2012-05-20 Sun 22:45
大相撲夏場所は、モンゴル出身の旭天鵬が史上初となった平幕同士の優勝決定戦で栃煌山を破り、初優勝を果たしました。初土俵から20年、121場所目の初賜杯はいずれも最も遅い記録で、37歳8カ月での優勝は、昭和以降、最年長での初優勝だそうです。というわけで、長年の苦節に耐えての開眼ということで、きょうはモンゴル切手の中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1999年に発行されたガンダン寺の開眼観音(メグゼド・ジャンライシグ観音)の切手です。 ガンダン寺の名で知られるガンダン・テクチェンリン僧院は、チベット・モンゴル仏教の総本山として1838年に第5代活仏のボグド・ジェブツンダンバによってウランバートルの高台に建立されました。 ガンダン寺の開眼観音は、もともと、ボグド・ハーンとして知られる第8代活仏が1914年に盲目となった際、その治癒を祈って建立されました。当時の像は、約20トンの銅、45キロの金、56キロの銀、500個の宝石が使われ、高さ28メートル。世界最大の仏像とたたえられ、内部にはおびただしい数の経典が収められていました。 ところで、ボグド・ハーンは、1911年の辛亥革命を機にモンゴルが清朝から独立宣言した際、モンゴル諸侯に推戴されてモンゴルの皇帝(ハーン)として即位したことに伴う尊称で、それ以前の彼は“聖人様”を意味するボグド・ゲゲーンの称号で呼ばれていました。 しかし、モンゴルの独立を認めない中華民国は、1919年、モンゴルに侵攻。ボグド・ハーンを退位させ、私邸に軟禁します。これに対して、1921年、ソ連赤軍の支援を受けたモンゴル人民党(後にモンゴル人民革命党)のダムディン・スフバートルによる独立闘争の結果、モンゴルが再独立すると、ボグド・ハーンは推戴されて皇帝に復位。ただし、再独立後の政府の実権はスフバートルらが掌握しており、ボグド・ハーンの権限は以前に比べて制限されました。 1924年4月、ボグド・ハーンが亡くなると、コミンテルンの指導を受けたモンゴル人民革命党は、同党による一党独裁の社会主義国を宣言。同年11月26日、ソ連の衛星国としてのモンゴル人民共和国が誕生し、活仏の転生も否定されてしまいました。これに対して、1939年、チベット政府は、1932年生まれのジャンペルナムドゥル・チューキゲンツェンを第9代活仏として認定。モンゴルの社会主義政権はこれを頑なに否定していましたが、社会主義政権崩壊後の1990年、当時のオチルバト大統領からの照会に対し、チベット亡命政府のダライ・ラマ14世が改めてジェプツンダンパ9世として認定し、モンゴルの活仏は復活しました。 さて、社会主義政権下では仏教寺院の大弾圧が進められましたが、それはガンダン寺も例外ではなく、1937-38年にかけて観音堂などが破壊され、観音像も1938年10月、ソ連赤軍第17連隊によって倒され、レニングラードに持ち去られ、その後、行方不明となりました。なお、ガンダン寺の宗教活動は、1944年に再開を許されたものの、社会主義政権の崩壊まで、厳しい管理下に置かれることになります。 切手に取り上げられた観音像は、社会主義政権崩壊後の1990年に再建が企画され、1996年に完成したもので、エルデネト鉱山で採掘された銅に金メッキを施した仕様で、モンゴル独立の象徴とされています。 なお、今回ご紹介の切手に取り上げられた開眼観音を含むモンゴルの仏像については、拙著『切手が伝える仏像』でもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
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