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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 国連は歓迎してくれる、かな?
2006-12-17 Sun 00:47
 来年1月1日に就任する国連の潘基文新事務総長が現地時間の14日、国連総会で就任宣誓を行い、実質的に潘総長の新体制がスタートしました。というわけで、韓国+国連ネタということで、今日はこんな1枚を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

歓迎・国連韓国委員会

 これは、1949年2月12日、韓国が発行した“国連韓国委員会歓迎”の記念切手です。

 日本敗戦後の朝鮮半島の戦後処理に関しては、1945年12月のモスクワ協定で、朝鮮半島を一定期間の信託統治下に置くことが決められましたが、その是非をめぐって、南北左右の対立が激化します。こうした状況の中で、1946年5月、モスクワ協定の実施をめぐりソウルで開催されていた米ソ共同委員会がなんら成果を挙げぬまま無期休会となると、李承晩は、全羅北道の井邑で「南だけでも臨時政府を樹立しよう」と演説。それまで、朝鮮内では公式にはタブーとされていた単独政府論(ただし、北半部では、すでに同年2月、事実上の単独政府として「北朝鮮臨時人民委員会」が樹立されていた)を展開します。

 その後、無期休会となっていた米ソ共同委員会は、1947年5月に再開となったものの、米ソの対立は全く解消されず、両者の相互不信を増幅したまま、同年10月、完全に決裂してしまいました。

 こうして、問題解決の目途を失ったアメリカは、1947年9月17日、朝鮮問題を第2回国連総会に上程。国連臨時朝鮮委員会を設置し、1948年3月末までに、同委員会の監視下に総選挙を実施するとの決議を採択させます。

 しかし、すでに北朝鮮のソビエト化をほぼ完成させていたソ連は、朝鮮半島からの米ソ両軍の同時撤兵を主張。選挙監視のために国連委員会が北緯38度線以北に立ち入ることを拒絶しました。このため、1948年2月、国連総会中間委員会は、「選挙の可能な地域」、すなわち南朝鮮(大韓民国はまだ発足していません)での単独選挙を決議。こうして、同年5月10日、米軍政下の南朝鮮で第1回総選挙が実施されました。

 選挙が終了すると、国連の臨時朝鮮委員会は選挙の成功を発表。これを受けて、5月31日、国会が開院し、憲法が制定され、8月15日に大韓民国が正式に誕生します。この間の6月25日、臨時朝鮮委員会は、選挙により成立した南朝鮮国会を正統議会として認定しています。ちなみに、朝鮮民主主義人民共和国政府が正式に発足するのは同年9月9日のことでした。

 さて、両政府成立後の1948年9月24日に開催された国連総会本会議では、朝鮮問題の審議は第一委員会(軍縮・安全保障)に付託されます。第一委員会では、①臨時朝鮮委員会の報告を承認する、②新しい朝鮮委員会を設置する、③総会では大韓民国を朝鮮の正統政府とする、④新たに設置される朝鮮委員会は朝鮮の統一を援助する、ことを、アメリカ、オーストラリア、中国(中華人民共和国ではなく、台湾の国民党政府)の3ヶ国が共同決議案として提出しました。

 これに対して、ソ連は、臨時朝鮮委員会の監視下で行われた南朝鮮の単独選挙は、政治的拘束と抑圧の中で実施された不当なものであるとしたうえで、①そもそも朝鮮問題はモスクワ協定で処理すべきものであり、国連総会は朝鮮に関して行動を起こす権利はない、②大韓民国は元対日協力者と米軍により構成された傀儡政権である、③(彼らの主張では)南北双方の代表からなる朝鮮民主主義人民共和国こそが朝鮮人民の意思を代表している、④朝鮮人民の代表こそが国連に招請されるべきである、などとする決議案を提出して対抗。

 結局、1948年12月8日、国連総会はソ連決議案を否決して共同決議案を採択。これを受けて、12月12日、①臨時朝鮮委員会の報告を承認する、②大韓民国政府は、臨時朝鮮委員会が観察した選挙で樹立された、朝鮮にある唯一の合法的な政府である、③臨時朝鮮委員会の任務を継承する組織として朝鮮委員会を設置する、ことを骨子とするの総会決議195(Ⅲ)が採択され、国連の場では韓国が朝鮮半島の正統政府として認知されます。そして、この決議を踏まえて、1949年2月12日、新たな朝鮮委員会がソウルで活動を開始。こうして韓国と国連の関係が始まりました。

 今回ご紹介している切手は、以上のような経緯を経て、国連の朝鮮委員会が活動を開始するのにあわせて、自らの主張に沿った内容の総会決議を採択した「国際社会」に対する謝意を表すために韓国が発行したものです。

 さて、現在の盧武鉉政権は、対北朝鮮宥和路線の太陽政策に固執し、北朝鮮のミサイル発射や核実験に対して相次いで警告・制裁措置が決議された後も、北朝鮮に対する民間サイドの経済支援を継続することを宣言するなど、国連との対決色を強めています。

 潘新総長は、総長選出の知らせを受けて「これからは胸は韓国に、視野は世界にむけて行動する」と発言しましたが、韓国政府と世界の波長が全く噛み合っていない現状では、かなり難しい舵取りを要求されるのは間違いありません。新総長歓迎の華やいだ雰囲気とは裏腹に、本国と国連との間で板挟みになることが確実な潘新総長の前途は、まさに茨の道といえそうです。
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