2013-01-25 Fri 14:02
南アフリカ(南ア)北東部リンポポ州で、20日夜から続いた大雨による洪水でワニ養殖場からワニ1万5000匹が脱走し、養殖場や周辺の人々は避難を余儀なくされるなど、騒ぎになっているそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1933年に発行されたバストランド最初の切手のうちの5シリング切手で、英国王ジョージ5世の下にワニが描かれています。 18世紀末、金やダイヤモンドの鉱脈を狙ってアフリカ南部に到来したイギリス人は、すでにこの地に住んでいたオランダ系のアフリカーナー(ボーア人)と戦い、ナポレオン戦争中の1795年、ケープタウンを占領。1806年には、ケープ植民地全体を接収します。 ナポレオン戦争後の1815年、ケープ植民地は正式にオランダからイギリスへ譲渡されました。これに伴い、イギリス人の移民が大量に流入したため、アフリカーナーはイギリスの圧迫を逃れて北東部の奥地へ大移動を開始し、先住アフリカ人諸民族と戦いながらトランスヴァール共和国やオレンジ自由国、ナタール共和国を建国しました。 これに対して、現在の南アフリカ共和国北部に居住していた先住民のソト族は、アフリカーナーの進入に対抗するため、イギリスの保護を受けるようになり、1868年、その居住地域はイギリスの保護領として英領バストランドとなります。 1871年、バストランドはイギリスの保護領から植民地となり、翌1872年、現在のレソトの首都であるマセル等にイギリスの郵便局が設けられました。英領ケープ植民地の切手が持ち込まれて使用されるようになったのは、1876年ごろのことです。 その後、1884年には植民地から保護領にもどり、南アフリカ連邦が発足した1910年からは南ア連邦の切手が使用されていましたが、1933年、今回ご紹介しているようなバストランドとしての最初の正刷切手が発行されました。 その後、1959年、イギリスから自治が認められますが、これに伴い、通貨単位もそれまでのポンドからランドに変更。さらに、1965年の自治政府時代を経て、翌1966年10月4日、レソト王国として独立し、英連邦に加盟しました。 なお、南アを中心とした南部アフリカでは、ナイルワニ(別名ニトティカス。全長4-6m、体重300-1000キロ)を中心にワニの養殖が盛んに行われており、食肉用や高級革製品の材料として輸出されています。鳥獣料理としては、鶏肉に味の近いワニ肉は、塩焼や唐揚にすると美味で、南アでは、インパラ、ダチョウと並び、人々に好まれています。拙著『喜望峰』では、残念ながら、ワニ肉のことは触れられませんでしたが、日本でも食べられる店はありますので、機会がありましたら、ぜひお試しください。 【世界切手展BRASILIANA 2013のご案内】 僕が日本コミッショナーを仰せつかっている世界切手展 <BRASILIANA 2013> の作品募集要項が発表になりました。国内での応募受付は2月1―14日(必着)です。詳細はこちらをご覧ください。 ★★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★★ 『喜望峰:ケープタウンから見る南アフリカ』 いままでなかった喜望峰とケープタウンの物語 美しい風景とウンチク満載の歴史紀行!! アマゾン、セブンネット、版元ドットコム、楽天ブックス、e-hon、hmv、honto、JBOOK、livedoor BOOKSなどで好評発売中! なお、本書をご自身の関係するメディアで取り上げたい、または、取り上げることを検討したい、という方は、是非、ご連絡ください。資料を急送いたします。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
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