2018-03-05 Mon 03:44
べネズエラのウゴ・チャべス元大統領が2013年3月5日に亡くなってから、きょうでちょうど5周年です。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、2013年にべネズエラで発行されたチャべスの追悼切手の1枚です。 ウゴ・チャべスは、1954年7月28日、べネズエラ内陸部のバリナス州サバネータで教師をしていた両親の間に生まれました。中学時代には、共産主義者の友人に影響されて社会主義に共感を持つようになり、左翼活動家だった兄アダンを通じて、元共産ゲリラとの交流もあったと伝えられています。 高校卒業後、士官学校に進学したチャべスは、当時、ペルーの“軍事革命政権”(ユーゴスラヴィアの自主管理社会主義をモデルにした左翼軍事政権)を率いていたフアン・ベラスコ・アルバラードや、米国とパナマ運河返還交渉を行っていたパナマのオマール・トリホスに強い影響を受け、1975年に士官学校を卒業し陸軍少尉として空挺部隊に勤務すると、1982年には同志を募って軍内にCOMACATEと称する地下組織を組織しました。 1989年2月、首都カラカスで貧困層が暴動を起こすと、鎮圧のために陸軍が出動し、多数の死傷者が発生します。このことに衝撃を受けたチャべスは、絶望的なまでに広がっていた貧富の格差を是正することを目指して、1992年、同志を募ってクーデターを起こしたものの失敗。ただし、投降の際に彼が行ったテレビ会見は、クーデターの是非はともかく、べネズエラ国民の一定の支持を得たとされています。 その後、チャべスとその同志は武装闘路線を放棄し、遵法闘争に路線を転換。ソ連崩壊後唯一の超大国となっていた米国とその新自由主義に追従するばかりの既成政党を激しく批判し、富裕層や労働組合幹部による医療・福祉の独占を廃して平等な社会の実現を訴え、1999年の大統領選挙で、現状に不満をもつ貧困層の圧倒的な支持を得て、大統領に選出されました。 政権を掌握したチャべスは、ラテン・アメリカ解放の父とされるシモン・ボリバルの名を冠した新憲法、ボリバル憲法を制定し、国名をベネズエラ共和国からベネズエラ・ボリバル共和国に変更したほか、大統領権限を強化し、二院制だった議会を一院制に変更。キューバから2万人の医師を招いて貧困層のための無料診療制度をととのえるとともに、地主の土地を収用して農民に分配する農地改革や、為替管理や統制価格の導入、石油公団 (PDVSA) への統制強化など、反米・社会主義路線を鮮明にしていきます。 東西冷戦の終結から10年。社会主義は歴史上の遺物とする見方が一般的となっていた中で、新たな“社会主義”政権が誕生したことに世界は驚愕。その一方で、それまで挫折感を抱いていた全世界の左派リベラル勢力がチャべスに大いに期待を抱いたことは間違いありません。同時に、チャべスの側も、そうしたリベラルないしは反米勢力との連携により、みずからの国際的な立場を強化しようとしていました。 さて、チャべス政権は、発足当初から、極端な貧困層重視の政策と強引な政治手法が既存のエスタブリッシュメントの強い反発を招き、2002年にはCIAが関与するクーデター騒ぎも起こっています。結局、このクーデターは失敗に終わり、チャべスは政権を回復するのですが、このときの経験から、チャべスはあらためて軍の重要性を痛感したといわれています。 こうした状況の下で、2004年に入ると、国際市場での原油価格が急上昇し、べネズエラ経済は時ならぬ石油バブルに沸き、潤沢な資金を得たチャべス政権は軍拡路線を突き進んでいくことになりました。 米国をはじめとする西側諸国は武器禁輸措置によって、反米に舵を切ったチャべス政権を封じ込めようとしたものの、かえって、その穴を埋めるように、ロシア製を中心に、中国製、スウェーデン製の兵器がべネズエラで大量に流入。具体的には、2006年のプーチン=チャべス会談の結果、べネズエラはロシアのスホーイ30多用途戦闘機24機の購入契約を結び、陸軍の制式自動小銃をベルギーのFN FALからロシアのAK-103に変更。この結果、スホーイ戦闘機24機とヘリコプター53機も含め、2005-06年の間に両国間で交わされた兵器の売買契約は総額およそ30億ドルにものぼりました。 べネズエラが急激に軍備を増強させれば、当然のことながら、近隣諸国との軍事バランスは崩れ、地域の不安定化につながります。 はたして、2008年、隣接する親米国家のコロンビアが国内の反政府左翼ゲリラ“コロンビア革命軍”討伐のため、エクアドルに対して越境攻撃を行い、両国関係が緊張すると、チャべス政権はコロンビアを非難し、コロンビア国境に軍を集結させ、アンデス危機と呼ばれる一触即発の状況が到来しました。 このときは、米州機構の仲介により、コロンビアが謝罪することで事態は一応収拾されましたが、べネズエラはロシア大統領のドミトリー・メドヴェージェフをカラカスに招き、ロシアとの合同軍事演習を行い、コロンビアの背後にいる米国を牽制しています。 また、2009年7月、コロンビアはコロンビア革命軍に対してべネズエラ政府がスウェーデン製の対戦車砲を転売したと公に指摘。これに対して、チャべスは即座に否定し、報復措置として、コロンビアとの外交関係凍結を発表しました。 さらに、コロンビア革命軍は麻薬カルテルとも深いつながりがあるとされていますが、コロンビア政府は、2009年8月、麻薬組織対策のために駐留米軍の増強を計画していることを発表。その背景にはべネズエラを牽制する意図があるのは明白でしたから、チャべスはこれをべネズエラに対する“敵対行為”であるとして激昂。ロシア製の戦車を多数調達すると発表して対抗しています。 実際に、同年8月14日、米・コロンビアの軍事同盟が発効すると、チャべスはこれに対して“宣戦布告”と猛反発し、コロンビアとの断交も辞さないとの姿勢を明らかにします。このとき、チャべスは、「コロンビアと米国はべネズエラ攻撃をたくらんでおり、両国政府が一緒になって世界を欺こうとしている」と主張しました。 このように、反米左派の姿勢を鮮明にしていたチャべス政権でしたが、結果的に、財界との対立は経済の低迷を招いたほか、深刻な格差・貧困問題、特に治安の悪化を抜本的に解決することができないまま、2013年、チャべス本人は癌のためにより死亡。後継のニコラス・マドゥロ政権も、有効な打開策を講じることができず、べネズエラ国内ではインフレが昂進し、深刻な経済危機が続いています。 ★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” 次回は8日!★★ 3月8日(木)16:05~ NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第17回(最終回)が放送予定です。今回は、平昌パラリンピックの開幕前日の放送ということで、パラリンピックの切手についてお話する予定です。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。 ★★★ 世界切手展< THAILAND 2018>作品募集中! ★★★ 本年(2018年)11月28日から12月3日まで、タイ・バンコクのサイアム・パラゴンで世界切手展<THAILAND 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不肖・内藤がお引き受けすることになりました。 現在、出品作品を3月12日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、お待ちしております。 ★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★ 本体2500円+税 【出版元より】 中東100 年の混迷を読み解く! 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史! 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
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