2020-12-25 Fri 01:19
きょうはクリスマスです。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、第二次大戦中、ガダルカナルに置かれていた米軍の第709野戦郵便局(APO709)から差し出されたクリスマスのVメールです。 第一次大戦と比べて、第二次世界大戦では、海外で従軍している人々と本国の家族等の間での郵便物の往来が激増し、その輸送は当局にとって大きな負担になっていました。このため、1941年、英国では、イーストマン・コダック社の協力を得て、戦地の将兵に専用の用紙に手紙の文面を書かせ、それをマイクロフィルムで撮影して本国へ運び、到着後にプリントして宛先に届けるエアグラフの制度が導入されました。 1941年12月に大戦に参戦した米国でも、1942年6月、これに倣ったVメールのサービスを開始しました。今回ご紹介しているのは、ガダルカナルからマイクロフィルムの状態でサンフランシスコまで運ばれた文章をプリントした状態のものです。 なお、このVメールを引き受けたAPO709はガダルカナル攻防戦最中の1942年12月13日にガダルカナルで開局。1943年2月7日の日本軍撤退後も、連合軍の航空基地としてヘンダーソン飛行場の拡充業務や戦闘によって破壊された村落の復旧、ホニアラのインフラの整備などのために来島した米軍スタッフの郵便物を取り扱いました。米軍兵士の多くは1945年末で引き揚げたものの、1950年までは少数のスタッフがガダルカナルで活動していたため、APOも終戦後の1949年10月30日まで活動を続けていました。 ガダルカナルでVメールの取扱が始まったのは1944年2月22日でしたから、今回ご紹介のマテリアルは、おそらく、終戦前の1944年のクリスマス時のものと考えてよいでしょう。ちなみに、事務室・郵便室・備品室・研究室を十字型に配したVメール・ステーションはエアコン完備で、24時間で10万通のVメール原稿を受け付け、マイクロフィルム化して発送する処理能力を備えていたそうです。 ちなみに、ガダルカナルにおける米軍の活動については、拙著『日本人に忘れられたガダルカナル島の近現代史』でもいろいろとまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。 ★ 内藤陽介の最新刊 『日本人に忘れられたガダルカナル島の近現代史』 ★ 本体1600円+税 出版社からのコメント 【中国の札束攻勢にソロモン諸島は陥落寸前!】 日本軍の撤退後、悲劇の激戦地は いかなる歴史をたどり、 中国はどのように浸透していったのか 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
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