2018-04-07 Sat 02:48
かねてご案内のとおり、本日(7日)13:00より、東京・駒込の(公財) 愛恵福祉支援財団で、ヒロシマ トークセッション連続講座の第45回として、「アウシュヴィッツの手紙・戦争と切手」と題してトークイベントを行います。というわけで、その予告編として、こんなモノをを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、第二次大戦初期の1940年3月、ドイツ占領下のアウシュヴィッツからクラクフ宛の書留便で、“Auschwitz (Oberschlies)1”の地名のみが入った抹消印が押されています。 アウシュヴィッツのドイツ語名(ポーランド語名はオシフィエンチム)で知られる小都市は、14-15世紀にはポーランド系君主によるオシフィエンチム公国の拠点でしたが、1772年のポーランド分割によりハプスブルク帝国の支配下に入り、プロイセンとの国境の町になりました。その後、1918年にポーランドが独立を回復すると、第二次大戦の勃発まで、オシフィエンチムはポーランド領になります。 1939年9月1日、ドイツ軍がポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が勃発すると、オシフィエンチムは開戦翌々日の9月3日にはドイツ軍の空爆を受けて占領され、ドイツ直轄領のカトヴィッツ県に編入されます。 占領後のオシフィエンチムでは、ドイツの占領当局はポーランド時代の郵政組織を接収し、ポーランド切手・消印の使用を禁止するとともに、ドイツ本国の切手をそのまま持ち込んで郵便を再開しましたが、消印に関しては、当初、ポーランド語名の“OSWIECIM”の表示の印が使用されていました。 1940年2月以降、ドイツ占領当局は、ポーランド語の地名“オシフィエンチム”を、ドイツ語の“アウシュヴィッツ”に変更しますが、すぐにはドイツ語地名の正規の消印の配給が間に合わなかったため、当初はアウシュヴィッツ1局として、今回ご紹介のカバーに示すように、“Auschwitz (Oberschlies)1”の地名のみが入った抹消印が暫定的に使用されました。 ところで、第二次大戦が勃発した時点で、ナチス・ドイツの支配地域には、建設順にダッハウ(1933年)、ザクセンハウゼン(1936年。オラニエンブルクの収容所がいったん閉鎖された後、その跡地に隣接する場所に建設)、ブーヘンヴァルト(1937年)、フロッセンビュルク(1938年)、マウトハウゼン(1938年。旧オーストリア地域)、ラーフェンスブリュック(1939年。女性・子供専用)の6つの“模範収容所”があり、2万1000名の収容者が拘留されていました。 これに加えて、ポーランドを占領したドイツにとっては、占領地域の捕虜や政治犯の収容施設を確保することが必要となり、緊急に強制収容所を増設することになりました。そこで、アウシュヴィッツの旧ポーランド軍兵営をベースに、防疫通過収容所を建設する計画が立てられます。 防疫通過収容所というのは、収容者をいったんここに集めたうえで病気などの有無を検査し、そこから各地の収容所に送り出すための施設です。アウシュヴィッツは歴史的にはハプスブルク帝国とプロイセンの事実上の国境の町として、古くから鉄道の駅が置かれるなど、域内における物流の拠点として機能していたため、防疫通貨収容所のロケーションとして適切と判断されました。また、収容所に転用された兵営は、市街地の中心部からは2キロほどの距離があり、必要に応じて周囲に拡張することが容易だったという事情もありました。 かくして、1940年4月27日、アウシュヴィッツでの収容所建設命令が発せられ、6月14日、最初の収容者として、タルヌフ(クラクフの東75キロの地点にあるビャワ川沿いの都市)の刑務所から728人のポーランド人捕虜・政治犯がアウシュヴィッツに移送されてきます。こうして、1945年1月27日の解放にいたるまでの、アウシュヴィッツ収容所の歴史が幕を開けることになります。 今回のトークでは、拙著『アウシュヴィッツの手紙』の内容を補足しながら、アウシュヴィッツとその歴史を、切手や郵便物、絵葉書などを使って、さまざまな角度からお話しする予定です。ぜひ、1人でも多くの方にご参加いただけると幸いです。 ★★★ トークイベントのご案内 ★★★ <ヒロシマ トークセッション連続講座 アウシュヴィッツの手紙・戦争と切手> 4月7日(土)13:00-16:00 於・ (公財) 愛恵福祉支援財団(東京都北区中里 2-6-1愛恵ビル3F) 資料代 1,000 円 (当日会場で集めます) 会場と資料準備の関係で必ず、下記宛に事前の申し込みをお願いします。 申込先 竹内 良男(qq2g2vdd★vanilla.ocn.ne.jp スパム防止のため、送信の際は★を@にしてください) ★★★ ツイキャス出演のお知らせ ★★★ 4月8日(日)22:00~ 拉致被害者全員奪還ツイキャスのゲストで内藤が出演しますので、よろしかったら、ぜひ、こちらをクリックしてお聴きください。 ★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★ 本体2500円+税 【出版元より】 中東100 年の混迷を読み解く! 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史! 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
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