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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 共産主義犠牲者の国家的記念日
2021-11-07 Sun 03:39
 きょう(7日)は、1917年11月7日(ロシア暦10月25日)にロシア10月革命が起こり、ボリシェヴィキ政権(ソヴィエト社会主義ロシア共和国)が発足したことにちなむロシア革命記念日であると同時に、米国では“共産主義犠牲者の国家的記念日”とされています。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アフガニスタン・ロシア革命70年

 これは、1987年11月7日、親ソ政権下のアフガニスタンが発行した“ロシア革命70年”の記念切手で、アフガニスタンを代表する芸術家、アブドゥル・ガフール・ブレーシュナーが1970年に描いたレーニンの肖像が取り上げられています。

 ブレシュナーは、1907年4月10日、英保護国時代のカブールで生まれました。独立後の1921年、国王アマーヌッラー・ハーンにより留学生としてドイツに留学し、ミュンヘンで絵画と石版画を学び、1931年、ドイツ人の妻を伴い帰国しました。画家としてのみならず、詩人、作曲家、映画監督としても活躍。共和革命後、1973-78年のムハンマド・ダーウード政権下でのアフガニスタン国歌には彼の作品が採用されていました。1974年、カブールで没。

 さて、1978年の4月革命により、アフガニスタン人民民主党(共産党)がダーウード政権を打倒して政権を掌握。人民民主党は革命以前からソ連の支援を受けていたため、同年12月、革命評議会議長のムハンマド・タラキーはモスクワを訪問し、内乱条項を含むソ連=アフガニスタン友好善隣協力条約を締結して、アフガニスタンは完全にソ連の勢力圏内に組み込まれることになります。

 ソ連のアフガニスタン政策は、アフガニスタンは安定的な親ソ政権(共産主義政権である必要はない)の支配下に置き、インド洋につながるルートの安全な通行を確保することが最も重要な課題でした。ところが、4月革命で成立した人民民主党政権は、党内にタラキー率いるハルク派とバブラク・カールマル(カルマルとも)の主導するパルチャム派の深刻な対立があったことに加え、土地改革をはじめとする急進的な社会主義政策を強行して国民各層の反感は招いていました。このため、急激に沸点に達します。

 このため、はやくも1978年10月、クナールでムスリムの反乱が発生したのを皮切りに、各地でムジャーヒディーン(ジハードを戦うイスラム戦士)の抵抗運動が頻発。翌1979年3月、ヘラートでイスラム主義者による大規模な武装デモが展開され、5000人もの死者が発生したことで、反政府闘争は公然化し、アフガニスタン全土は実質的な内戦に突入します。

 混乱の中で、1979年9月、大統領のタラキーが殺害され、政権ナンバー2のハフィーズッラー・アミーンが全権を掌握。アミーン政権は、ソ連のさらなる支援を得てアフガニスタンの社会主義化を強行しようとしていましたが、ソ連としては、急進的な社会主義化政策を強行することによって、アフガニスタン国内のイスラム抵抗運動をさらに激化させていたアミーン政権は大いなる懸念材料でした。

 また、1979年2月の革命を経てイスラム共和国体制を樹立していたイランは、親米国家から反米国家へと変質したとはいえ、東西冷戦の二極構造を前提とする既存の国際秩序に異議を唱え、周辺にイスラム的な世界秩序を拡大する姿勢(“革命の輸出”路線)を示していました。イラン発のイスラム原理主義運動がアフガニスタンに波及し、さらには、連邦を構成する中央アジア諸国へと波及することになれば、それはただちに「社会主義共和国連邦」というソ連の体制の根幹を揺るがしかねません。

 そこで、ソ連は、性急な社会主義化を強行して国内のイスラム抵抗運動を激化させているアミーン政権を排除し、イスラム抵抗運動を緩和しうる穏健な共産主義政権の樹立を企て、1979年12月27日、前年に締結した善隣協力条約に基づいてアフガニスタンに軍事介入。アミーンを暗殺し、ソ連の意向に忠実なバブラク・カールマルを革命評議会議長(国家元首)とする親ソ体制を樹立します。

 友好善隣協力条約が締結されていたとはいえ、ソ連正規軍がアフガニスタンに直接侵攻するという異常事態は、全世界から衝撃をもって受け止められ、多くの国がソ連を非難し、西側諸国は1980年のモスクワ五輪をボイコット。ムジャーヒディーンはパキスタン、サウジアラビア、米国、中国などの支援を得て反ソ闘争を展開し、アフガニスタン情勢は泥沼化します。

 1985年3月11日、ソ連共産党書記長に就任したミハイル・ゴルバチョフは、ソ連の国力ではこれ以上アフガニスタンに軍事介入し続けることは困難と考えていたことから、撤退に反対する国内の保守派とも妥協を重ねつつ、アフガニスタンからのソ連軍の“名誉ある撤退”の道を模索。1986年2月のソ連共産党27回党大会で、アフガニスタンからの出口戦略について、ソ連軍は「アフガニスタン政府の要請により」撤退することを表明します。

 これに対して、カールマルはあくまでも駐留ソ連軍の支援で自らの権力を維持することに執着したため、5月4日、ソ連軍包囲下のカブールで開催された人民民主党中央委員会で、カールマルは党書記長の辞任に追い込まれ、ムハンマド・ナジーブッラーが新書記長として選出されました。(革命評議会議長の職務は、チャムカーニーが議長代行として遂行)

 ナジーブッラーは、ソ連撤退後のアフガニスタンの新たな政治的枠組みを提示するため、1987年6月14日、「アフガニスタンは完全に統一された独立、非同盟中立、イスラムの国になるべきだ」と発言し、国民和解のため、旧王党派とも接触の用意があることを明言。さらに、同27日には“アフガニスタン共和国”の新国名(従来の“アフガニスタン民主共和国”から社会主義国の象徴としての“民主”をはずす)を採用する方針を、翌28日には人民民主党の一党独裁体制を廃して複数政党制を導入する方針を発表します。

 新体制に向けての準備が進められていく過程で、9月30日、ナジーブッラーは革命評議会定例会議で正式に革命評議会議長(兼同幹部会議長)に選出され、晴れて国家元首の身分で訪ソし、11月2日、今回ご紹介の切手の題材であるロシア革命70周年記念式典に参加。モスクでゴルバチョフとも会談。ゴルバチョフがソ連軍のアフガニスタンからの全面撤退への同意をアフガン側に求めると、ナジーブッラーはこれを了承したうえで、ソ連軍撤退後のアフガニスタンの新体制(案)について報告し、ソ連側の了解を得ました。

 そして、1978年2月、ゴルバチョフは、同年3月15日までにアフガニスタン問題での和平合意に調印し、5月15日からソ連軍の撤退を開始、十ヵ月以内に撤兵を完了するとの声明を発表。これを受けて、当初予定よりは一月遅れたものの、4月14日には、アフガニスタン、パキスタン、米国、ソ連の4国による和平合意が成立します。こうして、ソ連軍のアフガニスタンからの撤兵は予定通り同年5月15日から開始され、1989年2月15日までに完了。9年に及んだ”ソ連軍のアフガニスタン侵攻”は、ソ連軍1万4453、アフガニスタン国軍1万8000、ムジャーヒディーン7万5000ー9万を出してようやく終結しました。ただし、ソ連軍の撤退後も、政府軍やムジャーヒディーン同士による戦闘が続き、アフガニスタンでは延々と紛争が続いていくことになります。

 さて、現在、今月末までを目標に、アフガニスタンを題材とした書籍を刊行すべく、作業を進めています。その事前プロモーションとして、本日・11月7日13時から、東京・浅草の都立産業貿易センター台東館で開催の全国切手展<JAPEX2021>会場内にて、「アフガニスタン現代史」と題するトークイベントを行いますので、ぜひ、遊びに来ていただけると幸いです。(切手展の詳細はこちらをご覧ください) 

 *昨日(6日)の<JAPEX>会場内での拙著『切手でたどる郵便創業の歴史 vol.2 戦後編』の出版記念イベントは、無事、盛況のうちに終了しました。ご参加いただいた皆様、開催の労を取ってくださったスタッフの方々には、改めて、この場をお借りしてお礼申し上げます。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内★

 全国切手展<JAPEX 2021> 於・都立産業貿易センター台東館
 11月7日(日) 13:00~ 「アフガニスタン現代史」
 * 12月下旬にえにし書房から刊行予定の「アフガニスタン近現代史(仮)」の事前プロモーションを兼ねたイベントです。

 イベントそのものは事前予約不要・参加費無料ですが、会場の切手展へは入場料が必要です。切手展の詳細は、主催者サイトをご覧ください。

 11月8日(月) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。


★ 『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.2 戦後編』 11月20日刊行! ★

      切手でたどる郵便創業150年の歴史②表紙 2530円(本体2300円+税)

 明治4年3月1日(1871年4月20日)にわが国の近代郵便が創業され、日本最初の切手が発行されて以来、150年間の歴史を豊富な図版とともにたどる3巻シリーズの第2巻。まずは、1945年の第二次大戦終戦までの時代を扱った第1巻に続き、第二次大戦後の1946年から昭和末の1989年までを扱っています。なお、2022年3月刊行予定の第3巻では平成以降の時代を取り扱う予定です。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 
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