2010-08-03 Tue 13:05
アフリカ西部・サハラ砂漠南縁の国、ニジェールが1960年8月3日に独立してから、きょうでちょうど50年です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、独立直後のニジェールが発行した切手で、自治共和国時代に発行された100フランの切手に、“独立”を意味するフランス語と独立の年月日、それに200フランの新額面が加刷されています。 ニジェールの国名の由来となったニジェール川は、もともと、この地域の遊牧民トゥアレグ族の言葉で“川”を意味する“ニエジーレン”ないしは“エジーレン”と呼ばれていました。しかし、この地を征服したフランス人は、これをラテン語の“黒”を意味するニジェールと誤解し、これが川の名前として命名されたといわれています。なお、ニジェールの南側に隣接するナイジェリアの地域は英領であったため、“ニジェール”の語を英語読みにした呼び方になりました。 さて、建国時のニジェールは台湾と国交関係を築いており、共産中国とは国交がありませんでした。しかし、1974年4月に陸軍のセイニ・クンチェ参謀長がクーデターで軍事政権「最高軍事評議会」を樹立すると、台湾と断交し、中国と国交を樹立します。 1987年11月、クンチェは亡くなり、彼の後を継いだサイブ政権は民政移管を宣言し、1989年12月、新憲法下でサイブが初の共和国大統領に選出されました。その後、1991年11月に改めて、国民投票・議会選挙・大統領選挙が実施され、軍事政権時代の野党連合である「変革勢力同盟」が勝利をおさめ、ウスマン党首が大統領に選出されます。ウスマン政権は、前政権の政策をことごとく否定しましたが、その一環として、1992年6月、台湾と国交を回復。これに激怒した中国は、翌7月、ただちにニジェールと断交しました。 その後、1996年1月、マイナサラ参謀長による軍事クーデターが発生し、2月の民政移管宣言を経て7月の大統領選挙でマイナサラが新大統領に選出されます。マイナサラは、再び台湾と断交し、中国との国交を回復。以後、中国はニジェールの石油とウランに目をつけ、積極的なニジェール支援を展開しました。 マイナサラは、1999年4月、軍事クーデターによって殺害され、同年11月の大統領選挙で「発展社会国民運動」のママドゥ・タンジャが当選。タンジャは中国からの支援を背景に、国内の政治基盤をかため、10年間にも及ぶ長期政権を運営していましたが、2009年に憲法を改正し、自身任期延長と大統領の三選禁止規定の廃止を強行したことから、これに反発する軍事クーデターが2010年2月に発生。タンジャは拘束され、「民主主義復興最高評議会」議長のサル・ジボが“暫定国家元首”に就任しています。 これまでの歴史からすると、親中派大統領を追放して誕生した新政権は、台湾との国交を回復してもよさそうなものですが、現状ではそうした動きは見られません。このため、ニジェール駐在の中国大使は、政権交代後も、引き続き、ニジェールの資源開発とインフラ整備に数10億ドル規模の資金を投じることを表明しています。 ただし、ニジェールは海をもたない内陸国であるため、資源採掘から輸送に至るまでの交通インフラの整備には周辺国、なかでも、ニジェールからの石油パイプラインの通過地点として想定されている隣国ベナンとの友好関係が必須条件となります。それゆえ、中国としては、ニジェールの資源を確保するためにも、ベナンに対してニジェールとの友好関係を維持させるべく、いっそうの札束攻勢を展開していくということになりそうです。 そういうことであれば、わが国も、中国がベナンなりニジェールなりに支援しているのと同額を対中支援から削減し、その分、両国への直接支援を上積みしたほうが良いように思えてならないんですがねぇ。 ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★ 総項目数552 総ページ数2256 戦後記念切手の“読む事典”(全7巻) ついに完結! 『昭和終焉の時代』 日本郵趣出版 2700円(税込) 2001年のシリーズ第1巻『濫造濫発の時代』から9年。<解説・戦後記念切手>の最終巻となる第7巻は、1985年の「放送大学開学」から1988年の「世界人権宣言40周年」まで、NTT発足や国鉄の分割民営化、青函トンネルならびに瀬戸大橋の開通など、昭和末期の重大な出来事にまつわる記念切手を含め、昭和最後の4年間の全記念・特殊切手を詳細に解説。さらに、巻末には、シリーズ全7巻で掲載の全記念特殊切手の発行データも採録。 全国書店・インターネット書店(amazon、bk1、JBOOK、livedoor BOOKS、7&Y、紀伊国屋書店BookWeb、ゲオEショップ、楽天ブックスなど)で好評発売中! |
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