオピア初代の王と同名の“メネリク”を名乗ることは、ヨハンネス4世に対する公然たる不服従の意思を示すもので、両者の対立は深刻になりましたが、メネリクは徐々に地歩を固め、1889年にヨハンネス4世が崩御すると後継皇帝として即位しました。 1889年、エチオピアはイタリアとウチャリ条約を結び、イタリアによるエリトリアの保護領化を承認。その後、イタリアはエチオピア本土への侵攻を企図し、1893年以降、エチオピア北部、エリトリアとの国境に位置するティグレ州への攻撃を繰り返しました。 これが第一次エチオピア戦争です。 第一次エチオピア戦争は、1896年3月、ティグレ州アドワの戦いでイタリア軍が従軍した1万4527人中1万人以上を失う惨敗を喫したことでアディスアベバでの講和条約が調印され、これにより、エチオピア帝国の独立は欧州列強による植民地化を回避することができたと評価されています。 イタリアの侵攻を退けたメネリク2世は、教育の近代化、電話の普及、鉄道、道路の建設、アビシニア銀行(後のエチオピア国立銀行)と造幣局の設立、貨幣制度の整備、近代郵便制度の創設、さらには内閣制度の導入など、近代化改革を推進。このうち、アビシニア銀行は英国系のエジプト銀行が株式の3分の1を占めていましたが、アディスアベバ鉄道はフランス系のインドシナ銀行が大株主になり、病院建設と保険・衛星事業についてはロシアの協力を仰ぐなど、メネリクは列強諸国のうち、特定の国の影響力が突出しないよう腐心しました。 こうして、メネリク2世はエチオピアをアフリカ諸国の中でも最も進んだ国にしましたが、1906年、脳出血で倒れ、翌1907年、後継者として孫のイヤス5世を指名し、1913年に崩御しました。 さて、『世界の切手コレクション』4月18日号の「世界の国々」では、メネリク2世とその時代についてまとめた長文コラムのほか、シバの女王、エチオピア正教会の聖母子像、エチオピア・コーヒー、朝鮮戦争へのエチオピア軍派兵に関する切手などもご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。 なお、「世界の国々」の僕の担当ですが、今回のエチオピア(と一部ザイール)の次は、4月18日に発売された4月25日号でのリビア(と一部コモロ)の特集です。こちらについては、近々、このブログでもご紹介する予定です。 ★★★ 近刊予告! ★★★ えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が5月に刊行予定です! 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。 (画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) ★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★ 本体2500円+税 【出版元より】 中東100 年の混迷を読み解く! 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史! 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2014-04-21 Mon 14:39
きょう(21日)は、ラスタファリ運動において“神の化身”と信じられているエチオピア皇帝ハイレ・セラシエ1世が1966年4月21日にジャマイカを訪問したことにちなむ“グラウネーション・デー”だそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1930年にエチオピアが発行した皇帝ハイレ・セラシエ1世即位記念の加刷切手です。加刷の元になった台切手は、1928年に発行された2メハレク切手で、皇帝として即位する以前の皇太子ラス・タファリ・マコンネンとしての肖像が描かれています。 ハイレ・セラシエは、1892年、エチオピア南部・ショア地方の貴族の子として生まれました。血縁上は皇帝・英雄メネリク2世の従兄弟の子にあたっており、1916年、メネリク2世の娘・ザウディトゥが女帝として即位すると、皇太子・摂政となり、実権を掌握。1930年4月3日、皇帝ハイレ・セラシエ1世として即位しました。 いわゆるラスタファリ運動は、1910年代、ジャマイカ出身のマーカス・ガーベイが米国でエチオピアニズム(当時、アフリカの黒人国家で唯一植民地化されていなかったエチオピアを黒人の魂の故郷とする思想)の立場から、黒人のアフリカ帰還を奨励したのがルーツです。 1927年、ガーベイは「アフリカを見よ。黒人の王が戴冠する時、解放の日は近い」との予言を発表しましが、はたして3年後の1930年4月、エチオピアでハイレ・セラシエ1世が皇帝として即位したことから、彼らは、ハイレ・セラシエ1世を神(ジャー)の化身とみなし、アフリカ大陸を統一し、離散した黒人のアフリカ帰還を告げる救世主として崇拝の対象とするようになりました。これに伴い、皇帝の崇拝者は皇帝の即位以前の名前にちなんで“ラスタファリアン”、彼らの運動はラスタファリ運動と呼ばれるようになりました。 さて、ハイレ・セラシエ1世は、1966年4月21日、ジャマイカを訪問し、ラスタファリアンの熱狂的な歓迎を受けました。その歓迎ぶちには、皇帝本人も当惑を隠せないいほどでした。 この時期、エチオピア南部シャシャマネのマルカウォディャ地区には、ジャマイカからの移民が皇帝から土地を与えられて済んでいましたが、自分のジャマイカ訪問がラスタファリアンの情熱を刺激して大量のジャマイカ移民がエチオピアに流入することを恐れた皇帝は「ジャマイカ社会を解放するまではエチオピアへの移住を控えるように」という内容の私信を主なラスタ指導者に送り、エチオピアへの移民を牽制しています。なお、ジャマイカの音楽として知られるレゲエは、ハイレ・セラシエ1世のジャマイカ訪問を機に、ラスタファリ運動の思想やメッセージを伝えるための手段として発展したものです。 さて、ことしは、わが国とカリブ共同体(旧英領を中心にカリブの14か国1地域が加盟)の事務レベル協議開始後20年が経過した年であるとともに、ジャマイカならびにトリニダード・トバゴとの国交樹立50周年にもあたることから、“日・カリブ交流年”とされています。8月1-3日、東京・墨田区で開催が予定されている<全日本切手展2014>でも、これにちなみ、特別企画としてカリブ切手展を併催の予定です。今後も、同展の事前プロモーションを兼ね、機会を見つけて関連の切手をご紹介していきたいと考えておりますので、よろしくお付き合いください。 ★★★ 切手が語る台湾の歴史 ★★★ 5月15日13:00から、よみうりカルチャー北千住にて、よみうりカルチャーと台湾文化部の共催による“台湾文化を学ぶ講座”の一コマとして、「切手が語る台湾の歴史」という講演をやります。 切手と郵便はその地域の実効支配者を示すシンボルでした。この点において、台湾は非常に興味深い対象です。それは、最初に近代郵便制度が導入された清末から現在に至るまで、台湾では一貫して、中国本土とは別の切手が用いられてきたからです。今回の講演では、こうした視点から、“中国”の外に置かれてきた台湾(史)の視点について、切手や郵便物を題材にお話しする予定です。 参加費は無料ですが、事前に、北千住センター(03-3870-2061)まで、電話でのご予約が必要となります。よろしかったら、ぜひ、1人でも多くの方にご来駕いただけると幸いです。 ★★★ 講座「世界紀行~月一回の諸国漫郵」のご案内 ★★★ 東京・江東区亀戸文化センターで、5月から毎月1回、世界旅行の気分で楽しく受講できる紀行講座がスタートします。美しい風景写真とともに、郵便資料や切手から歴史・政治背景を簡単に解説します。受講のお楽しみに、毎回、おすすめの写真からお好きなものを絵葉書にしてプレゼントします! 詳細は、こちらをご覧ください。 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★ 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より) 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2013-10-21 Mon 22:59
“マラソン王国”として知られるエチオピアで、きのう(20日)、首都アディスアベバの南275キロのハワサで同国初の国際マラソン大会が行われました。というわけで、きょうは、エチオピア切手の中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1895年に発行されたエチオピア最初の切手の1枚です。エチオピア最初の切手のデザインは、皇帝メネリク2世の肖像を肖像を描くものと、皇帝を象徴するユダヤの獅子の紋章を描くもの2図案がありますが、今回は後者をご紹介しています。 エチオピアにおける最初の近代郵便は、1867-68年に侵攻した英国が、1867年11月、紅海沿岸の港町マサワに郵便局を設置し、インド切手を持ち込んで郵便活動を行ったのが最初です。その後、1875年にはエジプトが東部の都市、ハラールを占領し、エジプト切手を持ち込んで郵便事業を行いました。 エチオピア独自の郵便制度としては、メネリク2世の宮宰であったスイス人のアルフレッド・イルグが、1892年、近代郵便制度の創設と切手の発行を建議。この建議は、翌1894年3月9日、アディスアベバ=ジブチ鉄道の建設計画とともに皇帝の裁可を受け、フランスの切手印刷局に最初の切手の印刷が発注されました。切手の製造を担当したのは、1896年のギリシャのオリンピック切手や、フランスの“ムーション・タイプ”などの切手のデザイナーとして知られるルイ=ユージン・ムーションで、最初の切手が首都アディス・アベバとハラールの郵便局に配給されたのは1895年になってからのことでした。 当初、郵便事業の実務はハラール駐在のカトリックの宣教師に委託されていましたが、イタリアの侵攻による第1次エチオピア戦争の余波で郵便物の逓送に遅れが生じるようになると、イルグは祖国スイスからスタッフを雇い入れ、アディスアベバ=ジブチ鉄道を用いて自前の郵便輸送を行いました。その後、ハラール駐在の宣教師による郵便物の仲介は、1904年、ディレ・ダワ(アディスアベバ=ジブチ鉄道は、当初、ハラールを通る予定でしたが、資金の節約のためにルートが変更され、ハラールを通らないことになったため、ハラールに最も近い鉄道上に新都市として、1902年に建設されました)に郵便局が開設されるまで続きました。 なお、エチオピアは1908年にUPUに加盟申請を行いましたが、エチオピアの植民地化を狙っていたイタリアはこれに強硬に反対したものの、最終的にイタリアの敗退を予想していたフランス・ロシア・スイスはエチオピアを支持し、同年11月1日、UPU加盟を果たしています。 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★ 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より) 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★ 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は11月5日(原則第1火曜日)で、以後、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
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