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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 マリ大統領選挙
2013-07-28 Sun 16:42
 2012年の北部争乱以来の混乱が続いているマリで、きょう(28日)、国家再建への節目となる大統領選挙が行われます。というわけで、マリ大統領の切手ということで、この1枚を持ってきました。

       モディボ・ケイタ

 これは、マリが独立直後の1961年に発行した初代大統領、モディボ・ケイタの切手です。

 ケイタは、1915年、バマコ近郊の村(バマコ・クラー)の生まれ。リュフィスク(ダカールの東25キロの都市)にあったウィリアム・ポンティ高等師範学校に学び、同校を卒業後は教師としてバマコやシカソ、トンブクトゥなどに派遣されました。

 1946年にアフリカ民主連合(RDA)が結成されると、その支部としてスーダン連合を創設し、その党首として民族運動を展開。汎アフリカ主義者で、ウィリアム・ポンティ高等師範学校出身のエリートには珍しく急進的な民族主義者という面もあったことから、各植民地がそれぞれ分離独立し、個別にフランス政府と直接交渉して支援を仰ぐべきと主張するウーフェ・ボアニ(彼もまた、ウィリアム・ポンティ高等師範学校の出身です)と対立。ボアニと並ぶ大物民族主義者であったサンゴールに接近し、1960年、仏領スーダンとセネガルからなるマリ連邦の独立を達成し、初代大統領に就任しました。

 ところで、旧スーダンとセネガルを比較すると、人口と面積においては旧スーダンがセネガルを圧倒していましたが、経済的には、ダカールやサン・ルイ、ゴレなどを有するセネガルが旧スーダンに比べてはるかに豊かでした。

 このため、旧スーダン出身のケイタは、中央集権的な国家体制をつくってセネガルと一体化することで、セネガルの資金を利用して旧スーダンの開発を進め、連邦全体の底上げを図ろうと考えたわけですが、そのことは、セネガルにとっては、フランス植民地時代よりも、さらに過重な負担を強いられるものと受け止められました。

 さらに、大統領のケイタは、マリ連邦として、独立以前から使われていたCFAフランを廃して、将来のアフリカ統一に向けて新通貨を創設することを主張。これに対して、セネガル側は、国家としての対外的信用の乏しいまま新通貨を導入してもCFAフランよりも有利なレートを設定できるはずはなく、共通通貨であるCFAフランから離脱すれば西アフリカの共通市場から締め出されることになりかねないと猛反発。両者の亀裂は修復不能な状態となります。

 その結果、1960年8月20日、首都ダカールに閣僚が集まり、連邦の新制度や正式な大統領の選出方法などについて討議していたところ、突如、「ケイタ大統領はあくなき野望を持ち、セネガル人圧迫のクーデターを企てた」として、セネガルのマリ連邦からの独立を宣言。大統領のケイタ以下、旧スーダン側の閣僚や公務員たちは軟禁され、翌21日、ダカール駅から臨時列車に乗せられて、スーダンへ追い返されてしまいました。

 当然のことながら、ケイタら旧スーダン側は激怒し、ケイタはセネガルの独立阻止のために国連軍の派遣を要請しましたが、国連側は、セネガル独立はマリ連邦の“内政問題”として部隊の派遣を拒否。このため、ケイタもセネガルの独立を承認せざるをえなくなり、1960年9月22日、旧スーダンの領域のみで、あらためて現在の“マリ共和国”として独立。ケイタは改めて新生マリ共和国の初代大統領となりました。

 大統領としてのケイタは、アフリカ社会主義を標榜してソ連への傾斜を強め、ソ連の指導を仰ぎつつ、銀行国有化や共同農場の創設などの社会主義的政策を遂行するとともに、1961年中には、農業・手工業の開発・近代化ならびに教育・保健の近代化を柱とする経済・社会開発5ヵ年計画を発動しました。しかし、反仏・民族主義路線を強めていたケイタ政権は、1962年、CFAフランから離脱し、独自のマリ・フランを導入したことで国際経済から孤立。5ヵ年計画は惨憺たる失敗に終わります。

 このため、自らの政治的権威が大きく傷ついたケイタは、文化大革命を発動した毛沢東に倣って事態を打開することを企て、1967年8月22日、人民兵が主導する“文化革命”を発動。政権与党だったスーダン同盟の全国政治局は解体され、大統領直轄の“革命防禦全国委員会”が政府・政党を統制すると宣言します。

 しかし、ケイタの文化革命は、毛沢東の文革の亜流にさえなれず、マリの国軍は自分たちを無視して新たな“人民軍”が組織されたことに猛反発。国軍はケイタに対して“人民軍”の解散ないしは“人民軍”を国軍の指揮下に編入することを要求したが、ケイタがこれを拒否し、国軍の粛清に乗り出そうとしたため、1968年11月19日、ムーサ・トラオレ陸軍大尉率いる無血クーデターが発生し、ケイタ政権は崩壊しました。

 クーデターの結果、ケイタは捕らえられて北部砂漠地帯のキダル刑務所に収監され、1977年5月16日に獄死しています。

 なお、マリとその歴代大統領については、拙著『マリ近現代史』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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