2013-06-28 Fri 17:27
中国政府は、きのう(27日)、国連のマリ平和維持活動(PKO)部隊に治安隊を派遣することを決定しました。というわけで、マリと中国の歴史的な関係を示すものとして、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
![]() これは、1974年にマリで発行された“中華人民共和国建国25周年”の記念切手で、毛沢東の下、万里の長城にたなびく赤旗が描かれています。 マリと中国との間で外交関係が樹立されたのは1960年10月25日のことです。ちなみに、わが国がマリを国家承認したのも1960年10月のことで、東アジア諸国の中で中国が特別に早くマリと国交を結んだというわけではありません。 しかし、早くも1961年2月には、中国はマリとの間に貿易協定を調印。1963年5月には文化協力協定を調印するなどして関係を深め、1964年1月16日から21日の国務院総理(首相)の周恩来のマリ訪問(アジア・アフリカ諸国歴訪の一環として行われた)を機に、マリを親中派として確保することに成功します。 当時、国連の代表権を有していなかった中国は、“国連の一票”としての新興独立諸国を親中派として育成することを重要な外交課題としていました。国連の代表権を台湾の国民党政権から奪取するためには、そうした親中派諸国の票固めが不可欠でしたし、中ソ対立が激化していく中で、“国際世論”の圧力により、西側諸国に借りを作ることなく、ソ連を牽制することも可能になると考えられたためです。 こうしたことから、中国は、1954年にインドとの共同声明の形で発表した「平和5原則」の応用編として、アフリカ諸国との外交の基本方針となる“5原則”を掲げました。その内容は、①帝国主義に反対し、民族独立をかちとり、これをまもる闘争を支持する、②平和中立・非同盟政策を支持する、③自ら選んだ方式で団結と統一を実現する戦いを支持する、④平和的教義による紛争の解決を支持する、⑤主権尊重、いかなる侵略・鑑賞にも反対する、というものでした。 そのうえで、1964年1月、マリを訪問した周恩来は、大統領モディボ・ケイタとの共同コミュニケにおいて、上記の5原則からさらに踏み込んだ「対外経済援助8原則」を発表します。 その内容は、①平等互恵に基づく相互主義、②援助にはいかなる条件も付けず、援助国である中国にはいかなる特権を与える必要はない、③援助に際しては、無利子または低利借款など、受領国の負担を軽減する措置を講じる、④自立更生・自立化を支える援助を行う、⑤資金蓄積に役立つ建設項目を重視する、⑥価格の決定は国際市場価格による、⑦援助受領国の要員に技術を完全に把握させる、⑧援助のために派遣される中国人専門家の待遇は現地スタッフと同じものとする、という破格のもので、援助を受けるマリにとっては良いことづくめでした。 当然のことながら、ケイタは中国の“善意”を喜んで受け入れ、以後、この8原則が中国による低開発国援助のスタンダードとなります。1964年11月にはケイタが訪中し、中国からは1965年3月には国家副主席の劉少奇が、同年9月には国務院副総理兼外交部長(副首相兼外相)の陳毅がマリを訪問するなど、両国首脳の緊密な交流も行われ、マリは国連の代表権問題でも一貫して中国を支持するなど、西アフリカにおける親中派の代表格となります。 しかし、中国からの巨額の経済援助を受けたても、それ以前のケイタ政権による5ヵ年計画失敗のつけはあまりに大きく、国民の生活水準はほとんど向上しませんでした。 そうした中で、1966年10月、マリ政府の国防関係の代表団が、“プロレタリアート文化大革命(文革)”が始まったばかりの中国を訪問。当時、文革の権力闘争としての側面はほとんど明らかになっていなかったこともあって、紅衛兵の若者たちが『毛沢東語録』を振りかざして、毛沢東に熱狂し、既存の秩序を破壊して歩くさまは、外部世界からは、斬新な革命運動として好意的にとらえられることも少なくありませんでした。そのインパクトに衝撃を受けたフランスの映画監督、ジャン・リュック・ゴダールが『中国女』を制作し、1967年8月30日に公開したのはその典型的な事例といえましょう。 5カ年計画の失敗で自らの政治的権威が大きく傷ついていたケイタは、同じような境遇を脱却した毛沢東に倣って事態を打開することを企て、1967年8月22日、人民兵が主導する“文化革命”を発動。政権与党だったスーダン同盟の全国政治局を解体し、大統領直轄の“革命防禦全国委員会”が政府・政党を統制するものとしました。 しかし、ケイタの文化革命は、毛沢東の文革の亜流にさえなれず、マリの国軍は自分たちを無視して新たな“人民軍”が組織されたことに猛反発。国軍はケイタに対して“人民軍”の解散ないしは“人民軍”を国軍の指揮下に編入することを要求しましたが、ケイタはこれを拒否し、国軍の粛清に乗り出そうとしました。 事ここにいたり、ついに国軍が離反し、1968年11月19日、ムーサ・トラオレ陸軍大尉率いる無血クーデターが発生。ケイタ政権は崩壊し、ケイタは捕らえられ、北部砂漠地帯のキダル刑務所に収監され、1977年5月16日に獄死することになります。 なお、中国とマリ、双方の“文革”を通じて、中国では劉少奇や陳毅が、マリではケイタという実力者がそれぞれ失脚しましたが、両国の“友好関係”はその後も維持されています。 このあたりの、マリと中国との歴史的な関係については、拙著『マリ近現代史』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 ★★★ 内藤陽介の最新作 ★★★ ![]() 『マリ近現代史』 北アフリカ・マリ共和国の知られざる歴史から混迷の現在まで、 切手・絵葉書等で色鮮やかに再現したオールカラーの本格的通史! amazon、e-hon、hontoネットストア、Honya Club、JBOOK、7ネット・ショッピング、紀伊國屋書店、版元ドットコム、ブックサービス、文教堂、丸善&ジュンク堂書店、楽天ブックスなどで好評発売中! ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★ 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は7月2日、7月30日、9月3日(原則第一火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
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