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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 泰国郵便学(17)
2011-12-26 Mon 18:14
 財団法人・日本タイ協会発行の『タイ国情報』第45巻第6号ができあがりました。僕の連載「泰国郵便学」では、今回は朝鮮戦争とタイとのかかわりを書きました。その中から、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        国連軍参戦(タイ)

 これは、1951年に韓国が発行した国連軍参戦感謝の切手の1枚で、国連マークを挟んで、タイと韓国の国旗が並べて描かれています。

 1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発すると、7月7日、国連安保理は北朝鮮の何侵を食い止めるべく、国連軍の創設を決議。翌8日、マッカーサーが国連軍司令官に就任しました。

 すでに1946年12月、“敗戦国”としては最初に国連への加盟を実現していたタイも、国連軍の一員として朝鮮に派兵。1950年9月、陸軍の第21歩兵連隊の第1大隊がまず朝鮮に到着します。

 開戦以来、朝鮮人民軍は奇襲攻撃の利を生かして破竹の勢いで南侵を続け、韓国・国連軍は朝鮮半島島南端の釜山周辺、いわゆる釜山橋頭堡にまで追い詰められ、北朝鮮による半島統一は目前に迫ったかのように思われていました。しかし、北朝鮮側の補給路が伸びきったところを見計らい、マッカーサーは9月15日に仁川上陸作戦を敢行。さらにソウルを奪還して朝鮮人民軍の補給路を断ち、南北からこれを挟撃します。その結果、朝鮮人民軍は北緯38度線以北へと退却を余儀なくされますが、退却できなかった将兵は韓国内の山中を拠点にゲリラ戦を展開しました。

 タイの第21歩兵連隊は、こうしたタイミングで朝鮮に到着しましたが、小規模の兵力しかなかったため、北朝鮮を殲滅するために韓国軍と国連軍主力(実質的には米軍)が38度線を越えて中朝国境の鴨緑江まで進撃を続ける間、主として38度線以南の地域で北朝鮮側の残地ゲリラの掃討戦に従事していました。

 その後、1950年10月、韓国・国連軍が中朝国境の鴨緑江にまで迫り、北朝鮮は国家滅亡の危機に追い込まれると、中国は「唇滅べば歯寒し」として人民志願軍を派遣。以後、朝鮮戦争は実質的に米中戦争となり、国連軍は38度線付近まで押し戻され、戦況は膠着状態に陥ることになります。

 こうした状況の下で、1951年7月31日から9月9日にかけて、朝鮮に派遣されたタイ軍は北緯38度線に近い漣川地区での防衛線に参加しています。タイ軍は、米第一騎兵師団とともに最前線に配置され、偵察任務を行いました。その後、パトロール中の8月18日、中国人民志願軍の2個中隊を発見して奇襲攻撃。敵に打撃を与え、9月7日、帰還しています。

 今回ご紹介の切手は、タイ軍が帰還した直後の9月15日に発行された1枚で、9月15日から10月14日までの1カ月間、ソウル中心部の光化門郵便局のほか、各道庁所在地の郵便局で発売されました。なお、切手発行後の1951年12月には、タイ軍は38度線を越えてすぐの港湾都市、海州付近で中国人民志願軍と戦っています。

 その後、朝鮮戦争は、1953年7月25日に板門店で休戦協定が調印され、ひとまず戦闘は終結します。その直前の1953年3月23日から7月8日にかけて、タイ軍は高原道の漣川北西、板門店にも近いポークチョップ・ヒルでの戦闘にも参加しました。なお、休戦間際のポークチョップ・ヒルの戦いは、1959年にルイス・マイルストーン監督、グレゴリー・ペック主演の戦争映画『勝利なき戦い』の舞台となっているので、映画を見てご記憶の方もあるかもしれません。

 ポークチョップ・ヒルの戦いは、米第2師団とタイ第2歩兵連隊が中国人民志願軍第113師と戦った戦闘で、第2歩兵連隊は中国側の進撃を食い止め、その功績により“リトル・タイガー”の称号を与えられました。さらに、7月14日から休戦協定が調印された27日までは、軍事境界線に接する激戦の“鉄の三角地帯”(鉄原=平康=金化を結ぶ地域)内の、金化と平康の間に位置する第351高地での戦闘に参加し、接近戦でも中国人民志願軍に大きな打撃を与えています。

 なお、この時の防衛線が現在の軍事境界線となっており、平康郡の南面の一部分が韓国に、残る大部分は北朝鮮の統治区域となり、金化郡に関しては、南部の1邑7面(金化邑・西面・近北面の一部・近東面・近南面・遠東面の一部・遠南面・任南面の一部)が韓国の実行支配下に入ることになりました。平康・金化両郡は、北朝鮮側の当地区郁に入るものと想定されていただけに、タイ軍の活躍は韓国の支配地域をわずかとはいえ広げるものとなりました。

 こうして、タイ軍にとっての朝鮮戦争は終わります。タイ軍の兵員は陸海軍合わせてのべ1万9000名が参戦し、125名が戦死しました。その遺体は、当初は韓国・釜山のUN記念墓地に収容されましたが、のちに大半が祖国へ送り届けられたそうです。

 休戦に伴い、1955年1月にタイ海軍のコルベット艦は本国に帰還しましたが、その後も、1970年代まで地上部隊は韓国駐留を継続します。そして、彼らの存在ゆえに、韓国に駐留していた国連軍部隊は、米軍以外の人員も含まれるという意味で、“国連軍”としての体裁を保つことになるのです。
 

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