2011-12-12 Mon 23:10
1911年12月12日に英領インド帝国皇帝(にして大英帝国の国王)のジョージ5世が首都(行政府所在地)をカルカッタからデリーに移転すると宣言してから、ちょうど100年になりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
![]() これは、1991年にインドで発行されたニューデリー60周年の記念切手で、ニューデリー中心部の主要な建物が連刷形式で取り上げられています。ニューデリーを首都とする宣言が出されたのは1911年ですが、そこからスタートした新首都が完成したのは1931年でしたので、切手は後者から起算した年回りで発行されました。 ムガール帝国の時代、帝国の首都はデリーに置かれていましたが、1858年に大反乱(いわゆるセポイの乱)を鎮圧してインドを制圧したイギリスはカルカッタに行政府を置きました。しかし、カルカッタはインド全体からみると東に偏っていることもあって、旧ムガール帝国の帝都であったデリーこそインドの首都にふさわしいとの声は根強く、ジョージ5世による1911年12月の遷都宣言になったというわけです。 ジョージ5世の宣言を受けて、ムガール帝国時代の首都中心部(現在、オールドデリーと呼ばれている地域)の南側、シャー・ジャハンが建設した地域にあった副王の宮殿に新首都の礎石が置かれ、エドウィン・ラッチェンスとハーバード・ベイカーにより新都の都市計画が立案されました。 ラッチェンスの立案した都市計画は、第一次世界大戦で戦死した兵士を追悼するためのインド門から総督府(現大統領官邸)まで東西に伸びるラージパト通りを中心に、そこから放射状に街路を伸ばす構造となっており、ラージパト通りと平行にベイカーの設計した国会議事堂など行政機関が配されています。また、放射状の街路のもう一つの焦点であるコンノートプレイスは、商業地区として建設されました。 ちなみに、現在のインドでは、オールドデリーとニューデリーを含む“デリー首都圏”が置かれていますが、日本語の媒体では「インドの首都は“ニューデリー”」とされることが多いようです。 ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★ ![]() 年賀状の戦後史 角川oneテーマ21(税込760円) 日本人は「年賀状」に何を託してきたのか? 「年賀状」から見える新しい戦後史! ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星、TBSラジオ鈴木おさむ 考えるラジオ(12月10日放送)、12月11日付『京都新聞』で紹介されました。 amazon、bk1、e-hon、HMV、livedoor BOOKS、紀伊國屋書店BookWeb、 セブンネットショッピング、楽天ブックスなどで好評発売中! ★★★ 好評既刊より ★★★ ![]() ハバロフスク(切手紀行シリーズ④) 彩流社(本体2800円+税) 空路2時間の知られざる欧州 大河アムール、煉瓦造りの街並み、金色に輝く教会の屋根… 夏と冬で全く異なるハバロフスクの魅力を網羅した歴史紀行 シベリア鉄道小旅行体験や近郊の金正日の生地探訪も加え、充実の内容! amazon、bk1、e-hon、HMV、livedoorBOOKS、紀伊國屋書店BookWeb、セブンネットショッピング、楽天ブックスなどで好評発売中! |
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