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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 クウェート侵攻から20年
2010-08-02 Mon 14:03
 湾岸戦争の原因となったイラク軍のクウェート侵攻が1990年8月2日に起きてから、きょうでちょうど20年です。というわけで、きょうはこんな切手をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      クウェート6

 これは、1992年8月2日、クウェートが発行した“クウェート侵攻2周年”の切手で、クウェート侵攻時ならびに湾岸戦争時のようすを描いた児童画が取り上げられています。

 さて、イラクのサダム・フセイン政権がクウェートに侵攻した理由は概ね、以下のようにまとめることができます。

 まず、現在のイラク国家の国境線は1932年にイラクが独立国としてスタートした際に定められましたが、これは第一次大戦の戦勝国であるイギリスの意図に沿って定められたものでした。すなわち、現代イラクは旧オスマン帝国のバスラ州・バグダード州・モスル州を継承するものとされていましたが、クウェートの領域はもともとはバスラ州の一部でした。ところが、1899年、イギリスがオスマン帝国の頭越しにクウェートを保護国化したことから、イラク国家の成立に際しては旧バスラ州からクウェートを除いた部分がイラク領とされました。「歴史的に見てクウェートはイラクの一部である」というイラク側の主張は、こうした過去の史実に基づいており、1957年のイラクの共和革命に際して革命政権がクウェートに侵攻する可能性が危惧されたのもそのためです。

 こうした大義名分論に加えて、イラクには、対イラン戦争(イラクは、この戦争により湾岸諸国を革命イランの脅威から守ったと自負しています)によって疲弊した国内経済の再建に対して、クウェートが非協力的で阻害要因となっているとの認識がありました。

 すなわち、対イラン戦争の終結後も引き続き湾岸諸国からの資金援助を希望するイラクに対して、湾岸諸国の反応は極めて冷淡で、特に、クウェートの場合、対イラン戦争中に同国から借り入れた資金(金額的には諸説ありますが、300-600億ドルといわれています)の全額返済免除や新規融資など、イラク側の要求をことごとく一蹴し、両国関係は急激に冷却化していました。

 さらに、イラクは戦後復興のための資金源として石油輸出の拡大をめざしていましたが、当時、世界の原油価格は低迷を続けていました。すなわち、原油価格は、イラン・イラク戦争のはじまった1980年に1バレルあたり35ドル台でしたが、同戦争の終結時には1バレルあたり10ドル台に低迷、さらに、イラク軍のクウェート侵攻直前の1990年4-5月には1バレルあたり6ドル前後にまで急落していました。原油価格が1バレルあたり1ドル上下するだけで、年収が10億ドル上下するといわれるイラクにとって、原油価格の急落はまさに死活問題でした。このため、イラクは原油価格維持のために産油国による生産調整を主張しましたが、クウェートとアラブ首長国連邦はOPEC(石油輸出国機構)の定めた国別生産割当量を無視して増産を続けていました。

 そのうえ、そのクウェートは、かねてからイラクが領有権を主張しているルマイラ油田からも石油を採掘していました。クウェートがイラクの石油を盗掘しているとの主張はこのためです。

 こうして、イラクとクウェートの関係が極端に悪化する中で、1990年7月31日、サウジアラビアが両国代表をジェッダに招き、話し合いによる解決を求めましたが、交渉は決裂。さらに、イラクが駐在アメリカ大使に対して武力行使を含む問題の当事者間解決を示唆したところ、アメリカ側はこれを黙認すると取られかねないような反応をイラク側に示したとされています。

 以上のような要素にくわえ、野心的なサダム・フサインの領土欲や「アラブの盟主」の座をねらう名誉欲などが絡み合い、1990年8月2日、イラク軍はついにクウェートに侵攻し、即日、クウェート全土を占領したというわけです。
 
 なお、このあたりの事情については、拙著『なぜイスラムはアメリカを憎むのか』でまとめてみたことがあります。現在、同書は紙の本としては“版元品切れ”ですが、電子書籍としては生き残っていますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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