2013-05-05 Sun 14:10
今日は拙著『マリ近現代史』の奥付上の刊行日です。いつもは、拙著の奥付上の刊行日には表紙カバーに使った切手やカバーについてご説明するのですが、きょうは“こどもの日”でもありますので、同書の扉に使ったこのマテリアルについてご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)
これは、2001年に当時のマリ共和国大統領・アルファ・ウマル・コナレの名義で差し出されたカードの表紙(左の画像)とその中身です。カードを開いた左下には、国家の将来のためには子供を大切にしなくてはいけないとの趣旨で「我々の将来の道は我々の子供たちによって我々にあらかじめ示されている」との文言があり、右側にはコナレ自身のサインとともに「マリ共和国大統領と家族はあなたのご厚意に感謝いたします」との文言も印刷されていますので、おそらく、名宛人によるマリの児童福祉への貢献(おおそらく、多額の寄付でしょう)に対する礼状と思われます。なお、前に向かって歩く子供の姿を後ろからとらえた写真は、将来に向かって進むマリの象徴ということなのでしょう。ちなみに、このカードは、下に示すようなマリ大統領府の封筒に入れられて、名宛人に届けられています。 今回ご紹介のカードに署名しているアルファ・ウマル・コナレは、1946年2月2日、カイの生まれ。1969年に首都バマコの高等師範学校を卒業した後、1971年から1975年まで、ポーランドのワルシャワ大学に留学し、帰国後、歴史家としてマリ国内の大学・研究機関に勤務し、名声を得ていました。 1978年、ムーサ・トラオレの軍事独裁政権は、名目的な“民政復帰”を前にソフト・イメージを演出する目玉人事として、コナレをスポーツ文化大臣に抜擢します。しかし、1980年、コナレは政権批判を理由に解任され、以後、反体制派知識人の代表的な存在として、1989年、マリ最初の独立系日刊紙『レゼコ(こだま)』を刊行するようになりました。 マリを代表する文化人の一人であり、国民的な人気も高かったコナレに対しては、トラオレ政権も手荒なことはできなかったため、彼の周囲にはしだいに民主化勢力が結集するようになります。そして、1990年以降、まず、複数政党制の導入と言論・集会の自由を求める運動が開始されましたが、トラオレはこれを時期尚早と一蹴。これをきっかけに、経済無策の独裁政権に対する国民の不満が一挙に噴出し、1991年の民主革命につながりました。 1992年5月11日に行われた大統領選挙では、コナレは1回目の投票で全投票の45%を獲得して1位となり、決選投票では69%を得票して、民主化後初の大統領に当選。2002年まで大統領を2期10年務め、この間、国内宥和と経済の再建に努め、退陣間近の2002年にはアフリカ最大のスポーツイベントの一つとされるサッカーのアフリカ・ネイションズ・カップのマリ開催を成功させています。彼が大統領だった10年間は、独立以降のマリの歴史の中では、最も安定した時代だったといってよいでしょう。 さて、拙著『マリ近現代史』では、コナレの下で曲がりなりにも民主化を実現していたマリが、なぜ、現在のような混迷に陥ったのか、そのプロセスについても詳しく解説しております。機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 ★★★ 内藤陽介の最新作 ★★★ 『マリ近現代史』 北アフリカ・マリ共和国の知られざる歴史から混迷の現在まで、 切手・絵葉書等で色鮮やかに再現したオールカラーの本格的通史! amazon、e-hon、hontoネットストア、Honya Club、JBOOK、7ネット・ショッピング、紀伊國屋書店、版元ドットコム、ブックサービス、文教堂、丸善&ジュンク堂書店、楽天ブックスなどで好評発売中! ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★ 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は5月7日、6月4日、7月2日、7月30日、9月3日(原則第一火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
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