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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 タイ=カンボジア国境で交戦
2011-02-05 Sat 19:21
 世界遺産のプレアヴィヒア寺院周辺にあるタイとカンボジアの国境未画定地域付近で、きのう(4日)からきょう(5日)にかけて両国軍が2度交戦し、カンボジア側によると、カンボジア人兵士2人と民間人1人が死亡、12人が負傷し、タイ軍兵士が23人死亡、数十人が負傷したとのことです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        プレアヴィヒア寺院(1963)

 これは、1963年にカンボジアが発行したプレアヴィヒア寺院の切手です。

 現在のタイとカンボジアならびにラオスとの国境は、基本的に、1893年のパークナーム事件の後、フランスがタイの領土や属国の一部を併吞した結果として、1904年に画定されたものですが、カンボジアとタイ国境にあるダンレク山地内については未確定なままになっていました。

 このため、プレアヴィヒア寺院を含む山地内土地については、タイと仏印ならびに独立後のカンボジアがそれぞれ領有権を主張していました。このため、問題はハーグの国際司法裁判所に持ち込まれ、1962年、とりあえず寺院そのものはカンボジア領とされましたが、周辺の土地の帰属は確定されませんでした。

 その後、カンボジアは1970年代から内戦に突入し、この問題も棚上げとなっていましたが、1993年に内戦が終結し、カンボジアが急速に復興を遂げていく中で、2008年、カンボジアはプレアヴィヒア寺院のユネスコ世界遺産への登録申請を行います。これに対して、もともとカンボジアそのものがタイの属国であったという歴史認識をもつタイ国民の多くが激昂。同年7月、外務大臣がカンボジアによる世界遺産登録に反対しなかったため辞職に追い込まれると、それに報復するかのように、カンボジア側はタイ人3人が寺院に不法侵入したとして彼らを拘束し、一事、国境地帯で両国の軍隊がにらみ合う状況となりました。

 以来、プレアヴィヒア寺院問題は、タイとカンボジアの間の火種としてくすぶっており、それが今回の衝突につながったというわけです。

 なお、タイ側が主張するように、かつてカンボジア西部のバッタンバンやシェムリアップなどはタイ領としてタイの切手が使われていましたが、その実例については、拙著『タイ三都周郵記』でもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

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