2020-12-11 Fri 02:42
きのう(10日)、アゼルバイジャンの首都、バクーで、トルコのエルドアン大統領を迎えて、アゼルバイジャン軍とトルコ軍の合同戦勝パレードが行われました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、2018年9月30日、トルコが発行した“(オスマン帝国の)カフカ―ス・イスラム軍によるバクー解放100周年”の記念切手シートで、バクーに入城するオスマン帝国軍と、トルコ、アゼルバイジャン両国旗がデザインされています。 第一次大戦以前、アゼルバイジャンの地はロシア帝国の支配下に置かれていましたが、1917年にロシア革命が発生すると、バクーでも暫定地方政権が樹立されます。当初、その主導権は、メンシェビキやエス・エル党などが掌握していましたが、しだいにボリシェヴィキが勢力を拡大して1918年4月にはソヴィエト権力の樹立を宣言。ボリシェヴィキを中心とする“バクー・コミューン(バクー県人民委員会議)”が成立します。その過程で、同年3月、バクーでは、ボルシェヴィキとアルメニア人が、約1万2000名のアゼルバイジャン人ムスリムを虐殺しました。 一方、1918年4月、バクー以外のアゼルバイジャンとアルメニア、グルジアのメンシェヴィキと民族主義勢力が“ザカフカス連邦共和国”の樹立を宣言しましたが、内部対立からすぐにグルジアが離脱したため、連邦は崩壊。このため、5月27日、アゼルバイジャンでは、反ボリシェヴィキの民族主義政党であるミュサヴァト(ムサヴァト、ムサワトとも)党がギャンジャでアゼルバイジャン民主共和国の樹立を宣言し、バクー県以外の地域を支配しました。 同胞の大量虐殺事件もあって、バクーの奪還を目指すミュサヴァト政権は、トルコ民族主義の立場からオスマン帝国と連携して、7月31日、バクーを攻撃したものの、8月2日、赤軍ならびに英国の支援を受けたバクー・コミューンに敗退。このため、8月5日に再攻撃を開始したものの、再び撃退されています。 しかし、二度目の攻撃後、赤軍がバクーを撤退しただけでなく、英国の支援を受けたコサック軍も北方に退避。このため、英国は3個大隊の増援部隊を送りましたが、9月14日、オスマン帝国は2個師団を派遣してバクーを攻撃。英軍は撤退を余儀なくされましたが、混乱の中で、現地に残されたアゼルバイジャン人、コサック、アルメニア難民の間で騒乱が発生し、翌朝までに、3月の虐殺事件の報復として、8988名ものアルメニア人が虐殺されたといわれています。 翌15日、バクーは完全に制圧され、オスマン帝国ならびにアゼルバイジャンの両国軍がバクーに入城。今回ご紹介の切手シートは、この時の様子を撮影した写真を元に構成されたものです。なお、バクー入城時に、虐殺されたアルメニア人の遺体が至る所に散乱している状況を目にしたオスマン帝国の将兵たちは、その惨状に慄然としたものの、エルズルム県のトルコ人虐殺の“天罰”として当然の報いと考えていたそうです。その後、1918年10月30日、オスマン帝国は協商諸国に降伏し、ムドロス休戦協定に調印すると、バクーには、ふたたび英軍が駐留することになります。 さて、今回の戦勝パレードは、11月10日に停戦が結ばれたナゴルノ・カラバフ紛争が、アゼルバイジャン軍の勝利に終わったことを記念して行われたもので、紛争でのアゼルバイジャンの戦死者が2783人だったことを踏まえ、2783人のトルコ兵が参加したほか、戦闘で使われたトルコの無人攻撃機や、アルメニアから押収した戦車も登場しました。 また、アゼルバイジャンのアリエフ大統領は「われわれとトルコの連帯を世界に示す」と演説。一方、エルドアン大統領は「トルコとアゼルバイジャンの関係は“二つの国家、一つの民族”だ」として両国の紐帯を強調するとともに、「政治や軍事面で展開される闘争は、今後も多くの方面で続いていく」として、あらためて、アルメニアに対する警告を発しています。 ★ 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★ 12月11日(金)05:00~ 文化放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。 ★ 内藤陽介の最新刊 『日本人に忘れられたガダルカナル島の近現代史』 ★ 本体1600円+税 出版社からのコメント 【中国の札束攻勢にソロモン諸島は陥落寸前!】 日本軍の撤退後、悲劇の激戦地は いかなる歴史をたどり、 中国はどのように浸透していったのか 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
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