2012-10-08 Mon 10:52
きょう(8日)は体育の日です。というわけで、今月下旬に刊行予定の拙著『喜望峰』のなかから、スポーツ関連の切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1990年に発行された観光宣伝切手のうち、キャンプス・ベイを取り上げた1枚で、サーファーが描かれています。ちなみに、下の画像は僕が2010年に現地を訪れた際の写真ですが、この時は海水浴を措定る人はいましたが、サーファーは見かけませんでした。 ケープタウン郊外のキャンプス・ベイのエリアは、高級ホテルやセレブ達の別荘などが立ち並ぶリゾート地として知られています。 現在のケープタウンの基礎は、1652年、南アフリカにオランダ人入植地とオランダ東インド会社のための補給基地の建設を命じられたヤン・ファン・リーベックが上陸して築かれましたが、その時からすでに、ケープタウン郊外のこの地は東インド会社の保養地として利用されていました。 ケープ半島沿岸の海岸の中でも、キャンプス・ベイ一帯が特に保養地として選ばれたのは、テーブル・マウンテンとそれに続く十二使徒と呼ばれる山々が南東からの季節風をさえぎり、気候が穏やかなためで、オランダ人の入植以前はサン族やコイ族などの先住民が住んでいました。 18世紀に入ると、一帯の土地はウェルニヒ家に払い下げられましたが、1778年、当主のヨハンが亡くなり、財産を引き継いだ未亡人のアンナ・コーケモールがフレデリック・フォン・カンプスと再婚すると、いつしか、“フォン・カンプスの海岸”を意味するディー・バーイ・フォン・カンプスの地名が定着。現在のキャンプス・ベイというのは、その英語名です。 イギリスがケープ植民地を獲得した19世紀初頭の時点では、キャンプス・ベイ一帯は未開発の自然が数多く残されていて、1814年から26年にかけてケープ植民地総督を務めたチャールズ・ヘンリー・サマーセットは、海水浴ではなく、狩猟を楽しんだといわれています。 リゾート地としての本格的な開発が進むのは、1887年にケープタウン市内からの直通道路が開通してからのことです。道の名前は、当初の計画ではクルーフ・ロードとなっていましたが、完成翌年の1888年がたまたまヴィクトリア女王の在位50年の記念の年であったため、完成時にはヴィクトリア・ロードと命名されました。 19世紀末、キャンプス・ベイ一帯のリゾート地としての開発が進み、多くの観光客が訪れるようになると、さっそく、ビーチと山並みを組み合わせた絵葉書が盛んに作られるようになりました。 さて、今月下旬、切手紀行シリーズの第5巻として刊行予定の『喜望峰:ケープタウンから見る南アフリカ』は、ケープタウンと喜望峰を中心に、南アフリカの歴史をさまざまな角度から切手や郵便物、絵葉書などで再構成した歴史紀行で、キャンプス・ベイに関する絵葉書もいろいろとご紹介しています。すでにアマゾンやエルパカBOOKSなどでは予約の受け付けも始まりましたが、実物が出来上がってきましたら、このブログでもご案内いたしますので、なにとぞよろしくお願いします。 ★★★ 内藤陽介、カルチャーセンターに登場 ★★★ 10月から、下記の通り、首都圏各地のよみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)で8月の韓国取材で仕入れたネタを交えながら、一般向けの教養講座を担当します。詳細につきましては、青色太字をクリックしてご覧いただけると幸いです。皆様のご参加を心よりお待ちしております。(掲載は開催日順) T-moneyで歩くソウル歴史散歩 ・よみうりカルチャー北千住 10月17日、12月19日、1月16日、2月20日、3月20日 13:00-15:00 ・よみうりカルチャー荻窪 10月30日、12月4日、1月29日、2月5日、3月5日 13:00-14:30 ★★★★ 電子書籍で復活! ★★★★ 歴史の舞台裏で飛び交った切手たち そこから浮かび上がる、もうひとつの昭和戦史 『切手と戦争:もうひとつの昭和戦史』 新潮社・税込630円より好評配信中! 出版元特設HPはこちらをクリック ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
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