2020-03-30 Mon 01:09
新型コロナウィルスの感染拡大を防ぐため、今月28日から1週間、国民に対して自宅に留まることが強く求められ、食料品店や薬局を除くほぼ全ての店舗が休業しているロシアで、「プーチン大統領の命令で、ロシア全土にライオンとトラ合わせて800頭が既に放たれた」という噂が流れたところ、ザハロワ報道官は「大統領が街にライオンとトラを放つというのは面白い。だが、伝統と効率を考えて実はクマを放っているのだ」と冗談を交えて噂を否定したそうです。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
![]() これは、1948年にソ連が発行した“イヴァン・シーシキン没後50年”の切手のうち、クマを描いたロシア絵画の中で最も有名な作品とされる「松林の朝」を取り上げた1枚です。 イヴァン・シーシキンは、1832年、現在、タタールスタン共和国内にあるエラブガで生まれ、カザンのギムナジウムを卒業しました。その後、モスクワ絵画・彫刻・建築学校ならびにサンクトペテルブルクの帝国芸術アカデミーで学び、アカデミーを首席で卒業した褒賞としてスイスおよびドイツ各地で制作を行います。 帰国後、アカデミーの会員となるとともに、既存のアカデミーの流儀に飽き足らず、ロシア各地で移動展覧会を開いた“移動派”の一員ともなり、幅広く活躍しました。 特に、その風景画は細部に至るまで緻密な筆致で描かれ、ロシアでは非常に人気が高い作家で、極東美術館副館長のリュドミラ・コズロワは、その作品を「ロシアの森の美しさ、ロシアの大地の広大さ、それからおそらくロシア人に特徴的なロシア気質の明るさについても、叙述的に物語っている風景画」として「叙事詩的」と評しています。 今回ご紹介の切手に取り上げられた「松林の朝」は139×213センチのカンヴァスに描かれた油彩作品で、もともとは、作品中にクマは描かれていませんでした。実は、シーシキンは自他ともに認める風景画の名手ではあったものの、動物画には自信がなかったため、友人で動物画を得意とするコンスタンティン・サヴィツキーに、「松林の朝」にクマを加えるよう依頼。これを受けて、サヴィツキーは、松の倒木で遊ぶ3頭の子熊とそれを見守る母熊を描き加えて、「松林の朝」は、1889年に開催された第17回移動派美術展覧会(移動展)に2人の共作として出品されました。このため、オリジナルの作品には、シーシキンとサヴィツキーの2人の署名があります。 ところが、展覧会の終了後、ロシア屈指の大富豪で美術品の収集家としても有名だったパーヴェル・ミハイロヴィッチ・トレチャコフがこの作品を購入。トレチャコフは、シーシキン単独の作品としたほうが絵の価値が上がると考え、サヴィツキーの署名を消してしまいました。(ただし、完全には消せなかったため、サヴィツキーの署名も不鮮明ながら残っています) その後、「松林の朝」を含むトレチャコフのコレクションは、自宅を改装したギャラリーともども、1892年8月にモスクワ市に寄贈され、現在はトレチャコフ美術館の所蔵品となっていますが、こうした経緯から、「松林の朝」はシーシキン単独の作品として紹介されることが多く、今回ご紹介の切手もシーシキンの作品として「松林の朝」を取り上げています。 ちなみに、サヴィツキーが描き加えたクマの部分は、ソ連時代のチョコレートキャンディー、“ミーシカ・コソラープイ”の包装紙に取り上げられ、ソ連国民の日常生活に広く浸透していました。KGB出身のプーチン大統領も、おそらく、幼少期にはミーシカ・コソラープイを食べて育ったことでしょうから、やはり、ロシア全土に放たれる(ばらまかれる?)のはクマの方がしっくりくるということなんでしょうかね。 ★★ 内藤陽介の最新刊 『日韓基本条約』 ★★ ![]() 出版社からのコメント 混迷する日韓関係、その原点をあらためて読み直す! 丁寧に読むといろいろ々発見があります。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
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