2019-11-20 Wed 00:04
きょう(20日)は二の酉です。というわけで、一の酉の時と同様、最新の拙著『アウシュヴィッツの手紙 改訂増補版』の早期重版を祈念して、同書で取り上げた“鳥”のマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
![]() ![]() これは、1944年9月2日、ドイツ占領下のアムステルダムからアウシュヴィッツ第3収容所(モノヴィッツ)に隣接していたイーゲー・ファルベン社(以下、IGファルベン)監査部宛のカバーで、1941年に発行された鳩と数字のデザインの10セント切手が貼られています。 アウシュヴィッツ収容所のうち、ビルケナウの第2収容所がユダヤ人等の虐殺に力点を置いていた“絶滅収容所”の性格が強かったのに対して、第1収容所から約7キロ東のモノヴィッツにあったIGファルベンの工場に隣接して第3収容所は、収容者の安価な労働力を工場に動員するための施設でした。 IGファルベンは、第一次大戦後の1925年、ドイツの6大化学工業会社であるバーディッシュ・アニリン・ウント・ソーダ工業(現バスフ=BASF)、フリードリヒ・バイエル染料(現バイエル)、アグファ(現アグファ・ゲバルトの前身)、ワイラー・テル・メール化学、グリースハイム・エレクトロン化学工業、ヘキスト染料(現ヘキスト)の合同により生まれたトラストで、社名のIGは“利益共同体”の意味です。本社はフランクフルト・アム・マインにあり、資本金は11億マルクでした。 ヒトラー政権が誕生する以前の1932年頃からナチスに接近し、ヒトラーが政権を掌握した後は、4ヵ年計画庁に技術者として多くの人材を送り込み、政権との関係を強化。1939年の第二次大戦勃発以降は戦争にも積極的に協力し、ユダヤ人の大量虐殺に使われた毒ガス、ツィクロンBは子会社のデゲッシュがパテントを有していました。 IGファルベンとアウシュヴィッツとの密接な関係は、1941年1月、同社の役員だったオットー・アンブロスが現地を視察し、アウシュヴィッツ東郊のソワ川とヴィスワ川の合流地点に、700万マルクを投じて年間3万トンの生産能力を有する合成ゴム工場BUNAを建設することを決定したところから始まります。ちなみに、アウシュヴィッツ第1収容所でツィクロンBの人体実験が行われたのは、1941年9月のことでした。 工場の建設は、私企業としてのIGファルベンの経済活動として進められましたが、ドイツ政府はこの計画を積極的に支援し、該当する土地から住民を退去させること、第1収容所から8000-1万2000人の労働者・作業員を派遣することを決定。3月下旬には、IGファルベンと収容所を管理していた親衛隊との間で協議が行われ、IGファルベンが未熟練労働者1人につき3マルク、熟練労働者1人につき4マルクを支払うこと、収容者の労働時間についても、夏季は1日10-11時間、冬季は1日9時間とすることが決められました。 これを受けて、1941年4月7日、アウシュヴィッツ第1収容所の収容者たちを動員してのBUNAの建設作業が始まり、1942-44年にかけて、IGファルベンのほか、クルップやシーメンスなど、ドイツを代表する大企業の製造プラントなどに付随して、大小あわせて40の収容施設が作られ、多くの収容者が過酷な労働に従事させられました。これが、モノヴィッツの第3収容所です。 さて、今回ご紹介のカバーは、そのモノヴィッツ宛にドイツ占領下のアムステルダムから発信されたもので、裏面に押されている国章入りの印に“C”の文字が入っていることから、“経由地のケルンで開封・検閲されていることがわかります。 1940年5月15日に降伏したオランダでは、17日にドイツの占領行政が始まり、28日、合邦前の最後のオーストリア首相で1939年10月からはポーランド総督府副総督を務めていたアルトゥル・ザイス=インクヴァルトが“占領地オランダの国家弁務官”として赴任。同弁務官の下、ハーグに置かれたドイツ政府占領行政機関が直接に統治しました。この間、ウィルヘルミナ女王や首相は英国へ亡命しましたが、郵便を含むオランダ官僚機構はそのまま残されており、オランダ人官僚の多くはドイツの占領行政に協力的でした。 ところで、1928年11月以降、オランダの郵便料金体系では、国内宛の書状基本料金は、市内便が5セント、市外宛が7セント半、外信便は一般には12セント半でしたが、ベルギー宛は10セントの割引料金が適用されていました。この料金体系は、原則として、1940年5月以降のドイツ占領下でもそのまま継承されています。ただし、ドイツ宛の郵便物に関しては、占領以前は一般の外国宛として12セント半でしたが、占領後の1940年8月2日から1945年5月の終戦まで、ドイツおよびその占領地域宛の郵便物はベルギー宛と同様の割引料金が適用され、10セントとなりました。このため、今回ご紹介のも、“ドイツ・アウシュヴィッツ宛”として、1941年に発行された10セント切手1枚が貼られているわけです。 ★ 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★ 11月22日(金)05:00~ 文化放送で放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。 ★★ 講座のご案内 ★★ 12月以降の各種講座等のご案内です。詳細については、各講座名をクリックしてご覧ください。 ・よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 毎月第1火曜日 15:30~17:00 12/3、1/7、2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可) ・日本史検定講座(全8講) 12月13日(日)スタート! 内藤は、全8講のうち、2月20日の第6講に登場します。 ・武蔵野大学生涯学習秋講座 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年― 2019年12月15日(日) (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 ) ★ 最新作 『アウシュヴィッツの手紙 改訂増補版』 11月25日発売!★ ![]() 出版社からのコメント 初版品切れにつき、新資料、解説を大幅100ページ以上増補し、新版として刊行。独自のアプローチで知られざる実態に目からウロコ、ですが淡々とした筆致が心に迫る箇所多数ありです。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
先生、Cの検印がケルンていうのは腑に落ちませんが。
#2540 コメントありがとうございます
西土大輔様
郵便検閲が行われた場所のコード表です。ご参考までに。 http://www.postalcensorship.com/examples/ww2germany/c_ww2gercodes.html |
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