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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ガイアナ独立記念日
2014-05-26 Mon 10:16
 きょう(26日)は、南米のカリブ共同体加盟国、ガイアナの独立記念日です。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ガイアナ・独立加刷

 これは、1966年のガイアナ独立に伴い、英領ギアナ時代の地図を描く切手に、英領ギアナ改めガイアナの新国名と“独立”の文字、1966年の年号を加刷して発行された切手です。

 南米大陸北部の大西洋に面したギアナ(先住民の言語では“水の多い土地”を意味するガイアナ)地方は、オランダ、フランス、英国の3国によって分割されていました。1621年以降、オランダ西インド会社の管轄下にあった地域のうち、エセキボ・デメララ・バービスの3植民地が、ナポレオン戦争を経て1814年にそれぞれ個別に英領となり、1831年、英領ギアナとして統合されました。今回ご紹介の切手の地図は、この英領ギアナの範囲を示したもので、現在のガイアナ国家は、基本的に、これを踏襲しています。

 さて、第二次大戦後の英領ギアナでは、大幅な自治を認めた憲法が制定され、1953年に最初の総選挙が行われました。その結果、インド系のチェディ・ジェーガンを党首としてスターリン主義を掲げる人民進歩党(PPP)(PPP)が勝利。このため、英領ギアナの社会主義化を恐れた英国は、同年10月、4隻の軍艦と1600名の兵士を派遣し、憲法を停止して暫定政府による統治がスタートします。

 一方、インド系を中心とする急進左派政党であったPPPの躍進に危機感を持ったアフリカ系は、PPPから分裂するというかたちをとって、弁護士のフォーブス・バーナムを党首として穏健左派政党の人民国民会議(PNC)を結成して、対抗し。南米に社会主義政権が誕生することを恐れた宗主国の英国や南米を自国の裏庭と考える米国はPNCを暗に支援し、CIAはアフリカ系住民に対して「このままではインド系に支配される」というウワサを流し、“民族対立”をあおっていました。

 その後、1961年に新憲法が制定され、英領ギアナは完全な自治を獲得。これを受けて、同年1961年8月に行われた総選挙ではPPPが第1党となり、同年9月、首相に就任したジェーガンは、砂糖産業(アフリカ系労働者が多数を占めていました)や電力会社の国営化などの社会主義的政策を進めたため、1962年4月5日にはゼネストが宣言され、英領ギアナ全土で暴動が発生。混乱は1964年まで続き、この間、職場や住宅が放火されて約180名が犠牲になり、英領ギアナ知事サー・ラルフ・グレイの要請により英軍が派遣され、暴動は鎮圧されました。

 混乱が収束した後、1964年12月に行われた総選挙では、PNCが白人とも連携して勝利を収め、PNCのバーナムが首相に就任しました。これに対して、ジェーガンは選挙の無効を主張しましたが、バーナム政権は憲法改正によって、ジェーガンを追放します。

 ジェーガンの追放により、とりあえず、英領ギアナの社会主義化が阻止されたと判断した英国は、1966年5月26日、英領ギニアに対して英連邦内の自治領として独立することを承認。国名は先住民の言語でるガイアナと改称され、新国家の首相にはバーナムが就任しました。

 さて、ことし(2014年)は、わが国とカリブ共同体(旧英領を中心にカリブの14か国1地域が加盟。ガイアナも加盟国です)の事務レベル協議開始後20年が経過した年であるとともに、ジャマイカならびにトリニダード・トバゴとの国交樹立50周年にもあたることから、“日・カリブ交流年”とされています。

 8月1-3日、東京・墨田区で開催が予定されている<全日本切手展2014>でも、これにちなみ、外務省の認定を受けた“日・カリブ交流年”の行事として“カリブ切手展”を併催の予定です。今後も、同展の事前プロモーションを兼ね、機会を見つけてカリブ共同体加盟諸国・地域の切手をご紹介していきたいと考えておりますので、よろしくお付き合いください。


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         サライェヴォ事件   中日講座用・顔写真

 7月18日・8月29日・9月19日の3回、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、第一次大戦100年の企画として、「切手を通して学ぶ世界史」と題する講座を行います。

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 詳細は、こちらをご覧ください。

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